このすば*Elona   作:hasebe

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第100話 決別との再会

 異世界にやってきて二度目の夏、そしてゆんゆんとの旅が近づいてきたある日、あなたはまたしても女神エリスに呼び出しを食らった。

 呼び出しの理由だが、今回の仕事の総括や次の仕事の話がしたかったわけではなく、あなたに渡したい物があったのだという。クリスを介してではなく、女神エリスから直々に。

 エリス教徒であれば喜びのあまり発狂しかねない話だったが、異教徒であるあなたとしてはあまり大事にしてほしくないというのが正直なところだった。何より何度もエリス教の教会に足を運んでいるとエリス教徒だと非常に不本意な勘違いをされかねない。

 女神エリスとしてもそこは理解しているようで、よほど緊急の時以外は手紙を送るとあらためて言ってきた。

 さらにアイテムもこっそりと渡してくれるとのことだが、天界にいる彼女がどうやって下界にアイテムを送ってくるのか。

 

 ――届くといいんですが……えいっ!!

 

 掛け声とともに、跪いて祈りを捧げるあなたの目の前の、女神エリスを祀っている祭壇に小さな穴が開き、そこから何かが飛んできた。

 額目掛けて一直線に迫り来る気配を感じ取ったあなたは、目を瞑ったまま高速で飛来するそれを掴み取る。

 

 ――よかった、無事に届いたみたいですね。

 

 何が起きたのかと目を開ければ、あなたは直径5cmほどの白い石を掴んでいた。仄かに発光しているそれからは女神エリスの気配を感じる。

 この石が女神エリスが天界から投擲した物体のようだ。かなりの勢いで飛んできたので、当たっていたら少し痛かったかもしれない。

 それにしてもこれは何のための道具なのか、何の為に渡してきたのかという疑問が浮かぶ前に、女神エリスが石の説明を始める。

 

 ――それを今晩、寝る時に枕元に置いてください。そうする事であなたの魂が私の元に飛ぶようになっています。こうして交信するのではなく、直接会ってお話ししたい事があります。神器回収の協力者としてのあなた(冒険者)ではなく、水瓶座の門によって、遥か遠き世界より招かれたあなた(異邦人)に。

 

 クリスからあなたの話は聞いています、という続きの言葉はあなたの耳に入らなかった。

 死者を転生させる仕事をしている女神の元に魂を飛ばす。つまり死んでくれと言われているとあなたは解釈した。あまりにも性質の悪い冗談である。

 今のあなたはいのちだいじを旨にしている以上、万が一本気であれば女神エリスに反旗を翻す事すら吝かではない。何より、どれほど安くとも、信仰していない女神に捧げるような命はこれっぽっちも持ちあわせていないのだ。

 

 ――えっ、死!? ちちち違いますよ全然違いますよ!?

 

 不快の念と共にあなたが盛大に難色を示すと、電波を通じて剣呑な気配を感じ取ったのか、女神エリスは慌てて誤解ですと弁解を始めた。

 

 ――すみません、私の伝え方が悪かったみたいです。あなたの意識だけを一時的にこちらに招くだけで、誓って命に危険はありませんので安心してください。夢を見るようなものだと思ってくだされば。あ、ちなみにその石は使い捨てです。

 

 念の為に石に鑑定の魔法を使ってみると、確かに女神エリスの言うとおりの効力を発揮するアイテムだった。深読みしすぎていたらしい。

 自身の早とちりだった事を自覚したあなたは素直に謝罪した。

 そしてこれを使えば何度も女神エリスに会いに行けるというわけではないらしい。

 しかし、あなたにはわざわざ電波を飛ばしてアイテムを手渡してくる理由が分からなかった。

 仕事の手紙のようにクリスを介して物品を送ってくれば事足りるのではないだろうか。

 

 ――今回はあまりにも事が大きくなりすぎましたので、ある程度ほとぼりが冷めるまでは人目につかないように姿をくらませておくつもりです……と彼女(クリス)は言っていました。

 

 最後に取ってつけたように補足する女神エリス。神器集めだけでなく、クリスとしての冒険者活動もしばらくはお休みするようだ。

 例えアクセルに戻ったとしても、今は銀髪の盗賊職というだけで嫌でも他人の目を引き付けてしまうだろうから、それも致し方ない事なのかもしれない。

 なんといっても銀髪の首領にかけられた賞金額は2億エリスだ。生半可な数字ではない。

 魔王軍幹部の中で最も名の売れているベルディアが1.5クリス。斬鉄剣を手に入れた冬将軍が3クリス。天災と言われていたデストロイヤーが15クリスといえば、銀髪の首領および銀髪強盗団が想定されている脅威度がどれほど高いものなのかは容易に察することができる。

 

 ――あまりの誤解に私はほんともうどうすればいいんでしょうね! それにあなたがたったの0.75クリスなところに私は関係各所に猛抗議をしたいんですが! あなたやサトウカズマさんが高額賞金首になってしまった件については大変申し訳ないと思っていますが、それはそれとして!!

 

 反応に困ったあなたが沈黙をもって答えとすると、ほどなくしてはっと息を呑む気配がした。自分が何を言っているのか理解したようだ。

 

 ――……か、彼女は敬虔なエリス教徒にして神器回収という重大な使命を帯びている者ですし? 女神として多少は便宜を図らないといけませんし? 決して贔屓とかじゃなくてですね? 勘違いしないでくださいね?

 

 幻視するのは、両目をマグロの如き速度で泳がせながら頬をかく銀髪の女神の姿。

 女神アクアの後輩だけあって、女神エリスは意外と隙が多く、突っ込み待ちなのかと疑いたくなるほどに頻繁にボロを出す。この分ではカズマ少年にもそのうちあっさりと身バレしてしまいそうだとあなたは思いながら、適当に気の無い返事をした。

 

 ――よし、セーフ……危なかった。何とか上手くごまかせましたね……。

 

 ガッツポーズを決めていそうな小声が聞こえてしまった。

 それはひょっとしてギャグで言っているのだろうか。

 

 ――こほん。クリスの身の安全を抜きにしても、それは天界にて神との面会を可能にするアイテム。万が一にでも紛失して他の人の手に渡った場合、世界に混乱を引き起こしてしまいかねません。だからこうして直接贈らせてもらいました。その点異邦人であるあなたであれば私への信仰心はこれっぽっちも無いみたいですから悪用の心配などありませんし。

 

 なるほどとあなたは納得した。

 お忍びならまだしも、天界にて水の女神として振舞う女神アクアに会いに行けるアイテムをアクシズ教徒が手に入れた場合を考えると、それはもう目を覆わんばかりの血で血を洗う奪い合いになることは火を見るよりも明らかだ。

 そしてアクシズ教徒の被害者としての印象が強すぎるのであまり目立たないが、エリス教徒も悪魔は問答無用で滅ぼすという教義を持つなど、過激な面を持っている。女神エリスに謁見できる魔道具を前に、彼らがどんな反応を示すのかは予想できない。

 

 ――過激? ふふふ。まさか、とんでもない。私の信者はみな良い子たちですよ。なにより悪魔はことごとく、そしてすべからく滅殺すべき存在です。私の信者のみならず、世界中の人間達が一丸となって一匹残らず根絶やしにしなければなりません。異邦人にして異教徒であるあなたには理解しがたい話なのかもしれませんが、あいつらは邪悪で、暴力的で、対話の余地すらない、人の悪感情を啜って生きる薄汚い寄生虫なんですよ? ああ、寄生虫呼ばわりは寄生虫にあまりにも失礼でしたね。

 

 ナチュラルに毒を吐き始めた女神エリスにあなたは困惑する。

 女神エリスが悪魔に厳しいというのは文献や女神アクアの話で知っていたが、これは予想以上だ。厳しいなどという生易しい言葉ではまるで足りない。この豹変っぷりはマニ信者の友人(チキチキ大好きTS義体化ロリ)と相対したエヘカトル信者の友人(毒電波発信源系聖人)を彷彿とさせる。

 

 あなたの知り合いに悪魔はバニルしかいない。

 彼はガッカリや苛立ちの感情を好む、人間にとってうざいだけで無害な悪魔だが、絶望や憎悪、死の恐怖といった感情を好む危険な悪魔も当然存在する。だが悪魔全てが危険ではない事もまた事実。

 とはいえ、女神エリスに話が分かる悪魔がいると訴えたところで聞いてもらえそうにない。当の女神がカタツムリを前にした清掃員のような有様なのだから、信者が悪魔に容赦が無いのは当然といえた。

 彼女の過去に悪魔と何があったのか気になったあなただったが、火中の爆弾岩に触れるのは止めておくべきだと、信者であれば歓喜の涙を流して聞き入るであろう女神エリスの洗脳じみた悪魔批判を聞き流しながら、そっと疑問を胸に仕舞い込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 教会からの帰り道、あなたは町の清掃ボランティアに参加しているバニルと遭遇した。

 いつものタキシードではなく、ラフな作業服を着込んでゴミ拾いに精を出す彼を不審の目で見る者はどこにもいない。主婦とお喋りをしながらゴミを拾う姿はあまりにも人間社会に溶け込みすぎである。

 あるいは人間である自分以上に周囲に馴染んでいる大悪魔の姿にあなたが感嘆していると、あなたの姿を認めたバニルは、作業の手を止めてあなたに近づいてきた。

 

「……お得意様よ。貴様、どこで何を仕入れてきた? お得意様からおぞましい気配と反吐が出そうな臭いがぷんぷんするぞ。自分で気付かんのか」

 

 渋面を浮かべ、辟易しているのを隠そうともしない物言いに面食らったあなただが、風呂には毎日入っているし服もウィズがしっかり洗濯してくれている。自身で匂いを嗅いでも、バニルが言うような異臭がするはずもない。

 気のせいではないのかというあなたに、とんでもないと仮面の悪魔は吐き捨てた。

 

「気配と臭いの元は懐だな。雑巾で牛乳を拭いて日干しした後、生ゴミを抽出した原液に漬け込んだような臭いが遠くの我輩にまで届いてきたぞ。おえっぷ」

 

 想像するだけでえづきそうになる臭いだ。全身から嫌悪感を溢れさせるバニルは嘘を言っているようには見えない。

 心当たりの無いあなたが何かあっただろうかと自身の懐を探ると、先ほど教会で女神エリスから渡された通信道具が手に当たった。

 

「バニル式分解光線!」

 

 懐から白い石を取り出した瞬間、膨れ上がる殺気。バニルのどどめ色に光った手を反射的に叩き落とす。

 自分で命を粗末にするな、ウィズを泣かせるなと言っておきながら何をしてくれるのか。技の名前からして当たったらとんでもない事になる予感しかしない。

 喧嘩がしたいのであればウィズとベルディアを呼んで三対一で正々堂々と残機を減らしてさしあげるので少し待ってほしい。

 

「案ずるなお得意様。バニル式分解光線は殺人光線や破壊光線と違い、人に優しい非殺傷設定。直撃してもお得意様には傷一つ付かん」

 

 あなたが強く抗議すると、こんな返事が返ってきた。

 しかしこれは女神エリス関係のアイテムなので、破壊されると非常に困った事になってしまう。

 

「ほう、やけにおぞましい光を放っているかと思えば、やはりそのアイテムはチンピラ女神の後輩の縁の品だったか。だが悪い事は言わん、エリス教の連中に関わるのはやめておけ。異邦人にして異教徒であるお得意様には理解しがたい話かもしれんが、奴らは胡散臭く、暴力的で、我輩の話をろくすっぽ聞こうとしない、悪魔とあれば見境なく滅ぼしに来るような、それこそ未開の地に住まう蛮族やゴブリン同然の……いや、蛮族やゴブリンの方がよほど話も通じるし慎み深く、知的で冷静であるな。我輩としたことが少し熱くなってしまったようだ。しかし神などというのはまったくもって度し難く……」

 

 女神が女神なら悪魔も悪魔だった。

 女神アクアはバニルと店の中で顔を合わせるたびに丁々発止の会話のドッジボールをしているものの、なんだかんだで店の中で聖戦を始めたりはしなかっただけに、悪魔と神々が互いが互いを不倶戴天の敵と認めているという実態を初めて目の当たりにしたあなたは、若干の驚きと同時に案外両者は似たもの同士なのではないだろうかという感想を抱いた。

 口に出すと冗談は止めろと憤慨するのだろうが、実際バニルがエリス教徒、ひいては女神エリスを延々と貶し続ける姿は女神エリスが悪魔を貶していた姿と酷似している。

 要約すると「神はクソ」になるバニルの発言は誰かに聞かれていればぶん殴られる上に好感度が急下落する事請け合いなのだが、現在彼の声が届く範囲に人はいない。

 

「分かったな? 分かったらその手に持っている汚物を速やかに破壊させるがよい。粉々に砕いた後はエリスの教会に撒いておこう」

 

 隙あらば石を奪い砕こうとしてくる大悪魔への返事の代わりにあなたが石を四次元ポケットの中に突っ込むと、バニルは忌々しげに舌打ちした。

 あなたが石を壊す気が無い事、そして臭いと気配が消えたと言っているところから見るに、自身の手の届かない場所に隠されたと理解したのだろう。

 とりあえずこの件に関してはウィズの危険や不利益になるような事はしないので安心してほしいと約束しておく。いざとなったら自分は神に剣を向けるとも。

 

「いや、これは我輩は店主の事は全くもって心底どうでもいいのだが……」

「バニルさーん、そろそろ次の場所に行きますよー!」

 

 作業服の老人に名を呼ばれ、渋々清掃作業に戻っていくお隣さんを見送る。日頃は一線を越えない愉快犯な彼だが、やはりその本質は神々に敵対する存在なのだという事を実感した。

 狂信者であるあなたが神をメタクソに言われても怒らなかった理由だが、これはあなたの信奉する女神とバニルが敵対する神々が無関係である事に起因する。

 ただ、イルヴァの他の神々ならまだしも、癒しの女神を直接貶された日には問答無用で愛剣を抜く。聖戦である。たった一人の最終決戦である。神敵を討ち滅ぼすまで断じて退くわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

「師匠、やっぱり帰りませんか?」

「ここまで来て何を怖気づいてますの情けない」

 

 自宅に戻ってきたあなたは、玄関の前で屯する二人組を遠目に発見した。

 どちらとも駆け出し冒険者の街に似つかわしくない、とても目立つ風貌をしているものの、夜な夜な店の黒字を数えては高笑いするバニルのせいでここら一帯はかなり空き家が目立ってきている。幸か不幸かご近所の噂になることはないだろう。空き家が目立っているのは断じて頭がおかしいエレメンタルナイトに恐れをなしたからではない。

 

「あちらは私一人で来ると思っているはずですし、何より絶対迷惑になる予感しかしないのですが……」

 

 玄関にいる片割れはあなたの知り合い、王女アイリスの教育係にして氷の魔女の大ファンである地味系アークウィザードのレイン。異名持ちであり腕前は確かなのだが、びっくりするほど影が薄いとブロマイドのプロフィールに書かれていた筋金入りの地味系である。

 ウィズ魔法店が休みである今日、彼女はウィズに会いにやってきたのだ。事前にレインとの手紙のやりとりを通じてあなたもウィズもそれを知っていたし、レインが遊びに来るのをあなた達は非常に楽しみにしていた。

 

「当日に土壇場でキャンセルを入れる方がよほど迷惑でしょうに」

「それはそうかもしれませんけど。久しぶりに会いに来たと思ったら私に同行するとか言い出してびっくりしましたよ」

「大体にして、私達は互いに暇な身でもないですし、この機会を逃すと次はいつになるか分かりませんわよ? 今日だって仕事の合間を縫って無理矢理休みを作ったのですし。まあどうしてもと言うのなら私は引き止めませんから、貴女一人でお帰りなさい。菓子折りは私が渡しておきますわ」

「師匠を一人で残しておくと何をするか分からなくて怖すぎるのでやめておきます」

「その台詞、完全武装の貴女にだけは言われたくないのだけど」

「だって超武闘派アークウィザードの氷の魔女さんに会うんですよ? 下手な格好なんてできるわけないじゃないですか」

 

 レインの格好は王女との会食や強盗騒ぎで会った時のような、アークウィザードとしてのレインの正装だった。

 憧れの英雄に会えるとあって気合を入れてきたのだろうが、物々しい雰囲気も相まってカチコミに来たと思われてもおかしくない。盛大に空回っている。

 

 そんなレインはともかくとして、彼女と共にいる、鮮やかな赤毛の婦人は何者なのか。

 年の頃は初老、あるいは初老をやや過ぎたあたり。

 婦人の格好もまた平民からはかけ離れている。冒険者といえば通じなくもないレインと違って、その服装はあなたの記憶が確かならこの国の宮廷魔道士のそれだ。

 宮廷魔道士。平民にして冒険者であるあなたには縁のない存在だが、婦人と同じ服を着たアークウィザードの集団が王都防衛戦で派手な攻撃魔法を撃っていたのをよく覚えていた。残念ながら爆裂魔法使いは一人もいなかったが。

 

「師匠、氷の魔女さんにいきなり喧嘩を売るとか止めてくださいね。後生ですから」

「まったく、貴女は私を何だと思ってますの。学生時代ならいざ知らず、そんなみっともない真似をするわけがないでしょうに」

「学生時代だったら喧嘩売ってたんですか……いや、師匠の因縁は私も聞いていますが。学院の語り草ですよ」

「それ以上は止めなさい。私の心の古傷が開きます」

 

 レインの手紙には他の人物が同行するとは書かれていなかった。ウィズの知り合いだろうかと思いながらあなたは二人に近づいて声をかける。

 

「あ、こんにちは。奇遇ですね」

「知り合いかしら? 貴女に職場の外に異性の知り合いがいたなんて初耳なのですけど。紹介してくださる?」

「師匠、彼はですね……かなり有名なので師匠もご存知だとは思いますが……」

「……え……彼があの?」

「はい。あの……です」

 

 あなたを横目で窺いながらひそひそと話し合うレイン達。

 何を言われているかは大体察しがつく。

 

「まさかこんなところであの頭のおかしい……」

「しーっ! 聞こえますよ! 噂よりはずっとまともな人みたいですから!」

 

 何を言われているかは大体察しがつく。

 

「こほん、失礼しました。あなたの家もこの近くなんですか?」

 

 露骨に話題を変えてきたレインに、ここが自宅だとあなたは答える。

 彼女はあなたがウィズと同居していると知らないのだ。

 

「知らなかったそんなの……」

 

 案の定驚愕をあらわにするレイン。

 そして。

 

「…………」

 

 婦人はあなたを観察する視線を隠そうともしない。

 レインほどではないにせよ戸惑っているが、これはあなた(頭のおかしいエレメンタルナイト)の評判を知っているからではないようだ。

 そうなるとやはりウィズ関係になるのだろう。婦人の素性とウィズとの関係が気になったあなただったが、いつまでも玄関で立ち話というのも収まりが悪い。レインが連れてきたという事は少なくとも敵ではないだろうと、二人を招き入れてからじっくり話を聞くべく疑問を棚上げすることにした。

 

「おかえりなさい!」

 

 帰宅したあなたをいつものように同居人が出迎える。

 そしてその瞬間、まるで実家のような安心感に、あなたの心身から無意識のうちに力が抜け、スイッチが切れたようにリラックス状態に入る。新感覚癒し系ぽわぽわりっちぃにド嵌りした廃人の姿がそこにはあった。

 

「そちらの方がレインさん、ですよね。お待ちしてました。そして貴女は……ええと?」

「これは……驚きましたわね」

 

 婦人の呟きが耳に届く。そして。

 

「ええええええええええええっ!?」

 

 レインの大声があなたの鼓膜を震わせた。

 やかましいと眉を顰め、婦人がレインの頭を叩いて諌める。

 

「お馬鹿、落ち着きなさい。確かに眩暈がするほど本人と瓜二つですが、本人なわけがないでしょうに」

「あっ、な、なるほど。言われてみれば確かに。……すみません、いきなり大声をあげてしまって」

「は、はあ……」

 

 恭しく頭を下げるレインにウィズは困惑しており、傍観者に徹するあなたもレイン達が何を考えているのか図りかねていた。

 

「不肖の弟子が無礼を働き申し訳ありません。わたくし、リーゼロッテと申します」

「リーゼロッテ? どこかで聞いた覚えが……」

「……そこそこ有名な貴族ですから、名前くらいは聞いた事があるのかもしれませんわね。突然ですが、私たちはあなたのお母様に用事があって参りましたの。お母様はご在宅ですか?」

「私の母、ですか? すみません。どなたかと勘違いされていると思うのですが」

 

 困ったように笑うウィズ。

 あなた達の自宅にウィズの母親は住んでいない。

 

「勘違い? ありえませんわ。私達はここにウィズという女性が住んでいると聞いてやってきましたし、貴女を見れば彼女の縁者であるというのは一目で分かります」

「ウィズは私ですけど」

「……? ああ、なるほど。お母様と同じ名前なのですね」

「いえ、たぶん違うと思います」

 

 驚くほど会話が噛み合っていない。ここに至りあなたは二人の困惑の理由を察した。

 埒が明かないとばかりに、婦人は若干刺のある声でレインに問い詰め始める。

 

「ちょっとレイン。どういう事ですの。説明しなさい」

「私に聞かれても……あの、どういう事なんですか?」

 

 だんまりを決め込んでいたあなたにバトンが回ってきた。

 どういう事も何も、二人の目の前に立っている女性こそがかつて氷の魔女として名を馳せた元凄腕冒険者にしてアークウィザードのウィズである。

 

「ちょっ、それは恥ずかしいから止めてくださいってあれほど言ったじゃないですかあ! 今日のおゆはんはあなたのおかずだけ一品減らしちゃいますよ!」

 

 あなたの言葉を受け、二人は目を白黒させて顔を赤くしたウィズに見入っている。傍から見ても完全に思考が停止していると分かる。

 ほどなくして再起動したレインが氷の魔女のブロマイドを取り出し、あなたに猛抗議するウィズと交互に見比べ始めた。

 

「えっ……えっ? 本当に? 本当に貴女があの氷の魔女さんなんですか?」

「た、確かにそんな異名で呼ばれていた時期もありましたが……でも、あれはあくまで呼ばれていただけであって、自称した事は一度もありませんよ?」

 

 ごにょごにょと口ごもる元氷の魔女に対し、子供のように目を輝かせて頭を下げるレイン。

 

「初めまして! レインといいます! 子供の頃から氷の魔女さんの大ファンです! サイン本当にありがとうございました! 家宝にします! 実家は貧乏貴族ですけど!」

「あ、はい。初めまして、ウィズです。ご存知とは思いますが、魔法店の店主をやっていますのでそちらの方もどうぞご贔屓に……今日はお休みですけど。あと、レインさん。申し訳ないのですが、その異名はちょっと……私は現役を引退して久しい身ですので……」

「えっ、ではなんとお呼びすれば……真理に最も近づいたアークウィザードは呼び名としてはあまりにも不適切ですし、ベルゼルグの氷雪女王は冒険者の間で一時的に流行った異名ですし……」

「勘弁してください、お願いします、本当に勘弁してください……普通に名前で呼んでください……!」

 

 邪気の無い敬意から繰り出される羞恥プレイに、ウィズは早くもいっぱいいっぱいだ。紅魔族が大興奮間違いなしの異名の数々は、初対面の相手でなければ恥も外聞も無く泣きついていたであろう事は想像に容易い。

 努めて傍観者に徹して無表情を作るあなただが、その実内心ではいいぞ! ブラボー! とレインに拍手喝采を贈っていたりする。

 あなたはこれが見たかったのだ。レインはあなたの予想と期待にこれ以上ないくらいに完璧に応えきってみせた。

 愛らしく尊いウィズを見ているだけで、柔らかな春の日差しを思い起こさせる、どこまでも暖かく優しい感情があなたの心に満ちていく。

 

 自分の過去を突かれて涙目でぷるぷるするウィズは最高でおじゃるな!!

 つまりはそういう事である。

 

「い、幾らなんでも若すぎでしょう!? 冒険者だった頃のまま、外見年齢が今のレインと同じか下手したらそれ以下じゃありませんの! どうなってますの!?」

 

 遅れて再起動した婦人が吼える。

 せっかくのいい雰囲気だったのだが、横槍が入ってしまった。当時のウィズを知る人間であれば不思議に思うのも当たり前なのだろうが、あなたからしてみればもう少し空気を読んでほしかった。

 

「えっと……すみません、どちら様でしょうか。私のお知り合いの方ですか?」

「自己紹介したばっかりでしょう!? クラスメイトで貴女のライバルのリーゼロッテですわ! 試験でいつも一位二位を争っていた!」

「あれ? 師匠は万年二位だったって聞いてるんですけど」

「お黙り! 今のは言葉の綾ですわ!!」

「リーゼロッテ……クラスメイト……?」

 

 小首を傾げて思い返すこと数秒。ウィズはパンと手の平を合わせて笑った。

 

「もしかして学園で一緒にお勉強してたリーゼさんですか!? うわあ、お会いするのは卒業以来ですよね。本当にお久しぶりです、お元気でしたか?」

 

 旧知との思いも寄らぬ再会にニコニコと微笑むウィズに、リーゼロッテと名乗った婦人は足をふらつかせ、まるで悪い夢を見たとばかりに声を震わせる。

 

「違、私が知ってるウィズと全然違う……実際マジでありえませんわ……あの頃の、愛想が悪いとか生意気なクソガキを通り越した、孤高で、冷徹で、全てをゴミを見るような冷え切った目で見ていた貴女はどこに行ってしまいましたの……?」

「幾ら子供の頃の私でもそこまで感じが悪くはなかったですよ!? 確かに愛想は悪かったと自分でも思いますけど!」

「それがこんな、こんな……ゆるふわで、ぽわぽわで……お肌もぴちぴちで、挙句の果てには若い男とのんびり隠居生活だなんて……う、羨ましすぎるっ……!」

「本音がダダ漏れですよ師匠……」

 

 血を吐くような叫びだった。傍で聞いているレインもドン引きである。

 あなたから見た婦人はおよそ理想的な淑女ともいえる美しい老い方をしているのだが、それはそれとしていつの世も女性が若さを求めるのは必然なのだろう。かくいうあなたも身体能力、つまり若さの為に肉体年齢を二十代で固定している。

 

「大丈夫ですよリーゼさん! リーゼさんはまだまだお若いですから!」

「……馬鹿にしてますの? こちとら四児の母にして二人の孫を持つ身。おばあちゃんですのよ。若さなんて言葉は何年も前に失ってしまったのは自分が一番分かっていますわ」

「ま、孫……!?」

 

 この世界の結婚適齢期をぶっちぎって久しいぽわぽわりっちぃは、同期の孫報告に大ダメージを受けていた。

 

「そりゃいますわよ。貴女だって孫とは言わずとも、子供の一人や二人はいるでしょうに。レインもいい年なんですから、いい加減相手を見つけなさいな。行き遅れになりますわよ。……いや、あーあーきこえなーいじゃなくて、本当に」

「…………」

「ウィズ? どうしましたの?」

「……いましぇん、子供」

 

 蚊の鳴くような告白に、リーゼだけではなくレインまでもが体を小さくするウィズに目を丸くする。

 二人に悪意はない。貴族だろうが平民だろうが、ウィズくらいの年齢の女性であれば、ちょうどゆんゆんくらいの子供がいるのがこの世界における普通であり、社会常識だからだ。

 あまりこの件を突っつかれるとウィズが涙目を通り越してガン曇りしそうだと感じたあなたは助け舟を出すことにした。ウィズが現役を退いた理由である、魔王軍幹部ベルディアとの戦い。ウィズは死の宣告を受けた仲間達を救った結果、子供を産めない体になってしまったのだと。

 

「そうでしたの……あなたのパーティーが解呪不可能な死の宣告を食らったというのは知っていたけど、それで……」

 

 失敗したかもしれない。気まずい空気とウィズに向けられた深い同情を感じ取ったあなたはそう思った。

 あなたの思っていた以上にこの世界において子を産んで血を次代に繋げるという事は重大な意味を持っていたのだ。ここら辺は残機が基本的に無限な上、ポーションで寿命もあってないような世界の住人であるあなたには理解できない感覚である。

 やらかしたあなたのフォローをすべく、ウィズは二人が何かを言う前に口を開く。

 

「リーゼさん、お気になさらないでください。私は何も後悔していませんし、もう終わった事ですから。それに……子供がいなくても、私は一人ぼっちじゃないですから」

 

 あなたの隣に寄り添って幸せそうに微笑むウィズに、あなたは大変申し訳ない気分になった。

 趣味に命を賭けるつもり満々だった、最悪埋まる(死ぬ)一歩手前だった、などと口に出してしまえばこの掛け替えのない笑顔がどうなる事か。釘を刺してくれたバニルに改めて感謝しておく。

 

「……少し話を変えましょうか。そっちの彼とはどこまで行きましたの?」

「どこまで? この前一緒にドリスに温泉旅行に行きましたよ。アルカンレティアにも」

「カマトトぶってんじゃありませんわよ。ぶっちゃけヤる事はヤってるんでしょう? いいご身分ですわね、若い男を捕まえて淫蕩三昧」

 

 話と場の空気を変えるにしても初っ端からエンジン全開すぎである。

 ニヤニヤしながら指を抜き差しするジェスチャーが何を示しているかはあえていうまでもないだろう。本当に貴族なのだろうかと疑いたくなる程度には学生ノリ全開だった。

 男女が一つ屋根の下とくれば、そういう風に勘繰る人間も出てくるのだろうな、と突然の飛び火にあなたは半ば諦めの境地に至る。レインの顔を見てみれば、師匠と憧れの人物と頭のおかしいエレメンタルナイトに板ばさみにされているのと申し訳なさで死にそうになっている。

 

「誤解です! 私達はそういうえっちでいかがわしい関係じゃありません! 確かに彼は大切なお友達で同居してる間柄ですが、断じてリーゼさんが考えてるようなのじゃないですから! 温泉旅行だって二人きりで行ったわけじゃないですし!」

 

 顔を真っ赤にしてぶんぶんと手を振るウィズの姿に何か勘付いたのか、リーゼはスッと目を細めた。

 

「ウィズ、ちょっと。貴女……冗談でしょう?」

「な、何がですか? 私達がなんでもないっていうのは本当ですよ?」

「子供がいないのはまだしも、まさか、その年になってまだ生むすm」

「ほあああああああ!!!」

「ぐふっ!?」

 

 リッチーチョップはパンチ力。

 前衛顔負けの惚れ惚れする動きで延髄に手刀を決めてリーゼを沈めたウィズは、もはやちょっと全力疾走しただけで筋肉痛に苛まれていたぽんこつりっちぃと同一人物とは思えない。一瞬だけ目つきも鋭くなっていた気がする。

 

「あ、ああっ! すみませんリーゼさん! つい手が……!」

「すみません、ウチのアホ師匠がなんかもう本当にすみません……!」

 

 レインに至ってはそろそろ焼けた鉄板の上で土下座を始めそうだ。

 胃薬でも渡しておくべきだろうか。

 

 

 

 

 

 

 女三人寄れば姦しい。

 その中に男一人という、あなたからしてみれば微妙に居心地の悪い中でのお喋りは、あなたの知らないウィズを知れたという意味では、非常に実りのあるものだった。

 

 

「リーゼさんは周囲から孤立しがちだった私をよく気にかけてくださっていた、とても優しい方なんですよ。高価なマジックアイテムの買いすぎで無一文だった私に、貧乏人にはこの程度がお似合いですわ! って言いながら何度も購買のレインボーパンを恵んでくださったり」

「購買のレインボーパンって、あの罰ゲーム用として有名なレインボーパンですか?」

「ば、罰ゲーム……いつのまにか私の主食が罰ゲームになってる……確かに視界が七色に染まる味でしたけど……」

「渡しておいてなんですけど、よく食べられましたわねそんなもの」

 

 

「レインさんはアークウィザードでしたよね。でしたら私のお店で取り扱ってる魔力増強ポーションなんかがお勧めですよ。副作用で一ヶ月ほど全身の色が日替わりで変化してしまうのですが、その分効果は抜群です!」

「す、すみません。ありがたいお話なのですけど、仕事の都合上外見に影響が出るような品はちょっと」

「産廃を集めるその悪癖、まだ治ってませんでしたのね……」

 

 

「アイリス様ってどういうお方なんですか?」

「お若くして聡明かつ勇敢であらせられる方ですわ。先日の魔王軍の大規模な襲撃の際にも御自ら国宝を手に取って味方の救援に向かわれるなど、ジャティス様とアイリス様がいればこの国の未来は安泰ですわね」

「いきなり前線に行くと言い出して私は胃が痛くなりましたよ。お怪我でもされたらどうしようかと」

 

 

「貴女も弟子を取ったという話だけど、師匠と同じく弟子もやっぱりアレなのかしら」

「アレってなんですかアレって! ゆんゆんさんはとっても優しくて可愛らしい子ですよ。まだ十四歳なのに、親元から離れて一生懸命頑張ってるんです」

「でも紅魔族なんでしょう?」

「いやまあ、そうなんですけど。ゆんゆんさんは紅魔族の中でも私達に近い、普通の感性の持ち主で……」

 

 

 

 そうして二人が帰る時間が近づいてきた頃。リーゼが思い出したようにこう言った。

 

「ねえウィズ。元クラスメイトの誼で、一つ頼まれごとを聞いてくださる?」

「えっと……あまり無茶なものでなければ。私はお店がありますので」

「手間はかけさせませんわ。もし今も貴女が戦えるのでしたら、少し私の弟子の相手をしてあげてほしいというだけですから。……あの時の私のように」

「レインさんと? もちろん戦えますし、研鑽も怠っていませんが。でも、あの時のリーゼさんみたいにっていうと……」

 

 ウィズはあまり気乗りしていないようだ。

 

「本当に別人ですわね。あれから何年も経ったとはいえ」

「私も社会に出て色々と学びましたし……当時のパーティーメンバーに話したらドン引きされましたよ」

「いい気味ですわ。でもレインなら大丈夫ですわよ。こう見えて割と打たれ強いですから。装備も魔法防御の強いもので固めてますしね」

「うーん……ですがやっぱり……」

「なんなら先手は全てレインに譲っても構いませんわ」

「その条件ならまあ……レインさん、いかがされます?」

 

 レインは勢いよく頭を下げた。

 

「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

「あはは……分かりました。ちょっと準備してきますね」

 

 苦笑して部屋に戻っていくウィズを見送る。

 

「レイン、骨は拾ってあげるから気を確かにもって死ぬ気で挑みなさい。君ならできるよってやつですわ」

「それ超絶難易度の無理難題を押し付ける森神の有名な台詞じゃないですか」

 

 類義語に「ほら、しっかり」があったりする。

 森神は純粋に応援しているのだが、難易度が高すぎてどちらも煽りにしか聞こえないと評判だ。

 

「……まあ怪我をする事はないでしょう。あちらからは攻撃しないっていうハンデ付きですし」

「そういえば、当時の師匠みたいにっていうのは何なんですか?」

「校舎裏の決闘といえば通じるかしら」

 

 英雄との手合わせに興奮で赤らんでいたレインの顔色が一瞬で蒼白になった。

 あなたには何のことやらさっぱりだったが、ガクブルと震える彼女は言葉の意味を正しく理解しているようだ。

 

「それってもしかしなくてもアレですよね!? 師匠が心をバッキバキに折られたっていう例の公開処刑ですよね!?」

 

 公開処刑。凄まじく不穏で不吉な字面である。

 学生時代のウィズは何をやらかしたというのか。彼女の黒歴史は氷の魔女(冒険者)時代だけかと思いきや、そうでもないのかもしれない。

 

「正確にはそれが直接の原因ではないのだけど……まあそうですわね」

 

 ですが、と続ける。

 過去に想いを馳せるように目を細めて。

 

「一度くらい、貴女に十代という圧倒的な若さで時代を取ったウィズの力を見ておいてほしい。そう思いましたの。この経験はきっと貴女の掛け替えのない宝になるでしょう」

「師匠……」

「ま、アレが目も当てられないほどに錆び付いていなければ、貴女がフルボッコにされた挙句無様に玉砕するのは目に見えていますけどね。万が一、億が一。一撃でも当てられたら貴女の実家の負債を私が肩代わりしてさしあげますわ。確か五千万エリスかそこらでしたわよね? 安いもんですわ」

「本当にまったく、これっぽっちも期待されていない!」

 

 

 

 

 

 

 アクセル南東の平原で対峙する二人のアークウィザード。

 片や王女の護衛にして教育係。片や隠遁した元英雄。

 肩書きとしてはどちらも大層なものを持っている二人はこれから魔法を撃ち合うのだという。極めてシンプルな魔法使いの決闘の方式だ。

 子供でも危険な行為と分かるが、あなたはウィズに関しては心配していない。心配しているのはレインの方だ。

 廃人級の力を持つウィズの魔法を食らったら普通に死にそうなのだが、幸いにして蘇生経験は無いという話なので、レインが死んだら女神アクアのところに連れて行くとしよう。

 

「レインさん、いつでもどうぞ」

 

 緊張でガチガチのレインは完全武装だが、悠然と佇むウィズはあなたが贈った杖を持っている。

 素手というのも決まりが悪いので持ってきたのだろうが、ただでさえ限りなくゼロに近いレインの勝ちの目を完全に潰している。

 50メートルの距離を置き、レインはプレッシャーにごくりと喉を鳴らした。

 

「いきます……ファイアーボール!」

 

 先手を譲られたレインの持つ杖から中級魔法の火球が飛ぶ。

 挨拶代わりとはいえ、直撃すればアクセル近隣の魔物などひとたまりもない威力を持つそれは、ウィズに届く事無く、レインから25メートルの距離……つまり、ぴったり二人の中間地点で掻き消えた。

 

「…………っ!?」

 

 レインが大きく目を見開き、表情を強張らせる。

 

「ふぁ、ファイアーボール!!」

 

 今度は三連。

 しかし魔法は再びあっけなく霧散した。ウィズとレインの中間地点で。

 

「ライトニングっ! フリーズガスト! ブレード・オブ・ウインド!!」

 

 中級魔法とはいえ、様々な属性の攻撃魔法を矢継ぎ早に繰り出すレインは、伊達に高レベルのアークウィザード、そして王女の教育係をやっていない。

 詠唱に遅延をかけて待機状態にし、複数の魔法をほぼ同時に発動させるなど、純粋な後衛として見た場合、レインの技量はゆんゆんを上回るだろう。

 

 だが届かない。

 フェイントをかけても、物量で攻めても、わざと魔法の威力と速度を落としても、レインの放つ全ての魔法は25メートルで阻まれる。それより手前でも奥でもなく、ぴったり25メートルで。

 

 ウィズが特別なスキルを使っているわけではない。25メートル地点に魔法をかき消す結界を張っているわけでもない。

 ただ相手と同じ魔法を、同じ威力で、同じ速度で、同じタイミングで発動させ、完全に相殺しているだけだ。

 しかし、だからこそそれは、魔法を使う者であれば等しく怖気を覚えずにはいられない、悪夢のような光景だった。

 あなたは速度差とステータスに物を言わせ、格下の相手の魔法を後出しで上から押しつぶす事はできる。だがあのような緻密で繊細な魔法のコントロールは逆立ちしても不可能だ。

 それを同速で、しかも涼しい顔でこなし続けるウィズの姿は異様と言うほかない。

 

 

 ――ところで今のは炸裂まほ…………いや…………空気、あるいは音の爆発、ですよね? でも、アークウィザードどころかリッチーのスキルにすらそんなもの……複数の魔法とスキルを組み合わせればあるいは……。

 

 ――異世界の人、だったんですか……? 確かに、あの爆発も袋がどこかに消えていく魔法も、私ですら初めて見る魔法の反応ではありましたけど。

 

 

 ふと、宝島を採掘する際にウィズに異世界の魔法を見せた時の事を思い出す。

 彼女は未知の魔法を一目で看破し、魔法の発動とその内容を感じ取るだけの目を持っていた。

 そこに類稀なる魔法のセンスを加えるとどうなるのか。結果はご覧のとおりである。

 

「学生時代のくっそ生意気な小娘だったウィズ曰く、こんなものは無駄に魔力を消耗するだけで実戦では何の役にも立たない、ただの大道芸に過ぎない、だそうですわ」

 

 あなたの隣で二人を見守るリーゼがそう言った。魔法ガチ勢のウィズが言いそうな台詞だった。

 実際その言葉自体は間違っていないのだろう。所詮はジャンケンで延々とあいこを出し続けるようなものなのだから。

 時間稼ぎならまだしも、殺し合いの場で相殺合戦が役に立つ時が来るとは思えない。こんな事ができるのなら、普通に相手を上回って打倒した方がよっぽど楽だし確実である。

 

 だが、ステータスという数字やスキルだけでは決して知る事ができず、それでも確かに存在する何か。

 才能、異能、この際呼び方はなんでもいい。この相殺は、ウィズの持つそれを嫌というほど見せ付けるものだった。

 学生の時分にこんな物を見れば心が折れるには十分すぎるだろう。なるほど、まさしく公開処刑だ。

 

「本当……嫌になるくらい、可愛げの無い小娘でしたわ」

 

 公開処刑を食らって心を折られたという元クラスメイトのナンバー2。その言葉こそ辛辣なものだったが、一方で表情は呆れと懐古を多分に含んだ苦笑いを作っていた。

 

「少し年寄りの昔話と自分語りに付き合ってくださる? あなたのような若人には退屈なものでしょうけど」

 

 喜んで、とあなたは頷くと、リーゼはありがとう、と上品に微笑んだ。

 

「ウィズは自分に構ってくれていたと勘違いしているみたいですが、あの頃の私は単純に自分より何歳も年下の癖に優秀な彼女が気に入らなくて喧嘩を売りまくっていましたの」

 

 告白を聞いても驚きは無い。

 彼女の気質を見るにそんな予感はしていた。

 

「放っておけばよかったものを、あのスカした鉄面皮を何とかして崩してやろうと意地になって突っかかって。実技に、座学に、何かにつけて馬鹿正直に正面から勝負を挑んで、どれだけ努力を重ねても手が届かなくて。周囲のあいつは特別なんだから諦めろ、勝てるわけがない、なんてありきたりでつまらない言葉を無視し続けて」

 

 訥々と自身の敗北の軌跡を語る婦人に険は無く、ただ在りし青春の日々を懐かしんでいる。

 

「……自覚はなくとも、きっと私は友達になりたかったのでしょうね。いつも独りだった、あの子と」

 

 独白は続く。

 噛み締めるように紡がれるそれは、果たして本当にあなただけに向けられたものだったのか。

 

「そうして卒業を間近に控えたある日。念願だった上級魔法を習得した私はあの子に決闘を申し込みましたわ。今にして思えばお遊びのような、けれど、子供だった私からしてみれば本気の決闘」

 

 現在あなた達の目の前で繰り広げられているものと違い、その決闘はウィズも当たり前のように本気で攻撃を仕掛けてきたのだという。

 ウィズの攻撃を必死に捌いたという彼女も大概に優秀だった。そうでもなければ宮廷魔道士などやっていないだろうが。

 

「当時、私とウィズの間にレベルとステータス、スキルの差は殆どなかった。一手分だけ、私の魔力が尽きる方が早かった。本当に、たったそれだけ。その程度にしか額面上の差は無かった。ですが私は全身に傷を負い、あの子は無傷」

 

 ステータス以外の部分で埋め難い差があったと言外に告げる。

 だが敗北が直接彼女の心を折ったわけではないようだ。

 

「とはいえこちらも長い間あの子に挑み続けた身。才能の差なんてものは誰かに言われるまでもなく理解していましたし、当時の私はむしろあと一歩まで追い詰めた事に手ごたえすら感じていましたわ。負けたのは死ぬほど悔しかったですけど」

 

 我ながら脳筋全開ですわね、とリーゼは笑った。

 

「ですが、戦いが終わった後、次こそは、とリベンジを誓う私にウィズは頭を下げてこう言いました。汗だくになって、あれだけ崩してやろうと躍起になっていた鉄面皮を、ほんの少しだけ崩して微笑んで」

 

 ――リーゼ、遊んでくれてありがとう。すごく楽しかった。

 

 あなた達が遊びで命のやり取りを行うのと同じように、子供の頃のウィズは魔法の撃ち合いを、一歩間違えれば命を落としかねない決闘を遊びだと認識していた。

 げに恐ろしきかな魔法ガチ勢。頭のネジが何本か抜けていると言わざるをえない。

 恐らくは冒険者になってから矯正されたのだろうが、そのまま成長していたら今頃どうなっていたのか。

 あなたは今のウィズだからこそ大切に思っており、何より今のウィズ以外にあなたの心理的な(ストッパー)になり得る人材はいないわけだが、それでも興味は尽きない。

 

「いやー……心が圧し折れる音が聞こえましたわね。もう根元から、バッキバキに」

 

 ついでに友人フラグも折れてしまったのだろう。

 具体的に何年前の話か定かではないが、二人が卒業から今日まで一度も顔を合わせていなかったという事実がそれを如実に表している。

 今こうして冷静に語っていられるのは、数十年という時間を経て精神的に余裕ができたからか。

 

「それで結局、ウィズとは逃げるようにそれっきりだったのですけど、冒険者になった彼女の活躍自体は耳にしていましたわ。風の噂でベルディアとの戦いの後に冒険者を引退したと聞いた後は表舞台に出てくる事も無く、最近になってようやく不肖の弟子の一人がコンタクトを取ったと知って、いてもたってもいられず、恥ずかしながらこうして付いて来たのですが……どんな経験をしたらアレがああなるのかしら……」

 

 氷の魔女を想定していたら、出てきたのはまさかのぽわぽわりっちぃ。

 物憂げにため息を吐いた彼女の驚きは想像するに余りあると言わざるを得ない。

 

「まあ、腑抜けた今も腕は全く鈍っていないみたいですけど……むしろキレッキレじゃありませんの」

 

 あなた達は涼しげに魔法を連発するアークウィザードを見やる。

 ゆんゆんの修行で魔法を使う姿を見ていたが、あれは指導の範疇であって、決して戦いではなかった。

 近しいところではバニルとのじゃれあいやあなたとの鍛錬になるのだろうが、これはそれらとは全く質が異なる。

 杖の一振りで複数の魔法を次々に行使する彼女はまるで巫女が舞を踊っているようで。あなたをして経験が無いほどに、今のウィズはどうしようもなく美しかった。

 

 

 

 

 

 

 やがて、魔力が尽きたレインがギブアップし、二人の戦いとも呼べないなにかは予定調和の終わりを告げる。

 

「せっかくですし手元が狂ってレインをボロ雑巾にしてくれたら私は面白かったのですけど」

「リーゼさん、お弟子さんにそんな事言っちゃダメですよ」

「本当にこの変化には慣れそうにありませんわね……ぶっちゃけ気色悪いですわ」

「そんな酷い!?」

 

 楽しそうに言い合う二人を尻目に、あなたはレインに労いの言葉をかけて水を渡した。

 

「ありがとうございます……お恥ずかしいところをお見せしました。私もまだまだですね」

 

 レインは何も悪くないし、よくやっていた。相手が悪かっただけの話である。

 あなたからしてもあれはおかしい。個性豊かなノースティリスの友人達に負けず劣らずだ。

 

「なんていうかもう……凄かったとしか言えません。人はここまで強くなれるんだなって思いましたよ。単純なレベルや魔力の差じゃなく、もっと違う何かを感じました」

 

 互いに傷一つ負う事無く、しかし圧倒的な力の差をこれでもかとばかりに見せつけられ、それでもレインの表情には晴れやかなものがあった。

 思った以上にレインがダメージを受けていないのは彼女が大人で、王女アイリスのお付きとして様々な勇者候補達を見てきたからなのだろう。

 

 レインの感想はあなたが抱いたものでもある。

 だが『友人』(大切な人)の勇姿を見て感動や羨望を覚える以上に、一度でいいから氷の魔女と、全力のウィズと、共闘ではなく相対を、ウィズの心を守ると誓ってもなお、『友人』との命のやり取りを渇望してしまう程度には、あなたはどうしようもなく根っからのノースティリスの冒険者(ひとでなし)で、廃人であった(壊れていた)




《清掃員》
 町に配置されているNPC。
 かたつむりに塩を投げつける。かたつむりは死ぬ。

《リーゼロッテ》
 ウィズの元クラスメイト。現役の宮廷魔道士。四児の母で最近二人目の孫が生まれた。
 負けず嫌いで陰湿な事が大嫌い。いつだって正面から正々堂々を旨とする熱血、努力、根性の人。
 趣味は猥談と大人の男に女装させること。

 学生時代は高飛車で高慢で高笑いが似合いすぎるお嬢様だった。髪型は当然のように大型ツインドリル。
 炎の魔法を得意とし、その実力は後の氷の魔女に後一歩のところまで肉薄するほどのものだったが、温室育ちのお嬢様が相対するにはあまりにも異質すぎる精神性の前についに心が折れた。

 本当はずっと、孤高を貫く年下の少女と友達になりたかった。
 何かにつけて突っかかっていたのは自分を見てほしかったから。
 本人がその事に気づくのは、学院を卒業してからずっと後の話。

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