このすば*Elona   作:hasebe

127 / 148
第125話 死線に踊る

【PM14:05 地獄へのゲート消失および結界解除まで残り23時間55分】

 

 少し離れた場所で観客をどうするか話し合いを始めたリーゼ達を気にすることなく、あなたは一人で地獄に続く亀裂……ゲートの前で待機していた。

 24時間耐久ジェノサイドパーティー。またの名を人間がダメなら悪魔を殺せば(パンが無いならお菓子を食べれば)いいじゃない大作戦のために。

 内容はこうだ。

 あなたが地獄へのゲートの前に陣取って、出てくる悪魔を手当たり次第に殺す。

 仮に処理漏れが発生した場合は他のメンバーで対処する。

 これを24時間、状況終了まで続ける。

 ルールとマナーを守って楽しくジェノサイドパーティーしよう!

 

 あなたは沢山殺すことができて楽しい。人間側は死人を減らせて嬉しい。女神エリスは悪魔の残機が減って嬉しい。

 三者三得、趣味と実益と大義を兼ねた史上最高に賢い作戦といえるだろう。テンションが上がりすぎて残像を生み出しそうな勢いだ。

 悲劇が喜劇に転がり落ちるのは半ば確定した未来だが、女神エリスは一流の悲劇より三流の喜劇の方がずっと好きだと言っていた。何も問題は無い。

 

 あなたは殺戮に餓えていたが、憎しみに支配されているわけではない。

 これは衝動的ながらも健全な心の動きによってもたらされたものである。

 あなたはただ、久しぶりにジェノサイドパーティーがやりたいだけなのだ。

 悪魔が本格的に攻めてくるまではいつものように作業的に殺すが、何十匹か殺して心身が温まってきたら本気を出す予定である。

 

 ゲートの向こう側、地獄に突入する案も考えたが、万が一テレポートのような転移技を食らって戦線離脱してしまった場合、テレポートを使って闘技場もしくは地獄のゲート前に戻ってこれるのかが不明なので安定択を採ることにした。

 ジェノサイドパーティーは24時間続くのだから、血気に逸って損をすることもない。バニルとの約束もある。いのちだいじに。

 

 一方でゆんゆんや王女アイリスといった他の防衛戦力はゲートを囲む形で陣を組んでおり、下手をしなくても味方の攻撃があなたに当たる恐れがある。

 危ないからもう少し離れるようにと指示を受けていたりするのだが、あなたはこれを完全に無視した。自分のことは気にせず攻撃すればいい、と。あなたは後ろ玉に当たるような未熟者ではない。

 いのちだいじにはどうしたという意見も出るだろうが、あなたの線引きではこれは余裕でセーフということになっている。つまり今のところ命の危険は一切感じていない。そういう意味では雑用依頼も味方からの集中砲火もあなたにとっては同じようなものである。

 実際にあなたが命の危機を感じるような事態に陥った場合、生存者の数は絶望的なものになるだろう。闘技場が極めて高い確率で更地になるからだ。

 

 さて、そんな何が出てくるのか分からない地獄に続いているというゲートの向こう側は見えない。見えないのだが、あなたは何者かがゲートの前にいる気配を感じていた。

 なのでダーインスレイヴをゲートに突っ込んでみる。特に理由は無い。思慮深いように見えてあなたは割と衝動的に動く人間だ。

 案の定何かに突き刺さった感触が返ってきたので、そのまま勢いよく上に振り抜く。手ごたえがあったので多分死んだのだろう。引き抜いたダーインスレイヴの刀身は、青い血でべっとりと汚れている。

 周囲から軽くざわめきが起きるが、それ以上にあなたの心をかき乱す声があった。

 

《おっ、殺りましたね! さっきあなたが殺した高位悪魔の残機がまた一つ減りましたよ! ふふっ、いい気味ですね! ところで知っていますか? 高位悪魔は爵位を持っているんです。ゴミクズの分際で貴族を気取るなんて片腹大激痛ですよね。ゴミはゴミらしく身の程を知るべきだと私は思います。さあ、もっともっと悪魔を殺して世界を綺麗にしましょう! 今なら特別にエリスポイントダブルアップのチャンス!》

 

 電波である。紛うことなき電波である。

 あなたはてっきり空耳かと思っていたのだが、先ほどから脳内に聞こえていた何かは女神エリスの電波だったようだ。

 電波は電波でも明らかに毒電波の類だったが。どれだけ悪魔のことが嫌いなのだろう。

 この電波の特筆すべき点は、女神エリスは声が届いていると欠片も思っていないし、ましてや悪魔を殺しているのがあなただと気付いていないというところ。

 

 つまりこの声は、具体的な場所は分かっていないが、とにかく世界のどこかで高位悪魔を殺している戦士がいることを感じ取った女神エリスの独り言なのだ。

 

 怖い。怖すぎる。慈悲深い幸運の女神の闇を感じ取ったあなたは、頭痛を覚えると同時に背筋が寒くなった。

 エリス教徒が悪魔を蛇蝎の如く嫌い、かたつむりを前にした清掃員、あるいはかぼちゃ系モンスターを前にしたイルヴァの冒険者の如き振る舞いを悪魔に対してするのは有名な話だが、それは女神エリスの毒電波に汚染、もとい影響されているからではないのだろうか。そもそもエリスポイントとはいったい何なのか。

 色々と考えながらもこれから24時間ハイテンションで口出しされることを嫌ったあなたは、そっと神の電波を受信可能になる装備を外した。

 

 

 

 

 

 

【PM14:08 残り23時間52分】

 

 首脳陣による緊急かつ短時間の話し合いの結果、観客の建物内への避難が決定。

 話が終わり、各々が役目と責任を果たすべく散っていく中、リーゼロッテに近づく者がいた。

 

「師匠、お話があります」

「どうしましたのレイン、そんなマジな顔をして。まあここまでハードな状況はわたくしも片手で足りる程度にしか経験したことがありませんが。とはいえ貴女が思っているようなことには……」

 

 緊張を解すような師の軽口にもレインが表情を崩すことは無い。

 話の重要性を嫌でも理解したリーゼロッテは、普段の軽薄さを引っ込めて大貴族の当主として応じた。

 

「聞きましょう」

「事態を察知してすぐさまアイリス様に用意された席に駆けつけたのですが、どこにもアイリス様のお姿が見えません。ご一緒にいるはずのゆんゆんさんも」

「あ、あー……」

 

 レインとクレアは、マスクドイリスの正体がアイリスだと知らない。

 失踪したようにしか見えないのも当然だった。

 

「アイリス様でしたら、その……」

 

 アイリス様ならレインのすぐ後ろで話聞いてますわよ。めっちゃ焦ってますけど。

 そんな言葉をリーゼロッテは既の所で飲み込んだ。

 

「ゴホン。アイリス様でしたらわたくしが舞台に下りる直前、信頼できる者に預けました。今は安全な場所に隠れています。護衛である貴女達には申し訳ありませんが、こうなってしまってはどこに敵の目と耳があるのか分からない以上、具体的な場所については伏せさせてもらいますわ」

「信頼できる人間……? えっ、師匠が……?」

「ちょっと待ちなさい。なんですかその反応は。まるでわたくしが誰も信じてない悲しい人間みたいじゃありませんの。いますわよ信頼している人間くらい」

「いえ、失礼しました。この会場の中に師匠が信頼してアイリス様を預けることが出来るほど強い方がいたのかと……そういえばいましたね、一人。リカシィの人間ではないですが」

 

 レインは心当たりがあるのか、誰かを探すように周囲を見渡す。

 ややあって、納得したとばかりに頷いて息を吐いた。

 

「なるほど、つまり師匠はアイリス様をこの場にいない()に預けたんですね? そういうことでしたか……安心しました。本当に」

 

 目に見えて肩の力を抜くレイン。

 彼女は頭のおかしいエレメンタルナイトがアイリスを守護していると勘違いしていた。

 当然リーゼロッテは弟子の勘違いに気付いていたが、色々と都合がいいのでそのままにしておくことにした。後で根回しをしておく必要はあったが。

 

(状況が終了したら即とんずらぶっこくであろう彼をどこかのタイミングで捕まえて、密かにアイリス様を守護していたことにしてもらい、ついでにアイリス様とゆんゆんは本当に隠れていたと嘘を教える必要があり……国賓である我らは戦後の処理に無関係ではいられませんし……ベルゼルグへの報告書も……めんどくせえですわ。おうちかえっておさけのんでねたい)

 

 軽く頭痛を覚えるリーゼロッテ。

 だがこうして終わった後のことについて悩める程度には余裕があると気を取り直す。

 

「とはいえアイリス様のこと、いよいよとなればご自身から馳せ参じるでしょう。ええ、それこそエクスカリバーを携えて。今はそこまで切羽詰っていないので大人しくされているでしょうが。ゆえにアイリス様を戦わせたくないのであれば、レイン、護衛である貴女がアイリス様の分まで戦いなさい。シンフォニア家の小娘と共に役目を果たすのです」

「了解しました。非才の身ではありますが死力を尽くします」

 

 視界の隅でうろたえているマスクドイリスに言外に説明する。

 今のところは必要ないが、事態が悪化したらエクスカリバーを取ってくるようにと。

 そんな家臣のフォローを主は感謝と共に正確に受け取って軽く頭を下げた。

 

 今すぐ取りに行かせないのは、二人と入れ替わりで姿を消すことになるエチゴノチリメンドンヤチームが敵前逃亡したと受け取られかねないからだ。

 大会が続行された時の為に世間体や風評を気にしたと言っていい。

 

(とはいえ、彼がいなければ問答無用でエクスカリバーを取りに行かせていたところですわ)

 

 リーゼロッテの見立てではエクスカリバー込みでも犠牲者は9割を超えていた。間違いなく歴史に残る悲劇であり、大事件だ。

 そうなってしまえばどう足掻いても大会の続行は不可能。敵前逃亡も何もあったものではなく、変装を続ける意味はどこにも存在しない。

 

 裏を返せば、戦力を出し惜しみ、世間体や風評に気を配れる程度には余裕があるということだ。少なくとも今のところは。誰が原因なのかは言うまでもない。

 代償としてダーインスレイヴの悪評が積み重なるわけだが、本人としても変装した姿で目立つのは望むところなのだろう。

 避難の順番待ちの観客からこっそり向けられた魔導カメラに堂々とピースサインを返したり、あろうことか剣の構えまで披露したりと、無駄にサービス精神旺盛な包帯頭の姿を見ていると肩の力も抜けようというものである。特に理由があってのことには見えず、その場のノリで生きているとしか思えない。

 

 そんな包帯頭の構えだが、これはダーインスレイヴを腰のあたりで低めに両手で持ち、大きく足を広げて半身になり、右足を前に出して構えた剣先をカメラに向けるというもの。

 誰も見たことの無い不思議な剣の構え。

 それもそのはず。これはイルヴァという異世界において勇者の構えと呼ばれている剣の型なのだから。

 

 無形の剣を常とする師が珍しく披露する剣の構えに、ジャスティスレッドバケツガールがまさかカメラを向けた観客にみねうちするのでは、と警戒を強め……しばし呆然とした。

 何故か? あまりにもかっこよかったからだ。

 派手な効果音が聞こえてきそうなほどにかっこよかったのだ。

 

 イルヴァでこの構えを生み出したのは、機械仕掛けの自我を持つゴーレムである。

 正義の為に戦い、恐れを知って尚、護るべき者の為に決して引く事の無かった彼のゴーレムは勇者と謳われた。

 そんな勇者が必殺技を使うときに好んで用いたこの構えは、しばしば太陽が昇る様を表現していると評される。

 戦術的優位性(タクティカル・アドバンテージ)こそ何も無いが、素敵性能(カッコよさ)は最上級。

 絵にした時ものすごく映える。ただそれだけの型。

 そこに何の意味があるのかと問われれば、カッコイイだろう!!! と誰もがギャキィッ!!! とした笑顔で答える。そのときキミは美しい。

 

「か……カッコいい! 凄い! 凄いです! あんな素敵な剣の構え、私見たことがありません!」

 

 何を思ったのか突然ネタに走った包帯頭が見せた勇者の構えは、勇者の血を引くアイリスにクリティカルヒットした。

 キラキラと目を輝かせて早速真似を始める相棒に苦笑しつつもバケツガールは思う。

 後でこっそり練習しよう。紅魔族のポーズと違って恥ずかしくなくてカッコいいし、と。

 

 生死の狭間に立っていることを誰もが忘れる、明るくて長閑なひと時だった。

 

 

 

 

 

 

【PM14:40 残り23時間20分】

 

 無事に観客の避難が終わった。

 未だ安心安全とは程遠い状況ではあるが、それでもリーゼロッテは軽く息を吐いて逃げ残りがいないか注意深く周囲を見渡す。

 つい先ほどまでは眩暈を覚えるほど沢山の観衆で埋め尽くされていた観客席も今はもぬけの殻。観客席に続く全ての出入り口は兵士によって硬く封鎖されている。

 観客達は闘技場の建物の中に避難済み。

 数万人を収容可能な建物は極めて頑丈な作りになっており、ちょっとやそっとの攻撃で壊れるようなものではない。

 

 状況が始まったのがちょうど午後2時。

 悪魔が惨殺され、裏切り者の勇者が半殺しにされるまで5分。

 観客の扱いと当座の指針を決定するまでに3分。

 避難開始から終了まで32分。

 

 万を超える人間の収容がこれほど迅速に終わったのは、観客の自制心、職員の奮闘の賜物でもあるが、何よりリカシィの皇帝が直々に音頭を取ったからに他ならない。

 大国を統べる彼のカリスマが無ければ、ここまで短時間での避難は完了しなかった。

 

 中を見るまでもなく建物は地下までごった返しになっているだろう。

 トイレや食料の問題、窮屈な建物の中で混乱が発生した場合の対処を考えると頭が痛くなる。伊吹のような裏切り者や魔王軍の手先が避難民の中に紛れていないなどと、どうして言い切れよう。

 

 それでも観客席に流れ弾が飛んでくるという命を賭けたルーレットに強制参加させるよりは遥かにマシだと、リーゼロッテを始めとした防衛側の首脳陣は考えていた。

 防衛側の戦力にとっても自身の流れ弾で人が死ぬ状況で戦うのと一枚でも壁を挟んで戦うのでは、やはり精神的負担に雲泥の差がある。

 

 確かに観客を建物に詰め込んだ場合、混乱を鎮めるまでに時間がかかるという難点を抱えているが、同時に混乱が全体に伝わるまで幾ばくかの時間的余裕が生まれる。

 対して観客席に一発でも流れ弾が飛んでパニックが起きた場合、それは枯野に火を放つが如き勢いで全体に伝播し、阿鼻叫喚の地獄絵図が顕現するだろう。

 アイリスや皇帝の一喝で静めるというのは分の悪い賭けどころの話ではない。

 そもそも皇帝を建物の奥に避難させないという選択肢が有り得ない。ここは王族が率先して戦うベルゼルグではないのだから。

 

 あらゆる可能性を考えても、観客を建物に避難させた方が犠牲者は少なくて済む。

 彼らはそんな結論を出し、無事に避難は終わった。

 

 では避難が終わるまでの間、悪魔は一度も来なかったのか?

 まさかそんなわけがない。避難が終わるまでの間、三度に渡って合計五十体の悪魔がゲートより現れた。

 尖兵とはいえ爵位級が従えるだけあって雑兵はおらず、防衛側が負傷者や消耗を覚悟するに足る戦力だ。

 いずれもこちらの世界に出現した瞬間、ゲートの前で出待ちするダーインスレイヴの主によって殺されたわけだが。

 五十体のうち一体も例外はない。

 

 観客の避難がスムーズに進んだのは、転移した瞬間即死してわけもわからず戻ってくる同胞に悪魔側が困惑しているであろうこと、そして何よりも騒ぎを起こしてアレに目を付けられたくないと観客達が思っていたのも決して無関係ではないだろう。

 相手が悪魔とはいえ、他人の目や向けられる感情など一切おかまいなしに、呼吸をするように作業的に命を絶っていくその姿は、ダーインスレイヴを抜きにしても関わり合いになりたくないと思わせるに十分なもの。

 

 そんな戦う様を眺めながら、リーゼロッテは臍を噛む思いをしていた。

 身分と立場が邪魔をしなければ自分もアレに交ざれていたのに、と。

 

 実のところ、リーゼロッテは彼の力量についてなんら驚きを抱いていない。

 アイリスとの修練でその片鱗を見せていたというのもあるし、何よりあのウィズの良人だからだ。どれだけ低く見積もっても今のウィズと同等に強いのだろうと思っている。

 ゆるふわでぽわぽわと化したウィズだが、学生時代に見せた決闘を遊びと称した彼女のイメージは今もリーゼロッテに根強く残っており、そんな彼女がああも信頼と好意を露にするのだから、彼もまた相応に強いのだろう、と。

 力こそ全てとまではいわずとも、ベルゼルグの貴族だけあってやはり彼女も強さを尊ぶ気質を持っていた。

 

 氷の魔女と謳われた冒険者時代のウィズと今のリーゼロッテが戦った場合、これはリーゼロッテが確実に勝つ。数十年という時間、そして積み重ねてきた経験値は嘘をつかない。

 だが時間は誰にも平等だ。現役を退いて久しいとはいえ、今のウィズが冒険者時代のウィズより弱いなどと何故言えよう。

 ゆえにリーゼロッテは、弟子であるレインを圧倒してなお底を見せないウィズの実力を、学生時代から今の自分までの成長を更に上乗せしたものに、学生時代の体感による才能差を足して見積もっていた。伊吹に自分はベルゼルグで二番目の魔法使いと発言した理由はこれである。

 

 リーゼロッテという魔法使いは、個人で戦略を左右する領域に片足を踏み入れている。

 そして、ウィズという魔法使いが個人で戦略を左右する領域に立っていると確信している。

 

 自分がここまで強くなったのだから、ウィズならもっと強くなっているに違いないと信じて疑わない。

 天才は老けないという世迷言をあっさりと信じてしまったり、ある意味ウィズという学生時代の宿敵兼トラウマに対して多大なる幻想を抱いていたわけだが、結果的にそれは間違っていない。よもやリッチーになっているとは想像もしていなかったが。

 

「リーゼロッテ卿、ご協力感謝する」

 

 包帯頭とシンプルなコードネームを付けられた(なにがし)をここぞとばかりに好き勝手やりやがって羨ましいから自分も交ぜろと鋭い目で睨みつけていたリーゼロッテに声をかけてきたのは、リカシィの騎士団長にして、防衛側の総指揮を担っている人間だ。

 身分、レベル、経験、いずれもリーゼロッテの方が上なのだが、彼女はあくまでもベルゼルグの貴族。

 避難民への指示にしろ防衛の指揮にしろ、土地勘があって各種情報を頭に叩き込んでいるリカシィの人間が指示を下したほうがスムーズに事が進むのは明らかであり、リーゼロッテとしても指揮権に固執する気は毛頭無かった。

 むしろ彼女の性質上、個人として前線で戦う方が遥かに戦果を挙げられるので、相手側の対応は願ったり叶ったりですらあった。

 

「生憎とお役には立てませんでしたが」

 

 肩を竦めて自嘲するリーゼロッテ。

 彼女を含めた上位戦力と見込まれた人員達は、少し前に結界を破ろうと四苦八苦していた。ただしゲート前から梃子でも動かなかった包帯頭を除く。

 出た結論は解除こそ可能だが、最短でも一日はかかるというもの。

 調査の過程で先の申告の通り、24時間後に結界は解除されると判明してしまったので、あまり意味は無かったわけだが。

 

「もしもの時の展望があるのは良い事だ。少なくとも立ち往生だけはせずに済む。……さておき、アレについてはどうすべきだと思う?」

 

 騎士はリーゼロッテに釣られるかのように舞台の中央、ゲートの前で佇む男に目線を向ける。

 瞬きの間に高位悪魔を惨殺し、裏切りの勇者を半殺しにしたダーインスレイヴの担い手。

 他の者のようにゲートから距離を取ることもなく、指示に耳を貸そうとしない。ここで悪魔を殺すの一点張り。

 今のところ人類に剣を向けることこそしていないが、腹の内が全く読めない相手であり、完全に持て余してしまっていた。

 

「放置で。幸いこちらに用は無いみたいですし、自由裁量(フリーハンド)を与えるべきでしょう。好きなように戦わせるのが最良と判断致しますわ。下手に戦列に加えようものならば、それは結果的にこちら側の著しい戦力の低下を意味することになるでしょう」

「正気か!? よもや卿ほどの方がダーインスレイヴにまつわる逸話の数々を知らぬわけではあるまい!?」

 

 目を見開いて忠言してくる騎士に、そりゃそういう反応になりますわよね、と得心するリーゼロッテ。

 杞憂と笑い飛ばすのは簡単だが、ダーインスレイヴという名はそれだけ重い意味を持つ。

 ダーインスレイヴのみならず、担い手の第一印象も控えめに言って最悪。

 かくいう彼女とて、彼の正体を知っていなければ絶対にこんな提案はしなかった。

 不思議と馬が合う相手であり、同時にウィズがあれだけ慕っている相手ということで多少なりとも見る目が甘くなっていることは、リーゼロッテも自覚するところである。

 

 だが同時に彼女は知っている。

 ベルゼルグ王都防衛戦において、頭のおかしいエレメンタルナイトと呼ばれる冒険者が参戦した場合の人類側の異常なまでの損耗率の低さ、そして戦闘時間の短さを。

 王都防衛戦では、兵士や騎士と違って訓練を受けていない冒険者は各々のパーティー単位で自由に戦っているわけだが、それでも最低限周りとの意思疎通は欠かさないし連携もする。

 彼にはそれが無い。普段はどちらかというと社交的な人間なのだが、防衛戦では意思疎通も連携もしない。本当にしない。

 敵味方の攻撃が激しく飛び交う中、一切の連携や作戦を投げ捨て、背中から飛んでくる味方からの攻撃すら一顧だにせず、敵陣の最も圧が強い箇所に単騎特攻するという異名に違わぬ自殺行為を平然と敢行する。

 その上で敵の指揮官の首を狩って誰よりも勝利に貢献するというのだから、指揮する側として匙を投げるしかないだろう。

 

 防衛側の現状はおよそ考えうる限り最悪に近い。

 孤立無援で人員も物資も足りておらず、世界各国の要人と万を超える非戦闘員を抱えている。

 最高戦力を無為に腐らせるような愚行だけは絶対に避けなければならなかった。

 

「彼を敵ではないかと疑う気持ちはよく理解できます。ですがここだけの話、盤面はほぼ詰んでいるといっても過言ではありません。我が名に懸けて断言しますが、彼抜きで戦った場合、明日までに最低でも会場中の9割が命を落とすことになるでしょう。いいですか? 最低でも9割です。わたくしを含めた全員が死ぬことすら普通に有り得ますし、むしろその可能性の方が高い。幸いにして今のところは行動で示してくれていますが、我々には彼が味方だと信じる以外の選択肢は存在しないのです」

「9割……卿の力をもってしてもか?」

「相手が魔王軍、あるいは物資が潤沢なら如何様にでも。ですが今回の敵は残機持ちの悪魔。補給無しに24時間ぶっ続けで魔法を使い続けられるほどわたくしも人間離れしていませんわ。一応聞いておきますが最高級マナタイトの備蓄は如何ほどで?」

 

 騎士は黙って首を横に振った。

 マナタイトやポーションなど、医療スタッフ用の魔力回復の手段は幾つかあるが、いずれもこの大魔法使いの戦いを支え続けるには質も量もまるで足りていない。

 

「でしょう? 何よりこの会場はわたくしが全力で戦い続けるには狭すぎます。防衛戦力の巻き込みは勿論のこと、屋内の観客を蒸し焼きにしたくはありません。下手したら悪魔よりわたくしが人間を殺した数の方が多いとかそういうことになりますわよ」

 

 リーゼロッテという魔法使いが最も得意とする戦い方は広域殲滅。

 単独で戦局を左右し得る力の持ち主というのは、えてして全力を出せば出すほど他者と足並みを揃えるのが難しくなるものだが、彼女は特にそれが顕著だった。

 逸脱した力をこれでもかと見せ付けたダーインスレイヴの主もまた同様に。

 

「だが自由裁量を与えるというのは受け入れがたい。せめて連携を取らせるべきではないのか?」

「逆にお尋ねしますが、貴方は彼と連携が取れるとお思いですか? この未曾有の危機の中、彼に背中を預けることが出来ますか? 力量云々の話ではなく、精神的に」

 

 無言で眉を顰める騎士の姿が何よりの答えだった。

 信用も信頼もできるわけがない。

 

 怖気が走る嗤い声。高位悪魔を容易く惨殺した戦闘力。悪魔に向けられた底冷えする殺意。多くの人間の目の前で嬉々として瀕死の人間の身ぐるみを剥がして縛り上げ、その上で平然と正しいことをしに来たと嘯く精神性。

 数多の悲劇を生み出してきた魔剣の主に相応しい、冷徹で残虐で自分勝手なエゴイスト。イカレた人格破綻者。

 騎士からしてみれば、どれだけ強くても頼りにしたいとは思えないし、金を積まれたって関わり合いになりたくない、近寄りたくない手合いだった。

 

「だから好き勝手させるのが最善だと言っているのです。むざむざ戦力を低下するほど我々に余裕はありませんし、ダーインスレイヴは担い手に栄光と破滅を約束する剣。噂を信じるなら彼がダーインスレイヴを手にしたのは最近のこと、今は栄光の場面だと祈りましょう」

「……事が終われば、彼には色々と話を聞く予定になっている。卿も手伝ってもらえるだろうか」

「ええ、よろしいですわよ。協力は惜しみませんわ」

 

 戦いが終わった後、彼は速攻で姿を眩ませるとリーゼロッテは確信していた。

 何故なら自分が彼の立場だった場合、そうしているからだ。

 そして要請に応じこそしたが、リーゼロッテには彼を捕まえるつもりなど毛頭無かった。

 

(話を聞かせてほしいと近づいておきながら、リカシィの最終的な目的がダーインスレイヴという危険物の回収、封印なのは明々白々。彼らからしてみればここでダーインスレイヴを見逃すのは論外。放置すればどんな悲劇が起きるか分からないのですから、それは当然のこと。ですがちょっとでも高圧的に出ようものならばうるせー知らねー! 誰が渡すかバーカ! クソして寝ろ! とびっくりするほど雑なノリで今度は人間相手にみねうち無双が始まりますわ。ええ、間違いなく)

 

 何故なら自分が彼の立場だった場合、そうしているからだ。

 

 

 

 

 

 

【PM15:02 残り22時間58分】

 

 数度の様子見を経て、今度こそ悪魔による本格的な侵攻が始まった。

 リーゼロッテの予想を裏切ることの無い、闘技場の人間たちを皆殺しにして余りある悪魔の軍勢が地獄から溢れてきたのだ。

 

 絶えず聞こえる激しい剣戟と咆哮、断末魔は建物の中にまで届き、観客達は身を竦ませて救いを求め、神に祈りを捧げる。

 防衛側は緊張で張り詰めているが、今のところは全身を誰のものか分からない血で染め、生死の狭間、死線の上でクソッタレと悪態を吐きながら悪魔と踊り狂い、死んでいくような事態には陥っていない。

 それどころか、数分に一度、這々の体で飛び出してくる悪魔を散発的に処理するだけの簡単な作業が待っていた。

 

 ともすれば拍子抜けとすら言える防衛側の現状は、絶え間無く出現する悪魔の目の前、死線の向こう側にたった一人で立ち、心の底から楽しそうに踊る人間によってもたらされたもの。

 奇しくも人間と悪魔の両方から『包帯頭』と呼ばれている、ダーインスレイヴの担い手である。

 

 踊るという言葉は断じて比喩ではない。彼は剣を手に踊っていた。少なくとも、人間と悪魔の両方にそう見えていた。

 殺しの技と呼ぶにはあまりにも遊びが混じりすぎていたし、彼が見せるあらゆる動作が明確に誰かに魅せるためのものだったから。

 

 ダーインスレイヴの担い手は剣から与えられる超人の力を振るい栄光を手に入れるが、剣を使い続けるうちにやがて精神の根幹が闘争に、狂気に支配されてしまう。

 結果として、呑まれた者の戦いは荒々しい、洗練とは程遠いものとなる。

 血に飢えた魔剣の忌み名は決して伊達でも誇張でもない。相応の理由があった。

 

 翻って、今代の主である包帯頭の戦いは如何なるものか。

 結論から述べると、ここにかつてのダーインスレイヴを知る者がいたとすれば、その者は間違いなく己の目と正気を疑うだろう。

 

 迷いの無い透明な足運びは重力の楔から解き放たれたかのように軽やかで。

 体捌きから連想されるのは生の喜びを全身で表現する雄々しくも儚い命の躍動。

 円を描くように振るわれる剣は、まるでそうあることが自然の摂理であるかのように数体の悪魔を抵抗無く断裁し、その命をもって血華を咲かせる。

 膂力、技術、魔法、呪い。悪魔のあらゆる抵抗は一切の意味を持たず、狩る者と狩られる者という互いの立場をこれ以上ないほどに明確に示した。

 

 総じて、神話に生きる英雄を謳う物語、その佳境として用いるに十分すぎるほどの剣の舞(ソードダンス)

 それは最初に現れた時の狂気的振る舞いとはかけ離れた、完璧に統制された暴力であり、ダーインスレイヴに呑まれることなく使いこなしている証に他ならず。

 このような状況でなければ、人魔の全てが瞬きすら忘れて見惚れていたに違いない。

 それがたとえ血塗られた魔剣によって作られた舞台、無数の悪魔の血と、肉と、骨を足場として行われる、おぞましい死の舞踏だったとしても。

 

 包帯頭が剣を振るえば悪魔が死ぬ。包帯頭が攻撃を避ければ悪魔が死ぬ。包帯頭の動きに目を奪われた悪魔が死ぬ。包帯頭に抗おうとした悪魔が死ぬ。包帯頭から逃げようとした悪魔が死ぬ。

 包帯頭のありとあらゆる行動が悪魔の残機を磨り潰していく。

 

 夏に降る雪のように儚く溶けていく悪魔の命。希釈される現実感。

 彼の一帯だけ別の法則が働いているのではないかと錯覚するほどの絶対強者による一人舞台。

 息をつく間もなく、ただひたすらに悪魔を殺して、殺して、殺し続けて。

 

 それでも、正しいことをやりに来たという本人の申告は決して嘘ではなかった。

 悪魔を打ち滅ぼし、無辜の民の命を守る。紛れも無く英雄の姿だと言えるだろう。

 殺戮に歓びを覚えていると、誰の目にも明らかでなければの話だが。

 

 つまるところ、包帯頭は大多数の人間からこう思われていた。

 うっわ、邪悪……と。

 

「あいつ、殺しを楽しんでやがる……!」

 

 リカシィに所属する兵士の一人がそう言った。戦慄に声を震わせて。

 隣の兵士が辟易としながら答える。

 

「見りゃ分かる。幾ら相手が悪魔だからって、頭がおかしくなりそうだ」

 

 殺しに楽しみを見出したり喜びを感じる類の人間というものは、どうしても命を奪うことへの暗い愉悦が滲み出るものである。

 だが包帯頭から感じ取れる雰囲気はそれらとは一線を画していた。

 例えるならば、お祭りでテンションが上がった陽気な若者といった風なのだ。

 悪魔を殺すぜウェーイ! もっと殺すぜイェイイェイ! 楽しいぜフゥー! と言わんばかりに。

 ただしやっていることは目を覆わんばかりのジェノサイド。あまりのギャップに理解と直視を拒否する者が続出していた。

 

 これは、駄目だ。いけないものだ。

 ゲート前の殺戮を眺める人間の中には、そう思う者が何人もいた。

 正義の戦いと呼ぶには包帯頭は圧倒的で、一方的であるがゆえに。

 何より殺しすぎていた。あまりにも殺しすぎていた。

 幾ら相手が悪魔とはいえ、あれほどに徹底的な殺戮は本当に正しいのか? あれほどの力を持っているのなら、殺す以外にもっと他の手段があるのではないか?

 少しでも包帯頭が苦戦していれば決して抱かなかった疑問が出てくるほどに。

 

「超人。いや、魔人とでも呼ぶべきか……」

 

 魔人。

 それはまさしく血塗られた魔剣の主に相応しい称号といえた。

 

「で、なんでそんな魔人にベルゼルグの連中はシュプレヒコールなんか送っちゃってるわけ?」

「だってベルゼルグだからなあ。国教がエリス教だし、あいつらみんなそうなんだろ」

「あいつらマジで悪魔嫌いすぎだろ。俺も好きではないけど、あそこまで喜ぶ気にはならねえよ」

「女子供にしか見えない悪魔もだいぶ交じってるからな……」

 

 それでもエリス教徒は口を揃えて答えるだろう。悪魔を殺すことが正しくないわけがない、と。

 悪魔が絡むとキチガイになる。それはエリス教徒に対する一般的な認識であり、事実だった。

 

「見ろレイン。悪魔がゴミのようだ! なんと凄まじい技量か! 見ていて惚れ惚れするな! エリス様も喜んでおられる!」

「稀代の剣士と呼ぶになんら迷いを覚えませんね。我らのスカウトに応じてくれないでしょうか」

 

 事実、クレアとレインのような敬虔なエリス教徒は、包帯頭をまるで問題視していない。

 力なき人々を守り、悪魔を殺す。それはエリス教徒として何より尊敬に値する理由だからだ。

 たとえ血塗られた魔剣を用いていようとも、人間に刃を向けない限り評価を覆すことは無い。

 それどころか信仰している女神エリスが悪魔の死に喜んでいるような気配も微かに感じ取っており、自分達も彼を見習ってより多くの悪魔をぶっ殺そうと気合を入れ直すほどである。

 

 防衛戦に参加しているベルゼルグの民の中で悪魔の虐殺ショーに酔い痴れていないのは、火の神を信仰するリーゼロッテ。信仰そのものに疎いゆんゆん。そして。

 

「流石先生、あの数の悪魔をたった一人で凌ぐなんて、しかもあんなに余裕そうに!」

 

 運よく生き延びた悪魔を容易く斬り殺しつつ感嘆の声を漏らすアイリス。

 彼女は悪魔が死んでいる現状ではなく、それを為している者の力量に目を奪われていた。

 常軌を逸した戦闘力。そしていまだ姿を見せてない、本来この場にいて然るべき誰か。

 アイリスはその洞察力によって誰から教えられるまでもなく包帯頭の正体に勘付いており、既にゆんゆんに確認も行っている。

 

「違う、違うよ。余裕なんかじゃ、ない」

 

 そんな相方にゆんゆんは否定の言葉を述べる。

 全身に走る畏怖で声を震わせながら。

 

「何が違うんですか? 悪魔に紛れているせいでよく見えませんけど、剣舞を踊るくらい余裕じゃないですか。しかもとてつもなくお上手な剣舞を」

「多分だけど、今、あの人は本気を出してる」

「……? 訓練の時の方がずっと速くて強かったと思いますけど。スキルすら使ってないですし」

 

 アイリスの言葉が示すように、包帯頭は最初の高位悪魔を殺した時にしか攻撃スキルを使っていない。

 これはこの世界の常識では絶対にありえない戦い方であり、彼が忌避される一因となっていた。

 

「そうなんだけど、そうじゃなくて」

 

 少女は懸命に言葉を捜す。

 日頃の冒険者活動や鍛錬で見ていた力など、彼にとっては戯れの範疇を出ないのだと突きつけてくる、初めて見る師の本気の姿。強さを求めた先にあるものをバケツ越しに必死に目に焼き付けて。

 

「なんて言えばいいのかな……そう、全力ではないにしろ、私達にもハッキリと分かるような形で、本気を出してる」

 

 ゆんゆんの言葉と感覚はどこまでも正しい。

 今この瞬間、彼女の師は本気で悪魔と戦って(遊んで)いた。

 本気でジェノサイドパーティーに興じていた。

 

 そしてそれは、彼が限りなくノースティリスの冒険者に、廃人としての自分に立ち戻っているという事実を意味する。

 

 

 

 

 

 

 絶え間無く押し寄せてくる知性のある敵。そして無惨に撒き散らされる血と肉と命。

 野生動物を呼び出す終末狩りでは決して味わうことのできない、久方ぶりに味わう心地よい空気の中、心の底からジェノサイドパーティーを楽しむべくあなたは剣を振るう。

 

 説明するまでもないが、ジェノサイドパーティーとは観客の皆殺し(ジェノサイド)をもって幕を下ろすパーティーのことだ。

 だがその名前が示すようにパーティーであることを忘れてはいけない。

 

 パーティーには観客が必要だ。

 そしてパーティーである以上、最終的に殺されるのだとしても、その過程は観客も楽しめた方が良いに決まっていると、殺されたけど、それだけの価値はあったと思ってほしいと、あなたはそう考えている。

 あなたは殺戮に餓えているが、ただ殺すだけというのはあまりにも()()()()

 観客の無い中で行われる孤独な舞踏や演奏に価値は無く、観客を楽しませないジェノサイドパーティーはパーティー会場で行われるただの殺戮行為でしかないのだから。

 ただでさえ久方ぶりのジェノサイドパーティーなのだ。悪魔の残機を磨り減らして人々を救うという結果だけではなく、それまでの過程も重視したいとあなたは思っていた。

 

 だが今は防衛戦の真っ最中。

 一人で悠長に楽器を奏でているような暇はない。

 正確には不可能ではないのだが、それはあまりにも空気が読めていないし演奏の腕前で正体が露見しかねないので却下。

 

 ゆえにあなたは廃人として培ってきた剣の技量を用いて観客(悪魔)の目を楽しませることにした。一般的に魅せプレイと呼ばれる行為である。

 速度2000、つまり常人のおよそ28.5倍という速さで殺していては相手が楽しめないので、基準速度である70を維持したまま戦い、その上で人間の被害も可能な限り減らす。

 能力を意図的に制限した見栄え重視の戦いを行うというのは慣れていないのもあって少々大変だが、それでも見る者が少しでも楽しめるよう、誠心誠意、本気で心を込めて観客を魅せられるようにあなたは心がけていた。たとえそれが酔狂な自己満足に過ぎないのだとしても。

 

 その上で殺す。観客である悪魔を片っ端から皆殺しにする。

 残機がある限り、悪魔は死体を残さない。放っておけば勝手に消失する。血も肉も骨も、全ては泡沫の夢の如く。

 あなたはダーインスレイヴを要求された怒りで最初の悪魔は手ずから丹念に処理したが、何も残さないだけゴミよりマシと受け取るかは人それぞれだろう。

 ゆえにお代は命を置いていくだけ。残機があるのだから命の十や二十は安いもの。まったくもって良心的な料金設定と言わざるを得ない。今のあなたは本気でそう思っている。

 

 世の為人の為に好きなだけ殺していいという大義名分。

 現在進行形で行われているジェノサイドパーティー。

 殺しても這い上がってくる上に悪辣な性格をしているという、ある意味ノースティリスの冒険者によく似た性質を持つ悪魔達。

 

 結果として、これらの要素はウィズという外付け良心装置によって嵌められた枷を解き放ち、あなたの心の天秤を限りなくノースティリスの冒険者の側に傾けた。

 地獄に突撃しないのは自分の命を大事にするという約束があるから。そして悪魔しか殺していないのは、あなたに残された正真正銘最後の自制心だ。

 それすら無くしてしまえば、あなたは今度こそ完全にノースティリスの冒険者としての己を取り戻し、一切の見境を失うだろう。

 

 

 

 

 

 

 激しい戦いの中、ダーインスレイヴは悪魔の肉を切り裂き、骨を断ち、血を浴びながら歓喜に打ち震えていた。

 もしそんな機能があれば、幼子のような声をあげて泣いていたことは間違いないほどに。

 

 悪魔を殺戮する主は、傍から見れば血に狂った魔剣に支配されているように見えるだろう。

 だが他ならぬ彼女には分かっていた。

 主は自分がもたらす力をまるで意に介していない。精神に何ら影響を受けていない。完全に素の自分を保ったまま戦っているということを。

 

 自分を使っても狂わないこと。壊れないこと。

 それは、ダーインスレイヴが歴代の担い手に何よりも求めていた資質であり、しかしただの一人も満たすことの出来なかった資質だった。

 

 悪魔から譲渡を要求された時、彼女は主の殺意と絶対に手放さないという意思を感じ取った。

 意思の根源は力への渇望でも悪魔への嫌悪でもなく、ただの物欲。独占欲と言い換えてもいい。

 自分の力に狂い、手放すことを拒否する担い手は腐るほど見てきたが、ただの珍しい武器、一つの神器としての自分を求められるのは初めてだった。

 そんな主の独占欲は、彼女に一つの決意を抱かせることになる。

 

 すなわち、この主で最後にしようと。

 

 彼女は次の主を迎えても、同じように力を与えていく。ダーインスレイヴはそうあれかしとして生み出された剣であるがゆえに。

 だが、彼という担い手を、自分を本当の意味で使いこなす無二の主を得た今、他の者に使役されて同じ悲劇を繰り返すなんて二度と御免だった。

 故に彼という人間が終わりを迎える時、彼女もまた終焉を迎えることを決めたのだ。

 

 自分を使っても壊れない心身ともに歴代最高の担い手にして、意思持つ武具という、彼女からしてみれば同族を多数所持する収集家。

 同族とのお喋りも初めての経験だった。主の愛剣はやたらと風当たりが強くて少し困るが、彼女はもう担い手を狂わせて破滅させるのも、封印という孤独の中で永い年月を過ごすのも嫌だった。

 彼の手にある限り、自分は主を破滅させる血塗られた魔剣ではなく、ただの強力な神器の一つでいられる。

 それは数多の悲劇を生み出し続けたダーインスレイヴにとって、泣きたくなるくらいに幸せで、夢のような話だった。

 

 

 

【PM16:23 残り21時間37分】

 

 ふと、あなたは周囲を見渡す。

 

 いつの間にか、戦いの痕跡が殆どと言っていいくらいに消え去っている。

 悪魔の攻撃の余波で舞台のあちこちが崩れているが、逆に言えばそれだけだ。

 あなたがあれだけ浴び続けていた返り血も、気付けば臭いすら無くなっていた。

 

 どういうことだろうと、止まらない違和感と胸の奥より生じる飢餓にあなたは眉をひそめる。

 時計を見れば、まだ殺し始めて一時間半も経過していない。

 数にして1200近く。その程度しか殺していないというのに、ゲートから新しい悪魔が湧かなくなったのだ。

 あなたは感謝をこめて殺してきた観客の顔や特徴を全て覚えている。そしてまだ観客は一度ずつしか殺していない。

 おかしい。これは誰がどう考えてもおかしい。終わるにはあまりにも早すぎる。ゲートに不具合でも起きたのだろうか。攻撃は当てていない筈なのだが。

 

 ハラハラした心地で一秒でも早く悪魔が出てくることを祈るあなたの姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 あなたが胸を焼く焦燥感を紛らわせるべく魔剣を素振りして周囲の人間から距離を置かれていたちょうどその頃。

 地獄の深部、人間界に続くゲートの前は大騒ぎになっていた。

 

「思ってたやつと違う!」

「誰よ、24時間人間殺しまくり悪感情食べ放題パーティーなんて言ったのは!」

「やたら強い人間がゲートの前で出待ちしてるんですけど。好みのショタっ子の手足を引き千切って地獄にお持ち帰りする予定が台無しなんですけど。キレそうなんですけど」

「どうなってんですか伯爵! あんなのがいるとか聞いてませんよ!?」

 

 喧々囂々、吃驚仰天。

 予想だにしない状況に慌てふためく悪魔たちに、伯爵と呼ばれた悪魔は怒鳴り返したい気持ちでいっぱいだった。

 どういうことなのかを聞きたいのはこちらの方だ、と。

 

 今回の襲撃にあたり、悪魔達は幾つかのルールを設けていた。

 それは人間界に行ける悪魔の数は一度に100まで、20時間が経つまで残機を減らされた者は1時間休み、といった自分達を制限するようなもの。

 ルールといっても契約のような強い縛りではなく、意味合いとしては口約束やマナーといったものに近い。

 隔絶した彼我の戦力差を理解する悪魔達にとって、この戦いは完全に遊戯であり、極上の悪感情を得るための餌場でしかなく、多少残機を減らされたところで痛痒すら感じない。そのはずだった。

 

 1200。

 この場に集った悪魔の総数である。そして魔王軍とは一切関係が無い。

 地獄の七大悪魔の傘下である彼らは全員が最低でも20の残機を保持しており、数合わせの雑兵など一人もいない。

 自由すぎる主がここ数百年領地の経営を放り投げているせいで微妙に肩身が狭い思いをしている、残忍で、凶悪で、精強な悪魔達。

 地上では悪魔の能力はおよそ半分にまで低下するわけだが、それでもそこらの国の一つや二つ、思考停止の平押しで陥落させられるだけの戦力だ。

 世界最強国家であるベルゼルグが相手でもそれなりの深手を与えられるほどに。

 

 それがおよそ一時間で全滅した。文字通りの意味で全滅した。

 1200の悪魔達が、一人残らず残機を減らされたのだ。

 原因は分かりきっている。今もゲートの前で悪魔を出待ちしているであろう始末屋ことダーインスレイヴの担い手、包帯頭だ。

 英雄や勇者といった言葉では到底片付けられない出鱈目な強さ。完全に想定外にして規格外の存在。正真正銘の一騎当千。

 

 ゲートが一度に三体程度しか通れないサイズなのも被害の拡大に繋がった。

 本来の予定通り、地獄に転移してきた人間達を全軍で囲んで嬲り殺しにするという形であれば、こうも一方的な展開にはならなかっただろう。

 今の人間側はゲートという分かりやすい目印に火力を集中すればよく、悪魔の側も出待ちである程度削られるであろうことは最初から承知の上だった。

 だが悪魔の数と質と残機に対して結界に隔離された人類の総戦力、継戦能力はあまりにも乏しい。

 彼らは遠からずして悪魔の圧力を抑えきれなくなり、結果として闘技場は阿鼻叫喚の地獄絵図に陥るはずだった。

 たった一人で圧力に耐えるどころか、逆にほぼ全ての悪魔を駆逐した包帯頭さえいなければ。

 

 集団の頭である伯爵にいたっては早くも残機を二つ失っている。

 一度殺された後、何が起きたのか分からずゲートの前で呆然としていたところを、ゲートから生えてきた剣によって殺されたのだ。

 上半身をぶちまけて絶命する伯爵の凄惨な死に様を目の当たりにした悪魔達はドン引きした。

 ドヤ顔を決めて一人で人間界に宣戦布告に行ったのにもう死んだのかと笑っていたら、まだ終わっていないとばかりに再度惨殺されたのだから。

 これ絶対向こう側にキチガイ級のエリス教徒がいるだろ……と嫌な確信を抱くのも当然といえた。

 何度か出した様子見が全員揃って一瞬で死に戻りした結果、確信は更に強固なものとなる。

 

 今もゲートの半径5メートル以内は不自然に空白が生まれており、誰一人として近寄ろうとしない。

 悪魔は好みの悪感情を得るためならば時に命すら惜しまないが、無為に残機を減らされるのを良しとするわけではない。

 士気の低下を感じ取った伯爵はこのままではいけないと、一つの提案をする。

 

「一度に送り込む人員を増やすためにゲートを広げる。作業終了まで恐らく3時間はかかるだろう。終わる頃には人間界は夜になっているだろうが、夜の闇は我らの力を強める。よってそれまではハラスメント(嫌がらせ)攻撃に徹するというのはどうだ?」

「賛成!」

「異議なし!」

 

 かくして悪魔達は、ゲートを拡張する時間を稼ぐべく攻撃魔法やスキルを撃ってチマチマ嫌がらせする作戦に切り替えたのだった。

 

 

 

 

 

 

【PM16:30 残り21時間30分】

 

 戦いはあなたが期待していたものとはまるで別の形になった。

 押し寄せてくる悪魔を殺し尽くす殲滅戦から、ゲートから散発的に飛んでくる悪魔の攻撃を盾や魔法で生み出した壁、ゴーレムを使って防ぐという、退屈で面白みの無い消耗戦に。

 やることがなくなってしまったと、悪魔を出待ちしていたあなたは傷心のままに後方に下がった。

 ゲートに攻撃するのは簡単だが、今のあなたが求めているのは自分の手で殺したという実感であって冒険者カードに刻まれる数字ではないのだ。

 

「壊れた壁は随時魔法をかけ直して修復しろ! 消耗した者は控えと交代! 間違っても後方に攻撃を飛ばすなよ!」

 

 恐らくはリカシィの騎士なのだろう。檄を飛ばす指揮官の背中を冷めた心地で見やる。

 状況は悪い意味で安定していた。膠着したと言い換えてもいい。

 悪魔の攻撃にはまるでやる気というものが感じられないのだ。威力はそれなりにあるので放置するわけにもいかないが、嫌がらせ以上のものになっていない。人類側もそれは理解しているはずだ。

 

 ゲートから飛んでくる攻撃の射角はおよそ120度。これは流れ弾による同士討ちを避けるためだろう。

 今のところ360度全方位に攻撃がばら撒かれるような事態には陥っていない。だからこそこうして防ぐことができている。

 時折こちらからもゲートに攻撃を放っているようだが、どこまで効果があるかは疑問である。

 そしてこのまま時間切れまで悪魔が消極的な行動に走った場合、期待を裏切られたあなたは怒りのままにゲートが閉じるタイミングを見計らい、核爆弾を地獄に投擲するつもりだった。

 

「ちょっとよろしくて? 悪魔の行動について耳に入れておきたいことがあります」

 

 剣呑な空気を漂わせるせいでゆんゆんすら近づいてこないあなたに声をかけてきたのはリーゼだ。

 彼女は何かが書かれたレポートを手に持っている。

 悪魔の行動と言われても、相手が地獄に引き篭もってしまったのは誰の目にも明らかだ。あれだけ大口を叩いておきながらこの様とは、あなたでなくとも遺憾の意を表明するというものである。

 

「悪魔が突然引き篭もった理由についてはおおよそ想像がつきますが、まさか最後までこれが続くわけではないでしょう」

 

 ここであなたはようやくリーゼに目を向けた。

 彼女はこれで終わりではないという。

 何かしら根拠があっての発言なのだろうか。

 

「魔王軍と違い、悪魔は人間を殺すためなら手段を選ばないというわけではありません。糧である悪感情を得るために殺すのです」

 

 ゲートから互いの姿を見ずに殺すのでは、悪感情を得ることができない。

 そして悪感情を諦めたのであれば、ゲートを維持しておく理由が無い。

 つまり悪魔達は次の攻勢の準備中なのだとリーゼは言う。

 

「それに、悪魔が出てこなくなってから、ゆっくりとですがゲートが拡大し続けていますわ」

 

 先ほどまでの悪魔は、一度に三、四体しか出てこなかった。

 その結果があなたによる出オチの連発であり、生存者を増やすためにゲートを拡大している最中なのだろうとリーゼ達は推測していた。

 

 なるほど、不貞腐れるにはまだ早いとあなたは納得して気持ちを切り替える。

 ノースティリスでも冒険者が請け負うパーティー依頼は一回につき60分と相場が決まっていた。

 今は休憩時間、幕間なのだと思えば、次の出番を待つのも苦にならない。あなたは剣呑な気配を引っ込めて落ち着きを取り戻すのだった。

 

 

 

 

 

 

【PM19:40 残り18時間20分】

 

 悪魔によるゲートの拡張は無事に終了した。

 平均的な体躯を持つ悪魔が同時に十体まで突入可能になったのだ。

 これ以上の拡張はゲートが不安定に陥り、最悪消失してしまうというギリギリまで広げたことになる。

 

「さて、再突入の準備が終わったわけだが……全員、作戦は頭に入っているな?」

「一斉に突入、殺されても生き残りで包帯頭を囲んで叩く。無理ならガン逃げして他を狙う」

「なんという知性に溢れた作戦。これは成功間違いなし」

「こんだけ苦労させられてるんだから、たんまり悪感情を食わんと割に合わんぜ」

「とにかく包帯頭だ、包帯頭さえ凌げばどうにでもなる」

 

 散々ハラスメントを続けて疲弊させた後の総攻撃。

 その直前に言葉を発したのは、場に集った悪魔の中でも特に感情に敏感な悪魔だった。

 

「……ちょっといいか?」

「どうした?」

「俺、一回殺されてからずっと思ってたんだけど。あの包帯男ってさ、もしかしてここ数十年行方不明になってるっていうマクスウェル様じゃね?」

 

 あちらこちらから聞こえてくる、はあ? という呆れ声。

 

「お前は何を言っているんだ」

「包帯頭はエリス教徒だって結論が出たでしょ」

 

 口々に否定されたその悪魔は、突如として激昂した。

 

「だって明らかに強さが人間じゃねえもん! どっからどう見ても俺ら側じゃん!」

「いやまあ、うん。確かにそうだけども」

「神とか天使とかそこらへんかもしれないじゃん?」

「俺らに憎悪とか憤怒じゃなくて歓喜と感謝と友愛と郷愁と殺意がごちゃ混ぜになった感情を向けてくるようなエリス教徒や神がいるわけねえだろ常識的に考えて! もっかい言うけど歓喜と感謝と友愛と郷愁と殺意だぞ!? どういう感情だよ滅茶苦茶すぎるだろ意味分からんわ! どんな頭してたらそうなっちゃうの!? 俺は悪魔だけど本気でこええよアイツ!!」

 

 一見すると荒唐無稽でしかない主張に沈黙する悪魔達。

 歓喜と感謝と友愛と郷愁と殺意。

 誰もが薄々と感じ取っていた、包帯頭が自分達に向けてくる得体の知れない感情が納得という形で明確になった瞬間である。

 結果として、悪魔達の中で一つの結論が生まれる。

 すなわち、包帯頭は理解不能な存在である、と。

 

 奇しくもそれは七大悪魔と呼ばれる存在達と同じだった。

 

「……え、マジ? マジでマクスウェル様かもしれないの?」

 

 地獄の公爵、七大悪魔の一角。

 真実を捻じ曲げる者。

 辻褄合わせのマクスウェル。

 

 彼らの主、その友であるマクスウェルという悪魔には謎が多い。

 人間、それも勇者や英雄ではなく学者に存在を否定された、などという根も葉もない噂が流れるほどに。

 そして実際にその姿を見たことのある悪魔はこの場に存在しない。

 存在しないのだが、マクスウェルについて知っていることはある。

 一見すると人間の青年によく似た姿をしていること。後頭部が消失していること。時には同胞に手をかける程度には気が触れていること。

 どれもこれも悪魔界隈では非常に有名な話だ。

 

 現在問題になっている相手は、若い人間の男のような体つきであり、頭部全体を包帯で覆い隠しており、気が触れているとしか思えない、常軌を逸した感情を自分達に向けてくる。

 本人だと断定するには根拠が弱すぎるが、同時に絶対に違うと否定しきれるだけの材料も無い。

 

「…………」

 

 辺りに不気味な沈黙が満ちる。

 そして。

 

「直前になってそういう怖いこと言うの止めろよ本当にそうかもって思えてきただろ!」

「ダメだって! 侯爵級まではピンキリだけど公爵級は、七大はマジで無理だって!」

「下級神格をワンパンで滅ぼすようなお方に私達が勝てるわけないじゃないですかやだー!」

「悪魔の軍団を束ねる七大悪魔が臣下より弱いとでも思ったか理論が僕達を襲う!」

「七大単独で配下含めた領地の悪魔を全員一度に相手して余裕でぶちのめせるっておかしくない? 地獄のパワーバランス壊れすぎてない?」

 

 恐怖で震え上がる悪魔達。

 彼らの上司もまた七大悪魔の一角であるがゆえに、七大悪魔については並の悪魔より遥かに知見を得ている。

 

 爵位級の悪魔が必ずしも位に見合った強さを持っているというわけではない。

 人間と同じように、その権力や財力によって爵位持ちを認められている悪魔は少なくない。

 だが公爵級である七大悪魔だけは話が別だ。

 七大悪魔に求められる要素は、純然たる戦闘力、その一点のみ。

 最上位の力を持つ神格と互角に渡り合う、その理不尽としか表現しようのない強さについて、臣下である彼らは嫌でも理解していたし骨身に染み付いていた。

 

「いっそこっちから呼びかけてみるか? 流石にマクスウェル様だとは思わないっていうか心の底から違っていてほしいが、悪魔の悪感情を狙う同胞の可能性は捨てきれない」

 

 兵士の中には工作員として悪魔崇拝者が複数紛れ込んでいる。

 その者達に声をあげさせるのだ。

 バケモノみたいな強さを持つ包帯頭は怪しい、これは悪魔の自作自演なのではないか、と。

 悪魔からしてもおかしい強さなのだから、それなりに説得力はある。

 

「でもそれって根本的な解決にはなりませんよね?」

「同士討ちを狙うにしても、使ってる剣はダーインスレイヴなんだろ? いざとなったら包帯頭は普通に人間を殺すんじゃねえかなあ」

「あんまり殺されちゃうと悪感情の取り分がほら、ね?」

「まあ、どっちにしろ包帯頭の足を引っ張らせることくらいは出来るかもしれないわね」

「じゃあ試してみる価値はあるってことで」

 

 

 

【PM19:44 残り18時間16分】

 

 日が沈み、魔の者の時間である夜がやってきた。

 天井が結界に覆われているせいで星と月の光は最小限しか会場内に届いておらず、無数の篝火と明かりを灯す魔道具が会場内を照らしている。

 

「食事中にすまない、少し時間を頂けるだろうか」

 

 そんな中、ゲート付近で一人寂しく夕食を食べていたあなたに声をかける者がいた。

 警戒混じりの硬い声に顔を上げれば、女性の騎士と複数の兵士、そしてアークプリーストと思わしき法衣を纏った老人が半円を描くようにあなたを取り囲んでいる。

 妙に物々しい雰囲気だとあなたは感じた。それとなくゲートを見やるも、悪魔は沈黙を保っている。

 

「……突然だが、一部の兵から貴方に疑いの声が出始めている」

 

 あなたは血塗られた魔剣と恐れられるダーインスレイヴを使っている。

 事情を知らない者に萎縮されるのは致し方ない。ジェノサイドパーティーの必要経費と甘んじて受け入れるつもりだった。

 また自分のせいで主に迷惑がかかったと感じたのか、しゅんと気落ちするダーインスレイヴを慰めるようにそっと刀身を撫でる。単純に不憫だと思ったし、ペットおよび所持品のメンタルケアはあなたの義務だからだ。

 あなたが感じ取ったのは、物言わぬダーインスレイヴからのえへへ……と目に涙を浮かべながらもはにかんで手のひらに頬ずりするような柔らかな意思。

 次いで、愛剣が薄汚い体でご主人様に触れるなぶっ殺すぞクソビッチといった具合の理不尽すぎるキレ方をした。徹底的なまでに相性が悪いが、ホーリーランスを相手にする時より相当にマシなので問題は無い。

 

「ダーインスレイヴを使っていることもあって、その……貴方は悪魔の関係者なのではないか、拘束すべきだ、という意見がだな……無論誰も取り合いはしなかったが……それでも疑心が広がりつつあるのだ」

 

 内輪揉めを始める程度には余裕があるようで何よりだと、あなたは含み笑いをする。

 しかしそれもほんの僅かな時間のこと。

 包帯の下で細められた視線の温度は、真冬の雪山もかくやという勢いで低下していく。

 

 あなたは悪魔と疑われたところで怒ったりはしないし苛立ちも無い。これは本当の話だ。エリス教徒であれば互いの尊厳をかけた戦いが始まるところだが、あなたは気にしない。

 だがジェノサイドパーティー、もとい無辜の人々の為の正義の戦いを邪魔しようというのであれば、これは断じて許されることではない。あなたは声を大にして立ち上がるだろう。

 世界中の全ての人があなたを糾弾しようとも、女神エリスだけはあなたの背中を押してくれる。悪魔を殺して人々の為に戦えと。正義を為すのだと。

 神意という名の大義名分を手に入れたあなたが止まることは決してない。

 行く手を阻む者に死を。これはあなた達にとっての不文律でもある。

 流石に殺しはしないが、お楽しみを邪魔する無粋な輩はみねうちで死なない程度にぶちのめされても文句は言えないし言わせない。

 

 言葉を発する事無く、しかし人間的な感情の一切が消失した瞳でダーインスレイヴを手に取るあなたに、取り囲んだ人間、そして周囲で見守っていた人間達から一気に血の気が引いていく。

 

「いや待て、待ってくれ。すまない。この通りだ。貴方が怒る気持ちはとてもよく分かる。誠に申し訳ない。貴方の奮戦のお陰で犠牲者が出ていない事実は我々もよく理解しているつもりだ」

 

 まさかいきなり実力行使に訴えてくるとは思っていなかったのか、慌てて頭を下げる騎士の女性。

 完全に問答無用で来ると思っていただけに、あなたとしては出鼻を挫かれた形になる。

 少し大人気なかったかもしれないと、毒気を抜かれたあなたは反省した。

 視界の端で泡を食って駆け出そうとしていたゆんゆんに、大丈夫だ問題ないと軽く手を振って応える。

 みねうちはもう少し話を聞いてからでも遅くはないだろう。

 

 剣を置いて続きを促してみれば、彼女達は疑いを晴らすため、あなたに幾つかの魔法をかけたいのだという。

 具体的にどんな魔法なのかを尋ねたあなたは、返ってきた答えに首肯してその申し出を受け入れた。もし謀ってきた場合の対応はお察しである。

 

「では失礼して……セイクリッド・エクソシズム!」

 

 随伴の僧侶が唱えたのは、悪魔を祓う破魔の高位魔法だ。

 悪魔のみならず魔族や邪教徒にも効果を発揮し、普通の人間には無害。だが一般的に人間に使うのはマナー違反だとされている。

 この魔法を使うということは、対象を悪魔や邪教徒だと疑っていると宣言しているようなものだからだ。どうしたっていい顔はされないし、下手をすれば決闘や裁判沙汰にまで発展する。

 そんな青い炎があなたに降りかかり、薄暗い闘技場の中を明るく照らし出す。

 悪魔にとっては猛毒に等しい、しかし人間にとっては幻想的な光景を生み出すだけの退魔の魔法はおよそ一分の間持続し、やがて音も無く消え去った。

 あなたは異世界人だが悪魔ではないので、当然のように効果は無い。むしろ効いていたら驚きである。

 

「セイクリッド・ターンアンデッド!」

 

 次いで、あなたの周りを穏やかな純白の光が取り囲んだ。

 アンデッドを浄化する魔法の中でも上位に位置するものであり、高位アンデッドが相手であっても十分効果が見込める強力なもの。

 こちらも軽々しく人間相手に使おうものならば、ノータイムで顔面に拳が飛んできてもおかしくない魔法である。

 そして言うまでもなくあなたに効果は無い。

 

 その後も幾つかの魔法をかけられることによってあなたが悪魔や魔族、アンデッドは勿論のこと、精霊や神でもない正真正銘生身の人間だと証明され、まさかと成り行きを見守っていた者たちの間に安堵と驚愕が広がっていく。

 結果的に悪魔を退けて人々を守るという目的が達成されるのだとしても、それが認められない程度に悪魔やアンデッドに対する風当たりは強い。ウィズとベルディアはさぞかし生き難い思いをしているのだろう。

 決して一般的な存在ではないが、それでもスケルトンやリッチが人間の中に混じって生きている世界で生きてきたあなたとしては、カルチャーギャップに戸惑いを覚えてしまう。

 ベルディアはペットなので当然連れて帰るとして、ウィズもいつかはイルヴァに永住してくれないものだろうかと、あなたは自身の故郷に思いを馳せるのであった。

 

 

 

 

 

 

 悪魔崇拝者からもたらされたその情報は、全ての悪魔を震撼させた。

 

「包帯頭、人間だってよ……」

「ちょっと何言ってるか分からない」

「すぐ嘘つくよね」

 

 彼らからしてみれば、相手が神や七大悪魔だった方が余程救いがあった。

 狂った強さの理由が理解できるし、説明できるからだ。

 それほどまでに包帯頭は強かった。

 ダーインスレイヴを使っているというだけでは到底説明がつかないほどに。

 

 この期に及んでも悪魔達に撤退の文字は無い。

 時間に対して残機はまだ余裕があるし、何より数万人の悪感情を得るなど、千年に一度あるかないかという稀に見る極上の好機だったからだ。

 

「最早遊んでいる余裕は無いことは明らか。小細工も抜きだ。全軍で集中して包帯頭を叩くぞ」

「精鋭が聞いて笑うわね。閣下が聞けば爆笑するでしょうよ」

「それでも包帯頭を殺せるのなら安いもんだ。……だが、本当に殺せるのか?」

「必ず死ぬはずだ、人間ならば!」

 

 

 

 

 

 

【PM20:01 残り17時間59分】

 

 言わずもがな、夜とは魔の者の時間である。

 太陽が沈み、月が天に昇ったのを見計らったように、再び悪魔の猛攻が始まった。

 拡大したゲートからは無尽蔵とすら思える悪魔が絶え間無く湧き出てくることで、悪魔に抗う人々の心胆を寒からしめる。

 

 だが、その動きについては明確に変化した。

 物見遊山の色が濃かった先ほどとは違い、確かな意図……殺意の下に動く悪魔達。

 これは悪魔に付け入る隙が減った事を意味し、人類にとって凶事に他ならない。

 

 夜の闇、月の光によって強化された悪魔達の狙いは一つ。

 降って湧いた障害にしてたった一人で最終防衛線を担う、包帯頭の命。たったそれだけ。

 秒単位で積み上げられる同胞の屍に目をくれる事無く、他の人間には一切目もくれず、彼らは狂ったように包帯頭に襲い掛かる。

 そこに勝機があるのだと、その先に自分達が求めるものがあるのだと信じて。

 数万という人間を容易く殺し尽くせる悪魔達が、恥も矜持も投げ捨てて、1200対1という、いっそ馬鹿馬鹿しくなる数の差を用いて、たった一人を殺すために。

 

 悪魔達の凄絶な殺意と気迫を感じ取り、それでも包帯頭は口元に歪な弧を描く。

 無抵抗な相手を機械的に処理するよりも、必死に足掻いて抵抗する相手を闘争の中で殺すほうが楽しいということを、彼はよく知っていた。

 

 

 

 

 

 

【AM0:32 残り13時間28分】

 

 日付が変わって少し経ち、闘技場の人間達が眠気と戦い始めたちょうどその頃。

 地獄はお通夜に片足を突っ込んでいた。

 

「えー、4時間半かけて合計3600近い残機を捧げた包帯頭集中攻撃作戦ですが……」

「なんの成果も! 得られませんでした!!」

「ハイクソー。二度とやらんわこんなクソ作戦」

「残機が! 残機がオシャカになったっ!!」

「一度に三倍送れるようになったはずなのにね、さっきと何も変わらなかったね、夜なのにね、おかしいね」

「何も変わらないどころか最初よりやべー奴になってない?」

「夜になったら強くなるってやっぱり魔の者じゃねえか!」

 

 逆に楽しくなってきたとヤケクソ気味に笑う悪魔達。

 彼らは包帯頭をこれっぽっちも人間だと思っていない。

 

 そしてことここに至り、遂に悪魔達は全ての驕りと慢心を捨て去った。

 1200という数の悪魔が覚悟を決め、天使や善神といった不倶戴天の敵と戦う精神状態になったのだ。

 ありとあらゆる手段を用いて包帯頭を殺すべく。

 全ては悪感情を得るために。

 

 

 

 

 

 

 AM0:35

 数分の小休止を挟んで悪魔の侵攻が再開。

 そしてこれ以降、ゲートから出現する悪魔が途絶えることは一度も無くなった。

 

 AM0:49

 悪魔が召喚したミスリル製の巨大ゴーレムが二体同時に襲来。

 その体躯は天井部分の結界に届くほどのものであり、普通に破壊しただけでは観客席及び闘技場内への被害が確実と、包帯頭にとって非常に相性が悪い相手だったが、一体はリーゼロッテの固有魔法『オブリタレイト』によって灰の一欠けらも残さず焼失。もう一体はムカつくぜクソッタレー! チームの魔法使いの固有魔法『黒く歪む星』により存在の痕跡すら残さず消失。

 かつて魔王の相棒である炎の不死鳥(フェニックス)すら焼き殺してみせた白炎の魔法、オブリタレイト。

 インクをぶちまけるように対象を黒で塗りつぶして抹消する魔法、黒く歪む星。

 全力を出した自分にすら通用する二つの超魔法を見た包帯頭のテンションが限界を突破。エーテルの魔剣を呼び出そうと試みるも、ダーインスレイヴとの二刀流を嫌った魔剣の癇癪により左腕と内臓の数箇所がミンチ一歩手前に。辛うじて正気に戻ることに成功。

 莫大な召喚コストがドブに捨てられた事実に悪魔は半泣きになった。

 

 AM1:00

 女神エリス、現在進行形で減っている悪魔の残機を感じ取り、すっかりお気に入りになった戦士を応援しながら就寝。

 その寝顔はここ数十年で最も安らかだった。

 

 AM1:37

 隅に転がされたまま忘れられていた勇者伊吹が目覚めるも、即座にエリス教徒によって袋叩きにされ再び気絶。

 いつまでもパンツ一丁のまま放置しておくのは良くないのでは、というジャスティスレッドバケツガールの正論によって毛布がかけられることに。

 その後、エリス教徒によって簀巻きにされた挙句「私は悪魔と手を組んで人類を裏切った、ゴブリンにも劣る生きる価値の無いゴミクズです」と書かれた麻袋を頭に被せられた。

 

 AM3:34

 眠気と疲労によるコンディション低下を懸念した上層部により、防衛戦力は入れ替わりで睡眠をとることが決定。

 ただし感謝のジェノサイドパーティーがやめられないとまらない包帯頭を除く。

 

 AM4:44

 悪魔達の呼び出しに応じた侯爵級悪魔が退屈潰しとして襲来。

 包帯頭を相手に単独で15秒の時間を稼いだことで悪魔達から尊敬と賞賛を一身に浴びるも、肝心の侯爵級はあんなバケモノと戦わせるんじゃないわよ! と涙目で同胞に罵声を飛ばしてとんぼ返りした。

 

 AM6:59

 悪魔の合計死亡数が10000を突破すると同時に女神エリスが起床。

 その寝覚めはここ数十年で最も爽快だった。

 

 AM7:32

 伯爵が自身の上司、七大悪魔の一角との接触に成功。土下座して応援を依頼。

 だが爆笑のち我輩のご飯は減らすなといつも言っているだろうと叱咤された挙句、近所の清掃活動とカラス退治で忙しいから帰れと地獄に強制送還されることに。

 

 AM9:15

 避難民の中から悪魔崇拝者達が蜂起。

 

 AM9:20

 悪魔崇拝者の鎮圧終了。

 避難民及び警備に重軽傷者多数。死者ゼロ。

 蜂起があった全ての箇所で、包帯を頭に巻いた幼い少女に半殺しにされていた、という報告が確認される。

 包帯頭に聞き取りを行ったところ、こんなこともあろうかと控えさせていた自分の仲間だという回答が返ってきた。

 ダーインスレイヴの回収が更に困難になったことを理解した上層部の胃が悲鳴をあげる。

 

 AM9:30

 悪魔による最終最大攻勢開始。

 

 PM13:55

 全ての悪魔の残機が1に。作戦終了。

 最後に殺された伯爵の捨て台詞はバーカ! 滅びろ人間!! だった。

 

 PM14:00

 ゲートと結界が消失。

 悪魔側の合計死亡数37564。

 人類側の死亡者0。

 

 

 

 

 

 

「消えた……空も……終わったの……?」

 

 人類を脅かすゲートが閉じ、空を隠していた忌まわしい結界が消失した。

 人間達の目に飛び込むのは抜けるような夏の青空、白い雲。眩しい太陽の光。

 あんなにうるさいと思っていたセミの声。そして会場に突入してくるリカシィ騎士団の声が遠くから聞こえてくる。

 

 暫しの間の後、大喝采が会場を包み込んだ。

 勝ったのだ、生き延びたのだと、誰も彼も喜びを爆発させて。

 

 悪魔は最後の最後まで諦めなかった。

 何故そこまで固執するのか、というほどに戦いを止めなかった。

 

 それでも人類は勝利した。未曾有の危機を乗り越えたのだ。

 一人の死者も出さないという、最高の形で。

 

 悲劇を喜劇に塗り替えた最大の原因にして立役者、包帯頭。

 歓声の中、ただ一人舞台の中央で立ち尽くしていた彼は、やがて肺腑の空気を入れ替えるように深い、とても深い息を吐き、ゲートがあった場所から目を離して戦いを共にした者達に向き直った。

 喜びから一転、緊張に満ちた沈黙が会場に満ちる。

 多くの者が武器を手に身構えるも、包帯頭がとった行動はあまりにも予想外のものだった。

 

「……え?」

 

 あちこちから聞こえる呆けた声。

 それもその筈。剣を鞘に収めた包帯頭は、自分以外の全ての者に対して向けるように、ゆっくりと腰を曲げ、静かに頭を下げたのだから。

 王侯貴族もかくや、という優雅な礼はまるで、演奏を終えた音楽家のようであり、あるいは舞踏を終えた踊り子のようでもあり。

 いかがでしたでしょうか。ご満足していただけたのであれば幸いです。

 そんな声が聞こえてくるような、どこか気取っていて外連味に溢れる、しかしやるべきことをやりきって心の底から満足した者だけが出来る礼だった。

 

 そして、頭を下げた体勢のまま。

 ダーインスレイヴの担い手である包帯頭は、まるで幻のように、人々の前から忽然と姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

「……かくしてリカシィを襲った未曾有の危機は、災いを呼ぶ呪われた魔剣と、その主の活躍によって辛くも退けられたのでした。めでたしめでたし」

 

 その日の夕刻。

 無事に幕を閉じたジェノサイドパーティーの余韻に浸りつつ一人で飲み会を開いていたあなたをリーゼが訪ねてきた。

 

「いい話ですわね。感動的ですわ」

 

 戦いが終わって数時間が経過した今も、あなたからダーインスレイヴを回収しようとするリカシィの者はやってきていない。

 聞くところによると王女アイリスには正体を勘付かれたようだが、秘密にしてくれるとのこと。

 どちらも目の前の老婦人の忖度があってのものだと理解しているあなたは、彼女に感謝を告げた。

 

「どういたしまして。こちらとしても、あなたがダーインスレイヴを所持している限り安全ならば口外する理由はありませんわ。怪我人こそ多数出ましたが、あなたのおかげで死者は一人も出さずに済んだわけですし。奇跡ってレベルじゃありませんわよこんなの」

 

 リーゼはあなた抜きだと最低でも会場の9割が死ぬと予測していたらしい。

 概ねそんなところだろうと、あなたは自身が殺してきた悪魔を思い返す。

 深夜に一度だけ現れた女悪魔がいれば、ほぼ確実に全滅していただろうが。

 

 あなたと十数秒渡り合った後に殺された悪魔はさておき、リーゼは何をしにこんな所にやってきたのだろうか。

 彼女はあなたと違って立場のある身分だ。さっきの今ではまだまだやるべきことが山積みになっているはずである。

 

「ええ、今回はレインに無理を言って抜け出してきましたが、今日から我らベルゼルグの使者は忙殺されることになるでしょう。なのであなたがとんずらぶっこく前に感謝と口裏合わせ、そして一つばかり依頼をしておこうかと」

 

 王女アイリスとゆんゆんは悪魔との戦いの中、安全な場所に避難しており、そこに護衛としてあなたも一緒にいた事にしてほしいのだという。

 リーゼはあなたがエチゴノチリメンドンヤチームの正体を知っていることを知らないからこその提案だろう。

 どちらにせよ否やは無い。あなたは首肯した。

 

 そして依頼の話だ。

 あなたはグラスを揺らしながら目線で先を促す。

 自分に何をさせたいのかと。

 

「魔王の殺害を」

 

 それは今まで散々見てきたおふざけなど一切存在しない、本気の声色であり表情だった。

 リーゼは今、公人として、ベルゼルグの貴族として自分と相対しているのだろう。あなたは心地よい酔いの中で確信を抱く。

 同時に依頼の内容も納得できるものだった。ダーインスレイヴという神器を使ったとはいえ、あなたはそれだけの力を見せ付けたのだから。

 女神エリスに魔王討伐を打診された時のことを思い返しつつ、あなたは魔王が前線に出るか魔王城の結界が消失、もしくは突破可能になれば手を貸すことを確約した。

 

「ありがとうございます」

 

 我が意を得たりとばかりに悠然と微笑む老魔法使い。

 女神エリスの時よりも少しだけ前向きなあなたの回答だが、彼女は女神エリスよりずっと深くあなたの力量を理解している。彼女が公人としてやってきている以上、この場における拒絶は最悪人類の敵扱いされかねない。

 何よりあなたはリーゼという人間のことが嫌いではなかった。こうして多少は便宜を図ってもいいと考える程度には。

 

「無論ですが、あなた一人に戦わせるつもりはありません。時が来れば、少なくともベルゼルグ国王陛下とわたくし、そして教皇猊下があなたに同行することになるでしょう」

 

 彼女が口する教皇とは、エリス教の最高指導者である。

 あなたと同じくイレギュラーである女神アクアを除けば間違いなく世界最高のアークプリーストであり、歴戦の悪魔殺しである。

 ベルゼルグ国王、リーゼロッテ、エリス教の指導者。

 およそ考えられる限り人類側における最高の戦力と言えるだろう。

 失敗はまだしも全滅した場合の影響が大きすぎる。

 

「勝ちゃあいいのですよ勝ちゃあ」

 

 乱暴な口調であなたが用意したグラスに手を伸ばすリーゼ。優雅な貴族タイムは終わったらしい。

 ふと気になったあなたは一つの問いを投げかけた。来たる決戦の折、ウィズはどうするつもりなのかと。

 

「別にどうもしませんわよ。そりゃあ戦ってくれるならとても心強いですけど、あの子だって前線で戦う気は無いのでしょう? 聞けばあんな辺境で何十年も小さな店を経営しているらしいじゃないですの。こちらも隠居したババアを無理に駆り出すほど鬼ではないですし切羽詰ってもいませんわ。ババアが言うなと言われればそれまでですが」

 

 ナチュラルにウィズをババア扱いするのは同期である彼女くらいだろう。

 安心したあなたは、酔いもあってつい口を滑らせた。

 若返りに興味はないかと。

 

「若返り?」

 

 あなたの言葉を聞いたリーゼは、目だけがぴくりと反応を示した。

 それに気付くことなくあなたは続ける。自分はそういうポーションを所持しているのだと。

 あなたが所持しているのは、ただ若返るだけのポーションである。別にアンデッドや悪魔といった人外になるわけではない。

 代償は無い。寿命が据え置きなんてこともない。安心安全、ノーリスクなポーションである。

 

 無論貴族である今の彼女が若返ってしまえば大変な騒ぎになるだろう。そこまであなたも考えなしではない。

 なのでリーゼがやるべきことを全て終えて、第二の人生を送りたいというのであれば、あなたは喜んで協力するつもりだった。

 具体的に何年後になるかは不明だが、老いて死の際が迫った時にでも使えばいいのではないだろうか。

 

「……まるで悪魔の囁きですわね」

 

 言い得て妙だが、あなたは人間だ。

 この世界においても人間扱いになっていることは、つい昨日確認したばかりである。

 

「…………」

 

 何を考えているのか、沈黙を保つリーゼ。

 そして一分後。

 

「折角のお誘いですが遠慮しておきますわ」

 

 きっぱりと断られてしまった。

 即答しないということは宗教上の理由ではなさそうなので、あなたは理由を尋ねてみた。

 

「子供や孫より先に死にたいので。先に逝った夫をあまり待たせておくのもどうかと思いますし」

 

 そう言ってリーゼは笑った。

 老いているからこそ出来る、あなたには決して出来ない、美しい笑顔だった。

 

 あなたには子や孫はおろか配偶者すらいない。だが友人を見送り続けてきたので理解も納得もできる理由である。

 ゆえにあなたはそれ以上この件について口にすることを止めた。

 心の底から残念だとは思っているが、本人がそう言うのであれば仕方が無い。

 

「……あ゛ぁ゛ー!! 今でこそこんないい感じの台詞吐いておきながらいつかあの時受け取っておけばよかったって激烈に後悔する未来が見えますわー! そりゃあこっちだって若返りたい気持ちが無いって言ったら大嘘になりますわよ! だからこそ心の底から聞きたくなかったと思わずにはいられない! 消えろ! この記憶よ消えろー!!」

 

 いきなりヤケ酒を始めたリーゼに申し訳ないと苦笑し、グラスにワインのおかわりを注ぐ。

 ぐいっと一気飲みする彼女は酔いとは無関係に据わった目つきであなたにこう言った。

 

「一応忠告しておきますが、絶対に表沙汰にするんじゃありませんわよマジで。副作用無しの若返りとか確実に洒落にならないおぞましくやべーことになりますわ」

 

 言われるまでもないとあなたは頷く。

 酔いの勢いだったのは事実だが、あなたはリーゼが相手だからこそ提案をしたのだ。

 

「そう言われて悪い気はしませんけどね。ところであなた、実年齢はお幾つなのです? そのポーションを自分でも服用しているのでしょう?」

 

 あなたが自身の年齢を答えると、ウィズやわたくしよりよっぽどジジイじゃありませんの! とキレ気味の声とグーパンチが飛んできた。

 愉快な気分に浸りながら手のひらで拳を受ければ、パァンといい音が鳴った。とても老人が放つ拳ではない。

 

「ったく……ウィズにもそのポーションを?」

 

 あなたは首を横に振った。

 ウィズは最初にあなたと出会った時からあの姿である。

 

「そうでなくては。流石は我が終生のライバルですわ。やはり天才か……」

 

 満足そうに笑って頷くリーゼ。

 ウィズはリッチーなわけだが、流石にそれは口にしない方がいいだろう。

 とはいえあなたは人間のままでもウィズは今と変わっていない気がしてならなかったわけだが。

 

 

 

 

 

 

 七日後、あなたとゆんゆんはトリフを出立した。

 

「ふんふんふーん」

 

 馬車に揺られながら、ご機嫌に鼻歌を歌うゆんゆん。

 あなたも直接確認したわけではないが、ゆんゆんの持ち物である、魔法によって見た目よりもずっと多くの物が入る荷物袋の中には、闘技大会優勝者に与えられるトロフィーや豪華賞品が入っているのだろう。

 

 一時は中止の声もあがっていた闘技大会だが、悪魔に負けてたまるかという関係者達の奮迅の努力の甲斐あって、会場の復旧と事態の沈静化に五日かけてから無事に最後まで執り行われることになった。

 そしてエチゴノチリメンドンヤチームは準決勝でムカつくぜクソッタレー! チームにリベンジを達成し、その勢いのまま優勝を果たしてみせたのだ。

 

 世界的に有名で歴史ある大会で優勝するという、輝かしい栄光を手に入れたマスクドイリスとジャスティスレッドバケツガールの二人。

 引っ込み思案なゆんゆんも、優勝の栄冠を手にした時ばかりは感極まったように喝采に手を振って応じていた。

 

 結局のところ、あなたは何故二人の少女がルール違反を犯してまで大会に参加したのかを知らない。

 だがゆんゆんは大会を通して心身ともに大きく成長した。それだけは間違いのない事実だ。

 

「すっごく楽しかったです! いつかまた来ましょうね! 今度はウィズさんやめぐみんも一緒に!」

 

 トリフの感想を尋ねてみれば、このような答えが返ってきた。

 

 新たな出会い、戦い、祭。

 様々なことがあったトリフが遠くに離れていく。

 

 距離という意味ではまだ半ばだが、トリフ以北、つまり竜の谷に続く道のりは険しい山々で蓋をされている国土と何より竜の谷の影響で一気に人里が減少する。

 今までの旅路と比べれば目的地まではあっという間になるだろう。

 

 馬車の窓から吹く爽やかな風を浴びながらあなたは目を瞑る。

 いよいよ目前まで迫ってきた竜の谷という未踏の地。

 そしてそこで行われる、かけがえのない友との冒険を楽しみにして。




・ムカつくぜクソッタレー! チーム
 とある事情で離れ離れになってしまった友人を探して冒険をしている三人組。
 激闘の末、レギュレーション違反コンビにリベンジを食らってしまったが、友人も一緒に戦っていた場合は勝てていた可能性が高い。

 実は異世界人。ただし地球人ではない。
 冒険の途中で起きたアクシデントによってこの世界に迷い込んでしまった彼らは、絵本を作ったり冒険者活動をしたりして生活費を稼いでいる。
 たまたま一緒に迷い込んだ腐れ縁であるニワトリ頭の科学者と一緒に、そのうち自分達の世界に帰るのだろう。

 そして冒険は続く。この開かれた世界で
 いつか、再会を果たすために!

 出典:四月馬鹿達の宴

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。