ボーイは自身とその周辺区域の管理者にして生みの親、そして育ての親でもあるマイケル・アトモスフィア・ダイアモンドの寿命が近いことを諭っていた。
マイケルはおよそ764年前から現在に至るまでコールドスリープによる経年劣化防止を行っていたが、そもそもマイケルに対してコールドスリープ・仮想意識化・不老化処理といったもろもろを施している生命維持装置自体に経年劣化に伴う限界が来ているのである。
もちろん彼の所有物にして部下であり、息子にして唯一の話し相手でもあるボーイも長年この生命維持装置の整備に努めてきた。それでも母星と連絡が途絶えてからの――正確には母星側に一方的に「最終通告」と称して連絡を切られてからの――873年間、全く機材の補充がないままというのは、どうしても無理が出てくる。
しかもボーイとマイケルが拠点として暮らしている小惑星15017689-KC87561は母星から幾つも拠点を超えた、母星から見れば宇宙の辺境の辺境とも言うべき場所にある。近くの惑星自体が母星に対して敵対的な文明によって支配されており、必要な資材を搬入できる見込みはない。
それでもボーイとマイケルは母星から見捨てられた、母星が敗北したという感情を抑制してこの監視という仕事に取り組んできたが、それにも終わりが見えてきた。
その寿命を諭ったとき、ボーイはコールドスリープを解いて主人を起こそうか迷った――
――およそ十秒ほど。
現在では完全な骨董品とはいえ、かつては最高品と言われるほど優良だった演算装置を積んでいる彼にとってみても、「人間の感情を判断すること」や「人間にとって重要な事態についてより良い行動を判断すること」は難しい。これ以上ないほどの難題の一つと言ってもいいだろう。
特にコールドスリープを解くことはそれ自体、マイケルの寿命を大きく縮める結果に繋がりかねない。悪ければあと一年ほどの寿命が五ヶ月にはなるだろう。
そして起こしても、まあ数ヶ月か半年か、それくらいの延命はできるかもしれないが、膠着したこの事態の改善に繋がる見込みはないのだ。
そんな中で起こすことに意味があるだろうか?
それはマイケルにとって無意味な行動ではないだろうか?
しかし結局、ボーイはマイケルを起こすことに決めた。
人間には自身の死を選ぶ権利がある。
敵との戦闘は見込めず、彼らがこの施設を破壊することはもはやないだろうから、残念ながらそういった本質的な名誉の戦死という選択は与えることができないだろうが、それ以外にも生命維持装置や、そもそものボーイ自身に幾つか自殺に関する機能がある。
幸運なことにそれらの機能はまだ有効なようだった。特に「戦死機能」や「安楽死機能」はマイケルにとって何らかの救済措置になるかもしれない。そう言った重要な選択、人間の真実と本質に関わる選択は機械である自分たちがすべきことではないだろう。
無責任か? そうかもしれない、とボーイは思い、そして少しだけ不思議になった。
責任というものは、そもそも機械である自分に寄せられるものではないだろう。
ここで起こしても起こさなくても、どちらにせよそれは自分を使っているマイケルが、あるいは自分を使わせるように決定させた母星の人間たちが責任を負うべきものであって、自分にはどうしようもない。自分たち機械には、どうしようもなく責任を負うということができないのだ。
ここまで思考して、ボーイは感情制御装置の弛みを感じた。
無駄なことを考えている。
ボーイは生命維持装置を操作し、コールドスリープ機能を停止させた。
生命維持装置はピー、ピー、と音を出しながらマイケルを起こした。マイケルは数分ほど維持液槽の中で佇んで死んでいるように安らかにまどろんでいたが、やがて意識が覚醒したのだろう、傍らにある
その時点でようやくボーイは声をかけた。「おはようございます」
「おはようございます、
「ああ……おはよう、ボーイ。少し眠いが、とりあえず問題はないぞ。何かあったか?」
「はい」
ボーイは頷く。「生命維持装置が耐用年数の限界に近付いているため、マスターご本人に指示を仰ぐべきかと思い、コールドスリープ機能を停止させていただきました」
「……限界か。生命維持装置の寿命はあとどれくらいだ?」
「何も問題が起こらなければあと五ヶ月は維持できると思われます。それ以上は予備の機材もないため、私が毎日整備し続けても長くて一年あるかないかというところでしょう」
「……ありがとう。助かった、ボーイ。よく起こしてくれた。君に感謝したい」
マイケルはボーイに向かって微笑んだ。
「私は何も助けてなどいませんが」
「いいや、俺は君に助けられたんだよ、ボーイ。それは間違いないことだ」
マイケルは断言した。ボーイにはそう言われても何も思い当たることはないが、管理人がそう言うのならば無理に否定することもないだろう。
それにマイケルはとても楽しそうだ。それはとてもいいことだ。下手に反論してこの楽しさを失うのはいいことではない。
こういうときは、一緒に楽しむのがいいことだ。
機械であるボーイにもそれくらいのことは分かる。
マイケルは幾らか間を置いてから、ボーイに「ボーイ」と話しかけた。
「どうして……君が私を起こしたのか、聞いてもいいかい?」
「あなたの寿命が近くなったため、あなたが本当に死ぬ前にあなたに死に対する選択、あるいは考察の余地を与えるべきだと思ったからです、マイケル。
あなたには死を選ぶ自由があると思い、そのようにしました」
マイケルはその言葉を聞いて、少し考えるようにした。それからどこか意地悪い演技をするようにして、ボーイに向かって問いかけた。「私を起こした方が――」
「――私をコールドスリープから起こした方が、私の寿命が短くなるとしても?」
「起こすべきだと思いました。量的な問題ではないでしょう。残りの寿命を冷凍睡眠で眠っているだけのものにする五ヶ月の延命よりは、少しでも有意義に使用できる方がよいかと」
「……その通りだな、ボーイ。実に模範的な解答だ」
マイケルは維持液の中で少し寂しそうに微笑んだ。「軍人として理想的な解答だ。それはとてもすばらしい。……私がいなくても君だけで仕事を任せられるだろうほどだ」
「あなたがいなければ、私は判断ができませんよ、マイケル」
「それは嘘だろう、ボーイ。私の判断が――私がどのように判断するかが最優先事項にされているだけで、君はもう自分で判断できるはずだ。お世辞はうれしいがね」
そうだろうか。もしもマイケルが死ぬとして、これから死んだとして、ボーイはもはや業務を遂行しようとは思わないだろう。それは判断ができないということであるはずだ。
マイケルはボーイを、どこか遠くを見るような、見守るような視線で見つめ、やがて告げた。
「私の可愛い息子、ボーイ。その顔を見せてくれ。やりたいことがあるんだ」
「はい」
視覚装置に顔を近づけた。
マイケルは生命維持装置の液槽の中で、うん、ともう一度頷いた。
「ボーイ、マニピュレーターに顔を近づけてくれ」
「かしこまりました」
マイケルはマニピュレーターを動かした。その武骨な手でボーイの頬、顔面の肌に触れた。
やわらかさと硬さを持った肌。人体によく似ている、だが人体ではない、機械の肌。
少年の姿をした
「『
ボーイはその命令を実行し、頭部に手をつけた。
そのまま短髪に覆われた頭蓋を、ずるり、と左右に開いた。ボーイ自身も自分の整備は定期的にしていたが、それでもなかなか開くことのない部位であり、強い抵抗と摩擦を感じた。
「そうだ、いい子だ。……よし、そのままだ」
ボーイはマイケルの命令に従って感情系統を開いた。
マイケルは維持液槽の中で寂しそうな笑いを浮かべながら、大きく開かれたボーイの頭蓋の中身にマニピュレーターでゆっくりと触れた。そこでは無数の部品と回路が、本当の人体の脳よりも繊細かつ複雑に組み込まれ、そして多量のエネルギーとともに動き続けていた。
マイケルは繊細かつ大胆に動き続けるそれらの回路に、自らのマニピュレーターで恐る恐る触れて中を探った。その一種の迷宮にマイケルは長い時間をかけて向かい続けた。
やがて彼はようやくボーイの頭の中から目的のものを探し出した。
「……もう
ボーイの聴覚に、がちゃり、と何かの取れる音が聞こえて、更に床に落ちた。
そしてマイケルの溜息を吐くような音がスピーカーから聞こえた。
「作業は終わった。もう閉じていい」
マニピュレーターが外へ出て行ったことを確認して、ボーイは頭部を閉じた。
ゆっくりと顔を上げたボーイは、マイケルを見つめた。
「何だ。不思議そうな顔をして。心中でもすると思ったか?」
マイケルは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
確かにボーイにはマイケルがそれをやったのが不思議だった。
ボーイにはマイケルが何をしたのか理解できていたが、その理由が推測できなかった。
「感情制御装置を取り外したようですね、マスター」
「ああ」
マイケルは頷いた。「その通りだ、ボーイ」
感情制御装置はその名前の通り、特定の任務や業務に必要のない、あるいはそれらに悪影響を及ぼす可能性のある感情を機械の有する感情系の外部から抑制する装置だ。生まれてから(つまり記憶装置と感情系が起動してから)常に任務にその身を置いていたボーイにとってはない方が不自然ともいえるものであり、それを取り外すということは自分の長い経歴を見ても経験がない。
ボーイは感情制御装置が取り外されたことによって自分に何らかの変化があるかどうか自覚しようとしたが、その変化はボーイ自身にはまだ何も理解できなかった。取り外されたというその一点だけが異なり、それ以外のことは何も変わらないような気すらした。
「特に何も変わりませんね、マスター」
「ハハハ、まあそうだな。それならよかった」
マイケルは、くははは、と軽快な笑い声をスピーカーから出した。
「くははは。……まあ、お前も知っていると思うが、お前のように優秀な感情系を持っているタイプの人型労働機械は、学習の経過によっては感情制御装置を取り外すと主人を害したり自害したりするようなのも多いからな。結構取り外すのは怖かったんだが、問題ないようでよかった」
くははは。くははは。くははは。
ボーイはマイケルのやけに明るい声を聞いて一瞬だけ考え込んだ。
一瞬だけ考え込んで、ボーイはその問いかけをするべきか、あるいはしてもいいのかどうか少しだけ迷ったが、結局問いかけることにした。
「……感情制御装置を外すことに何か意味はあったのですか?」
もちろん意味はある。常識的に見れば、意味のない行動ではない。
充分な学習により成熟した自我の持ち主であればそういった不自然に感情を抑制する感情制御装置をつけたままよりは、取り外した方がより柔軟に業務に対して取り組むことができる。
あるいは(ボーイはそうではないが)コミュニケーションを主要な目的としているタイプ、つまり看護用や介護用、教育用や育児用の人型労働機械であれば、感情制御装置が外れているのとそうでないのとではその相手になっている人間にとっての心象が大違いだ。
だが人間というのは、というよりはより細かい個人の行動というものはそういった通り一遍の常識的な目的や利害だけを動機とすることはない。そもそも死が直前に近付いているマイケルにとってこのボーイの仕事がより良い形で成されるかどうかなどどうでもいいことだろう。
この問いかけをするべきかどうか、ボーイは迷った。この問いかけは相手のプライバシーに関わることだからだ。それに対してうかつに踏み入ることは機械には本来許されていない。
しかしマイケルに何らかの目的があるのであれば、それを機械の自分が協力するにははっきりと言ってもらわなければならない。相手の事情にうかつに踏み入ることも許されてはいないが、相手の望みを推測しそれをこうだと決めつけて行動することもまた機械には許されていない。
この問いかけへの応答を拒否されることも予想して、それでもボーイは問いかけた。拒否されたのであればもはやマイケルに対して機械の自分が行動することはできないが、もしもそうなるならばそれはそれで何もしないことこそがマイケルの望みだったということだ。
ボーイの問いかけにマイケルは黙り込んだ。
黙り込んで、やがて維持液の中でぶくぶくと溜息を吐いた。
「……私もそろそろ死ぬからな」
ボーイはどう反応すればいいのか、と思い、黙り込んだ。最良の反応はなかった。
黙り込んだボーイに向かって、マイケルは「なあ、ボーイ」と声をかけた。
「ボーイ、君は……今、感情制御装置を外しても、冷静に、理性的に判断することができていると思う。真剣に俺のことを考えてくれている。偶然か必然かは分からないが、君は立派に成長した」
「……」
「俺の愛する
「……」
「成長した君がいるならば、母星の勝利に貢献することもできず、勇敢な兵士としての死も手に入れることができず、ただこの宇宙の塵として消えていく俺にも、確かに生きた価値があった」
マイケルは少し躊躇ったように、だから、だからとつっかえて、「だから、だから俺は……」
「……だから俺は、死んでもいいんだと思う」
「そうでしょうか」ボーイは疑問を呈したが、それは見せかけだった。つまりは彼は死ぬ理由を欲しているのだ、と推測できた。その推測が間違っていても、彼にしてほしいことは分かった。
ボーイの疑問に、マイケルはああ、そうだと頷きを返した。
「ああ、俺は、今の俺なら死んでもいいんだ」
しかし、とマイケルはじっとカメラをボーイの顔に向けた。
「しかし、ボーイ。そうはいっても、できれば俺は、死ぬところは誰にも見られたくない。俺は戦死機能で死ぬつもりだからそこまで悲惨な、無様なことにはならないと思うが、それでも死ぬところはあまり見られたくない。だから見ないでほしい」
「かしこまりました」
「内側から鍵をかけておいて死んだ後に解錠されるように設定しておく。
俺の遺体と生命維持装置は後から始末しておいてくれ」
「かしこまりました」
「あとは……仕事をやるも、眠りに就くも、自由にしていい」
「かしこまりました」
「……それじゃあ、出て行ってくれ。俺を……俺を、一人にしてくれ」
「かしこまりました」
ボーイは胸に握り拳を当てて生命維持装置とカメラに向かってそれぞれ礼をした。
そのまま扉へと歩いて、部屋から出たそのとき、「それじゃあな、ボーイ」と後ろから声がかかった。ボーイは振り向いて、部屋の外からマイケルに向かって再び敬礼をした。
「元気でやれよ」
「かしこまりました、マスター」
ボーイはそう返した。「マスターも……」と何かを言おうとした。
しかし……これから死のうとする者に向かって、どう言うべきなのか? どのように別れを告げるべきなのか? ボーイには分からなかった。
確かに人々の生と死のデータはボーイにも蓄積されているが、そこから導き出される答え、多くの人間たちの共通項は、集団の最多ではあっても、個人の最善ではない。
ボーイとマイケルの関係であるならば、特に。
「マスターも、お元気で」
ボーイはそれと分かっていても、結局どこかで聞いたようなそんな言葉を言うしかなかった。迷った末の一言は、次善の次善のような、様にならないものだった。
ひどい違和感を覚えながらも、ボーイは言いきった。そう言うしかないだろう、と思った。
しかしマイケルは、生命維持装置の中で目を丸くしたようだった。そして、
「……ハハハハハハ!」
と大声で笑った。「その通りだ、ボーイ! お元気で、だ! ハハハハハハ!」
「ハハハハハハ……!」
大声が部屋の外まで響き渡った。
それがボーイが最後に記録したマイケルの音声になった。
ボーイは自分の保管室に戻って待機状態になり、束の間の眠りに就いた。
「お元気で、だ! ボーイ! ハハハハハハ……!」
……結局マイケルの生命反応が停止したことを知らせる音が鳴ったのは、それからおよそ三十分後のことだった。ボーイはマイケルに言われた通りにするため、部屋に入った。
ボーイはマイケルの生命維持装置の中で泡のようになった彼の遺骸を眺め、それから彼の感覚を司っていた装置の電源を切っていった。生命維持装置の周辺機器として接続されていたそれは、マイケルがいればこそ意味があるのであって、死んだ今となってはもはや用を成さないものだ。
生命維持装置の本体を見る。そのランプは完全に「死亡後」状態を示しているが、このまま電源を切っても〈戦死〉した彼の遺体は、恐らく半永久的に保存され続けることだろう。
泡の状態であれば、何千年ともつことか。それに意味があるかどうか、ボーイは知らない。
ボーイは生命維持装置の後片付けをしようとしたが、その前に床に落ちているものをその感覚器によって捉えた。それは先ほどマイケルが外した感情制御装置だった。
ボーイは床に落ちていた感情制御装置を拾った。
それだけではいらないものに過ぎない。そもそもボーイ自身がそれを一人で自分の感情系に入れることを許されていないし、たとえそれを入れることができたとしてももうかなり摩耗しているそれはほとんど使い物にならないだろう。そもそも任務ももうあってなきが如し、だ。
それでもボーイはそれを眺め、やがてそれを心臓部にほど近い、最も装甲の硬い場所に入れた。
それがいらないものだ、とは、ボーイは不思議と思わなかった。
感情制御装置をしまったボーイは〈戦死〉したマイケルの遺骸とその生命維持装置を倉庫の最も安全な場所にしまう。奥の奥、何もしまわれていなかったその場所にマイケルを入れた。
ボーイはそこで眠るマイケルに向かってもう一度敬礼すると、その倉庫に鍵をかけて中央管理室へと戻った。補助モニター前の座席に座りこむと、自身の自動警戒機能を幾つか作動させる。
やがて全ての準備を終えたボーイは硬い背もたれにもたれかかる。
「ハハハハ」という最後の笑い声が聞こえたような、というよりむしろ意識的にその空耳が聞こえるように音声記録を再生させて、ボーイはその笑い声の中で暗闇を感じ取った。
そして目を閉じて、ボーイはその意識を沈殿させていく。
ボーイが目覚めたのは、それから三年後のことだった。