このすば*Elona   作:hasebe

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第115話 がんばれゆんゆん冒険者二年生

 帝都トリフ。

 大陸中央部に位置するリカシィ帝国の中枢は、同時に世界最大級の都市としても知られている。

 その規模はベルゼルグの王都を遥かに凌ぐものだが、あそこは魔王軍に攻め入られるという非常事態が半ば日常となっている特殊すぎる地域。国力の直接的な指標にはならない。数百年以上同じことをやっている時点でこれ以上無いほどに国力を示しているとも言えるが。

 ともあれベルゼルグがその強大な武力を背景とした国力に相応しい拡張と発展を遂げるのは、魔王軍の脅威を退けてからになるだろう。

 

 ではノースティリスの冒険者であるあなたから見たトリフはどうだろうか。

 ノースティリスのみならず、イルヴァという星の国々を旅して回ったあなたから見たトリフは。

 

 結論から言えば、イルヴァのそれらと比較してもトリフの規模は一線を画していると認めざるを得ない。

 これが命の価値が重い世界における強大な脅威に晒されていない大国の力とでもいうのか。

 旅立ちの前、ウィズに大陸全域の地図を見せてもらった時。あなたは真っ先に自身の目を疑い、次に縮尺が間違っているのではないかと確認してしまったほどだ。

 果たして帝都全域を更地にするまでに核爆弾が何個必要になるのか。自他共に認める歴戦のボンバーマンの一角たるあなたですら真剣に考え込んでしまう。とりあえず二桁は確実だろう。

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんとカルラと一旦別れ、妹を目付け役として残して早朝にフィーレを発ったあなたは、あまり人目につかないよう街道ではなく竜の河の側を遡るように進んだ。そうしてトリフの玄関口に辿り着いたのがちょうど天気が崩れ始めた昼前。

 

 馬車を使っても二日はかかる道のりを短時間で消化できたカラクリは、今更説明するまでも無いだろうが速度を引き上げたから。街道を使わなかった理由も同様。流石に悪目立ちするだろうと考えたのだ。目立つのはまあいいとしても無駄な足止めは食らいたくなかった。

 あなたは今回のように急ぎの用事や依頼でもなければ自身の速度を上げて旅をしたりはしない。そこまで生き急いでいなければあまり意味も無いゆえに。

 速度を上げた状態ならすぐ到着するから楽だしお得なのでは? そんな疑問を抱く者もいるかもしれない。

 客観的な視点から見た、到着するまでにかかった時間という意味では間違っていない。

 間違ってはいないのだが、あなたの主観となると話は変わってくる。

 基準速度である70の時の一秒と限界速度である2000の時の一秒。これらは体感では同じ長さ、同じ一秒になる。

 普通なら10時間かかる道を速度を上げて1時間で踏破しても必要な距離そのものに変化が無い以上、あなたの主観では10時間で踏破した事になってしまう。なので労力という観点では変化が無い。これはそういう話だ。

 

 

 

 目的地に辿り着いたあなたは軽く周囲を見渡す。

 トリフを取り囲むようにいくつも点在する玄関口の一つ……つまりあなたが今いる場所は壁ではなくちょっとした野生動物や魔物避けの柵や塀で囲まれているだけの郊外なのだが、それでもそこいらの街に引けを取らないほどに繁栄している。大きさはアクセルの3割ほどだろうか。大会前とあってか人通りも郊外とは思えないほど多い。世界中から人が集まってくる一大イベント。都市内部の盛況っぷりはこの比ではないと思われる。

 ここも若干後ろ髪を引かれるものはあるが、今のあなたはワケありだ。本命はさらにこの先、今も微かに視界に映っている、巨大な外壁の向こう側にある。

 時間は幾らでもあるのだから、ゆんゆんを回収した後に一緒に見て回ろうと、軒を連ねる異国の店に目をくれず、都市内部へとまっすぐ伸びる本道を進んでいく。

 

 初めはおぼろげだったそれは、あなたが近づくにつれ少しずつその威容を示していく。

 石を積み上げて作ったものではないと一目で理解できる、継ぎ目一つ見当たらない滑らかな純白の外壁。

 高さはおよそ20メートル。不思議な質感をした外壁の耐久力は石やレンガとは比較にならないほどに高く、さながら鍛え上げられた鋼の如し。それでいて長き時を風雨に晒され続けながら錆一つ浮かんでいない。天気がいい日は眩しくて割とうざいと評判だったりする。

 こんなものが核爆弾数十発分の効果範囲を持つトリフ全域を囲んでいるのだ。

 製作者は不明。神の奇跡とも勇者の偉業とも称されるそれはこの世界の文明レベルから完全に逸脱した存在だった。

 

 ……なのだが、あなたは最近似たようなものをお目にかかっていたりする。

 具体的には紅魔族の里の地下、魔術師殺しが安置されていた地下格納庫がこんな感じだった。

 あちらは普通に灰色だったが、仮にこの外壁がニホンジンや紅魔族関係の代物なら色々と納得が出来るのが酷いところだ。製作者が不明な部分を含めて。どうせ歴史の闇に葬られたとかではなく、面倒に巻き込まれたくないとか秘密にしておいた方がカッコイイとかその程度の理由なのだろう。

 

 

 

 

 

 

「よし、次の者!」

 

 門の前に出来ていた都市内に入ろうとする人の列に並ぶこと暫し。

 激しい嵐を予感させる空模様に、これはいよいよかと雨具を取り出したタイミングで順番が回ってきたあなたは門に足を踏み入れた。

 あらかじめ取り出していた冒険者カードを衛兵に渡す。

 神々がもたらした産物にして偽造が不可能な冒険者カードは、当人の犯罪歴などが載る事もあって非常に公的価値の高い身分証であることは周知の事実。よって今回のような場合はこれを見せれば大体解決する。

 冒険者のみならず商人や料理人といった他職の者も同じようなカードを有しており、カードの便利さと浸透っぷりが伺える。

 

「ふむ、冒険者か……なるほど、ベルゼルグ所属と」

 

 珍しい、といった風にとどまるこの反応は流石の異国と言わざるを得ない。

 これがベルゼルグの各地だと頭のおかしいエレメンタルナイトがやってきたと知った衛兵の顔が青くなったり半泣きになったりといったリアクションが返ってくるのだ。

 イルヴァでもあるまいし濡れ衣も甚だしい。

 

「しかしこれは……」

 

 カードを見て軽く目を見開いた衛兵は、興味深いとばかりにカードとあなたを交互に見やっている。

 何かおかしな事でもあったのだろうか。心当たりは腐るほどにある。

 あまり足止めを食らいたくないあなたが努めて軽い調子で問いかければ、衛兵は頭を掻いて答えた。

 

「ああいや、すまない。ここまでレベルとステータスが高い冒険者を見るのはなにぶん初めてでな。流石はあのベルゼルグの冒険者といったところか」

 

 レベル40台の冒険者を十数人揃えれば確実に勝てる。もとい納税させられる。

 実際は全くそんなことはなかったのだが、とりあえず冒険者ギルドにそう認識される程度のレベルとステータスがあなたの冒険者カードには記載されている。つまり個人としてはそれなりに破格と言えるだけの数値が。

 ともすればこの場で英雄扱いされてもおかしくない。ベルゼルグより平均レベルが10も低いこの大陸ではなおのこと。

 それがこうして感心されるだけに留まるあたり、この衛兵の肝が据わっているだけなのかベルゼルグのイメージがおかしいのか判断に困るところだ。

 

「この時期に来たってことは観光か? それとも所属を移す予定でも?」

 

 暗に出場するつもりなのか、という問いかけ。

 ベルゼルグ所属の者は大会出禁を食らっているが、所属を他国に移せばペナルティこそあれども出場はできるという抜け道がある。

 しかしそんなつもりの無いあなたはやんわりと観光と大会の観戦に来ただけだと否定した。

 

「そうか、残念だな。この能力なら大会に出場できれば優勝候補間違いなしだったろうに」

 

 こういった大会に出場者が求めるものとは何だろう。

 あなた自身の経験則で大雑把に分類すれば富、栄誉、己の力試し、強者との戦いといったところか。

 次いでこれらをあなた自身に照らし合わせてみよう。

 

 まず富。

 金銭についてはどれだけあって困るものではないが、今のところ満足するだけのものを有している。それこそ国から徴税部隊を送りこまれる程度には。

 賞品に神器があれば食指の一つや二つは動いただろうが、残念ながらそこまでぶっ飛んだものではなかった。数年に一度というペースで開催しているのだから当然といえる。それでも莫大な金銭と希少な物品の数々が得られることには変わりないのだが。

 

 栄誉。

 ウィズの手前日頃は極力目立たないように注力しているものの、あなたは目立つこと自体は別に嫌いというわけではない。承認欲求は人並みに備えている。

 だが今のあなたがデメリットを抱えてまで求めるものではない。そういうのはノースティリスをはじめとしたイルヴァの各地で十二分に堪能した後であり、何よりあなたは信仰する女神から特別な寵愛を賜るという至上にして最高の栄誉を得ているのだから。

 それにこの世界でも紅魔族の里に行けばアイドルや英雄扱いを受けている。彼らとあなたでは価値観が違いすぎる上に人気がある理由もイマイチ理解出来ていないので、どれだけちやほやされても喜びや照れより困惑が先に来てしまうわけだが。

 

 力試し。

 試すまでもなくあなたは自分の力を正しく把握している。

 駆け出しでもあるまいし、自分の力量すら見通せず持て余すなど笑い話にもならない。

 

 強者との戦い。

 これは中々に魅力的だが、あなたが求めるのは戦いの中でも命のやりとりなので、当然のように殺傷禁止の大会とはそりが合わない。見世物でも情け無用の血みどろ残虐ファイトが基本のノースティリスとは違うのだ。

 廃人級が大会に出場してなおかつノースティリスの冒険者よろしく観客をミンチにするなど暴れ始めた場合はまた話が変わってくるが、今この瞬間自分の頭に隕石が落ちてくるとかそういう非常識なレベルの仮定になるだろう。

 

 衛兵との会話を続けながら頭の隅でそんなことを考えていたあなたは、ふと頭に隕石が落ちてくる程度なら割と日常茶飯事だったことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 さて、市内に入ったあなたが真っ先に向かったのは衛兵に場所を教えてもらった最寄の冒険者ギルドだ。

 広大な面積を誇るトリフには各地に八つの支部、それらを統括する中央の本部の一つ、計九つの冒険者ギルドが配置されている。

 

 そうしてギルドに辿り着いた頃には激しい雷雨が大地に降り注いでいた。

 この分ではゆんゆん達がいるフィーレも似たような状況だろう。このような天気では竜の河も荒れ放題。つくづくあの日あの時あなた達に見つかったカルラは運が良かったといえる。ラーネイレ達に救われたあなたと同じように。

 

「こちらでよろしかったでしょうか」

 

 過去を想起させる激しい雷雨に運命的なものを感じていると、渋い白髭が特徴的な初老のギルド職員が市内全域の地図を持ってきてくれた。礼を言って机に広げてもらう。

 これこそあなたがギルドに足を運んだ理由である。

 カイラム大使館の大雑把な位置はカルラから聞いているが、もう少し具体的な場所が知りたかったのだ。

 

 あなたが現在いるのは東の第3支部。

 そしてカイラム大使館は城を挟んだ先の中央西側にあるようだ。

 大使館とは国外における外交活動の拠点。必然的に都市中枢から近い場所に配置されると相場が決まっている。カイラムも例外ではない。

 

 最初から分かっていたことだが、大使館は現在あなたがいる場所からかなり離れている。

 場所を記憶したあなたは地図を持ってきてくれた職員に一つの申請をした。

 

「かしこまりました。中央本部へのテレポートサービスのご利用ですね。それでしたら……こちらの書類に必要事項の記載を。費用は()()()()()となっております」

 

 ここで突然だが女神エリスについて思い出してもらいたい。

 幸運を司り、人々の死後を導く彼女はこの世界において最も有名な女神だ。国教や貨幣単位となるほどに。

 

 国教。そう、国教である。

 確かに女神エリスは世界で最も有名な女神であり、それを信仰するエリス教は世界最大級の宗教だが、国教および貨幣単位となっているのはベルゼルグの中だけに止まっている。

 世界中の国が等しくエリス教を国教と定めているわけではないのだ。

 それ以前に国教を定めている国自体が非常に少ない。

 ベルゼルグから海を隔てた先にあるリカシィやカイラムも、国が特定の宗教の保護や支援、信仰の推奨は行っていない。

 

 そういうわけなので、上記のようにリカシィの貨幣単位はエリスではない。

 一億エリスと聞いて一億人の女神エリスなどといった愉快なイメージをせずにすむわけだ。

 あなたとしては自身の名が通貨単位になっているという事実を女神エリスがどう感じているのか気になるところである。

 

 ちなみにフィルとエリスの交換レートはほぼ1:1となっている。これ分けてる意味あるんだろうかと言ってはいけない。通貨とはそういうものであるがゆえに。

 

 話を戻そう。

 先の職員の言葉から分かるように、なんとこのトリフの冒険者ギルド、各地の支部および本部に直通のテレポートサービスを営業しているのである。

 利用できるのは冒険者だけとはいえ、その利便性は語るまでもないだろう。ノースティリスの各ギルドにも見習ってもらいたいものだ。

 費用に関しては日常的に利用しようと思えるものではないが、テレポートの使用を限定的に解禁している上に高給取りのあなたが躊躇うことはない。

 

 何の気なしに十万フィルをポンと支払うも、そこで軽いざわめきが起きる。

 視線を散らしてみれば、地元の冒険者と思わしき者達が警戒と緊張が混じった観察の目をあなたに向けていた。

 

 現地入りしたあなたは最初に所用の手続きをしたのだが、それを担当した職員は研修中の札を下げた少女とも呼べる年齢の人間だった。

 そしてあなたの冒険者カードを見た彼女は、先の衛兵とは違う非常に大袈裟な反応をしてしまったのだ。女神アクアが冒険者になりに来た時にルナが似たような事をやっていた。守秘義務とか無いのだろうか。

 当然修羅の国ベルゼルグからやってきた事も知られている。冒険者達は余所者が自分達の縄張りを荒らしに来たと考えているのだろう。

 今のあなたは観光客なので彼らの心配は杞憂に過ぎないのだが、わざわざそれを説明する意味も理由も無い。

 元よりこのギルドに足を運ぶ機会は恐らくこれが最初で最後になる。

 

 

 

 

 

 

 

 ざあざあではなく、バチバチ。

 雨具越しに感触が伝わってくるほどにその勢いは強い。

 激しい雨音は赤子の鳴き声の合唱すら容易く掻き消すだろう。

 

 そんな十歩先すら目を凝らさねば定かではない、正直こんなことなら日を改めるべきだったと心の片隅で後悔したくなるような豪雨の中。

 たっぷりと捜索に三時間ほどかけ、あなたはカイラム大使館に辿り着いていた。

 

 精神的な疲労を臓腑から搾り出すように嘆息する。

 土地勘の無い場所、視界の悪さ、似たような建物が幾つもあったなどといった事もあり、予想外に時間がかかってしまった。

 何かしらのフォーマットでも決まっているのか、あるいはイメージ的な問題なのか。大使館という建物はどこの国も基本的に白か灰色だ。イルヴァでもそうだった。

 いっそすぐ見分けがつくように壁を派手な蛍光ピンクにでも塗っていてくれないものだろうか。塗ったら塗ったでその国の常識と正気を疑うが。

 

 建物を見上げてみれば、屋根の天辺には一本のポールがぽつんと寂しく立っていた。

 本来であれば所属を示す国旗がはためいていたのだろう。この辟易を通り越す空模様では仕方ない。

 

 大使館の敷地内に、あなたを誰何してくる警備の人間、あるいはエルフは一人もいない。

 窓の中から微かに明かりが見えることから誰もいないわけではないのだろう。

 正面玄関の扉を引き、ゆっくりと開ける。

 

 瞬間、あなたは扉から闇が漏れ出たような錯覚を受けた。

 

 室内に立ち入ったあなたが反射的に行ったのは光源の確認。

 しかし天井をはじめとしてどこを見渡しても、大使館の内部はちゃんと明かりがついていた。よくよく見てみれば別段暗いということもない。

 いや、それは最初から分かっていたことだ。明かりは外からも見えていたのだから。

 

 にも関わらず足を踏み入れたあなたは部屋が暗いという第一印象を受けた。あるいは怪しげな儀式でもやっているのかと勘繰るほどに。

 その理由は建物中に蔓延する重苦しい雰囲気のせいである。まるでお通夜だ。実際比喩表現抜きにお通夜の最中でもなんらおかしくない。

 

「カイラム大使館へようこそ。このような天気の中でさぞ大変だったでしょう。どうぞこちらをお使いください」

 

 玄関で雨具を脱いで片づけをしていると、朗らかな笑顔を浮かべた職員のエルフがやってきた。見た目は二十台後半から三十台前半。スーツを着た短い金髪の男。手には大きなタオルを持っている。

 あなたはふかふかで綺麗なそれをありがたく受け取った。

 

「本日はどのようなご用件でしょうか」

 

 一息ついたタイミングを見計らっての問いかけ。

 相変わらず大使館の雰囲気はすくつの浅層並に暗いが、目の前のエルフはそれを寸分も感じさせない。流石は国外の大使館に配置されるエリートだ。

 

 あなたはプロ根性に感心しつつ、この雨の中でも全く濡れていない、しっかりと保護された二通の封筒を荷物から取り出し、極めて簡潔に答えた。

 

 自分は現在そちらの国の第一王女を保護している者であり、彼女から手紙を預かってきた、と。

 一通は大使館へ。一通は父親へ。

 

 果たして、反応は劇的だった。

 

 

 

 

 

 

 少し昔の話をしよう。

 ある時、ノースティリスで一つの博物館がオープンした。

 それ自体は全く珍しい話ではない。どこにでも転がっている、ノースティリスの日常の一つだ。

 

 だがその日オープンした博物館は、そんじょそこらのものとは一線を画していた。

 その名もラーネイレ博物館。れっきとした名前である。

 

 名前を裏切る事無く、博物館にはラーネイレ縁のものしか置かれていなかった。

 どこを見てもラーネイレ。建物まるごとラーネイレ。

 主な展示物はラーネイレの剥製。その数は365体。

 他にはラーネイレのカード、ラーネイレの絵画、ラーネイレの人形、ラーネイレの抱き枕、ラーネイレの隠し撮り写真、ラーネイレの歩んできた軌跡、その他諸々、展示物から土産物まで全てがラーネイレ一色。

 

 館主は365日の間、一日も欠かさず毎日ラーネイレの剥製を願いで入手していた。

 狂気の沙汰としか言いようがない。

 無論ラーネイレの剥製をひたすら集め続けたことではない。そういった手合いはあまり珍しい部類ではないし、熱を上げた相手の剥製を集めるのは人として当然の欲求だとあなたは思っている。

 彼が狂っていると評されたのは、それを博物館として大々的に公開したからだ。いくらなんでも相手が悪すぎる。少しでも考える頭を持っている者はその選択肢を選ばない。

 あなたも名の知れた博物館の館長として、そして何よりも一介の収集家として。ラーネイレ本人を殺害するという形で入手した彼女の剥製やカードは目玉展示品のひとつとしているが、それだって常識の範囲内にとどめている。

 

 何が悪いかといえば盗撮写真が悪かった。

 

 結果として、誰もが知る英雄にしてアイドルを辱めた博物館は、開館当日中に押し寄せた無数の暴徒の手によって無惨に焼け落ち、365体の剥製を始めとしたラーネイレコレクションは一つ残らず盗み出され、不届き者の館主はサンドバッグに吊るされた。

 この話を聞いた誰もが「まあそうなるだろうな」と答える曰くつきの事件だ。

 

 余談だが、この時集った暴徒の中には、後にあなたの友人となる『全裸勇者』の異名を持つ風の女神の狂信者、かつては虚空を這いずるものと呼ばれていた凄腕の剣士、そして緑色の髪を持つ皮肉屋のエレアの姿が確認されていたりする。

 

 ……つまり、何が言いたいのかというと。

 ラーネイレと同じように、カルラもまた国民から大人気だということだ。

 

 

 

 

 

 

 さっさと帰りたい。

 何度思ったか知れない言葉を胸中で呟く。

 部屋の隅には本棚があるが、とても読んで時間を潰そうという気にはならない。

 時計を見てみれば、あなたが()()に来てから既に一時間が経過していた。

 部屋中に満ちる重苦しい沈黙と気まずさから居心地の悪さを隠そうともしない、ドアの横に佇むエルフの騎士に声をかける。

 

「はいぃっ!?」

 

 新米なのだろう。まだ少年の年頃のエルフは驚きで飛び上がった。

 まだ時間はかかりそうなのかと問いかける。

 

「ええと、申し訳ありません。僕のほうからはなんとも」

 

 困り果てた声色だ。さもあらん。彼に聞いてもしょうがない、意地が悪い質問だった。

 なにせ彼はこの一時間、いきなり国の外からやってきたどこの馬の骨とも知れぬ人間と二人きりにさせられているのだから。

 だが会話の取っ掛かりにはなったようだ。面貌から快活さが垣間見える騎士はミゲルと名乗り、臆した様子もなく尋ねてきた。

 

「あなたはどうしてこのお城に?」

 

 言葉短くあなたは答える。

 トリフにある大使館に手紙を届けたら有無を言わさず連れてこられた、と。

 

「トリフ……っていうことはリカシィから? 隣国じゃないですか」

 

 彼の言葉から分かるように、現在のあなたの所在地はエルフの国カイラム、その王城の一室である。

 

 連れてこられた理由については納得が出来る。

 それはそれとして今日は大使館の職員にカルラを回収してもらい、後日ゆんゆんと共に改めて……という予定を立てていたあなたはさっさと帰りたかったのだ。

 

「リカシィといえば闘技大会ですよね。それ関係でわが国の姫様がリカシィに滞在している最中なんです。カルラ様っていう凄く美しい方なんですけど、ご存知ですか?」

 

 期せずしてあなたはカイラムの現状を理解した。

 カルラ本人も推測していたが、王女が竜の谷で安否不明になった件はまだ国内に知れ渡っていないようだ。

 流石に事情を知っていてこの態度と質問はありえない。

 

「今は先輩達も大半が外に出ちゃってて。僕みたいなひよっこまでこうして駆り出されてるんです」

 

 カルラ本人曰く、彼女の母、つまり王妃が病床にあるというのは一般に伏せられている。

 そしてカイラム代表としてリカシィに赴いていたカルラは母が危篤に陥った事を知り、いてもたってもいられず竜の谷への探索隊に参加を強行。

 苦難の末にエリー草を発見したはいいが、帰り道で突然の奇襲を受け致命傷を負い河に転落。死亡。流れに流れあなた達に見つかるという経緯をたどった。

 

 竜の谷は空間が歪んだ異次元と化しており、テレポートが禁じられてしまうが故に起きた悲劇である。

 きっと騎士達は今もリカシィの各地でカルラの捜索中なのだろう。

 彼らの胸中は想像に難くない。あるいはその悔恨と絶望が豪雨を発生させたとしてもおかしくはない。

 

 リカシィとしてもとんだ災難だ。

 竜の谷は幾人もの勇者や英雄、騎士団、要人が挑んではスナック感覚で死んでいく人外魔境。

 そんな手に余りすぎる場所をリカシィは自国の領土と定めていないし、実際各国に受け入れられている。

 身も蓋も無いことを言うと竜の谷の中でカルラが死んでもリカシィとしては自業自得だし無関係、知ったことではないと言い切れる。

 だがカルラは公的にはリカシィに滞在していることになっている。

 これだけならまだなんとかなるかもしれないが、カルラは竜の谷で河に落ちた。そして竜の谷の河は幾重にも枝分かれしてリカシィ全域に続いている。

 カルラの死体がリカシィ国内で発見された場合、それはもう言葉に出来ないくらいめんどくさい事態に陥るのが目に見えていた。ラーネイレ似の王女様は各方面に迷惑をかけすぎである。

 

 かくいうラーネイレも故郷の森が焼き討ちを食らった際、立ち往生していた下手人を救うべく燃え盛る森の中に飛び込み焼死したことがある。

 死に慣れていない者が苦しい死に方をするとあっさり終わりを選ぶのは珍しい話ではないので、彼女の行動は人命救助という意味では確かに間違っていなかった。自分が死ぬくらいなら止めとけよと誰もが口を揃えるだろうが。

 普通に這い上がったからいいものの、仮にそこでラーネイレが終わって(埋まって)いた場合、諸々へ与える悪影響は恐ろしいことになっていただろう。

 ただでさえ碌でもないと評判のイルヴァは、間違いなく今よりも悪いことになっていた。

 

 ミゲルと軽い雑談を交わしつつも聡明な割にいざとなったら後先考えない行動に出る知人との妙な部分での一致に頭痛を感じていると、客室の扉を何者かが外からノックした。

 ようやく沙汰が下る時間が来たのだろうか。

 

「────ッ!?」

 

 扉を開け、中に入ってきた人物を目の当たりにしたミゲルが大きく目を見開いて絶句した。

 

 やってきたのは一人の騎士。

 しかしミゲルのような新米ではなく、明らかに高位のそれだと分かる壮年の男。

 一般的にエルフは魔術や弓が得意とされているが、そんな印象を根底から覆すかのように鎧の下は巌の如く鍛え上げられていると分かる。

 

 兜こそ脱いでいるものの、それ以外は完全武装で入ってきた騎士にミゲルは直立不動。

 

「すまない、お待たせした」

 

 燃えるような赤毛をオールバックに整えた男は、ミゲルの姿を認めたかと思うと、やんわりと退室するよう命じた。

 

「ご苦労だった。ここは私が引き継ぐ。貴様は下がってよい」

「了解しました! 失礼いたします!」

「うむ」

 

 きびきびと退室したミゲルを見送り、赤毛の騎士はあなたに向き直る。

 

「お初にお目にかかります。カイラム近衛騎士団団長を勤めております、エルドルと申します」

 

 名乗りをあげた男は深々と頭を下げた。

 流石は騎士だと賞賛を送りたくなる、お手本のように綺麗なお辞儀だ。

 

「まずはこの国全ての者を代表してあなたに感謝を。カルラ様の命をお救いいただき、本当に、本当にありがとうございました……」

 

 引き締められた顔はよく見ると目に隈が浮かんでおり、うっすらと涙の跡が見える。

 特に言葉も思い浮かばなかったあなたは素直に礼を受け取った。

 とりあえず手紙は本人の直筆であると認められたようだ。面倒が無くて助かる。

 

 あなたの対面に座ったエルドルは長年の懸念が解消されたかのように晴れ晴れとした、しかし頭痛を抑えるかのような、実になんとも言えない表情で語り始めた。

 

「単刀直入に本題から入る無作法、お許しください。あまり時間が無いのです。結論から申しますと、姫様を送迎する人員の選抜で非常に揉めました」

 

 テレポートの定員は四名であり、あなたと飛べる者は三名。

 あなた無しで送るだけならどうにでもなるが、万が一を考えてあなたも同行させる事となっている。リスク管理は大事なので疑われても文句は無い。テレポートは対象を火口に直接飛ばすような真似も出来るのだから。

 エルドルは人員の一人だという。しかし一時間以上も人を放置して人員の選出で揉めるとは何をやっているのだろう。

 そんな呆れを敏感に読み取ったエルドルは苦笑いを浮かべる。

 

「呆れになるのはご尤もです。我々もそんな暇があるのなら一秒でも早く姫様の下に向かうべきだと分かってはいたのですが……」

 

 奥歯に物が挟まったような言い方をするエルドルに、あなたはとてつもなく嫌な予感がした。

 癒しの女神があなたの『癒しの女神型1億金貨貯金箱』を誤って割ってしまった時も、こんな風だったことを思い出す。

 あれは限定販売のレア物だったのであなたは随分と落ち込んだものだ。後に女神お手製の貯金箱を下賜されたわけだが。

 女神本人曰く猫だという、妙に目力の強い造形をした異形の貯金箱はあなたの宝物の一つである。

 

「真っ先に名乗りを上げた方がですね……ええ、なんと申しましょうか……」

 

 聞きたくも知りたくもなかったが、この言い回しから察するに、ことここに至っては何の意味も無いのだろう。

 あなたは可能な限りゆんゆんに印象と功績を押し付けるべく、作戦と言い回しを脳内で練り始めた。

 

 

 

 やがて、審判の鐘……もとい扉を叩く音が鳴る。

 

「……どうか他言無用に願います」

 

 厳かな声を掻き消すように扉が開く。

 そして魔術師であろう、老齢のエルフを伴って現れた男を見た瞬間、あなたは顔を顰めなかった自分の表情筋を褒め称えた。

 まったくもって不思議なことに、やってきたエルフはこの部屋の壁にかかった肖像画とそっくりの顔の持ち主だったのだ。違いは服と王冠をつけていないところくらい。

 カルラと同じ空色の髪と瞳を持ち、威厳と覇気に溢れた一目で傑物と分かる偉丈夫。

 エルドルに促され席を立ったあなたを、鋭い眼光が貫く。

 

 

 肖像画のタイトルはカイラム・ブレイブ・ワンド・シリウス。

 現在のカイラム国王、その人である。

 

 

 この後滅茶苦茶王様に感謝された。

 

 

 

 

 

 

 ……以上がここに至るまでの経緯だ。

 

 なんやかんやあったが、とりあえず人心地ついたあなたはご自由にお召し上がりくださいとお茶と共に差し出された薄い焼き菓子を齧る。

 名前はレンバス。見た目はクッキーのようなシンプルな焼き菓子ながら芸術品のように美しく、味は筆舌に尽くしがたい。

 エルフにとって特別な代物らしいが、なるほどこの味であればそれも頷ける。

 女神にお菓子を奉納しているあなたの舌を唸らせ、プライドを刺激する品だ。幾つかお土産に持って帰れないだろうか。後でカルラに頼んでみるとしよう。

 

「…………はっ!?」

 

 日が沈み、夜が更けた頃。

 ベッドに寝かされていたゆんゆんはようやく意識を取り戻した。

 妹に聞くところによると彼女はあなたが出かけていた際に妹と同調、同化しかけたらしい。恐ろしすぎる話はあなたの心胆を寒からしめた。とりあえずおはようと声をかけておく。

 

「あ、はい。おはようございます。おかえりなさい……?」

 

 挨拶もそこそこにきょろきょろと周りを見渡し始める紅魔族の少女。

 寝起きの頭でも何かがおかしいと気が付いたのだろう。

 

「え……あれ? へっ?」

 

 頭上にハテナマークが飛んでいそうな表情をしている。

 状況を理解出来ていないようだ。無理も無い。

 

「あの。ここ、今、私、どこですか? なんかここ、おかしいっていうか、すごい? すごくないですか?」

 

 凄いか凄くないかでいえばとても凄い。

 豪華さで見るならベルゼルグ王城でカズマ少年が過ごしていた部屋が近いが、彼はよくこんな場所で寛げるものだと変なところで感心してしまう。

 このような場所で時間を過ごすだけならあなたも慣れているが、日常を過ごし寝泊りするとなると話は別だ。ありていに言って落ち着かない。

 

「もしかしてこれって夢?」

 

 寝起きと混乱で微妙に言葉が怪しいゆんゆんにあなたは答える。

 ここはカイラム王城、来賓用の客室だと。いわゆるVIPルームだ。

 あなたに宛がわれた部屋も隣にある。宿は引き払った。荷物もちゃんと忘れずに持ってきている。

 

「かいらむ、おうじょう? ……なんで?」

 

 何故。何故だろう。

 決して相手に強要されたわけではない。拉致されたわけでもない。だがあなたは今ここにいる。

 強いて言うなら報酬の為だろうか。

 今回の件については多少なりとも責任を感じているというのもあるし、半ばで投げ出すのも収まりが悪いというのもある。

 無論時と場合、相手の出方によっては相応の対処をするつもりではあるが。

 

「すみません、ちょっと意味が分からないです」

 

 普段のツッコミや皮肉とは違い、本気であなたの言葉の意味が理解できない、といった表情だ。

 なんとなくそうではないかと感じていたが、やはりゆんゆんは当身を食らう前後の記憶が飛んでいるようだ。あるいは現実から目を背けているのか。

 残念ながらどれだけ逃避しようとも立ちはだかる現実と廃人からは決して逃れられない。

 

 ベッドに近づいたあなたはレンバスを一切れ手渡す。

 

「うん? これ、お菓子ですか? ありがとうございます」

 

 ゆんゆんはベッドにこぼさないようレンバスを小さく齧り、そのままフリーズした。

 実に期待通りの反応である。

 

「…………」

 

 柔らかな月の光が部屋に差し込む中、忘我の紅魔族は体をガタガタと震わせ、おぼろげだった瞳には確かな理性が宿り、額からはだらだらと冷や汗が流れ、顔色は青に変化していく。

 

 何事かと聞かれればただ事とあなたは答える。

 レンバスは食した者の心身の調子を整えてくれるという素晴らしい効果を持つ。

 そしてゆんゆんは無事に記憶を取り戻して現状を正しく認識してくれたというわけだ。

 

「人生の具合がっ!」

 

 それはさっきやった。

 

「世界が私に優しくないっ!!」

 

 ちなみにゆんゆんが寝ている間にベルゼルグとリカシィから感謝の言葉が届いている。

 あなた達はごく一部で一気に有名人になった。

 

「やだあ! やだやだやーだー! ふぁっきゅー!!」

 

 昨今稀に見る勢いでゆんゆんのキャラ崩壊が激しい。

 切羽詰った救国の英雄はベルディアよろしく泣き言と駄々を漏らし始めた。

 むさくるしいおっさんであるベルディアのそれと違って大変可愛らしいが、さっさと諦めて現実を受け入れるべきだ。泣いても喚いてもこの悪夢は決して覚めない。

 今度は気絶しないよう、あなたはゆんゆんの頭に軽くチョップを入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 現在に至るまでの流れを簡潔に説明し終えると、ソファーであなたの横に座ったゆんゆんは両手で顔を覆っていた。

 

「直接本人に確認こそしませんでしたが、私もカルラさんが平民だとは思っていませんでした。でも王女って。王女様って。そんなの考慮してませんよぉ……」

 

 それに関してはカルラの自己紹介で気付かなかったゆんゆんが全面的に悪い。

 近接戦闘の師兼友人からぐうの音も出ない正論でぶった切られた少女はテーブルに突っ伏した。

 

「私達、これからどうなっちゃうんでしょう?」

 

 カルラが薄汚い陰謀に巻き込まれた結果その命を落としたというのなら、彼女を生還させたあなた達に魔手が伸びていただろう。だが今のところ特にそういった気配は無い。

 よくも悪くもただの事故だったのだ。

 

 闘技大会に間に合うようにリカシィに戻りたいとは伝えているし、相手側からも了承を得ている。

 ゆんゆんが考えているような悪い事にはならないだろう。というかあなたがさせない。ゆんゆん一人を守るくらいは容易いものだ。

 いざとなったらあなたが城ごと厄介事を物理的に消し飛ばしてくれると思えば、少しは気も晴れるのではないだろうか。

 

 そんなあなたの言葉を受け、ゆんゆんは夏の雪のような儚い笑みを浮かべる。

 

「あはは、ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。……ところでいざとなったら城を消し飛ばすって冗談というか比喩的な表現ですよね? ね? だってめぐみんじゃあるまいし。めぐみんじゃあるまいし」

 

 勿論100パーセント本気だ。あなたは真顔で答えた。

 メテオの威力と効果は彼女もよく知るところである。

 とはいえあれがあなたの本気と勘違いしてもらっては困るわけだが。

 

「私が……こういう時こそ私がしっかりしないと……今ここにはウィズさんがいないんだから……!」

 

 スイッチが入ったかのように真紅の瞳に炎が灯る。それは不退転という名の決意の表れか。

 あなたの甲斐甲斐しいフォローのおかげでゆんゆんは覚悟が決まったようだ。

 

 

 

 

 

 

 結局そのまま王城にて何事もなく一夜を過ごし、その翌日。

 

 ゆんゆんが起きたらいつでもいいので改めて礼をさせてほしい、そう言伝を預かっていたあなたはエルドルに連れられて城の中を進む。

 カルラの捜索に出ていた者達はまだ戻っていない。人手不足というのもあるだろうが、案内として近衛騎士団の長という大物が宛がわれているあたり、あなた達への待遇の一端が察せられる。

 

「…………」

 

 あなたの後ろではゆんゆんがおっかなびっくり周囲を窺っていた。

 ここは王城。余りにも自分が生きてきた世界とは違うと肌で実感しているのだろう。絨毯一つ踏むことすら躊躇しているようだ。

 先日の決意から気負っているというのは分かるのだが、だからといって絨毯を避けてこそこそ端っこを歩くのはあまりにもみっともない。しゃんとするようにと背中を叩く。

 

「うひゃい!?」

 

 いきなり変な声をあげるゆんゆんに驚いたのか、エルドルが足を止めて振り返った。

 

「いかがなされました?」

 

 彼女はこういった場所が初めてなので酷く緊張しているようだと、弟子の無礼を謝罪する。

 恥ずかしい思いをさせられた真っ赤な顔のゆんゆんは、エルドルから見えないようにどすどすとあなたの背中を小突く。

 

「ってそうだ。あの、エルドルさん……でしたよね?」

「はい。なんでしょうか」

「カルラさんと、カルラさんのお母さんの具合はどうですか?」

 

 恐る恐るの問いかけに、エルドルは安心させるように笑いかける。

 

「姫様でしたらいまだ床から起き上がれない安静の身ではありますが、それ以外は心身共に健康そのものだそうです。今朝は既に食事も終えたとか。王妃様も姫様のご帰還と時を同じくしてエリー草を摂取し、驚くべき速度で快方に向かっていると聞き及んでおります。姫様にも特大の拳骨を落としたとかなんとか」

「そうなんですか……よかった。いや、拳骨はともかくとして」

 

 実のところ、先日宿に父王が駆けつけて大騒ぎしていた時、カルラは目を覚まさなかった。

 枕元であれだけうるさくしても目覚めない彼女に若干の不安はあったが、軽く診断した同行者の宮廷魔術師筆頭曰く魂の傷を癒すべく眠りが常よりも深くなっているのだという。

 聞けば昨夜遅くに目が覚めて家族や家臣と感動の再会を果たしたりちょっと洒落にならないくらい怒られた後に泣かれたとのことだが、あなた達はその時普通に寝ていたので蚊帳の外だったりする。

 

 王妃に関しては竜の谷から持ち帰られたエリー草の使用を頑なに拒んでいた。

 最初は喜んでいたものの、カルラが顔を見せない事から何かがあったのだと察した彼女は、詳細を知るやカルラに使えといって譲らなくなってしまったのだ。

 

「全ては貴女がたのおかげ。我ら事情を知る者一同、この大恩を生涯忘れはいたしません」

「え、あ、はい……」

 

 今まで朗らかだった礼儀正しい紳士から真摯すぎる表情で告げられた言葉に否定や謙遜の言葉を返すことも出来ず、ゆんゆんはあなたに目配せを送ってきた。

 愚直で重圧すら感じる善意に慣れていないのだろう。慣れろというほかない。

 

 とはいえ彼らの反応も無理も無い。

 カルラが戻らなければそのまま王妃も没していた可能性は極めて高い。

 確かにカルラを蘇生したのはあなただが、それだって水死体の引き上げを提案したゆんゆんがいなければ起こりえなかった。

 あなたも多少大袈裟に語りこそしたが、そういう意味ではゆんゆんがカイラムの救世主というのは純然たる事実であり、決してからかいや冗談では済まないのだ。

 

 

 

 

 

 

「おはよう、ふたりとも」

 

 自室のベッドで横になったカルラがあなた達を出迎える。

 つい昨日も同じような姿を見たが、その時とは何もかもが違っている。

 

 木組みのシングルサイズのベッドは、レースの天蓋が付いたキングサイズのベッドに。

 見た目より着やすさと着心地に特化した貫頭衣は、シンプルながら品のよさと職人の技術が光る室内着に。

 水で洗うのが精一杯だった顔にも公人として恥ずかしくない最低限の化粧が施されていた。

 

 ただでさえエルフは見目麗しい者が多い種族として有名だ。そんな中、すっぴんでも国一番の美人だった彼女は、今や輝きを放たんばかりの美貌を見せ付けている。

 同性からの嫉妬すら湧き起こらない、神々に愛されているとしか表現できない黄金の造形美。

 しかし彼女が神々に愛された美貌を持つ者なら、あなたは女神そのものの美貌の持ち主から寵愛を受けている身だ。ついでにそっくりさんのラーネイレが化粧した姿を何度も見ている。隣でぽかんと惚けた顔を晒すゆんゆんの二の舞にはならなかった。

 部屋の隅で心なしかドヤ顔を浮かべていたメイドの何人かが、そんなあなたを見て軽く驚きを浮かべる。

 

「私の実家へようこそ。本当なら立って挨拶とお礼の言葉を交わしたかったのだけど……」

「いえいえいえいえそんなとんでもない! 大丈夫ですカルラ様! やめてください私なんかに! 畏れ多いです!」

 

 あ、これダメなやつだ。あなたは瞬時に察した。

 気負ったゆんゆんが時折変に空回ることをあなたはよく知っている。

 それがいい方向に行く場合もあるのだが、今回はそうではなかったらしい。

 

 ほんの一瞬。瞬きの間に消え去ってしまうような刹那の間。

 あなたはカルラの顔に失意の感情が浮かんだのを見逃さなかった。

 

 昨日までとは違い、今は周囲の目がある。

 気安い口を利いていいような相手と状況ではないことは間違いない。カルラもそれくらいは理解している。

 だがそれはそれとして、昨日までは普通に仲良くカルラと交流していたゆんゆんの態度の変節はあまりにも急激で、露骨すぎた。

 

 色々な意味で前のめりになっている少女をやんわりと抑え、王族相手に礼を失さない程度に丁寧に、しかし最低限の友好と気安さが相手に伝わる挨拶を行う。

 エルドルをはじめとした、あなた達の交流を見守っていた者達から感心した気配が伝わってきた。

 

 このあたりの機微も長い冒険者生活における経験の賜物といったところ。

 こういった場におけるあなたの評価は癒しの女神の評価に繋がる場合がある。冒険者にありがちな無礼で無教養で野放図な無頼の輩と一緒にしてもらっては困るのだ。

 まあそれはそれとして剥製目当てで王族を殺したりするわけだが。

 

『あーあ、お姫様を傷つけちゃった。ゆんゆんいけないんだー。かわいそー。やっぱり紅魔族みたいな田舎者はダメだよね、お兄ちゃん』

 

 ここぞとばかりに煽りの言葉を発する妹。

 だがしかし。ここであなたにとってあまりにも予想外の事が起きる。

 

 びくり、と。

 ゆんゆんが体を震わせて怯えた目であなたを見たのだ。

 

『聞こえてるかな? 聞こえてるよね? 昨日まであんなに仲良くお喋りしてたのにね。相手が綺麗すぎてゆんゆんは頭が空っぽになっちゃったの? これだからぼっちを拗らせたやつは。他人との距離感が分からない』

 

 ハッと我に返った様子のゆんゆん。

 明らかに妹の電波が届いているが、そんなことはどうでもいい。どうせ一体化しかけたせいでパスが繋がったとかそんなところだ。元より妹の声は女神エリスにも届いていた。一人が二人になったところで大した問題ではない。

 

『あんな露骨に媚びなくたって、お兄ちゃんみたいに自然な態度で普通に礼儀正しくしておけばいいんだよ。そうしとけばこっちに滅茶苦茶でっかい恩がある向こうは勝手に好意的に評価してくれる』

 

 それ以上にあなたは内心で大きく感動していた。

 言葉のナイフでぐっさぐさと刺しに来ているが、それでもあれだけ蛇蝎の如く嫌っていたゆんゆんの名前を呼び、一方的な上から目線の説教という形とはいえ、まともなコミュニケーションをとっているのだ。これがどうして感動せずにいられよう。

 あなたは後で妹の頭を思う存分撫でてあげることにした。

 

『言っておくけどこれはお前の為に言ってるわけじゃないからね。お前がどれだけ無様を晒したところで私は知ったこっちゃないけど、一緒にいるお兄ちゃんが舐められるのは我慢できないから。それだけだよ』

 

 だがそれはそれとしてこのツンデレの鑑みたいな台詞は何事なのだろう。

 彼女が癒しの女神を信仰しているという話は聞いていないのだが。

 

 いや、あなたも実際これが妹の本音で本心なのは理解している。

 理解はしているが、身近に頑張ってツンデレを演じている女神がいるだけに、どうしても思うところが出てきてしまうのだ。

 

「…………」

 

 妹の言葉を受けたゆんゆんは、やがて衆目が集まることを気にすることなく両手でぱしんと頬を強く叩いた。

 そうして一歩、はっきりとした足取りであなたより前に出る。

 浮かぶのは見るものが親しみを感じる自然な笑顔。

 

「すみません、まだちょっと寝ぼけてたみたいです。お城のベッド、すっごく寝心地が良くって。おはようございます、カルラさん」

「ええ、おはようゆんゆん。気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」

 

 それを受けたカルラの表情は、語るだけ野暮というものだろう。

 

 

 

 

 

 

 その後、あなたとゆんゆんは改めてカルラの心からの感謝の言葉を受け取った。

 

「本当なら二人にはもっと我が国に滞在していてほしいのだけど。闘技大会を見に行くのよね?」

 

 頷く。

 今回の件は事が事だ。歓待を受けるのも吝かではないが、それでも目的がある旅な以上、あまり拘束され続けるのは喜ばしい話ではない。

 

「そういうことなら私の方で席を用意させてもらっても構わないかしら」

「よろしいんですか?」

「ええ、これくらいお安い御用よ。もし二人が良ければ私に用意された席でもいいのだけれど。この体ではどのみち見にいけないし」

「えっ」

 

 あなたは扉の横で静かに佇むエルドルに目配せする。

 紳士の騎士は意を得たとばかりに微妙に王族特有の価値観のズレを持つ王女を諌めた。

 

「姫様、よろしいでしょうか」

「どうしたの?」

「お言葉ですが、流石にそれは悪目立ちが過ぎます。姫様の御身を軽んじる事にも繋がりかねません。恩を仇で返すことになると愚考いたしますが」

「……ああ、やっぱりそうよね。ごめんなさい、今のは聞かなかったことにしてくれると嬉しいわ」

 

 普通に一等席を用意してくれることになった。

 あなたは最悪立ち見でもいいと思っていたので非常に助かる話である。

 

「大会が終わった後は、そのまま、その足で?」

「はい、竜の谷に向かう予定になってます」

 

 息を呑む複数の気配。

 これまでの弛緩していた空気が一瞬で張り詰めたものに変化した。さもあらん。

 今の彼らからしてみれば、かの地はカイラムにとって全ての終わりを生み出しかけた場所。まさしく地獄の入り口に他ならないのだから。

 

「そう……一度足を踏み入れた私の警告だけど。あそこは人間も、エルフも、ドワーフも、果ては魔族すらも。等しく立ち入っていい場所ではないわ。私や家臣たちは奇跡的に帰ってこれたけど、あそこは生物が生きていける環境ではない」

 

 テレポートによる行き来を封じる世界の絶島にして魔の領域。

 自然の脅威がありのまま残された、どこまでも果てが見えない広大な大地。

 蠢くものどもは言わずと知れた竜を筆頭に、太古の昔に滅んだはずの神話に語られる魔物達。

 闇夜を徘徊する、竜の谷で散っていった数多の英雄の亡霊。

 規則性も法則性も無く、ただただ無作為に流転する環境と天候。

 安全な筈の場所で時折感じる、知恵持つ強大な何者かの視線。

 

 本で読むのとは全く異なる、竜の谷に挑んだ者の口から次々と語られる竜の谷の姿はあまりにも生々しく。まるで生命のように息づいていた。

 

「……とまあ、私達が経験したのはこういう場所だったのだけれど」

 

 やがてカルラの語りが終わり、場は耳に痛いほどの沈黙が降りる。

 ふと、王女とあなたの目があった。

 

「ごめんなさいゆんゆん。ここまで話しておいてなんだけど、どうやら逆効果だったみたい」

「えっ、それってどういう……」

「だって冒険者さん、とても楽しそうな顔をしているんだもの」

 

 そう、素敵な話を聞けたあなたはとても満足していた。

 一日でも早く行ってみたいと、まるで遠足を楽しみにした子供のように興奮を抑えきれない。

 きっとこの世界に来て一番楽しい冒険になるだろう。

 

 人はそんな者にバカにつける薬は無いと言う。

 あなたの経験上、バカじゃない冒険者なんぞ存在しないわけだが。

 

 

 

 

 

 

「あ、そうそう。ところで話は変わるのだけど」

 

 なんともいえない空気を切り替えるように、カルラが突然こんな事を言い始めた。

 

「昨日、父と母と話し合って、いつまでも私達の記憶に残るよう、貴方達への感謝を何か見える形で残したいということになったの」

 

 あなたが考える形に残る何かといえばやはり剥製だ。

 流石にあなた達本人を加工するわけにはいかないが、似たようなものであれば十分に作成可能だろう。

 自身の剥製が飾られるというのは面映いが、何もこれが初めてというわけではない。

 

「それで本人達の意見を聞きたいのだけど、城の中庭に二人の彫像が建つのと、肖像画を描いてもらうの、どっちがいいと思う?」

 

 出鼻を挫かれたあなたはつい思っていたことを口に出した。

 

「……剥製? 冒険者さん、それってどういう」

「すみませんカルラさん。肖像画でお願いします」

 

 

 

 

 剥製という言葉から凄まじく嫌な予感がした。この厚意による申し出(チャンス)を断るわけにはいかないと思った。今は当時の自分の判断に感謝している。

 後に、この時のことをゆんゆんはそう述懐している。

 全てを受け入れた透き通った透明な笑顔で、しかし瞳だけは諦観で泥水の如く濁らせて。


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