乱世を駆ける男   作:黄粋

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今年最後の投稿となります。
今年も一年、この作品をご覧いただきありがとうございます。
ペースが遅い作品ではありますが来年もよろしくお願いいたします。


第八十二話

 劉備たちとの予期せぬ会合の後。

 俺たちは予定通り、冀州へ向かった。

 その途中、情報提供者となった若者の故郷の邑を訪れ、飢えによって死に絶え野ざらしにされていた人々を埋葬している。

 

 彼は埋葬作業の最中に泣き崩れた。

 故郷の惨状を冷静な状況で改めて受け止めてしまったのだろう。

 

 宋謙殿がなにも言わずに抱きしめ、それが止めになったのか彼をさらに声を上げて泣き叫んだ。

 誰も生き残っていない邑に彼の慟哭が空しく響く。

 それがまた人と人が関わり喧騒が絶えなかったはずの場所が無くなった事実を俺たちに言葉もなく教えてくれた。

 

 埋葬が終わり、再び冀州へ向かう折、彼はそのまま邑に残る決断をした。

 黄巾党についての情報の正確なところはともかく、彼の故郷についてはこうして確認が取れた以上、同行させる必要はない。

 故に彼の意思を尊重し、一週間分にはなるだろう食料を渡し、俺たちは任務へと戻っていったのだ。

 

 これから彼がどうするか俺たちにはわからない。

 俺個人といての想いとしては出来れば真っ当に生きてほしいと思うが、こればかりは当人の意思次第だ。

 

 俺たちは数日の行軍の末、冀州に到着する。

 しかし結局、部隊を丸々隠せるような場所は見つからなかった。

 幾つかの方針の一つの通り、偵察隊のみを黄巾党本隊の調査に向かわせ、一度建業に戻るという結論になった。

 

「偵察である以上、無事に戻って結果を伝えるまでが仕事だ。くれぐれも無理をするな」

 

 麟と弧円、そして選抜された十人を送り出す。

 

「承知しております! さほど待たせるつもりはありません!!」

「隊長。建業で皆と吉報を待っててください!」

 

 胸を張って駆け去る部下たちを見送り、俺たちは建業への帰路についた。

 それから建業までは何事もなく、諸手を上げてとは言えないが凌操隊は本拠地への帰還を果たす。

 

 そして戻った俺たちは首脳陣にそれまでの報告を行い、偵察隊が戻るまでの僅かな時間を休息に費やす事になる。

 はずだったんだが……。

 

 

 俺は今、本当に久しぶりに帰ってきた自宅でとある男と対面している。

 

「いやはやお久しぶりです。明命は元気ですかな?」

「俺に聞くくらいなら会ってやればいいだろうに……」

 

 目の前の男、周洪の言葉に俺はため息交じりに答えた。

 そしてなんとなく、本当になんとなくこの男の来訪の意図を察する。

 

「それは出来ません。あの子は今、この建業に仕え、よくやっている。わざわざ親がしゃしゃり出る必要などないほどに」

 

 その目は我が子の成長を喜び、慈しむ優しさに満ちていた。

 俺はこの目をした男を1人知っている。

 

 この男はいつかの『甘寧』、いや『深桜』と同じ目をしていた。

 

「……お伝えしたい事がございます。おそらくこれが貴方と会う最後の機会となりましょう」

 

 俺は周洪から『既にいない彼女からの遺言』と、そして『今を必死に生きる彼女からの伝言』を聞く事になる。

 

「最後となりますが我が愛しき娘、明命の事をこれからもどうかよろしくお願いします」

 

 締めくくる言葉を俺は拒否した。

 最後だと言うのなら尚更、自分で我が子に声をかけていけと怒鳴りつけた。

 しかし男は俺の怒りを軽く受け流して薄く笑うだけ。

 

「明命の事を想ってそう言ってくださる貴方だから、私は安心出来ます」

「勝手な事を言うな! 残される彼女の気持ちを考えろ……!!」

 

 俺の言葉から逃げるように、先ほどまで対面して話していた事がまるで幻であったかのように男は目の前から消えていた。

 残されたのは出迎えに出してやった茶の器だけ。

 律儀に飲み干されたその器だけがあの男がここにいた事を示していた。

 

「馬鹿親がっ……!!」

 

 密偵である事、親である事。

 その二つを、どちらも手放してはいけない物であると言うのに天秤にかけた男に俺は精一杯毒づく。

 しかし卓を叩きながらの俺の声はただただ空しく部屋に響くだけ。

 

 ああ、まったく。

 今日は辛い出来事が多すぎる。

 

 何年も前から用意されていたという荀毘の『娘を頼む』という遺言。

 都にて今も孤軍奮闘している中で俺たちを慮り、『私の事は気にするな』というこちらを慮るばかりに自分をないがしろにした桂花の言葉。

 そして『我が子を頼む』という周洪の親としての願い。

 

「ああ、くそう。ああ、まったく……受け止めるしかないだろう、こんなにも大きな想い。頼まれたって捨ててなどやらない」

 

 託された想いを噛みしめながら、決して忘れぬよう心に刻む。

 

「だがすまない、桂花。お前の想いは確かに受け取ったが、その言葉通りにしてはやれない」

 

 必ずお前を自由にする。

 お前を束縛するすべてを噛み砕いてやる。

 その後、お前がどうするかはそれこそお前が決めればいい。

 その結果、巡り巡ってあの子が俺たちと敵対する事になる事も覚悟しよう。

 

「その為にも……さっさと黄巾党を片付けなければな」

 

 直近の目標を声に出して確認する事で、俺は情報量に茹っていた頭を冷やす事に成功した。

 

 そして冷静になって気づく。

 あいつが座っていた場所に置かれていた竹簡に。

 

「こんなものにも気づかないほどに頭に血が上っていたんだな、俺は……」

 

 苦笑いが浮かびそうになる顔を意識的に抑え込み、俺は一応何も細工されていない事を確認し、それを開いた。

 

 

 

 そして俺たちは錦帆賊討伐の時よりも大規模な部隊をもって、黄巾党討伐に繰り出す事になる。

 

 周洪からもたらされたのは奴らの本拠地の情報だった。

 それは期せずして帰還した麟たち偵察隊の報告と同じ内容。

 

「張角らは冀州にあり」

 

 しかし周洪のそれはさらに一歩踏み込み、張角らの正体にまで言及していた。

 

「頭が痛い話だ」

「まったくですね」

 

 口をついて出た俺の言葉に隣で馬に乗っている冥琳が心の底から同意する。

 

 まさか大陸を混乱に陥れた黄巾党の実態が、『旅芸人である張三姉妹の歌の熱烈極まるファンの集団』だなんて誰が予想できるか。

 あいつに限って誤情報という事はないだろう。

 もちろん確認する必要はあるが、わざわざ黄巾党の首魁の情報を偽る理由が周洪にあるとは思えなかった。

 

 とはいえこの情報を知る人間は限定している。

 情報の真偽がどうあれ、大陸を蹂躙せんと目論む敵という認識からあまりにもかけ離れた情報のため、これからの決戦に対する士気に関わると判断されたのだ。

 故に最低でも部隊長でなければ張三姉妹の正体については知らされていない。

 

 後ろに付き従う配下たちには聞こえないよう意識して声を潜め、俺は話を続けた。

 

「ふざけているとしか思えない。思えないが……」

「縋る物がない人間からすれば、たかが歌でも救いになる事もありましょう。それだけ今の世の中が民に厳しいという事の証明と言えるかもしれません」

「そうだな。俺たちとて黄巾党と同じ立場であれば果たしてどうなっていたか」

 

 冥琳の言葉に俺は頷きを返す。

 何かしらに縋らなければ生きていけない人とはいるものだ。

 

 この時代、迷信は力を持ち、宗教もまた一定の力がある。

 何かに縋らなければ生きていけない人間がいる限り。

 

 俺が知る知識にある黄巾党はまさにそういう宗教の力だった。

 寄りかかる物が宗教の教えから、歌に変わっただけと考えればありえない事でもない。

 

「だが今の状況はこれだ。ただ自分たちの歌を広めたいと行動した結果、彼女たちは不用意な言動で国そのものと敵対する立場に祀り上げられる羽目になった」

 

 地獄への道は善意で舗装されている、とはよく言ったものだ。

 しかし結果的に張三姉妹が大陸を脅かす存在となった事実に変わりはない。

 

 彼女らを処遇を決める権利は俺にはない。

 だが捕まえなければならないだろう。

 それが偶発的な結果であっても責任というものは発生するのだから。

 

 罪を裁く権利は俺にはない。

 だが罪を突き付ける事は出来る。

 

「隊長、あと数日で冀州に着きます」

「ああ。俺たち以外にも本隊の居所に気づいた者がいるかもしれん。黄巾党はもちろん、そいつらにも付け入る隙を見せるな。皆に厳命しておけ」

「はっ!」

 

 弁解も命乞いも交渉も、まずは捕まえてからだ。

 

 部隊を隊列を維持しながら俺たちは進む。

 雪蓮嬢に、冥琳嬢という今の孫呉を率いる者たち。

 部隊の主軸として俺と祭、慎。

 それに加えて曲阿から呼び寄せられた陸遜嬢。

 さらに後から都の偵察を行っていた思春と明命たちも合流する手筈になっている。

 

 曲阿は変わらず蓮華嬢主導の元で運営され、建業は蘭雪様、美命に任せている。

 建業太守の座、孫家当主を譲り渡したとはいえあの方ならば何も問題はないだろう。

 お目付け役もいる事だしな。

 

 俺たちは黄巾党本隊の撃滅だけを考えればいい。

 

「数ある乱世の波、その一つを無事に乗り越えられるか」

「乗り越えて見せましょう。必ず」

「そうだな」

 

 力強い冥琳嬢の言葉に、俺は頷いて返す。

 

 乱世はまだ始まったばかり。

 大陸の平和への道は未だに終着点など遠すぎて見えない。

 


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