憎まれるのは絶対に嫌だと思っていた。
憎悪の感情を込められた瞳で見つめられて背筋が凍るような気持ちを味わった。
けれど、何の感情も込められていない瞳を向けられた瞬間、憎しみの視線を向けられた時よりもずっと強い恐怖を覚えた。
私を見ているのに、関心は私に全然ない。地面に生えている雑草を見るような視線でようやく気が付いた。
愛されることと憎まれること、両極端だったけれど根源は同じだという事。
どちらも対象に強い関心を持っている事。後はその方向性で向けられる感情が変わってくる事。
そして例えそれが憎しみだとしても、相手は「私」を認識している事に。
私を認識していない瞳がこんなにも怖いなんて。
ずっと憎しみしかもらえなかった私は、今更になってその事実に気付いたのだ。
* * *
「……っ!」
聞こえてきた獣らしき遠吠えに、私は身体を強張らせながら目を覚ました。
同時に視界に入ってくる暗い色をした木の壁と、固いけれど地面とは違うマットの感触に今いる場所が室内だと気が付く。
(ああ、そうだ。今日は宿に泊まったんだっけ)
眠る前までの出来事を思い出し、長い息を吐いた。するとまたどこからか遠吠えが聞こえてくる。声の主は森に住む狼か、死に損ないの亜人か。
そんなことを考えながら、私はゆっくりと身を起こした。窓から外を眺めれば、浮かぶのは今にも消えてしまいそうな細い月。どうりで何時もより暗く感じる筈だ。
外がこれだけ暗いのだから当然部屋の中はもっと光が無く、加えて知らない部屋だから、中の様子がさっぱり掴めない。怖い。こんなに暗いと不安になる。あの人が私を置いてどこかへ出て行ってしまったんじゃないかと。
「……大丈夫、大丈夫よ」
自分に言い聞かせるよう何度も呟く。そう、あの人が私を置いて出て行く筈が無い。だってあの人は私を何とも思ってないんだもの。私を嫌って出て行くなんてことは無いわ。
その内に段々と目が光に慣れてくる。すると、壁に椅子を立て掛けて座っている姿を確認できた。……良かった、いてくれた。
不安で強く握り締めていたごわごわしただけの掛け布団から手を離して、私は音を立てずにベットから抜け出す。大人が歩けばギィギィと煩く鳴る床も、子供の私では音も出さない。
そのまま、歩いて顔を覗き込めば空によく似た青い瞳は目蓋に隠されていた。
最初はこの人の瞳が堪らなく怖かったのを覚えている。
怒りと憎しみを隠すことなく露にした視線に射抜かれる度に殺されるんじゃないかと怯え、隙さえ有れば逃げだした。その度に捕まえられ、苛烈な視線を向けられ叫んだのを覚えている。
「憎まないで、そんな目で私を見ないで」と。
それから半年もしない間に、半分だけ私の願いは叶えられた。
何時も怒ったように地平線を睨み付けていた瞳は空に向けられるようになり、私は見向きもされなくなったのだ。
この人は契約の代償として声を奪われたから、理由を話してはくれない。けれど、想像はつく。
赤い竜だ。世界を安定させる為に封印の女神となったあの竜。
竜は自らの身を犠牲にした引き換えに、この人の心を全て持っていってしまったに違いない。空に向けられる瞳には、ほんの少しだけど優しさが含まれているから。
「……どうしてその瞳で私を見てくれないの」
憎まれたくなかったのは、この人が世界で一番私を憎んでいたから。だから、憎まれている限りは世界の誰からも許されないと思っていた。
逆に言えば、この人が私を許してくれたら。愛してくれたら。
私は世界の誰からも許して、愛してもらえる筈だった。
けれど、この人の関心は何処にも無い。全て赤い竜に取られてしまった。もう私を見てくれることは無い。私は許してもらえる機会を永遠に無くしてしまったのだ。
贖罪の旅は何時の間にか竜を探す旅に目的を変えていた。
この人にとって私は在っても無くてもどちらでもない存在だ。嫌いじゃないから、追い払われることはないけれど私が逃げても前みたいに追いかけてはくれないだろう。
「見てくれないなら、いっそ殺してよ。お兄さん」
憎しみでもいいから感情の込もった瞳で私を見てよ。興味を抱いてよ。
お兄さんが見てくれなければ誰も私を見てくれないに決まっている。
私を見てくれない世界なんて、まっぴらごめんだわ。