Zero and heroic king   作:river01

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外伝  無能王と裏切りの騎士

 

 

 

 

 

 

 

総人口千五百万人というハルケギニア最大の国民数を誇るガリア王国。

 

魔法先進国とも呼ばれるガリア王国にはメイジの数も多く、名実共にハルケギニア最強の大国である。

 

そして最強大国の首都リュティスも、やはり最大の都市であった。

 

 

中心に流れるシレ川を挟んでそこから広がるように発展してきたリュティスは、政治の中枢を中央には置いていない。

 

川の左側、どちらかといえば街外れな位置に、この国の中枢を担う巨大な王宮ヴェルサルテイルは存在した。

 

 

王宮というよりも庭園と呼べる趣を持った、様々な形の贅をこらした建物たちが立ち並ぶヴェルサルテイル宮殿。

 

その中でも一際大きく華やかな趣を持つ建物は、グラン・トロワと呼ばれている。

 

ガリア王族特有の青髪を擬えて青いレンガで築かれた宮殿グラン・トロワには、ハルケギニア最強国家の頂点に君臨する男が暮らしていた。

 

 

ガリア王ジョゼフ。

 

大国ガリアが掲げるその王の名は、しかし国の強さとは裏腹に誇らしいものとはお世辞にも言い難い。

 

幼い頃より魔法の才に乏しく、周囲の者達より暗愚と嘲られてきた不出来の王子。

 

そのような評判であったため、今の王位は優秀だった弟を謀殺した事で得たものなどと黒い噂は絶えない。

 

更に本人も国事にロクに関わろうとせずに自室での遊びに興じてばかりなので、嘲りの声は止むどころかどんどんエスカレートしていく始末。

 

そんな王を、人々は侮蔑と揶揄を込めて、『無能王』と呼んだ。

 

 

「陛下・・・、陛下!」

 

 

聞こえてくる貴婦人の声に、ジョゼフはチェスの駒を動かす手を止め、声の方を向く。

 

視線の先に現れた可憐に咲き乱れる薔薇のように美しい婦人の姿に、ジョゼフはその美丈夫にニッコリと笑みを浮かべて迎えた。

 

 

「これはこれはモリエール夫人!!どうかしたのかね?」

 

 

大仰な振る舞いでジョゼフは、愛人であるモリエール夫人を出迎えるように抱きしめる。

 

愛する王の抱擁を受けてモリエールは頬を朱に染めた。

 

 

「どうしかのかね、ではありませんわ。陛下は放っておいてはわたくしの事をうっかり忘れていってしまうんですもの。だからこうして、会いにきたのですわ」

 

 

「これは失礼。余はこの頃、新たに考えついたゲームのことで頭がいっぱいだったのだよ」

 

 

モリエールの批難の言葉にも、ジョゼフは笑みを絶やす事なく答える。

 

そんな王の清廉とした声を聞きながら、モリエールはふとジョゼフが座っていたテーブルに置かれたチェス盤へと目を向けた。

 

 

「また一人将棋に興じていらしたの?いつも思うのですけれど、どうして相手を用意なさいませんの?小姓でも呼べばよろしいのに」

 

 

「残念ながら、余に匹敵するほどの指し手はどこにもおらぬのだ」

 

 

言いながらジョゼフは、盤面に置かれた白のナイトの駒をひょいと上げ、新たなマス目に進ませる。

 

その一手がチェックメイトとなり、白の側の勝利が確定した。

 

 

「余に匹敵する者がおらぬから、仕方無く余の相手は余が務めておる。自分で用意した最強の一手を、己自身の一手で打ち破る。この演出芝居が、なかなかおもしろくてな。例えるなら余は、この対局の舞台を整える劇作家といったところか」

 

 

嬉々とした様子で自らの一人遊びについて語るジョゼフを、モリエールは微笑みと共に見つめていた。

 

正直に言えばモリエールは、愛する男の言うおもしろさが少しも理解できていない。

 

だがそれでも、愛する王の楽しそうな様は、愛人として嬉しく思うのだった。

 

 

「だがチェスというものは、突き詰めれば定石の応酬でな。一定のパターンをなぞる事に終始してしまう。すでにあらゆる対局をやり尽くしてしまった今とあっては、もはや目新しいものもない。その事には、さすがの余も飽きを覚え始めている」

 

 

面貌の美丈に落胆の曇りを見せて、ジョゼフは肩を竦める。

 

その愛人の落胆を、しかしモリエールはむしろ歓迎の気持ちで迎えた。

 

 

お遊戯に飽きた以上、他の楽しみを見つけなければならない。

 

ならば代わりの娯楽の役割は、もちろん恋人である自分以外にはいない。

 

これからはもっと、この愛する変わり者の王も、自分に構まってくれるに違いない。

 

 

そう思って、モリエールは魅力的な微笑を浮かべて、艶めかしい仕草でジョゼフへと迫った。

 

 

「ねぇ、陛下。よければ明日、わたくしと一緒に遠出でもなさいませんこと?チェルミーの湖畔の、とても花畑の美しい場所を、わたくし知っておりますの。あの穏やかで澄んだ空気の場所に腰をおろせば、日々の退屈なんて吹き飛んでしまいますわ」

 

 

語りかけながらモリエールはジョゼフの首に手を回す。

 

そのまま恋人同士の口づけを求めて、ゆっくりと顔を近付けていく。

 

齢四十五に達しつつも、いまだ若々しさを失わぬ精悍なる顔立ちと逞しい長身を持つジョゼフは、下より迫ってくるモリエールを優しく見つめ返した。

 

ムードのままに二人はゆっくりと目を閉じ、お互いの唇を近付けていく。

 

 

ガチャン

 

 

その時、金属が鳴る音が、静寂であった部屋に響き渡った。

 

それからも金属音は一定のリズムで刻まれ、徐々にその音源を近付けてくる。

 

それは、金属の足音であった。

 

 

ジョゼフもモリエールも、その歩みの音をたてる者を知っていた。

 

その音の主の事を思い浮かべ、ジョゼフは満面の笑みを、モリエールは苦々しさをそれぞれ表情に顕わとした。

 

 

「おお、黒騎士!余の黒騎士よ!戻って来たか!」

 

 

ジョゼフはモリエールを押しのけて、部屋に入って来た音の主の元に早足で歩み寄った。

 

 

入って来たのは、全身をくまなく漆黒の甲冑に覆った暗黒の騎士。

 

精悍なる戦装束に身を包みながらも、染み込んだ暗黒がその存在を汚らわしいものへと貶しめている。

 

この美しき宮殿グラン・トロワには大よそ似つかわしくないその騎士の手を、ジョゼフは何の躊躇いもなく手に取った。

 

 

「いやいや、ごくろうだったな、黒騎士。それにしてもお前の仕事はいつも早い。頼んだのは、つい一昨日の事だというのに、もう事を終えてきてしまうとは。お前はやはり余の最高の忠臣だな。褒美はいらぬか?望むものをくれてやろうぞ」

 

 

上機嫌にジョゼフは黒騎士へと語りかけていく。

 

だが当の黒騎士は、それら主の言葉にも一向に答えを返そうとしない。

 

ただ幽鬼のように佇み、一切を受けつけぬ冷然たる沈黙を貫くのみだ。

 

 

王に対する態度として、それはあまりに無礼な対応とも言えた。

 

主君が直接声をかけているにも関わらず無視するなど、不敬罪と取られてもおかしくない事だ。

 

しかしジョゼフには気分を害した様子はない。

 

むしろ喜色の笑みをよりいっそう深めて、沈黙する騎士の事を見返した。

 

 

「下がってよいぞ、黒騎士。今は特に他の用は無い」

 

 

ジョゼフがそう言っても、やはり黒騎士は答えない。

 

だが言葉は理解したようで、踵を返すと無言のまま部屋から退室していった。

 

 

「ああ、汚らわしい。あの者と同じ部屋にいるだけでわたくし、息がつまりそうですわ」

 

 

表情に不快さを隠そうともせず、モリエールは黒騎士の出ていった方を見て吐き捨てた。

 

 

「ねえ、陛下。どうしてあのような下賤の者をこの宮殿に招きいれたりしたのです?しかもあのような者が陛下の近衛騎士だなんて」

 

 

モリエールが蔑む黒騎士は、ジョゼフがある日唐突に王宮へと招いた者である。

 

ガリアの国政を担う大臣達を王の間に集め、不躾にジョゼフは暗黒の騎士のお披露目をしたのだ。

 

驚く大臣達を前に、ジョゼフは更にその騎士を自らの近衛騎士にすると宣言した。

 

 

内政をさせれば国が傾き、外交をさせれば国を誤ると臣民より噂される『無能王』ジョゼフの奇行。

 

傍から見れば子供の遊戯のようにも見えるそれらの珍行は、すでに臣下の中で周知の事実ではあったが、さすがに今回の件には驚きを隠せない。

 

これまで臣下がどれほど勧めても、決してつけようとしなかった専任の騎士を突然選び出し、しかもその騎士の姿があれほどの異形とあっては、それも無理からぬことだろう。

 

 

結局、ジョゼフは反対の意見を押し切り、黒騎士を自らの側近として置いていくのだが、その騎士に対して好意的な印象を持つ者はこのヴェルサルテイル宮殿のどこにもいなかった。

 

何しろあの漆黒の甲冑を纏った騎士は、誰が話しかけても決して返事をしようとしない。

 

それは愛想が無いという類の話ではなく、そもそも答えを返す機能そのものが無いような印象を受ける。

 

まるで人間味を感じさせない黒騎士の不気味さは、王宮に暮らす臣下達に底知れぬ不安感を募らせていた。

 

それはもちろん、モリエールとて例外ではない。

 

 

「なにを言うのだ、モリエール夫人。あ奴ほど、この余にふさわしい騎士などおるまい」

 

 

だがそんな臣下達の不安も、この天真爛漫な無能王は気に留めない。

 

他者の印象など素通りして、黒騎士を優遇しては傍に置き続けている。

 

 

こういう時にモリエールは不安を感じる。

 

この男の事は真に愛しているが、しかし愛するはずの人の事を自分は何一つ理解出来ていないのではないか。

 

自分にはこの人の行為が、どこまでが本当でどこまでが嘘なのかまるで判断がつかない。

 

自分との関係も、単なる暇潰しの気まぐれなのではないか。

 

それを思うと、不安で夜も眠れないモリエールであった。

 

 

「陛下・・・。一体どこからあのような者を拾い上げてきたのです?彼は何者なのですか?」

 

 

ふと思って、モリエールは問いかけた。

 

常に傍らにいる自分ですら真偽の掴めぬ美丈の王。

 

その彼が、あれほどはっきりとした関心を示す者を、モリエールはこれまで見たことがない。

 

そんなジョゼフの関心を向けられる黒騎士とは、一体何者なのか。

 

 

自らの愛人の問いかけにも、ジョゼフは答えない。

 

だがその代わりに、顔を覗きこんだモリエールが思わずぎょっとしてしまう底知れない笑みを、ジョゼフは美貌の面に浮かべて見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その出会いは、何かに意図されての物ではなかった。

 

呼び出した方にも、呼び出された方にも、どちらにとっても必然の邂逅などでは決してない。

 

期待をしていた事など双方に無く、ただ開いたらそれが現われてきたというだけの話。

 

言うなれば偶然の、運命の気まぐれが与えた偶々の出会いだった。

 

 

発端は、ひとつの魔法。

 

メイジであるならば誰もが行う使い魔召喚の儀式、『サモン・サーヴァント』。

 

かつては何度やっても成功しなかったそれも、自らの属性に目覚めた今ではいとも容易く完成した。

 

 

「ほう・・・!」

 

 

自分が開けた“ゲート”より現れた者の姿に、ジョゼフは思わず声を漏らす。

 

他者のいない、現れた者との二人だけの空間で、ジョゼフは“その男”と向かいあった。

 

 

目の前に佇むのは、精悍にして勇猛なる甲冑に身を包んだ一人の騎士。

 

鎧には無数に刻まれた疵が見え、この装備が幾多の戦場を駆け抜けてきた事の証としている。

 

その常人ではまともに動く事さえ敵わないだろうフルプレートの甲冑を、まるで衣服のように慣れ親しんだ様子で着こなす姿は、男が一級の戦士であることをはっきりと示していた。

 

だがジョゼフが何よりも関心を傾けていたのは男の佇まいではなく、その面貌に浮かぶ感情であった。

 

 

鎧越しからでも伝わってくる、鍛え抜かれた男の戦士の体躯。

 

だがそんな肉体の勇猛さとは裏腹に、男の面貌に浮かぶ表情はあまりに弱々しい。

 

その表情はしわがれた老人のように生気が無く、同時に何の力も無い子供のように頼りない。

 

美貌を思わせる整った面構えも、刻まれた悲嘆が美の要素をすべて廃してしまっている。

 

自らの背負った苦悩の重さに疲れ果て、嘆きも通り越してもはや諦観の域に到達した絶望の顕現がそこにあった。

 

 

この顔も名前も知らない、“ゲート”を通って現れた男の苦悩の源泉を、ジョゼフは一目にて看破した。

 

男の苦悩―――それは、自らを追い込む罪の意識。

 

あまりに長い間を悔やみ続け、もはや呪いの域に達した自責の念が、男を苛んでいる。

 

長すぎた悔恨はもはや流すべき涙さえも枯れ果てさせ、やつれきった精神は外界への関心を喪失させた。

 

事実、突如としてこのような見知らぬ場所に放り出されたというのに、男には動揺の欠片もない。

 

それどころか、目の前に立つジョゼフにさえロクに目を向けようとしていなかった。

 

 

だがそれも、男の身の上からすれば当然のこと。

 

自身の内側に向けられる自責を抱える身とあっては、もはや外に関心など懐こうはずがない。

 

例えそれがどこであろうと、自らを責め苛む行為に支障など無いのだから。

 

 

そんな男の心情が、ジョゼフにはまるで自らの事のように理解出来た。

 

感情の洞察に特別な才覚があるわけではないが、しかし男の懐く感情だけは読み違える事はない。

 

男の懐く自責の念こそ、ジョゼフが“あの日”より追い求めている感情。

 

求め欲するその感情の動きを、この自分が計り間違うことなどあり得るはずもない。

 

 

「さぞ誉れ在ると見受ける騎士よ。そなたは何故それほどまでに自らを責めるのか?」

 

 

自責の男に、ジョゼフは問いかける。

 

その問いかけに、男は一拍の間を置いて言葉を返す。

 

だが紡がれたその言葉は、後半の問いかけに対する答えではなく、前半の言葉への否定であった。

 

 

「私は・・・誉れある騎士などではない」

 

 

そう一言断ってから、男は自らを呼び表す俗称を口にする。

 

―――裏切りの騎士、と。

 

 

それより後、男はポツリポツリと自らの事を語っていく。

 

まるで自らの罪科を口にする事で、贖罪の道とするかのように。

 

さながら神父に懺悔する罪人のような在り様で、男はジョゼフに自らの不義を語っていった。

 

 

すべてを語る気力は無いのか、あるいは忘れてしまったのか、男の話は所々を抜き出すように進行し、脈絡がない箇所も多々あった。

 

その話は何の予備知識もないジョゼフにとっては要領をいまいち得ない曖昧なものであったが、しかしそれだけにはっきり告げられる言葉は印象に深く残った。

 

 

私は、最も尊き王の顔に泥を塗った。

 

 

私は、最も愛していた人を嘆きに落とした。

 

 

私は、国を滅亡へと追いやった。

 

 

点々と紡がれていく男の罪科。

 

自らを貶める罪の名を、男はまるで幾度となく繰り返してきたように淀みなく口にしていく。

 

言葉のひとつひとつに染み込んだ悔恨の念は、男の想いがどれほど重いかを言葉以上に物語っている。

 

 

やがて耳を傾けていく内に、ジョゼフは話の大筋を聞き入れる。

 

人々の理想として、誰よりも誇り高かった男は、その誇り故に他の道を選べなかったという。

 

迷いながらも道を逸れる事が出来ず、やがて辿り着いてしまったのが最悪の結末。

 

いついかなる時も正しくあろうとした果ての結末に、男は救いを見出せぬ袋小路に陥ったのだと。

 

 

男の話をしかと聞きいれ、ジョゼフはふむ、と頷いて吟味する。

 

男の苦悩、果てに背負った絶望の重さに思いを馳せ、その質を考察する。

 

そうしてからジョゼフは、男の絶望とは対照的な、実に簡潔な口調のままで言ってみせた。

 

 

「それほどに苦しいのなら―――いっそそのような誇りある理性など捨て去ってしまえばどうだ?」

 

 

あまりにもあっさりとジョゼフの口より紡がれたその言葉。

 

それを受けて、これまでただ空虚のみを湛えていた男の瞳が、初めてジョゼフの姿を捉えた。

 

 

「不義を悔やむならば、誠実を捨てればよい。

 

誇りが許さぬ行いであるというのなら、誇りを捨てればよい。

 

誇りを彩る栄光があるならば、その栄光を侮蔑の色に塗り潰せばよい

 

犯した罪がそなたを苦しめるというなら、その罪が覆い隠れるほどの罪悪を重ねればよい。

 

騎士よ、そなたの気高き在り方がそなたを苦しめ続けるというのなら、その在り方とは真っ向より相反する道を歩むが良い。かつての栄光さえも貶めるほどの罪科を築いたならば、そなたはきっと苦悩より解放されるだろう」

 

 

それは、何という逆転の発想であろうか。

 

外界への関心と完全に無くしていた男も、そのジョゼフのあまりの言葉には瞠目した。

 

男の罪をいかに許すかではなく、罪に感じる心そのものを捨てろとジョゼフは言っているのだ。

 

 

人の行いに対して、その行為に罪悪の是正を定められるのは、あくまで本人のみである。

 

時代や国が定めた法の罪科は、いうなれば形式的なものに過ぎない。

 

例え法律がその行為を悪と定めても、本人が自らの行為を誤りとしなければ、それは罪ではなくなるのだ。

 

 

いかなる悪行であろうとも、本人がそれを悪と思わなければ、他者はともかく本人にとってそれは悪ではない。

 

悔いる贖罪の念が無いのだから、それを悪いなどと思うはずがない。

 

ならば―――男が自らの不忠を罪に感じる心を捨て去ってしまえば、それを悔やむ事が無くなるのも道理である。

 

 

そのような狂気的な発想が出てくる事自体、すでにジョゼフが狂気の内にある何よりの証明だ。

 

愛する弟を毒矢で射抜いてしまった“あの日”より、ジョゼフの心は決して震える事の無いがらんどうになっている。

 

愛情も、喜びも、怒りも、悲しみも、憎しみさえも、ジョゼフの心にはない。

 

最も大切なものを自らの手で壊してしまったジョゼフに、今さら他の物に執着など懐けるはずもない。

 

故にジョゼフは、自ら弟を手に掛けたあの日より、あらゆるものを壊してきた。

 

貴重に思えるものを、愛するべき縁者達を、ジョゼフは次々と陥れ、破滅させてきた。

 

すべては、それら罪の重さによって再びこの空虚な心に人並みの震えを訪れさせるために。

 

己が罪の重さに人として泣くための罪悪感こそ、ジョゼフの求める望みなのだ。

 

 

そしてジョゼフの狂気の言葉に、男は自責に疲れたその心を揺り動かされる。

 

ジョゼフの言葉には倫理が崩壊していたが、しかし一抹の道理も確かに通ってもいる。

 

 

そも、自分が騎士などではなかったならば。

 

悪を悪とも思わぬ外道であったならば。

 

罪も罰も介さぬ、自らを律する事も忘れた狂える鬼とさえなれたならば。

 

そうすれば―――あるいはこの苦悩の自責からも解放されるのではあるまいか。

 

 

そんな男の心の動きを察して、ジョゼフはニッコリと笑顔を浮かべる。

 

『サモン・サーヴァント』とは、術者に最もふさわしい者が呼び出されるという。

 

そのことを思い出し、ジョゼフはなるほどと頷いた。

 

 

悲嘆をもたらす罪の意識を求める虚無の王と、その罪によって自らを責め苛む裏切りの騎士。

 

この両者の巡り合わせは、まさしく出会うべくして出会ったものと言うべきだろう。

 

 

「騎士よ。そなたにこれを与えよう」

 

 

そう言ってジョゼフが男に差し出したのは、毒々しい色素の液体を入れた小瓶。

 

中に入る液体は、このハルケギニアにおいて人間らにとっての脅威の象徴たるエルフによって調合された水の秘薬だ。

 

精神に干渉するこの秘薬が、ちょうど今自分の手にあったという符号にも、ジョゼフは運命を感じずにはいられなかった。

 

 

「この薬を口にしたが最後、そなたの精神は狂乱の檻に囚われ、あらゆる自己は排除される。そして後は余に操られるだけの奴隷と化すであろう」

 

 

差し出す液体が破滅をもたらす物であると、ジョゼフはあっさりと明かす。

 

メイジの使う系統魔法とは異なる、先住魔法と呼ばれるエルフの技の産物たるそれは、一度口にすればもはやいかなる治癒も受け付けない絶対の呪いだ。

 

そのような自らを破滅させる代物と明かされて、差し出されたそれを大人しく受け取る者などいるはずもない。

 

 

だが、自らの在り様によって拭い切れぬ自責を負わされた男は、しばしの黙考の後それをしかと受け取った。

 

 

「構わない。今さら身を惜しむ気などありはしない。これを口にする事でこの無念を忘れられるならば、後の我が身は貴殿の好きにするがいい」

 

 

感情の伴わない淡々とした口調で、男は答えた。

 

これまでの短い会話だけでも、ジョゼフが礼節や誠実といった言葉からかけ離れた、狂気に彩られる人物である事は分かる。

 

そんな者の傀儡となるという事は、すなわちこれまで信奉し続けてきた気高き騎士道に真っ向より反抗するということだ。

 

 

だがそれでも、男は躊躇わない。

 

元より、その気高い在り方こそが男を苦しめてきた何よりの要因である。

 

その誇りからの堕落こそが男にとってのまぎれもない願いであり、ようやく見出した救いの道だ。

 

ならばこそ、この狂王の傀儡となる事に躊躇する理由などない。

 

彼が示すであろう道こそが、男の願望の成就に導く救済の手なのだから。

 

 

手にした秘薬を、男はぐっと喉に流し込む。

 

男には魔除けの指輪の加護による、魔術や呪いに対抗する抗魔力を有していた。

 

だがそれも、男に初めから抵抗する意志がなければ、その力が発揮されることはない。

 

秘薬の魔法は男の体内に容易に浸透していき、その存在のすべてを書き換えていく。

 

 

そうして、かつて『完璧なる騎士』と皆に称えられた騎士は消え失せ―――狂える『神の左手』、暗黒のガンダールブがハルケギニアの地に生誕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グラン・トロワの一番奥に位置する大部屋で、ジョゼフは部屋の中心に広げられた盤面に向かい合っている。

 

差し渡し十メイルにも及ぶだろうその巨大な盤面は、これまで彼が興じてきたチェスのものとは明らかに異なっている。

 

盤上に置かれる駒は、人の姿をした槍兵、弓兵、銃兵、騎士、竜騎士など、多種多様の種類がある。

 

更には軍艦を模したのだろう駒の姿も見え、それは明らかにチェスで使われる駒とは異なっていた。

 

 

これこそが、ジョゼフが自らの手で生み出した新しい遊びだ。

 

チェスのように単純な駒同士の進行の応酬とするのではなく、戦場ごとの戦いの勝敗をサイコロによって決定することで、結果に揺らぎを生じさせる。

 

さながら現実の戦いのように時の運気も含ませたこのゲームならば、チェスのようにやり飽きてしまうという事もないだろう。

 

 

―――否。このゲームは“現実の戦いのように“ではなく、まさしく現実の戦いに並列して行われるのだ。

 

 

「フン♪フフフフーン♪フンフフーン♪」

 

 

上機嫌に鼻歌を口ずさみながら、ジョゼフは駒を盤面の上に並べていく。

 

色分けされた盤上に、それぞれの色の駒が次々と並べられる。

 

駒が並べられている陣地は、現在のところは一番上に位置する大きな赤の陣地と、そのすぐ隣にある小さな緑の陣地。

 

そして海と思しき地形を挟んだ、ポツンとした小島のような黄色の陣地の三箇所だ。

 

下には広大な地を占有する青に陣地があるが、そこには今の所なんの駒も置かれていない。

 

そしてジョゼフも、駒を盤面に並べ終えた後は特に何もするでもなく、整えられた盤上を見下ろした。

 

 

「さて、いよいよ対局の始まりだ」

 

 

前座の場面は終わり、対局を彩る駒達はついに出揃った。

 

現在は戦力の充実した黄色の陣地に対し、赤と緑の陣地が同盟を結ぶことで牽制を謀っている。

 

そして青の陣地は今のところは静観の姿勢と保ち、それぞれの陣営を見守っている。

 

この盤上の配置は、まさしくこのハルケギニアの縮図の姿であった。

 

 

臣下や国民達より嘲られ、本人も自室の遊戯に興じてばかりと揶揄される『無能王』ジョゼフ。

 

その評判に間違いはなく、国事にもロクに携わろうとしないという事も確かな事実だ。

 

王としての価値を問うのならば、ジョゼフはまぎれもなく暗君と分類されるだろう。

 

 

だが彼は周囲が思っているような愚昧な無能者などでは断じてない。

 

無能などという侮蔑のレッテルに隠れ、その裏では誰よりもこのハルケギニアの事を見つめ、把握している。

 

彼が国事に関わらないのは表の話で、裏では数々の謀略にて人々を操り、ガリアのみならずこのハルケギニア全体さえも裏で操る鬼謀の持ち主。

 

そしてその謀略の数々のすべてを、自らの欲望のためだけに行使する狂気の王。

 

それが『無能王』ジョゼフという人物の実態だ。

 

 

「とはいえ、やはり色のみでの分け方というのは味気ないなぁ・・・。よし、今度国中の細工師達を集めさせ、この対局にふさわしい箱庭を作り上げるとしよう」

 

 

盤面を眺めながら、ジョゼフは上機嫌に独り言ちる。

 

その時、鈍子の陰より小男が現われて、ジョゼフに何かを耳打ちした。

 

 

「・・・何?ランベルト領に動きがある、だと?」

 

 

間者からの報告に、ジョゼフは不快そうに眉をひそめる。

 

ランベルト伯爵とはかねてよりオルレアン派として知られていた人物であり、あの先王崩御後の継承争いでも次男のオルレアン公を次の王にと推していた。

 

また有能さもジョゼフが王位に就いた今もなお、宮廷内での発言力を完全には失わないほどの知略も持ち合わせている。

 

あえて口にするような愚は犯していないが、現体制に対して不満を持っていることはほとんど明らかの人物である。

 

 

ランベルトの顔を思い浮かべ、ジョゼフはめずらしくその面に不愉快さを顕わとした。

 

例え疑わしくはあっても、尻尾を掴ませるような迂闊さはランベルトには無く、まさに違法と合法の境界線上で立ち回っている。

 

証拠もなく表だって討伐することは出来ないし、宮廷内でもそれなりの立場がある人物なので、暗殺などの強引な手段に訴える事も難しい。

 

今さら忠義の類などどうでもよいが、あまりないがしろにしすぎる事も出来ない。

 

このガリアの軍や民にはいざという時に自分側の駒として動いてもらわなければならないし、自分の意向を通すための手駒は必要だ。

 

そういう意味で、ランベルト伯爵はジョゼフにとって実に目触りな存在だった。

 

 

「全く、無粋な輩よな・・・」

 

 

間者の話では、あの伯爵はまた何かを企んでいるらしい。

 

さすがにいきなり革命までは考えていないだろうが、それでも自分らにとって愉快な話ではないことは確かだ。

 

今の時期に周囲をあまり引っ掻き回されるのは体制的にも、個人的にもよろしくない。

 

これからいよいよ世界を擬えたゲームが始まるというのに、まったくもって空気が読めない奴だ。

 

 

これまではそれなりに大人しくしていたので見逃してきたが、やはり禍根は早いうちに絶っておくべきだ。

 

あっさりとそう考えなおし、ジョゼフはパンパンと手を鳴らした。

 

 

「黒騎士。出てこい」

 

 

ジョゼフの呼びかけに応じ、室内の陰に掛った暗闇よりその身を暗黒に染め上げる騎士が現れる。

 

今の彼はジョゼフの使い魔として、ジョゼフの勅命にのみ動いている。

 

行う事はガリア騎士団の暗部、北花壇警護騎士団とほぼ同じようなものだったが、二つには決定的に違うものがある。

 

北花壇警護騎士団はガリア王家のために動くのに対し、黒騎士はあくまでジョゼフのためだけに動いている。

 

故に今回のランベルト伯爵のように、あくまでジョゼフ個人にとって忌々しい要因の排除の役割を、黒騎士は負っていた。

 

 

「黒騎士よ。命令だ。ランベルト領を消してこい。その場にて目に映るものはすべて破壊せよ。皆殺しだ」

 

 

ジョゼフの下したその命令を、黒騎士は一瞬も迷うことなく了承する。

 

命令の非道性も、この黒騎士にとっては何の意味も為さない。

 

今の彼には悪行を悔いる心も、自らを律する理性もない。

 

ただジョゼフの言葉によってのみ駆動し、本能のままに己が殺戮の武芸を振るう殺人兵器に過ぎないのだ。

 

 

ジョゼフの言葉に何一つ答えず、ただ無言の了承を以て黒騎士は部屋を後にしていく。

 

その後ろ姿を頼もしく見つめながら、ふとジョゼフの脳裏に過ぎる思いがあった。

 

 

(そういえば、名前を聞くのを忘れていたな)

 

 

懐く絶望にばかり目がいって、何においてもまずすべきであろう事を完全に失念していた。

 

そして今となっては、それはもはや尋ねる事の出来ない事柄である。

 

問いに答える黒騎士の理性は、他ならぬジョゼフ自身が与えた秘薬によって、すでに破壊された後なのだから。

 

 

「まあ、別によいか。名前など」

 

 

だがすぐに、ジョゼフは肩を竦めてあっさりと自らの失念を忘れる。

 

あの男の望みは、過去の自分の誇りと忠義との決別にある。

 

ならば自らの存在を表す名前など、真っ先に捨てるべき事柄だ。

 

 

あの男が何者で、どこから来たのか、ジョゼフは何一つ知らない。

 

知る必要もない。

 

あの男には他者の共感や期待など不要であり、あるべきはケダモノの如き殺戮の牙だけでよい。

 

それ以外のすべては、男にとっては単なる余計でしかないのだ。

 

 

ああ、やはりあの男こそが自分の傍らにふさわしい。

 

片や、かつての愛する者を手に掛けた罪により、嘆き震える心を失った男。

 

片や、かつての不忠の罪を責め続け、心をすり減らし摩耗させていった男。

 

共に自らが犯した業によって苦しめられ、破滅の中に救いの道を見出そうとしている。

 

これほどまでに似て非なる在り方を持った自分達に、今さら余計な情報など必要ない。

 

ただ肩を並べ、共に同じ道を歩むことのみで、自分たちの関係はすでに完成しているのだ。

 

 

「さあ、共に歩もう、黒騎士よ。俺の心が哀しみに痛むまで。お前の栄光が泥に塗れるまで。

 

あらゆる物を壊し、あらゆる民を殺し、この世のあらゆる美徳と価値に唾を吐きかけてやろう。すべての悪行をやり尽くし、取り返しのつかぬ事態に我が身を追い込んでやろう。

 

俺達の救いとは、きっとその畜生道の果てにある。さあ、破滅の道果ての救いを、共に掴もうではないかっ!!」

 

 

声高に叫ぶジョゼフの哄笑が轟く。

 

無言のままに歩む黒騎士の鎧の軋む音が鳴る。

 

静動分かたれる両者の奏でる音が二重奏となり、グラン・トロワの室内に響き渡った。

 

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