女性はただ怪しげな笑みを浮かべていた。
「あなたは……誰ですか」
美紀は私を庇うように立つと、何時でも戦闘に入れるようにシャベルを持つ。
「私は、七草一香。……ランダルコーポレーションの下部組織、七草生体研究所の所長と言った方が分かりやすいかしら?」
ランダルコーポレーション、ここら一帯のビジネスを仕切る大企業だ。……でも、七草生体研究所なんて名前は聞いたこと無い。
七草と名乗った女性は私達の反応を見て察したのか、少々困ったような顔をした。
「あらあら、最近の子って週刊紙は見ないものなの?……結構大変だったのよ?ありもしない違法薬物の取引を疑われちゃってねぇ。それで……」
七草さんは色々と語っているが、話している内容は今の事とは何ら関係の無さそうな事柄ばかりだ。やれ給料が安いとか、やれ本社からの圧力が凄いとか。このままだと話が終わらなさそうなので、私が止めなくちゃ。
「……それでっ!何の、用ですか?」
私がそう言うと、七草さんはハッとした様な表情になった。
「あらあら、ごめんなさいね。人とお話ししたのは小学校に避難した時以来なものだから、つい色々と喋っちゃったわ。……さて、今の貴女達の状況は大体分かるわ。高凪さんに何かあったのでしょう?」
得意気で、意地の悪い笑みを浮かべた七草さんはそう告げた。
「なんで、それを……!」
ズバリと、今起きていたことを言い当てられる。そしてつい、美紀が反応してしまった。
「だって……見ていたもの。彼女が彼らに噛まれる瞬間をね」
……は?
思わず、そんな言葉が口から出そうになる。
「なら、何で……何もしなかったの?」
この人は渚を、見捨てたって言うの?
「そうねぇ……強いて言うなら、実験だから。かしら。私は直接彼女には手出ししない事に決めているの」
そう言うと、彼女はポケットから何かを取りだし、こっちに投げてきた。
「プレゼントよ、受け取って」
私はそれをキャッチする。彼女が投げたのは、謎の液体が入った注射器。小さいものが幾つか袋に入っている。
「今の彼女を助けられるのは貴女達の見つけた薬じゃない。ソレよ」
七草さんは自信満々に言い切る。だけど私は、彼女から得たいの知れない胡散臭さを感じていた。
「……ま、信用できないってのも分かるわ。でも、私の言うことは正しいわよ。何故なら」
ニタァ……。そんな擬音が聞こえてくるほど邪悪な笑み。彼女の瞳は濁っていて、とても正気の人間には見えない。
「高凪さんを『ああ』したのは、私なんだもの」
――――。
「……今、何て言ったの?」
「高凪さんをああしたのは私。そう言ったわ」
気づけば、私の拳が七草に向けて放たれていた。だけど、その拳はいとも簡単に払われる。
「信じるも信じないも自由よ。ただ1つだけ言わせてもらうとするなら、私は高凪さんを殺したい訳じゃない」
彼女は相変わらず笑みを浮かべていた。何もかもを分かっている、そんな自信に満ち溢れた笑みは美しく、そして不気味だ。
「七草さん、あなたは高凪さんに何が起こっているのか知っているんですか?」
美紀はシャベルを手放すこと無く七草さんに問いかけた。七草さんは目の前に凶器を持った人間が居ることを気にもとめず、問い掛けに答えた。
「えぇ、勿論。そうね、分かりやすく言うのなら……今の彼女を襲っているのは、アナフィラキシーショックよ」
アナ、フィ……?
聞き慣れない単語だ。いや、前にテレビでやっていた気がする、えっと……。
「アレルギーって事なんですか?」
私が思案していると、美紀はしっかり言葉の意味を理解できたのか話を続けた。
「うーん、厳密に言えば少しだけ違うわね。彼女を襲っているのは薬の副作用、原理はアナフィラキシーショック、と言うべきなのかしら」
七草は少しだけ考えると、直ぐにまた喋り出す。
「彼女に与えた注射は2つの薬を混ぜたものよ。1つは彼らになるのを大幅に遅らせる薬。効果は……1ヶ月程かしら。薬が効いている間は彼らになることは決してないわ。それに、少しの期間だけだけど彼らの注意から逸れることが出来る。ただこの薬ではウイルスを殺すことが出来ないから、1ヶ月後には彼らになってしまうの」
彼女の話についていくことが出来ない。出来ないけど、渚を助けるためには、理解しなくちゃ行けない気がする。
「そこでもう1つの薬ね。もう1つの方は、人にもよるけど時間を掛けてウイルスに対する免疫を作らせる効果を持っているわ」
免疫を、作る……?
免疫の話は理科で聞いたことがある。身体の中に入ってきた非自己を攻撃する……だっけ。
「この薬単体では免疫が完成するまで時間が掛かりすぎて使い物にならないのだけど、1つ目の薬で時間を稼げれば免疫を作り上げることが出来るわ」
得意気に、自分の玩具を見せびらかすように。七草さんは楽しげな笑みを浮かべながら続けた。
「でも、この薬には重大な副作用があるの。……そう、急激に、無理矢理に作った免疫は強力過ぎた。そのお陰で再びウイルスが身体に侵入すると、免疫が暴走してしまう。ウイルスは直ぐに倒せるけど、免疫の活動が止まらずに自分自身を攻撃してしまうの。それが彼女を襲っている症状の正体よ」
つまり、渚は感染したけど治っていたって事……?なら、私のした事って……。
「今渡した薬は、彼女に打った薬の内の1つ目。発症の遅延だけでなく免疫の働きを抑える事が出来るわ。もう彼女の体内にウイルスは居ないだろうから、彼らになることはないと思う。……まぁ、また噛まれたなら話は別だけれど」
注射器は3本。彼女の言う通り1つで1ヶ月効果があるのだとしたら――3ヶ月分、か。でも彼女の話なら継続的に打たなくても大丈夫……なのかな。
七草さんはそれだけ言い残すと、私達に背中を向けた。
「それじゃあね。貴女達のお陰で良いデータが取れたわ。……これなら、私はまだ希望を持っていられる」
彼女は左手を振りながら、部屋を出ていこうとした。彼女の左手の薬指には包帯が巻かれている。
「待ってください」
美紀は七草さんを引き留めた。七草さんはゆっくりと、気だるげに振り替えって美紀を見る。
「あなたは、一体何の実験をしているのですか?」
七草さんは、頬に手を当てて考える仕草を見せた後、頷いてから語り始めた。
「そうね、私の研究テーマは……『ヒトならざるものの見る世界』かしら」
ヒトならざるもの。その言葉が指すのは、彼らなのか、渚なのか。その答えは彼女の口から聞くことは出来なかった。
だけど。
「そうね、最後にもう1つだけ。高凪さんは、他の人から見れば化け物に見えるかもしれない。だけど、彼女の身体にウイルスは居ないし、彼女に触れたからと言って感染することもない。そして彼女だって感染すれば……ただでは済まない。忘れないで、高凪さんは、貴女達と同じ人間よ」
ま、そんな事は承知だと思うけどね。そう言って、七草さんは姿を消した。何処かへ行ったのだろうか、それともまだ校舎に居るのだろうか。私と美紀は一先ず太郎丸に地下室にあった薬を使ってから、3階へと戻った。
3階では、包丁を握り締めた悠里先輩を胡桃先輩と理千亜ちゃんが必死で止めていた。美紀が悠里先輩から包丁を取り上げ、私は、少しだけ迷った後手錠を付けられた渚に七草さんから受け取った薬を打った。すると、さっきまでの苦しみが嘘だったかの様に彼女の様子は落ち着いてきた。
太郎丸も少し元気になってきたようだし、これで少しは安心できる……筈。
「……渚」
念には念を入れて、夜は一応渚から離れて寝ることになった。とはいえ寝てる場所はいつもと同じ資料室なのだが。
だけど、私は我慢しきれずに渚の所に来てしまった。
渚の汗は引いたようで、すやすやと穏やかな寝息を立てている。私は彼女が眠るソファに近づくと膝をつき、渚の手錠を外してからソファに乗っけた腕を枕に眠りに落ちた。
何かに、頭を触られているような感覚を覚える。ゆっくりと目を開け、私の頭を撫でる物を探した。
私の頭の上には、2人目の親友の右腕。
「……渚!」
私は起き上がり、渚に抱きついた。渚は驚いたのか変な声をあげていたが、直ぐに私を抱き返してくれる。
「……渚、この間は……ごめん」
「……謝るのは、私の方だよ」
渚は頭を撫でてくれている。それが暖かくて、落ち着く。
「そうだ、えっとね、渚」
朝起きて、今日を生きていく。まずはその為の儀式をしなくちゃ。
「おはよう!」
20話でした。お読みいただきありがとうございます。
戦闘能力は渚≒くるみ>みーくん>けい。です。
これにて原作4巻辺りのお話はおしまい。あとちょっとだけ残ってる内容は5章に持ち越しとなります。
また、5章に入る前に1話だけ番外編を入れたいと思います。
説明不足感大有りなので以下薬の設定↓
七草の新薬は、2つの薬品、AとB(仮称)2つの効果を組み合わせて使うものです。
薬品A:1ヶ月程度の間ウイルスの進行を停止させる。また、同じ期間の間薬品Bの副作用となる過剰な免疫反応を抑える。ウイルスが体内に残っている間は彼らに狙われなくなる。4話にて彼らに狙われるようになった=体内のウイルスが死滅した=免疫が完成した筈なのに副作用が起きなかったのはAの効果が残っていたため。
薬品B:人にもよるが、1日から1週間程度でウイルスに対する免疫を「作る」。この薬自体がウイルスを殺すのではなく、使用者の体にウイルスを倒す力を与える代物。無理矢理免疫を作ったため、2度目以降の反応では過剰にウイルスや周りの細胞を攻撃してしまう。
アナフィラキシーショックについては割愛。某G先生が優しく教えてくれるはずです。
ではでは、またお会いできる日を心待ちにしております。