Zero and heroic king   作:river01

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王と悲恋の姫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜半、トリスタニアからラ・ロシェールを繋ぐ街道を、十騎の騎馬が走る。

 

夜の街道を疾駆する一団の先頭を走る騎馬の上には、騎手に抱かれてアンリエッタの姿がある。

 

そして彼女を抱く騎手は、アルビオンで死亡したはずのウェールズであった。

 

 

愛する男の腕に抱かれながら、アンリエッタは自身の行動を思い返す。

 

ゲルマニアとの婚礼の儀を近日に控える今、自分は一体何をしているのか。

 

 

最初に突然目の前にウェールズが現れた時は、何もかもが信じられない心地だった。

 

愛する彼の末路は、すでに信頼する友人の口から伝え聞かされている。

 

彼は遠き空の大陸、アルビオンの大地にて、裏切り者の手にかかり果てたのだ。

 

例えどれほど信じたくなくとも、それは厳然たる事実として、アンリエッタの前に突きつけられた。

 

 

だから突如として現れたウェールズに、当然ながら疑惑を持った。

 

偽物か、何かの罠か、そう考えて、安易に信じようなどとはしなかった。

 

 

だがいくつかの言葉を交わしていく内に、その声が、仕草が、二人だけの秘密の言葉が、すべて彼の物だと分かった。

 

彼の言葉のひとつひとつが自分を癒し、その声は自分の耳には澄んだハープの調べのように清く響く。

 

欠けていたものが満たされる感覚を覚えながら、不思議な安堵と心地よさに包まれた。

 

 

その心地よさの中で、アンリエッタは悟る。

 

ああ、この方は本物のウェールズ様なのだ。

 

自分を愛してくれる、自分を満たしてくれる人なのだ、と。

 

 

「僕はアルビオンを解放しなくてはならない。そのためにアンリエッタ、君を迎えに来たんだ。決起のために、もっと信頼できる人が欲しい。どうか、僕と一緒に来てくれ」

 

 

そう言われた時には、アンリエッタはもう躊躇わなかった。

 

目の前には愛する人がいて、その人は自分の助けを求めている。

 

一緒に来てほしいと言っている。

 

ならばその求めに応じなくて、どうして愛しているなどと言えるのか。

 

どうして、差しのべられたその手を振り払うことが出来るのか。

 

 

ウェールズの手を取り、アンリエッタは彼の示すままにトリステインの城より抜け出した。

 

その先で待っていたのは、十騎ほどの騎士装束の一団。

 

ウェールズより王党派の騎士たちだと紹介されたアンリエッタは、何の疑惑も懐かずにそれを信じた。

 

 

そしてその一行に連れられて、自分は今、ここにいる。

 

 

「不安に思うことはない。僕が言うとおりにしてくれていれば、何も心配することはないよ。君はただ僕を信じて、すべてを委ねてくれていればいい」

 

 

安心させるように微笑を浮かべて、ウェールズは手綱を握りながら囁き掛ける。

 

それに応えるように、アンリエッタも微笑みを浮かべて見せた。

 

 

ああ、この声を聞いているだけで、自分はこんなに安心できる。

 

今日まで懐いていたあの虚無感が、今はまるで何も無かったかのように消え失せている。

 

代わりにあるのは、王宮内の暮らしでは決して手に入る事の無い、得難き充実感。

 

このためならば、自分のすべてを捨ててしまっても構わないと思えるほどに。

 

 

大丈夫、心配することはない。

 

自分はなにも、悪事を働いているわけではないのだ。

 

この行為は、あくまでアルビオンの解放のため。

 

現在の脅威たるアルビオンが貴族派より解放されれば、トリステインの危機の回避に繋がる。

 

 

だから、不安に思うことはない。

 

この行動は正しいものなのだ。

 

自分は彼の言うとおりに、ただ彼を信じて身を委ねていればいい。

 

 

何も知らない童のように純心な笑顔を浮かべて、アンリエッタは自分を抱くウェールズの胸に身を寄せる。

 

愛する人の感触に、アンリエッタは心からの安息を感じていた。

 

 

―――触れる身体の、生者ならばあり得ない冷たさに気付かないフリをしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姫様が、行方不明ですって・・・?」

 

 

トリスタニアの王宮、魔法衛士隊の騎士よりの話を聞き、ルイズは反芻した。

 

タバサのシルフィードに乗ってやって来た王宮では、深夜だというのにわらわらと人が出入りし、普段ならばあり得ないほどに騒がしい。

 

その様子だけでも、王宮で何かが起きた事は確実だった。

 

 

「まさか、誘拐されたんじゃあ・・・」

 

 

「不明です。無論、その可能性も考慮し、現在魔法衛士隊を中心として捜索隊を編成しております。もう間もなく、本格的な捜索が行わるでしょう」

 

 

いかに公爵家の一員とはいえ、一介の学生に過ぎないルイズに、騎士は丁寧な敬語で対応する。

 

前に城を訪れた時、アンリエッタに直々に迎えられた事実が効いているのである。

 

恐らくルイズのことを、王女直属の女官か何かだと思っているのだろう。

 

 

「間もなく、ですって?何を呑気な!!もし本当に誘拐されていたとしたら、事態は一刻を争うのよ!!」

 

 

「心配せずとも、そのセンは薄いでしょう。どうか御安心を」

 

 

あまり危機感を感じさせない口調で、騎士は答えた。

 

時期を考えて、確かにアルビオンの手の者の仕業である可能性はある。

 

だが正直なところ、大多数の者はその可能性は低いものと考えていた。

 

 

誘拐だというにしては、今回の騒動はあまりに痕跡が少なすぎる。

 

王宮の奥深く、王女の私室より王女をかどわかしたならば、もっと痕跡があって然るべきだ。

 

侵入の形跡もないし、王女の私室にも争ったような跡は無い。

 

幾重もの探知魔法のかけられた王宮の警備の中で、ここまで一切痕跡を残さず誘拐するなど不可能だ。

 

それこそ、アンリエッタが自分から進んで誘拐犯に付いて行ったわけでもあるまいし。

 

 

それにアンリエッタが近日中にゲルマニア皇帝との婚礼を迎えることは、すでに周知の事実だ。

 

一応は祝福された婚儀であるが、親子ほども年の離れた両者の結婚が本人達の意志によるものではない事は、王家に少しでも近い者達の間では明白である。

 

また、不確定な情報ではあるが、一目を忍んで城を抜け出そうとしている王女らしき姿の目撃報告もあった。

 

 

自由を無くす姫君の、最後の我儘。

 

それが大方の者の共通見解であり、無論それはこの騎士とて例外ではなく―――。

 

 

「安心って、安心なんて出来るわけないでしょう!!もしアルビオンの手の者の仕業だとしたら、姫様は今頃―――」

 

 

「・・・ミス。なぜそれほどまで、誘拐を疑われるのです?何か根拠でも?」

 

 

だからこそ、騎士の立場からすればルイズの危機感こそが理解できなかった。

 

 

「いえ、その、根拠があるわけじゃ、ないんだけど・・・」

 

 

「ならば、後の事は我々にお任せを。どうか我々精鋭魔法衛士隊を信用ください」

 

 

ルイズが口ごもると、騎士はそうとだけ言って、会話を一方的に打ち切ってしまう。

 

王女直属の女官だと思っていても、やはり相手は小娘。

 

接し方には、どうしても相手に対する侮りが含まれていた。

 

 

「・・・分かったわ」

 

 

これ以上は話しても無駄だと判断し、大人しくルイズは引き下がる。

 

騎士より離れて、待たせていた他の面々、タバサ、キュルケ、そしてギルガメッシュの元へと戻った。

 

 

「やっぱりだったわ。姫様が行方不明だって」

 

 

真剣な面持ちで、ルイズは一行に騎士から聞いた状況を話す。

 

王宮の者は楽観視しているようだが、ルイズはこれがアルビオンの仕業だと確信していた。

 

水の精霊の話した『アンドバリ』の指輪の効果、語られた『クロムウェル』という名前、そしてキュルケが目撃したという今は亡きウェールズの姿。

 

事情を知る者ならば、この三つの符号が何を意味しているのかは明白だった。

 

 

だが逆に事情を知らない者ならば、どうしてそうなるのかという話になるだろう。

 

仮にこちらの知り得るすべての事情を提示して説明したとしても、相手がこちらを信頼してなければ何の意味もない。

 

小娘の、訳の分からない妄言と片づけられて終わりだろう。

 

事は一刻を争うというのに、相手が信じるまで懇切丁寧に説明している時間はない。

 

 

つまり、今この場で事態を何とかできるのは、ここにいる者達だけという事だ。

 

 

「お姫様をさらった連中がアルビオンの奴らだとすれば、向かうのはラ・ロシェールね。空の向こうのアルビオンまで辿り着ける船を扱えるのは、ここらじゃあそこくらいだし」

 

 

「急いで」

 

 

促すようにタバサは自身の使い魔である風竜に跨り、キュルケもその後に続く。

 

ルイズもまたそれに続こうとした時、それまで黙っていたギルガメッシュが唐突に尋ねてきた。

 

 

「・・・あの小娘の私室には、一切の争った痕跡が無かったそうだな」

 

 

「?ええ。寝間着も綺麗に片づけられて、外着が一式だけ無くなっていたそうよ」

 

 

「・・・ふむ」

 

 

顎に手をやり、ギルガメッシュは自己の思案を巡らす。

 

しばしの間そうしていてから、ギルガメッシュはもう一つ尋ねてきた。

 

 

「ルイズよ。『水のルビー』は今も所持しているか?」

 

 

「え?・・・ええ、持ってるわよ。姫様からいただいた大切な品だもの。いつだって肌身離さず持っているわ」

 

 

「そうか。では、これも持っておけ」

 

 

そう言ってギルガメッシュは、背後から取り出した一冊の本をルイズへと渡した。

 

 

「ちょっと、これって・・・!」

 

 

「くれてやる。我が蔵に収まるべきは物の原典のみ。その後に派生し、流転していった完成品は、俗世の民の手へと伝わるべきだからな」

 

 

ルイズは手渡された本を見る。

 

そして初見にて、新品の清潔さを保つその本が、『始祖の祈祷書』であることを理解する。

 

 

革の装丁はどこか明るい色素へと変えられ、本のサイズ自体も手に収まりやすいよう一回りほど小さくなっている。

 

白紙なのは相変わらずだが、迂闊に触れればそのまま破けてしまいそうだったページも、しっかりとした羊皮紙に変わっていた。

 

はっきり言って、元の古ぼけた祈祷書とは、似ても似つかない。

 

 

だが分かる。

 

これは本物の『始祖の祈祷書』だ。

 

理屈ではうまく説明できないのだが、もっと奥底の根源的な部分で、これがまぎれもない真作だと理解できる。

 

 

「所有権をお前へと移した。その祈祷書は、今やお前だけの“宝具”だ。お前が真に力を欲した時、それは求めに応じるだろう」

 

 

補足するようにギルガメッシュが告げてくる。

 

特にどうという事の無い口調で告げられた言葉だったが、なぜだがルイズにはその言葉に含まれる重要性が感じ取れた。

 

これは決して聞き逃してはならない、ギルガメッシュからの数少ない忠告なのだと。

 

 

「ちょっと、ルイズ、ダーリン、何してるのよ!!早くしないとまずいんでしょ!!」

 

 

風竜の上から、いつまでたっても搭乗しようとしない二人にキュルケが急かすように言った。

 

その言葉にハッとしてルイズは風竜の元へと駆けていき、ギルガメッシュもまたその後に悠然と続いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウェールズに連れられたアルビオンまでの道中、アンリエッタの頬に空より水の雫が落ちた。

 

見上げると、いつしか双月の光は黒い雲に覆われている。

 

雨雲より降り落ちる雨の雫は二滴、三滴と次第に増えていき、やがて豪雨となって一行に降りかかった。

 

 

雨という天候は、『水』のトライアングルメイジであるアンリエッタにとって決して気分の悪いものではない。

 

周囲のすべてが水素に満ちる雨の日は、水分を操る『水』系統のメイジに絶対的なアドバンテージを与える天候だ。

 

また属性に何らかの因果関係があるのか、精神的にも安定する日和でもある。

 

 

だが今宵のアンリエッタには、降り注ぐ雨の景色がなぜだか不吉に見えた。

 

普段ならば心地よく聞こえる雨音の弾きも、今は不気味な響きを伴ってアンリエッタの耳に入ってくる。

 

まるでこれからの自分の行く末を予知しているように思え、アンリエッタを不安にさせた。

 

 

「怖がらないで」

 

 

不安を募らせるアンリエッタに、ウェールズが声をかける。

 

彼は安心させるように微笑みかけると、短い呪文と共に杖を振るう。

 

すると二人の頭上に空気の膜が形成され、即興の風の傘が完成した。

 

 

「言っただろう。僕にすべてを委ねて、と。僕に任せてくれれば、君が案ずる事なんて一つも無い。もう僕達の間に、阻むものは何も無いんだからね」

 

 

周囲の雨音にも害されることなく響くウェールズの声は、アンリエッタの心に安堵をもたらす。

 

雨に対して懐いた不安も、その言葉一つであっさりと消え去った。

 

 

ああ、やはり、彼に付いて来たのは正しかった。

 

彼と共に居れば、こんなにも自分は安心できる。

 

自分はここに居るのだと、必要とされているのだと実感できる、

 

この至福を手放すくらいならば、王女としての地位や権威など容易く捨て去ってみせよう。

 

真に自分が生きている証は、この愛する王子の隣の場所にあるのだから。

 

 

「・・・むっ!」

 

 

唐突に、ウェールズが駆ける方向の後ろへと意識を向ける。

 

『水』のトライアングルメイジであるアンリエッタには、彼が気にするものが分からない。

 

しかし鋭敏な『風』のトライアングルメイジであるウェールズは、自分達へと近づいてくる追跡者の存在を正確に捉えていた。

 

 

追跡者に対応しようと、ウェールズは手綱を握っていた手を離し、代わりに杖を握る。

 

詠唱はすでに完了させ、いつでも魔法を発動可能なように待機させる。

 

だが今回の場合は、ウェールズよりも相手の方が一枚上手であったらしい。

 

相手より放たれてきた風の刃は、まさに疾風という形容がふさわしい高速を以てウェールズの反応さえも上回り、ウェールズとアンリエッタの騎乗する馬の脚を切り裂いた。

 

 

嘶きと共に、騎乗していた馬が突然足を折って倒れ込む。

 

転倒に巻き込まれる前にウェールズはアンリエッタを抱えて馬上より飛び出し、風を利用して体勢を立て直して地面へと降り立った。

 

 

「どうやら、追っ手が来たようだね」

 

 

アンリエッタを下ろしながら、ウェールズは自分達が辿って来た道へと振り返る。

 

その先には、複数の人間を乗せてこちらへと迫る風竜の姿がある。

 

 

見れば、先ほどの馬の転倒は、どうやら『風』の魔法の仕業にあったらしい。

 

倒れる馬を見てみると、それぞれの足が綺麗な切れ口で腱を切断されている。

 

こんな芸当が出来るのは、四属性の中でも『風』を置いて他にない。

 

この悪天候の中、あれほどの距離からここまで正確な風の刃を繰り出すとは、相手は相当な『風』の使い手なのだろう。

 

 

馬を失ったウェールズに合わせ、他の騎士たちも騎馬の足を止める。

 

ウェールズとアンリエッタと含めた12人の前に、風竜が舞い降りる。

 

 

そしてやって来た者達の中の一人の姿を見たとき、アンリエッタは愕然とした。

 

 

「姫様、ご無事ですかっ!!」

 

 

そこにいたのは、アンリエッタにとって幼馴染みであり、唯一の親友。

 

そして今となっては自分にとって信頼できる唯一人の貴族、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールであった。

 

 

「ルイズ・・・」

 

 

「・・・姫様。すぐにその者達から離れてください。その方はウェールズ様ではありません。『レコン・キスタ』の手によって偽りの生を与えられた人形です」

 

 

厳然たる事実が、ルイズの口より告げられる。

 

アンリエッタの隣にいる、生還したウェールズは偽物。

 

クロムウェルよりアンリエッタをかどわかすために遣わされた、偽りの命で動くリビングデッド。

 

アンリエッタが救いと信じて縋り付いた存在は、その実彼女を更なる奈落へと誘おうとする破滅の使者であったのだ。

 

 

「これはこれは、ミス・ヴァリエール。出会い頭から、随分と不躾な物言いだね。いかに我が国への親善大使であった君といえど、少々無礼だと思うが。

 

・・・ああ、そうか。どうやら、誤解を招いてしまったようだね。アルビオンの地で死んだのは、私の影武者さ。本物の私は、こうして生きている。

 

君に言わなかったのは悪かったとは思うが、敵を欺くにはまず味方からという格言もある。どうか、納得してもらいたいな」

 

 

「影武者、ですって?じゃあその時、本物のあなたは何をしていたのよ?」

 

 

「巡洋艦に乗って落ちのびたんだよ。すべてはアルビオンの再起のため、私は死ぬわけにはいかなかったからね。それからはずっとトリステインの森の中に隠れていて、機を見計らってアンリエッタに接触した。アルビオンの奪還には、彼女の力が―――」

 

 

「黙りなさい、偽物」

 

 

それ以上のウェールズの発言を許さず、ピシャリとルイズは言い放った。

 

 

「死ぬわけにはいかなかった?あの時、ニューカッスル城には、まだたくさんの民や臣下の人達が残っていたのよ。守るべき彼らを置き去りにして逃げ出すなんて行為、そんなのは名誉でも何でもない、ただの臆病だわ。あの勇敢なウェールズが、そんな恥知らずな真似を取るはずがない。

 

口を慎みなさい。水の精霊の口から、死者に偽りの生命を与える『アンドバリ』の指輪が、クロムウェルの手によって盗み出されたことはすでに裏が取れているの。これ以上あなたが発言することは、本物のウェールズ様に対する侮辱だわ」

 

 

実際に話したのは僅かな時間しか無かったけれど、それでもルイズの知るウェールズは勇敢で凛々しい人物だった。

 

明日の迫った死の運命にも怯まず、己の義務だと言いきった強い人だった。

 

そんな彼が、アルビオンのためなどと題目を付けて、守るべき臣民を平気で見捨てて逃げ出すなどするはずがない。

 

 

そう思うからこそ、ルイズには目の前のウェールズの姿をした者が我が物顔で語るのが我慢できなかった。

 

だがルイズの糾弾にも、アンリエッタの隣に立つ偽りのウェールズは涼しげな表情を崩さない。

 

それどころか逆に諭すような口調で、ルイズに対し言葉を返した。

 

 

「偽物、か。どうして君に、そんなことが言いきれるのかな?」

 

 

「え・・・?」

 

 

「確かに私は、あの時に一度死んだ。ワルド子爵の魔法に心の臓を貫かれてね。そして君の言うとおり、その後私はクロムウェルの手によって甦らせられた。私は知らないが、恐らく君の言う『アンドバリ』の指輪とやらによって。

 

そういう意味では、ああ確かにこの命は偽物なのだろう。クロムウェルの人形と化しているという事も、否定はしない。けれど、それでどうして、この私という存在のすべてを偽りなどと断ずることが出来るのかな?」

 

 

ウェールズがアンリエッタの肩を抱いて、その身体を抱き寄せる。

 

ルイズよりもアンリエッタに囁き掛けるようにして、そのまま言葉を続けた。

 

 

「確かに私のこの命は偽りかもしれない。けれど、私が懐くこの感情、アンリエッタを愛するこの心は、紛れもなく本物だよ。

 

死の間際、薄れゆく意識の中で私が最後に思ったことは、祖国アルビオンの事ではなく、私が愛するアンリエッタの事だった。彼女の事が忘れられず、我が魂は天に召されること無く、現世を彷徨い続けた。

 

そんな時さ。クロムウェルの呼び声を聞いたのは。彼によって彷徨っていた私の魂は再び肉を得て、一個の生命として大地に足を下ろした。

 

そう、例え生命としては偽物でも、私のこの魂はウェールズ・テューダー以外の何者でもないのだよ」

 

 

「それこそあり得ないわ!!あなたが本物のウェールズ様の心を持っているのなら、どうしてクロムウェルの傀儡になって姫様に害を為そうとしているの!!」

 

 

「心外だな。私の行動が、アンリエッタに害を加えるだって?」

 

 

ウェールズの腕が、アンリエッタの身体に絡み付く。

 

死者特有の温かさの無い冷たい腕は、しかしアンリエッタにだけは心を蕩けさせる情愛の熱に溢れているように感じた。

 

 

「確かにクロムウェルに従うことは屈辱だよ。彼は我がアルビオン王家を滅ぼした張本人。我が一族の仇だからね。けれど、私にはそんな復讐などよりも、はるかに尊く大切な思いがある」

 

 

抱きしめるアンリエッタの耳元に、ウェールズは口を近付ける。

 

言葉の続きを、アンリエッタにそっと囁き掛ける。

 

 

「君だよ、アンリエッタ」

 

 

それを聞いた瞬間、アンリエッタの表情に生の活力が満ち溢れた。

 

 

「残された君の事だけを案じて、僕はこの世に戻って来た。僕の未練はアルビオンではなく、アンリエッタ、君だけだ。例え国の仇にも、君と共にいるためならば僕は喜んで頭を下げよう。

 

愛している、アンリエッタ。あの時には誓えなかった永遠の愛を、今こそ誓おう。すべてを捨てて、僕の側にいてくれ。僕達の愛のために」

 

 

「騙されては駄目!!それは本物のウェールズ様の言葉じゃない。姫様を惑わそうとする、偽物の諫言です!!」

 

 

最愛の男と親友の少女の二つの声が、同時にアンリエッタの耳に届く。

 

愛と友情、どちらの絆もアンリエッタにとって掛け替えのないものだ。

 

だが二人の声は、そのどちらかを選びとることをアンリエッタに要求してくる。

 

それは同時に、どちらかの絆を切り捨てるということを意味していた。

 

 

愛を取るか、友情を取るか。

 

葛藤が、アンリエッタの中で渦巻く。

 

しかし葛藤の時間は思いの他短く、アンリエッタはすぐに選択の答えを出した。

 

 

「姫様!?」

 

 

自身の魔法の杖をルイズに突きつけるという、明確な態度によって。

 

 

「・・・ルイズ・フランソワーズ。王女として、あなたに命じます。どうかこのまま、私たちを行かせて。何を言わず、道を譲って」

 

 

「何を言ってるの、姫様!!それはウェールズ様じゃない。外見だけが似ているだけの、全く別の物なんです」

 

 

「・・・ええ、そうかもしれないわね」

 

 

渇いた口調で、アンリエッタは言う。

 

その表情が浮かべている静かな笑みは、どこか壊れた狂気を湛えていた。

 

 

「でもね、ルイズ。このウェールズ様は、私のことを愛してると言ってくださるのよ。ウェールズ様の顔で。ウェールズ様の声で。ウェールズ様の仕草で」

 

 

「姫様・・・?」

 

 

アンリエッタを見るルイズの目に、怪訝そうな色が浮かぶ。

 

それからアンリエッタは、関を切ったかのように言葉を捲し立て始めた。

 

 

「私を必要だと言ってくださるの。私だけを見ると言ってくださるの。私のことを、離さないと言ってくださるのよっ!!ウェールズ様のお姿で、手で、唇で、私を抱きしめてくださるの!!私にキスをしてくださるの!!」

 

 

「それは・・・すべて偽物なんです。姫様、どうか目を覚まして。それはただウェールズ様の形骸を取り繕っているだけの、ウェールズ様のまやかしなんで―――」

 

 

「偽物だって、構わないっ!!」

 

 

喉奥より引き絞るような金切り声で、アンリエッタは叫んだ。

 

 

「例え外見だけでも、彼は私のよく知るウェールズ様その人だわ。それが偽りの命でも、彼の存在が私にとってどれだけの救いとなるか。

 

ルイズ、あなたはきっと、本当の恋というものをしたことが無いのね。愛という感情はね、本人にさえ御しきれない感情なのよ。愛する人と添い遂げるためならば、世界のすべてさえ投げ出していいと思えるほどに。

 

―――もう彼しかいないのよ、ルイズ。王の道を選ぶことも出来ず、道具としてでしか己の価値を表せない私には、彼以外に満たしてくれるものがない。今にも壊れてしまいそうなこの心を支えてくれるのは、彼との愛しかないのよっ!!」

 

 

それはアンリエッタの、心からの吐露だった。

 

 

愛していた、本当に愛していたウェールズの死は、アンリエッタの心を無残にも張り裂けさせた。

 

嘆きの絶望が彼女を侵し、失意の念が彼女から生きる気力を失わせる。

 

無気力な人形のようになったアンリエッタは、ただ周りに言われるがままに、道具として使われる道を選んだ。

 

 

もしアンリエッタに他に支えとなるものがあれば、それを頼りに縋り付いて生きることも出来ただろう。

 

彼女が生まれながらに有していた王女という名の権威。

 

その責務を全うすることこそ王族たる自分の本懐だと自らに言い聞かせて、溢れる嘆きの念から目を背けることも出来たはずだ。

 

ルイズより『風のルビー』を託されたあの時、ウェールズの死を乗り越えてその道を選ぶ道も、アンリエッタには存在していた。

 

 

だが、その選択を手にする事は、あの時のアンリエッタには出来なかった。

 

何も知らない、自分の矛盾にさえ気付かない頃のアンリエッタであったなら、それも可能だっただろう。

 

だが、自己の矛盾を露呈され、己の存在の脆弱さを突き付けられた彼女には、自らを奮い立たせて勇敢に生きるなど出来るはずがない。

 

自身の足場の脆さに気付きながら、どうして立ち上がることが出来るのか。

 

 

なまじ知ってしまうから、人は歩くことが出来なくなる。

 

例え昨日までは何の憂いもなく歩いていた道であったとしても、実はそこに毒蛇が潜んでいると知れば、これまで通りに歩くことなど出来はしない。

 

アンリエッタにとって王女という道は、生まれてからずっと歩み続けてきた人生そのものだ。

 

自身ではどれほど嫌っていても、結局のところアンリエッタの人生とはそこを基点として成り立っている。

 

王族としての価値とは、アンリエッタにとって自身の生きたすべての歳月をかけて積み上げてきたものなのだ。

 

 

それを否定された。

 

全く無価値なものなのだと、はっきりと告げられた。

 

それは同時に、彼女の十数年の人生のすべてを無価値と断じられるに等しい行為。

 

 

その瞬間、アンリエッタは崩れた。

 

基点が崩壊すれば、連鎖して他の部分も崩壊していく。

 

アンリエッタという人間の生は、たったひとつの価値観の崩壊と共に、そのすべてを無様なものへと貶められた。

 

 

踏み下ろすべき足場さえも曖昧で、頼るべき支えもない。

 

嘆きを埋める拠り所もなければ、奮い立たせる信念もありはしない。

 

そんな彼女に、一体どうしてウェールズの言葉を撥ね退ける事が出来るのか。

 

 

彼は自分を愛していると言ってくれる。

 

彼は自分を必要としてくれる。

 

それは自らの生の価値を喪失したアンリエッタにとって、抗し難い魅力を放っている。

 

その言葉はすなわち、アンリエッタに価値を認めるということ。

 

例え偽りであろうと、それはアンリエッタにとって自己存在の容認であり、確かな救いなのだ。

 

 

だから、信じると決めた。

 

信じ込もうと決めた。

 

考えることを放棄し、自分を必要としてくれるこの人に付いて行くと決めたのだ。

 

それ以外に自分という人間が生きていける道など、無いのだから。

 

 

「だから、お願い、ルイズ。王女として、そして親友として、あなたにお願いするわ。どうかこのまま、私を行かせて」

 

 

「姫・・・様・・・」

 

 

悲嘆と慈愛、諦観と狂気を混在させて訴えるアンリエッタの顔に、ルイズはそれ以上なにも言えなかった。

 

そこにあるのは、恐らくこの世界で誰よりも弱い少女の姿。

 

その辛く、悲しく、あまりにも弱々しい姿に、ルイズは諦めと共に悟る。

 

 

ああ―――この人は、もう駄目なんだ。

 

 

アンリエッタにはもう、ウェールズに付いて行く道以外に救いがない。

 

仮にトリステインに残っても、待っているのは国のための道具として、愛してもいない男の元へと嫁ぐ用途。

 

彼女が国の道具としてではなく、アンリエッタ・ド・トリステインでいられる唯一の場所は、愛するウェールズの隣だけなのだ。

 

―――例えそれが、偽物の盲目であると分かっていても。

 

 

ならばここで彼女の前に立ち塞がることは、果たして正しい事なのか。

 

道具としての灰色の生を強いるよりも、せめて彼女の意思を尊重出来る道を選ばせる方がよいのではないか。

 

臣下としてではなく、幼い頃を共に過ごした親友として、そうすることが本当の友情と言えるのではないか。

 

 

縋るように訴えるアンリエッタの姿に、ルイズの中で少しずつそんな考えが進行していった頃―――

 

 

「プッ、クッ、クックック・・・」

 

 

下種じみた響きで漏れる嘲笑が、場の者達の耳に届く。

 

漏れ出るようだった嘲笑はやがて哄笑となり、雨音も打ち消してその場に轟いた。

 

 

「クッハッハッハッハ、アーハッハッハッハッハッハ!!なんだそれは!?なんなのだそれは!?黙って傍観しておれば、これは一体何の喜劇なのだ?貴様は一体何度我を笑わせれば気が済むのだっ!?」

 

 

張り詰めて深淵であった周囲の雰囲気など構う事無く、一切の遠慮なしに高らかにギルガメッシュは言い放つ。

 

その余りの空気を無視した発言に、アンリエッタは呆然となり―――そして余りの不快さにその面貌を醜く歪ませた。

 

 

「なにが・・・おかしいの・・・?」

 

 

押し殺すような声で、アンリエッタは詰問する。

 

その声はこれまでのルイズの会話とは明らかに質が異なっていたが、構うことなくギルガメッシュは答えた。

 

 

「貴様こそ、自分で言っていておかしくはないのか?亡者相手に愛だの支えだのと、己のほざく支離滅裂の妄言に、まるで思慮が行き届かんと?

 

アハハハハッ、大した蒙昧、大した愚鈍、その愚かしさ、もはや阿呆を通り越して尊くさえある。認めよう、アンリエッタ・ド・トリステイン。貴様は、生粋の道化者だ!!」

 

 

もはや辛抱たまらないとばかりに、大仰に腹を抱えてギルガメッシュは嗤う。

 

豪雨の夜で高らかに響くその嗤い声は、アンリエッタの心をどうしようもなくかき乱し歪ませる。

 

 

そう、笑いではなく、嗤い。

 

その響きには相手を嘲り、侮蔑し、軽んじ、見下す、あらゆる侮辱が込められている。

 

それはいかなる言葉にも勝り、相手に最大の屈辱を与える行為だった。

 

 

そして今のアンリエッタにとってその行為は、断じて許せるものではない。

 

確かに他人から見れば、自分の行動は馬鹿げていると思われても仕方がないのだろう。

 

だがそれでも、これは自分が思い悩んだ末に出した決断なのだ。

 

情愛と義務、両者の板挟みに苦しんで、どうしようもなくなりながらも導き出した答えなのだ。

 

例え他人が何と言おうが、自分にとってこれは限りなく尊い決意だと信じている。

 

 

それを嗤われた。

 

反論ではなく、ただくだらないと断じられ、蔑み物として嘲笑されたのだ。

 

それは、アンリエッタがどうしようもなくなった中で、ようやく出した決断のすべてを否定するに等しい所業。

 

 

そんなことは―――例え相手が神でも許せはしない。

 

 

「嗤わ、ないで・・・」

 

 

悔しげに歯噛みしながら、アンリエッタは声を絞り出す。

 

だが哄笑は止まらない。

 

こちらの声も一切気に掛ける事無く、ただ己の快楽のみを表す醜悪な嗤い声は収まる事を知らずに耳に響き続ける。

 

豪雨の雨音の中でも透きとおり響いて轟くその嗤いは、世界の何よりも耳触りな音だった。

 

 

その声が、かつて自分の王族としての価値を否定した。

 

そして今もなお、苦渋の中で決断した自分の選択を、単なる愚行と嘲笑っている。

 

それは、アンリエッタ・ド・トリステインという人間の全てを愚かと罵る忌々しい騒音。

 

その騒音に、ついにアンリエッタの理性の線が限界を超えた。

 

 

「―――嗤うなぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

憤怒の絶叫と共に、アンリエッタは魔法を放った。

 

雨の天候による周囲の水素の増加、そして爆発したアンリエッタの怒りによって、その魔法の威力は常時の彼女のそれをはるかに上回る。

 

凝縮された水の弾丸が、いまだ哄笑を上げているギルガメッシュへと迫った。

 

 

接触の瞬間、人一人程度ならば容易く圧殺する水圧の弾丸を、ギルガメッシュは背後よりデルフリンガーを抜き放ち弾く。

 

デルフリンガーの刃に吸収された水の弾丸は打ち消されたが、代わりに水弾はギルガメッシュの哄笑も打ち消した。

 

 

杖を構えながら、アンリエッタは眼前に立つギルガメッシュを睨みつける。

 

その表情には、先ほどまでの不安定さは微塵も見受けられない。

 

たったひとつの感情の激流が、彼女からあらゆる迷いを排除してくれていた。

 

 

それは、心底より溢れださんばかりの勢いで吹き荒れる憎悪の感情。

 

眼前の男が放つ数々の暴言、自分を罵倒する仕草のすべてが、彼女にかつてない怒りの念を湧きあがらせる。

 

憤怒は殺意となり、殺意は鋭利な魔法の刃となって、ギルガメッシュへと向けられていた。

 

 

そう、そもそもの発端はこの男なのだ。

 

この男があんな事さえ言わなければ、自分はここまで追いつめられることは無かった。

 

知りさえしなければ、自分はこれまで通りに王族の地位に縋り、それを頼りに生きることも出来ただろう。

 

 

それを、何の関係もないくせに、遊び半分に暴露して、嘲笑って、弄んで。

 

自分の支えを壊して、そして今もなお嗤いものとする度し難い男。

 

例え他の何を許しても、自分の存在を否定し嘲笑したこの男だけは、断じて許してはいけない。

 

生涯で初めて沸いた純粋な殺意を胸に、沸き上がる憤怒の源泉たる思いを、アンリエッタは心中にて慟哭した。

 

 

この男が余計な事さえ言わなければ―――私は無知なままでいられたんだっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明確な敵意が込められたアンリエッタの睨みを受け止めながら、ギルガメッシュはデルフリンガーの刃を下げる。

 

そこで、自身の頬に何かの違和感を覚え、目線だけをそちらに向ける。

 

そこには、浅く小さい一筋の傷ができていた。

 

微塵の迷いもない鋭利な殺意の一撃は、デルフリンガーの防御をも突破してギルガメッシュに浅いながらも傷を残していたのだ。

 

 

「フン。ただの道化かと思ったが、まったく見所が無いというわけでもなさそうだな」

 

 

付けられた傷を見ながら、苦笑まじりにギルガメッシュは呟く。

 

だがその笑みも、すぐに冷酷なる殺意の表情へと入れ替わった。

 

 

「だが、躾がなっておらんな。―――これは、ちと仕置きが必要か」

 

 

冷然たる宣告と共に、ギルガメッシュの背後より無数の宝具達が面を上げる。

 

それに応じて、これまで後方で控えていた他の九の騎士達が一斉に動き出す。

 

ウェールズとアンリエッタの二人を守るように前に出て、ギルガメッシュと向かい合う。

 

 

先を制したのは騎士達だった。

 

統制の取れた動きで、各々が呪文を唱えて魔法を放つ。

 

それらの魔法は天候に合わせてか『水』の系統のものが多い。

 

周囲の水素を改変させて生み出された、水の弾丸が、氷の矢が、相対する敵を貫かんと直進する。

 

 

だがそれらの攻撃は、パチンッと打ち鳴らされる指の音と同時に、そのすべてが無へと帰した。

 

 

開放される宝具群。

 

一斉掃射された宝具の雨は騎士達の魔法を一瞬の抵抗さえ許すことなく吹き飛ばし、それを放った騎士達を粉砕した。

 

 

かつては王党派の勇士として生きた彼らも、今は『アンドバリ』の力で操られるリビングデッドだ。

 

すでに死を通り過ぎてきた彼らは、剣や矢などといった武器では打倒出来ない。

 

剣で斬られようが、矢で射抜かれようが、通常の生体機能が停止した彼らには何の支障もない。

 

 

だがそれにも、限度というものがある。

 

不死なる死人の肉体も、原型を留めないほど粉々に破壊されてはどうにもならない。

 

放たれた宝具は騎士達が居た空間を爆砕し、その場のすべてを灰塵と化した。

 

護衛の騎士達が一瞬で全滅し、ウェールズの顔に動揺が走る。

 

ギルガメッシュは容赦なく、残された標的へと宝具の矛先を向け―――

 

 

「やめてっ!!」

 

 

身体に組みついてきたルイズによって、それを止められた。

 

 

「アンタの宝具ってやつじゃあ、姫様まで一緒に吹き飛ばしちゃう!!」

 

 

腕にしがみ付いて叫ぶルイズに、ギルガメッシュは忌々しげに舌打ちする。

 

その隙を見逃すことなく、ウェールズとアンリエッタは素早く逆襲の呪文を唱え始めた。

 

 

ウェールズの詠唱と、アンリエッタの詠唱が重ね合わされる。

 

生者と死者の隔たりはあれど、元は一つであった王家の血と、愛の絆によって結ばれた二人の呪文は、共鳴し合い一つの魔法となって顕現する。

 

それは、ウェールズの三つの『風』と、アンリエッタの三つの『水』、それぞれのトライアングルが集約し、六乗の力になって紡がれる大儀礼。

 

個人の術者では決して到達し得ぬ、王家の血族にのみ許された六芒星を描かせるヘクサゴン・スペル。

 

降り注ぐ雨水のすべてを吸収して出現した津波の如き水の竜巻は、アンリエッタが杖を振り下ろすと同時にギルガメッシュへと牙を剥いた。

 

 

眼前の巨大な水の竜巻に、さすがのギルガメッシュも警戒を面に出す。

 

周囲の水素をむさぼり荒れ狂う水流の暴風は、あたかもアンリエッタの懐く憎悪の強さをはっきりと表しているようだ。

 

アンリエッタの憎悪が込められた極大魔法に対し、ギルガメッシュは自身の宝物庫より盾の宝具を展開させて目の前の竜巻をくい止める。

 

 

アンリエッタの竜巻と、ギルガメッシュの盾が、両者の間の空間で激突した。

 

 

「ほう。雑種の小技とばかり侮っていたが、この世界の魔術もなかなかに捨てた物ではないな。この盾には、城塞に匹敵する防御が備わっているはずなのだが」

 

 

竜巻の進行を食い止めつつも、ギシギシと軋みを上げている自身の宝具を見ながら、感嘆したようにギルガメッシュは言った。

 

一応は食い止めてはいるが、あの様子では盾もそう長くは保たないだろう。

 

よもや宝具にも対抗し得る魔法があるとは思わず、いささか侮ったかと、ギルガメッシュは己が認識を改めた。

 

 

「ちょ、ちょっと、何だかヤバそうじゃない!!どうするのよ?」

 

 

軋みを上げて今にも粉砕されてしまいそうな盾に、ルイズが慌てた様子でギルガメッシュに尋ねる。

 

今は盾によってくい止められている、二人の王族の連携により実現したヘクサゴン・スペルの巨大な水の竜巻。

 

だがあの様子では、盾の守りを突破してこちらを飲み込むのも時間の問題だろう。

 

あんな竜巻に飲み込まれては、人間の身体など一瞬にしてバラバラになってしまう。

 

 

その事実を理解しながら、しかしギルガメッシュは多少の警戒はあれど、さして動じる様子もなかった。

 

 

「どうする?なぜ我にそのような事を聞く?」

 

 

「え・・・?なぜって、それは・・・」

 

 

「つい先ほど、お前はこの我の攻撃を妨げた。その結果がこれなのだ。ならばお前に、我に助けを求める資格があると思うのか?」

 

 

「なっ!?そ、そんなの―――」

 

 

「そもそもだ。我はあの小娘の事など、さして気に掛けておらん。多少は見所を示したようだが、わざわざ我自らが手を煩わせるほどではない。

 

最初から、やつを救わんとしていたのはお前だろうが。ならば最後まで、その行動を貫いて見せよ」

 

 

そう言われて、ルイズはハッとする。

 

そう、アンリエッタに、トリステイン王家に忠誠を誓う者は、この場においては自分以外にいない。

 

キュルケはゲルマニア、タバサはガリア、そしてギルガメッシュに至ってはハルケギニアの者ですらない。

 

ならばトリステインため、アンリエッタのために命をかけて行動するのは他ならぬ自分であるべきだ。

 

 

だが理屈でそう思った所で、現実問題としてルイズには目の前の竜巻を破る手段がない。

 

自分に起こせる爆発で、あの巨大な竜巻に対して何が出来るというのか。

 

メイジの到達できる限界を超えた六乗のヘクサゴン・スペルに対抗できる者など、それこそギルガメッシュ以外に誰も―――

 

 

(え・・・!)

 

 

その時、ルイズの中で、唐突に違和感が生じた。

 

何かが噛み合わない。

 

自分の思考、自分が考えて出した結論に対し、別領域に在るもう一人の自分が異議を唱えてくる。

 

 

(対抗出来ない?本当にそうなの?)

 

 

自分に出来る事と言えば、あの失敗魔法の爆発のみ。

 

破壊力はそれなりではあるが、とても目の前の竜巻に対抗できるほどではない。

 

仮に以前のフーケ戦での過去最強の威力を引き出せたとしても、やはりあの竜巻は打倒できまい。

 

 

―――ならば、自分が対抗できる手段とは、過去に経験してきた力ではなく、新たに手にした未知の力ではないのか。

 

 

(!祈祷書が!?)

 

 

思考がその結論に辿り着いた瞬間、『始祖の祈祷書』が鼓動する。

 

まるで来たるべき時を所有者たる主に知らせるように、己の存在をルイズへと訴えかける。

 

鼓動に反応してルイズが目を向けると、書のページの間から光が漏れ出ていた。

 

 

ページを開く。

 

何も書かれていなかったはずのページには、今は古代のルーン文字が描かれていた。

 

その文字を一目見た瞬間、ルイズは直感する。

 

これは、自分のために存在する魔法の呪文であるのだと。

 

 

顔を上げ、ルイズは再び迫りくる竜巻へと目を向ける。

 

大気の全ての水を巻き込み、ギルガメッシュの宝具すら突破せんとする、巨大な水の暴流。

 

先ほどまでは恐怖しか沸かなかったその光景も、今ならば全く恐れるに値しない。

 

 

自分はあれを打ち破れる。

 

根拠など何も無いが、しかしその確信がルイズにはあった。

 

 

「ウル・スリサーズ・アンスーン・ケン・・・」

 

 

祈祷書に浮かびあがったルーンの呪文を、ルイズは詠唱する。

 

わざわざ書に目を落とす必要はない。

 

手にするだけで、そこに記された呪文の言葉は、自然とルイズの頭の中に現われていた。

 

 

「ギョーフゥー・ニィド・ナウシズ・・・」

 

 

淀みない呪文に触発され、ルイズの中の魔力がうねる。

 

その感覚に確かな手応えを感じながら、ルイズは更に呪文を続ける。

 

この魔法が解き放たれた時、目の前の水の竜巻は無へと帰するだろう。

 

 

「エイワズ・ヤラ・・・」

 

 

いよいよ呪文の終局に差し掛かる。

 

この魔法が発動すれば、迫る水の竜巻を無効化する事が出来る。

 

そうすればもう、自分達を阻むものは何も無くなるのだ。

 

そして、その後は―――

 

 

(その後は―――どうするの?)

 

 

その時、高揚していたルイズの心に、在ってはならない不純物が混じり込んだ。

 

 

(この竜巻を打ち消して、それでその後はどうすればいいの?)

 

 

忘れたわけではない。

 

今のアンリエッタにとって、ウェールズだけが唯一の心の支えだ。

 

それを奪い去ることが、二度も愛する人を殺されることが、いかにアンリエッタを傷付けることになるか。

 

例え偽物と分かっていようと、このまま盲目的にウェールズに付いて行く事の方が、どれほど救いとなるか。

 

自分とて先ほどそう思ったからこそ、諦めと共に彼女らに道を譲ろうとしたのではないのか。

 

 

ならば、今自分がやろうとしていることは―――

 

 

(この竜巻を打ち破って、私はウェールズ様を殺すの?この手で?)

 

 

そう、それ以外にない。

 

自分がこの場で出来ることなど、それ以外に無い。

 

それ以外に、アンリエッタ達を止める方法など在りはしないだろう。

 

 

だがそうすれば、アンリエッタはどうなるのか。

 

例え偽りの人形といえど、ウェールズはアンリエッタにとって唯一の支えだ。

 

それを奪い取って、それでアンリエッタは無事にいられるだろうか。

 

 

―――ひょっとすれば、そのためにアンリエッタが壊れてしまうかもしれない。

 

 

(けど、ここで姫様を行かせたら、姫様はアルビオンの手に―――)

 

 

二つの考えの板挟みとなって、ルイズは迷う。

 

だが時間はそんなルイズの迷いにも構う事なく、残酷なほどに過ぎ去っていく。

 

 

そして、呪文が完成した。

 

 

「ユル・エオー・イース!!」

 

 

渾身の力を込めて、ルイズは杖を振るう。

 

身体中を駆け巡る魔力の流れに呼応して、ルイズの意志を体現する未知なる魔法が現実に顕現し―――

 

 

「・・・あれ?」

 

 

顕現は―――しなかった。

 

 

何も起こらない。

 

いつもの爆発さえない。

 

先ほどまであった確かな手応えもいつの間にか霧散し、あるのは精神力の消費を示す空虚な徒労感のみ。

 

 

それがルイズの為したすべてだった。

 

 

「何で・・・?」

 

 

気の抜けた声で呟き、ルイズは力無く膝を落とす。

 

眼前には、未だ勢いを微塵も落とす事なく迫る巨大な水の竜巻。

 

その光景を、ルイズは覇気の無い眼差しで見つめるしか出来なかった。

 

 

「・・・もういい。つまらん」

 

 

そんなルイズの耳に、明らかな失望の念を滲ませたギルガメッシュの声が届いた。

 

 

「とんだ茶番だ。もはや見る価値もない。早々に幕を降ろすがいい」

 

 

パチリと、ギルガメッシュの指が鳴る。

 

その合図に呼応し、開かれた黄金郷の門より、一本の赤い槍が引き出される。

 

招き寄せた魔槍を手にし、何気ない動作でそれを構えると、眼前の竜巻に向けて投擲した。

 

 

投擲された赤の槍は、荒れ狂う水の流れを物ともせず、竜巻の中を直進する。

 

『因果逆転』の概念の付与された魔槍の軌跡は、例えいかなる障害が立ち塞がろうと標的を見失うことはない。

 

その槍が投擲された瞬間には、すでに相手に命中したという『結果』が完成し、後の過程はそれを実現するためだけのものとなる。

 

ギルガメッシュの手を離れた魔槍は、すでに為された『結果』に従い、竜巻を突破してその先の対象―――ウェールズの心臓を過たず貫いた。

 

 

「がはっ!」

 

 

魔槍に貫かれて、ウェールズが崩れ落ちる。

 

その光景をアンリエッタは愕然と見降ろし、そして絶叫した。

 

 

「イヤアァァァァァァァッッッ!!!ウェールズ様ぁぁぁっ!!」

 

 

アンリエッタの悲鳴と共に、迫っていた水の竜巻は力を喪失して崩壊する。

 

崩れた竜巻の先には、愛する男を抱いて嘆く一人の少女の姿だけがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静寂が、場を包んでいた。

 

あれほどの豪雨だった雨も今はすっかり止み、雨雲が消えた後の夜空には憂い無き双月の輝きがある。

 

雨後のひんやりとした空気に包まれながら、ルイズ達はアンリエッタを囲うようにして立ち尽くしていた。

 

 

動かぬウェールズを抱きながら座り込むアンリエッタの姿は、まるで糸の切れた人形のよう。

 

身動き一つすることなく、表情からは覇気が喪失し、その瞳には光がない。

 

生体機能は維持していても、そこには生の活力と呼べるものが何一つとして存在していなかった。

 

 

そんなアンリエッタに、ルイズ達は誰も声をかけることができない。

 

彼女達は、まだ幼い少女だ。

 

他者の絶望を理解し、それを救済するには、経験も年月もあまりに足りない。

 

何かしたくても、何と声をかけていいのか、分からない。

 

世界のすべての支えを失い、世の無情に打ちのめされたこの少女に対し、どんな慰めをかけるべきなのか。

 

 

そして唯一、それが分かりそうな人物は、すでにこの場にはいなかった。

 

 

「姫様・・・」

 

 

苦渋に顔を歪ませて、ルイズは唇を噛んだ。

 

胸にあるのは、自らに対する自責の感情。

 

主君であり、同時に親友であるアンリエッタが目の前で苦しんでいるというというのに、自分には何も出来ない。

 

その事実が、ルイズには何より腹立たしかった。

 

 

「アンリ・・・エッタ・・・」

 

 

だが、もはやここに救いは無いと思われたその時、あり得ないはずの奇跡が起きた。

 

 

「・・・アンリエッタ。君なのか?」

 

 

「ウェールズ様?おお、ウェールズ様・・・!」

 

 

二度と開かれるはずのないウェールズの瞳が、再び開かれる。

 

その事実に、アンリエッタの表情に歓喜が生まれた。

 

 

ギルガメッシュの放った魔槍は、確実にウェールズの心臓を捉えていた。

 

その身にかけられていた『アンドバリ』の魔力も、魔槍に込められた膨大過ぎる魔力が直接押し流してしまっている。

 

偽りの生命を失い、心臓を貫かれたウェールズが、再び息を吹き返すなど本来あり得ない。

 

だが考えてみれば、貫かれた心臓はすでにワルドによって破壊されている。

 

元より破壊されている箇所を貫かれたとて、さしたる効果もあるまい。

 

それに一度死した身の上ならば、多少の生体の異常はあり得るのかもしれない。

 

あるいは『アンドバリ』の魔力を打ち消した魔槍の魔力が、死に逝く魂に何らかの不条理をもたらしたのか。

 

 

真実は分からない。

 

元より奇跡に理屈を付けるほうが無粋というもの。

 

ただ確かな事は、今度こそ、正真正銘、本物のウェールズが黄泉の国より甦ったのだ。

 

 

だがその奇跡とは、得てして儚く淡いもの。

 

ウェールズの復活は、偶然と不条理が折り重なって出来た、一時の夢に過ぎない。

 

再びウェールズに宿った命の灯は、またすぐに消えて尽きるだろう。

 

その事実を、他でもないウェールズが理解していた。

 

 

「君と出会った、ラグドリアン湖に行きたい。そこで君に約束してほしいことがあるんだ」

 

 

手にした僅かな時間を使い、ウェールズはそう申し出た。

 

その願いを聞き届け、ルイズ達はアンリエッタと共にウェールズの身体をタバサのシルフィードの上へと乗せる。

 

跨るウェールズをアンリエッタが支えながら、シルフィードはラグドリアン湖に向けて飛翔した。

 

 

視界より夜の空の中に消えていくシルフィードを、ルイズは地上より見送る。

 

ルイズはウェールズを風竜の上に乗せた後、アンリエッタに同行する事を辞退していた。

 

臣下であり、同時に親友でありながら、何も出来なかった自分には、その資格が無いと思ったから。

 

 

あの奇跡は二人だけの物だ。

 

そこにもう、自分が手を出す隙間は無い。

 

この後二人がどういう結末を迎えようとも、自分の手が届かない所での話だ。

 

ならば、何も出来なかった自分が、二人の行く末に立ち会う事に意味など無い。

 

 

―――それに、今言葉を交わしたい者は別にいる。

 

 

ルイズは駆け出した。

 

ここまで竜の上に乗ってやって来た道を、今度は駆け足にて辿る。

 

しばらく走り続けていると、やがてその視界に目的の人影が映った。

 

 

気も無げに歩を進めるその人影に、ルイズは息を切らしながら精一杯に呼びかけた。

 

 

「ギルガメッシュ!!」

 

 

呼びかけに応じてか、歩を止めてギルガメッシュは振り返る。

 

顔を向けたギルガメッシュに、ルイズは更に言葉を続けた。

 

 

「・・・ウェールズ様が、目を覚まされたわ。一時的に、だけど。多分、アンタの宝具ってやつのおかげだと思う」

 

 

投擲した赤い魔槍でウェールズを穿ち、ギルガメッシュは早々にあの場を立ち去ってしまっている。

 

だから、ギルガメッシュはあの後に起きた奇跡を知らない。

 

例え過程はどうであれ、あの奇跡はギルガメッシュの行動によって為されたものだ。

 

己が為した奇跡を、ギルガメッシュには知る権利がある。

 

 

それに、ルイズ自身も知りたかった。

 

もしかしたらあの奇跡は、ギルガメッシュが意図して行ったものではないか、と。

 

悲恋のアンリエッタを哀れに思い、せめてもの情けとして与えたものかもしれない。

 

その優しさと憐みならば、ルイズにも理解できる。

 

 

だが―――

 

 

「そんなくだらん事を告げるために、わざわざ我を呼びとめたのか?」

 

 

そんな淡いルイズの期待を、ギルガメッシュは冷然なる一言を以て切り捨てた。

 

 

「くだらない、ですって・・・!?」

 

 

信じられない。

 

あの奇跡が、アンリエッタに最後に与えられた唯一の救いが、

 

この男にとってはくだらない事なのか。

 

 

「所詮は死した者。ちと冥府より舞い戻った所で、益体などありはせん。真偽を見定めようという気にもならん。

 

全く、くだらん茶番劇に付き合わされたものだ。この月夜の美しさがなければ、本当に無為なる時を浪費するところであったわ」

 

 

「・・・なんで・・・」

 

 

「うん?」

 

 

「なんでアンタはいつもそうなのよっ!!」

 

 

声を張り上げ、ルイズは叫ぶ。

 

溢れる感情に任せて、正面からギルガメッシュを糾弾した。

 

 

「アンタはそうやって、人の事を見下してばかりで、周りを引っ掻き回して、嘲笑って!!それでいてやる事はちゃっかりやってみせて、勝手すぎるのよ、アンタはっ!!」

 

 

ギルガメッシュの非を見つけながら、矢次にルイズは糾弾の言葉を口にしていく。

 

だが言葉とは裏腹に、ルイズが懐く感情はギルガメッシュに対する怒りではない。

 

 

悔しかった。

 

聞いての通りギルガメッシュには、アンリエッタを助けようという意図など微塵と無かった。

 

だというのに結局のところ、アンリエッタに唯一の救いを与えたのは、他ならぬギルガメッシュだ。

 

例え結果論に過ぎなくても、それだけは決して覆らない事実である。

 

 

アンリエッタを、仕えるべき主君を、そして幼い頃からの親友を救おうと最も強く思っていたのは、間違いなく自分だ。

 

なのになぜ、アンリエッタの事を欠片も思っていなかったギルガメッシュが奇跡を起こし、

 

なぜ、誰よりもアンリエッタを助けようと奮起していた自分が、何も出来ない『ゼロ』なのか。

 

 

―――何故自分は、いつも何も為す事が出来ないのか。

 

 

「大体、さっきだってそうよ!!お可哀そうな姫殿下を、嗤い者にするなんて。ウェールズ様を失った姫殿下がどんな気持ちだったのか、少しでも考えた事があるの?」

 

 

「可哀想?考える、だと?」

 

 

ルイズの糾弾を受け取り、しかし微塵と動じて見せる事無く、淡々とギルガメッシュは答えた。

 

 

「そんなありふれたもの程度に、いちいち考えなど巡らせていられるか」

 

 

「なっ!?ありふれた、て・・・!」

 

 

「愛する者との死別、自己を見失う存在定義の崩壊。“この程度”の悲劇、探せばそこいらにいくらでも転がっている。転がり過ぎて、退屈しのぎにもならんほどにな。

 

奴のようにすべてから目を背け、逃避と選ぶ者もいよう。逆に、その死別を乗り越え、己を克己させる者もいよう。だがどれにせよ、我にとっては物珍しいものありはせん。

 

―――あの類の絶望はな、もう見飽きたのだ」

 

 

ルイズは愕然とした。

 

アンリエッタの嘆き、ルイズには世界で最も不幸な光景にさえ見えた悲恋の姿。

 

それを“あの程度”などと言い放ち、退屈しのぎだの、見飽きただのと口にする目の前の男の考えが分からない。

 

 

―――この男には、他人のために泣くという感傷は無いのだろうか?

 

 

「そして、お前もだ、ルイズ。お前に我が行動を糾弾する資格などあるまい。此度の茶番、何も為すことの無かったお前にはな」

 

 

「っ!?で、でも、確かに私は何も出来なかったけど、だけど、私だって姫様の事をちゃんと考えて・・・」

 

 

確かに今回、自分は何も出来なかった。

 

だがそれでも、あの場に居た者達の中で最もアンリエッタの事を想っていたのは事実だ。

 

例え結果が伴わずとも、自分は誰よりもアンリエッタを救おうとしていた。

 

それだけは、はっきりと断言できる。

 

 

その意地だけが、ルイズに残された唯一の結果だ。

 

 

「言葉を違えて、己を誤魔化すな。貴様は何も“出来なかった”のではない。何も“しなかった”のだろうが」

 

 

しかしそんなルイズのせめてもの意地も、ギルガメッシュの言葉の刃が容赦なく打ち崩した。

 

 

「結果とは、行動の果てにこそ生まれる。己が行動を選択し、その行動が事象を為す。例えその結末がいかなるものであろうと、そこには何らかの価値も生まれよう。

 

だが貴様はその選択さえ怠った。決断を避け、不要な迷いを懐いて己が足を止めた。そんな輩の果てに、未来などあるものか」

 

 

「あ・・・」

 

 

そうだ。

 

自分は確かに、何も出来なかったわけじゃない。

 

『始祖の祈祷書』を握った時、自分は確信していたじゃないか。

 

自分なら出来る、と。

 

 

そしてその行動を止めたのは、他ならぬ自分自身。

 

己の行動、すでに死人とはいえ、あの凛々しく優しかったウェールズをこの手に掛けるという行為に、自分は手を止めてしまった。

 

そしてその結果が、ちょうど今だ。

 

 

一番卑怯なのは、何もしないことだ。

 

何もしなければ、何も得る事はない。

 

それは同時に、責任を負うこともないということ。

 

己の行動の結末、そこに発生した責任を、行動を起こした者は等しく背負わなければならない。

 

 

自分はそこから逃げた。

 

行動の結果の責任を負う事が怖くなって、逃げだした。

 

そんな者に、ギルガメッシュの事を批難する資格など、あるはずがない。

 

 

「本当に、とんだ茶番だ。よくも我をこのような無為に付き合わせたものだ。あの道化も、そして貴様もな」

 

 

そこで、はたとルイズは気づく。

 

自分を見つめ返すギルガメッシュの視線が、今までにないほどに冷淡であることに。

 

猛々しい炎のように感情を表し続けていた赤い人外の瞳が、今は氷の如き無感情を湛えてルイズを見つめている。

 

そのこちらの存在すべてを無価値と断ずるかのような瞳の視線に、ルイズは自我が揺らぐ感覚を覚えた。

 

 

こんなギルガメッシュの瞳を、ルイズは知らない。

 

ギルガメッシュはいつも、自己の感情をありありと示す気性だ。

 

それは時に愉悦であり、笑いであり、呆れであり、そして殺意である。

 

それらの感情を他に省みる事無く、堂々と示してみせるのがギルガメッシュという人物なのだ。

 

 

だからこそ、今向けられている冷淡なる瞳の輝きは、今までのどんな視線よりも不気味であった。

 

かつてルイズはギルガメッシュの本気の殺意に曝されたこともあったが、この眼光はそれとも違う質を持っている。

 

まるで道端の石ころでも見るような無関心な冷たい瞳は、見据えた者に対し、世界に不要と宣告する氷の迫力を宿していた、

 

 

やがてギルガメッシュはルイズより目を背け、元の夜の道の散策へと戻っていく。

 

氷の眼光から解放され、ルイズは冷や汗を流してホッと息をつく。

 

もはや声をかける気力もなく、立ち去るギルガメッシュをルイズは黙って見送ろうとした。

 

 

「ルイズ」

 

 

その時、不意にギルガメッシュが立ち止まり、振り返ることはなくルイズの名を呼ぶ。

 

その声に、ルイズは思わず猛獣の前に立った小動物のように、震えて縮こまった。

 

 

「・・・これ以上、我を失望させるなよ」

 

 

一度だけ、本当にそれ一度だけをルイズに告げると、ギルガメッシュは再び歩き出す。

 

ギルガメッシュの言葉だけが反芻するその場には、呆然と立ち尽くすのみのルイズだけが残された。

 

 

 

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