私達を見下ろすそいつの瞳は理性を保っておらず、ただシンプルな殺意に満ちていた。
「ギ…」
そいつが漏らす声、息。それらすべてが私達の背筋を、血を、心を凍らせていく。
だからこそ。
「ギギ…ガァッ!」
対応が、遅れてしまった。
ゾンビにしては素早い動きで繰り出されたのはボディーブロー。躱す間もなくゾンビの拳は私の腹部を捉えた。
「ぅ……かは……っ」
ブローの衝撃で私は駅長室にあった機械の上まで吹き飛ばされる。落下したときにレバーやボタンを無造作に押してしまう。コンピューターを立ち上げたときのような音が聞こえ、いくつものランプが点灯していく。
ゾンビは何かを探すように周囲を見回すと、部屋の隅で固まる片原達に視線を向けた。
「ひっ……!?」
「嫌ぁ!」
引馬はゾンビの恐ろしさに泣きじゃくってしまう。あれではゾンビの意識を引き付けてしまうだけだ。
それでも片原は引馬を守るように抱き抱える。ゾンビを挟んで入り口の反対側にいる彼女達に逃げ道は無い。
「ざっけんじゃ、ねぇ……!」
私はついさっきまで座っていた椅子を振り上げると、ゾンビの頭に叩きつけた。椅子を通して、嫌な触感が私に伝わる。
「早く逃げろ……っ!」
ゾンビは椅子での攻撃が効いたのか目眩を起こしているようだった。私は固まっている片原の腕をつかみ、入り口の方まで引っ張って投げた。少々手荒だが、こうするのが確実だ。
「いや、逃げるのは君だよ!高凪さん!」
「何言ってんだよ……いざってときに男手が無くてどうするってんだ!」
「でも、それじゃあ君が!」
私は動けないでいる祠堂を網手に向けて突き飛ばした。
「高凪さん……?」
祠堂は不思議そうな目で、泣きそうな目で私を見る。私は視線をそらすと、漸く動けるようになってきた西野のゾンビに立ち向かう。
「お前には待ってるやつがいるんだろ?……逃げろ、圭。私も……行けたら行くからさ」
「そんな!待って、高凪さん!私は……!」
「早く行け網手ぇ!このウスノロがっ!」
振り返らない。絶対に、圭の顔は見ない。見たら、見てしまったら私に未練が出来てしまうから。
「高凪さん……ごめん!」
「嫌……渚ぁ!」
圭の叫ぶ声が部屋を出ていく。網手が圭を抱えて行ってくれたんだろう。片原達も一緒に逃げてくれたようだ。
「さぁて、一緒に心中と行こうか、負け犬」
負け犬。本能に負け、理性を失った敗者。私もこうなっていたのかと思うとゾッとする。こんな惨めな姿を晒すなんて、私には耐えられない。
「ギ……キギ!」
しかしゾンビは私には目もくれず、入り口の向こうを見据えている。こいつ、まだ2人を狙ってるのか!?
「余所見とは余裕だなぁオイ」
私は再び椅子を振り上げ、叩きつける。しかし同じ攻撃は見切られているのか、逆に椅子をつかまれてしまった。
「なっ……」
だけどそのお陰でゾンビの敵意が私に移る。そうだ、お前も、私もここで死ぬんだ。
ゾンビは椅子を投げ捨てると、私に向けてストレートパンチを繰り出す。私はそれをしゃがんで避けたが、ゾンビの拳は駅長室の機械に大きな穴を開ける。
「うわ、マジかよ……」
機械からはプスプスと煙が出ている。もう嫌な予感しかしない。
ゾンビの拳は引っ掛かってしまったのか、機械から抜けずにいた。これはチャンスかも知れない。今なら逃げ出せる。
それでも、きっとこいつは駅長室の扉を破って出てくるに違いない。そうしたら他の人まで危険にさらすことになるんだ。
「クソがっ……何か、何かねぇのかよ……!」
考えろ、何か思い付け。
部屋にあるものは椅子、機械、鉄の扉、本、ゾンビ私時計机――ペットボトル!
私の頭の中に、とんでもない案が浮かんだ。
「渚っ……渚ぁ……」
まただ。またやってしまった。
駅長室を出てすぐのところで、私は崩れ落ちてしまった。
私はまた、大切な友達を1人残して、私だけ助かってしまったんだ。
どうして?誰かを想えば想うほどその人は私から離れていってしまう。
「助けてよ……美紀……」
だけどそれは、叶わぬ願い。彼女を置き去りにしたのは私だ。全部、私のせいなんだ。
「な、何か騒がしくないっすか?」
片原さんが引馬ちゃんを抱き抱えながら言う。確かに、幾つもの呻き声が聞こえてくる。
「そんな、バリケードの外に……っ」
絶望した声。今にも泣きそうで、震えた声。網手さんの指差す先には、無数のゾンビがいた。彼らは一心不乱にバリケードを叩いている。
「何で、こんなにゾンビが……!?」
私達は知るよしもない。彼らがやっていることを。
彼らはただ、出勤してきただけなのだ。そこに私達の声が聞こえ、いつも以上に集まってきたのだろう。
「何で……?何でこんな上手く行かないんすか!?なんで!なんで!なん――」
ボン!
小さな爆発音が聞こえて、私達は固まる。音源は駅長室だ。
駅長室で、爆発……?
「なぎ、さ……?」
渚が……死んだ?
嘘、だよね?
嘘だ。ウソ。うそに決まっている。だって、こんな――。
「ぁ……」
もっともっと、仲良くしておけば良かった。噂は噂。そう割りきって、今目の前にいる彼女を見ていれば良かった。そうしたら、もっと……。
バタン!
そんな大きな音がして駅長室のドアが開くと、煤だらけになった渚が転がり出てきた。
「けほっ、こほっ……おーおー、ゾンビって良く燃えるんだな」
駅長室からは火の手が上がっている。渚はその様子を見て乾いた笑いをあげた。
「渚……?」
「圭。何とかなるもんだな」
ハハハ、参った参った。なんて言っちゃって。
「ふざけないでよ!」
私は渚に飛び付く。暖かい体温を感じる。彼女は、ここにいる。
「私、心配したんだよ?また友達を置き去りにしたって、後悔したんだよ?」
涙が、止まらない。
泣いていられない状況なのはわかる。それでも私は自分の心を制御できずにいた。
「ごめんな……圭」
暖かい手が私の頭を撫でる。ゆっくりと優しいそれは私の心を落ち着かせてくれた。
圭が泣き止むまで頭を撫で続ける。駅の外側にいる無数のゾンビ達は延々とバリケードを叩き続けている。バリケードが壊れるのも、時間の問題か……?
「高凪さん!良かった!」
網手は片原達を支えながらこちらに声を掛けてくる。彼女達は無数のゾンビを見て気が滅入ってしまったらしい。
「網手。圭をありがとな」
「ううん、お礼を言うのは俺たちの方だ。俺達がここにいるのは君のお陰だよ」
裏表の無い笑顔。彼がリーダーとされる所以はこれなのだろうか。彼ならばどんな相手でも信頼してもらえるかもしれない。
「まぁ、逃げた先も地獄だったみてぇだけどな」
現時点での問題はゾンビの群れだけ。そう、思っていた。
ガリ……バリ、バリン!
私達の後ろから大きな音が聞こえる。
駅長室のガラスが割れ、火だるまになった奴が現れた。その体は今も激しく燃え続けていて、動けるのが不思議な位だ。
「ウソ……だろ?」
あいつはまだ生きている。炎に包まれ、体を溶かしながらも動きを止めないでいる。
正真正銘の、バケモンって奴なのかもしれない。
「ギ……ギァ…■…■」
掠れたゾンビの声はノイズにしか聞こえない。熱がっているのか、苦しんでいるのか……何かを、伝えようとしているのか。
どちらにせよ、理性の無い獣の話を聞く意味は無いだろう。
それにしても、誤算だった。大穴の空いた機械に飲みかけの水が入ったペットボトルを投げ入れショートさせたが、それであいつは死ぬと思っていた。まさかあの爆発を至近距離で受けて耐えきるなんて……。
「ヴ……■■ッ、ギ…ギギギギ」
「羽太……っ、どうして?」
あいつは片原の小さな呟きを聞き逃さなかった。そいつの視線は片原に向けられる。
「■ギ……■…」
そいつは私と対峙したときとは違う、ゆっくりとした動きで片原に近づいていく。
「っ、させるか!こっちだ!」
片原を、引馬を殺させる訳にはいかない。私と網手は頷き合うと、それぞれそいつの両隣から攻撃を加えようとした。
……結果として、その攻撃は失敗したのだが。
「まって」
他ならぬ片原の声によって。
「羽太……羽太なんすよね。どんな姿になっても、どんな世界になっても。だから……私に会いに来てくれるんすよね」
片原の頬を一筋の涙が走り、引馬の髪を濡らす。
「ねぇ、リーダー、祠堂さん……それに、高凪さん。引馬さんを、お願いできるっすか?」
「片原っ!?何を……!」
「せんせー……?」
「引馬さん、引馬さんは、生きて」
それは子供である引馬にとって、優しくて残酷な言葉。
「嫌!せんせーも逃げよ!?じゃないとわたし、わたしっ、せんせーのマネしちゃうから!いいの!?」
「ふふ、それはちょっと困っちゃうなぁ」
片原はゾンビに向けて待っててと呟く。それが通じたのだろうか、ゾンビは動きを止めた。片原は引馬を網手に押し付ける。
「リーダー、今まで本当に、ありがとうっす」
そう言って彼女は、燃え盛る恋人の体に飛び込んだ。
えぇ。女子供とて容赦はしませんとも。主人公は無敵だがな!(まさに外道)
8話でした。今回もお読みいただきありがとうございます。楽しんで頂けましたでしょうか?
蘭は生存者5人組の中では一番気に入っているキャラクターです。~~っす!みたいな話し方の女の子って可愛いですよね。
さて、次の投稿は遅くなるかもしれませんが、まったり待っていただけると幸いです。
それではまた次回。