ぷかり、と少女は水面に浮かんだ。海中に沈んでいたその体はびしょ濡れで、一種扇情的でもある。が、そこに浮かんでいる表情がそれを打ち消していた。
「お、浮かんできた」
彼女の浮上場所は丁度演習場の端にいる提督達の観客席。ひっどい顔だ、とケラケラ笑っている龍驤をひと睨みすると、呑気な声を掛けた彼へと向き直る。
「……如月、轟沈しました」
「ん? いいのか?」
「勿論」
こんな状態で戦闘なんかやってられん、と陸に上がった如月は、びしゃびしゃのスカートを軽く絞ると自身の髪を撫でた。塩水でベタベタになっているのを改めて確認し、その表情が更にゲンナリしたものに変わる。
急いでシャワー浴びてこなきゃ。そんなことを呟くと、彼女はそのまま演習場を後にする。しようとする。まだ他の面々が戦闘中であるにも拘らず、である。当然ながら、そんな如月にちょっと待ったと声が掛かった。
足柄は如月に問い掛ける。せめて終わるまで待ってからでは駄目なのか、と。そしてそれに如月は答える。今だからいいのだ、と。
「幸いまだ雷ちゃんは私に気付いていないわ。無事な姿を見せちゃうと、冷静になっちゃうかもしれないでしょ?」
どういう理由でテンションがおかしくなっているかは知らないが、きっかけは自身がやられたこと。ならば、それを維持するためにも自分は彼女の視界に入らない方がいい。そう判断したのだと如月が述べたのを聞いて、足柄はううむと顎に手を当てる。ついでに他の面々に顔を向けると、同じように納得している表情が見えた。
「んでも如月ちゃん。あの状態の雷ちゃんがいいっちゅーわけやないのは、承知の上やろ?」
「その辺りの改善は、司令官の役目。でしょ?」
「せやな」
微笑んだ如月を見て、一瞬真面目な表情を浮かべていた龍驤もケタケタ笑い始める。まあそういうわけなので、と手をヒラヒラさせると、笑い続けている龍驤を尻目に如月は鎮守府の方へと歩いて行った。
「だ、そうよ」
そうして彼女が見えなくなった頃。霞は隣にいる提督に声を掛けた。そうらしいな、と他人事のように返事をする彼の脛を、彼女は思い切り蹴り飛ばす。奇声を上げた彼を、足柄と大淀は何事だと見詰めていた。
「今のは間違いなく提督が悪いネー」
「アホか」
そして残りの二人はジト目で睨む。そんなこと言われても、と蹴られた部分を擦る彼に、追撃と言わんばかりに二人揃ってデコピンを叩き込んだ。
金剛はどこか寂しそうな表情で、龍驤は口元だけは笑みを作って。
不知火は笑っていた。目の前の少女の姿に、興奮を抑えきれなかった。あの時は背中しか見られなかった。だが今は、真正面から見ていられる。たとえそれが、敵を見る目であっても。
「……落ち着きなさい」
「何を言っているのですか? 不知火は冷静です」
「冷静な奴はね、そんな風に目をギラギラさせながら相手を睨んでないのよ」
む、と不知火は自身の頬を撫でる。目だっつってんだろ、という曙のツッコミを受け、そうでしたと眉間を揉みほぐした。
そんなコント染みたことをやっていても、目の前の少女は襲い掛かってこない。先程までであれば、この隙を逃さんとばかりに錨を振りかぶっていたはずだ。それが今は、得物を構えたまま真っ直ぐこちらを見詰めるだけ。
「怖気付いた、ってわけじゃ、ないわよね」
「……守っているんです。後ろへ通さないように」
あっそ、と曙は返した。そんな細かいことは正直どうでもいい、と足に力を込めた。
駆ける。一気に間合いを詰めた彼女は、そのまま足を振り上げた。狙いは頭。蹴り飛ばして意識もついでに飛ばしてやる。そんなことを考えた一撃であった。
が、しかし。
「っ!?」
錨で防がれた。咄嗟の判断ではなく、明らかに冷静に対処された。そう思ってしまうほど、目の前の相手、雷の表情は変わらなかった。
押し返される。片足一本でたたらを踏んだ曙は、嘗めんなと跳び上がり回し蹴りを放った。が、それも同じように雷の持っている錨で弾かれた。二度の攻撃を防がれたことで、流石の曙もその表情に陰りが見える。
それを雷は逃さなかった。艤装の砲塔がガードされたことで体勢を崩している曙へと向けられ、間髪入れずに火を噴く。至近距離での砲弾は、放たれた曙は勿論のこと、放った雷もただでは済まない。にも拘らず、彼女は迷うことなくそれを実行した。
炸裂音と爆風。その二つで二人の姿が一瞬見えなくなる。不知火はしかし慌てることなく、そこから飛び出してくる人影をはっきりと捉え着地地点に自身の位置を動かした。
「おぶっ」
「如何でしたか?」
吹っ飛んだ曙をキャッチした不知火は、どこか自慢げに彼女にそう問うた。ざっけんな、と当然のように曙は返す。というかお前も戦え。ついでにそんなことを述べた。
「先程落ち着けと不知火を諌めたのは一体誰だったでしょうか」
「はいはいあたしよあたし!」
「誠意が感じられませんね」
「ぶん殴るぞ」
「それは困ります」
何せ、と視線を曙から前方に向ける。煙の晴れたそこに佇んでいる少女を見て、口角を上げる。真っ直ぐにこちらを見ている雷を見て、笑う。
「まだ彼女と勝負していないので」
「……いけるの?」
「勿論」
す、と右拳を上げた。ふん、と曙はその右拳に自身の左拳をぶつけると、じゃあ好きに暴れてこいとそのまま彼女の背中を叩く。その勢いのまま、不知火は一気に雷へと駆け抜けた。海面が揺れ、水しぶきが上がる。そんなことは気にせんとばかりに、彼女は一直線に突き進む。
「生憎と、不知火は曙のように近接戦闘を得意としていません。ですが」
砲塔を構え、明らかに近過ぎる距離でそれをぶっ放した。自身に余波がくることなどまるで考えていないそれをしながら、彼女はこれでいいとばかりに笑う。そうしなければいけないのだ、と口に出す。
「ここで引いたら
「はん、言うじゃない不知火!」
「曙」
いつのまにか曙が隣にいた。同じく砲撃の余波など知るかとばかりに自身の砲塔から射撃を放ち、それを背中の偽装に仕舞うと姿勢を低くし一気に飛び込む。
雷は錨で砲弾を弾き、自身の背後に攻撃を向かわせないように、それだけに集中していた。突っ込んでくる曙もその対処は変わらない。此処から先へは行かせない。ただそれだけを、そのことだけを考えて彼女は動いている。
くるりと舞うような蹴り。鋭いその一撃を、雷は自身の得物を持っていない方の手で受けた。当然のように弾かれるが、その衝撃に逆らわず体全体を捻るように回転させる。
扇風機の羽のごとく。もう片方の手に持っていた錨がそのままカウンターで曙へと叩き込まれた。下に叩き付けられた曙は海面に顔面をしたたかに打ち付ける。バシャリと水しぶきがあがり、ほんの少しだけ海水を飲み込んだ。
ただ立ち上がるだけでは駄目だ、と彼女は海面を横に転がるように移動する。追撃の魚雷が数瞬前にいた場所で炸裂するのを見て顔を引き攣らせた。ポタポタと落ちる水滴に、ほんの少しだけ冷や汗が交じる。
だが、それも一瞬。すぐに表情を戻すと、雷を睨みながら口角を上げた。
「不知火!」
「合点承知の助です」
雷の頭上に影が差す。何を、と見上げた彼女の視界には、跳び上がり砲塔を構えている不知火の姿が見えた。曙が近接攻撃を行っているうちに、雷の頭上を取るためのエネルギーを溜めていたらしい。
「これで!」
「させない!」
錨を海面に押し付けるように下げると、雷は体を捻り偽装の砲塔を素早く上に向けた。不知火の射撃よりはほんの少しだけ遅い。だが、その代わり固定しているこちらは狙いをじっくりとつけられる。そして、衝撃に耐えられる。
先程よりも強烈な爆発音が響いた。わぷ、と跳ねた海水が再度曙の顔に掛かり、彼女の唇が更に磯臭くなる。
「好きに暴れろっつったのはあたしだし、文句は言わないけど」
いややっぱ言おう、後で。犬のように顔を振るい水滴を飛ばすと、曙は不知火へと向き直った。水柱が消えたそこには、先程と配置を入れ替えている二人の姿。思わず名前を叫ぼうとして、しかし彼女はその口を閉じる。
不知火は今、目の前しか見ていない。あの集中を途切れさせてはダメだ。そう判断した曙は、腰に手を当てたままゆっくりと距離を取る。無いとは思うが、もし不知火がやられた場合、すぐさま助けに向かえる程度に、である。
「通ってしまいましたね、後ろに」
「っ!」
不知火のその言葉に雷は顔を顰める。守るって言ったのに、助けるって言ったのに。そんなことを呟きながら、目の輝きが先程とは違う状態に変化していく。決意の表情から、泣きそうな顔に変わっていく。
しまった、と不知火は舌打ちした。余計な挑発をしたおかげでトランス状態が解けかかっている。このままでは自分の望んでいた彼女との戦闘は望めないであろう。そう判断し、まあ仕方ないかと息を吐いた。
「まあいいです。今回は貴女に『わたし』の強さを見せるのが目的でしたし」
ぐ、と足に力を込める。砲塔を構え、砲撃をしながら再度距離を詰めた。今の状態ならばおそらく。
「くっ、こ、このっ……」
「やはり、もう時間切れですか」
錨と艤装の砲撃でそれらを弾くものの、雷はそれに気を取られ接近してくる不知火の迎撃にまで頭が回っていない。先程までであればこちらを真っ直ぐに睨みながらこなしていた作業が出来ていない。
「もう少しだけ見たかったのですが、残念です」
「何、をっ!」
「勿論、あの時の貴女ですよ、――『先輩』」
「――え?」
ザザッ、と雷の記憶が何かを呼び覚ます。あの時、町が燃えているあの瞬間の記憶が蘇る。自分が必死で守ろうとしていた、気絶している少女の姿が目に浮かぶ。
そういえば彼女はあの後どうなった。助かった後、両親を失ったあの娘は、どうしたのだ。親類へと引き取られたという噂しか聞いていない、あれからどんな道を歩んでいたのかなど、知らない。
自分が助けたあの娘より。自分が助けられた提督の方に、艦娘の方に、夢中になってしまっていたから。
「『わたし』は強くなりました。強く、なったんです」
砲塔を雷に突き付ける。ゼロ距離のまま、不知火はその引き金を引く。炸裂音と共に爆風が上がり、砲撃を叩き込まれた雷は宙を舞い、そして海面へと落ちた。受け身を取れなかった彼女はそのまま海へ沈んでいき、ゴボゴボと泡だけが海面に残される。
砲撃後の煙が上っている砲塔をゆっくり下ろすと、不知火はふう、と息を吐いた。でも結局、あの時の彼女にはまだ及ばない。そんなことを一人呟くと、自身の我儘を見守ってくれていた曙へと向き直った。
「おつかれ」
「ありがとうございます」
引き揚げる? と曙は未だ浮かんでこない雷の沈んだ場所を見る。同じようにそこへと視線を向けた不知火は、しかし無言で首を横に振った。
「今ここで不知火達がそれをしたら、きっと侮辱になります」
「ん。アンタがそう言うなら、やめとくわ」
つい、と曙は視線を外す。じゃあ後は、と一人霧島を抑えてくれているであろう鹿島のいる場所へと目を向けた。
「あひゃぁぁ! だめぇ! しぬぅ!」
「……回避に専念されると確かに私は弱いですが。何かムカつくわね」
その適正持ちは見目麗しい艦娘の中でも一際である。そう称される艤装の適合者、のはずの鹿島のあまりにも情けない逃げっぷりに、アイドルを目指していた霧島はどこかやるせない気持ちになっていた。心なしか目が死んでいる上に表情もやさぐれているように見える。
ともすれば、このまま近付いて殴り掛かりに行きそうな。傍から見ればそんな状態にも見えた。
「……鹿島先輩助けないと駄目っぽいわね」
「毎度毎度ながら、何故普段の鹿島先輩はあそこまで情けないのでしょうか」
やる時はやるんだけどなぁ。そんなことをぼやきながら、曙と不知火は援護を行うために向こうの戦域へと足を進めた。
「さて、文句は?」
「ないよ。ここまでボコボコにされればいっそ清々しい」
提督の視線の先にはシャワーを浴びて着替えまで済ませた如月と、ほぼノーダメージであったため艤装解除だけをした霧島。
そしてズタボロになったまま俯いている雷の三人が立っていた。
「ま、流石にそっちは第一線で戦ってるだけはあるってことか」
「本気で言ってるの?」
ギロリと霞は彼を睨む。降参とばかりに両手を上げた提督は、しかし本当のことだろうと彼女に述べた。ふんと鼻を鳴らした霞は、ツカツカと彼に歩み寄るとその脛を蹴り飛ばす。
「っつぅ」
「そうね。確かに実戦の回数はこちらが上よ。深海棲艦との遭遇もそう。でも、それが今回の勝負の明暗を分けたわけじゃないでしょう?」
脛を押さえてうずくまる提督から、演習が終わっても何も言わず立っているだけの雷へと目を向ける。しょうがないな、と苦笑するような表情をした霞は、溜息を吐きながら彼女へと歩み寄った。
「負けて、悔しい?」
「…………はい」
雷は蚊の鳴くような声で返事をし、頷く。これは相当落ち込んでいるなと顎に手を当てた霞は、次の瞬間目を細め表情を引き締めると目の前の彼女の両頬を手で挟んだ。ぱぁんと小気味いい音を立て、雷の頬がひしゃげ、そして赤くなる。
「しゃきっとしなさい!」
「ふぇ、ふぁい」
「まだ新人なんだから、弱くて当たり前なの。負けて当然よ。大事なのは、そこで前を向くか、下を向くか」
あなたはどっちかしら。そう言って霞は口角を上げた。下を向いていた雷の顔を引っ掴んで前を向かせ、彼女はそう問い掛けた。
そんなことをされれば、そんなことを言われれば。雷の答えなど一つしかない。これまでだって何度も繰り返してきたのだから、こうするしかないのだ。
真っ直ぐ前を、霞を睨み付けるように見詰める雷を見て、そうそうと彼女は微笑んだ。
「ついでに、何か言いたいことがあったら言っておきなさい。相手の目を見て、ね」
コクリと頷く。猛烈な勢いで霞から曙と不知火に視線を移した雷は、不敵に笑う曙と何処か安堵したような表情の不知火の目を真っ直ぐに見た。勿論二人も、そんな雷の目を同じように見詰めている。
「次は、負けない!」
「次も返り討ちよ」
「ええ。次を楽しみにしています」
そのまま調子を取り戻した雷は二人と演習のことやそれ以外のことでああでもないこうでもないと話を始める。それを見て龍驤がどこか安堵したような表情をしたのを霞は横目で見ていた。なら最初からあんたがやればよかったじゃないの。そんなことを思いつつ、いや違うかと視線を戻す。
「司令官」
「ん?」
「自分の仕事は自分でやりなさい。そんなんだからクズなんて言われるのよ」
「言うのはお前じゃないか」
「クズにクズって言って何が悪いの?」
「……まあ、そうだな」
「そういうところがクズ司令官なのよ!」
がぁ、と説教モードに入った霞を提督はまあまあと宥めにかかる。勿論火に油を注ぐ結果にしかならず、そもそもそうなること分かっていただろうがと傍観していた金剛と足柄は肩を竦めた。
「まあそれはそれとして」
「そこの二人は、もう少しPower Upしないと駄目ネー」
「分かってますよぉだ」
「装備の改修が出来ればいいんですけど」
ぶうたれる如月と頬を掻く霧島。残りのこいつらは別段今回の勝負に落ち込む要素はなかっただろう。そう二人は判断し、発破をかける意味も込めてそんな軽口を叩いた。
言外に、真面目にやれ、という意味合いも込めて。
霞〆