このすば*Elona 作:hasebe
短かったカイラムでの滞在を終えたあなた達は、無事にトリフに戻ってきた。
例によって感謝の意を示す職員一同から深々と頭を下げながら見送られ、ゆんゆんが微妙な居心地の悪さを感じるといった一幕もあったものの、これでひとまずはエルフ達とお別れとなる。
トリフにてあなた達が最初に向かったのは宿泊施設。
それもそんじょそこらの安宿ではない。カイラムが手配してくれたのはリカシィという国における一番の高級ホテル、そのロイヤルスイートだった。
この時期にそのような部屋が空いていた理由だが、実は元々カイラムが利用する予定だったからだったりする。王妃とカルラのごたごたで宙に浮いたところをあなた達が譲り受けた形だ。
今回は無料だからいいものの、普通に利用しようと思えば一泊の費用はいったいどれほどのものになるのか。ゆんゆんはさておき、高給取りの冒険者であるあなたにとってはさしたる痛手にならないが、それでも積極的に利用するような場所ではない。
「最初にホテルに入った時からなんとなく分かってましたけど、さっきまでいたお城とは全然違いますよねここ。見た目もですけど、特に雰囲気が」
先進的とでも言えばいいのだろうか。
触れることすら躊躇われるような煌びやかな装飾で囲まれた、いかにもといった伝統的で貴族然とした王城の来賓用の客室と違い、ホテルの部屋はどちらかというとシックでモダンな落ち着いた雰囲気の、しかしだからこそ内装の質の高さが際立つものだった。
異世界という根本からしてかけ離れた文化から生まれ洗練されてきたそれは、たまに自宅の模様替えで遊ぶあなたとしても大いに参考になるものであり、思わず唸らずにはいられないもの。
ここならばゆんゆんも少しは肩肘を張らずに過ごすことができるだろう。
「広すぎてちょっと落ち着かないんですけど……明らかに一人で寝泊りするような場所じゃないですし」
確かに場所が場所だけに貴族が使用人を侍らせて使っても全く問題のない広さとなっており、市井に生きるものが個人として使う分には持て余してしまうだろう。
だからというわけでもないだろうが、あまり宿でくつろぐことなくゆんゆんは観光に行きたいと提案してきた。
カイラムで散々怠惰に溺れていたあなたも異論はなかったが、その前に軽く地図や観光案内を見てトリフについて勉強しようということになった。
「こうして見ると本当に信じられないくらい広いですよね」
大理石のテーブルに広げられたのはトリフ全域が描かれた地図。ちょっとどころではなく縮尺がおかしい。核爆弾数十発分は伊達ではない。
アクセルは勿論のこと、ベルゼルグ王都と比較してもなお遥かに巨大なこの帝都は、主に四つのエリアで分けられている。
まず地図の中央。
ここは帝城があるトリフの中心部だ。
周囲は高い壁に囲まれており、昼夜問わず厳重な警備が敷かれている。
次に帝城周辺の区域。
大商人や貴族が住まう豪奢な邸宅が整然と立ち並び、各国の大使館および冒険者ギルドの本部が存在する。
許可のない一般人およびレベル25未満の冒険者は立ち入りが禁止されている(ただし冒険者ギルド本部のみテレポートサービスを利用して建物内に限り立ち入り可能)場所であり、全トリフ住人の憧れの的にして押しも押されもせぬ一等地。
ちなみにあなた達が宿泊しているホテルもここに建っている。
そして広大な帝都のほぼ全てを占めるのが、残りの一般エリアだ。
数多くの家々や商店が軒を連ね、雑多な町並みを作り上げている。
身も蓋も無い言い方をすると
鍛冶街、歓楽街、果ては魔術ギルドまで詰め込まれた帝都はまさしく混沌と呼ぶに相応しい。
各地区は名目上の格差は存在しないことになっているが、地区ごとに貧富の差が明確になっているのはご愛嬌といったところか。
「あの、ちょっと気になったんですけど。この壁に囲まれた空白地帯ってなんなんでしょう?」
繰り返すが、トリフには大体なんでもある。
これにはスラム街といういわば国の暗部も含まれている。
ゆんゆんが指し示した地図の南西にある空白がそれだ。
「そんなお話に出てくるようなものがあるんですか!?」
驚きの声をあげるゆんゆんだが、それもそのはず。
ノースティリスの冒険者であるあなたからしてみれば耳を疑う話だが、なんとベルゼルグという国にはスラムが存在しない。ただの一つもだ。
スラム撲滅。口で言うのは容易いが、決して少なくない資金と人員がこれに用いられている。世界中からモノとカネが集まるベルゼルグだからこそ可能な芸当と言えるだろう。
ベルゼルグがスラム撲滅に力を入れる理由は二つある。
一つは国教であるエリス教が弱者救済を推奨しているから。とはいえこちらは努力目標のようなもので、半ばオマケと言って差し支えない。
現実的な理由は、言わずと知れた魔王軍の存在だ。
下手に国の目が届かないスラムを放置しようものなら魔王軍が暗躍する温床にしかならないのだから、徹底的に撲滅するのは当然といえば当然といえる。
身を持ち崩した人間が行き着く先といえばスラムと相場が決まっている。
だがベルゼルグにはスラムが無い。そういった人間はどうなるのか。賊に落ちぶれる。
大陸の危険度の割にベルゼルグに賊が多かった理由がこれだ。
そしてあなたに片っ端から根切りにされた今、ベルゼルグを根城にする賊は殆どゼロになった。めでたしめでたしである。
■
トリフ東部地区中央。
この都市最大と言われる市場にあなた達はやってきた。
あなたの眼前に広がるのは思い思いに動く無数の人の群れ。
一大イベントである闘技大会の季節とあって、その密度は最早めまいを覚えるほど。
耳を塞ぎたくなる喧騒とあちこちで開かれている食べ物の露天の匂いも相まって、視覚聴覚嗅覚がバカになってしまいそうだとあなたは思った。
ふとゆんゆんを見てみれば、呆けた顔で目を白黒させていた。
軽く目の前で手の平を振ってみる。
「……あ、すみません。なんだか圧倒されちゃって」
さもあらん。
経験豊かなあなたであってもこれほど活気に溢れた場所はあまりお目にかかったことがないくらいだ。
「でもこれじゃはぐれちゃいそうですよね」
仮にはぐれてしまった場合、この人の波の中を探し出すのは困難を極めるだろう。
あなたはゆんゆんに紐で繋いでいいか尋ねてみた。
首でも腰でも手でも足でも、好きな場所を選んでいいとも。
「紐?」
ゆんゆんは怪訝な表情を浮かべた。
待ってましたとばかりにあなたはポケットから紐を取り出す。
「紐ですね。どこからどう見てもただの紐です」
ただの紐ではない。あなたがノースティリスから持ち込んだ数少ない道具の一つだ。
あなたは普段使いする道具以外はあまり持ち歩かない傾向があり、願いの杖がゴミになったのと相まって転移に際して物資に相当の制限を課されてしまったわけだが、この紐は常用していた品であるがゆえにそれを免れた。
「でも紐ですよね?」
この紐はノースティリスでは主にペットが迷子になるのを防ぐために用いられているものだ。
雑貨屋で売られている程度の安物だが、ある程度伸縮自在な上に丈夫な素材で作られている。これを使えばゆんゆんが迷子になっても一安心である。
「まさかのペット扱い!?」
『はあ? ゆんゆん如きがお兄ちゃんのペットになれるわけないでしょ。少しは身の程を弁えたら?』
「えぇ……」
この後、ノースティリスにおけるペットの概要などを説明したのだが、それでもゆんゆんは紐で繋がれる事を猛烈に嫌がった。
「意味は分かりましたけど、でもなんでそこで紐が出てくるんですか! もっと普通に手を繋ぐとかあるでしょう!?」
ゆんゆんがそれでいいのなら、とあなたは少女の手を掴んだ。
「へっ!?」
びくり、と体を強張らせるゆんゆん。
あなたからしてみれば子供の手を引くに等しい行為であり全く思うところは無いのだが、ゆんゆんからしてみればあなたは異性で年上の友人。
そんな相手と手を繋ぐのは多感な年頃の少女には非常にハードルが高い行為なのではないかと考えていたのだ。
「……うん、まあ、そう言われると確かにそうなんですけど。でも紐で繋ごうとしたあなたにだけは言われたくないです。絶対に。ありえない選択肢ですよそれは」
流石に気恥ずかしいのか少しだけ頬を赤くしているものの、案外平気そうだというのがあなたの率直な感想だ。
「確かに思ったよりずっと何ともないですね。自分でもちょっと意外なくらい。きっとあなたがお」
『お? お? なんだって? 言ってみなよ、この私が見てる前で。言えるものならさあ。まさかとは思うけど“お”の次に来る言葉は“に”で、その次は“い”じゃないよねえ?』
「…………お世話してくれてる人だからだと思います!!」
握ったゆんゆんの手からぶわっと汗が噴き出した。じっとりして気持ち悪い。
これはいよいよ本番となった夏の暑さが原因なのか、あるいはたちの悪いチンピラじみた因縁をつける妹の研ぎ澄まされた氷の殺意に怯えたからなのか。
眩しく輝く太陽は何も答えてはくれなかった。
■
ブティック、化粧品店、魔道具店。
好きな場所で買い物をして構わないと言われたゆんゆんはまずこの三つを選んだ。
年頃の少女が選ぶには明らかにおかしい店が一つあったが、紅魔族的に異国の魔法文化は興味を惹かれるものらしい。あるいはウィズの垂訓の影響かもしれないが、あなたとしても頷ける話ではあった。
「むう……」
ブティックと化粧品店では大満足のうちに買い物を終えたゆんゆんだったが、魔道具店での彼女は芳しくない様子を見せている。
今もガラスケースに展示された杖や巻物を物色しているが、ずっと怪訝な表情を崩さない。
ウィズ魔法店を愛してやまないあなたと違って、ゆんゆんの感性は一般的なものだ。
そうした視点から見れば面白みにこそ欠けているものの、品揃え自体はさほど悪くないように見えるのだが、何かしら気になるところがあったのだろうか。
あなたの問いかけにゆんゆんは軽く周囲を見渡した後、あなたにだけ聞こえる小さな声でこう言った。
「このお店、やけにお値段が高くないですか? それも戦闘に使うタイプの魔道具だけ」
ゆんゆんが選んだのは東部中央で最もランクが高い店、つまり一般人が手を出せる中では最高の店であり、値が張るのは当然だ。
トリフでこれ以上を求めるのなら城の外周にある最高級店を選ぶ必要がある。
「それはそうなんですけど、そうじゃないというか。……言っちゃなんですけど、その、明らかに性能と値段が見合ってないんです」
残念ながらあまり共感できそうにない話だった。
あなたにとって、装備品や魔道具の性能が値段と釣り合っていないというのは今に始まった話ではない。
「でもベルゼルグだと、もっと安くて強力なのが普通に売ってましたよ? 勿論紅魔族の里が一般的じゃないのは私も分かってますけど、王都とかアルカンレティアでも。お洋服とかお化粧品はむしろ安いくらいだったのに、魔道具だけ明らかに高すぎるなんて絶対におかしいですよ」
あなたは理解して、納得して、その上でゆんゆんを優しく諌めた。
この場合、おかしいのは店ではなくゆんゆんの物差しだ。比較対象が悪い。
「!?」
あなたに諭されたゆんゆんは強烈なショックを受けていた。よもやあなたに物差し云々を語られるとは夢にも思っていなかったと言わんばかりの反応である。
しかし実際、魔王軍と戦っている国の高ランク魔道具店とさしたる脅威に晒されていない国の魔道具店を一緒にするのは少々酷というものだろう。
この国の冒険者はベルゼルグと比較して平均レベルが10ほど低いという事実を忘れてはいけない。
■
その後もひとしきりショッピングを楽しんだあなた達だったが、ゆんゆんが人ごみに酔ってしまったこともあってオープンテラスのカフェで休憩をとることにした。
装備品や物騒な魔道具はさておき、嗜好品の質に関してはリカシィはベルゼルグを優に上回っている。
適当に選んだカフェだったのだが、茶も菓子もベルゼルグの平均的なそれよりもずっと美味だ。
ミル・クレープという名前の、何枚も重ねられたクレープ生地の間にたっぷりのクリームと彩り豊かな果物を挟んだケーキ風デザートに舌鼓を打つ。
濃厚なクリームの甘みと果物の微かな酸味が喧嘩する事無く調和しており、幾重ものクレープ生地が全てを柔らかく包み込んでいる。
ノースティリスに帰った暁には是非とも癒しの女神に奉納せねばなるまい。味の研究のため、あなたは通りがかったウェイトレスにテイクアウトの注文をした。
「私はどうしようかな……うーん、折角だけどやめておきます」
一応ゆんゆんにも尋ねたのだが、彼女は財布の中を見て首を横に振った。
「今日までにだいぶ使っちゃったので。ちょっと節約しないといけないかもです」
いきなりおかしなことを言い出した愉快な同行人に、あなたは思わず小さく笑い声をあげる。
ゆんゆんは冗談のセンスが抜群だ。
「どうしたんですか?」
どうしたも何も、ゆんゆんはつい数時間前、カイラムからエリスに換算して十億という身の丈に余る大金を受け取ったばかりだ。
金銭の不足に悩むなど滑稽でしかない。
「あ゛う゛ん゛っ!」
あなたの答えを受け、果たしてどういった感情の発露なのか非常に気になる、なんとも愉快な呻き声、もとい悲鳴を少女はあげた。
口座の存在を忘れていたわけではないだろう。むしろ忘れていたかったのか。
「最初から口座に触る気が無ければ口座が存在しないのと一緒ですし……」
微かな震え声に、あなたはまるで税金のようだと思った。
税金は最初から払う気が無ければ存在しないのと同じである。
実際あなたもこの世界で税金を払う気は無い。誰が何と言おうと絶無だ。
誰もが中指を突き立てる無法な税率と戦闘力に物を言わせた脱税はさておき、素直に口座から引き落として使うべきだとあなたは諭した。
全てを使えとは言わないが、一億エリス分くらいは構わないだろう。
「構います。構いますよ。というか十分じゃないですか……受け取っただけでもう十分じゃないですか……私いっぱい頑張りました……!」
切実な訴えだった。いっそ悲痛ですらある。
ギャンブルで溶かしつくすなどの無為な浪費は論外だが、完全に死蔵して腐らせるのも良いことではない。
ゆんゆんが言ったように、最初から口座に触れる気が無いのは口座が存在しないのと一緒だからだ。
「はい、口座は存在しません!」
はいじゃないが。
笑顔の主張に呆れたあなたは、ぺしんと手の平で軽く小市民メンタルな少女の頭を叩いた。
ゆんゆんはこういうところに関してはめぐみんの強かさを見習うべきだ。彼女ならきっといざという時のための貯金と家族への仕送りを残した後は、ここぞとばかりに散財して爆裂魔法の強化に励むと考えられる。
「確かにめぐみんはそういうとこありますけど。全部使い切らないところとか地味に理解度高いなって思います。でも私、あんな大金の使い道とか思いつかないですし……」
そこであなたの出番である。
経歴の殆どがイルヴァという異世界でのものとはいえ、あなたが歴戦の冒険者であることは疑いようも無い事実だ。
そしてベテラン冒険者にとって、降って湧いた大金の使い道など相場が決まっている。
「……つまり?」
いい機会なので装備を更新すべきだとあなたは提案した。
竜の谷に使い慣れていない装備で赴くのはそれはそれであまりよろしくないだろうから、ベルゼルグに帰還してから。
「でも私、別に装備には困ってないですよ?」
正直なところ、ゆんゆんはレベルと装備が釣り合っていない。レベル20台の頃と同じ装備を使い続けているのだから当たり前だ。
今までは本人が特に不足を感じていなかったこと、促成栽培に収入と貯蓄が追いついていなかったことなどからあなたもあえて口を出さずにいたが、こうして臨時収入があったのだから存分に活用すべきだろう。
不満が無いからいいというものではない。冒険者たるもの、装備品はいつだって最善を目指すべきだ。文字通り己の命を左右するものなのだから。
先日のルビードラゴン戦においてゆんゆんが大いに手こずっていた理由として、装備がレベルに追いついていなかったというのが第一に挙げられる。
現在使用している紅魔族産のロッドとローブ、そしてドワーフの鍛冶師が鍛えたミスリルの短剣。
これらは確かに優秀だが、あくまでも同価格帯の中では、という但し書きが付く程度のものでしかなく、上を目指そうと思えばいくらでも目指せる。
どちらも職人自体は世界有数の腕前なので、素直にそれらの店で上位のものに一新すれば困ることは無いだろう。あるいは今のゆんゆんならオーダーメイドを受けてくれるかもしれない。
口座に手をつけるかは別として、冒険者としての師にして先達であるあなたの珍しく真摯な忠告をゆんゆんは素直に受け入れた。
「でもウィズさんのお店じゃなくていいんですか?」
彼女に頼めば武具を仕入れてくれるだろうから、ゆんゆんがそれを望むのならそれもいいだろう。
だが知ってのとおり、ウィズの目利きは極端だ。
仕入れる品はアクセルでは需要が無いだけの強力で面白みの無いアイテムか、もしくはあなたの蒐集欲を掻き立てる素晴らしいネタアイテムばかり。
今回の場合、前者であれば何も問題は無い。
しかしカズマ少年考案の異世界由来の道具を除き、最近のウィズが仕入れる品は比重が後者に大きく偏っている。
これはあなたという唯一無二のお得意様に喜んでもらう為だろうとバニルはなんとも複雑な表情で語っていた。
確かにあなたはウィズの店、ウィズの商品が大好きだしウィズの目利きには大変感謝しているが、今のゆんゆんに必要なのは
故にあなたは冷たい目で淡々と問いかける。
思わず目を覆いたくなるような素敵なネタ装備や産廃をウィズが善意100%でおすすめしてきた場合、ゆんゆんはそれを拒否出来るのかと。
「…………できましぇん」
かつてウィズのおすすめした品で痛い目に遭ったゆんゆんは、そう言ってがっくりと肩を落とすのだった。
余談だが、あなたに鍛冶屋潰しでゆんゆんに装備品をプレゼントする気はさらさら無かったりする。
実際に作る分には全く構わないのだが、それをゆんゆんが愛用するとなると話は別だ。
あなたは道具の力で擬似的に鍛冶スキルを得ている。しかしそれは所詮外付けの紛い物でしかなく、本当の意味で自分のものになっていないという意識がある。
出来合いの品を強化したり妹に渡したような手慰みの玩具を作るならまだしも、自分が作った装備に他者の命を預けさせることができるほど、あなたは自分を信頼していなかった。
パンはパン屋に。武器は武器屋に。これはそういう話だ。
■
それはあなた達がカフェから出てきたところで起きた。
「おいババア今なんつったぁ! もっぺん言ってみろ!!」
通りにつんざく男の怒声が響き渡った。
何事だろう。お世辞にも穏やかな雰囲気ではない。
ゆんゆんは正義感から、あなたは野次馬根性で騒ぎが起きている場所へ足早で向かった。
現場では頬に十字傷が入った、凶悪な人相をした短気そうな男がいきりたっていた。
頭三つぶんは背が小さい、日傘を差した老人を眼光鋭く睨みつけている。
「聞こえなかったのならもう一度言ってさしあげましょう。その耳かっぽじってよくお聞きなさい」
男と相対する、燃えるような赤い髪を持つ優雅な老婦人は言った。
堂々と、高らかに、謳うように。
「あなた、女装に興味がありませんこと?」
しん、と。
圧倒的な沈黙が周囲を満たす。
夏の熱気すら容易に凍てつかせる、最低に終わっている一言だった。
「うわあ……」
場に割って入ろうとしていたゆんゆんもドン引きだ。
──女装?
──今女装って言ったぞ。
──格好からして南海の国から来た冒険者よね。
──闘技大会に出る予定なんだろうけど……女装?
ひそひそと囁きあう周囲の人間のなんとも言えない視線を振り払うように男は叫んだ。
「あるわけねえだろ!? 俺がそんな変態に見えてるってのか!」
「いいえ、全く。見たところ貴方はモヒカンで髭面のむくつけき冒険者。女装などこれっぽっちも似合わないと思いますわ」
「お、おう。分かってるならいい。いやよくねえよ分かっててなんでいきなりそんな事聞いてきた」
「馬鹿ですわねえ。ガチムチマッチョが似合わない女装にド嵌りする光景は最高に尊いのですよ?」
「狂ってんのか!?」
「失礼な。ただの趣味ですわ。それに心配しなくても怖いのは最初だけですわよ。慣れれば気持ちよくなりますわ。ほら、こんなにたくさんのお仲間が」
懐から何枚もの写真を取り出す老婦人。
その全てにフリフリのドレスを着てばっちり化粧をきめたガチムチマッチョの男達が映っている。目が腐りそうな冒涜的な写真だ。
二人を見守っていた観衆があまりのおぞましさにえずいた。
「もっと怖くなったわ! くそっ、これ以上付き合ってられるか!! 俺の世間体が死ぬ!!」
己があまりにも恐ろしい相手と相対していると理解した男は、震え上がって逃走した。
よりにもよってあなた達のすぐ傍を通りすぎるような形で。
「待ちなさいこの根性なし! 世間体を気にして逃げるとかそれでもキンタマ付いてますの!? ご両親が泣きますわよフニャチン野郎! クソわよッッ!!」
そして婦人は下品極まりない罵倒を放ちながら追いかけてきた。
当然その進行先にはあなた達がいる。
自然と顔を付き合わせることとなった。
「それ以上逃げるというのであればこちらにも……考え、が……」
あなたの姿を認め、ぱたりと足を止める老婦人はあなたが知る相手だった。
そう、レインの師匠にしてウィズの元クラスメイトであるリーゼロッテである。
最近はウィズと文通をやっている、彼女の新しい友人と言っても差し支えないリーゼロッテである。
彼女はこんな異国のど真ん中で何をやっているのだろう。
本当に何をやっているのだろう。
「…………」
気まずい沈黙の中見詰め合うあなたとリーゼロッテ。
そして。
「ごきげんよう。今日もいい天気ですわね」
何事も無かったかのように婦人はにっこりと瀟洒に微笑むのだった。
冷や汗をだらだらと流し、全力で目を泳がせながら。
■
「……適当に歩いていたら何やらおかしな雰囲気の場所に着いてしまいましたが、まあここらへんでいいでしょう」
人目を逃げるようにその場を後にしたあなた達三人は、やがてリーゼに連れられるまま薄暗く人気の無い路地裏の奥に辿り着く。
スラム街の区画ではないはずだが、それに近しいものを感じる仄暗い空気の場所だ。
遠くから聞こえてくる喧騒はどこか別の世界のもののように現実感を喪失し、日差しで暖められた地面がじりじりと不快な熱と臭気を発している。
あまり長居するような場所ではない。あなたは率直にそう感じた。
「…………お知り合い、なんですよね?」
恐る恐る聞いてくるゆんゆんに、あなたは数秒ほど本気で頷くべきか悩んだ。
ウィズ以外では変態ロリコンストーカーフィギュアフェチ、全裸勇者、TS義体化ロリのチキチキマニア、ロリペド踊り食い(物理)、小作人(遺伝子組み換え)、冒涜的精神崩壊系歌姫といった愉快な面々を友人に持つあなただったが、女装、それもさせる側が趣味の知り合いや友人はいなかったのだ。
せめて美少年が相手ならまだギリギリ格好や言い訳がついたのだが。
「まあ、そうですわね。私は彼と会ったのはこれで二度目。知り合い以上の関係ではありませんが……そういう貴女、もしかしてゆんゆんという名前だったりするのかしら?」
「え、はい。私をご存知なんですか?」
「へえ、貴女が。なるほど、確かに聞いたとおりの特徴をしていますわね」
興味深げにじろじろと観察してくるリーゼロッテに居心地悪そうにするゆんゆん。
明らかに貴族といった風体の相手なので、初対面ということもあってどう対応すればいいか分からないのだろう。
あなたは他者紹介を兼ねて助け舟を出すことにした。
彼女の名はリーゼロッテ。
ベルゼルグ有数の大貴族にしてウィズの元クラスメイト兼ライバルでレインの師匠でベルゼルグの宮廷魔道士だ。
「ええっ!?」
「ふふ、驚かせてしまったかしら。そう、わたくしこそかつて紅蓮姫の名を欲しいままにし、王都に攻め入る魔王軍をことごとく消し炭に変えてきたアークウィザードですわ」
「紅蓮姫のリーゼロッテって、私本で名前を見たことありますよ!?」
「うんうん、まだ若いのによく勉強していますわね。不肖の弟子にも見習わせたいですわ」
「そんな立派で偉い人が異国の往来で衆人環視の中あんなことを!?」
「オーケー話し合いましょう。好きな金額を言いなさい」
話し合おうと言っておきながら説得でもなく脅しでもなく初手買収を選択してくるストロングなスタイルは清清しさすら感じられてあなたも嫌いではない。
彼女の奇行や口止めはさておき、何故ベルゼルグの貴族であるリーゼロッテがトリフにいるのだろうか。
「まあ隠すようなことでもないので言ってしまいますが、アイリス様が闘技大会に招待されているのでその付き添いですわ。当然護衛である不肖の馬鹿弟子もシンフォニア家の小娘と共に来ていますわよ」
彼女達は現在帝城に滞在しているらしい。
一人で自由行動をしていて大丈夫なのだろうか。
「アイリス様に許可は取っていますし、何よりわたくしはアイリス様の護衛ではありませんから。無論やれと言われれば完璧に勤め上げることなど造作もありませんが、若人の仕事を奪うつもりはありませんわ」
茶目っ気たっぷりにいい事を言った風な雰囲気を出しているが、実際にやったことがやったことなので全く格好が付かない。
あなたとゆんゆんの真夏の湿度の如きじっとりした視線に耐えかねたのか、リーゼは冷や汗を流しながらこほんと咳払いをした。
「話は変わりますが、あなた達の話はわたくし達の耳にも届いています。カイラム第一王女、カルラ様の命を救ったそうですわね。アイリス様もご友人の無事をお喜びになっていましたわ。あなた達に感謝を」
「ええと、はい、ありがとうございます。じゃなくって、恐縮です」
ぺこりと頭を下げるゆんゆんにリーゼは眉を顰めたかと思うと、あなたにこう言った。
「……おかしいですわね。ねえちょっと、さっきから不思議に思っていたのですけど、この子紅魔族と聞いていたのにめっちゃ普通に受け答えしてきますわよ。どうなっていますの。高笑いもキメポーズもしないとか本当に紅魔族なんですの?」
「わ、私はそういうのじゃないですから……まともで普通な紅魔族ですから……!」
「ウィズも似たようなことを言ってましたけど。貴女はアクシズ教徒の中にもまともで普通なのがいると言われてはいそうですかと信じられますの?」
「そういうレベルなんですか!?」
「そういうレベルですわ」
確かに紅魔族の里で生まれ育ったゆんゆんがこんな性格に育ったのは、この世界における最大の謎の一つと言えるだろう。
同レベルの謎にウィズの商才が入っているのは論ずるまでもない。
■
ウィズの元クラスメイトとウィズの愛弟子。
そんな二人の会話の潤滑油、とっかかりとなったのはやはりここにはいないウィズだった。
「先のカルラ様の件では名前が出てこなかったのでまさかとは思いましたが、ウィズとは行動を共にしていませんでしたのね」
「はい。ウィズさんは今もアクセルにいます。冒険者稼業は引退しているし、今は旅よりお店を優先したいって。竜の谷の探索には同行してくれる予定になっているんですけど」
「竜の谷はわたくしも一度行ってみたかったのですが、立場がそれを許さなかったのですよね……ちっ、ほんと悠々自適の老後を過ごしてて羨ましいですわあの楽隠居」
「ろ、老後……」
「見た目こそ現役時代のままとはいえ、あれも実年齢は大概ババアに片足突っ込んでますわよババアに。若さの秘訣があるのなら是非とも教えてもらいたいですわね実際。最近どうにもあちこちの関節に違和感が……」
ゆんゆんは同年代やある程度年齢が近しい相手だと人見知りしてしまうが、親と子ほどに差がある場合は初対面でも意外と普通に話すことができたりする。
無論リーゼが散々醜態を見せた後だったり貴族らしからぬフランクな女性というのも無関係ではないだろうが。
そうして城に戻るというリーゼを送ることになったあなた達だったが、突如として辺り一帯がにわかに騒がしくなった。
激しい物音と怒鳴り声は、どう判断しても市場の喧騒とは一線を画した物々しさを内包している。
「腐臭のする堕落と退廃と暴力の気配。魔王軍という脅威が消えれば我が国もいずれこうなるのかと思うと頭が痛いですわ」
不快そうに鼻を鳴らすリーゼに対し、ゆんゆんは体と表情を硬くしていた。
彼女は凶暴な魔物との戦いにこそ慣れていても、悪党と相対する経験はまるで積んでいないのだ。
──逃げたぞ、追え!!
──奥だ、奥に行った!
──早く捕まえろ! 殺してもいい! 絶対に逃がすんじゃねえ!!
「あわわわわ……」
「明らかにこっちに近づいてきてますわねえ。これってやっぱりわたくしのせいなのかしら」
あなた達がここにいるのはリーゼに連れられてきたからだが、これは単に運が悪かっただけだろう。
そういう日の巡りだったというだけだ。
「それもそうですわね」
「なんでお二人ともそんなに落ち着いてるんですか!? いやあなたはなんとなく分かりますけど、リーゼロッテさんまで!」
「リーゼで結構ですわよ。まあぶっちゃけ厄介ごとに巻き込まれたらとりあえず片っ端からしばき倒せばいいか、と考えていることは否定できない事実ですわ。どうせ相手はチンピラとか無法者でしょうし」
「あっこれダメだ! 二人とも
路地裏にゆんゆんの悲鳴が響き渡り、それに引き寄せられたかのように小さな影があなた達の前に駆け込んできた。
■
同時刻、アクセル、ウィズの家。
「──あっ!?」
食器棚の整理をしていたウィズの手から一つのカップが零れ落ち、音を立てて砕け散る。
不幸なことに、それは彼女の大切な友人である年下の少女のものだった。
「おい大丈夫か? 気をつけろよ。その程度じゃリッチーは怪我しないっつっても」
「びっくりしました。いきなり取っ手の部分がぽろって取れちゃって」
「取っ手が取れってそれは駄洒落か?」
「違います。というかもしかしてゆんゆんさんの身に何か起きたのでは……」
「いきなり何言ってんだお前。ただの経年劣化に決まってんだろ」
「ベルディアさんはジンクスとか信じないんですか?」
「デュラハンになってからはさっぱりだが、人間だった頃は何の前触れも無く靴紐が千切れたとか黒猫が横切るとか窓の外でカラスが群れてたとかしょっちゅうだったからな。不吉の象徴とか言われても信じられん」
「ああ、道理で……」
告死を司るデュラハンは一般的に不吉の象徴として扱われている。
ウィズはギロチンにかけられたベルディアがデュラハンになった理由の一因をなんとなく察した。
■
「はあっ、はあっ……!」
あなた達の前に飛び込んできたのは、背丈がゆんゆんの肩ほどの小柄な何者かだった。
ぼろぼろに擦り切れた外套で全身を覆い隠し、布でぐるぐる巻きにされた、身の丈ほどの棒状の長い何かを必死に抱えている。
外套の上からでは分からないが、歩き方を見るに体のあちこちに怪我を負っている。
見るからに怪しさが爆発していた。
「……!?」
道を塞ぐように立つあなた達の姿を認め、相手の目に絶望の色が浮かび上がった。
「お構いなく。わたくし達はただの通りすがりですわ」
「…………」
道を譲るように左右に分かれるあなた達。
相手はリーゼの言葉にも警戒心を解く事は無く、しかし頻りに後方を気にする様子を見せている。
「あの、もしお困りなら言ってください。何かの助けになれるかもしれません」
「ちなみにこの先は行き止まりですわよ。追われているのなら引き返すことをおすすめいたしますわ」
「──っ!」
「あらあら、これでも親切で言ってあげたのですけど」
聞く耳持たずとばかりに奥へ行ってしまった。
実際あの先は袋小路となっているので、壁を越える手段を持っていないのなら立ち往生が確定した瞬間である。
「あの……よかったんですか?」
「ワケ有りなのは明らかでしたが、あちらが取り付く島もない感じでしたし、良いも悪いもありませんわ。こちらは相手の事情を何一つ知りませんもの」
そうこうしているうちに、彼、あるいは彼女を追っていると思わしき一団があなた達の方へ近づいてきた。
「これはまたおあつらえ向きというか。まるで戯曲から飛び出してきたかのような連中ですわね」
「つまり?」
「絵に描いたような場末のチンピラってことですわ」
辛辣なリーゼの感想に、ゆんゆんも否定はしなかった。
人相の悪い薄汚れた風体の男達がぞろぞろと肩を並べてやってくる様は、安いチンピラ以外の感想が出てこない。
ベルゼルグの街中ではまずお目にかかれない人種である。
「きっと第一声はこうですわよ。なんだお前ら。見せもんじゃねえぞ」
「いやいやそんなまさか。そこまで分かりやすくないと思うんですけど」
男達の人数は六人。
あなた達の数メートル先で立ち止まった彼らは、辺りを注意深く観察している。
特にあなた達の背後、路地裏の奥を気にしているようだ。
その中の一人、禿頭の男が威圧するように睨みながら言った。
「なんだお前ら。見せもんじゃねえぞ」
「うわ凄い! 言った! 今この人本当に見せもんじゃねえぞって言いましたよ! 私こういうチンピラ丸出しの人初めて見ました!!」
ゆんゆんはたまに無神経というか歯に衣着せぬ物言いをすることがある。
本人に悪意があるわけではない。ただ正直なだけだ。
「あ゛あ゛!!?」
案の定一瞬で顔を赤くする禿頭の男。
まるで瞬間湯沸かし器の如き沸点の低さである。
「止めろ、絡むな。今は遊んでる場合じゃねえ」
「なあオイ、あんた達、薄汚れたマントをつけた、これくらいの背の小さい奴を見なかったか? これくらいの長さをした荷物を抱えている奴なんだが」
やはりというべきか、この男達は先ほどの者を追っているようだ。
「お探しの人物でしたらこの先に行きましたわよ。袋小路になっていたのですぐ見つかるでしょう」
「そうか、情報感謝する。行くぞ」
愛想よくしているつもりなのか、粗野な笑みを浮かべて通り過ぎようとする男達だったが、おもむろに足を止める。
彼らの道を塞ぐようにリーゼとゆんゆんが立ちはだかったからだ。
「……どいてもらえるか?」
「いい年した大人の男達があのような幼子を血眼になって追う理由を教えていただけて? ええ、ただの興味本位ですわ」
「ああ? それがあんた達にとって何の関係がある?」
「さっきの子、隠していたみたいだけど体のあちこちに怪我をしていました。何かに怯えていました。……お願いします、答えてください」
「……ちっ、めんどくせえな」
にわかに殺気立つ男達が一斉に得物を抜いた。
いくらなんでもあまりにも気が早い。追っている相手の重要さが窺える。
ゆんゆんが身を低く構え臨戦態勢をとり、リーゼが暴の気配を向けられて喜色満面になり、あなたは虚空から現れた赤い包丁を後ろ手に握った。
「こっちも急いでるんだ。その間抜けな正義感に免じて手足の一本で勘弁してやるよ」
「あー! いけません、いけませんわ! いくらここが人気のない路地裏だからってこんな真昼間っからそのような乱暴狼藉は大変困りますことよ! でもしょうがないですわね! だって老人と子供相手に大人気なく刃物を持ち出しちゃったんだからこれはもうしょうがねーですわっシャオラァっ!!」
「なんだこのババあぐべっ!?」
老体とは思えぬ機敏さと腕力を見せ付けたリーゼに日傘で、あなたに包丁によるみねうちでしばき倒される六人の男達。
不用意な行動の結果、彼らは瞬く間に夏の地面に焼かれることになった。
「ぺっ、雑魚が。その程度で粋がってんじゃねーですわよ。当代最強の冒険者と一部で評判の頭のおかしいエレメンタルナイトが相手ならまだしも、ひ弱な魔法使いのババアにワンパンでぶちのめされるとか末代までの恥ですわね」
ちなみにこの自称ひ弱な魔法使いババアのレベルは62。英雄の域を超えたいわゆる人外級、誰もが認める生ける伝説である。
大の男に女装させるのが趣味の度し難い変態だが生ける伝説なのだ。
それはさておき、倒れ伏す男を蔑んでげしげしと蹴りを入れるリーゼの姿は実に堂に入っており、まったくもってチンピラ顔負けだった。彼女が本当に貴族なのか疑わしく思えてくる。なんとなく弟子であるレインの気苦労が察せられた。
「えぇ……なんていうかもうえぇ……」
突如吹き荒れた暴の嵐に慄くゆんゆんに、刃物を持ち出した相手が悪いとあなたは笑顔で断言した。
これは正当防衛である。しかも殺していないのだから、むしろ相手には感謝してもらいたいくらいだ。
「いや、確かに先に武器を抜いたのはあっちとはいえ、幾らなんでも躊躇が無さすぎて眩暈がしそうなんですけど……」
「ゆんゆん、よく覚えておきなさい。迷いは死を招くということを。そして悪党をぶちのめすのは最高に気持ちがいいということを」
「……もしこの人たちが悪者じゃなかった場合は?」
「そんときゃ笑ってごまかしますわ」
からからと笑うリーゼの家名はアイアンフィスト。
鉄拳の名を戴くに相応しい、ベルゼルグきっての武闘派である。
■
チンピラをぶちのめしたあなた達は、再度路地裏の奥に向かうことにした。
どうやら二人は先ほどの者を助ける方向で考えているようだ。
助ける理由も見捨てる理由も持たないあなたは、この件の舵をゆんゆんに委ねている。
ただ袋小路から姿を消していればそれ以上積極的に関与する気は無かったのだが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。
「……気を失ってます」
疲労が限界を超えたのか、もしくは逃げ場のない場所に追い詰められて緊張の糸が切れたのか。
追われていた者は壁によりかかるように気絶していた。
「男の子のようですわね。それもイケメンになる将来が約束されてるって感じの」
あなたは地面に転がっていた包みを手に取った。
全長はおよそ130センチほど。重さは2キロ前後。
布の向こうの硬質な感触からして、恐らく中身は金属製だろう。
「積荷の正体を気にするのは結構ですけど、とりあえずここを離れませんこと? さっきの連中が目を覚ますと面倒ですわよ」
リーゼの言葉に否やは無い。
不審者と物品を回収したあなた達は、速やかに路地裏を後にするのだった。
■
流石に浮浪者と見紛う格好の不審者を帝城や中央区画のホテルに連れて行くわけにもいかず、あなた達は適当な安宿を利用することにした。
少年を介抱するゆんゆんを尻目に、あなたはわくわくとした面持ちを隠そうともせずに包みを解く。
果たして、中から出てきたものとは。
「あら、随分と立派な剣ですわね。雰囲気がありますわ」
金字で複雑な魔法陣が刻まれた漆黒の鞘に収まった、刃渡り1メートルのロングソードだ。
レア物の気配を敏感に感じ取ったあなたはこっそりと鑑定の魔法を使った。
──★《ダーインスレイヴ》
どうやらダーインスレイヴという銘の聖剣のようだ。
身体能力を強化する以外にも自動治癒、潜在能力開放といった様々な恩恵を所有者に与えるらしい。キョウヤのグラムに比肩する素晴らしい武器と言えるだろう。
なるほど、彼が追われる理由としては十分すぎた。追っ手の手の早さも同様に。
「しかしこの鞘の文様、どこかで見た覚えが……確か王宮の資料庫で……最近どうにも物忘れが多くていけませんわね……」
リーゼはしばらくうんうんと唸った後、ポンと手を叩いた。
「思い出しました。ダーインスレイヴですわ!」
「魔剣ダーインスレイヴ!? 本物なんですか!?」
名前を当てたリーゼが目を見張り、ゆんゆんが劇的な反応を示す。
どうやらこれがどういうものか知っているようだ。
しかしゆんゆんはこれを魔剣と呼んだ。あなたの鑑定の魔法では聖剣にカテゴリーされると出たのだが、これはどういうことだろう。
あなたは二人にダーインスレイヴについて説明してもらうことにした。
「ダーインスレイヴ。担い手を超人と変える強大な力を持ち、過去の所有者全てに輝かしい栄光……そして悲惨な破滅をもたらしている曰く付きの魔剣です」
「真に優れた武具は時に担い手を選びますわ。ベルゼルグの至宝であるエクスカリバー然り、あなたが懇意にしている魔剣の勇者が持つグラム然り」
あなたの愛剣もそうだ。
愛剣はそれらとはあまりにも毛色が違いすぎるが。
「ですがダーインスレイヴはその逆。担い手を一切選ばないのです。勇者だろうがチンピラだろうが一般人だろうが区別無く、誰にでも、等しく、同じ力を与えます。そして誰もが区別無く剣がもたらす力に魅入られ、溺れ、破滅していった。故に魔剣なのですわ」
「一度抜けば生き血を浴びるまで鞘に収まる事は無いと言われてるので、絶対に抜いちゃダメですよ?」
あなたはゆんゆんの言葉に力強く頷き、ダーインスレイヴを鞘から解き放った。
「ほら来た! 言っといてなんだけど私抜くと思った! 絶対抜くと思ったもん! っていうかなんで頷いたんですかもー!!」
「これっぽっちも臆さないとかやりますわね。そうでなくては」
とても魔剣と呼ばれているようには見えない、一切の装飾を廃した、ただひたすらに実用性のみを突き詰めたシンプルなロングソード。
いい剣だ。白銀に煌く曇りの無い刀身を日に翳しながら素直にあなたは思った。
担い手を選ばないという話は嘘ではないらしく、キョウヤがグラムを使っている時のような強い力を感じる。
極上の神器の気配にたまらず蒐集癖が疼き、あなたの口角が歪な孤を描く。
「あわわわわ……目が欲望でぎらぎらしてるし気持ち悪い笑顔になってる……魔剣の呪いの話は本当だったんだ……!」
ゆんゆんがとても失礼なことを言い出した。
これは決してダーインスレイヴの影響ではなく、コレクターであるあなたの素だ。
レアアイテムを前にして物欲に駆られたあなたは大体いつもこうなる。
「うわあああああああああああ!!!!」
突然の絶叫が部屋に響く。
何事かと思えば、あなた達が拾った少年が目を覚まし、顔を真っ青にしてあなたを……いや、正しくは抜き放たれたダーインスレイヴを見つめていた。
その瞳に映るのはただ一つ。強い怯えのみ。
「だ、ダーインスレイヴが、抜かれている……な、なんてことを……」
ガタガタと恐怖に体を震わせる少年の姿に興が削がれたあなたは、ダーインスレイヴを鞘に収めて少年のベッドに放り投げる。
あとでなんとか譲ってもらえないか交渉しようと考えながら。
「あ、え……?」
「別に必要ありませんでしたわね、生き血」
「ですね。良かった……本当に良かった」
ちなみに本当に生き血が必要だった場合、あなたは自傷行為で済ませるつもりだった。
武器に出血させられるなどあなたには日常茶飯事なので何も問題は無い。
《────》
ダーインスレイヴに反応したのだろう。
異空間の中で、自分以外のあなたに使われる全ての近接武器を嫌悪するエーテルの魔剣が威嚇の唸り声をあげた。