季節外れの寒波がやって来た日の事だ。
街は、クローゼットの奥から引っ張り出してきたであろうコートに身を包む人で溢れていた。
皆寒そうに、体を丸めながら歩いている。
「……少し寒いな」
そんな中、私はマフラーだけをして家への帰り道を一人進んでいた。
普段より少し寒いくらいだと思っていたら、まさかここまで本格的に冷え込むとは……。
やはり、もう少し着込んできたほうが良かったかもしれない。
家に到着した私は、カバンを置いてコートを羽織る。
そして再び外へ繰り出した。
目的地は、やすなの家。
と言うのも、あいつが風邪をひいたからだ。
珍しく学校に来ないと思ったら、ここ数日の寒暖差で体調を崩したらしい。
本当なら、見舞いなんて行かないが……。
あいつの事だ、治ったら「なんで来なかった」と騒ぎ立てるに違いない。
だからこちらから先手を打つことにした、と言うわけだ。
「全く、バカは風邪ひかないって言うだろうに……」
日が傾いて、寒さはひときわ厳しくなる。
しかも風がやたらと吹いているので、体感温度は更に低く感じられた。
「うぅ、くそ……」
あいつの家まで、時間にして十五分ほど。
たったそれだけなのに、数時間の道のりを歩いている気分になる。
途中、コンビニで暖をとってなんとか寒さを凌いだりしながらやすなの家を目指した。
そして家を出て二十分。
やっとの思いでやすなの家に到着した。
しかし、呼び鈴を押しても反応がない。
「変だな」
もう一度、呼び鈴を押す。
だが、やはり返事はない。
失礼を承知で勝手にドアを開けようとした時、扉の向こうから足音が聞こえてきた。
「は……はい……」
ドアホンから、やすなの声が聞こえてきた。
私が見舞いに来たことを伝えると、少ししてから玄関が開いた。
「ソーニャ、ちゃん……」
「やすな……」
彼女の顔は、いつもよりも赤く熱を帯びている。
目もなんだか、少し焦点が合っていないように見えた。
「へへ……来てくれたんだ」
「……あぁ」
「寒かったでしょ、ごめんね」
「いや、それは良いんだが……」
やすなに連れられて、私は家に上がり込んだ。
しかし、今この家にはこいつしか居ないのか?
妙に静かだし、明かりも点いていない。
やすなにその事を聞くと、両親はちょうど仕事で帰れないと言う答えが帰ってきた。
「だから、ソーニャちゃんが来てくれて、本当に良かったなーって……」
「とんでもない時に来てしまったな……」
顔を見たらすぐに帰るつもりだったが、そうも行かなくなってきたらしい。
病人を一人で放置したまま知らない顔をできるほど、私も鬼ではないのだ。
という訳で、私がやすなの面倒を見ることになった。
やはり相当無理をしていたのか、ベッドに戻ったやすなは苦しそうに咳をする。
試しに熱を測ってみると、三十八度九分。かなりの高熱だ。
とりあえず、頭にのせる濡れタオルと飲み物を用意してやる。
食べ物はやすなの母が用意していったようでお粥がキッチンに置いてあった。
温めなおせばすぐにでも食べさせることが出来る。
私が気をつけることといえば、部屋の温度と湿度、そしてやすなの様子くらいのものだった。
「さて……こんなものか」
一通り、必要な物を部屋に持ち込んで一段落。
あとはこいつの両親が帰ってくる直前くらいまで居てやればいい。
やすなはすっかり安心したようで、静かに寝息を立てていた。
熱のせいで少し寝苦しそうだが、よく眠っている。
なんだか、私まで眠くなってきた。
少し部屋を暖めすぎたのだろうか。
「う、ん……」
まぁ、しばらくこのままでも大丈夫だろう。
ちょっとだけ……私も寝てしまおうかな……。
「うぅ……はっ!?」
寝苦しさと、汗の不快さで目が覚めた。
私は咄嗟に時計を見る。
「今は……午後九時か……」
どうやら、数時間ほど寝てしまっていたらしい。
部屋のストーブは止まっていて、部屋の空気もかなり乾燥してしまっていた。
「しまった……おい、やすな」
やすなはと言うと、かなり汗をかいているようだった。
着替えさせる必要がありそうだ。
「やすな、おい起きろ」
「ん……ソーニャ、ちゃん?」
ゆっくりと、彼女が体を起こす。
頬からは汗が伝って落ち、布団に小さなシミを作った。
「どうだ、調子は」
「んーと……うわ、汗すごいや……気持ち悪い……」
「着替え用意しないとな。他に欲しいものあるか」
「喉、乾いた……」
「あぁ、待ってろ」
枕元に置いてあるコップに水を注いでやすなに渡す。
よほど喉が乾いていたのか、彼女は一気に飲み干した。
「……ぷぁ、ごちそうさま」
「何か食べるか?お粥がキッチンにあったが……」
「んー、今はいいや……」
「そうか。じゃあ着替えと……あとは体拭くタオルだな」
「……うん、ありがと」
そう言うと、やすなは再び横になった。
汗をかいて少し調子は良くなったように見えるが、やはり辛いのに代わりはないらしい。
私は部屋を出て、洗面器の水と新しいタオルを取りに行った。
「う……私も結構……」
あの部屋にずっと居たせいだろう、私も結構な汗をかいたようだ。
少し図々しいかもしれないが、やすなの着替えを終えたら少しシャワーでも借りようか……。
水を零さないように気をつけながら、やすなの部屋に戻る。
すると彼女がタンスから着替えを出していた。
「あ、お帰りソーニャちゃん……」
「バカ、お前……無理するなって言ってるだろ」
「ううん、これくらい自分でやんないと……」
「お前な……自分が病人なのわかってるのか?」
「大丈夫だよ、少し調子良くなって……おっと」
立ち上がろうとしたやすなが、バランスを崩した。
私は咄嗟に肩を掴んで、彼女を支える。
「はぁ……いいからベッドに戻れ。後は私がやるから」
「……うん、お願い」
「……こんな時くらい私の言うことを聞け、いいな」
「はーい……」
不承不承といった感じで彼女はベッドに戻った。
全く……無理するなとさっきから言っているのにこいつは……。
「ほら、脱げ。汗拭くぞ」
「うん」
やすなの小さな手が、一つずつパジャマのボタンを外していく。
パジャマの上下を脱いで、下着になったやすな。
寒くないかと聞くと「大丈夫だ」と彼女は弱々しく笑った。
体も拭き終わり、下着も新しい物に変えた。
不快感が消えスッキリしたためか、顔色もなんだか良くなっているように見える。
「うん、スッキリしたよ」
「体調はどうだ?」
「汗かいたから、だんだん良くなってきた気がする」
「もう一回、体温測ってみるか」
体温計を渡して、数分待つ。
結果は三十七度九分。
最初よりはよっぽど良いが、油断は禁物だ。
「……ふふふ」
「……どうした?」
「ソーニャちゃんが、こんなふうに看病してくれるなんてね」
「笑うほどおかしいか」
「いつもと全然違うんだもん」
「いつもと同じ風にしてやろうか」
そう言って、私は拳を作ってやすなに見せる。
「……そんな事、全然思ってないくせに」
「……うるさいな」
やっぱり、いつもと何かが違う。
私もいつもの調子が出ない感じがした。
「……私、本当に嬉しかったんだよソーニャちゃん」
「やすな……」
「ほんとはね、お母さんもお父さんもいなくて大丈夫かなって不安だったの」
「……そうか」
「でも、ソーニャちゃんが来てくれたから、もう大丈夫だよ」
「……いいから、早く寝ろ。そして治せ」
「……やっぱり、素直じゃないねソーニャちゃん」
少し、バカにしたようにやすなは言った。
こいつ、放っておくとすぐ調子に乗る。
「お前な、そんな中途半端に煽られても私は動じないぞ」
「へへ……」
「だからもうさっさ寝ろ。治ったら少しくらいお前のバカに付き合ってやる」
「……うん、そうする」
横になったまま、やすなは小さく頷いた。
やっぱり、まだいつもの調子は出ていない。
いつものやすなと比べて、よっぽど静かだ。
その静かさが、調度良かったり。
少しだけ寂しかったり。
「ほら、タオル変えるぞ」
「うん」
私は、彼女の顔を覗き込む。
いつもの、脳天気な顔はそこにはない。
いつもより上気した表情で。
いつもより潤んだ瞳で。
少し苦しそうに息をして。
どこか遠くを、見つめているような。
それを見て。
私の中で。
何かがどくん、と跳ねる。
そして、次の瞬間私の胸を締め付けるような何かが。
外の風より冷たくて。
でも、どこか暖かい。
謎の感覚が、私の胸に溢れ出てくる。
「ソーニャちゃん?」
やすなが、視線を私に向ける。
もう、耐えられなくなっていた。
「ねぇ、ソーニャちゃ」
「やすな」
「え、んむっ!」
胸を締め付ける物が何か、それがわかる前に。
気が付くと、私は彼女の唇を貪っていた。
「ソーニャ、んんっ」
「やすな、んっう」
息継ぎをしながら、何回も。
何度目からだろうか。
彼女の方から、舌を絡ませてきた。
口を離す度に、これで最後だと頭に言い聞かせるが。
本能がそうさせるのか、何度も何度も唇を合わせ続けた。
「は……は、ぁ」
「ふぅ……ふー……」
息を荒げ、二人で見つめ合う。
激しくしすぎたか、やすなの服が少しはだけている。
もう、考えるのをやめていた私の手が。
彼女の胸元に伸びるのは、自然なことだった。
「ソーニャ、ちゃん?」
「……どうした」
ボタンを外しながら、彼女の呼びかけに答える。
まずは、シャツが私の目の前に現れた。
「……それ以上は」
「それ以上は、なんだ」
切なそうな目をして、彼女は切なそうな声で鳴く。
「……また、汗かいちゃうよ」
恥ずかしそうに、視線を逸らしながら小さい声で。
あぁ、それがダメなんだよやすな。
もう私の本能は、歯止めなんか聞かなくなっていた。
「……そしたら、また私が着替えさせてやる」
私は乱暴に、やすなのシャツをめくり上げた。
「……ん」
目が覚めた。
頭がガンガンする。
「うわ……」
私は、部屋の惨状に閉口した。
ベッドはぐちゃぐちゃ、何やらのシミ、そして胸を露わにしたまま眠るやすな。
眠る前の記憶がだんだんと蘇ってくる。
「あああ……」
わ、私はなんてことを……。
病人相手に、あんなことやこんなことや。
いや、その前によりにもよって相手がやすなだって言う事だ。
「んん……ソーニャちゃん……」
やすなが、目を覚ました。
なんだか気まずい。
「……ソーニャちゃん?」
どうしよう。
恥ずかしくて、何も言えない。
「ねぇ、ソーニャちゃんってば」
「……た、体調は。どうだ」
そう返すのが、精一杯だった。
数日後。
「う……くそ……」
今度は私が風邪を引くという、あまりにも出来過ぎた話のオチであった。
だが、そんなことはどうでもいい。
問題は、なぜ私の家にやすなが居るのかということだ。
「ソーニャちゃん、着替えが少なすぎるよ……やっぱり持ってきてよかった」
「なんでお前が私の看病……」
「この間のお返し!ほら、タオル変えるよ」
「あぁ……」
追っ払おうにも、力が出ない。
私にはおとなしく看病してもらうという選択肢しか残されていなかった。
「あ、汗結構かいたね……今着替え用意するね」
「それくらい、自分で……」
「だーめ。今日は私がつきっきりでお世話しちゃうよ!」
「はぁ……」
前回のバチが当たったのだろうか。
まったく、こいつは……。
「ねぇソーニャちゃん」
「……なんだ」
「……元気になったら、また家に来てくれる?」
少し恥ずかしそうに、やすなは私にそう聞いた。
その表情から察するに……。
つまり、そういう事なんだろう。
「……あぁ、わかったよ」
「やった!あ、じゃあお粥取ってくるね」
私の答えに満足したのか、やすなは嬉しそうに台所へ消えて行った。
おわり。