一頁
執務室の机に座っている男の目の前には、仁王立ちしている少女がいる。少しハネたショートボブの小柄なその少女は、ジッと彼を睨み付けながら持っている書類をヒラヒラとさせた。男はそんな少女を我関せずとばかりに視線から外し、机の上の紙を眺めている。暫し目だけでそこに書いてある文章を読むと、ポンとそこに印を捺した。
「で」
その動作を終えると、彼はようやく少女に目を向ける。やる気なさげな男の瞳が、仁王立ちする少女の瞳とぶつかり合う。が、すぐに男が視線を逸らし、やれやれと頭を振り溜息を吐いた。
「何か文句があるのか?」
視線を戻さず、問い掛ける。それに、少女はあるに決まってるだろうと詰めより机をバンバンと叩いた。これを見ろ、とそのついでに持っていた書類を机に叩き付ける。
戦果報告書。大体そんな名前で呼称されるその書類には、ここの鎮守府の戦果がほぼゼロであると記されていた。
「これで! 文句がないわけないでしょ!」
「そう言われてもな」
書類と少女の顔を交互に見ながら、男は頭を掻き肩を竦める。いつものことじゃないか、と続けると、知らなかったのかとばかりに口角を上げた。
「何でそれを自慢気に言うの!?」
「駄目か?」
「当たり前でしょ! そんなんじゃ駄目よ!」
がぁ、とまくし立てる少女を見て、男ははいはいと適当に返事をした。雷は真面目だな、と子供をあやすような呟きをすると、ギシリと椅子の背もたれに体重を掛ける。
ざっけんな、と男の言葉に反応した雷と呼ばれた少女は手近にあった朱肉を彼の顔面に叩き込んだ。
「綺麗にめり込んだわねぇ」
「眼鏡外してて良かったですね、司令」
先程とは別の意味で体重が背もたれに掛かる男を見ながら、野次馬となっていた執務室にいる残り二人はそんな感想を零した。ウェーブの掛かった栗色の髪の少女も、黒髪で眼鏡の女性も、どちらも彼の心配など微塵もしていない。文字通り、雷の攻撃に対する感想であった。
いつつ、と顔面を押さえた男は、未だ憤懣やるかたない雷を見やる。一体何が不満なんだ、と溜息と共にそう問い掛けた。
「戦果がない、ということは、逆にいえばここが平和な証だ。大体、別に暇してるわけじゃないだろう?」
「それは、そうだけど……」
鎮守府と艦娘の仕事は何も戦闘だけではない。付近の町の警備や奉仕活動、ともすれば何でも屋と言ってもいい何かしらも十分任務足り得るのだ。戦果と違い目に見える報告書には載らない。だが、蔑ろにしていいものでは決してない。
そのことを言われれば、雷としても頷かざるを得ない。町を守るのがどれだけ大事か、それは彼女の根底ともいえるものだからだ。
何せ、彼女が艦娘になった理由は。
「分かったら、ほれ、何か言うことは?」
「司令官の馬鹿!」
「えー……」
捨て台詞と共に執務室を飛び出していく雷。それを何とも言えない顔で見送った彼は、何か俺は悪いことを言っただろうかと頬を掻いた。視線を横に向けると、携帯ゲーム機で遊んでいる元野次馬二人が見える。せめて感想言うかなにかしろよ、とふてくされたように彼は頬杖をついて二人を睨んだ。
「もう慣れました」
「三日に一度はやってるものねぇ」
そう言ってケラケラと二人は笑う。プレイしていたゲームをスリープさせると、立ち上がり彼の前へと歩みを進めた。まあでも確かに今回はちょっと毛色が違うかも。そんなことを言いながら、少女は雷が机に叩き付けた報告書を見る。
「ここに来たばかりの新人には、案外ショックかもしれないわね」
「……まあ、如月ちゃんの言う通りですね。普通は一ヶ月出撃ゼロなんてないでしょうし」
「と、言われてもな」
それがこの鎮守府の日常なのだから仕方ない。そう言って彼は苦笑する。転属願いを取り消したのだから、彼女にはここでの空気にきちんと慣れてもらう必要があるのだ。
そう思うのだが、今のままでは上手く行かないであろうことも重々承知であった。ガリガリと頭を掻くと、視線を再度二人に向けた。
「霧島、如月」
「はい」
「はぁい」
「……どうしたもんかね?」
丸投げしないでください、と霧島も如月もツッコミを入れるように手をヒラヒラとさせた。
まったく、どうしてあんな体たらくなのだ。そんなことを一人愚痴りながら、雷はスクーターのアクセルを吹かした。鎮守府から飛び出した彼女は、現在町へと向かっている最中である。持ち場を離れていいのか、という疑問は、元々そんなものはないという答えに集約されていた。
結局のところ、ここは他の鎮守府と比べても圧倒的に機能していないのである。それを証明するかのように、所属艦娘は極少数しかいない。この一ヶ月、彼女が鎮守府で出会った所属艦娘は執務室で野次馬をしていた如月と霧島の二人だけであった。
はぁ、と溜息を吐く。そんな戦力ではあの報告書の結果になるのも当然だ。少し冷静になって考えると、そんなことはすぐに分かる。
「でも、それならそれで、もっとやりようがあるじゃない」
戦力がないのならば戦力を増強させるべきだし、練度が足らないのならば演習を繰り返すべきだ。そういうことをせずに、何でも屋稼業で安穏と過ごすのは褒められるものではない。
申請したところでこの鎮守府に艦娘がやってこないというのならば、それこそ提督である彼がしっかりすればいいのだ。そこを疎かにしている以上、雷としてはこの憤りは当然とも言えた。
「……何でよ。何で、あんなに情けないの」
くしゃりと顔が歪む。自分が今こうして艦娘として活動しているのは、幼い頃に若い提督に助けられたからだ。おぼろげなその記憶での提督は、彼は、もっと凛々しく格好良くて。
彼女の憧れで、隣に立って彼と共に歩くのが夢だったのに。その為に、駆逐艦雷の名を受け取ったのに。
どんどんと沈んでいく気持ちをかき消すように前を見た。堤防沿いの道を通り抜け、既に町へと入り込んでいる。いけないけない、と頭を振って表情を戻すと、街の真ん中より少し西にある商店へと足を進めた。駐車場にスクーターを停め、店の入口の扉を開ける。
何か仕事ありますかー、と開口一番そう述べた雷だが、しかし店内に誰もいないのを確認するとあちゃぁと頭を掻いた。
「タイミング悪かったかー。……どうしよう」
戻ってくるのを待ってもいいが、いつになるか分からない状態では時間の無駄になる可能性も大きい。鎮守府でのやり取りの後でそれは、彼女の中ではどうにもバツが悪かった。
よし、と踵を返す。まあその辺を歩けば何かしら手伝うことがあるだろう。そう結論付けた雷は、そうと決まれば善は急げと店を出て町を歩き始めた。
ほどなくして、リヤカーを引いている中年男性の姿が見える。既に見知った顔になっていたその男性へと駆け寄ると、彼女はこんにちはと笑顔を見せた。
「八百松さん、それ、お店に運ぶ途中?」
八百松と呼ばれた男性は、おうよ、と頷くと雷に笑顔を見せた。今日は若いのが休みだから面倒でなぁ。そう続けながら視線をリヤカーに移す。キャベツを筆頭に身の詰まった野菜が押し込まれたそれは、成程確かに三輪自転車で牽引するのは少々骨が折れる量であろう。
ふみ、と雷はそれを見る。見て、ニヤリと口角を上げると、そういうことなら任せなさいと胸を叩いた。
「艦娘の称号は伊達じゃないわよ」
言うが早いか、選手交代と八百松の親父から三輪自転車の運転を代わる。ふっふっふ、と笑いながら、彼女は勢い良くペダルを踏んだ。
大丈夫かい、と彼は雷に声を掛けたが、問題ないと彼女は言い張る。確かにスイスイとリヤカーを牽引した三輪自転車は進んでいくのだが、それに反比例するように彼女の顔はしかめられていた。どう見ても大丈夫には見えない。
それでも気合で店までペダルを漕いだ雷は、ありがとうとお礼を言う八百松の親父を見てサムズアップを掲げた。これくらいお安い御用だと胸を張った。
「でも、やっぱ軽トラか何か用意した方がいいと思うわよ」
麦茶を振る舞われた雷は店の親父にそうぼやく。そう言われてもな、と頬を掻いた店の親父は、まあ考えておくよと答えを濁した。
それで、今日はこれからどうするんだ。そう問い掛けた店の親父の言葉に、雷は少し考える素振りを見せた。
「町の、手伝い、かなぁ……」
鎮守府に戻って書類仕事をする、という選択肢はない。元より大して量はないので、霧島なり如月なりが既に済ませているであろうからだ。
演習、という選択肢もない。やりたくても相手がいないのだ。せめてもう少しそういうことに積極的な同僚がいれば。そう思うのもここ一ヶ月で何度目か数えるのも馬鹿らしくなる。
「あ、そうだ。ねえ八百松さん」
今まで失念していた。この町の住人は自分よりも長くあの鎮守府と接しているのだ。疑問に思っていることの答えやヒントを持っている可能性は十分ある。未だに出会っていない艦娘の情報だって、あるはずだ。
そんなわけで、雷は店の親父に疑問をぶつけた。これまでの鎮守府のこと、提督のこと、ここに所属している艦娘のことを。そして、当たり前のように雷ちゃんの知ってることしか知らんよと返された。
「わたし、全然知らないもん。だってわたし、今まで……知ろうと、してなかったから」
ここに残る、と決めた翌日に彼のあの姿を見て、どうにも捻くれていたのだ。憧れの存在の情けない姿を見て、無意識に知るのを避けていたのだ。結局のところ、最初に転属願を出した時と変わっていなかったのだ。
それを自覚した途端、何だか無性に恥ずかしくなった。何だ自分は、これでは駄々をこねる子供ではないか。拗ねていただけではないか。
「う、ううん。違うわわたし、こうやって気付けたのだから問題なしよね、うん」
よし、と気合を入れる。麦茶のお代わりをもらいながら、そういうわけなので教えて欲しいと頭を下げた。その気迫に少し気圧されつつ、しょうがないなと苦笑した店の親父は顎に手を当てる。
雷ちゃんは、ここの鎮守府が何て呼ばれているかは知っているだろう? そう言って、彼は少し薄くなった頭を掻いた。
「それは流石にわたしも知ってるわ。――『め組』鎮守府。滅多に出撃しない、目の上のたんこぶ。だから、『め組』」
半ば間違っていない、と感じてしまうのが何より嫌だった。それを受け入れている提督や霧島、如月の態度が嫌だった。だから、今日のあの返しも、雷には許容出来なかった。
ぶう、とふくれっ面でそう述べる彼女を見て、店の親父はカラカラと笑う。笑い事じゃない、と更にむくれた雷は、そういうところは皆にそっくりだという言葉を聞いて目を見開いた。
「みんな?」
おう、と親父は笑う。町の面々は基本的にそんな反応だった、と続け、それ以外にもあの娘達がそうだったと述べた。
今鎮守府内で仕事をしている霧島、如月もそうだし、提督と古い付き合いらしいあの二人もそうだった。雷ちゃんの少し前に来たあの娘もそうだ。
「司令官と古い付き合いの二人!? わたしの少し前に来た人!? そ、それって?」
聞いてなかったのかい、と親父は目を丸くする。だってあの三人教えてくれないもの、と拗ねたようにそっぽを向いた雷を見て再度カラカラと笑った彼は、それじゃあこっちも教えられないなと述べた。
「ち、違うもん。調べれば多分すぐ分かるんだろうけど、教えてくれなかったから調べるのもしなかっただけで、だから別にすぐに分かることで」
むむむ、と支離滅裂な言い訳をしながらわたわたと手を動かす雷を、店の親父は微笑ましく眺めている。そしてその視線に気付いた彼女は完全にへそを曲げた。唇を尖らせ、もう知らない、とそっぽを向く。
でも、教えてくれてもいいのよ。そう言いながらちらりと視線だけを横に向けた。勿論親父は教えない。
「ふんだ。いいもんいいもん。自分で調べるんだから」
勢い良く立ち上がる。町での手伝いを後二・三個済ませたら、鎮守府に帰って調べよう。そんなことを思いながら、雷は親父に手を振り。
「っ!?」
けたたましく鳴り響いたサイレンの音で、瞬時に表情を引き締めた。
気を付けろよ、という店の親父の声を背中に受けながら、雷は走る。ポケットから携帯端末を取り出すと、ショートカットに登録されていたナンバーへと通信を繋げた。待つことなど殆ど無く、スピーカーから声が届く。待っていたと言わんばかりの男の声がする。
「司令官! わ――」
『ロックならとっくに外してある。霧島と如月も準備のために執務室から飛び出してったぞ』
「……むぅ」
『違ったか?』
「違わない!」
なら問題ないな、とスピーカーから聞こえる笑い声を聞いて顔を顰めた雷は、じゃあ一足先に向かうからと向こうに叫んだ。期待してるぞ、という返しを聞き、ふてくされた顔のままほんの少しだけ頬に赤みが差す。
『ああ、でもな、雷』
「何よ」
『……無事で帰ってこいよ。何はともあれ、それが第一だ』
一瞬だけ言葉が止まる。何かを守るには、まずは自分が無事でいなければいけない。そのことを改めて飲み込むと、彼女は小さく笑みを浮かべた。
「勿論よ。――雷は大丈夫なんだから!」
通信を閉じる。真っ暗になった端末の画面に掌を押し付けると、そこに艤装を纏った少女のシルエットが浮かび上がった。その左上と左下には、それが何であるかを示すように、名前が記されている。
『駆逐』。そして、『雷』。
「抜錨!」
浮かび上がった画面を自身に向け、腰の辺りにそれをかざした。少女の周囲に光が集まり、画面に映っていた艤装が装着されていく。
艦娘としての力をその身に宿した少女は、駆逐艦雷の名と装備を持って一気に駆ける。海岸をそのまま駆け抜け、海上をまるで地面であるかのように走り抜けた。
艤装のレーダーを起動させる。港町からそこまで離れていない場所に、敵機を示すマーカーが二つ、点滅していた。
「うそ、意外と近い……!?」
偵察班何やってんだ、と悪態を吐いた雷は、視線を鋭くさせると足に力を込めた。背中の艤装部分がスライドし、足に装着されブースターへと変わる。一気に推進力を増した彼女は、向こうが迎撃体勢に入る前に敵機を視界に入れることが出来た。
魚のような異形。深海棲艦、駆逐イ級が二体。その正体を確認すると同時、彼女は砲塔をイ級に向けた。先手必勝、発射された弾頭は一体に命中し煙を上げる。
「まだまだぁ!」
イ級は反撃をせんと大口を開け砲塔を顕現させる。が、向こうが砲撃を行う前に回避行動を取っていた雷は、飛来する弾頭を難なく躱した。風切音が耳を通り過ぎる中、艤装にマウントしてあった錨を取り出し右手に構える。
イ級に接近し終えた彼女は、そのままその錨を次弾装填している大口の中の砲塔へとねじ込んだ。盛大な音が鳴り響き、円筒が歪み、火花が飛び散る。ぐらりと相手がよろめいたのを確認すると、すぐさま錨を引き抜き飛び退った。
爆発音と共に一体のイ級は沈んでいく。ひゅん、と右手の獲物を一振りすると、雷は最初に砲撃を加えたもう一体へと目を向けた。
「逃げるなら、今のうちだよ?」
言葉が通じるかどうかは知らない。が、彼女のその言葉の意味合いを感じ取ったのか、残ったイ級はゆっくりと後退をし始めた。追い打ちを掛けることはしない。雷にとって、艦娘の力はただ戦闘に強いだけでは駄目だ、というポリシーがあるのだ。
「……司令官のこと、案外言えないわね、わたしも」
水平線の向こうへと消えていこうとする敵艦を見送りながら、雷はやれやれと頭を掻いた。
元ネタとか史実ネタは基本絡めない大分なんちゃって系艦これ。