このすば*Elona 作:hasebe
後にベルゼルグ国の歴史書に残る事になる、銀髪強盗団による王城での大立ち回りおよび神器奪取の一件から暫く経ったある日の事。
アクシズ教の聖地であるアルカンレティア、その中でも一際目立つアクシズ教の本部の教会にあなたはやってきていた。
「お久しぶりです。その節はどうも」
あなたを出迎えたのは、顔見知りでもある高位信徒のシスター、トリスタンだ。
挨拶もそこそこに、ゼスタへの取次ぎを申し込む。
「失礼ですがアポイントメントはお取りになられていますか?」
予想外の返答にあなたは言葉を詰まらせた。面会の予約などしているわけがない。
しかし言われてみればなるほど、人柄が人柄なのであなたはこれっぽっちも意識していなかったが、あれでもゼスタはアクシズ教の最高責任者。例え大衆や魔王軍からの認識がカルト宗教にドハマリしたはた迷惑なマジキチ集団のトップに位置するイカレポンチなのだとしても、彼はあなたと違って大変立場のある人間なのだ。
幸いにしてあなたの用事は急を要するものではない。手紙で前もって伝えておくべきだったと若干反省しつつゼスタの都合のいい日を聞いてみたあなただったが、トリスタンは事もなげにこう言った。
「いえ、アクシズ教はそういうめんどくさいのは嫌いなので基本的に誰でもウェルカムですしゼスタ様は基本的にいつも暇を持て余して遊びふけってますのでいつでも会えますよ。まあウェルカムと言っても狡猾、淫乱、卑劣、残忍の代名詞ことエリス教徒は別ですがね。ちなみに今のはちょっとアポイントメントって言ってみたかっただけです。そこはかとなくイケてる響きですよね、アポイントメントって」
どうやらあなたはからかわれていたらしい。しかし今すぐゼスタに会えるというわけではないようだ。
「ゼスタ様はエリス教徒の衛兵の女性にセクハラをして留置所に入れられています。そろそろ帰ってくる頃合だと思いますので御用があるのでしたら適当に応接室でお待ちください。お茶は自分で淹れてくださいね」
仮にも最高責任者が不祥事を起こしているというのに、彼女のそれは日常茶飯事だと言わんばかりの対応である。実際日常茶飯事なのだろう。
「それではこちらの名簿に本日の日付とあなたのお名前を記載してください。あとこちらにも……ああっ、なんて事をするんですかこの不信心者! アクア様の罰が当たりますよ!!」
右手で名簿に記載しながら左手で入信書を丸めてゴミ箱に放り投げたあなたに、トリスタンが非難の声をあげた。
■
女神アクアの肖像画や石膏像、サイン入り色紙、格言集がところせましと飾られた、なんともアクシズ教らしさに溢れた応接室。
自宅の隠し部屋にも似た雰囲気に若干の居心地の良さを感じながら、あなたはここに来る途中で購入した新聞をテーブルの上に広げる。
紙面をデカデカと飾っているのはここ最近国内で話題沸騰中の銀髪強盗団についてであり、ご丁寧に似顔絵まで描かれている。あなた達は三人とも素顔を隠していたので似顔絵が出回ってもどうという事は無いのだが、もう少し腕のいい絵師を捕まえられなかったのかと苦言を呈したくなってくる程度には肝心の似顔絵があまり似ていない。
その銀髪強盗団だが、王城を襲撃したカズマ少年と女神エリスはあなたと同じく
なお、各人に付けられた異名および賞金は以下のとおり。
強固な結界で護られた王城の宝物庫を荒らし、高レベル冒険者が幾人も詰めていた厳重な警備を正面から蹴散らして重軽傷者を量産しながらも死人は一人も出す事無く、更には王女アイリスの喉元にまで迫って王女が身に着けた物品を強奪。ついには見事に逃げおおせるという、前代未聞の狼藉と常軌を逸した戦闘力とその危険度から、女神エリス率いる銀髪強盗団にかけられた賞金は三人合わせて4億2000万エリス。
特に目立っていなかった女神エリスが最も高額な理由についてだが、これは悪名高い黒衣の強盗を擁する強盗団の首領である以上、黒衣の強盗以上の危険度を持っている筈だと予測されての事である。大体あなたのせいだった。ちなみにあなたの賞金額は事件の前後で三倍近くに膨れ上がっている。
覚悟していたとはいえ、現実は自身の予想を遥かに上回っていたのか、世界の平和の代償として自身の首にかけられた懸賞金の額を知った女神エリスのうめき声と泣き言が電波で飛んできたのはあなたの記憶にも新しい。貧乏くじを引きがちな幸運の女神に幸あれ。どうか強く生きてほしい。
だがこの件に関して起きたのは、女神エリスにとって決して悪いことばかりではない。
王家の名の下に王都の貴族に大規模なガサ入れが行われたのだ。
名目は銀髪強盗団捜索の為だそうだが、あなたがクレア達に話した、王女に神器を贈ったという貴族を見つけ出すのが目的なのは明らかである。特に敬虔なエリス教徒の聖騎士にして王女アイリスを崇拝するクレアが振るう辣腕は鬼気迫るものがあるようで、王都から遠く離れたアクセルにまで彼女の噂が聞こえてくるほど。
それでなくとも今の王都は魔王軍のせいで厳戒態勢が敷かれている以上、ほとぼりが冷めるまで王都での神器回収は暫くできそうにない。
あなたが残念に思っていると、応接室の扉が勢いよく開け放たれた。
「お待たせしました! ついに私の想いを受け入れてくださると聞いて駆けつけましたぞ!」
満面の笑みで開口一番世迷言を吐く破戒僧。何度熱烈なアプローチを受けようとも、ゼスタが男で異教徒である限りあなたは彼を受け入れる気は無い。恐らくトリスタンが嫌がらせで適当な事を吹き込んだのだろう。いい迷惑である。
挨拶もそこそこに本題に入るべく、あなたはポーションを取り出した。
これはウィズの店のポーションに女神アクアが指を突っ込んで浄化してしまったものだ。はっきり言ってしまうとただの水なのだが、それはそれとして女神アクアの祝福を受けている。
あなたの説明を受けてゼスタは苦笑いを浮かべた。
「全く……幾ら我らがアクア様を信仰しているとはいえ、アクア様縁の品であれば何でもかんでも喜んで飛びついてくると思っていませんかな? こちらに好きな金額を書いてください」
小切手とペンを差し出すゼスタは朗らかに笑いながらも目だけが本気だった。
言い値で買おうとする彼の気持ちは痛いほどに理解できたが、あなたとしてはこれは本命の前の前座に過ぎない。いわば好感度を上げるための心づけである。
「私のあなたへの好感度は既に上限を突破していますが」
両性愛者のおぞましい妄言を無表情で聞き流し、次にあなたは小さな宝石箱を取り出して開封する。
中から出てきたそれは一見すると何の変哲も無い、どこにでも売っているようにしか見えないごく普通のハンカチだ。実際に市販の安物であるし、断じて小奇麗な宝石箱に入れるようなものではない。
何より透明な粘性の液体でべちょべちょになっていて普通なら触ることすら遠慮するであろう代物だ。さっさと洗えと怒られても文句は言えないだろう。
「こ……これはまさか……!?」
しかしそんな洗濯物を前に、ゼスタの反応は劇的だった。流石に敬虔な信徒だけあってこれが何かを一瞬で看破したようだ。
王都防衛戦であなたが手に入れた、彼の信仰対象である女神アクアの涙と鼻水と涎がこれでもかといわんばかりに染み込んだ安物のハンカチを前に、キレッキレの三回転半ひねりを加えたジャンピング五体投地をかまし、ありがたやありがたやと拝み始めるアクシズ教徒筆頭。無論彼が拝んでいるのはあなたではなくてハンカチである。
ハンカチは入手してから今日まで四次元ポケットに突っ込んだままだったので一度も洗っておらず、聖痕もびちょびちょ具合も当時のまま。あなたにはこれっぽっちも感じられなかったが、案外女神アクアの神性の名残が残っていたりするのかもしれない。
「まさか、まさか私の代にしてアクア様のご尊顔を拝謁する栄誉を得るだけでなく、このような物を目にする日が来るとは……」
若干大げさすぎる気がしないでもないが、これはあなたとゼスタの信仰対象への距離が原因だ。
ゼスタはあなたやあなたの友人達と同等の狂信者だが、しかし信仰する神との距離については雲泥と呼ぶことすらおこがましいほどの差がある。
女神エリスと同じく、女神アクアは自身の信者を等しく愛している。そこに疑いを挟む余地などあろう筈もない。
しかし、全ての信者を等しく愛しているが故に、あなたと同等の狂信者であるゼスタもまた、彼女にとって特別な信者ではない。自分の信者の中で一番偉い人、くらいの認識だ。
一方、あなた達にとって信仰する神はこの世の何よりも尊く特別な存在であるが、筆頭信徒であるあなた達は神と日常的に電波でやり取りを行っているし、定期的に自宅に降臨してもらっている。
神が家族などとは畏れ多すぎて口が裂けても言えないが、それでもノースティリスの廃人達にとって神という存在が非常に身近なものである事は事実だ。はっきりと言ってしまうと、あなた達は神に贔屓されている。あなたも癒しの女神の寵愛を受け、死後を確約されている身として、それくらいは強く自覚している。
ゼスタが女神アクアと顔を合わせたのは先日の旅行が生まれて初めてになるのだという。手紙の中でそう言っていた。女神アクアが殆ど事故のような形で人界に落ちてこなければ、彼が女神アクアにまみえる事は終生叶わなかった筈だ。
そんな彼が女神アクアの体液がこれでもかとばかりに染み込んだ物品を目の当たりにしたのだから、この反応はさもあらんといったところか。
本人に会った時にリアクションが大人しかった理由だが、当時の女神アクアが女神ではなく一介のアークプリーストとして振舞っていたからであり、実際は今のように這い蹲って聖句を唱えるのを鋼の精神力で我慢していたらしい。
「その布に染み込んだ
拝むのを止めたゼスタがハンカチに向けた感想は核心を突いたものだった。流石の慧眼だと言わざるを得ない。
「あなたがこれをどのような経緯で手に入れたのかは問いますまい。しかしこれほどの秘宝となると、我々も対価として何を差し出せばいいのやら……具体的な条件は他の信徒と話し合う必要がありますな。それまではさしあたって、私の体を好きにしてもらうという形で我慢していただきたいのですが」
冗談だと理解はしているものの、その必要はないときっぱり断っておく。最早罰ゲームを通り越してただの罰である。
まあ分かっていましたが、と真剣な表情で悩むゼスタ。
あなたとしては別に現金でよかったのだが、どれだけの大金を積んでも女神アクアの体液が染み込んだハンカチには換えられないと考えているようだ。
これが癒しの女神のものだった場合、自宅に宿泊した女神の上着や下着を洗濯した経験を持つあなたは信仰を深め、ゼスタのように拝んだ後で普通に洗濯する。
なお筆頭信徒に下着を洗濯されたと知った女神は「バカ! バカバカバカ! バカじゃなかったら変態よ!」とあなたに不可視の腹パンを決めた。その時の女神の表情を見れたこと、そして直々に罵倒していただいた挙句どてっぱらに綺麗な風穴を開けてもらえたのは、あなたの長いようで短い人生の中で指折りの自慢話である。
女神のパンツは回収しなかったのか、という疑問は当然出てくるだろう。しかしあなたがどれだけ頼みこんでも所持は許可されなかった。信仰する女神に窃盗などもっての外。世の中にはやっていい事と悪い事がある。そもそも電波で繋がっている以上普通に露見する。そうなれば少なくとも一週間、女神はあなたに口を利いてくれなくなってしまうだろう。
その後、感極まったゼスタがハンカチを口に含もうとした所をトリスタンが抜け駆けは許さないと渾身のドロップキックで阻止。すったもんだの末にハンカチの扱いを巡ってアクシズ教の幹部による緊急会議を行うとのことで会談はお開きになった。
ハンカチは先払いで渡しておいた。アクシズ教徒には至宝だとしても異教徒のあなたには洗濯物でしかないし、このまま持ち帰ると告げた場合襲い掛かってきそうな熱意を感じたのだ。
アクシズ教は受けた恩は必ず返すし受けた仇は百倍返しする集団なので、何が貰えるのかあなたは今からとても楽しみだった。
■
ちょっとした交易を終えた気分に浸りながら、アルカンレティアから帰ってきたあなたはアクセルのはずれを流れる川のほとりで釣り糸を垂らす。なんとなく海の幸が食べたい気分だったのだ。
内陸部に存在するアクセルにおいて、海産物とは早々お目にかかれるものではない。サンマは畑で収穫できるが、以前のように町のど真ん中でマグロを釣り上げようものなら祭は不可避であり、だからこそ町外れで細々と釣りに興じていた。
「なんで俺はご主人と普通に川釣りなんぞやってるんだ」
あなたの隣で木箱に腰掛けている、仲間になって8ヶ月目の新参ペットが唐突に口走る。
休日であるにも関わらず、昼過ぎになっても酒場にもサキュバスの店にも行かず、自宅のリビングで暇そうにマシロを撫でていたところを誘ったのだが、釣りは嫌いだったのだろうか。
「いや、嫌いではない。だがご主人の事だからてっきりわけの分からんものを釣りにでも行くのかと。あと俺を誘うくらいならウィズを誘えウィズを。何ならゆんゆんでもいい。絶対食いついてくるぞ。むしろ入れ食い状態。釣りなだけに」
ウィズは現在ゆんゆんと勉強中なので邪魔をするわけにはいかない。
今日の勉強内容はドラゴンの生態や飼育、竜騎士の逸話など。
当初は私がドラゴン使いになるなんてムリッスムリッスデキッコナイスと逃げ腰になっていたゆんゆんだが、今ではドラゴンを従えるべく意欲的に修行に取り組んでいる。師匠二人があまりにもノリノリなので諦めたともいう。退路を絶たれたゆんゆんは強いのだ。下手人が友人にして師というのは救えない話だが、廃人を目指すのであれば退路が無いなど日常茶飯事である。
「もうすぐ遠征に出るんだったか? わざわざ竜を捕まえるために別の大陸まで足を伸ばすとかご苦労なことだ」
ダンジョンを徘徊しているような一山幾らの低級ドラゴンではなく、知恵と強い力を持つ竜たちが住む巣は海を渡った先の大陸にあるのだという。年若いゆんゆんは勿論、あなたもまた今回が異世界における初めての渡航になる。
ゆんゆんの冒険者としての経験を積むいい機会なので、今回ばかりはテレポートサービスで行程の大半を短縮するつもりは無かった。可愛い子には旅をさせろとはよくいったものだ。
「ドラゴンズビークに巣が残ってりゃ楽だったんだがな。なにせ紅魔族の里のすぐそばにあるし」
紅魔族の里は霊峰ドラゴンズビークと呼ばれる山の麓にある。
その名が示すとおり、かつては紅魔族の里の近くにも竜の巣があったのだという。正確には竜の巣が近い場所に里を作った。ドラゴンキラーってなんかカッコよくね? という、ただそれだけの理由で。
しかし頻繁に襲撃してくる紅魔族の集団に辟易した竜達は夜逃げしてしまい、今はドラゴンズビークという名前だけがかつてそこに竜が存在したことを示している。
「ドラゴンが夜逃げとかどうなってるんだか。やっぱ紅魔族って頭おかしいわ」
この世界の歴史上、最も多くのドラゴンの骸を積み上げているドラゴンスレイヤーが他人事のように言う。
赤い瞳は流れる水面をじっと見つめているものの、その実何も映してはいない。
休日の習慣と化していたサキュバスの店や酒場に足を運んでいない事もそうだが、今日のベルディアはどこか覇気が無い。発言にもいつものキレが無いあたり悩み事でもあるのだろうか。
「まあ……悩みと言えば悩みになるのか」
いい機会だから、と前置きして、ベルディアはあなたに相談事を持ちかけてきた。
「仕事がしたいんだがいいか? 金を稼ぎたいんだ」
予想だにしない発言に目を丸くする。
あなたはアンデッド、そして元魔王軍幹部だと露見しない範囲内であればベルディアの行動を阻害するつもりはないし、休みの日は彼の好きにすればいいと思っている。
しかし金が欲しいと言うが、あなたは
それでも足りないというのであれば理由次第で都合しなくもないし、その旨も本人に伝えている。だというのに、どうしてわざわざアルバイトで小銭稼ぎをしようというのか。
「小遣いといっても結局はご主人の金だろうに」
嘆息交じりの返答は、まったくもって言葉が足りていなかった。
他のペットと違い、付き合いが一年にも満たないあなたとベルディアでは以心伝心とはいかない。
しかしあなたには長年の冒険者生活で培ってきた経験則がある。それによると、ベルディアはサキュバスの店に入り浸って豪遊したせいで借金をこさえてしまったのだ。
美人の娼婦に入れあげて素寒貧になるというのは大して珍しくもないが、女遊びで身を持ち崩すのは褒められた話ではないとあなたは軽く忠告しておいた。酒も女もほどほどにしておくべきだ。主人としてのせめてもの慈悲として、ウィズとゆんゆんには内緒にしておこう。
「そういうところだぞご主人。分かるかーそういうところだぞー」
肩を竦めてやれやれ、といった風に説教を始めた。
ご主人に常識を教えるウィズの気苦労が垣間見えるだの、人の心が分からないから面倒ごとを引き起こすんだだのと、ここぞとばかりに言いたい放題である。
このまま放っておくといつまでも説教を続けそうなので適当に切り上げさせ、理由を話すように促す。
「俺は別に借金をこさえたわけでもサキュバスに貢いでいるわけでもない。ただどこからどう見ても今の俺は無収入の脛齧りとしか言いようがないだろう? 狩った竜の素材を換金できればいいんだがそうもいかんし。飯、酒、女、宿。これら全部の金を工面してもらってる今の俺はどれだけ言い繕っても人間の屑で細長いアレだぞ、細長いアレ」
今のままだとヒモだから何の気兼ねもなく自分で好きに使える金が欲しかったらしい。
金銭ではなく、自尊心から来る問題。こればかりはあなたがどれだけ小遣いを渡して手助けしようとどうにもならず、むしろ逆効果でしかない。
「犬や猫じゃないんだから、遊ぶための金くらい自分で汗水垂らして稼ぎたいわけだ。自慢じゃないが
ペットの新しい一面を垣間見たあなたは、そういう事ならばと頷く。
仮にウィズに「今日からは私があなたの面倒を見ますから、お小遣いが欲しかったらいつでも言ってくださいね」などと言われた日には、あなたはナイスジョークと笑い飛ばすだろう。最悪精神操作を受けている事すら考慮しなければならない。
それはさておき、ベルディアは高位アンデッドであるデュラハンにして元魔王軍幹部だ。冒険者カードは当然作成できないし、終末狩りもあるのでできるのは日雇いの仕事がせいぜいだろう。元騎士を自称する本人のプライド的に大丈夫なのだろうか。
「このままヒモとして生きていくよりマシだ。ずっとずっとマシだ……っと、引いてるな」
竿を引くベルディア。
あなたのようにノースティリス産の釣竿を使っているわけでもないのに、すごいものが釣れた。
「なんだこれ……本当になんだこれ!?」
ベルディアが釣りあげたのは鯉だった。
マシロのように真っ白な、二メートルほどの立派な体躯を持つ雄大な鯉だ。
この世界には鯉が滝を登ると竜になるという逸話が存在する。常識で考えれば不可能だが、この鯉なら滝登りすら容易く成し遂げることができるのではないだろうか。
「マシロをこんなゲテモノと一緒にしてやるな! あと首から下を見て物を言えよ!!」
地面の上でビダンビダンと大きな音を立てながら跳ねているのは魚人、もとい鯉人とでも形容すべきナマモノだ。
首から下は筋骨隆々のマッチョマンで、首から上は普通の鯉。全身真っ白なので白い鯉人。
合体事故である。
「ぎょ、ギョ魚ぎょ」
「やかましい! しれっと目線とポーズ決めやがって! 動きが気持ち悪いんだよ!」
地面を跳ねながら逆三角形の肉体美をアピールする様がよほど正視に堪えかねたのか、ベルディアが鍛え抜かれた腹筋に蹴りをお見舞いして白い鯉人を川に送り返すも、今度は水面から美脚が顔を覗かせる。まるで水中で踊っているかのように優雅な足捌きだ。
「アン・ドゥ・トロワ!」
「失せろ!!」
怒声と共に思い切り木箱をぶつけると、今度こそ鯉人は忽然と姿を消した。
この川の水深は三十センチにも満たないものであり、水が澄んでいることもあって目を凝らすまでもなく川の中が覗けるのだが、鯉人は文字通り綺麗さっぱり消失してしまった。
そもそもどこにあれほどの大物が潜んでいたのか。どうやって足だけを出していたのか。異世界は今日も謎と理不尽に満ちている。
「なんだったんだ今のは……俺も大概長生きしてるが、あんな
現地人のベルディアですら知らないとなると、あるいは最近になって魔王軍の実験で生み出された悲劇の実験生物だったのかもしれない。
「困った時の魔王軍みたいなノリでなんでもかんでも押し付けるのはやめろ。マジでやめろ」
少なくとも希少な生物ではあったようだ。
モンスターボールの在庫が無いことが悔やまれる。
「仲間にしたかったのか!? あれを、本気で!?」
ショックを受けている様子だが、何か問題でもあったのだろうか。
「問題っていうか、俺としてはあんなのと一緒にしてほしくないというか。あんな変態と肩を並べてやっていける自信がこれっぽっちもないというか」
筋肉は中々のものだったが。ベルディアの蹴りを食らって生きていたのでタフネスも高そうだ。
「誰も筋肉の話はしていない。……そういえば今まで気にしたことがなかったんだが、ご主人の仲間って俺以外にどんなのがいるんだ?」
自身の自慢のペット達の説明をしようとした折、あなたはベルディアが異世界まで憑いてきたペットと一度も顔を合わせていない事に気がついた。
周囲に人気も無いしちょうどいい機会だと、あなたは四次元の中の日記の中身に声をかける。ただし本格的な顕現はさせない。
「仲間は一人だけ自分と一緒にこっちに来てる? 俺は今まで一度も見たことが無いんだが」
「うん、だって私はいつもお兄ちゃんと一緒にいるからね」
「!?」
突如として背後に出現した気配と声にばっと振り向くベルディア。
血を連想させる真っ赤なワンピースを着た緑色のツインテールのクリーチャーがそこにいた。
ニコニコと佇む妹の幻影にノイズは走っておらず、もはや実体と区別がつかない。コロナタイトのエネルギーが馴染みきった証拠だ。
幻影を現出させられる時間は一日に三分にまで伸びた。これ以上は今のところ伸ばせそうにないらしい。
「私はお兄ちゃんの妹だよ! 同じお兄ちゃんのペット同士、仲良くしようねおじちゃん!」
「お、おう……よろしく」
差し出された白く小さな手を握り返すベルディアは妹に戸惑っている。知らないというのは幸せだとあなたは思った。
正気が狂気な妹が大人しく愛想がいい理由だが、これは新入りであるベルディアがあなたの仲間であると同時に大人の男であり、自身の妹ポジションを脅かさない者だと理解しているからだ。めぐみんやゆんゆんがペット入りした場合はこうはいかない。ベルディアがトチ狂って自身を妹と言い始めた場合も同様に。
他にはあなたの最初の仲間である少女を目の上のたんこぶとして激しくライバル視しているのだが、肝心の少女がこの世界にいない以上あまり関係のない話だろう。ちなみに妹が仲間になったのは二番目である。
軽く顔合わせを終えた後、ベルディアがあなたを見る目には少しだけ軽蔑の色が混じっていた。
「あまり深く突っ込んでこなかったが、実際にペットとか自称されると最高に犯罪臭がやばいぞ。こんな小さいのをペットって駄目だろ、色んな意味で……一応聞いておきたいんだが、性的な意味でのペットじゃないよな?」
「私はそれでもいいよお兄ちゃん!」
「オイオイオイ泣くわウィズ」
仲間の呼称についてはとうの昔にウィズに散々説教されて聞き飽きていると強制的に打ち切った。
妹は愛玩動物ではない。立派な戦闘要員であり、あなたのパーティーの切り込み隊長だ。
「すまん、今まで散々サイコだのキチガイだの言ってきたが、今回ばかりはちょっと冗談抜きでご主人との付き合い方を変えたほうがいい気がしてる。
「いいよ、ばっちこいだよ! お兄ちゃんの溢れんばかりの愛をヒシヒシと感じるよ! 本当に使えない奴はお兄ちゃんは捨て駒にすらしないからね!」
「ああ、確かにそんな感じがするわ……」
ベルディアはあなたに猜疑の視線を送ってくる。魔王軍幹部だった頃の彼は弱者や非戦闘員に手を出さないという人道的な面を持っていた。
そんな彼からすると、見た目だけはか弱い女の子な妹を平然と戦わせようとするあなたに思うところがあるのかもしれない。
ベルディアが勘違いするのも無理はないが、忘れてはいけない。あなたをして持て余す本性を別にしても妹もまた
速度も当然2000に至っているが、今は半身をノースティリスに置いてきているので1000が限界だそうだ。幻影状態では更に半分になる。装備も全てあちらに置いてきているので直接的な戦闘力にはあまり期待できないが、奇襲要員としては十分だろう。
「嘘くせえ……」
これ以上は実践したほうが早いだろうと、あなたは妹に向けて足元の拳大の石を何個か放る。
妹の右手がぶれたかと思うと、パパパパン、という軽い音とともに石は粉々に砕け散った。
「うーん、やっぱり
「あ、うん、もういいわかった。間違いなくごすの同類だわ。俺が悪かった」
一緒にしないでほしい。
あなたは切実にそう思った。
「やだもー! 兄妹が似てるのは当たり前でしょ! そんなに褒めても私に出せるのは包丁くらいしかないんだからねっ!!」
「うおおおおおおおおあぶねええええええええ!!」
眉間に目掛けて放たれた
殺意も無く冗談のようなノリで自身を殺しにきた妹を呆然と見つめるベルディアは死んでも大丈夫とはいえノースティリスの者ではない。他のペットや自分の友人達に向けるノリで相手をするのはよくないと軽く小突く。てへぺろ、と舌を出す妹は軽く透けていた。
「あ、もう時間になっちゃった。おじちゃん、またお話しようね! 日記を使えばお兄ちゃんの話を一日中してあげるからね!!」
やりたい放題やって消えていく妹は相変わらずフリーダムだった。
背中が煤けているベルディアの肩を叩いて慰める。
アレは自分が匙を投げる程度にはキレているので安心してほしいと。他のはもう少しまともだからと。
「……他にはどんなのがいるんだ。いや、泣いてねーし!」
ショックだったのか、声は少しだけ震えていた。
あなたのペットには妹の他に、敵を血祭りにあげて微笑む姿が印象的なごく普通の金髪少女。火炎瓶で火の海を作るのが得意な清楚系お嬢様。風よりも早く財布を抜き取っていく盗賊。ダメージを受けると分裂する害悪立方体。癒しの女神の護衛。友人お手製の、稼動するだけで
「どう考えても魔軍とか百鬼夜行とかだろそれ!」
あなたの友人達はそれぞれが機械系、イスと猫系、ゴーレム系といったように、ある程度自身に縁のある者でペットを統一しているのだが、あなたのペットはてんでバラバラである。
そしてあなたのペットである以上、いつかはベルディアも百鬼夜行と自身が評する集団に加わることになる。
「うわああああああそうだったあばばっばばばばば」
絶望の未来を幻視してガクガク震える新参ペットをあなたは励ました。
他のペット達もベルディアと同じく数え切れない回数這い上がり、努力と鍛錬と三食ハーブと薬漬けの果てに能力の限界に達しているので大丈夫だと。
「いつもどおり大丈夫な要素が欠片もなくて逆にほっとする」
何故か顰め面で吐き捨てられた。
■
正午を回り、二人でウィズが持たせてくれた弁当を突いていると、河川敷に賓客がやってきた。
「あら? こんなところで奇遇ね」
身バレすると問題があるベルディアは露骨に邪険にこそせずとも、めんどくさいのが来たとばかりに元同僚を一瞥するにとどめた。
あなた達がいる河川敷は人気はおろか建物すらないアクセルのはずれであり、それこそ静かに釣りがしたい者でなければ訪れる場所ではない。釣り竿すら持っていない彼女は何をしに来たのだろう。
「私は人……人? 探し? うん、とりあえずこの辺で変な生き物を見なかった? って言っても分からないわよね。アレを口で説明するのはちょっと難しいから絵で描くわ」
メモ帳にさらさらとペンを走らせること数十秒。
女神ウォルバクは、頭部が丸ごと魚に入れ替わった大男を描いた。ご丁寧にムキムキで全身真っ白と注釈まで書かれている。
「ぶふぉっ!」
絵を見たベルディアがパンを喉に詰まらせる。窒息は廃人すら殺す恐ろしいものだ。すぐさま茶を渡すとひったくって流し込んだ。
さて、絵に関してだが見覚えがあるなどというレベルではない。変な生き物と言った時点で嫌な予感はしていたが、やはり彼女こそが先ほど遭遇したクリーチャーの生みの親だったようだ。なんという事をしてくれたのでしょう。めぐみんに爆裂魔法を授けて道を誤らせた人生の師なだけはある。
「こんな感じなんだけど、どう? 見覚えは……ねえ待って、お願いだからそんなこいつマジかよみたいな目で私を見ないで! 冗談で言ってるわけじゃないし頭がおかしくなったわけでも紅魔族のセンスにあやかったわけでもないから!」
あなた達の圧倒的沈黙と目は口ほどに物を言うを体現する視線に耐えかねたのか、半泣きで弁明を始めた弱メンタルの邪神。しかしこれまでの付き合いや言動から鑑みるに、紅魔族のセンスは鯉人とは相容れないと思われる。少なくともめぐみんは鯉人を見て目を輝かせたりはしない。むしろドン引きする側だ。
「これはその、実験に失敗しちゃって……普通の鯉だったのに、何故か人間の胴体と手足が生えて逃げ出しちゃったの」
白い鯉人は女神ウォルバク、つまり魔王軍幹部の実験で生み出された生物だった。実験に失敗したとはいうが、エーテルの影響でああなったとは思いたくない。メシェーラが関与しなければエーテルは無害なエネルギーなのだから。
「…………」
なんでもかんでも魔王軍のせいにするなと言ったばかりのベルディアが、頭痛を堪えるかのように目頭を押さえている。お前は幹部の中でもまともな側だったと思ってたのにと言いたげだ。
「もし見かけるような事があったら捕まえて、いっその事その場で殺処分してくれても構わないわ。むしろそうして。キモいし。お礼はするから。じゃあね」
男二人の冷え切った視線に耐えかねたのか、女神ウォルバクは鯉人の捜索に戻るべく、そそくさと立ち去っていった。
……さて、ベルディアは何か弁明があるのだろうか。
「あくまでもウォルバクの私的な実験だから魔王軍とは無関係。ノーカウントだ。いいな?」
ベルディアがそう思うのならそうなのだろう。ベルディアの中では。
――ギョギョッギョー!
――なんじゃあこりゃあ!
――白っ! デカッ! キモッ!
――meと鯉しろオラァン!!
――ひいいいいキモい! なんかもう全部キモい!
――怖いよママー!!
どこかから人々の喧騒と悲鳴が聞こえてくる。果たしてアクセルでは何が起きているのか。全く想像ができない。想像ができないので放っておこう。
「さて、釣りを続けるか。大物が釣れるといいな」
そしてこの瞬間、あなたとベルディアは完璧な以心伝心を成功させる。
自分達は何も見なかった。何も聞かなかった。だって今日はオフだし。のんびりさせてほしい。
どこまでもわざとらしい爽やかな笑みを浮かべ、弁当を食べ終わったあなた達は再び竿を手に取った。
……そしてそれからおよそ十分後、町のすぐ外で爆音が鳴り響き、非常に強い揺れがあなたの元まで届いた。
言うまでもなくめぐみんの爆裂魔法だ。振動から判断するに、地面か地面に近い場所に向けて魔法を撃ったようだ。
めぐみんは普段はもっと町から離れた場所で爆裂魔法を使っている。町のすぐ傍で魔法を使うような理由があったのだろう。
たとえば、町から逃げ出した頭が鯉の変態モンスターにばったり出くわすような理由が。
振動に驚いて一斉に飛び立っていく鳥達を眺めながら、あなたはふと思った。
恐らく消し飛ばされてしまった白い鯉人はどんな味がしたのだろうか、と。