ページをめくった先につづられていた文字にグランは顔をしかめたが、横目で見ていたアルタイルにとっては慣れたものだった。
「この文字ならば私が解読しましょう。お任せください」
馬車に揺られながら精神統一しているシルヴァの横で、アルタイルが本を膝で固定して自前の手帳にペンを走らせていく。
「どんな本なんだい?」
グランの問いかけにアルタイルはペンを止め、眼鏡の縁に手をかけた。
「この地方の歴史を記しているようですね。口語的でなまりが濃いですが、コツをつかめばそう難しいものではありません」
グランは肩にもたれかかって寝息を立てるルリアとビィをあやしながら、純粋な興味を示したように息を漏らした。新しい武器や仲間を得た時と相違なく、好奇心と知識欲に満ちたまま、グランはアルタイルの読み上げを待っていた。
「――鉱山の開拓は成功した。人夫が空を越えてくるほどに集まり、かつてない発展と物々の流通に皆狂喜していた。付近の森は当然のごとく切り開かれ、木はそのまま家となった。魔物の被害も増えたが、騎空士たちがいる。俺が今書きながら抱いている喜びと興奮は、とても文字にできそうにない」
「懐かしいもんだ」と護衛対象である馬車の御者は呟き、グランもどことなくその感情を理解していた。既に訪れていたいくつもの村は牧歌的で、旅人を迎えるための中心地を離れれば畑と朽ちた空き家が軒を連ねている。
「栄枯盛衰……既にこの地方の炭鉱は閉鎖されているようですね」
薬屋を営んでいる御者の男はため息を隠さなかった。
「閉山したのはつい10年前の事さ。10年あれば地方に愛着がある人だけが残り、稼ぎに来ただけの人は別の稼ぎ口へ渡る。この島に来るのはあんた達みたいな道すがらの旅人くらいのものさ」
「なるほど……。聞けば当然の事ですが、物寂しいことでもありますね。物の流通がなくなれば人も」
「それでも残る人間はいるし、生きていくには薬も必要だ。あんた達がいて助かったよ」
広く青々とした草原がシルヴァの瞳に写る。ぽつぽつと点在する家屋に人の気配はなく、家の扉の空いた穴から小動物が顔を覗かせている。
「こちらに敵意を持っている魔物は見当らないな」
「昔肉食獣はあらかた駆除されたからな。雇っといてなんだが、大型の草食獣にでも出くわさなきゃそれほど難しい依頼でもないだろう」
「駆除、か」
シルヴァが目を細める。誰にぶつける訳でもない感情を、シルヴァはのどかな光景を眺めながらため込み、やがてどうとできることでもないと自己完結して霧散させた。
本の著者は地元愛にあふれて感傷的だったが、それでも読者に向けた文章として体裁は保たれていた。
炭鉱の開業から次の事象へ移る出来事の要点がまとめられ、節々に付随する街人の生活風景から、彼らが抱いていた未来への希望と現状の幸福感がひしひしと伝わってくる。
だが長くは続かなかった。炭鉱が終結に向かったのは珍しい理由でもなく、作業中の事故が起こるたびに人件費が高騰し、別経路の輸出入が安定化して採算が取れなくなり、鉱脈が尽きる前にゆるやかに役目を終えた。
「別経路ってバルツ?」
「ええ、そう書いてありますね。航空路は数多の先人たちによって開拓されてきましたが、中にはその煽りを受ける人たちもいる。因果はめぐる糸車、皮肉なものです」
「この島の身の丈にあった生活に、戻るべくして戻ったともいえるさ。もうすぐ休息地だぜ騎空士さん」
目的地半ばの町に着いて休息を終えようとすると、依頼主は苦々しい顔でグランに告げた。
「……すまない。事情が変わった。依頼はここまでだ。料金は満額払うよ」
「なにかあったのですか?」
「目的の町への道が閉鎖された。道脇の炭鉱が崩れて、ガスが噴出している。今町が緊急で騎空艇を手配してるらしいが、いつになるやら……」
「船まで戻ってグランサイファーを出してもらいましょうか?」
「うーん、ラカムがしばらく整備するって行ってたぜ。難しいんじゃねえかな……」
「でもっ大事なお薬なんですよね!? もし町に病気の人がいたら……!」
「ありがとなお嬢さん。その気持ちだけで十分だよ。さすがにこれ以上は付き合いさせれねえさ」
「そんな……」
ルリアとビィが声のトーンを落とす中、後ろで本を眺めて思案にふけっているアルタイルにグランが気付いた。
「どうしたの? アルタイル」
「……こちらをご覧ください」
アルタイルが見せたのは先ほど解読していた本だった。開かれたページには地図がかかれ、地図内には二つの町とそれを結ぶ二本の道筋が描かれている。
「薬屋殿。この地図が示しているのは今私たちがいる町と、目的地の町に相違ありませんね」
「ああ。確かにそうだ」
「描かれている道は二つ……。ならば、塞がれていないもう一方の道を行くのはいかがでしょう」
「こんな道が……。初めて見たよ。だけど、今も通れるのか? 長年薬の配達をしてきたが、噂にも聞いたことがないぞ」
「ふむ。でしたら少しこの町で聞き込みをしてみましょう。この本の年代を鑑みるに、年配の方なら何か知っているかもしれません」
手分けして聞き込みすると、すぐに見つかった。長年この町で暮らしている老婆が言うには、炭鉱を経由せずほぼ獣道でもあるため、人々から忘れ去られていたらしい。
薬屋は目の色を変えた。
「……行ってみるか。頼めるかい、騎空士のみなさん」
「もちろんですぅ!」
「道が見つかってよかったぜ! さすがアルタイル、頼りになるな!」
「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。状況の進展に喜びたいところですが」
「進展があるときこそ、バルツではネジを巻き直せ、と言うわね」
グランはアルタイルとシルヴァ等皆の顔を見渡し、顔を引き締めた。
「皆、油断せずに行こう」
出発する薬屋を見て、同じく待ちぼうけを食らっていた旅人がグラン達に便乗して付いてきている。
ついてくるなと言えるわけもなく、大所帯となってしまった状況にシルヴァは危機感を抱いていた。
「グラン」
「わかってる、魔物の気配はあるかい?」
「……今はまだ見えないが、道は風上、左手の森は距離はあるが、風下だ」
「匂い、か」
「ええ。こちらからは魔物の匂いがわからない。だが嗅覚の強い魔物なら察知されるだろう。刺激せずにいきたいところね……」
「うん。ルリア、ビィ」
「はいっ!」
「なあに、魔物が来ても俺達で守り切ってやろうぜえ!」
「はは、期待してるさ。そんな凶暴な魔物があらわれたの話だが」
依頼主の横で、アルタイルは先ほどの本を取り出していた。神妙な面持ちに、グランが心配げに声をかける。
「何か気になることがあるの?」
「切り開かれた森林。しかし、ここの森は鬱蒼として茂っている」
「長年この道には人の手が入っていなかったんでしょ。特に不思議ではなさそうだけど……」
「そう、不思議ではない。ならば島に自生していた肉食獣も、ここにいて不思議ではない」
「!」
「森が切り開かれ、狩り尽くされた肉食獣。だが狩り尽くされたというのはあくまで人間の視点。魔物の立場からすれば」
ガサガサと草むらに音が鳴る。シルヴァは長銃を構え、声を張り上げた。
「来るぞ、グラン!」
「……人の手が入っていない場所に逃げ込む。ここは彼らに残された、最後の楽園(エデン)!」
おびただしい数のラウンドウルフが、一斉に草むらから飛び出した。
「!? これは数が多すぎる! なっ!?」
シルヴァの悲鳴にも似た声、グラン一行に付いてきていた旅人達が恐慌に陥り、我先にと散り散りになって来た道へ逃げ出していた。ラウンドウルフの群れも習うように二手へ別れる。
「シルヴァは後方の人を、アルタイルは僕の傍に」
「! わかった!」
シルヴァはグランを見て安心した。グランはルリアの手を取り、その体を星の力で輝かせ始めている。彼の力を持ってして魔物の群れを薙ぎ払い、取りこぼしを銃弾で射貫く算段をつける。
ルリアは慈しみを持った笑みをグランへ向けていた。その瞳には、光るものがある。
「グランは、とても、とても優しいですね……」
アルタイルは水の属性力を腕に収束させながら、背中でルリアの呟きを聞いていた。
(……森を失い、同法を殺され、辿り着いた果ての平穏。自分たちがこの忘れられし道を通らなければ、この魔物たちは)
「……バハムート」
(因果はめぐる、糸車)
アルタイルの視界が閃光で埋め尽くされる。彼らの断末魔は上がらなかった。
目的の町に着くと、依頼主の薬屋は歓声をもって迎えられていた。ある夫婦はこれで息子が助かると口々に薬屋にお礼を言い、感極まった薬屋が顔を振ってグランを探している。
だがグランはビィと一緒に町の入口に立ち、通ってきた道のりと、その脇の森を黙って眺めていた。後ろにいるルリア、アルタイル、シルヴァから表情は見えない。
「ある国では、人の為の善いことと書いて、偽善とあらわすそうです」
「偽善……?」
ルリアはまだ意味を知らなかったようだ。シルヴァは少し不満げに応える。
「アルタイルは彼の選択が気に入らなかったのか?」
「お気を悪くされたのならすいません。ただ彼の判断が予想外だったもので、どう言い表せばいいものかと思案していました。とにかく、私は彼に興味を惹かれていることは確かです」
「私にとっては望外だ。彼への信頼は、別に揺るがないよ」
シルヴァはそう言って微笑むとグランに近づいていく。ルリアも追うように駆けだした。
バハムートが放った熱線は、ラウンドウルフの群れの前を正確に薙ぎ払っていた。身を襲う轟音と熱量、気勢を失したラウンドウルフ達は目の前の割れた地面を見て、静かに森へと帰って行った。
もし魔物たちが迂回して襲ってくるようなことがあればどうなっていたか……。だが事実は魔物たちが身を引き、全員無事で依頼を達成した。
絶大な力を持ち、絶技を持つ人々を率いる若者。
アルタイルは件の本を取り出すと、ページに挟まっていた硬貨に気付いた。古い年代のもので、今は使われていない。
硬貨を視界の前へ持ち、グランの背中へ重ねる。
こんな話がある。一介の商人だった男が、故国から辺境に飛ばされた王子に謁見して、その王子へ投資することを決めた。王子はやがて故国に返り咲いて王になり、その子は大陸を総べる最初の王になったという。
商人が王子を初めて見た時に沸き起こった興味を、一言で記している。
「――奇貨居くべし」