私はもう何度も同じ事を繰り返してきた。
私が初めて物心という物を学んだ場所は少なくとも『日本』という場所ではなかった。
字もなく、本もなく、言葉すらも危うい........そんな場所に生きていた。
当時から私は知りたがりだった、知らなかった事、経験の無い事にはどんどん取り組んでいく質だった。
母に愛される子供の気持ち、子を愛する父の気持ち。 虐げられる者達の気持ち、支配する絶対者の気持ち。
私はどんな立場にも立ち、彼等が一体どのような気持ちなのかを知りたかった。
人の感情という難解なモノは私の欲求を充分に満たしてくれていたのだ。
否定される気持ち、反逆される気持ち、目の前で妻と子を犯され殺される気持ち........無惨に殺される者の気持ち。
残念でならなかった、本当に残念でならなかった。
もう知れない、もう解らない。 私の欲求が満たされないまま死ぬ事が残念でならなかったのだ。
そして私は........死なない者の気持ちを知った。
驚愕だ、自分は死なない怪物なのだと予想出来る訳がない。 同時にこれ以上に無い程に喜んだ。
知れると。 もっと知れると。 もっともっともっともっともっともっともっともっと知れるのだと。
知って知って知って知って知って、知って知って知って知って知って、知って知って知って知って知って知って知って知って知って知り尽くした。
知り尽くして........限界に気がついた。
私が知ったのは私の感情だけだと、これ以上私の欲求を埋める為には私ではなく他人の感情が、繰り返せない人間の感情を知らなければならないと。
その為にはどうすれば良いのか、簡単な話だ。
聞けば良い、聞けば解る。
どのように産まれ、どのように生き、どのように死に........全てが、私以外の視点で知れた。
しかし........それでも限界はくる。 今までよりもずっと早く。
私の欲求は満たされた........完全に、とは言い難いが。
何かを見落としている感覚、それに気付いた時........私の欲求は悲鳴を上げた。
知らないのだ。 知らないのだ。
私は『死』を知らない。
死ねないのだから『死』を知れなかった。
だから私は聞くしかない。
死を知る彼等に、先ほどまで産まれてすら居なかった彼等に、聞くしかなかった。
――――死ぬってどんな感じなんだい?
◆◆◆◆
私の日常は最近ファンタジー染みてきた。
私自身、産まれ変わりという体験もして中々にファンタジーな女の子だと言う事は自覚している。
『直死の魔眼』『魔法少女』『願いを叶える石』........何ともファンタジーだ、類は友を呼ぶ........という奴かも知れない。
それでも........私がこんな目にあう理由にはならない様な気がするのだ。
小さな身体を活かし、狭い路地裏を全力で走る。
殺されると直感で解った。 アレは間違いなく人間ではない。
「あははっ........絶対聞く気っ........ないやろアレ」
ガリガリと凄まじい音を立てながら此方に迫ってくるのは紛れもない化け物だ。 手足が異様に長い事以外は普通の人間だ、差別的だ........? 差別だろうがなんだろうが知った事ではない。
ならば異様に長い手で地面を『削り』ながら此方に迫ってくるモノを他に何て呼べば良いのか、私はアレを人間なんて呼べる気がしなかった。
人間らしい所といえば先ほどからずっと何か言葉を話している位だ。
ぶつぶつと聞こえる化け物の声に耳を少し傾けて後悔した。
「待ってくれよお嬢ちゃん........教えてくれるだけで良いんだ、教えてくれるだけで良いんだよお嬢ちゃん待ってくれよ待ってくれ待って........」
「ひっ!?」
前言撤回、あれは絶対に言葉じゃない、少なくとも会話に使う言葉ではない。 呪詛だ。
此方を呪い殺さんとばかりに呟かれる呪詛である。
アレで死ぬ気持ちを教えてくれと言われてもお前を殺してやるの不思議な言い回しにしか聞こえ無い。
例え道を教えてくれと言われても逃げ出す自信が私には有った。
「へぅっ!? ~~~っ!!?」
ゴッ、と鈍い音が聞こえチカチカと頭に星が浮かぶ。
後ろばかりに気をとられたせいで道を間違えたかとも考えたがそもそも此処は一本道だった筈だ、行き止まり何て有る筈がない。
「はぁ!? なんやこれ!!」
それに手を伸ばし驚愕する、ふざけるな何も無い場所に壁なんてあって堪るか。 透明度100%視覚的には一切何も無い筈なのに『何か』が道を塞いでいるのだ。
後ろを振り返る、化け物は私がそれ以上進めないことに気付いたのか速度を緩め、ゆらゆらと迫ってきていた。
時間がない。
「ああっもう! 誰かの家と繋がってても堪忍してやっ!」
視界に広がる『穴』と『模様』。 見えない壁が私の前に空中に浮かぶ『穴』と『模様』として映し出された。
『穴』に指を入れればあっという間だ、見えない壁は消失する。
縮まっていた距離を離す為に背後すら見ずに全力で駆けた。 路地裏の先、通りに出てしまえば人がいる........奴も追っては来ないだろうと。
........そんな考えが甘かったのだ。
吐き気がする程にファンタジー。
薄暗い時間帯だと言うのに何処の家にも明かりはなく、車一台処か人っ子一人いない異常な風景が其処には有った。
走る、走る、走る。 誰もいない町を走る。
一体どれだけ走ったのか、走りに走ってやっとたどり着いたのは見知った場所だった。
「あかんっ!」
........当然と言えば当然の話だったのかも知れない。
私が一番速く走れる場所は当然私のよく知っている場所であり、それ即ち家の近くだ。 逃げるという事にしか頭が回っていなかった。
後ろを振り返り急いで家から離れる、離れなければならない........はやてちゃんを危険にさらす訳にはいかないのだ。
離れようとして、大きく踏み出した足は地面を捉える事が出来なかった。
衝撃、痛み何て無く私の身体は塀に叩きつけられる。
意識が明滅し世界の全てが朧気になる。
何かに首を締め付けられていると何となく解るが不思議と苦しくはない、身体中が可笑しくなってしまっているのか。
うっすらと見えたのは私の首に手を回し、何かを必死に叫んでいる化け物だ。 その姿はまるで必死に神へ祈りを捧げる信者の様にも見えた。
沢山の『穴』が視界一杯に広がり........私の意識は黒に染まった。
・
・
・
「........!! ........!!!!」
「........し........き........」
霞のような意識の中で声が聞こえた。
視界に広がった『穴』が消えて行く。
『穴』が消え、映し出されたのは二つ。
数十メートル先で相も変わらず叫ぶ化け物と........苦しそうに顔を歪める........はやてちゃんだった。
必死に此方に手を伸ばす、はやてちゃんだった。
はやてちゃんの体に浮かぶ『穴』と『模様』が急速に数を増やしていくのが見える。 数秒と経たず『穴』と『模様』は、はやてちゃんの身体の半分を覆い尽くした。
はやてちゃんが――――死ぬ。
.........それは駄目だ。
「うちを.........殺せばええやろ.........?」
はやてちゃんが死ぬくらいだったら私は命を差し出す。
百回だって千回だって.........それ以上だって殺されてやる。
死が知りたいのだったら幾らでも教えてやる.........だから.........だから.........。
「やめてや.........盗らんといて.........はやてちゃんを.........はやてちゃんは.........うちの大切な妹なんよ.........」
はやてちゃんの手がダランと落ちる。
はやてちゃんの眼が閉じられた。
「ぁ.........」
魔法少女なんているくせに正義の味方はやって来ないし........願いを叶える石も無い。
黒い模様の死神が誰かを連れて行かねば気が済まぬとばかりにはやてちゃんに広がっていく。
私はそれが.........うちはソレが、絶対に許せんかった。
「........ふざけんなや」
――――お前が死ネ
◆◆◆◆
「うちの妹に何してんねん、バケモン」
それは突然の出来事だった。
長く細い、化け物の様な者の化け物の様な腕が........手首がズレる様に落ちる。
彼は後ろに跳んだ。 跳ばなければならないと彼には備わっていない筈の何かが告げていた。
「なんやコレ.........おとんやおかんが守ってくれてるんかな.........?」
彼の両手に収まっていた筈の少女を抱いて『ナニか』が少女を、正しくは少女の隣にある空間を見ていた。 .........其処に何かがあるように。
『ナニか』は少女を優しく寝かせると再び此方を観た。
彼には解らない、彼女の事が解らない。
数瞬前まで数十メートルは離れていた筈の彼女が突然現れた事ではない。 もっと根本的な事だ。
逃げられない彼女を放り、新しい少女に、良く似ている少女に『質問』をするべく離れていた間に........一体何が有ったというのか。
青く光二つの眼が此方を観ていた。
『死』だ。
理屈ではない、本能で感じ取る。
アレは『死』だと、『アレが』死だと。
「おおぉ.........おおおおおおおおぉぉお!!!!」
満面の笑みで化け物は両腕を広げ走り始めた。 目の前の理想を求める為に、『死』を知るために。
自身の病的な知的欲求を埋めるために化け物は走る。 人間には不可能な速度で、化け物にすら本来は不可能な速度で。
「死を!死を!死を死を死を死を死を!!!! 私に『死』を教えてくれ!!!! 死だ死だ死だぁあ!!!!」
「知るかアホ」
青い光が僅かに揺れる。
速度を殺し
衝撃を殺し
身体を殺し
霊魂を殺し
全てを殺し尽くした
「勝手に死ね」
.........音はなかった。
消失、彼の全てが消えていく。
身一つ残らない、彼そのものの消失。
彼は消える間際、表情を変えた。
先程までの狂気的な笑みではなく、穏やかな、優しげな笑みだ。
それが自身の知的欲求が満たされたからなのか、それとも死ねない身体から開放されたからなのかは解らない。
「なに笑ってんねん.........アホ」
何とも言い難い、やるせない気持ちに包まれて、しきはゆっくり『眼』を閉じた。
約一時間後、彼女達は匿名の通報により発見され病院に運ばれた。
救急車が到着した時、通報した誰かは其処にはおらず隊員達は疑問に思いながらも彼女達を運び込む為に行動を開始する。
空に浮かび、青く光る石を持った金の少女と狼に気付かないまま.........。