乱世を駆ける男   作:黄粋

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第八十四話

 俺は隊の精鋭五十人と祭、思春を引き連れて『曹』の旗の軍勢の元へ馬を走らせる。

 

 俺たちが華琳の元に向かうのは交渉を行う為だ。

 今この場にいる諸公は自ら出向いた以上、黄巾党討伐において一定の成果を求めているのは間違いない。

 

 しかし皇甫嵩将軍が現地にいるというのが厄介な問題となる。

 朝廷直属の正規軍最高責任者の強権によって手柄を取った所で横からかっ攫われる可能性がある為だ。

 朝廷から領土を賜っている立場の俺たちは、どうしたって彼よりも立場は下であり、これを拒否する権利は無いのだ。

 よって中途半端な介入では手柄どころか、黄巾党本隊と戦ったという事実すらも正式な記録に残らないかもしれない。

 この辺りは皇甫嵩将軍の性質にも寄るが、過度な期待はしない方が賢明だろう。

 

 となれば『誰が見てもわかる形』で手柄を上げなければならない。

 皇甫嵩将軍に対して従順に対応すれば、少なくともこの場にて参戦した事実だけは確実に残るだろうが。

 それで良しと出来るかどうかはまた別の話だ。

 

 うちは勿論、華琳もそうだろう。

 生半可な成果で終わらせるつもりはない。

 そしてその為に他勢力を利用する事に躊躇いはないだろう。

 

 錦帆賊討伐の際には朝廷から『朱儁将軍を頭領とした討伐軍を結成する事』を命じられていた為、一つの軍隊として足並みを揃えて行動する必要があったが今回、朝廷から出たのは『討伐せよ』という命令のみ。

 よって『討伐そのものが早い者勝ち』という構想が成り立つのだ。

 

 であるならば。

 黄巾党、より厳密に言えば張角らの首級を取る為にそうと悟られないように他勢力同士で足を引っ張り合い事も充分に考えられる事。

 

 俺たちが交渉によって取り付けたい約束は三つ。

 黄巾党本陣へ切り込むまでの協力体制の確約。

 張角らの首をどちらが取るかは早い者勝ちである事の確約。

 その結果について互いに物言いを付けない事の確約。

 

 華琳ならば自らの誇り高さ故に、例え口約束であっても取り付ける事が出来れば破る事は無いだろう。

 約束事の裏を掻く事は充分にあり得るが、それはお互い様だ。

 

 動いているのは別に俺だけでは無い。

 雪蓮嬢、冥琳嬢は皇甫嵩将軍への顔合わせに向かっている。

 ここが戦場とは言え上位者への挨拶を怠るわけには行かないのだ。

 戦場では何が起こるかわからない。

 敵対する意志がない事を示す意味でも顔合わせは必要だ。

 

 相手からすれば我々は十把一絡げの諸侯に過ぎない。

 名の一つも覚えてもらわうにはこういう営業活動のような事もしなければならない。

 そして彼女らが時間を稼いでくれている間に俺たちは華琳の元へ、慎は陸遜嬢を伴って公孫賛の元へ根回しに向かっているわけだ。

 公孫賛については顔見せと軍の分析も兼ねているため、直接顔を合わせる使者とは別に明命が隠密行動を取っている。

 残った部隊はいつでも出られるよう準備しており、合図一つで合流可能だ。

 

 

 

 そして今、俺たちは近付いてくる不審な部隊を前に迎撃体制を整えた『曹』の旗を持つ軍と相対している。

 

「何者かっ!」

 

 この場を取り仕切る隊長の言葉に馬を下り、その場に片膝をついて頭を垂れる。

 

「建業太守孫伯符の名代として参りました。凌刀厘と申します。黄巾党討伐の勅命を賜った同士と見込み、ご挨拶に伺いました。お目通り願えますでしょうか」

 

 俺に倣って祭、思春、部隊の皆もまた片膝をつき頭を垂れる。

 

「建業太守……それに凌刀厘!?!? 顔をお上げください! おい、将軍と太守にこの事を伝えろ! 急げ!!」

 

 名乗りに不備はなかったと思うのだが、あちらは何やら慌てて動き出した。

 とりあえず許可が下りたので立ち上がる。

 

 俺や隊員たちが立ち上がるのとほぼ同時におそらく報告に向かったのだろう兵士を引きずりながら、砂煙を上げて春蘭が現れた。

 

「お久しぶりでございます! 凌刀厘様っ!!!」

 

 俺の前に来るなり、引きずっていた兵士から手を離して九十度のお辞儀。

 お辞儀の勢いで砂埃が発った。

 この子は相変わらず何事にも全力だな。

 勢い余って手を離された兵士がごろごろ転がっていく姿が哀愁を誘っているが。

 

「お久しぶりにございます、夏侯元譲殿。しかしここは公の場であります故、対外的に示すべく態度という物を弁えるべきかと……」

 

 あえて謙りながら諫めると、春蘭はあからさまに「しまった」という顔をして周囲を見回す、いや睨み付ける。

 周りの兵士たちは上司の睨み付けを『今見た物は無かった事にするべきもの』と理解を示し、無言のまま素知らぬふりでそれぞれの職務に戻っていく。

 上司の理不尽極まりない要求に実に手慣れた対応である。

 うちの雪蓮嬢の扱いと被るものがあるな。

 

「ごほん、失礼した。用件をお聞きする故、名代とその護衛の者は私に続かれよ。我が主の元へご案内する」

「よろしくお願いいたします」

 

 やれば出来るんじゃないかという言葉を飲み込み、俺は返事を返す。

 目配せで祭、思春に同行するよう伝えてから彼女の後に続いた。

 

 

 彼女がいる場所は陣としては非常に簡易な天幕だった。

 外から見ても真ん中の柱と支柱を倒せば簡単に崩せる事がわかる。

 天幕としている布も雨風だけを凌げれば良いという考えが伝わるほどの布切れしか使われていない。

 彼女ほどの名家ならば布一つとっても相当の物が扱えるし、今の時代は見栄が張れるという事も一種の格となっているのだが。

 『それ』をこうも容易く省いたのは単に迅速な撤収作業のため。

 見栄よりも実益という辺りが実に『彼女』らしいと俺は心の中で笑う。

 

「曹操様! 建業太守孫伯符殿の名代とその護衛二名、お連れしました!!」

 

 天幕の入り口に立ち、軽く頭を下げて声をかける春蘭。

 無駄に力の入った声は天幕の中はおろか陣地一帯に響いているだろう大きさだ。

 どこかで聞いているだろう彼女の妹がまた額に手を当ててため息をついているのが目に浮かぶ。

 

「入りなさい……」

「はっ! どうぞ、中へ」

 

 天幕の入り口が中にいたのだろう兵士によって左右に開かれる。

 春蘭に促され、中に入った。

 おそらく事前に言い含められていたのだろう、中にいた兵士たちが俺たちと入れ替わるように外へと出て行った。

 

 天幕の中で最初に目に入るのは簡易的な木製机だ。

 その上には作戦に関連するんだろう資料が広げられている。

 

 そして机を挟んだ奥にあの時と変わらない彼女がいた。

 わざわざ座っていた椅子から立ち上がって俺たちを視線で迎え入れると、春蘭が自身の横に着くのを待ってから口を開く。

 

「やはり貴方方もこの場所に辿り着きましたか。お久しぶりですね、刀厘様」

 

 人払いは俺たちと気兼ねなく話をする為の物だったようだ。

 であるならばこちらもそれに倣うべきだろう。

 

「俺たちとお前たちだけという状況だ。あえて謙るのはやめてこう返させてもらおう。久し振りだな、孟徳」

 

 いや変わっていないというのは語弊がある。

 金色の髪をツインテールにした少女は、その愛らしい見目にそぐわない覇気をかつて陳留を訪れたあの時よりもさらに強くしていた。

 俺の気軽な挨拶に少女らしくくすぐったそうに華琳は笑い、次いで付き従う祭へと視線を向ける。

 

「そして初めまして、黄公覆様。陳留太守曹孟徳と申します」

「孫伯符が臣下、黄公覆と申します。かの曹家ご当主にそこまで畏まられるなど恐れ多いのですが……」

「私どもは建業と曲阿を支え発展させ続ける貴方方に敬意を持っております。戦で相対したとしてもこの敬服の念が曇る事はないでしょう。どうか未熟な若輩者の言として受け入れてはいただけませんか」

 

 頭を下げる華琳に対して祭は春蘭、俺、そしてまた華琳と視線を彷徨わせてからやがて一つ頷くとカラリと笑った。

 

「そこまで言われてしまえば、こちらが折れるべきでしょうな」

 

 その表情はすぐに引き締められる。

 

「とはいえただ向けられる物を受け取るだけでは儂の気が済みませぬ。故にその敬意を受ける返礼として曹太守らの尊敬の念を受けるに値する者で居続ける為にも、高みを目指し精進していく事を誓いましょうぞ」

 

 その言葉に華琳は面食らったように目を瞬かせると、すぐさま上に立つ者に相応しい凄みのある笑みを浮かべた。

 

「私の言葉にそれほどの覚悟を持って応えていただけた事、望外の喜びです」

 

 言葉の意味そのまま喜んでいるのは間違いない。

 しかしそれ以上に『そうでなくては』という感情がこの子の笑みには宿っていた。

 この子はやはり己を頂点とした覇道を行く者であり、それを遮る者は須く叩き潰すつもりであり、そして立ち塞がる者には強くあって欲しいと願っているのだと理解できた。

 であるならば俺も追随するべきだろう。

 

「公覆の言葉はここにいる俺たちの総意と受け取ってくれて良い。甘卓もそのつもりだろう?」

 

 黙り込み、護衛としての任に集中していた思春。

 華琳と春蘭から視線を向けられた彼女は軽く頭を下げて黙礼すると、俺の言葉に一点の揺らぎもなく応えてくれた。

 

「無論です。むしろ誰かの敬意など無くとも私は生涯、『昨日の己に克つ』を心に精進してゆく所存」

 

 三者三様の言葉をどう受け取ったのか、華琳は実に楽しげな顔をしていた。

 それに釣られてか春蘭もまた楽しそうに笑っている。

 雰囲気が軽くなったのは良いことなのだが、とはいえ雑談ばかりしている訳にもいかない。

 

「さて再会と初対面の挨拶はこれくらいにして……用件に入ろう」

 

 俺の言葉に場の雰囲気が引き締まる。

 

「はい」

 

 この後の話し合いには偵察に出ていたらしい秋蘭も合流した。

 相変わらず涼やかな雰囲気を纏った彼女は俺たちの存在に驚いた素振りもなく挨拶を交わし、華琳の傍に付いて話し合いに参加していた。

 気のせいでなければ俺と話す時には僅かに気が揺れていたように見えたが、あれは何だっただろう。

 

 それはともかく予定していた三点の約束については滞りなくあっさりと取り付ける事が出来た。

 

 どうやら皇甫嵩陣営に呂布がいる事が分かっていたため張角らの身柄を押さえるにはどこかの勢力との協調が必要だというのは最初から考えていたらしい。

 最終的に早い者勝ちになるのは彼女たちも理解しているが、それでも協力出来る勢力が我々であるのは心強いと全幅の信頼を寄せられている。

 

 最後まで共に、とはいかない。

 いずれ敵対する事もほぼ確定してしまった。

 しかしそんな殺伐とした間柄ではあるが、今この時向けられる信頼には応えたいと俺は思った。

 

 


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