このすば*Elona   作:hasebe

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第107話 アイツ、ジュア様の話になると早口になるの気持ち悪いよな

「ゆんゆん、アレと二人で旅に出るというのなら、くれぐれもあの亡霊には気をつけなさい」

「亡霊? なんのこと?」

 

 ゆんゆんがあなたと共に旅に出る少し前。紅魔族の宿願の一つである竜殺しを成し遂げためぐみんが上機嫌でゆんゆんの家に遊びに来た日のこと。

 ボードゲームに興じている最中、駒を動かしながらめぐみんがそう忠告した。

 自身を襲った狂気と殺意の奔流を思い返して小さく背筋を震わせる友人に、思い当たる節が全く無いゆんゆんは当然ながら首を傾げる。

 

「どうやらゆんゆんは遭遇していないようですが、貴女がパーティーを組んでいるあの男は、女の子の姿をした亡霊のようなモノを飼っています。見た目は私と同じくらいの背丈の、赤い服を着た緑色の髪の女の子でした。私も詳細を聞かされたわけではないのですが、解呪できない呪いのようなものって言ってましたかね」

 

 こんな髪型をしていました、と両手で小さなツインテールを作る。

 

「それって飼っているじゃなくて憑かれてるの間違いじゃないの? 亡霊なんでしょ?」

「飼っているで合っていると思いますよ。本人が積極的に引き剥がそうとしていないので。アンデッドに縁がある人間なんだと私は勘繰っていますが」

「まあ、ウィズさんもそうだしね。全然そうは見えないから忘れがちだけど」

 

 リッチーであるウィズは言うに及ばず、もう一人の同居人であるベアからもゆんゆんは自身が何かしらのアンデッドだと暗に申告されているし、めぐみんもデストロイヤー戦の折にあなたがアンデッドを仲間にしていると知らされている。

 生憎と後者の種族までは知らされていないが、二人ともまさかベアの正体が音に聞こえたデュラハンのベルディアだとは露程も思っていなかった。

 

「まあ亡霊に関しては特定の単語を言わなければ大丈夫らしいので。でも気をつけるだけ気をつけておいたほうがいいですよ」

「ねえめぐみん。もしかして私のこと心配してくれてる?」

「いえ別に。ただ私の知らない場所で惨殺とかされると寝覚めが悪いじゃないですか」

「命に関わる問題なの!?」

 

 けんもほろろな対応をしつつ、また一つゆんゆんの駒を奪う。

 盤上の形勢はほぼ五分。

 王のテレポートや精神コマンド、エクスプロージョン(ちゃぶ台返し)など荒唐無稽なルールがまかり通ってはいるものの、基本的には地球やイルヴァに存在するチェスに酷似したこのゲームを、ゆんゆんは何年もの間、一人二役で遊び続けていた。

 そしてつい最近になってようやくあなたという恒常的な、めぐみんと違って勝ち負けを全く気にしないでいい遊び相手を得た結果、純粋な対人戦の楽しみに目覚め、紅魔族の中でも優秀な才能を持つという素質と一人対局という名の空しい努力が奇跡的に実を結び、一度はめぐみんをぐうの音も出ないほどにけちょんけちょんに完封してみせるほどの腕前になった。エクスプロージョン以外はなんでもアリのルールで。

 当然、負けず嫌いのめぐみんは今日は調子が悪かったみたいです、などと嘯き(うそぶき)ながらも内心では盛大に歯軋りしてリベンジを誓い、それまでは暇潰しに嗜む程度にしか遊んでいなかったゲームを本気で研究、攻略し、あっという間にライバルに追いついてみせた。紅魔族随一の天才は伊達ではない。

 

 暫く一進一退の攻防を続け、盤面が完全に膠着したところでゆんゆんが思い出したように口を開いた。

 

「そういえばさっき特定の単語を言わなければ大丈夫って言ったけど、具体的にはなんて言ったらダメなの? 肝心の単語を知らないとどうにもならないんだけど」

 

 当然の質問にめぐみんは眉間に皺を寄せる。

 幾らあなたをからかうためだったとはいえ、日頃から悪態をついたり突っかかっているあなたを、よりにもよってお兄ちゃん呼ばわりした事を目の前のライバルに話したくなかったのだ。

 

(どういうわけか、ゆんゆんは私があのイカレポンチに懐いてるだとか甘えてるだとか構ってもらいたがってるだとか、考えるだけで頭が痛くなりそうな勘違いをしてますからね。絶対ここぞとばかりにからかってくるに決まっています。私にとってアレは打倒すべき宿敵、超えるべき壁でしかないというのに。困ったものです。……まあ爆裂魔法を評価している点は見る目があると言えますし、本人も別に嫌いとまでは言いませんけど。ウィズの店を通して実家にお金を落としてくれていますし、私がスロウスさんと再会できたのも一応はあの男が原因みたいですしね)

 

 やれやれ、と。誰に向けたものでもない心中の独白を終える。

 

「鬼です。くれぐれもあの男を鬼と呼んではいけませんよ。例え実際には鬼が裸足で逃げ出すような外道の輩だとしても」

 

 めぐみんは笑顔で毒と嘘を吐いた。

 

「鬼、ね。たぶん呼ばないと思うけど、絶対に呼ばないとは言い切れない言葉よね……あの人だと」

「まあ万が一呼んでしまっても大丈夫でしょう、多分。私が襲われた時は飼い主が実体化した悪霊を一方的に蹴散らしましたから」

「僧侶でもないのに浄化の魔法を?」

「物理です。危険な相手とはいえ、見た目だけなら普通の女の子にしか見えない相手の腕と首を躊躇なく斬り飛ばす様はドン引きしましたね実際」

「ああ、うん。そういうことするよね。というか姫騎士にしてたわ」

 

 魔物とはいえ、見た目だけなら可憐な少女である姫騎士を殺戮するあなたの勇姿は、今もゆんゆんの記憶に強く焼き付いている。

 

「姫騎士ですか。私もあまり詳しくはないですが、確か竜騎士の祖でしたね。あまり紅魔族の琴線に触れる種族ではないはずですが、まさか捕まえようと?」

「それこそまさかよ。たまたま遭遇して戦っただけ。でもすごくやりにくかったわ」

「この際ですし捕まえるのは姫騎士の下の部分でも良かったんじゃないですか? 私は死んでもごめんですがね」

「全然良くないからね!? あんなのに乗ってたら誰がどう見ても変態の仲間じゃない! それに縛られてる女の子を庭先で飼って街中で乗りこなすとかご近所の評判が大変なことになるわよ!」

 

 ヒトの形をしたものを相手にナチュラルに野外で飼うという発想が平然と飛び出てくる友人を、めぐみんはちょっとだけ遠くに感じた。

 

「……まあ姫騎士は論外として、ドラゴンはドラゴンでどうしようかって感じだけどね。私を乗せて飛ぶサイズだと絶対家の中で世話できないし、庭も狭すぎるだろうし」

「私の屋敷の庭なら幾らでも放し飼いできますよ? そして有耶無耶のうちにドラゴンを手懐けて私の物にします」

「少しは本音を隠しなさい。紅魔族としてドラゴンに拘る気持ちは分かるけど、めぐみんにはちょむすけがいるじゃない。ある意味竜よりずっと凄いと思うんだけど。ちょむすけってほら、アレだし」

「ちょむすけはちょっと信じられないくらい臆病でへちょいじゃないですか。はっきり言って私はあの子が本当に邪神なのか疑ってますよ」

 

 めぐみんが飼っている黒猫であるちょむすけ、その正体はなんと、幼き日のめぐみんが封印から解き放った邪神、ウォルバクである。

 これはあなたやウィズは勿論、めぐみんのパーティーメンバーですら知らされていない、二人だけが知るとっておきの秘密だ。

 

 だが二人は知らない。

 

 めぐみんには爆裂魔法としての先達、さらに人生の恩師として。ゆんゆんには友達として。

 二人の紅魔族に深く慕われているスロウスという名の女性の正体が、魔王軍幹部にして怠惰と暴虐を司る女神ウォルバクであるということを。

 そして女神ウォルバクが、今はちょむすけと呼ばれている自身の半身を捜し求めているということを。

 

 二人は知らない。

 

 今は、まだ。

 

 

 

 

 

 

 この後、まるで予定調和のような流れでゆんゆんは禁句である「兄」を口にしてしまい、あなたの妹の怒りを買った。

 仮にめぐみんが嘘をつかなければ、あなたの目の前で白目を剥いて泡を吹くという醜態を晒す事態には陥っていなかっただろう。

 あなたの謝罪と妹の説明を受けたゆんゆんは、呼吸するようにデマを吐いためぐみんに軽く呪詛を吐きながらも、少しだけ友人が真実を隠した理由を察することになる。

 ただこの件でめぐみんをからかった場合、自分もあなたを駄目な意味でお兄ちゃん呼ばわりしたことがバレて盛大に自爆する破目に陥るので、こっそり温かい目で見るだけで勘弁してあげることにした。

 

 そんなこんなで色々な意味で生涯忘れ得ない激動の一日を終えた数日後の朝。

 船旅もおよそ半分を過ぎ、船の揺れにもすっかり慣れたゆんゆんはあなたの部屋を訪れていた。

 一緒に食堂に行こうと誘ったところ、もう少し時間がかかるので部屋の中で待っていてほしいと招かれたのだ。

 めぐみんあたりなら友人とはいえ、大人の男の部屋でほいほい二人きりになるなど危機感が足りなさすぎると説教を始めるだろう。

 

(それにしても……)

 

 あなたが使用している船室の寝台に腰掛けたまま、ゆんゆんは祭壇に目を向ける。

 祭壇。そう、祭壇だ。

 それほど広くもない船室のスペースの大半を潰してしまっているこの祭壇は言うまでもなく生活の邪魔であり、こんな場所に置いておくような代物ではない。実際に船に置いてあった物ではない。この部屋を現在使っているあなたが持ち込んだ私物だ。

 木材でも石材でも金属でもないそれが何でできているのかは少しだけ気になったものの、今はそんなことはどうでもよかった。

 目下彼女の関心を強く惹いているのは、あなただ。

 祭壇の前に跪き、厳かに、そして真摯に祈りを捧げるあなたの姿は声をかけることすら憚られるほどに、まさしく絵に描いたような敬虔で模範的な信徒の姿そのもの。

 だがあなたを見るゆんゆんの胸中は、たった一つの思いで占められていた。

 

(今私の目の前にいるこの人は誰なの……いや、本当にどうなってるの……)

 

 文字にして書き起こしてみれば一大事だが、これは彼女が先日の乙女力放出事件や幻影少女解体ショーのショックであなたの記憶を失ったわけではなく、ゆんゆんの中のあなたと、今こうして静謐の中で身じろぎせずに祈っているあなたのイメージが致命的に噛み合わないのが原因である。

 

 殆ど言いがかりとしか言いようがない理由で決闘を挑むという、今となっては赤面モノでしかない形の出会いを経て、なんやかんやで私生活を充実させてくれた原因であること、何かにつけ気にかけてくれて便宜を図ってくれていること、あなたを通して友達が増えたこと、故郷を気に入ってくれたこと、パーティーを組んでくれていること、常識や認識のズレで悪気無しに度々振り回してくれること、普段はどちらかというと落ち着いているのにふとした切っ掛けで子供っぽい一面を見せることなどから総合して、ゆんゆんはあなたのことを友人であると同時に優しくて面倒見のいい、だけど放っておけない兄のような存在だと思っている。実際に口に出したらあなたの血の繋がっていない生き別れの妹という、それはもう他人なのでは? と感じた相手に殺されかけたが。

 そんなあなたがここにきて予想外の一面を見せ付けてくるものだから、ゆんゆんはここにいることすら激しく場違いな気がして、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。

 

 封印された邪神などは紅魔族的にカッコいいので大好物だが、彼らはあまり宗教関連に強い興味を示そうとしない。

 敬遠しているわけでもないが、彼らにとってはそんなものより紅魔族的カッコよさを探求する事の方が遥かに重要なのだ。近場にアクシズ教の本拠地であるアルカンレティアが存在するのも無関係ではないだろう。

 紅魔族としては異端の感性を持つゆんゆんもまた、上記の性質を引き継いでいる。

 かつての彼女であれば入信したら友達ができるかも、という邪な思いで信仰の門を叩いていたかもしれないが、人間関係が充実している今となっては到底有り得ない話だろう。だからこそこうして強い居心地の悪さを感じてしまっているわけだが。

 

 ゼスタと懇意にしているというのは知っていたが、ゆんゆんがあなたの信仰者としての姿を見るのはこれが初めてであり、つまるところ、ゆんゆんはあなたがここまで敬虔な人間だとは思っていなかった。

 あなたをどこかで紅魔族に近い人間だと感じていたし、地元の同族達に大人気のアイドル扱いだったので尚更だ。

 それが聞いてみればなんと、一日一回は必ず神に祈りを捧げているし、こういった旅や長期の依頼に赴く際は必ず祭壇を持ち歩くようにしているという予想外の答えが返ってきて、ゆんゆんは耳を疑った。

 携帯用というには大きすぎるそれは今この瞬間にも床が抜けるんじゃないかと心配してしまうほどに重そうだったが、羽の生えた巻物という、物体の重量を軽減させる巻物を使っているので実際に床が悲鳴をあげることは無い。

 

 祭壇には、見るからに清楚で包容力のありそうな美しい緑髪の女性の肖像画が飾られている。

 神の肖像画というイメージから連想されるような、象徴的でメッセージ性を持った堅苦しいものではなく、プライベートの一場面を切り取ったかのような印象を受ける絵だ。

 極めて親しい者にのみ向けられる温かく柔らかな微笑に、ゆんゆんはこの場にいないもう一人の師の姿を幻視する。

 

 緑髪という点からゆんゆんはほんの一瞬、先日襲ってきた悪霊を連想したものの、髪型はツインテールではなくウェーブがかかったロングヘアーで、着ている服は赤ではなくクリーム色。何より悪霊という言葉がこれっぽっちも似合いそうにないのですぐに別人だと分かった。

 そして初めて見た筈なのに、ゆんゆんはその女神をどこかで見た覚えがあった。

 記憶を探ること十数秒。遺伝子操作によって齎された紅魔族の優秀な頭脳と記憶力によって、かつてあなたの自宅前に置いてあった雪像と肖像画の完全なる一致を認めると同時に覚えたのは、恐ろしいほどに精巧な雪像を作り上げた目の前の人間の情熱への若干の畏怖。

 

(でも、本当に綺麗で優しそうな女神様……癒しを司ってるって聞いたけど、どんな神様なんだろう)

 

 祈祷を終えたあなたに向け、友人の新しい一面をもっと知りたい、理解したいと考えている健気な少女は言葉を投げかける。

 どこの世界であろうと、筋金入りの狂信者がどういうものかを知る者であれば絶対にしないであろう、その質問を、迂闊にも。

 

「この女神様……ジュア様って、どんなお方なんですか? あんまり宗教に興味が無い私なんかでも信仰できる神様なんですか?」

 

 果たして、文字通りの愚問への反応は恐ろしいほどに劇的であった。

 敬愛してやまぬ、いと尊き癒しの女神に友人が興味を抱いていると知ったあなたがどこからともなく取り出したのは、公私の区別無く女神が発したありがたい言葉や教えをあなた自身の手で書き残した、唯一無二の聖典。そしてノースティリスにある常雪の街、ノイエルで年末に配布されている入信者用のパンフレット。

 祈祷中とはうってかわって饒舌さを発揮し、いつになく本気の様子で自身が信仰する女神がいかに素晴らしく掛け替えのない存在であるか、そしてオマケのように信仰した場合のメリットを早口でまくしたてるように啓蒙してくる師匠を前に、ゆんゆんは凄まじいまでのデジャブを感じた。

 それは爆裂魔法を語るめぐみんの姿であり、仕入れた商品の説明をするウィズの姿であり、女神アクアの伝説を語るゼスタの姿。

 

(そうだよね、ゼスタさんと仲がいい上にアルカンレティアを気に入ってたんだもんね! そりゃ信仰してる神様の話になったらこうなるに決まってるよね! というか入信特典の抱き枕って何!? もしかしなくても女神様の抱き枕を配ってるの!?)

 

 互いの息が届きそうなほどの距離でありながら、色気も照れも介在する余地が欠片も無い。精神的な距離はどこまでも離れていくばかり。

 心の中で頭を抱える迷える子羊はしかし、神に気に入られれば、下賜されるという形で仲間(友達)が増えると聞かされた時にはちょっとだけ心が動いてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 やりすぎた。ゆんゆんがドン引きしていたのは火を見るよりも明らかだ。よかれと思って熱心に布教したつもりが逆効果にしかなっていない。

 時間が経って頭が冷えたあなたは、船尾にて釣竿を手に空を見上げ、先ほどまでの自身の行いを反省していた。

 

 あなたがこの世界で布教を行ったのはこれが初めてだ。ウィズもベルディアも積極的にこの件には触れてこなかったので、あなたも率先して語る事はしなかった。肝心の女神と交信できないので、どれだけ布教して興味を持ってもらったところで信仰自体ができないというのも関係している。

 あなたは狂信者であり癒しの女神こそが至高の存在だと確信しており、女神を侮辱するものを決して許しはしない。神敵には等しく慈悲無き断罪の刃を。呪われてあれ。

 だが宗教的価値観は人それぞれであることは重々承知しているし、信仰の押し付けはよくないとも思っている。なのでアクシズ教徒や同門の過激派のように、興味を抱いていない相手に手練手管を弄して信仰を強要することはない。

 それでもゼスタに比肩する狂信者であることは覆せない事実であり、そんなあなたが友人に説明を求められたものだから、つい熱が入りすぎてしまったのだ。

 

 この世界に女神がいない以上、どれだけ興味を持ってくれても実際に信仰する事は叶わないのだが。

 

 実際に女神に謁見してその威光に触れれば少し考えも変わるだろうと、自身を取り巻く懸念と問題の全てが解消された後にゆんゆんをノースティリスに連れて行くプランを練りながら、最早何度目か分からなくなった竿を振る作業を繰り返す。

 陸上と比較すると船上でできること、やっていいことというのはあまりにも少ない。

 あなたが現在使っている釣竿もイルヴァから持ち込んだ物ではなく、船に置いてあったのを使わせてもらっている。下手に船上でクジラを一本釣りなどしようものなら転覆の恐れがあるのだから当たり前だ。

 使い慣れていない竿のせいか釣果は芳しくないが、時間を潰すためにやっているだけなのであなたは特に気にしていなかった。

 

 ここで、仮にあなたが船員や乗客と何かしらコミュニケーションが取れれば、時間など瞬く間に過ぎ去っていくのだろう。

 他の者がやっているように、各地の情報や情勢を交換しあったり飲み比べや賭けポーカーに興じたりなど、あなたとしては大いに望むところだったのだが、生憎とそうもいかない事情があった。

 

 初日の魔物の襲撃の折、あなたの機転と勇気に溢れた行動により、飛散したゲロゲロを浴びた乗客や船員にゆんゆんが冷たい目を向けられたり露骨に避けられるという悲劇は無事に回避された。

 難敵であるクラーケンもあなたが処理したので死者も重傷者も出なかった。万々歳である。

 だがその代償とでもいうべきか、クラーケンを秒殺してゲロゲロを処理するためだけに夜の海にダイブするという、並の冒険者からすれば狂気の沙汰を通り越して自殺行為を躊躇無く断行したあなたの正体が露見した。同乗者の中にあなたを知っている冒険者がいたのだ。

 噂は燎原の火の如き勢いで船中に広まり、襲撃の翌日にはあなたは例によって殆どの同乗者や船員から腫れ物扱いされるようになっていた。パーティーを組んでいるとはいえ、シースナッチャーに酷い目に合わされたゆんゆんは同情的な目で見られてこそいるものの、特に敬遠されていないのは不幸中の幸いか。

 

 噂が広まるまでは応対も普通だったことから分かるように、魔剣使いのソードマスターとして国内外問わず名前と顔が広く知られているキョウヤを筆頭とする有名冒険者達と違い、あなた自身の知名度はお世辞にも高いとは言えない。

 あなたの名前と顔が大々的に知られているのは拠点であるアクセルと王都くらいのものであり、それ以外では頭のおかしいエレメンタルナイトという異名と、異名に付き纏う犯罪者一歩手前のイメージだけが大きく一人歩きしている状態だ。

 ただし衛兵や検察官といった民や国の安全に携わる人間、そして冒険者ギルドの職員に関してはその限りではない。

 ドリスで拘留された時にもあったように、多少の規模の街であれば、門番があなたを二度見して顔を青くするなど日常茶飯事。冒険者ギルドに至ってはブラックリストに載っているのではないかと疑ってしまうほどのもの。

 

 一般人への知名度の低さだが、これはあなたがこの世界で活動を始めてさほど時間が経っていないというのもあるが、新聞や雑誌といった、いわゆるマスメディアでの露出が殆ど無いのが最たる原因だ。欲しがる者がいるとも思えないが、ブロマイドも売っていない。

 ベルゼルグには候補を含めて英雄が綺羅星の如く集っている。他に幾らでも記事になる者がいるのだから、積極的に自分を売り込むような真似をしていないあなたの知名度が低いのは当たり前だった。

 そこにくると、キョウヤは非常に精力的に活動している。彼は精悍かつ実直な美形の青年であり、勇者と呼ばれるほどの腕利きで愛想もいい。女性や男色家を中心に人気が出るのも頷ける。

 

 とはいえ、一度、たった一度だけ。

 あなたはこの世界で取材の申し込みを受けたことがある。

 

 それはもう一年以上も前。カズマ少年一行と知り合うよりも前であり、ウィズが掛け替えのない存在でなく、お気に入りの店の店主でしかなかった頃。

 つまりあなたの常識や良識、価値観や死生観、ひいては遵法精神が今よりもノースティリス側に大きく傾いており、もしかしたら今までは自分の運が悪かっただけであって、ちゃんと彼らも剥製をドロップするのでは? というだけの理由で目に付いた人間を片っ端から虐殺してもおかしくなかった時期のことだ。

 幸いにしてそんな悲劇は起きなかったし今となっては基本的に起こす気は無いが、冗談抜きで紙一重だったと今のあなたは認識している。

 

 そういうわけなので、仮に記者がこそこそとあなたを嗅ぎ回っていた場合、彼らは前触れも無く失踪したり路地裏でチンピラの喧嘩に巻き込まれて刺し殺されたり酔っ払って足を滑らせて水死体として発見されるなどの不幸に見舞われていた可能性が非常に高い。

 だがそこは相手もプロ。腕っ節が物を言う弱肉強食の世界で名を馳せている者、その気になれば一般人など瞬きする間に壁の染みにできてしまう者の気分を害する危険性、それを記者達は長年に渡って蓄積され続けてきた経験で熟知しており、初手からプライベートに土足で踏み込んでくるような不躾な真似はしなかった。

 それどころかギルドを通じてアポイントを取り、依頼という形で正式な取材の申し込みをしてくるなど非常に礼儀正しく、あなたも快く取材を受けることになる。

 

 当初は悪評が広がり始めている相手ということで当たり障りの無い話ばかりしていたのだが、やがてあなたが噂に言われているような人間ではなく、むしろ普通に話の通じる相手と理解したのか、記者はあなたの冒険者としての活動を密着で取材したいと申し出てきた。

 特に問題は無いと判断したあなたはこれを了承し、記者や護衛の一団をちょうど受注していた盗賊団の討伐依頼に随伴させた。

 

 人間、エルフ、獣人など雑多な種族で構成された盗賊団はどこから集めてきたのか、高レベルの者を多数擁しており、領地を任されている貴族ですらおいそれと手出しできない、独立勢力と呼べるほどの規模のもの。

 特に団長の男はカズマ少年のような職業冒険者でないにも関わらず、多種多様の職業のスキルを操る事で有名だった。

 

 構成員の中には女子供も混じっていたものの、それすら男達に混じって暴力を以って己が欲望のままに奪い、殺し、犯し尽くす。

 女神エリスが望んだ義賊じみた盗賊団とは程遠い、まさしく絵に描いたような悪漢である。

 幾つもの村を焼き滅ぼし、魔王軍もかくやという悪事を働く彼らには高額の賞金がかかっていた。

 大抵の賞金首は生かして捕らえた方が高額なのだが、生死不問だったあたりに盗賊達の凶悪さが窺い知れる。

 

 あなたにとって盗賊団という集団は、遭遇したが最後、理由や恨みが無くともとりあえず皆殺しにしておく対象である。少なくともノースティリスではいつもそうしており、その時もあなたは盗賊団を綺麗さっぱり根切りにした。

 例え相手が人間であろうと、あなたにとってはそれが依頼である以上、街のゴミ掃除やウェイター業務となんら変わりはしない。

 

 団長は黒髪黒目、年齢は二十台半ばの若い男。

 その力は魔王軍幹部にも匹敵すると評判だったのだが、後に出会うことになるベルディアよりは確実に弱かった。

 男の首が誰よりも早く胴体と泣き別れした際、団員は恐慌するのではなく激昂して襲ってきたのでさぞかし慕われていたのだろう。

 だが部外者であるあなたには関係の無い話である。敵の出自や経歴に興味など無い。激昂が恐慌になるまでにさほど時間はかからず、一刻もせずに命乞いの悲鳴すら聞こえなくなった。

 団員の中には女子供も含まれていたものの、それも等しく刃の露と消えた。

 相手が有力な盗賊団ということでレアなアイテム、更に言うと神器回収の期待に胸を膨らませていたあなただったが、残念ながら戦利品の中から神器は発見できなかった。

 あなたの知る由の無い話だが、実は団長はニホンジン(生きた神器入り宝箱)だった。にもかかわらず神器を所持していなかったのは彼が異能型の転生者だったからだ。

 異能の名前は強奪。カズマ少年のような特定の分野に詳しい日本人であれば名前を聞いただけでその厄介さを想像して眉を顰めるであろうこれは、殺傷した相手のスキルを奪取するという、数多の転生特典の中でも有数の危険度を持つ異能である。

 

 さて、そんな人の世にあだなす害虫駆除の一部始終を遠くから見ていた記者の一団は、ハンティングトロフィーの如く死体の血に塗れた生首を袋に詰め続けるあなたにこう言った。

 何もそこまでする必要は無いのではないか、女子供まで無慈悲に殺す必要はあったのか、あなたの実力であれば生け捕りにするのも容易かっただろうに、と。

 

 顔を顰める彼らにあなたは心底理解できない、といった表情で答える。

 盗賊団の一員である以上、年齢、性別、戦闘員、非戦闘員で区別を付けるなどナンセンスであり、依頼内容に生死不問の旨が記されていた以上、自分にはわざわざ彼らを生かしておく意味や理由が無い、と。

 

 あまりといえばあまりのあなたの言葉に、同行者達は押し黙ることになる。

 道中で賊の所業に憤っていた彼らは、ただ単に必死に仲間の命乞いをする少年少女を極めて作業的に切り捨てるあなたの姿が絵面的に最悪だったからつい口出しせずにはいられなかったのだ。人型とはいえ、魔物である姫騎士を駆逐した時、レックスがあなたを皮肉ったのと同じように。

 あなたは笑いながら女子供を殺すことはなかったが、悲痛に表情を歪めることも無かった。

 

 そんなこんなで無事に密着取材は終わったのだが、結局それ以降、今日に至るまであなたの元にこの手の取材が来たことはない。

 

 再度繰り返すが、当時のあなたはノースティリスの側に大きく傾いていた上に異世界の死生観の理解も浅かった。

 今のあなたは例え盗賊団が相手であっても、皆殺しにする前に一度だけ投降を促す程度の情けはかけている。ノースティリスに戻った後に今までのようにやっていけるか不安になるほどの慈悲深さだと誰もが口を揃えて皮肉るだろう。

 

 

 

 随分と丸くなったものだとウィズの影響にしみじみと感じ入るあなただったが、竿が強い引きを示したことで意識をそちらに集中する。

 十数秒の後、あなたが釣り上げたのはまん丸と育った大玉のスイカ。それも二つ。いわゆる夫婦(めおと)スイカだ。夫婦を結ぶ蔓に釣り針が引っかかったようだ。程よく深い場所を泳いでいたのか、この夏空の下でもいい具合に冷えている。軽く叩いてみれば弾むような音が返ってきた。

 キャベツが空を飛ぶように、この世界のスイカは避暑の為に海に潜る、というのは誰もが知っている常識であり、この期に及んで賢しらに語る必要は無いだろう。

 海の中に網で囲いを作ってその中にスイカを入れただけの養殖物でなく、あなたが釣ったような天然物の新鮮なスイカは果肉が引き締まっている上にほんのりと染み込んだ海水が甘味を一層引き立て、通常のスイカとは一線を画す味と値段になる。

 特に、天然スイカをじっくりと熟練の職人が煮詰めて作るスイカ塩と言えば、内地の人間にとっては幻の珍味と呼ばれるほどのものであり、王侯貴族であってもそうそう口にできるものではない。

 

 望外の釣果を手にしたあなたは釣り道具を片付け始める。

 折角二つあるので一つはそのまま切って食べ、もう一つはシャーベットなどのデザートに使うことにした。

 

 

 

 

 

 

 また別の日の事。

 

 あなたが釣りをしていた場所のほぼ反対側。

 艦首に近い場所で二人の少女がカン、コン、というよく響く、軽快な打撃音を木製の短剣で鳴らしていた。

 今まさに立会いを演じているのはゆんゆんとハルカ。

 この船では非常に数少ない、あなたと普通に接してくれる人間であるハルカはゆんゆんと同じく短剣を扱う上に非常に高い技量を持っている。手合わせの一つでもしてみればゆんゆんに何かしら得られるものもあるだろうとあなたがハルカに打診したところ、運動不足を感じていた彼女は快く応じてくれた。

 襲撃で活躍した二人は誰の記憶にも新しく、年若く見目麗しい少女達の演舞を水夫は勿論、甲板に出てきた乗客も足を止めて見守っている。

 

(当てられる気がしないし避けられない……。完全に見切られてるし、私が避けられないタイミングで攻撃してくる……ハルカさん、私が思ってたよりもずっと巧くて強い……!)

(うわぁ、幾らレベルに差があるっていっても魔法封じた魔法使い相手に普通に近接で凌がれるってどうなってるのこれ。アークウィザードがこのレベルの動きするってちょっとずるくない?)

 

 攻めているのはゆんゆんだが、冷や汗を流してあなたに挑む時のような表情を作っているから分かるように、実際はハルカに完全に手玉に取られている。

 

 肝心のハルカの強さだが、これは極めて不可解さを感じさせるものだった。

 ステータスはレベル21の盗賊相応。ゆんゆんの敵ではない。

 体術や得物であるナイフの扱いに関しては何かしら正規の訓練を受けていることが窺えたが、それとて目を見張るほどのものではない。

 

 ただ、彼女の持っている相手の動きを見切る技術、攻撃を紙一重で回避する技術、そして()()()()()技術に関しては、驚嘆、瞠目せざるを得ないほどのものだった。

 器用さ特化とでも言おうか。

 薄皮一枚の距離で相手の攻撃をかわし、今まで自分がいた場所に攻撃を置くように放つ。

 倍近いレベル、それに伴うステータスの差で辛うじて防いでいるものの、傍からはハルカの攻撃にゆんゆんが自分から当たりに行っているようにしか見えない。ゆんゆんは自分の思考が読まれている錯覚を感じているだろう。

 

 ハルカはどこであれほどの見切りを身に着けたのか、あなた達が尋ねてもはぐらかされるばかり。

 だが分かっている事が一つだけある。

 それは、ハルカの持つ見切りは、生まれ持った才能によるものでも、レベルを上げてスキルポイントを使って習得したものでも、ましてやニホンジン達が持つような異能でもない、ということだ。

 では何なのかと聞かれると、自身が磨き上げた数々の技能と同じ、純然たる努力の結晶。あなたはそう確信している。

 あなたから見たハルカには、ゆんゆんのような煌くような才は無い。若い頃のあなたと同じように、ヘマをすればあっけなく死んでしまうだろう。

 年齢は二十代前半というハルカの自己申告をそのまま信じるのであれば、血の滲むような、と形容することすら憚られる、狂気的な修練を己に課したのだろう。

 

 だからこそあなたは心底不思議に思う。

 どうして彼女はあんなにレベルが低いのだろうか、と。

 あれほどの技量を努力のみで身に着けるのであれば、相応にレベルが上がっていないとおかしいはずなのだ。ハルカはダクネスのように攻撃を当てられないわけではないのだから。

 にも関わらず、彼女のレベルはたったの21。

 低レベルを維持したまま技量だけを磨き続ける意味は無い。およそまともな成長ではない。ダクネスのようなドMでもあるまいし。レベルドレインでも食らったのだろうか。

 

「すげえよな、二人とも」

「どっちも可愛いしな」

「でもなんかハルカちゃんは時々凄く気持ち悪い動きになるわよ」

「ゆんゆんちゃんもその……アレだしな」

「シースナッチャーの話は止めてやれよ! 可哀想だろ!」

 

 歪な成長と比較すると極めてどうでもいい話だが、ハルカは時々挙動不審な動きをする。

 具体的には正面を向いた状態で前後左右に同じ体勢、同じ速度で動き始める。

 女神アクアの宴会芸の一つにムーンウォークという前に歩いているように見せながら後ろに進む珍妙な歩法があるのだが、ハルカはこれを左右でもやる。しかも走ったりもできる。

 本人の言では集中しているとたまにこうなってしまうとのことだが、何がどうなったらあんな動きになるのか今のあなたでは理解できない。本人には申し訳ないのだが、気味が悪いとしか言いようのない、なんとも見ていて不安定になる動きだった。

 

 

 

 

 

 

 また別の日の事。

 

 水平線の向こうに見える何かについてあなたとゆんゆんが語り合っていると、突如として目の前で大きな水柱があがった。

 

「きゃああああ!?」

 

 ゆんゆんは勿論、気を抜いていたあなたも盛大に海水を浴びてずぶ濡れになってしまった。

 すわ魔物の襲撃かと思いきや、ビダァン! という痛々しい音と共に降ってきたのは予想外の生き物。

 

「わわわっ! アザラシ! これってアザラシですよ! 私家の図鑑で見たことあります!」

 

 びしょ濡れになったことなどすっかり忘れ、初めて見る動物に大興奮するゆんゆん。

 アザラシとは主に流氷が漂うような寒冷な海を生息地とする生き物だが、中には温暖な海に生きる種もいるという。これもその一つだろう。

 やけに疲労しているように見える、艶のある黒い毛皮を持つ2メートル半の哺乳類を観察していると、船員が近づいてきた。

 

「アザラシじゃねーか、珍しいな。食うなら捌くの手伝ってやろうか?」

「食べませんよ!?」

「え?」

「いや、えっ? じゃなくて。食べませんから……」

「脂が乗っててめっちゃ美味いんだが……皮を剥いで捨てちまうなんてもったいねえなあ……」

 

 がっかりしながら去っていく船員に心労から肩を落とすゆんゆん。

 

「び、びっくりしたあ。っていうか皮剥ぐって。そっちもしないわよ……あああああああああ!! ちょっとぉ! あなたは何やってるんですかぁ!!」

 

 弱弱しく鳴くアザラシを押さえつけ、ナイフを片手に早速解体を始めようとしていたあなたをゆんゆんが怒鳴りつけた。

 ハッとしたあなたはすぐさまナイフを仕舞って謝罪した。確かに甲板で解体作業など始めようものなら血と臓物で汚れて迷惑をかけてしまう。場所を移すべきだ。

 

「違います! 殺しちゃいけません! 可哀想だと思わないんですか!? ほら、きゅーんきゅーんって鳴いてますよ!」

 

 あなたにはむしろでっぷり太っていて美味しそうだとしか思えなかった。毛皮も良質で使い出がありそうだ。

 なお、あなたが狩る気満々なのはノースティリスに大食いトドと名付けられた、言うなれば巨大なアザラシのモンスターが存在するからであり、別にアザラシが嫌いなわけではない。

 

「し、信じられない……こんなに可愛い生き物なのに……安楽少女みたいなモンスターじゃないんですよ……?」

 

 妙な愛護精神を発揮し始めたゆんゆんはアザラシを海に帰すつもりのようだ。

 あなたとしてもゆんゆんを悲しませてまでアザラシ肉と毛皮に固執する気は無い。素直に放してあげることにした。

 

「ほら、海にお帰り。もう人間の船に迷い込んじゃ駄目よ?」

 

 必死に暴れるアザラシを紐と袋を使って二人で海に降ろす。

 

「いい事をしたあとは気分がいいですよね!」

 

 一仕事終え、眩しい笑顔で汗を拭う真似をするゆんゆん。

 その瞬間、凄まじい速度で上昇してきた白黒の生物がアザラシを咥え、そのまま海中に引きずり込んだ。

 

「えっ」

 

 シャチだ。

 クラーケンすら餌にするという、海の生態系の最上位に位置する動物のお出ましである。遊びで獲物を嬲り殺しにするほどの高い知性を持ち、一部では冥界からの魔物とすら呼ばれているものの、魔物ではない。犬や猫のような立派な動物だ。いささか立派すぎるが。

 仰々しい呼び名に反して見た目は可愛らしく、愛嬌があり、人懐っこい。

 船はいつの間にか数十匹にも及ぶシャチの群れに包囲されていた。どうやらアザラシはシャチから逃げるために船に飛び込んだようだ。

 これが魔物だったら一大事だが、シャチは人間を襲わない動物だ。何も恐れることはない。

 

 あなたはゆんゆんの言うようにアザラシの可愛さは理解できない。だがシャチの可愛さは理解できる。

 捨て置くのは勿体無いからと死骸を回収したはいいが、あまりにも量が多すぎて処分に困っていたクラーケンの切り身を持ち出して数十ほど海に放つと、白黒の波が群がるようにご馳走に殺到した。

 

「…………ふ、ふふっ。ふふふっ」

 

 今まさに厳しい自然の掟を目の当たりにしたばかりのゆんゆんの肩をぽん、と叩いてお手製のクラーケンのスルメを渡す。シャチにアザラシをプレゼントした少女はヤケクソじみた勢いでスルメを海に投擲し、膝から崩れ落ちた。

 

「わたしうみきらい」

 

 それはあまりにも弱弱しく、しかし万感の思いが篭った声だった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで時に窮屈な思いをしながらも船旅を満喫していたあなた達だったが、やがてそれも終わりが来た。

 ベルゼルグを発ったあなた達が辿り着いたのはリカシィ帝国の港町、キビア。

 リカシィは大陸のほぼ全域を版図に治めている巨大な帝国である。

 日夜魔王軍と戦っているベルゼルグと比較すると武力こそ見劣りするものの確実に上位に位置し、その上教育や文化にも力を入れている文武両道の国。統治が行き届いていないのは言わずと知れた未踏破領域、魔王領を遥かに超える危険度とすら称される竜の谷だけだ。竜の谷に住まうモノ達が率先して外を襲撃していた場合、リカシィの今の繁栄は決して有り得なかっただろう。

 

「ご乗船ありがとうございました。よい旅を」

 

 船をぶっ壊されることを危惧していたのか、明らかにあなたを見て安堵している船長に見送られながらタラップを渡り、久方ぶりの地面の感触を味わう。

 ベルゼルグから真っ直ぐ西に位置するだけあって気候はあまり変わりが無いが、やはりあちらでは見たことがない物があちこちに散見された。

 

「あ、あれっ? どうしたんだろう?」

 

 困惑した声に後ろを振り返ってみれば、ゆんゆんが足元をふらつかせ、何度もその場で足踏みしていた。

 典型的な陸酔いの症状だ。かくいうあなたもまだ平衡感覚が戻っておらず、微かに足先が浮いているような感覚を味わっている。

 

「なんなのこれ、船から降りたのにすっごく揺れてる……はっ、もしかして地震……!?」

 

 バランスを取りづらいのか、へっぴり腰になって長い揺れを警戒し、周囲を見回し始めた。

 どこかで事故や災害が起きたら駆けつけなければ、と考えている素朴で善良な少女は、周囲の「オレ達にもあったな、あんな頃が……」という微笑ましげな視線には気付けていない。

 長時間船に乗っていると体が船の揺れに適応してしまい、陸に上がった後も暫くは体が揺れているように感じるものなのだが、乗船すら生まれて初めてだったゆんゆんが知っているわけがない。

 これもいい経験だと、あなたは暫く見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

 冒険者ギルドで入国の手続きを行い、適当に足を運んだ喫茶店で小休止を取る。

 ゆんゆんがテーブルに突っ伏して頭を抱えた。

 

「ああいうのは早く教えてくださいよ……私赤っ恥だったじゃないですかあ……!」

 

 どこまでも居心地悪そうに抗議してくるゆんゆんを、まあまあと宥めすかす。

 

 ――よかった、地震は止んだみたい。

 ――ゆんゆんちゃん、あのね。言いにくいんだけど、それは地震じゃなくて陸酔いだよ。

 ――陸酔い?

 

 別れ際、ハルカから陸酔いについて教えてもらい、自分が勘違いした挙句盛大に空回っていたと気付いたゆんゆんの反応は、バニルがいれば確実に大喜びするであろうものだった。

 

 一頻りゆんゆんをからかって楽しんだ後、今後の道程の確認をするため、テーブルの上にこの大陸の地図を広げる。

 復習も兼ねて案内の説明を頼むと、頑張りますと頷いたゆんゆんは最初にある一点を指し示した。

 

「私達が今いるキビアはここ……大陸の東南東に位置しています。そして目的地である竜の谷(ドラゴンズバレー)、その唯一の出入り口である竜のアギトがあるのはここ。北の端っこの方になりますね」

 

 ゆんゆんが唯一の出入り口、と称したのは彼の地の形状が大いに関係している。

 竜の谷とは、断崖絶壁と険しい山脈で隔離された極めて広大な未踏領域だ。凸の字のように海に面しているのだが、周辺海域は一年を通して嵐のように荒れ狂っている上に上陸に適した地が無いので海路は使用不可能。空路も当然のようにドラゴンの群れに阻まれる。

 力なき者の立ち入りを拒む姿はまさに天然の要塞。しかしその中、誰が作ったのか、たった一つだけ、まるでダンジョンの入り口のように竜の谷の中に続く長い細道が存在する。

 自ら竜の餌になりに行くかのように財宝、力、栄光、名誉を求めて竜の谷に挑む数多の自殺志願者を皮肉って、その入り口はいつからか竜のアギトと呼ばれるようになった。

 

 なんとも冒険者冥利に尽きる地だ。そうでなくとも待ちに待ったウィズとの冒険である。果たして未踏の地の先には何が待ち受けているのか。こうして説明を聞いているだけであなたは気分を高揚させていた。

 

「…………」

 

 上記のような説明をあなたに終えた後、ゆんゆんは俯いて黙り込んでしまった。これから自分が挑もうとしている壁の高さに緊張しているのだろう。

 ルビードラゴン討伐戦に参加できたのは運が良かったが、終末も一度くらいは見せておけばよかったかもしれない。

 ただ意気込んでいる彼女には大変申し訳ないのだが、ドラゴンの捕獲はともかくとして、竜の谷攻略に関してはあなたとウィズが主戦力であり、ゆんゆんは殆ど引率されるだけのオマケである。彼の地の脅威度次第だが、出番があるかはかなり怪しい。

 若干気まずい気分になりながら続きを促した。

 

「あ、はい! ええっと……ルートとしては、キビアから西にずーっと行く形になります。この地図だとここ、大陸のほぼ中央に帝都トリフがあるので、道中で依頼を受けたり観光をしながらまずはここを目指す予定です。もうすぐ三年に一度の闘技大会が始まるはずなので、順調に進めば開催に間に合うかもしれません」

 

 トリフに寄るのはほぼ寄り道と言っていいのだが、別段急ぐ旅でもないのだし、国で最も栄えている場所に立ち寄らない理由は無い。

 闘技大会だが、こちらに関しては仮に間に合ったとしても、ベルゼルグの冒険者であるあなた達が出場する事は叶わない。

 日夜魔王軍や強力な魔物と戦って強くなった歴代の勇者候補や冒険者、騎士、宮廷魔道士、紅魔族、果てはお忍びで参加した王族が世界各地で大会を荒らした結果、ベルゼルグの人間は出禁を食らっているのだ。

 これはイルヴァにおいてノースティリスの高位冒険者が爪弾きにされているのと同じだが、抜け穴が存在しないわけではない。

 ベルゼルグの人間が出場できないのであれば、所属している冒険者ギルドをベルゼルグから他国に移せばいいのだ。騎士や王族のような立場のある人間と違って根無し草の冒険者だからこそできる荒業である。

 だが一度所属ギルドを他国に移すと、再び移籍するには一年という時間が必要になる。それだけならまだしも、所属国以外の冒険者ギルドで受けた依頼の報酬などは税金として報酬からちょっと無視できない割合の額を差っ引かれてしまうのだ。高レベルになるほど税金が跳ね上がる。

 冒険者ギルドとはそれぞれの国が運営している機関であり、各国の利権やらパワーバランスなどが複雑に絡み合った結果こうなったらしい。

 国を跨いで活動する冒険者にとっては百害あって一利なしなので、民営化するか国際連盟的な組織にするかして一元化しろや舐めてんのかふざけんなクソボケ、という大変心温まるお便りが幾度となく送られているものの、今日に至るまで改善には至っていない。

 

「闘技大会は個人戦と団体戦があって、団体戦は一組につき四人まで出られるみたいですけど、大会に出られない私達には関係ないですね」

 

 自分達は大会に出られないし、出る気もない。精々が観戦して楽しむくらいだろう。

 

 

 

 ……この時のあなた達は、そう考えていた。


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