このすば*Elona   作:hasebe

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第122話 おてんば姫たちのお茶目で可愛い悪巧み

 ──これは闘技大会初日の前日、その夜半に起きた出来事である。

 

「ふう、終わりっと。結構長くかかっちゃった」

 

 今日のぶんの日記を書き終えたゆんゆんは、壁にかかっている時計を見やった。

 

「うわ、もうこんな時間。明日は朝早くから会場に行くって言ってたし、私もそろそろ寝ないとね……」

 

 独り言が多いのはぼっちが長かった彼女の癖だ。

 大きく伸びをして固まった体を解し、ベッドに向かう。

 そのタイミングで、ゆんゆんの部屋の扉が小さくノックされた。

 

「……誰だろ、こんな時間に。はーい、どなたですかー?」

 

 軽く誰何するも、扉の向こうからの返答は無い。

 この時点でゆんゆんは早くも相手があなたやホテルの従業員でないことを察する。

 

「もしかしたら怪しい人かも……」

 

 音を立てないようこっそりとドアアイを覗き込む。

 

「──!?」

 

 ゴン、と。

 驚きのあまり勢いよく扉に頭をぶつける紅魔族の少女。

 

(なんで!? ほんとなんで!?)

 

 痛みを感じる暇も無い。軽くパニックに陥りながらも急いで扉を開ける。

 果たして部屋の前に立っていたのは。

 

「ゆんゆん、こんばんは。こんな時間に申し訳ないのですけど、少しお部屋にお邪魔させてもらってもいいですか?」

「先ほどぶりですわね。ところで今凄い音が聞こえましたが、大丈夫なんですの?」

「あ、アイリス様、リーゼさんまで……」

 

 目立たないように全身を覆い隠すローブを着た二人の貴族。

 まさかと思ったゆんゆんが慌てて周囲を見渡すも、どこにもあなたの姿は無い。

 

「何を心配しているのか分かりませんが、この場にいるのはアイリス様とわたくしだけですわ。あと隣の部屋の彼の差し金でもありませんわよ」

 

 リーゼロッテの簡潔な説明に、自分に用があるのだと理解したゆんゆんは、そのまま二人を部屋に招き入れる。

 

「ちょっと消音の魔法をかけさせてもらいますわね。部屋の外に音が聞こえるとまずいので」

 

 部屋に入った途端、これから面倒な話をするとゆんゆんに教えるかのような魔法を使うリーゼロッテ。

 ゆんゆんは猛烈にあなたに助けを呼びたくなった。

 

「あの、その前にお聞きしたいんですけど、お二人はどうやってここまで? まさかお城から徒歩で?」

「それこそまさかですわ。わたくしがあらかじめ貴女の部屋の前をテレポートの転移先として登録しておき、帝城のアイリス様のお部屋から直接飛んできたのです」

 

 あまりにも万能すぎるテレポートという魔法は、星の数ほど悪用する方法がある。

 魔王軍も使用可能なこの魔法によるテロを予防すべく、王族が住むような城にはテレポート防止の結界が張られている。

 ベルゼルグやカイラムの城内でも、テレポートを使いたければ特別な術式が施された専用の部屋を経由しなくてはならない。

 あるいは結界をものともしない魔力の持ち主が無理矢理強行突破するか。

 

「まあわたくしも結界をぶち抜けるっちゃぶち抜けるのですが、それをやってしまうと事が露見してしまうので。なのでアイリス様のお部屋に転移部屋と同じ効果を持つ絨毯(国宝クラス)を持ち込み、誰にも知られることなく合法的に抜け出した、というわけですわ」

「合法的とはいったい……」

「ゆんゆん、法を作るのは我々貴族ですわよ」

 

 威風堂々とした振る舞いとは裏腹に、発言の内容は完全に悪徳貴族丸出しだった。

 遠い目になるゆんゆんに、王女アイリスが真剣な表情で口を開く。

 

「今日はゆんゆんにお願いがあって、こうしてお邪魔しました」

 

 友人にして王女である相手からの懇願である。

 ただでさえ人のいいゆんゆんに、断るという選択肢は最初から存在しない。

 

「ええと、私に出来ることなら……」

「私と一緒に明日から始まる闘技大会の団体戦に出場してくれませんか?」

「なにゆえ!?」

 

 魂の奥底から生じた切実な疑問は、ツッコミじみた叫びという形で飛び出した。

 

「実は私、以前からカルラと秘密の約束をしていたのです。今年の闘技大会に一緒に出ようと」

「なにゆえ!?」

「それは勿論、カルラと私がお友達で、お互いに闘技大会で楽しく遊んだという思い出を作りたかったからです! 大会の為に剣のお稽古もいっぱい頑張りました!」

 

 おてんば王女アイリスの元気いっぱいな溌剌とした回答。

 頼むからお茶目な冗談であってほしいと一縷の望みに縋るゆんゆんは、思わずリーゼロッテに救いを求めるような目を向ける。

 

「アイリス様のお言葉の通りですわ」

 

 そんなゆんゆんの内心を知ってか知らずか、にっこりと微笑んで頷く老淑女。

 現実は非情である。

 

「でもカルラさんは……」

「はい。残念ながらカルラは竜の谷で大怪我をしてしまい、今年の大会に出ることは出来なくなってしまいました」

「なので、その代わりを私に?」

 

 数時間前の交流を通じて、つい最近、王女アイリスのもとにカルラから手紙が届いた事、手紙にはあなたとゆんゆんのことが書かれていた事、ゆんゆんは自分のような王族が相手でも友達になってくれるとても優しい女の子なので、きっと王女アイリスとも仲良くしてくれると書かれていた事をゆんゆんは聞かされている。

 ゆんゆんが実際に話をした王女アイリスはとても良い子だったし、カルラがそうであるように、これから先も仲良く付き合っていけると思っている。

 だからこその問いかけだったのだが、王女アイリスは代わりだなんてとんでもないと首を勢いよく横に振った。

 

「ゆんゆんは私の新しい大切なお友達です。こうして迷惑を承知で頼みに来たのは、カルラと同じように、ゆんゆんと闘技大会で楽しく遊んだという思い出を作りたいと私が思ったからです」

「お友達……大切なお友達……大切なお友達と思い出作り……」

 

 初雪のように純粋で無垢な王女から放たれる、健気で悪意の無い言葉。

 それは耳を通してゆんゆんの全身へと駆け巡り、麻薬のような多幸感を引き起こす。

 にへら、とだらしのない笑みを浮かべるゆんゆん。

 実際のところ、彼女の交友関係そのものはあなたと知り合ってからかなり改善されており、あなたやウィズなどより普通に多くの友人がいるのだが、それでも効果は抜群だった。

 

「わ……わっかりました! 私に任せてくださいアイリス様! みんなに私達の友情パワーを見せ付けてあげましょう! 私達の! 友情パワーを!!」

「ゆんゆん……ありがとうございます! 二人で優勝目指して頑張りましょう!」

 

 ゲロ甘でチョロQとあなたから評される紅魔族の少女は一瞬で陥落した。

 心に寂寥を抱える二人の少女が互いの両手を握り合う光景は、いたく感動を呼び起こすもの。

 ただし彼女の親友兼ライバルのめぐみんがこの場にいれば、間違いなくこんな言葉を言い残していただろう。

 

 ──友情パワー。ゆんゆんが言うとこれほど空しい言葉はありませんね……。

 

 

 

 

 

 

「大会に出るにあたって、お二人に幾つか質問があるんですけど」

「なんでしょう?」

 

 可愛らしく小首を傾げる王女アイリスの姿は見るものの庇護欲を掻き立てずにはいられない。

 しかし決して忘れることなかれ。

 彼女は世界最強の軍事国家、ベルゼルグの第一王女である。

 

「そもそもどうやって王族であるカルラさんとアイリス様が大会に参加申請できたんですか? 本人が直接会場に行って身分証明書を提示する以外の申請は禁止されているはずです。というかどうやって私を明日から始まる大会に参加させるおつもりなんです? 参加締め切りは過ぎちゃってますし、あとわざわざ言うまでもないと思いますが、ベルゼルグに所属している人間は闘技大会に出られないんですけど」

「リーゼにお願いしたら一週間で解決してくれました」

 

 王女アイリスの言葉を受け、ベルゼルグきっての重臣はゲスい笑みを浮かべて親指と人差し指で輪を作った。

 金を意味するジェスチャーである。

 

「流石にテレポートのように合法的に……とはいきませんでしたが、それでも当家の名前を出して参加者名簿を管理する職員を買収するだけの簡単なお仕事でしたわ。権力から札束ビンタのコンボはいつだって王道で大正義」

「おっふ……ちょっと聞かなかったことにしていいですかね……」

「他の参加者に迷惑をかけるような真似はしていませんわよ? 参加の申請こそしたものの、当日までに様々な理由で出場できなくなったり土壇場で怖気づいて逃げ出したりと、参加者の枠が空くというのは珍しくもなんともない話ですわ。なので大会当日に空いた枠をアイリス様とカルラ様のチームとしてこっそり上書きすれば、誰もお二方が参加していることに気付かないという寸法です。勿論カルラ様ご本人の名義で登録しているわけではないので、そのままゆんゆんが滑り込みでカルラ様の代わりに入れるというわけですわね」

 

 二人が出場すること自体が他の人たちの迷惑になるんじゃないかな。

 ゆんゆんはそんなことを思ったが、ベルゼルグ所属の自分も参加者になった手前、空気を読んで口には出さなかった。

 カルラもそうだったが、貴族というのはちょっと平民と価値観が違うのだ。

 紅魔族のお前が言うなと誰もが口を揃えるだろうが、現実から目を背けるのはゆんゆんの得意技である。

 

「参加の経緯は分かりました。次の質問ですけど、正体とかそこらへんについての対処はどうなってるんです? ばれたら大問題になりますよね」

「それはこれを使います」

 

 そう言って王女が腰に下げた袋から取り出したのは、群青色のマスクと漆黒の外套だ。

 

「実はこのマスクとマント、着用者の正体を隠蔽する能力があるんです」

「なんて都合のいい……」

「お城の古い宝物庫に置いてあったものですが、お父様の肩を叩いておねだりしたら好きなだけ使ってよいと言ってくれました。ゆんゆんはどちらを使いたいですか?」

「え……じゃあ外套で。私黒いのとか赤いのが好きなので」

 

 なんとなく王女アイリスの意識が仮面に向いていることを感じ取ったゆんゆんは、悩むこともなく外套を選んだ。

 黒と赤が好きという話も嘘ではない。

 

「でも外套だけだと、戦ってる最中とかふとした瞬間に顔が見えちゃうかもしれませんよね。……あ、そうだ」

 

 がさごそと自身の荷物袋を漁って取り出したのは、派手なピンクのラメ入りバケツ。

 友達とのペアルックという響きに憧れがあったゆんゆんは、あなたから予備のバケツを譲ってもらっていたのだ。

 

「それはなんですか? お風呂で使う桶に形が似ているように思います。それにピンク色でキラキラ光っていてとっても可愛らしいですね」

「アイリス様、あれはバケツという掃除用具ですわ。あらかじめ中に水を溜めておき、掃除に使って汚れた拭き布などを入れて汚れを落とすのです」

「お掃除の道具ですか……実は私、お掃除って一度もやったことがないんです」

 

 世間知らずの箱入り娘っぷりを大爆発させる王女アイリス。

 ゆんゆんは羨みつつも、これはこれで私なんかじゃ想像も付かない気苦労とかあるんだろうなあ……としみじみと思う。

 

「でも流石にこのままだとあの人にバレちゃうので。別の色に塗って誤魔化そうと思います」

「それについては私が手配しておきましょう。希望の色とかありまして?」

「赤でお願いします」

「黒と赤とは紅魔族らしいですわね。了解ですわ」

 

 紅魔族らしい。

 リーゼロッテの言葉に悪意は無いが、だからこそ微妙な気分にさせられた。

 

「ですがぶっちゃけこんなもん被って戦えますの?見たところ目の部分に穴が開いているようですが」

「慣れてますから」

「ゆんゆんはワザマエのタツジンなのですね! お兄様が言っていました。盲目は強キャラの証だと!」

「は、はあ……」

 

 いきなり会話が異次元に跳躍した。

 ゆんゆんの中では紅魔族と良い勝負の意味不明っぷりである。

 

「まあゆんゆんの隠蔽工作はこれでいいでしょう。ですがよいですかアイリス様。散々繰り返しますが、御身の正体を隠すため、エクスカリバーをはじめとした王家に代々伝わる武具、そして勇者から引継ぎし王族専用スキルの数々は、今回に限っては決して使用してはなりません」

「もう、分かっています。エクステリオンもセイクリッドライトニングブレアも使わずに戦います」

 

 エクステリオンとセイクリッドライトニングブレアって何そのスキルめっちゃ強そう。

 ゆんゆんは現実逃避気味に思った。

 

「……さて、我々の用件はこれで終わりですわ。あらためてアイリス様のお願いを聞いてくださった貴女に感謝を。ただそちらの保護者にだけは話しておきたければ別に構いませんわよ?」

「それは絶対にやめておいたほうがいいです。あの人こういう話が大好きだから、この事を話したらここぞとばかりに自分も参加したいって言い出すに決まっています」

「それは……ちょっと困ります。クレアやレインに話されないとも限らないですし」

 

 苦笑いする王女アイリス。

 ゆんゆんと違って、あなたは王女アイリスの友人ではないのだ。

 

「……? アイリス様、護衛のお二人はこのことを知らないんですか? カルラさんと出ようとしていたことも?」

「…………むう」

「アイリス様?」

「先ほどから思っていたのですが。私もカルラのように様付けではなく、他の呼び方にしてほしいです」

「え、じゃあ……アイリスさん?」

「私よりゆんゆんの方がお姉さんですよね?」

 

 お好みの呼称ではなかったらしい。

 葛藤の末、ゆんゆんは声を絞り出した。

 

「…………あ、アイリスちゃん?」

「はい!」

 

 ぺかーと眩しく輝く一億エリスの笑顔。

 これには大きなお友達も一撃でノックアウトされること請け合いだ。

 実際アクセルで冒険者を営む、最近はニンジャプレイに磨きがかかってきた某日本人は見事にノックアウトされた。

 

「真面目にこれ大丈夫なんですかねリーゼさん。私打ち首とかされません?」

「ちゃんと公の場で弁えてさえもらえれば何も問題ありませんわよ」

「アイリス()()()だけに?」

「だいぶ混乱してますわね……」

 

「それでゆんゆんの質問の答えなのですが、レインもクレアもこのことは知りません。私はリーゼに直接頼んだので」

「それは……どうしてか聞いても?」

「お父様が教えてくださった、王族だけに代々伝わっている助言に従いました。バレたら怒られるようなことをしたい時、あるいはした時は、アイアンフィスト家にお願いすれば大体なんとかしてくれる、と」

「ここだけの話、今は立派に国王を務めておられる陛下も、お若い頃は大層ヤンチャであらせられましたわ。小娘といっていい年齢だった当時のわたくしは散々陛下の無茶に振り回され……事後処理……折衝……国際的な席でドタキャン……現カイラム国王陛下と共に変装して王都に繰り出し冒険者と殴り合い宇宙……土下座行脚……うっ、頭と胃が……陛下、陛下……ほんともう勘弁してくださいまし……学院時代の噂を聞いたからってウィズのパーティーを城に招いてまだトラウマが癒えてなかった時期のわたくしと会わせようとするのはぐうの音も出ない畜生の所業ですわよ……ショック療法とか言ってほんとマジ……」

 

 変なスイッチが入ってしまったのか、死にそうな目で虚空を見つめてぶつぶつと過去の壮絶な労苦を思い出すリーゼロッテ。

 その背中が煤けた姿は痴呆が入った老人のようだ。

 

「……とまあこのように、お父様は若い頃、リーゼに沢山迷惑をかけてしまったそうなので、今でもあまり頭が上がらないそうです」

 

 苦笑する王女アイリス。

 王族って凄い。

 ゆんゆんはそう思った。

 

「その……リーゼさんは大丈夫なんですか? アイリスちゃんが闘技大会に出るっていうのは」

「今の陛下と同じように、アイリス様もいずれはベルゼルグの頭領として我らを率い、魔王軍と戦う未来が約束されておられる身です。それを思えばこの程度のお願いなど、ワガママのうちにも入りませんわ。何よりこれこそが我らアイアンフィストの役目であり、使命であるがゆえに」

「リーゼさん……」

「というかやりたい事をあらかじめこちらに伝えてくださるアイリス様は、我ら臣下への思いやりに溢れておられて感謝のあまり涙が出そうですわね実際」

「そんなに」

「陛下をはじめとするお歴々は事後承諾や後始末の丸投げが基本だったので」

 

 王族って凄い。

 ゆんゆんはあらためてそう思った。

 

 

 

 

 

 

 そして時は流れ団体戦、三日目。

 エチゴノチリメンドンヤチームは三回戦に駒を進めていた。

 

 対するはカイラムの冒険者チーム、エルフォース。

 エルフ戦士、エルフ武闘家、エルフアーチャー、エルフプリーストの四人組で、全員女性である。

 ちなみに上記の四つの職業はカイラム冒険者ギルド所属のエルフのみが就ける固有職であり、通常の職業より肉体面で少しだけ劣る代わりに魔法面に強いという特徴を持っていたりする。

 

 だがそんなもの、生物として圧倒的に上位のスペックを誇る王女アイリスの前では誤差に等しい。

 

「流石はエルフォース……私のお友達から貴女達のお話は聞いたことがあります! 中々やりますね!!」

「ほげえ死ぬ!」

「死ぬ! 実際死ぬ! 許されざる暴挙ですよこれは!!」

「誰よ! 誰なのよ私達のこと話したの!!」

「秘密です!!」

 

 べちこーん、と。

 マスクドイリスの剣から放たれた衝撃波がエルフ達を襲う。

 エルフォースのメンバーは回避と防御に全力を注ぐことで、辛うじて猛攻を凌いでいた。

 彼我の戦闘経験の差が成せる技である。

 驚嘆に値するしぶとさだが、しかしそれも長くはもたないだろう。

 

(相変わらずアイリスちゃんつっよ。見てて頼もしいと同時に、王族とはいえ年下の女の子に負けてるという事実に軽く凹みそうになるんだけど……)

 

 大暴れする相方をサポートしながら、しみじみと感じ入るゆんゆん。

 しかし彼我の力量に大きな差があるのはある意味当然といえる。

 

 ゆんゆんは紅魔族の里で生まれ育ち、満足に戦いの経験も積まないままに魔法学校を卒業、めぐみんを追って流れで冒険者になった。

 紅魔族の優秀なスペックと本人の才覚から一人でも致命的な失敗を犯すことはなかったが、それでも本格的に戦士としての修行を始めたのは、あなたとウィズに師事してから。つまり本当に最近のことなのだ。

 

 対して王女アイリスは、ベルゼルグの王族として、生まれたその時から魔王軍との戦いが宿命付けられている。

 物心ついた時から剣と魔法の修練は始まっていたし、受けてきた教育や与えられてきた食事でもゆんゆんとは大きな開きがある。

 

(でも、どうしようもないってほどではない、かな? こうして戦っている姿を見ている限り、手も足も出ないとは思わない)

 

 これが相手の本当の全力でないということを加味しても、勝機が欠片も見つからないというほどではない。

 勝てないにしろ、十分戦いと呼べるものにはなるだろう。

 少なくとも、あなたやウィズと戦うよりはずっと。

 

 そこまで考えたゆんゆんは、思わず心中で頭を抱えた。

 

(いやいやいやちょっと待って違うでしょ!? なんで私は年下の仲間、それも自分の国の王女様とガチンコで戦う想定をしてるわけ!? 私は戦闘狂じゃないからね!? ダーインスレイヴだって持ってないし! 身体は闘争を求めるとかそういうんじゃないから!!)

 

 かなり本気の弁解を自分自身に向けて始めるゆんゆん。

 舞台の中央でいきなり棒立ちになったその姿が隙だらけであることは誰の目にも明らかであり、圧倒的格上相手に極限まで集中力を高めていたエルフォースがそれを見逃すわけもない。

 

 乾坤一擲。側面から後頭部を狙った武闘家渾身のハイキックが襲い掛かる。

 視覚と聴覚を著しく阻害するバケツを被っているせいで、ゆんゆんは攻撃を察知できていない。

 相手の力量は辛うじて王女アイリスの攻撃を凌ぐほどに高い。直撃すればゆんゆんは容易く昏倒するだろう。

 

「避けてください! 左です!!」

 

 間一髪のところで状況に気付き、マスクドイリスが慌てて発した呼びかけは間に合わない。

 

 

 

 

 攻撃に気が付いていない。

 気が付いても、意識して動くにはタイミングが遅すぎて間に合わない。

 

 それでもなおゆんゆんの身体は自ずと動く。

 

 ゆんゆん本人からしてみれば極めて不条理で不本意な話だが、彼女は基本的に単独で活動する冒険者だ。

 ただでさえ低耐久のアークウィザードが単独で活動する以上、回避技能は必須であり、そして単独行動のゆんゆんが意識の外、死角から襲われる事は正しく死を意味する。

 

 ゆえに、意識外や死角からの攻撃に関して、ゆんゆんは二人の過保護な師から特別徹底的に仕込まれている。

 物魔遠近、殺意の有無を問わず、意識の外、死角からの攻撃に対応できるように。

 それこそ重度の船酔いという、立っていることすらままならない最悪のコンディションにでもなっていなければ、頭上からの奇襲だろうが避けられるほどに。

 

 四方八方からウィズの魔法で攻撃されるという修行を受けたことがある。ちょっと痛かった。

 目隠しをされた状態で二人の攻撃を防ぐという、しばしば物語に出てくる修行を受けたことがある。結構痛かった。

 口頭による近接戦闘の教えを受けている最中、きまぐれなタイミングで敵意も殺意も無しに飛んでくるあなたのガード不可即死攻撃(みねうち)を避けるという悪夢のような修行を受けたことがある。死ぬほど痛かった。

 

 主にあなたから何度も何度も痛い目に遭わされ、その都度試練を超えてきたゆんゆんの体は、骨にまで染み付いた動きを無意識のうちに再現する。

 迫り来る攻撃を、背中に目が付いているかのような自然さで避ける姿は、王女アイリスを含めた会場中の驚きを誘った。

 

 そして攻撃を避けたこの瞬間、ただでさえ集中力が途切れ意識が散漫となっていたゆんゆんは、現在自分は闘技大会に参加しているのではなく、慣れ親しんだあなたとの訓練中だと錯覚した。してしまった。

 

 大会の中では意識的にかけていたブレーキが。

 躊躇いという名の手加減が。

 暴力への忌避感という名の容赦が。

 

 あなたという強大な力を持ち、あまりにも容赦の無い師匠を前に、忽然と消失する。

 

 入れ替わるように少女の心中に浮かぶのは、ただひたすらに強い焦燥。

 

 いけない、考え事をしていたせいで完全に集中力が切れていた。

 今の攻撃を回避できたのは運が良かったわけでも勘が冴えていたわけでもなく、単に注意、警告が目的で放たれたものだったからという理由でしかない。

 次に同じ無様を曝せば、訓練に身が入っていないと判断され、今日は終わりだと冗談抜きで一瞬で叩き潰される。本気で、全力で戦わなければ。

 

 相手に体勢を整える間など与えない。

 身体を傾ける回避動作から身体を大きく捻り、その反動を使ったカウンターを仕掛ける。

 

「────行きますッ!!」

 

 動作の継ぎ目が見えない流麗さを以って、槍のように構えられた長杖、その先端が皮鎧越しに武闘家の鳩尾へ突き刺さった。

 自身の攻撃の勢いも相まって、地面から大きく浮き上がる武闘家の身体。

 あなたとの訓練で常に見せているゆんゆん本来の動きは、それまでの精彩に欠けたものとは比較することすらおこがましい。

 無駄の無い体捌きから垣間見える冷徹な合理性は氷の魔女と謳われたウィズ直伝のもの。

 そしてどこまでも効率よく相手を倒すことだけを追求した、傍目からは殺意の有無すら判別が付かないほどに容赦の無い一撃は、頭のおかしいエレメンタルナイトと呼ばれるあなたを彷彿とさせるものだった。

 

「ぐぁふううぅっ!?」

 

 皮鎧越しとはいえ、鋼鉄の盾を容易く凹ませる一撃を人体の急所に受け、白目を剥いて悶絶する武闘家。

 バケツの中から覗く、感情の見えない紅瞳が相手を捉える。

 そして。

 

「ライトニング! ライトニング!! ライトニングッ!!!」

 

 鳩尾に押し付けられた杖の先端から、ゼロ距離で魔法が発動した。

 威力よりも速度に重きを置いたゆんゆん得意の中級魔法。

 

 舞台の上で三度雷光が閃き、武闘家は悲鳴の一つもあげることなく意識を失い、崩れ落ちた。

 予想外すぎる光景を目の当たりにした少女の意識に、動揺で間隙が生まれる。

 

 おかしい、自分の攻撃がクリーンヒットして、しかも倒れた。確かな手ごたえを感じた。もしかして勝てた? たかだか中級魔法を食らわせた程度で? 馬鹿な、ありえない。これは罠だ。わざと攻撃を食らって私の動揺を誘う作戦に決まっている。実際こうして見事に引っかかった。滅茶苦茶手加減した状態でも理不尽レベルで強いのに搦め手まで悪辣とかちょっと本気で勘弁してほしい。今すぐ追撃しないと。これ以上相手に攻撃の主導権を渡してはいけない。守勢に回った瞬間負けが確定するのは他ならぬ自分が誰よりも理解しているのだから。やらなければやられる。でも戦っても生き残れない。約束された敗北を先延ばしにし続けるような紙一重の戦いは経験という意味ではとても大きいけどそれはそれとしてしんどい。

 

 高速で思考を回し続ける中、全身からぷすぷすと焦げた臭いを発する武闘家を油断無く見下ろし、杖を振り上げる。

 

「もう止めて! とっくにチシェリは戦闘不能になってる! もう勝負はついたでしょ!?」

「──はッ!?」

 

 武闘家の仲間の叫びを聞いたゆんゆん、ここでようやく現実世界に帰還。

 眼前で倒れ伏す相手があなたではなく、武闘大会の対戦相手だったことにようやく気付く。

 

「流石ですジャスティスレッドバケツガール! ワザマエ! タツジン!」

 

 興奮したマスクドイリスの賞賛も今は耳に遠い。

 自分は誰に何をするつもりで、誰に何をした?

 滝のような冷や汗が背中に流れるのを自覚しながら、誰に向けたものでもない言葉が口から小さく漏れ出た。

 

「ち、ちが、私そんなつもりじゃ……」

 

 ──ジャスティスレッドバケツガール、死角からの強襲に対し強烈なカウンター! 一瞬でチシェリを沈めました!

 ──それまでは確かに見られていた、人に暴力を向けることへの忌避感や手加減といったものが完全に抜け落ちていましたね。死角からの攻撃に対し反射的に体が動いたのだと思われます。

 ──ジャスティスレッドバケツガールが実は敗者に追い討ちをかけるダーティーブラックバケツガールだったというわけではなく、たまたまそういう訓練を積んでいただけだと?

 ──恐らくは。ただ訓練相手はバケモノか悪魔かなんかじゃないんですかね。鳩尾に杖を突き刺してからのゼロ距離三連ライトニングとか、大会じゃなかったら普通に殺意が認められるレベルの攻撃を無意識でやるくらいですから。しかもそこから追撃しようとしてましたし。

 

 解説のフォローによって、ジャスティスレッドバケツガールの評判と印象が悪くなるのはすんでのところで避けられた。

 半泣きになりながらかなり本気で解説に感謝の念を、武闘家に謝罪の念をそれぞれ送るゆんゆん。

 気を取り直して武闘家を優しく場外に運んでから趨勢の決まった戦いに戻る中、ふと観客席に目を向ければ、そこには声を張り上げて笑顔で喝采をあげるという非常に珍しい師匠(あなた)の姿が。

 

 こうして強くなれたことについてはとても感謝している。

 この道を選んだのは自分だということも理解している。

 自身の無力さを痛感した日に抱いた願いに一欠けらの陰りも後悔も無い。

 だがそれはそれとして。

 

(そんなんだから解説の人にバケモノとか悪魔とか言われるんですよ! 分かってるんですかそこんとこ!? 魔法使っててもこれウィズさんの修行とは全く関係ない部分ですからね!?)

 

 心の声は決して届かないし正体がバレるので届けてはいけないと分かっていても、つい思わずにはいられないゆんゆんであった。

 

 

 

 

 

 

 ブラボー! いいぞ! とてもよかった。花丸をあげたい気分である。大変よくできました。

 ゆんゆんが武闘家を半殺しにした一連の攻防を見て、彼女に近接戦闘の術を比喩表現抜きで叩き込んでいるあなたは大いに満足していた。

 今の光景を見ることができただけで、ゆんゆんが大会に出た意味は大いにあったと断言できるほどに。

 訓練と同じように実戦で動く、ゆんゆんが今やったのはまさにそれだ。

 言うは易く行うは難し。特にゆんゆんのような優しい心を持つ少女にとっては。

 見たところ、集中力が欠けた状態だからこそ偶然発生した、解説の言うとおり無意識下での反撃だったようだが、あれを意識的にやれるようになった時、ゆんゆんは今よりもずっと強くなっているだろう。

 

 弟子の心、師知らず。

 師の心、弟子知らず。

 

 それはまさしく今のあなたとゆんゆんを指し示すに相応しい言葉だった。


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