このすば*Elona   作:hasebe

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第113話 エルフの国のお姫様

 セミの鳴き声を目覚まし時計に、私は意識を取り戻した。

 

「…………」

 

 目を覚まして最初に目に入ったのは、木組みの天井。

 ただしそれをそうだと意識するまでにはそれなりの時間を必要とした。

 

 幸運を司る女神、エリス様に天国に導かれたところまでは覚えている。

 だがそこから今に至るまでの私の意識と記憶には、深遠の如き断絶が刻まれていた。

 

 ここは天国なのだろうか。

 ふとそんな考えが寝起きで呆けた頭に浮かぶ。

 

 けれど、エリス様から聞いていた感じとは随分雰囲気が違う。

 かといって私が住んでいた、慣れ親しんでいる王城のような空気も感じられない。

 良くも悪くも猥雑で卑近。私達のような者からは程遠い、言ってはなんだが平民が普段使っている部屋のような印象を受けた。

 市井の暮らしに興味があった私は、何度か無理を言ってあまり高級ではない宿屋に泊まったことがある。ここはまるでそういった時の部屋に近い。

 少なくとも、ここを天国だと言われて素直に受け入れられる者はいないだろう。

 

「──! ────!!」

 

 エリス様の話から退屈を覚悟していたけど、これなら意外と悪くないかもしれない。

 そんな風に感慨に浸っていると、どこからともなく潜めたような声が聞こえてきた。

 

 気になって体を動かそうとしたけど、まるで泥の中にいるかのように体が重い。

 もどかしい思いをしながら満足に働かない体を頑張って動かし、なんとか首だけを声の方に向けてみれば、そこには知らない二人組が言い争っている光景が。

 彼らはずっと私のそばにいたのだろうか。少しも気が付かなかった。

 

「駄目ですって! 怪しいですって! どうしちゃったんですかいきなり、味を占めたんですか? ……いやいやちょっと待ってくださいどうしてそうなるんですか嫌です私は被りませんよそんなの恥ずかしい……あ、でもこれって友達とお揃いってことよね……ペアルック……えへへ、どうしようかな……じゃあ折角だしちょっとだけ……」

 

 一人は黒髪の可愛らしい女の子。

 一見すると大人しそうな顔をしているけど、ちょっと露出度の高い服を着ている彼女は、少し目線を上に向け、そわそわと落ち着かなさそうにしている。

 何かを言っているというのは分かるのだけど、まだ聴覚が仕事をさぼっているのか、今の私には雑音としか受け取ることができなかった。

 そしてどうやらセミの鳴き声と思っていたのは彼女の声だったようだ。ごめんなさいとそっと心の中で謝っておく。

 

 彼女の隣にいるもう一人は、多分だけど男の人。背は結構高いと思う。

 薄着の上から分かる体はよく鍛えられていて、戦いを生業にするもの特有の物々しさを放っていた。

 多分と表現したのは、首から上をすっぽりと覆う、光を反射してキラキラと光るピンク色の……ピンク色の……。

 

 

 これは……なんだろう……本当になんなのだろう……。

 

 

 兜? それとも桶? とにかく何かを被っていて、私の体が満足に動いていたとしても、その顔を見ることが叶いそうになかったから。

 故郷でもトリフでも見たことが無い。天国で流行している最新のファッションなのかも。

 でもそうだとしたら、あまりにも前衛的すぎる。ただでさえお洒落には最低限しか身を入れていなかった私はちょっとついていけそうにない。

 まさかと思って確認してみたものの、幸いにして、私が今着ている服は奇抜なものではなく、まるで平民が着るような、簡素で、しかし清潔なもののようだ。着心地も中々悪くない。無論私が生前着ていたものには遠く及ばないのだけど。

 服飾への批評はさておき、お願いだから私が着ているような衣服こそが天国の普通であってほしい。私は切実に祈った。エリス様に。

 

「…………あ」

 

 暫く黙って観察し続け、耳がようやく仕事を再開したと思ったころ。

 じっと観察していたせいだろうか。視線に気付かれてしまったようだ。不意に、男性と私の目が合った、気がする。多分。

 どうしよう、何故か気まずい。というか何を言えばいいのか分からない。

 

「……おは、よう」

 

 辛うじて口から出てきたのは自分が発したとは思えない、かすれきった挨拶の言葉。

 喋るにしたってもう少し何かあったのでは、などと考えてしまうあたり、私は自分で思っていた以上に混乱しているらしい。他人事のように考える。

 それでも声は相手に届いたらしく、男性は挨拶を返してくれた。

 けれど同時に、男性からはじっと私を観察している雰囲気が感じられる。顔が隠されていて視線が読めないから実際のところは分からないのだけど。

 

「よかった、気が付かれたんですね。おはようございます、ご気分はいかがですか? どこか痛むところとかありませんか?」

 

 女の子が笑顔で声をかけてきた。

 邪気や含みの無い本当に嬉しそうな表情は、初対面の私ですらきっと優しい子なのだろうと確信させるもの。

 さておき、気分はどうだろう。悪くはないと思う。

 そして痛むところと聞かれて気になる点があった私は、小さく身じろぎして感覚を集中する。

 全身がまるで自分の体のようではない違和感はある。しかし肝心要の背中の傷は痛みも特別酷い違和感もない。

 いや、それどころか、私を死に至らしめた傷は、まるで嘘のように綺麗さっぱり消えているようだった。

 

「今日は……何日……?」

「今日ですか? 今日は……」

 

 尋ねてみれば、最期の日から数日しか経っていなかった。

 返ってきた言葉に、私は全身を脱力させて小さく息を吐く。

 やはり私は死んでしまったのだろう。

 あれだけの傷や痛みを短い時間で跡形も無く完治する術など、私の知る限り存在しない。奇跡が起きても不可能だ。

 それにエリス様も言っていたではないか。貴女はもう決して生き返ることが出来ません、と。

 

 家族や臣下には申し訳ないことをしたと思う。

 お母様は……助かっただろうか。

 

「あの……」

「はい、どうしました?」

 

 ここが天国だとしたら、今私の前にいる二人はきっと……。

 

「……あなた達は、天使様? それとも神様?」

 

 私の言葉に、二人は同時に噴き出した。

 

 

 

 

 

 

 死を受け入れた果て、終わりの先で彼女を待っていたもの。

 それは一人の紅魔族だった。あとバケツマン。

 あなた達は人間であり、断じて天使や神などではない。前者はまだしも後者は不敬が過ぎるというものだろう。

 

「ええと、私達は人間ですよ。ほら、羽も無いですし」

 

 背中を見せ付けるようにその場で一回転するゆんゆん。

 軽やかなターンにあわせ、ピンク色のミニスカートがふわりと膨らんだ。

 天使の背中には羽が生えている。誰もが知る一般常識だ。かくいうあなたのペットの堕天使にも羽が生えており、自在に空を飛ぶことができる。

 

「そうだったの……」

 

 途端に痛ましい表情になるカルラ。

 これには流石にゆんゆんも困惑したようだ。

 

「ど、どうされたんですか? やっぱり体のどこかが痛みます? もしくは私が人間でガッカリさせてしまいました? もしそうならすみません……」

「あっ、ごめんなさい、違うのよ。私は大丈夫だしあなたにガッカリしたとかじゃないわ。ただ……」

 

 イルヴァにおいて、あなたが思う善人とは誰か。

 このような質問をされた場合、あなたは真っ先にラーネイレの名前を挙げる。

 そんなラーネイレとよく似たカルラは、やはり善良な性質を持っているようだ。

 女神エリスから気高く輝く美しい魂を持つと称された彼女は、まるでゆんゆんを慰めるように、柔らかさの中に憂いを秘めた笑みを浮かべた。

 

「あなたのような子が、そんな若い年齢で亡くなって、こうして天国にいる。そんな世界の現実が少しだけ、悲しくなってしまったの」

「そうだったんですか、私が死んでるから。それなら仕方ないですよね」

「ええ、本当に。私も頭では分かってはいるのだけど、心まではどうしても……」

「……って違いますよっ!? 私まだ生きてますから!!」

「え、そうだったの? 私てっきり……」

「そうですよ! 私まだ生きてますよね!?」

 

 何故かあなたに対して自分の生存確認を行うゆんゆん。

 確かにあなたはゆんゆんを強くするため、無数の死と蘇生を繰り返すデスマーチを敢行したいと考えている。だがそれを本人に漏らしたことは一度もない。

 少し不思議に思いながらもあなたは黙って首を縦に振った。頭に当たったバケツがカラコロと場違いな音を響かせる。

 

「ふぅ、よかったぁ。あ、それとここは天国じゃないですよ。帝都トリフの最寄の街のフィーレです。ご存知ですか?」

「…………近くに竜の河の支流が流れていて、そこから獲れる魚料理で有名な、あのフィーレ?」

「はい。そのフィーレです」

「…………」

 

 ゆんゆんの言葉の意味を一生懸命咀嚼し、まだ力が入らないのか、どうにもおぼつかない手つきで自分の体のあちこちを触り、やがて数分間の沈黙の末、カルラは縋るように声を震わせて問いかけた。

 

「……私、生きているの?」

 

 髪の色と同じ、鮮やかな空色の瞳。

 ゆんゆんの持つ紅の瞳とは対照的な色合いを持つそこから、一筋の涙を流しながら。

 

 

 

 

 

 

「私達が見つけた時、上流から流れてきた貴女は本当に酷い傷を負っていました。一目見て、その……もう駄目かと思ったんですけど。辛うじて命を繋いでいたみたいで。手当てが間に合って良かったです」

「…………」

 

 自分が生きているなどあり得ない。カルラはそのことを知っている。

 だが誰かの命を救えたことが嬉しいと語る心優しい少女が嘘を言っているとは思えないし、思いたくないのだろう。エルフの王女は嬉しさと困惑が混ざった表情でゆんゆんの話を聞いていた。

 

「そう、だったのね。本当にありがとう。なんてお礼を言えばいいのか……」

「別に気にしないでください、っていうのも無理ですよね。でも気持ちとお礼の言葉だけで十分ですよ。困ったときはお互い様ですから」

 

 少なくとも自分の目の前にいる少女は何も知らない。知らされていない。

 だって自分は死にかけていたのではなく、正真正銘、完全に死んでいたのだから。

 

 ゆんゆんとの話の中でそんな確信に至ったのだろう。カルラはあなたに視線を投げてきた。

 意思の強さを感じさせる瞳を向けられたあなたは、前に立っているゆんゆんに気付かれないようにメモ帳を取り出し、カルラに見えるようにページを開く。

 そのページには『今日の深夜、二人きりで話がしたい』と書かれていた。

 

 やはり自分は命を落としている。その後で何かがあったのだ。それもここでは言えないような何かが。

 力を抜いてベッドに沈み、天井を見つめるカルラの重く深い溜息は、そんな声が聞こえてくるかのようだった。

 さぞかし悲壮感溢れる想像をしているのだろう。あなたからしてみれば杞憂に過ぎないのだが。

 

「……ごめんなさい。少し気が抜けてしまったみたい」

「あっ、いえ! こちらこそごめんなさい。貴女はさっき目が覚めたばかりなのに、そういうのに全然気が付かなくて」

「ううん、いいの。でも()()()()()()()

 

 言外にあなたに了承の意を告げ、カルラは気を取り直したように自己紹介を始めた。

 

「そういえばまだお互いの名前も知らなかったわね。私はカイラム・ブレイブ・ワンド・カルラ。カルラって呼んでくれると嬉しいわ」

「はい、カルラさんですね。こちらこそよろしくお願いします!」

 

 隠すこともなく自分が王族であることを明かす姿に、あなたは少し意外に思った。

 何故あなたがフルネームからそれを判断できたのかといえば、それはこの世界の王族の姓名に特徴的な命名法則が存在するからだ。

 例えば同じ王女であるアイリスのフルネームを例に挙げてみるとこうなる。

 

 ベルゼルグ(国の名前)スタイリッシュ(王家の誓い)ソード(その国を象徴する武具)アイリス(ファーストネーム)

 

 ……とまあこのように、カルラのそれは聞く者が聞けば王家に連なる者と一瞬で理解できる自己紹介だったのだが、生憎とゆんゆんは気付かなかったようだ。

 ノースティリスでもあるまいし、まさか一国の王女が大怪我をして川から流れてくるとは夢にも思っていないのだろう。

 気付いていないフリをしているというのはあり得ない。あなたはゆんゆんほど腹芸に向いていない人間を他に知らなかった。

 

 次に自己紹介をしたのはゆんゆん。

 丸椅子から立ち上がり、高々と名乗りを上げる。

 

「我が名はゆんゆん! 紅魔族族長の一人娘にしてアクセルの冒険者! 二人の師の垂訓を受ける者にしてやがては紅魔族の長となる者!」

 

 見事なポーズを決めての自傷行為。もとい自己紹介。

 突然の奇行に一瞬面食らったカルラだが、彼女も伊達に王女をやってはいかなった。

 

「よろしくゆんゆん。紅魔族だったのね。実は私、紅魔族の方と会ったのは生まれて初めてで。やっぱり同じような自己紹介をし直した方がいいのかしら。そういう話を聞いたことがあるのだけど」

「いえいえいえいえそんな、結構です! むしろ今のは忘れてください! 名前以外は何も聞かなかったことにしてください!」

「まあ、ええ。わかったわ。貴女がそう言うのなら」

 

 忘れてほしいならどうして恥ずかしい思いをしてまで紅魔族流の挨拶をするのかと聞かれれば、それが紅魔族の掟だから仕方なくとゆんゆんは答えるだろう。

 なんとも生真面目で難儀な少女である。

 

「それで、そちらの彼……でいいのよね? 彼は……」

 

 依然として黙して語らぬあなたのせいで、部屋の中に気まずい沈黙が広がっていく。

 何故黙っているのか。何故バケツを被ったままなのか。それを説明するには、まずカルラが目覚める直前まで時間を遡る必要がある。

 

 自分に宛がわれた部屋で、あなたはどうやってカルラに自分の印象を残さないようにするか考えていた。

 ラーネイレに酷似している、それはつまり、カルラが誰もが認める絶世の美少女であることを意味する。

 しかも第一王女。下手をすれば王位継承者だ。そんな相手の命をあなたは救った。どう考えても厄ネタにしかならない。見捨てる気は無いが派手に動けば最悪ウィズに害が行く。そうなるとなんやかんやあって世界は滅びる。

 なんとかできないかと思案している最中にゆんゆんに呼び出され、咄嗟に幾つかの案の中から選んだ結果がこれだ。別にバケツマンにド嵌りしたわけではない。

 むしろ冷静になった今となってはいつものように出たとこ勝負で行くべきだと考えているし、自分のこの選択は大失敗だったと後悔している。

 あの時のあなたは、相手が久しく会っていない知り合いに似ているということで色々と考えすぎて血迷っていたのだ。原因は間違いなく長期間癒しの女神の声を聞いていないせいである。

 

「ええと……何考えてるんでしょうねほんと……じゃなくて!」

 

 今まではタイミングを逃していたが、いい加減もういいだろうとあなたがバケツを取ろうと動いた瞬間、アドリブに弱い紅魔族の少女が師を見習ったのかのごとく盛大に血迷う。

 

「彼はそう! 世のため人のため、魔王軍の野望を打ち砕く! 愛と平和の使者、プリティーピンキーバケツマンさんなんです!」

 

 ゆんゆんはもう駄目だ。なんかもう色々と駄目だ。ここのところめぐみんに会っていないせいで紅魔族のセンスを客観視できていないのかもしれない。

 斜め上のやりかたでフォローしてくれた少女に対してあなたが抱いた感想は、本人が聞けばショックのあまり崩れ落ちて打ちひしがれ、軽く三日は引き篭もること請け合いなものだった。

 

 それにしたっていきなりのこれである。長旅で疲れているのだろうか。それともどこかで頭を打ったのか。はたまた螺旋の王やシュブ=ニグラスといったイスの魔物に遭遇したか。

 あなたは自分を棚に上げてゆんゆんの正気を疑い始めた。久しぶりに温泉の出番かもしれない、と。

 

「プリティーピンキーバケツマンさん……。世界のために戦うなんて、とても凄い方なのね。私も見習いたいわ」

「えっ!?」

 

 ゆんゆんの妄言を真に受けて感心するカルラ。王女だけあって天然というか箱入りな部分があるのかもしれない。

 そして真に受けられて逆に驚愕するゆんゆんに少しばかりお話をしたい気分になったが、これ以上おかしな流れになっては堪らないと、あなたはバケツを脱いで普通に自己紹介を始めた。

 

「なんであっさりバケツ脱いじゃうんですか!? 私はきっと口に出せない事情があってやってるって思ったんですけど!?」

 

 バケツを被っていたらそれはそれで文句を言うのに、脱いだら脱いだで文句を言われるとは。

 最近のゆんゆんは少しわがままだ。いい傾向と言えるだろう。

 

「悪くないもん! 私絶対悪くないもん! なんで私をちょっと困った子を見る目で笑うんですか! あああああああんもおおおおおー!!」

 

 我を忘れて涙目で勢いよく掴みかかってくるゆんゆんと、はいはい可愛い可愛いとあやすあなた。

 いきなり取っ組み合いを始めたあなた達の愉快な姿を見た美しいエルフの少女は、自身を襲った過酷で悲惨な境遇を今だけは忘れ去り、くすくすと上品に笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 控えめに言ってバカ丸出しとしか言いようがない出会い方をしたその夜。

 ゆんゆんを含め、街の誰もが寝静まった頃を見計らって、あなたはカルラの部屋を訪れていた。

 

「こんばんは、冒険者さん。いい夜ね」

 

 窓の外に浮かぶ月を見上げ、その光に照らされるエルフの姫君の姿は、あなたが初めてラーネイレと会った時のことを思い出すほどに美しく。

 同時にやはり彼女とは顔が似ているだけの別人なのだと、何故か心のどこかで納得している自分がいるのをあなたは自覚していた。

 

 部屋の備え付けの丸椅子をベッドの近くまで寄せ、音を立てないように静かに座る。

 体の調子を尋ねてみれば、彼女は素直に答えてくれた。

 

「起きたばかりの時よりは違和感は良くなったわ。……いえ、これは慣れただけね。でも苦痛は感じていないから」

 

 昏睡した彼女を診たのはこの街のアークプリーストなのだが、その時と目覚めた彼女を診た時、アークプリーストはこう言っていた。

 

 ──体の傷は癒えているようですが、彼女はあまりにも深い魂の傷を負っています。幸いにして安静にしていれば傷は癒えますし、命に別状もありません。ただしばらくの間、満足に体を動かすことはできないでしょう。

 

 この世界において肉体と魂は密接な関係にあり、肉体が深い傷を負えば、魂も相応の傷を負う。

 あなたの知るところではカズマ少年が首を斬られたり折られたりして死亡し、蘇生した後。

 女神アクアの回復魔法のおかげで傷自体は完治していたにもかかわらず、彼は暫くの間、首の違和感や幻痛を訴えていたらしい。

 これはカズマ少年が怖気づいたり、ここぞとばかりにサボリを要求したわけではない。リザレクションを経験した者の間ではよくある話だ。

 最高位のアークプリーストである女神アクアの力をもってしても後遺症が残るのか、という話だが、リザレクションでは肉体の傷は癒せても、呼び戻した魂の傷までは癒せない。

 あなたの復活の魔法も似たようなものだ。這い上がる、埋まるという選択肢すら失った者。つまり魂が死んだ者を蘇らせることはできない。

 

 つまるところ、カルラの不調の原因はリザレクションでも届かない死から無理矢理引き上げられたせいだった。

 あるいは生死を分かつ門とやらを経由していないからかもしれない。

 

「不便といえば不便だけど……本当なら私は死んでいた。それを思えば暫く体が動かない程度で文句を言ったらバチが当たってしまう」

 

 やはり、彼女は理解していた。

 心中を赤裸々に語るのはそのせいだ。

 

「私は死んだ。エリス様と会って、理解して、納得した、受け入れた。でも今、私はここにいる。……不安になるの。本当に私は生きているのか。本当はアンデッドになっているんじゃないかって。ゆんゆんさんの前では我慢していたけど、日の光に手を当てるのは本当に怖かったわ」

 

 彼女は理解していた。

 自分の境遇の全てを。逃れえぬ死の定めを。

 そして。

 

「……冒険者さん。あなたは、どうやって私を生き返らせてくれたの?」

 

 他ならぬあなたが、その定めを覆したことを。

 

「もしその手段が今も使えるというのなら、お願い、万が一の時、私の母を──」

 

 強い意思を秘めた空色の瞳があなたと交差する。

 あなたはカルラの言葉を遮り、自分が使った蘇生魔法はリザレクションではなく、ニホンジンが使う異能のようなものであること、カルラが自身の恩人と似ていたが故に蘇生したこと、この蘇生魔法は神々をして無視できないもので、カルラを蘇生した後、女神エリスから直々に警告を食らったことを明かした。

 

「エリス様が警告を……でもエリス様の気持ちも分かるわ。私のような死が確定した相手すら蘇らせる魔法なんて、世界に混乱しか呼び起こさない……。ごめんなさい冒険者さん、私のせいで……さっき言ったことは忘れてちょうだい。私もこの事は誰にも喋らないことを約束する」

 

 実際のところ、カルラは勘違いをしており、神々から警告を食らった理由は別にある。

 だがあなたはあえて全てを語らずにいた。魂の門や創造神の定めた理といったスケールが大きすぎる話より、蘇生の問題の方がよほど説得力があるからだ。

 

「ともあれ、私はあなたに命を救われたわ。私はカイラム王国の第一王女、カルラ。私は私のもてる全てを使い、この大恩に報いることをここに誓います。たとえこの身を捧げることになろうとも」

 

 カルラの手が光り、どこからともなく一枚の紙が彼女の手の中に舞い降りる。

 冒険者稼業を営む中、あなたは似たものを何度か見た覚えがあった。

 すなわち、絶対の施行を強制させる魂の契約書である。契約不施行の代償は言うまでもなく己の命。

 救助した彼女は衣服以外の全ての私物を失っていた。こんな物騒な契約書をどこから取り出したというのか。

 

「契約スキルで今生み出したの。これはその中でも上位のものだけど、大商人や王族なら誰でも出来るんじゃないかしら。ついでといってはなんだけど、蘇生魔法について話さない事も追加しておいたから安心して。口頭のみで交わされる約束は互いの信頼の上に成り立つ尊いものだけど、やっぱりこういう命に関係する話はきっちりしておくべきだと私は思うから」

 

 凄まじい勢いで人生という坂道を駆け降りていく王女の姿に、流石のあなたも頭を抱えたくなった。

 全力で生き急ぐのは人間の特権ではなかったのか。頼むからもう少し自分を大事にしてほしい。わざわざ残り少ない魔法のストックを使って生き返らせた意味が無い。無駄に行動力と自己犠牲の精神に溢れているところまでラーネイレに似る必要もないだろうに。

 そんな内心をおくびにも出さず、あなたは努めて気軽な様子で、恩を返してくれるというのであれば多少の金銭と国宝級ではない手ごろな神器が三個ほど欲しいと要求した。期限は設けないしそれ以外は何も求めていないとも。

 

 要求は承認され、契約書は光となって消える。

 あなたはほっと胸を撫で下ろした。

 

「……たったそれだけでよかったの?」

 

 神器三個をたったそれだけと言い放つあたり流石の王族だ。感覚が違う。

 しかし廃人として名の売れているイルヴァやノースティリスでは割と無茶をやってもどうにでもなるしできるのだが、この世界におけるあなたは極めて高い戦闘力を有しているだけの一介の冒険者に過ぎない。

 後ろ盾という後ろ盾が無い以上、一国の王女に全てを捧げられても、何もかもを破壊する予定の無い今のあなたの手には余りすぎた。

 

 ついでに言うと彼女をペットにしてノースティリスに連れて帰る気も無かった。

 ラーネイレをペットにしたなどという、非常に不名誉かつ恐ろしい噂を流されかねない。

 ラーネイレは廃人ではない。つまりあなたの友人ではない。だが数々の経験を通して今や廃人に準じるほどの戦闘力を有しているし、強く、気高く、美しく。何より誰が相手でも分け隔てなく接するラーネイレは、非常に多くのファンを抱えているのだ。

 

「ふふ、冒険者さんって無欲なのね」

 

 そしてそれはきっと、トンチンカンなことを言っているこの王女も同様なのだろう。




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