まるで、両足が床に張り付いているような、そんな感覚がする。その場から動く事ができない。
「も、申し訳ありません。部屋の中に見慣れない箱があって…、中身を…」
「あぁ、いや。謝らなくていい。むしろ、謝らなきゃいけないのは…」
この時間帯、使用人の人達は、慶介や司、両親の部屋の簡単な片付けをしに行く。その際に、この人はベッドの下に隠していたその箱を見つけてしまったのだろう。
いや、そんなあの箱を見つけられた経緯など今はどうでもいい。それよりも、だ。
見つけられたナーヴギアをどうあれるのか。できる事なら、家族に報告されるのは避けたいのだが、恐らくそれは無理だろう。慶介がそれを頼む事は出来るが、多分、断られる。
慶介がアインクラッドに幽閉されていた時、その慶介を心配していたのは両親、妹という家族だけではなかった事を、慶介は知っている。仕事があるせいで病院には来てくれなかったが、退院して初めて家に帰ってきた時、家で働いている使用人全員が出迎えてくれた時は本当に驚いた。中には、目に涙を浮かべていた人も。
慶介を奪っていったナーヴギアを恨んでいるのは、この家にいるほとんど全員なのだ。
「あれ、兄さん?それに江川さんも…。何してるの?」
どうやってこの場を乗り越えるか、考えている中、この家の中で一際一番、ナーヴギアに過敏に反応する者が現れた。
「司…」
「部屋に戻ったんじゃなかったの?…?」
慶介のすぐ横で立ち止まった司は、顔を覗き込みながら話しかけてくる。その直後、司は江川と呼ばれた使用人の女性が抱える段ボール箱に気付いた。
「江川さん。それって、ちょっと前に兄さん宛に届いた荷物だよね?どうして江川さんが持ってるの?」
「え?え…っと、それは…」
首を傾げながら司は、段ボールを抱える使用人に問いかける。
「…」
使用人が慶介に目配せしてくる。教えてもいいのか、許可を求めているのだ。
(…これ以上、隠し通せそうにないか)
どち道、遅かれ早かれこの人の口から、ナーヴギアを隠し持っていた事は伝わっていくだろう。それなら、今ここで、自分の目の前で知らせてくれた方がいい。
そう思った慶介は、一度、大きくこくりと頷いた。
「司様」
「ん?」
使用人は段ボールを床へそっと置くと、司に手招きをしてこちらに呼ぶ。司はきょとんとしながらも使用人の方へ歩み寄ると、使用人が蓋を開けて見えるようになった段ボールの中身を目にする。
「…なに、これ」
両膝に手を付けて、屈んで目を近づけて司が見たナーヴギア。表情が険しくなっていき、目つきが鋭くなっていく。
「兄さん」
「…」
「どうして、これがここにあるの」
姿勢を元に戻し、鋭く細めた目を慶介に向けて問いかけてくる司。
「まさか、使ってる訳じゃないよね?」
「…」
まっすぐ慶介を見据えながら、一気に核心を突く質問を投げかけてくる。それに対し、慶介は少しの間、口を開く事は出来なかった。
「…使ってるよ」
「っ!」
だがすぐに、正直に、ナーヴギアを使用していた事を答える。
その答えを聞いた瞬間、司はこちらに近づき、慶介の胸元を両手で掴んで引き寄せる。
「なんで!?どうして!?」
「…」
「答えて!あんな物を、兄さんはどうしてまた使ってるの!?」
慶介の服を掴み、揺すりながら、叫んで問いかけてくる司。司の背後では、司を止めるべきかどうするか、悩んでいるのか使用人があたふたしている。
司の叫びがリビングにも届いたのだろう。そちらの方から、恵子が様子を窺ってくる声も聞こえてくる。
「必要だからだ」
そんな中で、慶介は簡潔に、一言で、はっきりと司の問いかけに答えた。
「必要って…」
「ナーヴギアが必要だったから取り寄せた。それを使って、やらなきゃいけない事があるんだ」
慶介が答えると、鋭く吊り上がった司の目が大きく見開かれる。
「必要って…。やらなきゃいけない事って、何…」
「…」
「兄さん!」
詰め寄られてからずっと、司は慶介の目を真っ直ぐ見据え続けている。それに耐え切れず、慶介は司の視線から目を逸らしてしまった。
その直後で、司は強い口調でさらに詰め寄ってきたその時だった。
「ちょっと司。何をそんなに騒いでるのよ」
リビングの方から近付いてくる足音と共に、恵子が呼びかけてきた。恵子は司のすぐ背後に立つと、彼女の肩に手を置いた。だが、司は慶介の胸倉から手を離すと、振り返って恵子の手を振り払う。
「だってお母さん!兄さんが…、「司」…何よ」
激昂気味に、恵子に掴みかかる勢いで答えようとした司を、慶介は止める。
言葉を切った司が、ゆっくりと振り返り、そして恵子と段ボールを再び持ち上げていた使用人もまた、慶介に視線を送っている。
「俺が話す。それが必要な理由も、全部」
時計はすでに十一時を回っている。人々が寝静まる頃だが、辻谷家の一人を除いた面々はリビングに集まっていた。そこで、慶介、司、恵子の三人は椅子に座り、テーブルにはナーヴギアを置いて、静まり返ったリビングでその一人の到着を待っていた。
玄関の方から扉が開閉される音が聞こえてきたのは、十一時からさらに十分ほど経った時だった。少しすれば、廊下から足音が近づき、そしてリビングに一人、入ってくる。
「おう、ただいま」
「お帰り、あなた」
清潔感を感じさせるスーツの上に、コートを着込んだ男。細身ではあるが、その体はしっかりと鍛え上げられている事を慶介は昔から知っている。ずっと、家族を見て、支え、守り続けてきた辻谷家の大黒柱。恵子の夫であり、慶介と司の父である、辻谷健一が帰宅した。
「大丈夫だったの?まだ仕事残ってたんじゃ…」
「いや、今日は早めに仕事を済ませられた。だから大丈夫だ…、あぁ、コートはそこのソファに置いといてくれ。飯も慶介との話が終わってからだ」
椅子から立ち上がり、恵子は健一が脱いだコートを受け取り、そのまま二階にある健一の部屋まで運ぼうとする。だが、健一はそれを止め、早くテーブルに着くように恵子に言った。
健一はスーツ姿のまま、慶介の対面にある椅子を引いて座る。そして、両肘を突いて手を組み、両手の甲で口を隠して、ちらりとテーブルに置かれたナーヴギアを見遣った。
「さて…。なんか、息子に職質かけてるみたいで調子狂うな」
組んだ手を解き、背もたれに寄りかかって軽く頭を掻きながら、ぽつりと呟く健一。
その際に、小さく苦笑を浮かべるが、すぐに表情は引き締まる。
「色々と聞きたい事はあるが…、慶介。お前、このナーヴギアをどうやって手に入れた」
健一の目が、真っ直ぐに慶介の目を見据える。このナーヴギアについて、司が慶介に詰め寄った時と同じ目で、健一は慶介を見据えていた。
「SAOから解放された人達からは、残さずナーヴギアは回収されたはずだ。お前も、例外じゃない。…それなのに、どうしてお前は持っている?どうやって手に入れた?」
「…総務省の菊岡って人に頼んだ」
心の中で、慶介は菊岡に何度も謝りながら、小さな声でそう答えた。
「菊岡…?総務省だと?」
その答えに対して見せた、健一の反応は慶介の予想とは少し違っていた。
健一が戸惑うとは思っていたが、それにしても、あまりに困惑しているように見える。自分の答えに、何かまずい事でもあっただろうか。
「…菊岡め」
「…父さん?」
困惑から、今度は怒りに染まった表情を見せる健一に、今度は慶介が困惑する番だった。
今まで生きてきた十七年と何か月かの中で、見た事もない父の剣幕に、思わず健一を呼ぶ声が漏れてしまった。
「っ、いや、何でもない。それで、お前はその菊岡って人から、ナーヴギアを受け取ったという訳なんだな?」
「…うん」
慶介の隣に座る司と、いつの間にか席に着いていた恵子が、緊迫に満ちた目で慶介と健一の会話を見守る。
「…まあ、経緯は解った。この事に関しては、明日総務省に問い合わせる。同時に、ナーヴギアも送り返しておく」
「っ!ま、待ってくれ!」
「慶介…。お前の気持ちはわかる。けどな、だからって、黙ってナーヴギアを返してもらうなんて事はするな。アミュスフィアなら、小遣い前借を条件に勝ってやる」
「違う!」
違う、違うのだ。健一は誤解をしている。
慶介はただ、またVRゲームをやりたくなったという訳ではないのだ。ナーヴギアを使って、ALOにログインする時、ワクワクしたのは正直な気持ちだ。だが…、楽しむためだけに、ナーヴギアを再び使用した訳ではないのだ。
思わず声を荒げ、椅子を倒してしまうほどの勢いで立ち上がった慶介を、健一達三人は、呆然と目を丸くして見ていた。
「あ…、その…。ごめん、うるさくして…」
その三人の視線に気付いた慶介は、弱弱しく謝罪の言葉を言いながら、倒した椅子を戻し、そこに再び腰を下ろす。
「…何か、そうしなければならない理由でもあるのか?」
先程の慶介の様子を見て健一が、何らかの事情があると見たのだろう。それはいい。
だが…、話したとしても、それを信じてくれるだろうか。
菊岡からナーヴギアを送ってもらった理由は、慶介が過ごしてきた、アインクラッドの中での出来事に直結するものだ。彼らは、実際にアインクラッドでの慶介…ケイを見た事はない。現実に帰還してから、アインクラッドの中で何をしてきたか、話した事もない。
今更、あの世界でどんな風にケイが生きてきたか、話しても…、信じてくれるだろうか。
「兄さん。兄さんは、帰ってきてから、SAOの中であった事を話してくれた事、なかったよね」
「司…」
「分かるよ。兄さん、話したくないんだよね。だからずっと聞いてこなかった。でも…」
「…」
今の自分の態度と、以前、司にSAOでの生活について聞かれた時の態度と重なるものがあったのか。それとも、ナーヴギアを使いたがる理由がSAOでの年月にあると悟ったのか。司がふと呟いた。
解っている。もう、話さないで誤魔化し続けられない事は。第一、このままずっと、話さずにいられるとは思っていない。どこかで必ず、その時が来る。それは解っていたけれど。
「…慶介」
「…」
恵子が、心配げな面持ちで慶介を見つめながら呼んでくる。その顔を見た瞬間、慶介は即座に悟った。
今、恵子が感じている気持ちを、ずっと三人は胸に抱いていたのだ。それでもぐっとこらえて、話したがらない自分を気遣って、聞かずにいてくれたのだ。
(…最低だな、俺)
何が信じてくれるかどうかわからないだ。ただ怖かっただけではないか。
そんな事、関係ない。あの世界で経験したものすべてを、自分は家族に話さなければならない。どうしてそんな当たり前の事に気付くのに、こんなに時間がかかったのだろう。
それに────
(疑心暗鬼になるな。…ここは)
自分の家だ。周りにいるのは自分の家族だ。ずっと心配してくれて、支えてくれて。自分が泣いたら慰めてくれて、笑ったら一緒に笑ってくれて。だから。
「あの日…」
「「「…」」」
ぽつりと、漏れるように呟かれた慶介の一言に、健一が、恵子が、司がぴくりと体を震わせた。
「俺がSAOにログインしたあの日…、茅場さんから、SAOがデスゲームなんだって告げられた」
あのおどろおどろしい光景を思い出す。ただでさえ不気味な光景が、話を聞くごとに激しくなる心臓の動機に伴って、さらに恐ろしく見えたあの光景。
「怖かった。HPがゼロになったら死ぬって…。信じられずに、その日に自殺した人もたくさんいた。恐ろしくなって、はじまりの街で籠る人もたくさんいた」
あのチュートリアル直後の惨状を慶介が知ったのは、ゲームが始まって五日後の事だった。その上で、まだ死者が増え続けているという事を、それも、主な理由が自殺ではなくモンスターによるものだという事を知った。
それでも、入ってくる情報が報せてくる、SAOというゲームの恐ろしさを振り切ってケイは────
「でも俺は、最前線で、ゲームを攻略する事を選んだんだ」
時折、言葉を詰まらせながらも全てを話し続ける。第一層で出会った、かけがえのない二人の仲間の事。プレイヤー同士の対立を防ぐために、自分が犠牲になった事。プレイヤーを逃がすために、強大なボスを自分ともう一人で押さえた事や、プレイヤーを殺すプレイヤー、PKプレイヤーの集団との戦争に加わった事。
あの世界で知り合った仲間との、楽しい一時。まるで上座から見下ろすように自分達を見ていた、いけ好かないプレイヤーとの決闘についても話した。
ユイ…、自分に娘ができた事。勿論、実際にそういう事をして、相手が産んだわけではないと説明した。責任能力もないのに、そういう事をするいい加減な子に育ってしまったと思われたくはなかった。
いや、アスナが相手ならそれはとても嬉しい事だし、ユイはアスナと自分の娘なのは変わらないし、もしそういう事をしてそういう事になったら、責任をとる覚悟はあるけど…、て、そうじゃない。話がずれた。
ユイの話で少し和んだ空気は、次に慶介が話した内容で一変する。まず、七十五層でのボス戦だ。そのボス戦で出した死者は十一人。一戦いの中でそこまで多くの死者が出た事に戦慄したのだろう、恵子と司の体がぶるりと、寒気が奔ったかのように震えたのを見逃さなかった。
最後の決戦────。一プレイヤーに化けて、紛れ込んでいた最後のボス、茅場晶彦との一騎打ち。相討ちで終わった後、崩壊するアインクラッドを見下ろしながら茅場と話した事。そして、アスナとの触れ合い。自覚した想いと、交わした想い。
崩壊したアインクラッドから広がった光に包まれて、ケイは死んだ…はずだったのだ。
「…」
アインクラッドでの自分…、ケイの全てを話し終わった時、リビングは…いや、家中が沈黙に包まれていた。話の中で、色々と疑問が沸いたとは思うが、それでも最後まで聞いてくれた家族に、心の中で慶介は感謝の言葉を述べる。
「…ずいぶんと、壮大な物語を駆け抜けたな。慶介」
「まるで夢みたいだったさ。でも…、全部、現実だ。あの世界で感じた絶望も…、幸せも」
最初に言葉を発したのは健一だった。健一は小さく微笑みながら、話し終えた慶介を労わる様に、優しい声音で言葉を掛けた。
その言葉に返事を返しながら、慶介は改めて実感する。あの世界で起きた事は夢物語なんかじゃない。全て、現実で起きた事なのだ。あの世界で出会った人達。あの世界で死んでいった人達。全部、本物なのだ。
「アスナ…。本名、結城明日奈。SAOから帰還しない、約三百名の内の一人だな」
「父さん、アスナの事をっ…。いや、知ってて当然だよな」
健一が何故アスナの事を知っているのか、驚いた慶介だったが、すぐに考え直す。健一の立場を考えれば、当然の事だ。そういう立場に、健一はいるのだから。
「もう想像できるだろ。俺は、アスナを探すために、ナーヴギアを返してもらったんだ」
「…大体分かった。お前は、アルヴヘイム・オンラインにログインしているんだな?」
「っ…」
まだ少し説明が足りないのでは、と感じていた。だが、健一はあっさりと、ケイがプレイしているゲームを言い当てた。
「あまり警察の情報網を舐めるな。須郷伸之についても、とっくにマークしている。…お前は辿り着くとは、思わなかったがな」
目を見開く慶介にそう言った健一の顔は、僅かに歯を覗かせながら笑みを浮かべていた。
何故、健一が慶介がログインしているゲームを言い当てられたのか。そして、何故慶介がアスナを探しているという言葉だけで、その答えに辿り着けたのか。
警視庁刑事部参事官。それが、慶介の父の役職の名称であり、それらを言い当てる事ができた理由の答えである。
最後の警察の役職ですが、ぶっちゃけ警察内部の仕組みはあまり知りません。健一の役職の名称も、正しいかどうかわかりません。曖昧です。もし、何か間違いや、足りていない部分があればメッセージでご指摘おねがいします。