ずいぶんと冷たい場所だった。
吐く息が白く染まる様を見ながらイタチは「寒いな」とつぶやいた。
そんな事を口にしたのはどれくらいぶりだろうか。
いや、言葉にしたことはあったのかもしれない、だがこんな風に心底そう思ったのはいつぶりか、わからなかった。
冬になれば気温は下がり、確かに寒いと感じてはいたがそれでも体を縮めるような感覚はなかった。
それは体調が大きく弱り始めた最近でも変わらない。
そう訓練されてきたからでもあり、自分は何かを感じる感覚を失ってしまったのだとそう受け止めていた。
だがいま、この場所の寒さは体の芯を突き、肩が知らぬうちに少し上がっていた。
「ここは…」
あたりを見回す動きに、足元でパシャリと音が鳴り視線を落とす。
浅く水が張り巡らされている。
その水の冷たさを足の裏に感じ、自分が裸足であることに気付いた。
周りは暗いが闇というほどではなく視界は保たれている。
「何もないな」
ただ広い空間が広がっているだけのその場所は、知らぬようで見覚えがあり、今ここに立つ自分はいるようでいないような不思議な感覚だった。
静かに目を閉じてしばしたたずみ、ゆっくりと目を開く。
その視線の先には、懐かしい場面が広がっていた。
それは思いもしなかった光景で、イタチは驚きに目を見開いた。
「水無月先生…」
記憶を必死に手繰り寄せずともその名がすんなりと出たことにまた少し驚いた。
下忍になった時の担当上忍。その人物がそこにいたのだ。
流麗な名前とは反対に、どこか暑苦しい風貌を持っていた。
黒い短髪。ぼさぼさの眉。丸い目。
特にこれと言って特徴のある人物ではなかったが、やはり自身にとっての初めての担当上忍。
無意識にしっかりと覚えていた。
確か温和でのんびりとした空気の人だったな…
その性格までもがよみがえり、少し笑みが浮かぶ。
が、その表情が少し陰った。
水無月の左には幼き頃の自分。そして右隣りには、その時のスリーマンセルの班員であった【シンコ】と【テンマ】の姿があった。
シンコはどこの言葉なのかひどくきつい方言を使うくのいちであった。
後に自分に忍びは向かないと、別の道を選んだ。
そして、テンマは…
イタチはそちらに視線を向けかけてパッと目をそらした。
テンマはアカデミー時代イタチに絡んできたことのある人物であった。
だが、共に任務をこなす中で次第に打ちとけることができ、シンコと共に、イタチに【仲間】という言葉を感じさせる場面もあった。
彼は、後に死んだ。
自分の目の前で殺されたのだ。
うちはマダラに。
そしてその出来事はイタチに写輪眼を開眼させるきっかけとなった。
仲間を守れなかったという自責の念と、仲間を失った悲しみによってイタチは写輪眼を手に入れたのだ。
その事について父が『同志が増えたことは喜ばしいことだ』と言った事に、何とも言い難い感情を渦任せた事を思い出す。
写輪眼を使える同志。うちはの戦力。一族の未来を担う一人。
父がそう言う意味で、うちはを想い言った事は分かる。
だがあの時、イタチは心の中で叫んでいた。
仲間が死んだんだ…と。
写輪眼の開眼条件はもちろん父も知っている。
任務での事も、聞き及んでいるはずだった。
違う言葉がほしかった…。
その時の感情がよみがえり、グッと手を握りしめてイタチは顔を見ぬようにして再びあの頃の自分たちへと目を向けた。
だがそこにはもうその姿はなかった。
次にそこにいたのは
「シスイ…」
まだ幼いころのシスイと、そして自分。
目の前に広がった場面は、シスイの演習に同行したときの物だった。
この時の演習は逃亡者の追跡。
シスイはそれに必要な知識を時に教え、時には何も言わずにうまく導き、自分に様々な知識を残してくれた。
夜には思いがけず暗部の戦闘に巻き込まれ、彼らの担う…里の闇を垣間見た。
そういえば…
その戦闘で足をくじいた自分をシスイが背におぶって連れ帰ってくれたんだったな…
イタチの記憶に合わせたように場面がその光景に変わる。
シスイの背にいる【イタチ】は驚くほどに安心した表情で、それをどこかで見たことがあるとイタチは感じた。
そして思い当たる。
自分といるときのサスケの表情と同じだと。
シスイが言った。
『オレはお前を本当の弟のように思ってるんだ。お前も、オレを兄だと思って何でも頼ってほしい』
【イタチ】はすぐに『うん』と答えた。
またシスイが言う。
『忍の世界に正義と呼べるものがあるのかどうか分からない。
オレ達は自分を正義と信じて戦う。が、敵も同じだとしたら、どちらに真の正義がある?』
あの時自分が答えられなかった事を思い出す。
『物事の捉え方は一様じゃない。様々な視点から考えてみることだ』
『様々な視点』
どれが確かなのか…
どれを確かとして選ぶのか…
その目を養わねばならないと思った。
もっと強くならねば、今の自分では何が確かなのかは分からないのだと、未熟さが悔しかった。
そんな【イタチ】にシスイは『だが一つだけ確かな事もある』と、言った。
『オレはお前を絶対に裏切らない。それだけは確かだ』
優しく胸にしみこんだその言葉は、本当にその通りだった。
シスイは決して自分を裏切らなかった。
いつでも、親友として、兄として自分を守り、信じ、家族のごとく愛してくれた。
イタチも同じ気持ちだった。
そんなシスイを…
「オレは…」
シスイの命の灯を吹き消したあの瞬間が脳裏に浮かぶ。
そしてそれもまたイタチの記憶に沿って再現され、消えた。
次に見えたのは、暗部服に身を包む自分の姿であった。
暗部での任務は、そのほとんどが暗殺であった。
今思えば、任務を命じていたダンゾウは、自分が躊躇なく人を殺せるかどうかを試していたのかもしれない。
そして、その事に慣れさせるための物でもあったのかもしれない。
目の前で暗部の面を身に着けた自分が人の命を奪う光景に、そんなことを思う。
暗部のイタチはうちはの内情を隠さず里へと報告してゆく。
だがうちはには、里の情報は流さない。
流したとしても、さして意味を持たぬことばかり。
そして事は進み、ダンゾウがうちはの全滅を言い渡した。
…この時オレは…
自分がそれを受け入れる光景を目の当たりにし、イタチはグッと唇を噛んだ。
こんなことは初めてだった。
これは夢なのだと、それは分かる。
だが、こんな風に今までの事を追って見ることはなかった。
しかも、客観的に自分を見るという夢は初めてであった。
一体これは何なのか…。
唯一当てはまる言葉と言えば「走馬灯のように」というものか。
「オレは死ぬのか…」
ここへきてようやく自分が暁の任務で力を酷使して倒れた事を思い出した。
そして、胸中でもう一度『オレは死ぬのか』と繰り返した。
だがすぐにそれを否定する。
「いや、オレは死なない」
それは目的があるからという意味ではなかった。
今のこの状況は、おそらく自分が死に直面している事には違いないのだろう…。
それでもイタチは自分は死なないと確信していた。
「なぜなら、オレにはあいつが」
その言葉の先を口にする前に、場面が切り替わった。
それから目をそむけそうになって、イタチは踏みとどまった。
じっと見つめるその先には、静かに座りたたずむ父と母の姿があった。
ここから先は見なくとも分かった。
それでも、決して目をそらしてはならないのだ…
この時奪った両親の命。そして一族の命から、決して目を反らしてはならない。
イタチの目の前で、今よりずいぶん幼い自分が両親の死を前に震えていた。
その背中は自分が思っていたよりも小さく、こうして客観的に見て初めて、この時の自分はまだ子供だったのだと、初めて気づいた。
そうだ。まだオレは子供だったんだ…
小さな手に握られた刀が怪しく光り、母の背に突きつけられる。
目をそらさぬようにするのが必死だった。
耐えろ…
母の体が静かに崩れ落ち、次に血の付いた切っ先が父を貫く。
耐えろ。耐えるんだ。
それは、子供の自分に向けての言葉だった。
もうすぐこの夢は覚める…
あと少しだ。
もう少ししたら、夢の中に花が咲く。
その花が咲いたら目が覚める。
あと少しだ…
夢の中に咲くスイレンの花。
それが目覚めの合図となっていた。
泣き崩れる自分を見ながらイタチは自身もその花の現れを痛みに耐えながら待つ。
ほどなくして、美しい光が灯った。
ほっと息をつくイタチの目の前でその光が静かに消え、そこからイタチの待ち望むものが現れた。
しかしそれを目に留め、イタチの安堵が驚きに変わった。
光が消えたあとに現れたのはスイレンの花ではなく、水蓮だったのだ。
「水蓮」
自分と闇しかないはずのこの場所に、水蓮が現れた事に目を見開く。
こんなことも初めてであった。
この夢の中に、当事者以外何者も現れたことはなかった。
驚き声の出ないイタチの視線の先で、水蓮が声を上げた。
「イタチ!」
両親の屍に縋り付く幼い自分に向けられた声。
それに気づいて震えながら振り向く小さな【イタチ】を水蓮が抱きしめた。
強く、強く抱きしめた。
その腕の中、【イタチ】はギュッとしがみつき大きな声で泣き、光を放ちながら消えて行った。
その光景を見ながらイタチは胸元をグッと握った。
心の奥深くから何かがこみ上げてくる。
ずっと感じぬように、気づかぬようにしてきたなにかが…
イタチはそれを抑え込もうとさらに力を入れる。
「だめだ…」
小さくこぼれたその言葉に水蓮の声が重なった。
「イタチ」
ハッとして顔を上げると、すぐ目の前に水蓮がいた。
「水蓮、なぜ」
水蓮はギュッと胸元を握ったままのイタチの手を取り包み込んだ。
「やっと届いた」
優しく笑んだ水蓮の瞳から涙がこぼれた。
「やっとあなたに届いた」
水蓮が夢に入り込む能力を持っていることを知らないイタチには、それがどういう意味なのかわからなかった。
だが、ひどくイタチの心を深くついた。
「イタチ。遅くなってごめんね。待たせてごめん」
「何を…」
謝ることがあるのか…
その問いかけは水蓮の言葉に遮られた。
「一人で辛い思いさせてごめん」
「………っ」
水蓮の両手の中で包み込まれたイタチの手がピクリと揺れた。
「オレは別に」
何も辛くなどない。
最期の言葉が出なかった。
水蓮はイタチの手を引き寄せて抱きしめた。
「イタチ。私もそうだった。ずっとそれに気付かないふりをしてきた。でも、それじゃぁダメなのよ。その気持ちも自分の一部だから。だからそれでいいのよ」
「だめだ。オレにはそんな資格はない」
それを感じることは許されない。
「資格なんていらない。許しなんていらない」
じっとイタチを見つめて水蓮は言葉を続ける。
「辛いことを辛いって思うことに、資格も許しもいらない。あなたはずっと一人で辛い思いをしてきた。恐ろしい思いをしてきた。それをそう思うことにどうしても許しがいるというのなら、私が許すから」
「水蓮…」
「だからお願い。私が許してあげるから…」
水蓮は強くイタチを抱きしめた。
自分を包み込むぬくもりにイタチはゆっくりと目を閉じる。
静かに呼吸をするたびに、いつの間にか力の入っていた体がほぐれてゆく。
空間を支配していた寒さも、知らぬ間に消え去っていた。
「私たちはもうそれでも大丈夫でしょ?」
たとえそれを認めたとしても、もう壊れてしまうことはない。
孤独ではないのだから…
水蓮はイタチの背をぎゅっと握りしめた。
少しの間をおいて、イタチもゆっくりと水蓮を抱きしめ返した。
「そうだな」
つぶやきのような言葉に、この場で見た光景が、そして今までの様々な事がイタチの脳裏を駆け廻った。
あの時も…
あの時も…
あの時も…
「オレはそうだったんだな…」
自分はいつも辛く恐ろしかったのだと、イタチは体の奥深くから息を吐き出した。
何かを解放するように。
それでもそこに涙はなかった。
あったのは、心の底から安堵した笑みだった。
それを目に留め、水蓮もまた笑顔を返す。
「戻ろう」
イタチを抱きしめる水蓮の体から暖かい光があふれ広がる。
それは今までに感じてきた水蓮の温かさとはまた違う…さらに大きく強く、優しいぬくもりだった。
その光があたり一面を白く染め、まぶしさにイタチは目を閉じた。
夢の中でゆっくりと閉じた瞳を、少しずつ開くと見覚えのない天井がそこにあった。
そして、体が…
「重い…」
ずっしりとした重みを体に感じ、イタチが視線を動かすと、自分の上に覆いかぶさっている水蓮が目に留まった。
その力の抜け具合にドキリとし、慌てて水蓮のほほに手を当てる。
暖かい…
「生きている」
水蓮も、自分も…
大きく息を吐き出しゆっくりと体を起こす。
自分はいったいどれほど眠っていたのか…。
任務での自分の行いを思い返せば、それが一日二日ではないであろうと考える。
その間ずっとチャクラを注ぎ込んでいたのだろう…
疲労の深まった水蓮の顔に目を細め、次に自分のてのひらを見つめて確かめるようにぎゅっと握りしめる。
「やはり死ななかったな」
小さく笑みを浮かべながら夢の最後に感じたぬくもりを思い出す。
今までの水蓮の力とは違うその光。
「九尾か…」
とうとうその力にさえも目覚めたかと、イタチは「恐ろしいやつだな」と、やはり笑みを浮かべながら水蓮の髪を撫でた。
その髪を一すくいしてぎゅっと握りしめる。
先ほどの夢の内容を思い出し、胸の奥が少ししまった。
自分の都合の良い夢だ…
許される事を望むなど…
「ただの夢だ…」
許されたわけではない…
しかし、イタチの心は今までとは違う何かを感じていた。
それは、夢の中で与えられた安堵感。
目覚めた今も消えぬままのそれに驚きながらも、その心地よさを身にしみこませてゆく。
「それにしても…」
つぶやき、水蓮を見つめる。
今まで一人で耐えてきたあの夢。
「お前が現れるとはな」
すくい上げた水蓮の髪をそっと口元に引き寄せる。
そこには夢の中と同じ、安心しきった穏やかな笑みがあった。
いつもありがとうございます。
久しぶりのイタチの章ですね…。
今回深く思いを込めたところは、イタチが【あの時】まだ自分は子供だったんだ…と気づくカ所でしょうか…。
イタチはいつも自分の事より、家族や里の事を優先に考えてきたから、客観的に自分を見るようなことはなかったんじゃないかな…と思ったりします。
状況を冷静に判断することはあっても、自分の事を自分中心に考えない。
だから、あんな辛い状況に置かれている自分がまだ子供で、それは普通ではありえない苦しく辛い状況なんだと考えもしなかった。
だけど、それっておかしいんだよ!
子供のやることじゃないんだよ!
そんな当たり前のことを訴えたっかった感じです…。
そして、そこからの解放と、やっと水蓮の手が届いたということで、今回はイタチと水蓮二人ともにひと段落というか、一つ乗り越えたという感じでしょうか…。
年内の投稿はこの話が最後です(*^_^*)
次は年明けに、なるべく早めに更新させていただきたいと思います☆
今年一年、皆様に支えられて頑張れた日々でした。
本当にありがとうございました!
来年も、何卒よろしくお願いいたします(^◇^)
良いお年を…(^○^)