「突然だが一時帰宅だ」
「本当に突然だな」
その日の放課後。
自室に戻っていた良香に彩乃はそんな話を切り出していた。一時帰宅――この場合どこに、と聞くほど良香は察しが悪くない。言うまでもなく、彼女の家だ。
「一時帰宅って……一体なんでだ? 今のところ別に問題はないけど」
「ああ、何でも細かな私物が残っていたらしくてな。ついでに上の方で『そろそろ自宅が恋しくなってくる頃だろうし、リフレッシュの機会でも作ろう』という話になったらしい」
「…………、」
「実は演習の頃に『先方』から打診はあったんだがな。さすがに演習に集中させた方が良いということになって、今のタイミングまで延びたんだよ」
彩乃はすらすらと説明し、
「明後日――つまり今週の金曜日は演習で壊れた森を修繕するとかで職員がかり出されるから、授業は全日休講になる。その日に帰るからそのつもりでな」
そう、軽い感じで告げる。対する良香はというと、何故かその目にありったけの意志を乗せてこう答えた。
「嫌だ」
……嫌とかそういう問題ではない感じなのだが、良香はそれでも嫌だと突っぱねた。それに対し、彩乃は律儀にいちいち問いかける。
「なんでだ?」
「なんでもだよ……」
軽い感じの彩乃の問いかけに、良香は目を背けてどことなく言いづらそうにしながら答える。取り付く島もない感じだった。
「大体、リフレッシュの機会なんていらねーよ! オレは十分新生活を満喫してるよ! ホームシックとかねーから! っつーか中途半端に帰らせたら余計ホームシックを助長させるだけじゃねーのか学院上層部!」
「まあまあ良香、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか! せっかく家から離れられたってのに、どうしてオレがわざわざ家に一時とはいえ帰宅しなくちゃならねーんだ……」
――ここまで来れば
「別に私は行かなくても良いが、その場合はお姉さんのほうから来ることになるぞ。――この学院に。それでもいいのか?」
「行かせていただきます……!」
良香はしょんぼりとしながら全てを受け入れた。
余人にはよく分からないやりとりだったが、彼女達からすれば真剣そのものだった。
*
「おー、遅かったわねー」
食堂にやって来ると、既に才加とエルレシアと志希がテーブルを確保していた。
「席とっといてくれてありがとなー」
「ちょっと話し込んでしまってな」
軽く礼を言いながら、良香と彩乃もまたテーブルにつく。サバイバル――というよりは、その前の初日の夕食の縁からか、一緒に行動することが多くなってきた五人である。
「…………で、あんたはまたブロックと栄養ドリンクなのね――って違う……だと……!?」
胡乱な眼差しで彩乃のコンビニ袋から夕食――と呼ぶことすら若干の抵抗を感じるもの――を取り出すさまを見ていた才加だったが、そこから取り出された品物を見て、くわっ! と目を見開いてしまう。その様子を見た彩乃は得意げに笑い、
「ふふん。今回はカルブロックの他に栄養バランスを考えて野菜ジュースとヨーグルトをチョイスしてみたぞ。これで良いんだろう?」
「………………」
「才加、これは一歩前進だ! 栄養ドリンクが野菜ジュースとヨーグルトになっただけでも進歩なんだ!」
「っつーかあんたは一緒に来てるならこの馬鹿を止めなさいよ! なんでむざむざこんなレーションみたいなモン買わせてんの!?」
「いや、コンビニに行くまでに振り切られちゃって…………」
痛いところを突かれた良香は、しゅんとして俯いてしまった。意外とメンタルが弱いのかもしれないな――と才加は内心で呆れつつ、溜息を吐く。
「まったく、いったいどういう青春を過ごせばこんな栄養食品フリークになるのかしらね…………」
「何故食生活ひとつで青春時代にまで言及されなくてはならないんだ……。まあ昔も大して変わらなかったが」
才加の溜息に、彩乃は憮然として言う。
――何気ない言葉だったが、良香にとっては意外な響きだった。今まで良香は彩乃の食生活は過酷な討巫術師《ミストレス》生活によるものだと思っていたが、それは彼女が討巫術師《ミストレス》として活動していたと知る良香だからこその視点だ。そうでない他の視点から見れば、彩乃の食生活は幼少のころからの生活環境が影響していると思っても不思議ではないし、実際その可能性が高かった。
(考えてみれば、オレって彩乃のこと何も知らないな)
知っているのは彼女の正体が良香より一回り近く上の大人であり、討巫術師《ミストレス》として活動していたということ、体育教師の後輩だったということくらいしかない。彼女の名前が本名なのか、正確な年齢がいくつなのか、どういった経歴を持っているのか、何もかも分からない。
何も知らないも何も、出会ってまだ二週間と経っていないのだからある意味当然だし他のクラスメイトにしても知らないことだらけなのだが、一方で彩乃は良香にとっては命の恩人であり大事なルームメイトだ。『何も知らない』ということを少しも後ろめたく思わない気持ちがないといえば嘘になる。
尤もそれは、彩乃のほうも同じかもしれないが。
「そういえば彩乃さんはお昼ごはんも似たような感じでしたわね」
「菓子パンを昼食にするよりはまだしも健康的だろう。栄養バランスもとれてる」
「栄養バランスがとれてれば良いってモンでもねーと思うんだけどな、食事って……」
現代社会が忘れがちな食卓の温かみの重要さを思い知る良香である。
「よろしければ、彩乃様の昼食も私がお作りしましょうか? お嬢様の昼食は私が作っていますので」
と、事態を静観していた志希がそこで口を挟んできた。
「え、志希ってエルレシアの弁当も作ってたのか……」
「ですわね。なかなかおいしいですわよ」
誇らしげに言うエルレシアだったが、彩乃のほうは逆に恐縮してしまった。
「いや、良いよ。さすがにそこまでは悪いし……それに、私は昼にそこまでお腹が空かないんだ」
「その割には夜も食べてないじゃない。もしかして間食? 駄目よ、太るから」
「単純に胃が小さいんだよ」
彩乃は肩をすくめ、
「というか私としては、夜にそんなに食べて胃がもたれないのかと言いたい。特にエルレシア嬢なんか、そんな量の肉を食べて大丈夫か? 太らないか?」
「わたくし、脂肪は胸に行く体質なんですの」
エルレシアは全く動じず、ナイフとフォークを器用に操ってステーキを切り分けていく。
「死ねぇおっぱい魔人!!」
藪蛇に突っ込んだエルレシアに嫉妬の鬼と化した才加がマウントエルレシア登頂を目論むが、悲しいかな圧倒的なまでの実力差はコメディで誤魔化そうとしても誤魔化しきれない。あっさりといなされ、才加はテーブルに突っ伏した。
「げ、元気出せよ才加……胸なんてそんなに気にするほどのものでもないって……」
とは言いつつ、良香も男としてはおっぱいもないよりあったほうが嬉しいものである。自然と言葉からも説得力は失われ、目も泳いでしまう。そんな良香の内心を敏感に感じ取った才加は、突っ伏したまま目だけで良香をにらみつける。
「あんたは『どっちかと言えばある』方でしょうが……」
それは、どうしようもない一言だった。持てる者からの慰めは蔑みでしかない。完璧に相互理解が断絶してしまった瞬間だ。
とはいえ女歴の短い良香は、『ある方』と言われてもいまいちピンとこない。
「……姉ちゃんも同じようなこと言ってたけどさ。いまいち胸の大きさとか言われてもわかんないんだよなー」
「あれ? あんた姉ちゃんいるの?」
一触即発っぽい雰囲気を醸し出していたが、それはあくまで世間話《コメディ》の範疇。才加の興味がころっと変わったのをきっかけに、話題も大きく変遷していく。
「いるよ。五つ上の姉ちゃんが一人」
「へ~、あんた一人っ子っぽいから全然分かんなかったわ」
「お姉様は一般人ですの?」
いまいち根拠のよくわからない推論を立てていた才加はさておき、エルレシアは目下一番気になるところを問いかけていた。巫術師の才能を持つ良香の姉だから巫術師かもしれない――というのは安直ではあるが、しかし巫術師の才能を得ることになる少女というのはえてして何かしらの特殊な事情を背負っているものだ。家族ぐるみで、ということでもなんら不思議ではない。
しかし良香は首を振って、
「いーや。普通の大学生だよ。ちょっと変わってるけど」
あっさりと良香の姉巫術師説を否定した。考えてみれば当たり前で、良香はちょっと前までは平凡な少年だったのだからその姉が巫術師であるはずもないのである。
その割には、姉のことを話す良香の横顔に影が差しているような気がする四人だったが。
「姉っていえば、お前らはどうなんだよ。兄弟姉妹とかいねーの?」
ともあれ、話をすり替えるように言った良香の言葉とともに話の流れはまた大きく変わっていく。結局この後、良香の姉についての話が話題に上ることはなかった。
*
という訳で、翌々日の金曜日。良香と彩乃の二人は学院指定の制服を身にまとい、フェリーと電車を乗り継いで良香の地元までやってきていた。
「ねむい……」
当日寝坊した良香は、自宅に繋がる商店街を歩きながら目をしょぼしょぼさせつつ寝癖を整えていた。たまたま通りすがった電気店に並べられていたテレビでは朝のニュースがやっており、討巫術師《ミストレス》の活躍がまるでアイドルのライブか何かのように喧伝されていた。
しかし一度巫術師の戦いを経験してしまった良香としては、そんな華やかな絵面の裏に潜む討巫術師《ミストレス》の計算高さや強かさが目についてしまう。
エルレシアや彩乃は、この高みに立っているというわけだ。彩乃は本当に現役のプロなのである意味当然だが――と考えたところで、良香はふと気づいた。
「あれ? そういえば彩乃ってプロの巫術師なんだよな?」
「そうだが、どうした藪から棒に」
「巫術師なら、けっこう顔も知られてるんじゃないか? なんで普通にやっていけてんの?」
当然といえば当然の疑問である。子どもになっているとはいえ、高校生相当の年齢だ。当然面影は強く残っているし、有名な討巫術師《ミストレス》しか知らない良香と違ってプロを目指す学院の生徒なら気づいてもおかしくはないだろう。にも拘わらず、ここまで彩乃は一度も正体を見破られたことはない。その言動で何人かから不審に思われているのに、だ。
「それはそうだろうな」
しかし、彩乃はそんな疑問にもあっさりと答える。それどころか、さらに大きな爆弾を落としてきた。
「第一、私は討巫術師《ミストレス》ではない」
「……は?」
一瞬、良香の思考が停止した。
それまでのすべての前提が打ち砕かれるような発言だった。そもそも彩乃が討巫術師《ミストレス》だからこそあの場で良香を助けたのであって、そうでないとすればその前提すら成り立たなくなってしまう。では、良香を助け、そして卓越した技能を見せるこの女性はいったい何者なのか――――。
「ああいや、言葉が足りなかったな」
良香の頭が混乱の極致に向かいかけたところで、彩乃はあわててそんなことを言った。
「私は、どちらかというと支巫術師《アテンダント》の方が近いんだよ」
「…………アテンダント?」
首を傾げた良香に、彩乃はまるで学者のように説明を始める。
「考えてもみろ。良香だって今まででも、討巫術師《ミストレス》と単なる巫術師で用語を使い分けたりしていただろう?」
「え、まあ……でもそれは、討巫術師《ミストレス》はプロで、専用の資格みたいなのが必要だからなんじゃねーの……?」
「まあそれもあるな。だが討巫術師《ミストレス》は巫術師の下位分類……ならプロの巫術師を指す言葉が一つとは限らない。そうだろう?」
「……つまり、どういうことなんだよ?」
「ミストレス――討巫術師《うちふじゅつし》の役目は主に妖魔をはじめとした超自然災害やそれを利用した犯罪への対処。つまり戦闘だ。派手な活躍が多いからマスコミからはミストレスなんて持ち上げられるようになったが……」
彩乃はそこで一旦言葉を切り、手に持ったペットボトルのお茶で口の中を湿らせてから、
「アテンダント――支巫術師《さしふじゅつし》は反対に、研究や技術開発などの裏方でのサポートをメインにしたタイプだ。現役を引退したり一時的に一線から退いたりした討巫術師《ミストレス》も此処に含まれていて、学院の教師なんかもこの支巫術師《アテンダント》扱いだ。裏方だから知名度もそこまで高くないし、数自体も圧倒的に少ない。全国的にもほぼ学院にしかいない。だから自嘲気味に使用人《アテンダント》なんて名乗っているわけだ」
自嘲気味に――と言いつつ、それを自称する彩乃は自嘲した風には見えない。彼女自身は別段気にしていないということなのだろう。ただでさえ風聞なんて気にしなさそうな性質なのだし。
「ちなみに私の前職は巫素《マナ》関係の法則研究だった。つまり、どちらかというと研究者というわけだ。だから一般的な知名度は皆無に等しいし、討巫術師《ミストレス》を目指す学院の生徒達にも知られていないというわけだ」
「なるほど…………」
思わず、良香はうなずいていた。そういうことなら、これまでのすべてに説明がつく。だがそこで一つ素朴な疑問が生まれた。
「でも、それなら最初に会った時に討巫術師《ミストレス》って名乗ったのはなんでだよ?」
問われた彩乃はあっさりとこう切り返す。
「そんなもの決まっているだろう。一般人相手にはそっちの方が圧倒的に通りがいいからさ」
言われてみれば当然の理屈だった。あそこで支巫術師《アテンダント》と名乗られても『誰それ?』となっていただろう。
「ま、そういうわけで私の正体は学院の研究施設のデータベースを漁らない限り見つからない。まずもって
なんだかんだで才加達のことを信頼しているのだろう。軽く言う彩乃だったが、何気ないところに聞き流せない言葉があるのを良香は聞き逃さなかった。少々の沈黙ののち、思い切って切り出す。
「…………『まともじゃない連中』にはバレるってことか?」
「まあそうだな」
対する彩乃は、隠しても無駄だと思っているのか、はたまた最初から隠すつもりがないのか、あっさりとそう頷いてしまった。
「これでも表舞台から一歩外れた日陰の研究者業界ではちょっとした有名人でね。こんなオリジンを持っているから当然といえば当然なんだが。もうブームも過ぎ去ったが、今でもイカれたマッドサイエンティストは私のことをほしがっているかもなぁ」
そんな地獄のような境遇を、彩乃はなんてことないことのように語っていた。彼女が良香を学院に勧誘する際に言っていた『拉致して解剖される』というのは、脅しでもなんでもなかったのだ。彼女自身がそうなりそうになった、ある種のIF。それを言っているだけだったのだ。
「……………………」
ある種の畏れすら感じていた良香は、突如それらの思考を全てシャットダウンしなければならなくなった。
「………………良香? どうした?」
隣を歩く彩乃が怪訝な表情を浮かべるが、良香は何も答えられない。答えるほどの余裕がない。
何故なら、ブーストを使っていない良香でもわかってしまうほどに極大の悪寒が、彼女を襲ったのだから。
前方。
街中を歩く人混みの向こう。
軽質な靴音が、ゆっくり、ゆっくりと迫ってくる。
その足音の人物は、良香の姿を認めるなり這いよるような甘ったるい声でこう言った。
「あら~、
彼女の名は、端境
他ならぬ良香の実の姉である。