「……それ、美味しいの?」
そう、私が聞いたみたところ、彼は皮肉げに笑いながら言う。
「不味いに決まっているだろう」
「だったら、どうしてタバコなんか吸っているの?」
その私の問いかけには、彼は答えなかった。視線を逸らし、ただ、口から紫煙を吐き出していた。
「やあ、美人さん」
「こんにちは、色男さん」
彼はよく迷いの竹林の入り口にいた。何をするというわけでもなく、煙草を口にくわえてぼんやりとしている。私が彼と会うときは大抵そうだったが、どうやら私の居ないところでもそうであったらしい。一日中、何をするでもなくそこで煙草を吸っているようであった。
「今日も精が出るねえ、美人さん」
「妹紅よ、藤原妹紅。忘れたの?」
「覚えているよ、忘れてた覚えはない」
彼は何故か、私のことを名前で呼ぼうとしなかった。美人さんとか、呼ばれるこちらが恥ずかしくなるような呼び方を続けている。彼と出会ってそれなりに時間も経ったはずなのだが、彼は一貫して初めて会った時の呼び方にこだわっていた。
「そうだな、俺のことを名前で呼んだら、俺も名前で呼ぶことにするさ」
「……呼ぶ気はないってことね」
彼は、何故か私に名前を教えてくれなかった。私が彼を色男と呼んだのは彼が私を美人さんと呼ぶからだったが、そもそも私は彼の名前を知らないのである。彼は決して私に名前を教えようとはしなかった。
「ところで、貴方は何故いつもここにいるの?」
「んー?」
前から思っていた私の疑問をぶつけてみた。それに対し彼は煙草の煙を空に向かって吐き出した後、軽く首を曲げながら言う。
「別に、理由があるって訳じゃないんだよねえ。何となく、やることもないからこうしてここにいるんだよ」
「ふうん」
どうなんだろうか。彼の答えを聞いて私はそう思った。仕事でもすれば良いんじゃないか、という話なのかもしれないが、元外来人である彼は幻想入りした時にとても貴重で高価な物を所持していて、それを売ったお金が十分にあるのだ。幻想入りして最初に彼があったのは私だったので、その辺りの事情はそれなりに知っていた。
「じゃあ別にここじゃなくても良いんじゃない? 人里の外は妖怪が多くて危険よ?」
「ここが一番都合が良いのさ」
「都合って?」
「……さて、ね」
誤魔化すように、彼は新しい煙草に火をつけた。彼の本音が、ほんの少し垣間見えたように感じたけれど、私はそれを追及しなかった。
それが、最近の私の日常だった。
――だが、それは突然崩れた。
「――ゴホッ!!」
突如、彼が口から血を吐いた。くわえていた煙草を地面に落とし、その上に彼の血が零れ落ちていく。
「大丈夫!?」
急いで彼に駆け寄り、血を吐いている彼の身体を起こす、ゴホゴホと、咳き込んでいた彼であったが、数分ほどかけてようやく落ち着いてきたようだった。
「……はぁ、はぁ」
「大丈夫?」
「……ああ、悪かったな」
そう言いながら、彼はまた懐から煙草を取り出そうとする。
「ちょっと!」
いくら何でも駄目だ。そう思った私は彼の手からそれを取り上げる。
「……返してくれ」
「駄目よ」
「大丈夫だ、問題ねえ」
「――問題ないわけないでしょう!?」
今、彼は血を吐いたのだ。だというのに自分の身を省みない彼に、思わず私は怒鳴った。何故、そこまでしてこんなものに固執するのか。まるで理解が出来なかった。
「とりあえず永遠亭にいくわよ。あそこならどうとでも――」
「――無駄だよ」
彼の手を引っ張り、永遠亭に向かおうとしたのだが、彼にその手を振り払われた。その行為と彼の言葉に、私がまだ怒鳴ろうと彼の顔を見ると、そこには力ない笑顔が浮かんでいた。
「もう行った、だけど駄目だった。……外の世界にいたころから、とっくに手遅れだったのさ」
「手遅れって……」
そんな風にはまるで見えなかった。彼はいつも飄々としていて、こんな弱々しい笑顔を浮かべる人ではなかった。
「知っているか? 煙草って吸いすぎると身体によくないんだよ、吸い続ければいつか命すらも落としちまうんだ」
「……それを知っていて、何で貴方はそれを吸っていたの?」
当然の疑問。自ら命を削るような真似をしていた彼が、私には理解できなかった。
「……何で、か」
そう、小さく呟いて、彼は皮肉げに笑った。
「早く、ここからいなくなりたかったから、かな」
「……意味が分からないわ」
「分からなくていいさ。君に話すようなことじゃない」
「――話して」
私に背を向けようとした彼の手を掴む。彼がどうして話してくれないのかは分からなかったけれど、どうしてだが、聞いておかないといけないように感じたのだ。
「…………初めて会った時、一目惚れをした」
「え?」
「赤い目に白い髪の女の子に、俺はどうしようもなく恋をした」
――何となく、分かってはいた。だって、私もそうだったから。
「だけど、彼女は死なない体で、対する俺はもうすぐ死ぬようになっていた」
だから、と彼は私を見つめながら言う。
「俺が告白をしたら、君は悩むと思った。有限と無限じゃ、どうやっても悲劇になると」
――そうだ。そう考えたからこそ、私は踏ん切りがつかなかった。
「会わないほうがいい、そう思っていたのに、どうしても俺はここに来ることをやめられなかった。――だから、俺はわざと煙草を吸い続けた」
「……早く、消えるため?」
私の言葉に、彼は頷いた。
「自殺する勇気も、君と会わない勇気も持てなかった。だから、せめて早く退場するつもりだった。いつの間にか死んだような男なら、君もすぐに忘れると思ったんだ」
そう言って、彼はいつもの飄々とした笑みを浮かべる。その笑みに、私は彼の想いを悟った。
「――じゃあな、妹紅」
始めて私の名前を呼んで、くるりと彼は私に背を向ける。これ以上私の重石にならないようにと、自分の心に逆らってでも消えるつもりなのだと分かった。
「――さようなら」
だから、私も彼を追わなかった。わざと彼に背を向けて、彼と逆の方向に歩き出した。
――その日以降、彼と会うことはなかった。
「なあ、妹紅」
「どうしたんだ、慧音?」
「その口調なんだが、一体どうした?」
友人の質問に、私は楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「別に、理由があるってわけじゃないさ。何となく、たまには口調を変えてみようかなと思ってね」
長く生きていくうえでの暇つぶしだよ。そう私が言えば、慧音は若干納得のいかないといった表情を浮かべた。
まあ、そうだろうなとは思う。だって、本当のことじゃないんだから。
「……まあ、そういうことにしておこう」
「そう言ってもらえると助かるよ」
話も途切れたところで、懐から煙草の箱を取り出す。トントンと一本を取り出して口にくわえ、火をつける。
「……ふぅー……」
一息、紫煙を空に吐き出す。随分と吸い慣れたもんだと、どこか他人事の様に思う。
「……それ、美味しいのか?」
そう、慧音が私に聞いてきた。それに対し私は、皮肉げに笑いながら言う。
「不味いに決まっているだろ」
「だったら、どうして煙草を吸うんだ?」
その慧音の問いかけには、私は煙を吐き出しながら言った。
「――忘れない為だよ」
名も知らない彼を、決して忘れない為に。
…………だから、私は今日も、紫煙をくゆらせる。