【完結】桜な日々   作:冬月之雪猫

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最終話「集結、そして終結」

 そこは私の家だった。キャスターが用意した拠点でも、間桐の屋敷でも、遠坂の屋敷でも、安アパートでも、孤児院でもない。幼い頃、私がなっちゃんや両親と過ごした家。

 私は幼いなっちゃんの笑顔に出迎えられた。

「おかえり、春香」

 リビングには事故で死んだ筈のお父さんがいる。

「おかえりなさい、ハルちゃん」

 優しかった頃のお母さんがいる。

「遅いぞ、桜」

 キャスターが普通の服を着て寛いでいる。

「桜ちゃん。今日は美味しい御飯を作ったんだ!」

 おじさんがキッチンからエプロン姿で出てくる。

「桜様」

 セイバーも普通の服を着ている。

「桜」

 若い頃のおじいちゃんがお茶を啜っている。

「マスター」

 ハサンも普通の服を着ている。体が大きいから、まるで外人ボクサーみたい……。

「桜!」

 お姉ちゃんもいる。

 みんなが私に笑顔を向けている。ああ、これが私の望んだもの。望んだ世界。

「みんな……。みんな、大好きだよ」

 何も考えたくない。この幸せな時間が永遠に続いて欲しい。

 他に望むものなどない。

 

 ◇

 

 その光景はあの日の再現だった。

 天に浮かぶ黒い月。サーヴァントが最後の一騎になった事で聖杯が起動した。二つに分けられていたサーヴァントの魂が間桐桜の持つ聖杯に集められ、彼女を呑み込んだ。

 アーチャーのサーヴァントは苦悶の表情を浮かべる。

「またなのか……?」

 あの日、救えなかった少女。切り捨てた家族をまた失う。また、この手で殺さなければならない。

 さもなければ、この地に地獄が再現される。

 第三次聖杯戦争で召喚されたアヴェンジャーのサーヴァント。この世全ての悪と呼ばれる存在が聖杯にくべられた時、純白の杯は黒一色に染まった。あらゆる祈りを呪いに変換する闇の聖杯。一度起動したソレはこの地に災厄を齎す。

 彼は過去に一度体験している。全てを燃やし尽くす炎に囲まれた街。そこで彼は死にゆく人々を見た。ただ一人、衛宮切嗣によって救われた彼は正義の味方として、地獄を歩み続けた。

 

 これは彼が幾度と無く体験したもの。

 悪夢のような選択肢。

 一人を殺し、全てを救うか。

 一人を生かし、全てを見捨てるか。

 人間だった頃も、守護者として生きる永遠も、今この時も、彼は地獄を歩んでいる。

 答えなど決まりきっている。命の価値は平等だ。ならば、数で選ぶほかない。

 正義の味方は善人の味方ではない。より多くの人命を存続させる為のシステムでしかない。機械に感情など不要。ただ、正しき選択に従うのみ。

「……さくら」

 可愛い女の子だ。初めて会った日の事を今も覚えている。暗い表情を浮かべ、初めの内は笑顔を見る事が出来なかった。

 それが少しずつ心を開いてくれて、一緒に料理を作って、一緒に食べて、一緒に過ごした。

 家族だった。他に変えようのない存在だった。

 彼女を切り捨てた時、彼は完全な機械になった。

 体は剣に、心は鉄に、命乞いをする者を殺し、生きたいと望む者の未来を壊し、罪なき幼子に死を与えた。

 死神。悪魔。鬼畜。ヒトデナシ。外道。殺人鬼。

 それが彼の通り名となった。

「すまない」

 彼は正義の味方。

 ヒトを救うものではない。

 ただ、人類を存続させる機械。

投影開始(トレース・オン)

 創り上げるモノは彼の識る限り最高の一振り。

 嘗て憧れた輝き。

 人々の想念を星が紡いだ神造兵器。

 固有結界が崩れていく。コレを創るという事はそういう事だ。

 人の手に余る奇跡の代償はその命。既に彼の肉体は消滅を初めている。

「また……、君を救えなかった」

 アーチャーは剣を振りかぶる。

永久に遙か(エクス)――――」

「ヤメロぉぉぉぉ!!!」

 彼の動きを止めたのは一人の男の叫び声だった。

 男はアーチャーの横を擦り抜け、聖杯に手を伸ばす。

「……まとう、かり……や」

 桜の口振りから、既に死んだものとばかり思っていた。

「おじさん!!」

 後ろから必死に彼を追い掛ける少女がいた。

 その顔をよく識っている。

「遠坂……」

「桜を助けて!!」

 泣き叫ぶ遠坂凛。その声に応えるように、間桐雁夜は跳躍する。

 死んだ筈の男。一度は確かに止まった心臓の鼓動。それを再び動かしたものは彼の心と魔女の加護。

 桜の未来を案じた魔女は彼の肉体を再生する時に幾つかの魔術刻印を刻んだ。それは彼が桜を守る意思を持つ限り彼を生かすもの。雁夜は桜を守りたいと願い、魔女の加護はそれに応えた。

 稀代の魔女に刻まれた刻印は彼を暗黒の月に誘う。呑み込まれていく雁夜の姿にアーチャーは動けなかった。

「……諦めていないのか?」

 それは嘗て選びたかった選択肢。選べなかった選択肢。

 愛する家族の為ならば、選ばなければいけなかった選択肢を雁夜は選んだ。

 アーチャーの目の前で幼き少女が手を広げる。体を震わせながら、妹が呑み込まれた暗黒の月を守っている。

「アレはこの地を地獄に変えるぞ」

 アーチャーは言った。

「あの子は帰ってくる」

 震える声で少女は言った。

「君も死ぬ。みんなも死ぬ。それでもいいのか?」

「桜は帰ってくるの!!」

 愛する妹。彼女の為に今まで何もしてあげる事が出来なかった。

 だからこそ、絶対に退くわけにはいかない。

「桜には指一本触れさせないから!!」

 アーチャーは剣をゆっくりと降ろす。

「三分だ」

「え?」

「それ以上は待たない」

 いつ暴走するか分からない状況。三分後に宝具を発動出来るかも分からない状態。それでも、彼は待つと言った。

「……頼むぞ、間桐雁夜」

 泣きそうな声で彼は言った。

「桜を助けてくれ」

 選びたかった選択肢を選んだ男に彼は託す。

「アーチャー……?」

 

 ◇

 

 小心者で、ストーカー気質で、陰湿な男は闇の中を無我夢中で走っている。

 初めは一人の女に対する思慕だった。禅城葵。彼が幼い頃から恋い慕っていた人だ。桜を救おうと思った理由の大部分は彼女の為だった。

 だが、桜の容赦の無い言葉によって、彼は葵に対する未練を捨て去った。己の醜さに向き合った。彼女(さくら)(かりや)を追い出す為に口にした数々の言葉が彼に決意を固めさせた。

 小さな体で過酷な運命を背負わされた女の子。彼女を守る為だけに戦う決意を固めた。

「桜ちゃん……。絶対に助ける」

 魔女の加護が彼を進ませる。

 魔女は知っていたのだ。大聖杯の真上にある寺に神殿を築いた彼女が気付かぬ筈がない。この地の聖杯に取り憑く魔の存在に。

 だからこそ、万が一に備えて魔を退ける仕掛けも施した。

 

 そして、辿り着く。

 そこは奇妙な空間だった。闇にあって、光に満ちた世界。そこには彼女が失った全てが揃っている。

 家族のぬくもり。幸せな時間。

 識らない者がいる。知っている者がいる。

 桜はその中心で幸せそうに笑っている。

 雁夜は気づいた。

 これは彼女の願いだ。

「すまない、桜ちゃん……」

 きっと、これは彼女にとって酷いことだ。漸く手に入れた幸福な世界を破壊する己は彼女にとって最悪の敵になる。

 それでも、この世界は偽物だ。こんな世界で彼女は幸せになんてなれない。

 雁夜は光の世界に足を踏み入れる。

「桜ちゃん」

 声をかけると、桜は酷く驚いた表情を浮かべた。

「だれ……?」

 窓ガラスに映る己の姿に雁夜はため息を零した。まるで獣だ。真っ黒な獣。赤い瞳が実に禍々しい。

「誰だ、貴様!!」

 キャスターが怖い顔を浮かべる。

「桜に近寄らないで!!」

 凛が箒を振りかぶる。

「春香には手を出させんぞ!!」

 識らない男が知らない名前を口にする。

 どうでもいい。お前達はみんな偽物だ。偽物に構っている時間などない。

「桜ちゃん」

 偽物達を無視して、桜に手を伸ばす。

「……おじさん?」

 どうして分かったのか、雁夜は不思議だった。

 首を傾げると、桜は微笑んだ。

「分かるの。だって、おじさんはいつもそうやって手を伸ばしてくれるもの」

 手を取った瞬間、世界は一変した。闇に覆われた空間。周りにいた偽物達は影の怪物に変わった。

 きっと、彼女も分かっていたのだろう。寂しい顔で彼等を見つめている。

「おじさんはどうして?」

「キャスターが色々とね」

「そっか……。落ち着いていれば分かった事なのにね。まさか、自力で生き返ってくれるとはこの桜ちゃんの目を持ってしても見抜けなかったよ」

 いつもみたいに軽口を叩く桜。だけど、その顔はどこまでも哀しそうだ。

 

 ◆

 

「走るよ、桜ちゃん」

 おじさんと共に私は懸命に走った。闇の中、まるでコルタールの中を泳いでいるかのような気分。

 後ろからゾロゾロと影の怪物達が追い掛けて来る。

「――――邪魔をするな」

 誰かに背中を押された。首だけ振り向くと、そこにはハサンがいた。

「達者で生きよ。共に生きたいと願う者の中に私の名を含めてくれた事、感謝している」

 怪物の群れに向かっていくハサン。立ち止まりそうになる私の手をおじさんが引っ張る。

「走るんだ」

 また、右や左から怪物が押し寄せてきた。

「まったく……。死後に漸く英雄らしい仕事が回ってきたな」

「ぼやくな。お姫様を守るんだ。騎士として、実にやり甲斐を感じるだろ」

 セイバーとランサーが怪物を打ち払う。セイバーは私達に微笑み掛けると、もう振り返らなかった。

「Aaaaalalalalalalalalalaie!」

 更に私達を取り囲もうとする怪物達はライダーのチャリオットが蹴散らした。

「もう少しだ」

 遠くに光が見えた。そこに二人の女性が立っている。

「キャスター!!」

 手を伸ばす私に微笑みかけると、キャスターはその手を振り払い、代わりに背中を押した。

 

 ◇

 

「協力に感謝するぞ、淫売」

「……私は愛する子をこの暗黒の世界から解き放ちたかっただけです。決して、あなたの為じゃありません! この魔女!」

 聖杯に呑み込まれ、尚も彼女達は暴れまわる。

 この世の全てを救うと誓った女。

 この世の全てを敵に回すと誓った女。

 彼女達の意思は闇に塗り潰される事を拒んだ。

 彼女達の口にした《原罪を知れ(エツ・ハ=ダアト・トーブ・ヴラ)》は神の怒りに振れる禁忌の果実。

 だが、その実の真価は食べた者に神の力の一端を与えるもの。

 聖杯に巣食う魔が《悪神(かみ)》を名乗るなら、彼女達もまた《神》を名乗る。

「この世全ての悪よ。お前にあの子は渡さんよ!」

「あの子もまた、私の愛する子。魔王になど渡しません!」

 彼女達の力が闇の中で暴れ回る英雄達に力を与える。

 セイバーが聖剣を振り翳す。

約束された勝利の剣(エクスカリバー)!!」

 ランサーが朱と黄の槍を振り回す。

「穿て、破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)!! 必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)!!」

 ライダーが雷鳴を纏い影の獣を蹂躙する。

「ハッハッハ、愉快愉快!! よもや、死後にこうして手を取り合う事になろうとは!! 遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)!!」

 アサシンがその呪われし腕を開放する。

「胸躍る。まるで、私も一個の英雄のようではないか! 苦悶を溢せ、妄想心音(ザバーニーヤ)!!」

 英雄達のど派手な宝具の開放合戦を尻目に桜達を追う者が一人。

「桜! へばってないか?」

 追跡者が桜を抱き上げる。

「モードレッド!?」

「あと少しだ!!」

 光に三人は飛び込んでいく。

 外に飛び出した桜はモードレッドの顔を見上げた。

「ど、どうして!?」

「元からたちの悪かった女共が更にとんでもない力を得た結果だ。互いに互いが外に出る事を許さない辺りがアレだが、折衷案って事でオレにお鉢が回ってきやがった。っつーわけで」

 モードレッドは赤雷を纏う刃を掲げてアーチャーを睨む。

「まだいけるか?」

「……無論」

 アーチャーは凛に視線を向ける。その視線に対して頷き、彼女は右手を掲げる。

 そこには真紅の紋章が刻まれていた。

「令呪をもって命じる!! アーチャー!! 聖杯をぶっ壊しなさい!!」

 アーチャーの握る聖剣に光が宿る。

「完膚なきまでにぶっ壊してやるよ。先に逝ってな、母上!!」

 二振りの剣が爆発的な魔力を迸らせ、今――――、

永久に遥か黄金の剣(エクスカリバー・イマージュ)!!」

我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)!!」

 星光と赤雷。暗黒の月を蹂躙し、二つの輝きは天を裂く。

 聖杯戦争の終わりを告げる花火はどこまでも高く伸びていった。




次回、エピローグ
ここまでの御愛読、ありがとうございました。

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