黒い空(カイム独白)
血に濡れた竜が咆哮を上げ地に倒れた。
その様子を眺めていた男は竜を一瞥した後、剣を降る。空を切る音をたてて、剣を伝っていた血が竜の身体へと降り掛かった。
男―カイムは剣に視線を向け、血が払われたのを確認すると首だけを動かして辺りを見回す。
周りは亜竜たちの死骸で覆い尽くされていた。斃れている数は数十を下らないだろう。
それでも。
カイムは視線を上へと移す。
黒い空。
まるで、最初から蒼い色など無かったかのようだ。
竜に支配されている空を見て、カイムは嘲るように口元を歪める。
どうやら世界が滅びるのは時間の問題らしい。だが、解ったところでどうという事はない。
自分の命以外、持っていたものは全て失った。
何も持ち得ない自分がどんな感情を抱けというのか。
* * *
やがて、周りから殺気の篭った鳴き声が響いてきた。同胞の亡骸を見つけた竜達の、怒りの咆哮が辺りを揺るがす。
だが、カイムは怯みもせず、剣を構え直すと。
「……来い」
一言だけ発し、真っ直ぐに敵意を撒き散らす竜達を睨み付ける。
カイムの勝利は薄そうに見えた。
今までの戦いで身体のあちこちに裂傷が出来、カイムの姿を紅く染め上げている。
鎧も傷が目立ち、本来の役目を果たせるとは思えない。
それでも、カイムは己の勝利を信じていた。
何しろ自分は、自分に唯一残されていた存在を奪って生き延びたのだ。
そう簡単に死ぬ訳には、命をくれてやる訳にはいかない。
少なくとも―――赤竜もどき共には。
* * *
しばしの睨み合いの後、狙いを定めた竜がカイム目掛けて急降下を始める。
それを迎え撃つ為、握り締めている剣に更に力を込め、彼は走り出した。
想い(フリアエ独白)
どうして兄妹で愛し合ってはいけないのかしら?
男と女で。
他の誰よりも傍にいる時間が多くて。
その分誰よりも解り合える。
ほら、こんなに恋をする条件がそろっているんですもの。
私が兄さんを好きになってしまうのは、別に不思議でもなんでもないわ。
* * *
「……兄さん?」
扉を軽く叩いて、兄さんを呼ぶと。
「……フリアエ?どうしたんだ?」
少ししてから扉が開いて、兄さんが顔を覗かせた。
「さっき先生から歴史を教わったんだけれどよく解らなくて……教えて欲しいんです」
用意していた台詞と教科書を見せて言えば。
「そうか。じゃあ、ほら」
兄さんは扉を更に開いて、部屋へ入れてくれた。
「ああ、ここか。これは……」
私から教科書を受け取り頁の内容を確認すると、兄さんは淀みのない口調で説明を始めた。
その声に耳を傾けながら、私はうっとりと瞳を閉じる。
兄さんの声を聴いていると、イウヴァルトの歌を思い出す。
抱く気持ちがよく似ているから。
でもこの二つは決定的に違う。だってイウヴァルトの歌は『嫌な事があった時』や『辛い時』に聴きたくなるけれど。
兄さんの声は『嬉しい時』にこそもっと聴きたくなる。
「フリアエ、理解出来たか?」
説明を終えた兄さんが私を見つめて訊ねてくる。
頷いて。
「はい。つまり――」
と説明をすれば。
「ああ、その通りだ。何だしっかり理解できているじゃないか」
兄さんはそう言って笑う。
正直に告白してしまえば、解らない箇所なんて無い。
只、兄さんの声を聴きたくて解らない振りをしているだけ。
それに気付かれないよう。
「フフ、兄さんがとても解りやすく教えてくれましたから。ありがとうございます」
感謝の言葉を述べた後、お礼と称して兄さんの頬に触れるだけの口付けをする。
「フリアエ」
「だって」
戸惑いながら軽く睨み付けてくる兄さんに私は拗ねたように頬を膨らます。
仕方ないじゃない。
私は兄さんが大好きなんだから。
これくらいしても許されるわ。
「……」
兄さんは困ったようにため息を吐くと、机に置かれた時計に眼を向ける。
「もうこんな時間か」
驚いたように眼を見開く兄さんに。
「稽古の時間ですか?」
訊ねれば兄さんは小さく頷きながら立ち上がると。
「ああ、急がないと張り切っているイウヴァルトにまた文句を言われる」
脇に置かれた剣を手にして扉の方へと歩き出した。
「気をつけて下さいね」
「嗚呼」
兄さんは背を向けたまま返事をするとそのまま扉を開けて出ていった。
「……」
一人残された部屋で私は兄さんを想う。
ねぇ、兄さん。
私こんなに兄さんの事が好きなのよ?
だから兄さんも。
早く私を好きになって。
夢現(カイムとアンヘル)
ある深夜、カイムはふっと眼を覚ました。
別に何があった訳でもない。
本当に理由もなく、眠りが途切れたのだ。
――眠い。
これが今の第一の感想だった。
自身でも気付かない間に疲れが溜まっているのだろう。
目は覚めている筈なのに未だに意識がしっかりと覚醒しない。
絶えず睡魔が襲ってくる。
とりあえず寝直そうと、ずり落ちているごわついた毛布を掛け直そうと身体を動かした時。
背中に温もりを感じた。
まるで幼い頃の、両親に抱かれているような温かさ・安堵感を感じて、顔を押し付ける。
触れたそれは思った以上にざらついた感触を肌に伝えてきたが不快感は無く、寧ろカイムには馴染みのあるものに思えた。
頬を「それ」に強く擦り寄せる。
微睡む自分に、伝わる熱はとても心地よい。
はっきりしない意識がさらに朧気になっていく。
眠り直そうと視線を感じたような気がした。
迫ってくる眠気を押しやって薄く目蓋を開くと。
丸い金色が直ぐ近くに見えた。
――何だ、月か。
ぼんやりとした声で呟くと、興味を失ったように目蓋を閉じる。
そして今度こそ本当に、カイムは深い眠りに落ちた。
* * *
「寝惚けていると解ってはいたが……まさかここまでとはな」
再び眠りについたカイムを視線を向けたまま、竜はぽつりと言葉を漏らした。
尾に擦り寄ってくる感触に視線を向けたら、カイムが小動物のように顔を擦り付けている。
珍しい事をするものだ、と眺めていたら胡乱な瞳を返されて理解した。
ああ、完全に寝惚けての行動なのだ、と。
「……それにしても」
思い出すだけで笑いが込み上げてくる。
いくらなんでも気を緩め過ぎだろう。
何時もが無表情の愛想の無い男だから余計今との差が面白く思える。
このままだとその内寝言まで口にしそうだ。
「それはそれで面白いか」
そうなったらその出来事を話してからかってやろうか。
果たして彼は顔を赤くしてそっぽを向くか、激しい剣幕で否定するか。
「楽しみよな、カイムよ」
竜は、空に浮かぶ本物の満月を見つめながら愉快そうに呟いた。
世界(フリアエ独白)
本当は世界なんてどうでもいいの。
皆勘違いしているけれど私、世界や皆の為になんて想いで女神をしている訳じゃないんだもの。
仕方がないから女神になって封印をやっているだけ。だってそうでしょう?
拒めないのなら受け入れるしかないのだから。
嗚呼、でもそうね。
もし、「何か・誰か」の為にと言うのなら。
それはきっと。
* * *
ふと、瞼を開くと灰色の天井が目に入った。
どうやら眠っていたらしい。何時もの、私を守ると同時に閉じ込めておく部屋で。
「……」
ゆっくりと身体を起こすと倦怠感が全身に圧し掛かってくる。
きっと眠りすぎのせいなのだろうと思うけれど、止めようと気は沸き起こらない。
何かをした所で、この状況が変わるわけじゃないのだから、夢の中で望む世界を創ったほうがずっと有意義に感じられる。
「……」
身体はだるいけれど、眠っていたせいか意識はしっかりしている。
これではしばらく眠る事すらも出来ない。
唯一の娯楽を奪われて、仕方がないから私は立ち上がって窓の側へと足を進めた。
窓から見えるのは代わり映えのない荒涼とした大地。
見たことのないあの地平線の先にも、似たような光景が広がっているのだろうか。それとも。
「……どうでもいいわね」
識らない、世界。
識らない、人々。
どうして、そんなモノ達の為に私が犠牲にならないといけないんだろう。
私じゃなければいけないんだろう。
溜め込まれた理不尽が発散出来ない苛立ちへと変わっていく。
そんな醜い自分を気取られない様、私は最愛の人を思い浮かべ呟く。
「……兄さん」
誰の為じゃない。
私が祈るのは兄さんの為だけ。
兄さんだけが、私の守る世界。
執着(カイムとアンヘル)
夢を見た。
細部は覚えていないが寿命が来て自分が死ぬと言う夢を。
「死」が怖いとは感じなかった。最も、恐怖が無かったのは夢だったかもしれないが。
只、竜の姿を目にし、自分はこの竜を残して逝くのだと理解した時。
酷く不快な気分になった。
* * *
「全く……何時も無茶をする男だとは思っていたが……守りすら行わないとはどういうつもりだ」
怒り混じりの竜の言葉を殆ど耳に入らない。
あの夢のせいだろうか。
身体のあちこちを伝う血と傷の痛みを感じながらカイムはそんな事を思う。
交わせない、防げない攻撃はなかった。
だが、交わす或いは防ごうかと考えた瞬間。
不意に死への衝動が沸き上がった。
ここで死ぬというならそれはそれで構わない、と。
「オイ、聞いているのかカイム」
――。
名前を呼ばれ、ようやくカイムは竜に視線を向けた。
竜の瞳は明らかに怒りの色が含まれていたが、カイムの表情を見ると代わりに諦めの色を浮かべ口を開く。
「無謀過ぎるにも程がある。お主、死ぬのが怖くないのか?」
――死が怖い?
竜の問いにカイムは口元を吊り上げて答える。
――死を怖れてこの場に立てると思っているのか?
「……なら質問の言葉を変えよう。お主、生き延びたいから我と契約したのだろう?なのに何故今回はこの様な無茶をした。死にたくなかったのではないのか?」
死にたくない。
その言葉を聞いてカイムは再び夢の内容を思い出す。
夢の中で感じた不快感。
アレを否定ととるならば、あの時自分は死ぬことを拒否していたのだろう。
だが、今なら?
今この場で死ぬのならば?
――死を怖れ、拒むのは未練や執着があるからだ。
「何だ唐突……」
――俺は死ぬ時にそれを連れていくから。
――もう死は拒まない。
そして真っ直ぐに竜を見据える。
嗚呼、そうだ。
もはや己にはこの竜だけ。
だから竜と共に果てれるのならば。
それはそれで、悪くない最後だ。
価値(アンヘル独白)
妬けるような痛みが全身に走る。
あまりの苦痛に呻き、身体を捩らせるが、その行為は更に痛みをもたらすだけだった。
成程、確かに際限なく続くこの痛みは人間の身体には相当な負担だろう。短命になるのも頷ける。
半ば霞が掛かった頭でそんな事を考えた。
いっそ意識を手放せたら楽なのだろうが、痛みは直前まで追い詰めるくせに、その先に進むことは許してくれないのだ。
『全く、性質が悪い』
そう言って笑おうと思ったが、痛みに支配されている状態では、口端をあげることすら酷く困難で。
このままでは痛みのせいで、気がふれるのではと思わせた。
カイム
カイム
そうはさせまいと、必死になって契約者の姿を思い浮かべ、正気を繋ぎとめる。
カイム
カイム
――アンヘル?
「……カイム」
そうだ。そうやって、もっと我の名を呼んでくれ。
お主の存在が。
我の名を口にするお主の声が。
この身体を苛む激痛に、世界を守るという価値を与えてくれるのだ。
印(カイムとアンヘル)
二度と消えることのない痕をつけてやりたいと思った。
* * *
血に濡れた契約者の肩に、竜は己の鼻先を押し付ける。鼻腔を擽るのは血の匂い。
嗅ぎなれた匂いに竜は安堵すると同時に、僅かな苛立ちを覚えた。
何故、彼に染み付いた匂いが自分ではなく名前も知らない死人のものなのかと。
* * *
竜は契約者に対し、自分でも解らない焦燥に似た感情を抱く時があることを自覚していた。
名前も知らないそれは酷い渇望を与え、竜に契約者を求めさせる。
初めは触れて、体温や匂いを感じられれば十分だったが、今ではそれだけでは満足出来なくなってきていた。
この燻る気持ちを何と表すのか、契約者をどうしたいのか。
明確な答えは竜ですら導き出すことが出来ない。只欲しくて欲しくて仕方がないのだ。
痛みを共有できるだけでは物足りない。
記憶や感情の共有ですら、この渇きを満たせない。
限りなく同一に近い、では駄目なのだ。
もっと、もっと―
――重いぞ。何時までそうしている気だ。
「只の匂い付けだ。気にするな」
――匂い付け?
「新参者の中に我とお主の関係を知らぬ輩がいるようだからな。一種の印だと思っていればよい」
言いながら竜はチラと視線をカイムの腰にある剣に向ける。
鞘に収められた剣が微かに震えたように見えた。
――印、か
竜の言葉にカイムは少しだけ考えるような表情をした後
――これだけでは不満か
口を開き舌を出す。
刻まれているのは竜の姿を象った紋章。契約の証。
竜の身体が歓喜に打ち震える。
そうだ、これこそ正に消えることのない痕だ。契約者が死ぬまで、否もしかしたら死して尚残るかもしれない刻印。
心まで満たされる。だが、それも一瞬。
「悪くは無いが見えぬ位置にあるのが不満だな。解る位置にも印があるよう、噛んで傷でもつけてみるか?」
――馬鹿を言うな。お前に噛まれたら流石に只じゃすまない。大体俺を傷が残ればお前にも傷が残るだろう。
「そんなことは百も承知よ」
どれだけ望もうとも一つになれないと言うのなら。
せめて、互いを結ぶ証として目に見える形の物が欲しいのだ。
(その気持ちが解らぬとは、鈍い男だ)
傍ら(カイムとアンヘル)
「お主との契約を終了する……カイム」
そう言われた時、俺はどんな表情でドラゴンを見つめていたのだろうか。
情けない顔付きを晒けだしていたのだろうか。
* * *
「お主……強くなったな」
眼窩に収まった光が数度瞬いた後、ドラゴンの身体からゆっくりと力が抜けていく。
「ドラゴン……」
救う手段なんて何一つ持っていない俺は、ドラゴンの命が潰えるまで首筋を擦るくらいしか出来ない。
何故。何故。
応えの返らない疑問が、何度も胸に去来する。
何故こんなことになった?何故俺が生き残った?何故ドラゴンが死ななければならなかった?
……数少ない、殺したくない相手だったというのに。
「ドラゴン……っ」
救えなかった。妹を。親友を。そして唯一残されたドラゴンすらも。
このまま、感情に任せて泣くことが出来たなら、どれだけだったろうか。
だが悲しむべき相手を手にかけたのは他でもこの俺だ。
殺した相手に涙を流せる資格など、俺には無い。
* * *
どれほどの間、その場に佇んでいただろうか。
荒々しい咆哮によって、神殿が震えているのに気づき、顔を上げた。
嗚呼、これがドラゴンの言っていた世界の再生なのか。
この世界は滅びるのか。ぼんやりとそんな事を考えながら傍らにあるドラゴンの骸を見やる。
このまま、留まっていればコイツの元に逝けるだろうか?
「……馬鹿な考えだ」
自嘲して下らない考えを一蹴した。
俺だけそんな最後を迎える分けにはいかない。俺に相応しい末路はきっと―。
「ドラゴン……」
呟いてまだ微かに温もりがあるドラゴンの血溜まりの中に右手を浸す。
グローブが赤く染まり、吸い取りきれなかった血が指を伝い、その血が床に滴る前に、舐めとる。
契約した瞬間から、離れることはなかった。
だから。
「ずっと、一緒だ」
紋章の変わりにドラゴンの血で舌を染めて立ち上がり、神殿の外へと視線を向ける。
何一つ救うことの出来なかった俺が、世界を救うなど出来るわけがない。それでも。
「……行くぞ」
剣を強く握り締め俺は亜竜共の待つ外へ向かって駆け出した。
抗え。最後まで。
疵(フリアエ独白)
「はい、女神失格。どうする?」
赤い瞳の子供の言葉はもう耳に入っていなかった。
識られてしまった。兄さんに。
どうしよう。どうすれば。
頭の中はそのことだけでいっぱいだった。
* * *
「……兄さん」
思考をまとめることが出来ないまま私はのろのろと視線を兄さんへ向けた。
心のどこかで思い込んでいたのかもしれない。
大丈夫、兄さんなら。兄さんならきっと。
浅ましい思いを抱いていても私を見てくれる、って。
けれど現実は違った。
兄さんは信じられないというような表情を見せた後。私から顔を背けた。
受け入れてもらえない。拒絶された。
それを理解した瞬間、湧き上がった感情は“悲しさ”よりも“悔しさ”だった。
どうして?私が一番兄さんの傍にいるのに。
どうして?私が一番兄さんと長く共にいるのに。
どうして?私が一番最初に兄さんを好きになったのに。
どうして?兄さんは私を一番にしてくれないの?
どうして?どうして?どうして!
叫びたいのに喉は引きつけを起こしたかのように痙攣して声が出ない。泣ければ良かった。小さい頃のように只ひたすらに泣いて兄さんに縋れれば、優しい兄さんは私を突き放したりはしないだろうから。
けれども、些細な事で零れていた涙はこんな時に限って溢れてこない。
なんて役立たずな身体なの。
ああ、きっともう駄目だわ。これから先、兄さんは一生私を見てくれない。
世界も、他の誰かもどうでもいいけれど兄さんは。兄さんだけには。
絶望と失意でおかしくなりかけて(もうおかしいのかもしれない)いた時、ベッドに転がっているナイフが目に入った。
それを掴む。
そうだ。兄さんが私のモノになってくれないのなら。私が兄さんのモノになればいいんだわ。
心に、消える事の無い傷を作って。
一生、私を忘れることが出来ないようにすればいい。
迷いは無かった。
兄さんが私を愛してくれない世界なんて滅んでしまえばいい。
そんなことよりも早く。早く。私を兄さんに刻みこまないと。
私はナイフを大きく振りかざして胸を貫いた。
痛んだのは一瞬。直ぐに意識が霞んでくる。
何だ、人ってこんなに呆気なく死ねるのね。
最後の力を使って意識同様、霞がかった目を兄さんに向ける。
兄さん。
「私を……見ないで……」
そんな悲しそうな瞳で私を見ないで。
忌々しい火蜥蜴を見るような。
ひた向きな瞳を私にも頂戴。