乱世を駆ける男   作:黄粋

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第八十五話

 華琳と約束を取り付けたすぐ後。

 公孫賛の元へ向かっていた慎たちからの伝令として明命がやってきた。

 先に雪蓮嬢、冥琳嬢の元へ行っていたらしく、あの子たちからも言付けを預かっていたようだ。

 

 最初から華琳たちにも聞かせる腹積もりだったようで、曹操軍の本陣までやってきたあの子は華琳たちに頭を下げると誰に憚れる事なく言付けの内容を口にした。

 

「凌隊長及びその部隊は『合図』と共に黄巾を遊撃せよとの事です。祖隊長、伯言殿及びその部隊は公孫太守の陣を既に立ち、森に待機させた部隊と合流。隊を二つに分け、それぞれ本隊及び凌隊長との合流を目的に移動中です」

「主と軍師は如何様に?」

「部隊共々このまま将軍の元に残り、黄巾党の根城に正面から攻め入るとの事です。将軍直々に直掩に命じられたと……」

 

 雪蓮嬢たちの状況に俺と華琳の眉が上がる。

 

「将軍直々に直掩? 孟徳、目をかけられた事を素直に喜ぶべきだと思うか?」

 

 俺の懸念を理解してくれた彼女は、肩を竦めながら即応する。

 

「他の太守ならば自前の勢力を傷つけない為の体の良い壁扱いでしょう」

 

 そうだろうな、と俺は同意する意味で頷く。

 

「都の正規軍からすれば、うちは格下の領主でしかない。少しでも消耗を少なくするために利用しようとするのが妥当というか順当な扱いだろうな」

 

 納得は出来ずとも理解できる話だ。

 俺の言葉に天幕にいる面々が真面目な顔で頷き返すと華琳は話を続けた。

 

「あるいは私のように家柄の権力を持っていれば上手く言って単独行動する事も可能でしょう。しかし直接命じられた事、孫伯符殿の立場を考えれば、その行動は相当に制限されるものと推察出来ます」

 

 華琳は自分たちが既に皇甫嵩将軍とお目通りをしており、曹家としての力を使って官軍の指揮下に入る事態を逃れている事を告げる。

 その手が俺たちに使えない事など知った上での発言には、力の差を知らしめて心理的に優位に立とうという思惑の軽い牽制が込められていた。

 その上で彼女は自らの発言を翻す。

 

「しかし皇甫嵩将軍は麾下の精鋭と呂奉先を連れている状況。足並みの揃わない外来部隊を壁扱いであっても直前に引き込む意味はありません」

 

 華琳の推察に今度は祭が口を挟んだ。

 

「そうじゃな。普通ならわざわざ息の合う自前の部隊があるところに異物を混ぜる意味はない。漢王朝が誇る将軍ともあろう人物がそれをわからない訳がないだろうしの」

 

 現在の漢王朝における最高戦力と言っても過言ではない軍勢。

 そんな中に生半可な戦力、あるいは息の合わない戦力を新たに加えた所で足手纏いでしかない。

 俺が劉備たちの協力を蹴ったのと同じ理由だ。

 

 精強だという自負はあれど、皇甫嵩将軍側にそれがどこまで伝わっているかは未知数。

 だというのにあえて雪蓮嬢たちを同道させる理由とは何か?

 

「他の思惑があると考えます。それが何かまでは私にはわかりませんが……」

「おそらくそうなんだろうな。とはいえこちらも別の意図があったとしてもそれを読むには情報が足りないのが正直な所だ」

 

 華琳の意見は大筋で俺と一致していた。

 

 ただ彼女が知っているかどうか定かではないが、あるいは朱儁将軍から何か聞いている可能性があると俺は考えている。

 錦帆賊討伐の折に多少なりと縁を結んだ女傑は、皇甫嵩将軍と轡を並べる存在だ。

 蘭雪様が率いる俺たちに何かしら思うところがあった彼女が、彼に何か口添えしている可能性はあるだろう。

 だがこれについてはあえて口に出す必要はない。

 何から何まで情報共有するつもりはないのだ。

 それは華琳とて同じ事。

 まぁ朱儁将軍と孫文台との繋がりは割と有名だから知っている可能性は高いし、そこから口添えられたかもしれないという事にも華琳たちなら容易く辿り着くだろうが、それは置いておこう。

 

「必要とあればどういう意図かしっかり調べる必要があるが……今は心の片隅に置いておくくらいでいいだろう。調べるだけの時間もない」

「人の壁としてだとしても、他に意図があるのだとしても、先陣を切らされるというのであれば伯符様からすれば望みの展開じゃろうしの。あちらに合わせてこちらも動くわけじゃし」

 

 雪蓮嬢はあの病気こそ見なくなったものの根本的に戦を好む性質なのは変わらない。

 戦いになる事に内心浮き足立っているだろう事は想像に難くなかった。

 

「俺たちは命令通りに遊撃として動く。俺と思春で近接戦闘の隊を指揮、祭には弓主体の遠距離部隊を任せる」

「御意に」

「応さ」

 

 命令通りと言っても言われている事は遊撃しろの一言だけ。

 ならばどう行動するかはこちらに一任されているという事なので、今回の場合は隊が最高の状態で行動できるよう分けるくらいな物だ。

 

「そちらはどうするつもりだ?」

 

 水を向けると華琳は気品があり、しかし猛々しいという矛盾した笑みで応じた。

 

「せっかく共同戦線を確約したのです。こちらからも遊撃に部隊を出させていただきますとも。元譲! 妙才!」

「「はっ!!」」

 

 控えていた二人の声が唱和する。

 

「二人と麾下の部隊を同行させます。刀厘様の部隊に元譲、公覆様の部隊に妙才がよろしいかと」

「承知した。ではこちらも準備に入るのでお暇させてもらおう」

 

 一度深く礼をし、天幕を後にするべく背を向ける。

 俺の後に続く祭、思春。

 天幕を出る瞬間、華琳から激励の言葉が届いた。

 

「ご武運を」

「お互いにな」

 

 簡素に、しかし意図は伝わるだろう返答をして俺は改めて気を引き締めた。

 

 俺たちが遊撃に出ている間に華琳たちも独自に張角らの確保に動くのだろう。

 そちらへの警戒を目配せで明命に任せる事を忘れずに。

 

 

 それぞれ出撃の準備を行い、別行動の隊が合流して一刻ほどの時間が経過した頃。

 大銅鑼の音が戦場になる空間に響き渡った。

 いよいよ皇甫嵩将軍の本隊が動くようだ。

 

 次いでそれに合わせて甲高い音を立てて空を飛ぶ矢が一本。

 煙を放ちながら天に昇るそれはやがて大きな音を立てて爆ぜた。

 

 あらかじめこちらが用意していた『合図』の一つだ。

 本数によって伝える意図が異なり、一つだった場合は単純なものだ。

 意味は『攻めろ』。

 

「凌操隊、出撃ぃいいいいいいいっ!!!!!!!」

 

 大銅鑼に負けぬ俺の叫びに、隊の皆が鬨の声が応える。

 三国志という歴史において始まりであり、漢王朝の終わりの切っ掛けと言えるだろう乱を終わらせる為に。

 

 

 大銅鑼は黄巾党討伐混成軍への合図である。

 しかし今回は味方だけではなく、敵にも影響を及ぼしていた。

 具体的には銅鑼の音に黄巾党の軍勢までも釣られて砦から飛び出してきたのだ。

 

 無論、こちらがやる事は変わらないのでそのままぶつかり合う正規軍と黄巾党を横合いから殴りつけにかかったわけだが。

 

「うお、なんだてめぇらっ!?」

「敵以外の何に見えるっ!!」

 

 一対多の戦いは素手よりもこの変節棍が有効だ。

 両手に一本ずつ持って殴りつけ、二本繋いで胴を突き、三本繋いで振り下ろし、四本繋いで薙ぎ払う。

 武の心得を持たない者がほとんどを占める黄巾党の者たちはこの変幻自在の間合いに対応する事が出来ず、ただただ倒れ伏していくのみだ。

 勿論、俺だけが戦っているわけではない。

 

 

「以前は腕を競い合うような状況ではなかったな。此度はどちらが敵を倒すか競うというのはどうだ、甘卓」

「くだらん。そのような遊びに付き合う義理はない。貴様も武官ならば口を開くよりも得物を振るって武を示してみろ。夏侯元譲」

 

 視線で火花をばちばちと散らしながらも、本気で毛嫌いしている様子はなく。

 二人は目前の敵を前に正に競うように飛び出していった。

 

 二人の通り過ぎた後には草のように命を刈り取られた黄巾党の亡骸しか残っていない。

 先が楽しみというか末恐ろしいというか。

 とはいえこの二人に触発されて精を出す辺り、俺もまだ若いという事のようだ。

 

 

 

「改めましてお初にお目にかかります、黄公覆殿。音に聞こえし貴殿の弓術に我が弓がどこまで届くか、不躾とは思いますが試させていただきましょう」

「はっはっは! 実に良い気迫じゃ。その隙あらば食らおうとする目、そしてその不遜な物言いも実に良い。かかってくるがよいわ、夏侯妙才。容易く届かせるほど、我が腕は安くはないぞ」

 

 出撃前にこんな挨拶を交わしていた祭と秋蘭。

 己の弓術に絶対の自信がある二人は静かに闘志を燃やして矢を番えていたが、実に的確な射撃だ。

 二人の放つ矢は真っ直ぐに仲間たちの間をすり抜けて正確に敵のみを貫く。

 

 味方として援護を受けるとこの上なく心強い。

 逆に黄巾党側からすればどこからともなく飛んできた矢にいつ射貫かれるのかと戦々恐々だろう。

 黄巾党を慰めてやるつもりはない。

 しかし相手が悪すぎた事には欠片ほどの哀れみを抱いていた。

 

 

 

 俺たち遊撃隊がその役目を全うしている間にも戦況は動く。

 皇甫嵩将軍率いる討伐隊は遠目からでも分かるほどに圧倒的な力でもって黄巾党を蹂躙した。

 正面突撃を敢行した自信は伊達ではなかったという事の証明だった。

 

 そしてその中に文字通りの意味で黄巾党を吹き飛ばす者がいた。

 誰に言われなくともわかる。

 遠目でありながらその闘気は凄まじく、武器を振るう際の風切り音はこちらにも届くほど。

 

 ただなまじ力を付けていた俺にはわかった。

 あれが『本気で武器を振るっていない』という事が。

 むしろ周りの味方を巻き込まない為か、『かなり力を抜いている』のだと言う事が。

 

「『呂布』……」

 

 呂布について俺は以前、その力を大袈裟に脚色して雪蓮嬢たちに話した事があった。

 しかし実際の強さを見て思う。

 脚色などとんでもない。

 むしろまったくもって話の内容が不足だった事を痛感していた。

 三国志最強と謳われた武将は、俺の想定を遙かに超える桁外れの実力を持っている。

 

 呂布の強さを目の当たりにした黄巾党は戦意喪失して逃げだそうとするも、皇甫嵩将軍の部隊に追撃されあえなく命を落とす。

 戦意を失い、脇目も振らず逃げ出そうとする様を無様と見下す事は出来ない。

 それほどの闘気はお味方にすらも恐れられており、一部が呂布から距離を置いている様子も見て取れた。

 いつかの調査情報で連携が取れず、一人で部隊として扱われているという話があったが、それも理解できる人間台風ぶりだ。

 

 我ら孫伯符率いる軍勢でも直接対峙すれば気圧されないとは言い切れない。

 

 ただ俺は彼女の力を凄まじいものだと感じる反面。

 『それでも負けるつもりはない』と何の根拠もなく胸を張って言い切れるだろう自分がいる事にも気付いていた。

 

 呂布の見た目が義娘である福煌に似ていたからかもしれないし、子供を無条件で恐れる事を父親としての俺が忌避したからかもしれない。

 誰もついて行けない武を振るう彼女の姿に、寂しさを感じたからかもしれない。

 

 自分でも言葉にまとめられない不可思議な気持ちではあるが、俺はそれを否定しなかった。

 むしろこの気持ちを抱き続ける事が出来るよう、より一層の精進を心に決めていた。

 

 あの力に追いつくことは難しいかもしれない。

 だが勝つことは不可能では無い。

 ならば畏怖や敬意を持っても恐怖する必要は無い。

 

 

 まぁ個人的な感想は置いておこう。

 現状はあの人間台風とも言える武力は味方なのだから。

 巻き込まれないように注意しつつ、遊撃の任をこなすのみ。

 可能ならばあちらの動きを読み、誰よりも早く張角たちに肉薄、捕えられれば言う事はない。

 

 俺は自身の役割を再確認し、部隊の皆に声をかけて戦場を駆け回る。

 

 途中、公孫賛軍の中に武官になっていたらしい劉備たちを見かけた。

 とはいえこの場で関わるのは面倒この上ないので、気付かなかった事にして役割に徹し速やかに離れている。

 悪い意味で顔を覚えられている可能性が高い上に、絡まれると張角たちの身柄確保に影響するかもしれないが故の対応だ。

 

 趙雲や郭嘉、程立は見かけていない。

 武官志望の趙雲はどこかにいるかもしれないが、郭嘉と程立は内政向けだから領地に残っている可能性が高いだろう。

 

 そうして戦を続けることしばらく。

 皇甫嵩将軍、公孫賛軍が砦を制圧するべく閉ざされた正門をぶち破る事に成功する。

 

 ほぼ同時に砦から逃げ出す集団ありという報告が届き、本命である張角たちの身柄を巡っての早い者勝ち争いの火蓋が切って落とされる事になる。

 

 


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