このすば*Elona   作:hasebe

130 / 148
第127話 第一層:千年樹海

【竜の谷第一層:千年樹海】

 

 ともすれば世界の果てまで続いているのではないかと錯覚する、どこまでも果てが見えない広大無辺な樹海。

 竜の谷に満ちる魔力によって変質した動植物は、他に類を見ない独自の生態系を築き上げている。

 過去数多の英雄、勇者、賢者が竜の谷に未知と財宝と栄誉を求めて挑み、命を落としてきた。

 

 第一層という呼称が示すように、確固たる事実として、竜の谷という魔窟においては千年樹海すら浅瀬にすぎない。竜の谷には樹海の先がある。

 だが樹海を抜け、第二層まで辿り着いた上で生還を果たした者は全挑戦者中僅か1%に満たない。

 更に眉唾物の話ではあるものの、歴代の魔王の中にすら竜の谷で消息不明になった者がいるという。

 人類はおろか魔族からも禁足地と呼ばれる恐ろしい場所でありながら、彼の地へ足を向ける者は後を絶たない。

 希少なアイテムの数々、そして踏破した先に待つ未知と栄光に浪漫を求めて。

 さながら火に引き寄せられる虫のように。

 

 自分なら、自分達ならきっとやれると。

 未知を解き明かし、魔境を踏破し、歴史に己が名を刻んでみせると。

 根拠の無い自信に導かれて。

 

 恐らくこの書を開いた者は竜の谷の情報を求めているのだろう。

 だからこそ記す。竜の谷とは我々のような定命の者が足を踏み入れてよい場所ではない。

 命を無為に散らせたくなければ決して近寄るな。蓋をしろ。歴史の闇に埋もれさせてしまえ。

 どうしてもというのであれば、せめて竜のアギトの出口で引き返すべきだ。

 樹海に足を踏み入れ、手遅れの段階になってから悔やんでも全ては遅いのだから。

 

 ――ナンテ・コッタ著『竜の谷探索紀行』より

 

 

 

 

 

 

 空間が歪み、時の流れが外とは異なる竜の谷にも等しく夜は来る。

 無数の巨木が競い合うように生い茂る樹海の中は、月の光も届かない深い闇に包まれている。

 だがそんな樹海を空から目を凝らして眺めてみれば、竜のアギトにほど近い、ある一点だけが微かに明るさを放っている事に気が付くだろう。

 それは魔道具という、人の手によって灯された明かりだ。

 耳のいい者なら、明かりに耳を澄ませば聞こえてくるかもしれない。

 悲鳴と、絶叫が。

 

「来るな! 来るなよお!」

「もうやだあ!」

 

 悲鳴の主は大木に背を預け、震える手で必死に武器を振る四人の少年少女。

 足元に転がったランタンに照らされる彼らの表情は恐怖と絶望で滑稽なまでに歪みきっており、整った顔は見る影も無い。

 

 そんな四人は周囲を完全に囲まれてしまっていた。

 見れば嫌悪感を覚えずにはいられない、ニタニタと下品で邪悪な笑みを浮かべた、人間の子供ほどの背丈をした緑肌の子鬼、ゴブリンに。

 ゴブリンといえばドラゴンに並んで有名なモンスターであると同時に、ドラゴンとは正反対の、弱小モンスターの代名詞だ。

 今まさに命を落とそうとしている彼らとて、何度もゴブリンを倒した経験を持っている。これがただのゴブリンであれば鎧袖一触で蹴散らしていただろう。

 

 だがしかし、ここは言わずと知れた竜の谷。

 ゴブリンひとつとっても外のゴブリンとは強さが違う。装備が違う。賢さが違う。

 竜の谷に挑んでは散っていった者達の装備を手に入れ、魑魅魍魎が跋扈する樹海で長年生き続けてきたゴブリン達は、時に格上のドラゴンすら狩り殺すだけの能力を有している。

 未熟な半人前の人間を殺すなど、ゴブリンにとっては赤子の手を捻るほどに容易いものでしかない。ゆえにこうして絶体絶命の危機に瀕していた。

 

 そしてもう一人、少し離れた場所で孤立した者がいる。

 ゴブリンから逃げ遅れた……いや、最初に獲物として狙われた少年だ。

 

「ぎあ゛あああゃああァあああああ!!!!!!」

 

 静かな夜の森に響き渡る、魂を抉られたような苦痛の絶叫。

 複数のゴブリンが粗末な棍棒を手に持ち、打楽器を鳴らすように少年を殴打する。

 どか、ばき、ごり、ぐちゃ。

 人体が壊れる、おぞましい音を全身から発しながら、少年はあまりの激痛に助けを求めることすら出来ず、悲鳴とも絶叫ともつかない声を発し続けている。

 死体漁りで入手した強力な武器で一息に殺すのではなく、あえて何の変哲も無い粗悪な木の棒を使ってじわじわと嬲り殺しにしているあたり、その悪辣さが窺えた。

 

 少しずつ小さくなっていく、耳を塞ぎたくなる悲鳴を聞きながら、少年少女の脳裏に過ぎる切実な感情。

 それは、どうしてこんなことになってしまったのだろう、という現実逃避じみたもの。

 彼ら五人はベルゼルグから地続きになっている隣国、エルロードの士官学校の学生である。

 早朝に宿から抜け出し、届出も出すことなく密かに竜の谷に足を踏み入れたのだ。

 恐るべきは若さゆえの無謀さか。

 

 何も踏破を目指していたわけではない。

 少し潜って危険を感じるか何かを手に入れたら帰還するつもりだった。

 

 度胸試しのために。

 家族や同級生に自慢するために。

 あわよくばドラゴンを手に入れるために。

 様々な野心と欲望を胸に意気揚々と足を踏み入れた彼らは、当然のように竜の谷の洗礼を浴びる事になる。

 運悪く入り口で空を舞う竜に捕捉されなかったのも災いした。

 

 初めは最大限に警戒しながら樹海を進んでいたものの、これといった何かが起きる事も無く時間だけが経過し、世間で言われている危険なんて無いじゃないか、と気が抜けたその瞬間。

 待ってましたと言わんばかりのタイミングで奇襲を受けたのだ。

 

 事実、襲撃者は見計らっていた。

 辺りを取り囲まれても気が付かない、新たに迷い込んできたエサが油断する瞬間を。

 金に物を言わせて手に入れた優秀な装備や道具も、使う者が未熟ではガラクタに等しい。

 

 功名心に逸った結果として、彼らは今まさにこの瞬間、その慢心と無知と無力さから成る無謀の代償を支払おうとしていた。

 弱肉強食という原初の掟が全てを支配する地において、彼らが持つ数少ない価値があるもの。

 すなわち、唯一無二である己が血と、肉と、命を以って。

 

「助けっ、誰か助けて!!」

 

 哀れな声が夜の闇に溶けた。

 この無常なる大地でどれだけ泣き叫ぼうとも助けは来ない。来るはずがない。

 五つの若い命は無惨に、無為に散り、女神エリスの御許に誘われる定めにある。

 

 その筈だった。

 

「――――?」

 

 包囲を狭めていたゴブリンが、憐れな犠牲者を嬲っていたゴブリンが、唐突に動きを止めて一斉に一つの方角に目を向ける。

 だがそこには何も無い。静寂を取り戻した夜の森が広がるばかり。

 それでもゴブリン達は、見せ付けるかのように浮かべていた粗野で下卑た笑みを引っ込めて、知性を帯びた真剣な表情で注意深く目を細め、闇の中を凝視する。

 獣の気配も虫の声もしない、夜の森の先を覗き込むように。

 

 そうして、視線に応えるかのように。

 森の奥、視線の方向から風が吹いた。

 不気味なほどに静かで、生ぬるく、不吉の臭いが混じった風が。

 

 風を浴びたゴブリンの長は、ふと我に返り、あることに気が付く。

 自分は今、冷や汗を流している、と。

 

「――――!!」

 

 突如として大声をあげる長。

 それに従い、数十のゴブリン全てがその場から一目散に逃げ出した。

 包囲していた四人はおろか、嬲り殺しにしていた玩具すら一顧だにせず。

 誤解や異論を一切挟む余地が無い、お手本のような遁走。

 

 竜の谷の中では直接的な力こそ下位に属するものの、谷の外のゴブリンとは比較にならない高い知性と鋭い直感、狡猾さと臆病さで繁栄してきた彼らは察知したのだ。

 おぞましく強大で、残酷で、絶望的な存在が近づいてきていると。

 

 故に逃げた。脇目も振らず、脱兎の如く。

 迫り来る破滅から、自分の命を守るために。

 

「消え……なんで……?」

「たっ、たすかった、の……?」

 

 変化する状況についていけず、その場にへたりこむ四人だったが、ややあって聞こえてきた、草木を掻き分ける音にびくりと体を震わせた。

 何かが近くにいる。こちらに近づいてくる。

 少しずつ大きくなってくる足音に、明かりを消す事も重傷者の治療も忘れ、必死に息を殺してぎゅっと目を瞑り、祈りを捧げる。どうか近づいてきませんように、と。

 

 やがて、足音が止み……目を閉じた四人の耳に、男の声が聞こえてきた。

 場違いなまでに陽気で、緊張感の欠片も無い声が。

 人間の声だ。助けが来たのだ。そうに違いない。

 九死に一生を得たと理解した、あるいは願望に抱きついた彼らの全身から力が抜け、悲しくもないのに涙が溢れた。

 

 お礼を言わなければ。

 そう思い、目を開いた彼らの眼前に映ったもの。

 それは、大口を開けた、緑色の、人間の頭など容易く一飲みにしてしまえる巨大な猿の顔。

 あまりのおぞましさに冷気と錯覚する怖気が全身に走る。

 

「ひぎゃあああああああああ!!」

 

 夜の森に、悲鳴が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 ルビードラゴンの熱烈歓迎を退けたあなた達は、竜の谷の内外時間のズレから到着早々野営の準備をする羽目になった。

 だが狙われやすい丘の上で一夜を過ごす意味と理由は無い。

 

「テントはここらへんでいいですか?」

 

 竜のアギトの出口にほど近い、広めの空間を見繕うウィズに、あなたはテントよりもっといいものがあると手のひら大の立方体を取り出す。

 ゆんゆんは何ですかそれ、と不思議そうにしていたが、高名な冒険者だったウィズは一目で気づいたらしく、驚きをあらわにした。

 

「もしかしてそれ、ポケットハウスですか!? どこで手に入れたんです!? それともまさか買っちゃったんですか!?」

 

 ポケットハウス。その名が示すように、携帯可能な家屋が封じられた魔道具だ。

 設置した場所の地下にそれなりの広さを持った異空間を生み出す、今はベルディアが終末狩りに利用しているシェルターという道具に似ているものの、快適性や利便性はポケットハウスの方が圧倒的に上。

 主に王侯貴族といったごく一部の特権階級がやむを得ない事情で野宿する際に用いる道具であり、当然のように市井には出回っていない。

 知名度は魔法のエキスパート集団である紅魔族、その族長の娘にして物知りなゆんゆんが辛うじてそういう名前の魔道具があると知っている程度。かくいうあなたもカイラムで初めてその存在を知った。

 

 魔道具店の店主として様々な品を見てきたウィズが目の色を変えるだけの事はある貴重品だが、これはカルラの命を救った対価として手に入れた道具の一つである。

 カイラムから提供された食料などの物資の中にこれがあったのだ。

 

「ああなるほど、確かに王家の宝物庫なら予備の品もありますか。でもいいなあ。ポケットハウス、現役時代にずっと欲しかった品の一つなんですよ」

 

 羨望を隠そうともしないウィズに、気持ちはとてもよく分かるとあなたは同意を示す。

 持ち運び可能な倉庫兼別荘。冒険者垂涎の品であることは疑うべくもなく、その有用性は天井知らず。

 こんな物があるならもっと早く知っておきたかったと思わずにはいられない。

 

 次々と思い浮かぶ便利道具の悪用方法はさておき、ここらへんなら大丈夫だろうと、天井まで7メートルほどの空間に立方体を放り投げれば、中から小奇麗な一階建ての木造家屋が姿を現した。

 壁は白、屋根は紺に染められており、成人男性が一人暮らしする分には十分といった大きさ。

 ゆんゆんはぱちくりと目を瞬かせて家の壁にぺたぺたと手を触れ、ウィズは興味津々といった風に魔法の家を見回している。

 

「すご……本当に家が出てきた……」

「建築様式からして、家自体はカイラムで作られたもの。普通の一軒家といった外観ですし、貴族の方ではなく、冒険者や商人のような一般身分の方が個人で使うために用意した感じですかね」

 

 更に上位の品になると貴族の屋敷のような豪邸が飛び出てくるらしいが、そういったレベルになると流石に国宝級になる。

 あなたがこの道具の説明を求めた際、強い関心を引いたと理解した相手は折角だからと屋敷入りの上位品を提案してきたのだが、あなたは持て余すのが目に見えているとこれを断った。

 ポケットハウス自体はモンスターボールや魔剣グラムといった神器ではないのだが、国にとって価値が高すぎるものだと、カルラと内密に交わした命を懸けた契約、国宝級でない神器三つという項目に引っかかる可能性があったからだ。

 

 そんな魔法の家に入り、あなたは軽く部屋の説明を行う。

 内部が拡張されているといったことはなく、外から見たとおりの広さだ。あなた達が三人で利用するとなると窮屈さを感じるのは避けられない。

 それでも寝室や風呂にトイレ、台所といった家としての機能は一通り揃っているし、家具が足りていないということもない。テントの代替品、野外活動時の拠点として利用する分には贅沢すぎるほどだろう。

 

「いいお家ですね。殆ど使用されていないのか、新品同然ですし。結界とは別に家全体にしっかり対魔、対物処理が施されてます」

「結界まで張れるんですか。どうして世間に出回ってないんです? 凄く便利そうなのに」

「実際便利ですよ。秘匿されていたり失伝した技術というわけではないので、最高位の魔道具職人さんに頼めば作ってもらうことはできると思います。巷で見かけないのは単純に高いからですね」

「高い?」

「はい。お金がかかるんです。とっても。一つ作るだけでも、ちょっと洒落にならないくらい。現役時代の私のパーティーが入手できなかった理由でもあります。その気になれば買えなくもなかったんですけどね」

 

 心から尊敬する師から告げられた、あまりにもあんまりな理由に、お金、お金かあ……と、なんとも言えない微妙な表情で言葉を詰まらせるゆんゆん。

 ちなみにあなたが譲り受けたポケットハウスは小さめの一戸建てだが、それでも買おうとすると貴族の豪邸が軽く三つは建てられる額になるという。

 費用対効果は極めて悪いと言わざるを得ない。あなたにはこれっぽっちも関係ないが。

 

「高っ! えっ、そんなにお金かかるんですか!?」

「かかっちゃうんです。テントの代用品にそこまで費やすなら、装備品とかを優先しちゃいますよね、冒険者は。そもそも冒険者でもなければ野宿する機会なんてあまり無いですし」

「うーん……でもこれがあるだけで野宿しなくて良いって考えると……。というかこんなに便利なもの貰ってたのなら、早く出してほしかったです」

 

 帝都から竜の谷まで、かなりの日数を野宿で過ごしたゆんゆんが抗議してくるが、あなたも別に嫌がらせで使っていなかったわけではない。

 あなたがポケットハウスを隠していたのは便利すぎるから。テレポートの使用を禁じていたのと同じ理由だ。

 今回の旅、その中でもここまでの道程はゆんゆんの冒険者としての経験を積ませるのが目的でもあったのだから、当然と言えば当然と言える。

 そんなあなたの説明を受けたゆんゆんは、そういうちゃんとした理由があるのならと納得し、素直に不満を引っ込めた。

 

 

 

 

 

 

 今日の食事当番であるゆんゆんがキッチンで夕食を作っている間、あなたとウィズは竜のアギトの先にある丘の簡単な調査とポケットハウスのモンスター避けの結界の起動を行う事にした。

 とはいえ何かが起きるわけでもなく、調査も結界の起動も問題なく終わったのだが、結界が張られた家を見てウィズがこう言った。

 

「すみません。この家なんですけど、結界を含めて私が改造してしまってもいいですか? 今すぐっていうのはちょっと難しいですけど、竜の谷で集めた素材を使えば大幅に強化出来ると思うので」

 

 まさかの提案である。

 これがあなたを含む廃人であれば当然の権利を行使するとばかりに、改造ついでにお茶目な悪戯心を発揮して外敵ではなく家主を対象にした致死性非致死性問わない愉快なトラップを仕掛けるところだが、ウィズに限ってそれは有り得ない。

 あなたは目線で続きを促した。

 

「さっきも言ったように、決して悪い家ではありません。むしろ良い家だと思います。ですが正直なところ、このまま竜の谷で使い続けるのを考えると少々……かなり防御力に不安があります。勿論あなたに要望があれば可能な限り組み入れることをお約束しますので。幸いというべきか、この家は相当に拡張性を残しているみたいですから」

 

 普段のウィズからしてみれば驚くほどに直截な意見が飛んできた。

 あるいはこれが冒険者としての彼女の一面なのかもしれない。

 いずれにせよ、あなたにウィズの申し出を拒否する理由は無い。防御力の低さはあなたも懸念していた点だ。テントより遥かにマシとはいえ、到底満足いくものではない。

 最低限、核とメテオと終末の更地三点セットがダース単位で飛んできてもびくともしない程度の耐久力は欲しい。

 出立の直前に交わした約束、バニルが目的を果たした後に店を畳んだウィズとあなたが旅をする時にも使うことになるかもしれないのだから。

 

 故にあなたは素材集めなり肉体労働なり、あらゆる協力を惜しまないので徹底的に頑丈にしてほしいと許可を出す。

 かつて氷の魔女と呼ばれた魔法使いは大船に乗ったつもりで期待してくださいと胸を張った。

 

「さしあたっては結界の強度を魔王城のものと同等にします。同等とはいっても幹部二人か三人分の強度ですけど。それならあまり手間も時間もかけずにやれるので。それ以上は準備が出来次第追々といったところでしょうか。あ、ちゃんと結界だけじゃなくて壁自体の耐久力や撃退用の攻撃能力も考えないといけませんよね」

 

 あなたが何かを言うまでもなくポケットハウスを要塞化させる気満々だった。同居人が頼もしすぎる。

 それにしても、魔王城の結界術式をウィズは覚えているのだろうか。

 現役幹部なので術式を教わっていても不思議は無いが。

 

「教えてもらったのではなく、私自身にかけられている術式を解析しました。個人的な趣味で改良した術式を作ったりもしましたね。残念ながら実用化の段階でコスト面の問題が解決できずにお蔵入りしましたが。ブラックロータスがある今ならもっと良い術式が作れるので、色んな素材を頑張っていっぱい集めましょうね」

『昨日も思ったけど、ウィズお姉ちゃんって魔法関係の話になるとナチュラルにぶっ飛んだ事言うよね』

 

 廃人の中で最も凡庸であるあなたは知っている。

 自重することなく才能を全力でぶん回してくる天才ほど恐ろしいものはないということを。

 最後に折れてしまったとはいえ、ウィズに日々挑んでいた学生時代のリーゼの努力と奮闘を思うと、あなたは素直に頭が下がる思いだった。

 リーゼはリーゼで世界に名だたる才覚の持ち主であるわけだが、いかんせん生まれた時代が悪かったとしか言いようがない。

 

 

 

 

 

 

 竜の谷とはいえ、せめて初日くらいは戦闘一回くらいで平和に終わってほしい。

 そんなゆんゆんの淡い期待が打ち砕かれたのは、日が沈んで少し経った頃。

 あなた達から見て竜のアギトの出口側、つまり樹海の方角から聞こえてきたのは悲鳴と絶叫。

 それも非常に性質の悪い事に、獣や竜といった分かりやすいものではなく、人間が発したと思わしきものが。

 

「……あの、ウィズさん。今、人の声みたいなのが聞こえませんでした?」

「聞こえました。ここまで届くということは、かなり近いところからだと思います」

 

 二人は息を潜め、耳を立てている。

 すぐさま助けに行こうと駆け出さないのは、人間のものだと確信できていないから。

 更に言えば、この声が人外の罠である可能性を否定しきれない。

 

 あなた達のパーティーであるネバーアローンは、竜の谷に挑む際に届けを出した。

 そこで判明したのだが、ここ半年の間、ネバーアローンを除いて竜の谷に入った者はたったの二組しかいなかった。

 一つはダーインスレイヴを持ちこんだルドラの貴族の一団。もう一つはエリー草を求めてやってきたカイラムの騎士団。

 前者は微かな生存者以外の全員が死亡。後者も撤退は完了しており、全員の安否が確認されている。

 

 ではそれより前、半年以上生き延びてきた者の声ではないのか?

 そう思う者もいるかもしれないが、竜の谷に挑み、半年以上生き延びて帰ってきた者は確認されていない。ただの一人もだ。竜の谷を踏破した者がただの一人も確認されていないように。

 

 だからといって、声の主が生存者である可能性がゼロなわけではない。

 竜の谷を踏破できると確信しているあなたのように、奇跡的に生存してきた者かもしれない。届けすら出していない馬鹿、もとい自殺志願者の線もある。

 

 いずれにせよ、ここであなたに見捨てるという選択肢は存在しない。あなたはウィズとゆんゆんに先んじて立ちあがった。

 三人の中で最も道徳心に欠けるあなたが。

 ここにベルディアがいればあなたを偽者扱いするのは避けられないだろう。

 

 実際問題、悲鳴を聞き届けたのがあなた一人であれば、あなたはこれをあっさりと見捨てていた。自己責任だと冷徹に突き放して。

 死にかけている場面に遭遇したり直接助けを求められれば、余程の事が無い限りは助ける。逆に言えば最低でも関わり合いにならないと助けない。

 竜の谷は入れば死ぬとまで言われている危険地帯。どこかから悲鳴が聞こえたからといって、完全な赤の他人を助けに行くほどあなたは善良ではないし、そんな義理も無いからだ。

 

 それでも今、あなたは見知らぬ誰かを助けるために腰を上げた。

 穏やかな異世界生活で人並みに良心を取り戻したわけではない。単にウィズとゆんゆんが声の主を見捨てるわけがないと分かっているだけ。外付け良心が仕事をしたのだ。

 どうせ助けるのであれば、わざわざ三人で向かわずとも機動力と突破力に優れ、明かりを必要としないほどに夜目が利くあなたが単独で向かうのが最も確実かつ手っ取り早いという理屈である。

 

 そんなあなたの宣言を聞かされたウィズとゆんゆんは真っ向から反対こそしなかったものの、未知の領域での単独行動に強い懸念を示した。あなたが強いのは理解しているが、それはそれ、これはこれ。

 とはいえ足並みを揃えていては手遅れになりかねないし、こんな表層で単独行動した程度で自分が危険に陥る場所なら今すぐ撤退すべきだという、あなたのぐうの音も出ない正論を最終的に受け入れることになる。いのちだいじに。

 

 

 

 

 

 

 竜のアギトを越え、月光に照らされる丘を下り、暗黒と化した樹海に足を踏み入れる。

 瞬間、あなたの肌が感じ取ったのは粘つく異様な空気。

 長年に渡って人魔を退けてきた実績は伊達ではないらしく、命に届くかは別として、入り口の時点でもあなたがこの世界で見てきたどんな地域や迷宮より危険度が高いと分かる。魔王領はまだ行った事が無いので除外。

 

 なんとも興味をそそられる地だが、考察は後に取っておこう。

 助けを求める悲鳴は今も聞こえてくる。あまり遠くない場所にいるようだ。

 鞘に収められた大剣を背負い直し、駆け出したあなたの姿は樹海に消えた。

 

 しばし暗黒の樹海を順調に進み、声が聞こえてくる場所まで残り半分ほどとなったところであなたが遭遇した相手は、深緑色の毛皮を持ち、額に白角を生やした大猿。

 体長はおよそ3メートル。中々に大柄な体躯だが、周囲の木々のサイズがそれ以上に狂っているせいであまり大きいとは思えない。

 

「…………」

 

 明かり一つ無い暗闇の中、唸り声ひとつ上げることなく、あなたの視線の先で静かに警戒、威嚇を向けてくる大猿。

 いかなる技術の賜物なのか、ゆっくりと後ろに下がりながらも草木を踏みしめる足音が聞こえてこない。

 

『さて、どうしよっか?』

 

 どうもこうもない。あなたは先を急いでいるのだ。

 じりじりと後退する大猿を追うような形で、あなたは一歩前に進む。

 

『繧、繝槭ム縲√Ζ繝ャ』

 

 砂嵐のような雑音が聞こえた瞬間、左右と樹上の三方から矢のような勢いで何かがあなたに迫ってきた。

 いずれも正面の大猿と同じ姿の持ち主であり、やはり音を発していない。

 正面の一体があえて姿を見せて獲物の意識を引き付け、隙が生まれた瞬間に囲んだ他が仕留める。

 気配を樹海と同化させ、夜の闇に紛れた無音の奇襲はまさしく樹海に生きる者ならではの狩りといったところ。生半可な探索者ではこれだけで致命に足るだろう。

 

 惜しむらくは、あなたは断じて生半可な探索者などではなく、必殺の奇襲すら完璧に察知されていたことだろうか。

 ゆえに大猿に対し、妹はどこまでも冷たく嘲った。

 所詮は猿知恵に過ぎないのだと。

 

 人間の体など枯れ枝のように容易く圧し折れそうな大猿の手があなたに届こうとする間際、あなたの右手が背負われた大剣、その柄に触れ……青い光が空間に奔った。

 縦横無尽に放たれた光の正体は、ほんの一瞬だけ鞘から解き放たれ、振るわれた大剣の軌跡だ。

 夜という漆黒のキャンバスに幻想的な青白い残光を描き、あなたを狙っていた四体の大猿は、凶貌を浮かべたまま、己が死んだ事すら知覚出来ずに解体された。

 

 血の臭いに獣が寄ってくるかもしれないので、氷属性付与(エンチャント・アイス)を使って切断面だけ凍結させてある。おかげであなたも樹上から襲ってきた大猿の血と臓物を浴びる悲劇は避けられた。

 使い始めの頃は加減が利かず斬り付けた相手の全身を凍らせてしまっていたが、合成魔法剣を編み出す程度に熟達した今ではそれなりにマシな制御が可能になっている。

 

 いつものように死体を量産したあなたは、最も綺麗だった正面の個体、狙って首だけ落とした大猿を回収して足早にその場を後にした。無論生首も忘れてはいない。

 あらかじめ文献やカイラムから樹海に生息する生物の情報を得ていたあなただったが、この大猿は見たことも聞いたこともない種類であり、希少な素材だったら勿体無いと考えたのだ。

 

 いつの間にか悲鳴が途絶えた夜の森は不気味なほどの静寂に包まれており、風に揺れる木々のざわめきしか聞こえてこないが、あなたの表情に浮かんでいるのは、まるで子供のように無邪気な笑顔。

 高い膂力、巨体に見合わぬ俊敏さと隠密性。

 あなたの見立てでは、大猿一匹と正面から戦って仕留めるのに必要な戦力は、レベル30前後の人員が四名。

 それが一度に四匹。ベルゼルグの王都で活動する冒険者パーティーが複数必要になる強さだ。あくまでも正面戦闘での評価なので、あなたが受けたような奇襲を食らえば普通に壊滅すら有り得る。

 前情報に引っかからなかった事から、普段はここから離れた地域で狩りをしている魔獣だとあなたは推測している。

 それでもルビードラゴンと併せて入り口でこれなのだから、あなたの期待も天井知らずに高まろうというものである。

 

 

 

 

 

 

『子供じゃん。声を聞いてまさかとは思ったけど』

 

 地面に転がっているランタンの明かりに照らされたそれを見て、妹の声に珍しく困惑が混じった。

 だがそれも無理は無い。あなたが辿り着いた場所にいたのは、大木に背を預けて震える四人の人間と思わしき少年少女。そして少し離れた場所で転がっている血塗れの少年だったのだから。

 何者かに襲われていたのは明白だが、その何者かは既にこの場から姿を消しており、気配も感じ取れない。

 

 まさか彼らが撃退したわけではないだろう。

 武装はしているが、彼らはどこからどう見ても戦士ではなく一般人。

 間違っても竜の谷にいていい者ではないのだから。

 

 無数に湧き出てくる疑問はさておき、とりあえず生きた人間であることは確かなので、あなたは彼らに声をかけてみることにした。

 だが誰一人として反応を示さない。声が聞こえていないのだろうか。目を開ける様子も無い。

 あなたは反応を確かめるために四人に近づき、彼らの目の前に大猿の生首を掲げてみた。威嚇してきたまま死んだので口を大きく開けており、迫力は満点だ。人間の頭など容易く一飲みにしてしまえるだろう。ついでに切断面からひんやりした冷気が漂っている。

 

「あ、あ、たすか――」

 

 誰かが安堵の声を発した。

 呼応するように四人は硬く閉じられた目を開き。

 

「ひぎゃあああああああああ!!」

 

 明かりに照らされた大猿の生首に悲鳴をあげ、そのまま気絶してしまった。

 視力を失っていたわけではないようだ。

 予想外の事態が起きてしまったが、これはこれで説明したり足手纏いを連れて歩く面倒が無くなったともいえる。

 転がっている瀕死の少年にみねうちした時使う(マッチポンプ用)治療ポーションを投擲したあなたは、五人を連れて帰る手段について勘案を始めた。

 

 

 

 

 

 

「あ、おかえりなさうわぁっ!? ……うっわ、うわうわ、ぅーわ」

 

 ポケットハウスの前であなたを出迎えたゆんゆんは、両手を口に当てて高速で後ずさった。

 

「夢に見そう……」

 

 右手で大猿の生首を縦方向にぶんぶんと振り回し、左手で大猿の死体を引き摺って戻ってきたあなたに対しての言葉だ。

 ちなみに救助した五人だが、これは二番目に綺麗だった大猿の死体を回収し、その上に装備と荷物と纏めて山積みにされている。

 

「……うん? いや、まさか。まさか。もしかして」

 

 嫌な結論に思い至ったのか、ゆんゆんの顔が強張った。

 

「あの、念のために一応聞いておきたいんですけど。そこで雑に山積みにされてる人たちって全員生きてますよね? まさか、まさかとは思いますけど、子供の死体に対してそういう扱いをしているわけではないですよね?」

 

 懇願するかのような色を帯びた、非常に真剣で硬質な声。

 あなたの返答次第では互いの関係性に小さくない亀裂が入るだろう。

 

 あなたは答えた。

 一番上に乗っている血塗れの少年を含めて全員生きている、と。

 賞金首のような犯罪者は別だが、そうでない者の死体を運ぶのであれば、もう少し丁重に扱っている。

 

「そうですか、私の勘違いで良かった。納屋にあった荷車を持ってくるので、そっちに乗せ換えましょう。ここならまだテレポートが使えるみたいですから、二回に分けて竜の里に送ります」

 

 そんなあなたの答えにほっと安堵の息を吐き、ポケットハウスの裏手に歩いていくゆんゆん。

 だが持ってきた荷車に粗方乗せ終わったところで、彼女はハッとした顔になった。

 

「いやよく考えたらこれっぽっちも良くないな!? そこは生きてる人にも配慮してくださいよ!!」

 

 普段のノリが戻ってきたようだ。

 だが彼らは生き残ったのだからそれで充分だろう。

 

「線引きが極端! これいつものパターンだと絶対あれでしょ、説明とか落ち着かせて連れて歩くのが面倒になってみねうちした感じですよね!? 騒がれたら魔獣が集まってくるから強制的に黙らせたとかそういう微妙に納得できなくもない理由で!」

 

 確かにその選択肢が無かったといえば真っ赤な嘘になる。実際、あなたは素人に気を配りながら連れて歩くのが面倒だと思っていた。

 ゆんゆんの理解力には感心させられるが、彼らの意識が無いのは単に恐怖で気絶したからだ。原因はあなたにある。しかしそれとて意図的ではなく純粋な不可抗力によるものであり、いつものようにぶっ飛ばしたわけでもない。

 具体的には九死に一生を得て気が抜けたところに大猿の生首を目の前で見せ付けられて倒れただけだ。

 

「ああ、そういう……」

 

 ゆんゆんの視線があなたの振り回す生首に向けられた。彼女からしてみれば納得のいく理由だったらしい。

 誤解が解けて何よりだと、ついでにあなたは一つの予告をした。竜の谷において自分がみねうちする機会は著しく減るだろう、と。

 なにせ現在あなたが背負っている武器、ゆんゆんにも見せた事がある自我を持つエーテルの魔剣。使用を解禁した愛剣は、みねうちスキルが使えないのだから。

 

「スキルが使えない?」

 

 正確には使おうと思えば使える。

 現に過去一度、あなたは愛剣でみねうちを使ったが、強い不快感が込められた抗議を受けた。

 あなたの敵を殺すためだけに存在する自分を、よりにもよって不殺を目的に使わないでほしいと。

 ゆんゆんにも通じやすいように説明すれば、愛剣にとってのみねうちとは、見た目だけは豪勢だが無味無臭無栄養という不愉快極まりない食事を強要されているに等しいのだ。

 故に次に愛剣でみねうちしたが最後、彼女は確実に不貞腐れてストライキを起こす。

 そうなってしまうと機嫌を取るのがとてもとても面倒なので、結果として愛剣の装備中はみねうちが制限されてしまう。

 

「ストライキって。言うに事欠いて剣がストライキって。参考までに聞いておきたいんですけど、ダー……あー、すみません。配慮が足りてませんでした。じゃあえっと、あなたがちょっと前に手に入れた武器とどっちが危ないと思います?」

 

 意識を失っているとはいえ、他人の前で出す名前ではないとあなたが救助者を横目で見やって人差し指を口に当てる仕草をすれば、すぐに意を汲んでくれたゆんゆんはぼかした表現で質問してきた。

 そんな少女の問いに、圧倒的に愛剣だとあなたは即答する。

 愛剣の危険度は、目的があったとはいえ、ダーインスレイヴを人前でおおっぴらに振り回したあなたが人前での使用を躊躇うレベルだ。

 

 危ないを強いと変換したのか、久しぶりにあなたに使ってもらえてご満悦な愛剣がもっと褒めてもっと褒めてーと甘えてきた。最近はダーインスレイヴに構う事が多かったので、その反動もあるのだろう。

 あなたとしても愛剣を振るえて楽しかった。この世界で色々な武器を手に入れて使ってきたが、やはりどんな武器より手に馴染む。本気で戦う時に愛剣以外の武器に命を預けることは考えられない。

 そんな思いを込めながら鞘の上から撫でてやれば、あなたがあまり見せない明確なデレに感動した愛剣のテンションが成層圏を突破した。

 

「……気付いてますか? 背中から災厄の気配が駄々漏れになってますよ。お願いですからそれ以上私に近づかないでくださいね」

 

 勿論気付いているし、圧が不快だから野晒しにするなと友人が作ってくれた特製の鞘のおかげで、これでも相当に抑えられていたりする。

 刀身を晒した状態で力を解放した愛剣は、それこそ魔王軍幹部が危ないから今すぐ使うのを止めろと100%善意で警告してくるレベルのプレッシャーを撒き散らす。

 対して温泉街ドリスでゆんゆんに見せた時の愛剣は、構い倒した直後だったのでかなり精神的に安定していたしご機嫌だった。

 それなりに経験を積んで度胸が付いた今のゆんゆんでも、魔剣としての本性を露にした愛剣と相対して平静を保つのは難しいだろう。

 

「…………」

 

 本気で碌でもないな、と目で語ってくるゆんゆんにあなたは話を変えて問いかける。

 五人の素性は判明したのかと。

 あなたが救助に向かっている間、ゆんゆんとウィズには竜の里で聞き込みを行ってもらっていた。ウィズは今も竜の里にいるようだが。

 

「ああ、はい。昨日の話ですけど、トリフでやってる観光ツアーのお客さんがいたじゃないですか。その中の五人が、朝から姿を消しているみたいで。竜の里で騒ぎになってました。なのであなたが救助した人たちが多分そうなんだと思います」

 

 なるほど、とゆんゆんの説明に納得する。

 あなた達が竜の里を発つ時、里の中からは不穏なざわつきが聞こえていた。

 あなたは全く気にしていなかったが、原因は彼らを探していたからなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 結果から言えば、救助された五人はベルゼルグの隣国であるエルロードの学生だった。

 どうやら貴族も混じっていたらしく、送り届けた際に引率と従者から何度も頭を下げられ、エルロードでの歓待を提案されたものの、あなたはこれを固辞。礼なら竜の谷から帰ってから聞くので、法に則ってベルゼルグを通してほしいとウィズとゆんゆんを引き連れ早々に拠点に舞い戻ってしまう。

 カルラの時は蘇生した責任を取るようにと女神エリスに言われていたし、あなたとしてもラーネイレに酷似した王女との出会いに思うところがあったので最後まで付き合った。

 だが今回の五人については本当にどうでもいい。この期に及んでエルロードに引き返して足止めを食らうなど断じて御免だったし、回収した大猿の解体処理をしてしまいたかったのだ。

 

 明日まで時間はあるのだし、無理に突き放さずとも良かったのでは?

 やんわりとそんな正論を述べていたウィズも、いざ初めて見る魔獣の死体を前にしては興味と興奮を隠しきれていない様子だった。

 それは良かったのだが。

 

「次はここです。同じ猿系の動物や魔獣と比較して、この大猿は声帯が著しく変質、いえ退化しているのが分かりますよね? 恐らく自分では鳴き声すらあげられないのではないでしょうか。これを補っているのが角です。微弱な魔力を送受信する機能を有した角を使い、彼らは声を必要とせずとも仲間とコミュニケーションを取っているわけですね。あなたのお話では不自然なほどに音を発していなかったとのことですが、角から放出された魔力が遮音結界のような効力を発揮しているのでしょうね。角に特定の出力で魔力を流してみると未知の属性……だいぶ前にあなたが見せてくれた音属性に酷似した波長を発しましたから。勿論直に観察してみないことには断言できないわけですが、いずれにせよこの角こそが彼らにとっての生命線であると同時に樹海で長い年月をかけて適応してきた結果なのは間違いなく――」

 

 長い。

 ウィズの話は非常に為になる。あなたもブラックロータスのちんぷんかんぷんな術式を説明された時よりはずっと理解できているし興味もそそられるのだが、それにしても長いと思わずにはいられない。

 かれこれ一時間は大猿の解体と調査、考察が並行して続いている。

 解体があなたの仕事で、調査と考察が水を得た魚と化したウィズの仕事だ。

 今日は早めに寝ましょうとウィズ自身が言っていたはずだったのだが、まるで終わる気配は無い。

 なおゆんゆんはこの場にいない。明日の準備があるからと、ポケットハウスの中に引っ込んでしまったのだ。あなたは逃げたのだと確信している。

 

 あなたの友人にも何人かインテリがいる。

 機械工学、農学、死霊術。

 いずれ劣らぬ大天才であり、それぞれジャンルこそ異なっているものの、意外とウィズと話が合ったりするのかもしれない。

 

『人間性の部分で盛大に事故る未来しか見えないよ? 具体的に誰とは言わないけど』

 

 言われてみれば確かにそうだとあなたは内心で頷く。

 TSチキチキマニアと生態系の破壊者はさておき、変態ロリコンストーカーフィギュアフェチだけは駄目だ。彼は自他共に認める天才であると同時に、自分と信仰する神以外は基本的にゴミか駒か研究材料と認識しているという、精一杯控えめに表現しても邪悪で人でなしな下種野郎。廃人は誰しもそういう傾向を持っているが、彼は特にそれが顕著だ。外付け良心が機能しない。

 己の好奇心を満たすためなら手段を選ばず、倫理や他者の尊厳など一切気にしない。ウィズが最も嫌うタイプである。

 

 結局その後、あなたが眠りについたのは竜の谷の時間にして深夜2時を回ってから。

 五時間ほどかけ、冒険者ギルドに持っていけば報酬に色が付くほど綺麗に大猿を解体し終えてからのことだった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで翌日。

 コンディションを整えたあなた達は、改めて竜の谷に立ち入った。

 丘の上から樹海を見渡せば、眼下を埋め尽くすのは木々という名の鮮やかな緑の絨毯。

 深海を彷彿とさせた昨夜とは雰囲気をがらりと変化させた樹海は、どこまでも自然の偉大さと生命力で満ち溢れている。

 

「とっても風景が綺麗……」

 

 ここから見る限りでは、とてもではないが命を食い尽くす魔の樹海だとは思えない。

 そんなゆんゆんの感想を否定するのは難しい。

 だが実際に樹海に入れば嫌でもその危険性を理解するだろう。

 

「しかし話には聞いていましたが。あんなに大きい樹が本当にこの世にあるものなんですね」

 

 感嘆するウィズの言葉に釣られるように、あなたとゆんゆんの視線が遥か遠くに伸びる。

 樹海の風景の中でも特に印象的な、遥か北に掠れて見えるそれは、先人によって世界樹と名付けられた。

 樹海に埋もれるどころか圧倒して余りあるという、現在確認されている中では世界最大の木であり、世界樹を一般的な樹木とするならば、千年樹海の木々は根元近くまで刈られた草に等しい。それほどまでにサイズに差がある。世界樹と呼ぶに何ら不足の無い、神秘の大樹。

 

 樹の天辺は天界に通じているという説すらあり、枝には決して腐らず永遠に輝き続ける黄金の林檎が実っているのだという。

 蒐集家のあなたは当然として、ウィズも魔法の触媒、魔道具の素材に使えるのではと興味津々だ。

 

 一方でゆんゆんは真っ先に腐らない金の林檎って食べられるんですかね? 味とかどうなってるんでしょう、という微妙に間の抜けた感想を溢した。

 ある意味では至極全うで常識的な疑問だが、あなたは気付いている。ゆんゆんが食いしん坊になっているということを。

 旅の先々で各地の名産を食し、野宿であなたの手料理を食べ続けた結果、紅魔族の里という閉鎖的環境で生まれ育った少女の舌はすっかり肥えてしまったのだ。

 まだまだ育ち盛りな年齢かつ食も旅の醍醐味の一つとはいえ、色気より食い気が先行しすぎである。

 だがあなたはそんなゆんゆんを揶揄しようとは思わない。あなたが信仰する女神も似たようなものだからだ。

 

 

 

 

 

 

 ネバーアローンの大きな目的は二つ。

 竜の谷の踏破と、ゆんゆんをドラゴン使いにすること。

 そしてゆんゆんが心を通わせる相手は、無闇に人を襲うことなく、人語を解すだけの知性を持つ竜でなければならない。

 コミュニケーションさえ取れればいいので、人語は話せなくても構わないのだが、終末でいつでも呼び出せるような一山幾らの野生動物じみた竜はお呼びではない。

 だが目的の竜に樹海で出会えるかは分からないし、かといって探して回るにはあまりにも樹海が広大すぎる。ゆえにあなた達は先を目指す。北の果て、樹海の向こう側を。

 

 だが丘を降りたあなた達は、まず世界樹のある北ではなく西へと向かった。

 竜の里の西に滝があることから分かるように、竜の谷もまた入り口を西に進めば大河とぶつかるようになっている。

 あなた達が採用したルートは川沿いを北に進んでいくというもの。

 樹海を真っ直ぐ貫く大河をひたすら遡っていけば世界樹の近くに辿り着くのだが、同時に千年樹海で最も危険な道だと言われている。通称天界直通ルート。誰が呼び始めたのかは知らないが洒落と皮肉が効きすぎている。

 

 そうして三時間ほどかけて西に進んだあなた達の目の前に横たわっているのは、ごうごうと激しい音を立てて流れる大河。

 目測では対岸までおよそ5キロメートル強といったところ。

 あなた達が立っている河岸は流れも比較的緩やかだが、中央付近の水が流れる速度は鉄砲水もかくやという勢いだ。

 

「泳いで渡るとか言わないですよね? ね?」

「すみません。お恥ずかしながら、私泳ぎはあまり得意では……」

「ウィズさん、これはもう泳ぎが得意だったらどうにかなるレベルを超えてますよ」

 

 大河を前に途方に暮れるゆんゆんとウィズを尻目に、カイラムで譲ってもらった樹海の地図を広げる。

 つい最近大規模な探索を行った騎士団が作った地図の写しだけあって非常に精巧なものだ。

 地図には彼らの任務、つまりエリー草が生えている場所までのルートが記されており、エリー草を手に入れるには大河を渡る必要があるらしい。

 カルラはカイラム騎士団と力を合わせてエリー草を手に入れたものの、帰り道で竜に襲われ、致命傷を負って大河に落ちた。恐らくカルラは渡河の最中、それも岸から離れた場所で襲われたのだろう。

 確かにこの河の流れの速さから引き上げるのは不可能だ。

 つまり落ちたら溺れて死ぬ。

 

 言うまでもないが、竜の谷に橋などという気の利いた建造物は無い。エリー草を求めるのであれば何かしら渡河の手段を手に入れる必要がある。

 こういう場合は川幅が狭い場所を見つけて渡るというのがセオリーだが、残念ながら綺麗に舗装された道のように河の幅は終始ほぼ一定となっている。

 カイラムはエレメンタルマスターが樹と石で即席の橋を作って渡河したそうだが、エレメンタルナイトとアークウィザードしかいないネバーアローンに採れる選択肢ではない。

 泳いでいくのは論外だ。あなたとウィズはともかくゆんゆんの命が幾つあっても足りない。

 エリー草自体は大河の東側にも生えているのかもしれないが、わざわざ探して歩くのは骨が折れすぎる。この機会を逃す手は無い。

 この難所を突破してエリー草を入手するには、知恵を絞り、仲間と連携を取る事が重要になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――数十分後。

 

 あなたは岸から少し離れた場所で片膝をついた。

 既に渡河の準備は万端だ。

 

「で、ではいきます。重かったら言ってくださいね?」

 

 背後からおっかなびっくり近づいてくるウィズに了承の意を示せば、あなたの背中にそっとウィズの体重がかかり、頬に柔らかく長い髪が当たる。

 ぐふっ、とあなたから苦しげな息が漏れ、両膝と両手を地面に突いた。

 

「えっ」

 

 苦渋の表情を作り、誰が見ても一目で限界だと分かるほどに全身をぷるぷると震わせるあなたは、重量負荷が自身の限界を遥かに超過していると深刻に告げた。

 最早自分は立ち上がるどころかこの場から一歩も動くことすらできないだろう、と。

 顔面から滝のような脂汗を流しながら。

 

「確かに重かったら言ってくださいと言ったのは私ですけど! 装備と荷物込みでもそこまで重くはないと思いますよ!? 重くないですよね!?」

 

 無論これは異性との接触に慣れていないウィズの気を紛らわせるためのあなたの小粋なジョークである。

 ウィズの重さなら十人分背負ったところであなたの行動に支障は出ない。

 

「……なら安心しました。それはそうと今からあなたを殴りますね」

 

 凍てついた声による宣告と共に、杖で後頭部を気持ち強めに殴打された。

 軽いジョークだったのだがお気に召さなかったらしい。体重だけに。

 

「もっかいいっときますね」

 

 再度の殴打。

 いい感じに空気が暖まってきたところでゆんゆんに声をかける。

 

「暑さでテンション壊れてません? 大丈夫ですか?」

 

 壊れてはいない。それどころかむしろこれが友人に対するあなたの素だ。

 今まではウィズを慮って配慮を重ねていたが、晴れてパーティーを組んだのだから、やりすぎない程度に気楽にやっていくつもりだった。

 

「だからって初手で女の人に体重ネタぶっこみますかね、普通。まあいいですけど。……ウィズさん、重かったらすみません」

 

 背中にかかる重みが一人分増えた事を確認し、すくと立ち上がる。目線が一気に高くなったゆんゆんが驚きの声をあげた。

 二人を背負ったあなたはそのまま河岸に立つ。

 

「まったくもう……じゃあ始めますね」

 

 あなたの背中越しにウィズの手が伸びた。

 その手には杖が握られており、真っ直ぐ大河に向けられている。

 

「カースド・クリスタルプリズン」

 

 詠唱と共に杖から魔力と閃光が迸り、氷の魔法を得意とするウィズの手により、大河の一角が瞬く間に凍結した。

 蒸し暑かった周囲の温度は冬並みに低下し、吐く息が白に染まる。

 杖を持った今の彼女はリッチーの名に相応しく、人の形をした災害に等しい。

 

 川が凍り、道が生まれてからがあなたの仕事だ。

 仕事と言ってもウィズと比べれば大したものではない。

 ウィズとゆんゆんを荷物ごと背負い、氷の上を走る。たったこれだけ。

 

「簡単には割れないと思いますが、河の生き物をなるべく殺してしまわないようにある程度の水深までしか凍らせていないので、充分に気をつけてください」

 

 警告に頷き、氷に乗る。

 間を置かずに強い冷気が足元から上ってきた。このまま氷上で動かずにいれば、十秒もかからずにあなたの足は凍り付いてしまうだろう。

 軽く足元に広がる氷の感触を確かめたあなたは、善は急げとばかりに駆け出した。

 

 ウィズは上流まで凍結させたわけではない。水の流れは時を置かずして押し寄せてくる。

 カルラがやられたように、渡河の最中に襲われる可能性もある。

 普通に走って渡るには、5キロという距離は長すぎた。

 

 だからこそあなたが二人を背負って走るのだ。

 

 自身の速度を平時の70から700(10倍)まで、少しずつ段階的に引き上げながら。

 迫り来る川の流れすら置き去りにして。それでいて氷の床を砕かないように注意を払いながら。

 前に、前に。

 

「っ……!」

 

 あなたの背中でウィズとゆんゆんが吹き付ける強風に顔を庇う。

 あなたにとっては速度70だろうが700だろうが体感速度に変わりは無い。言ってしまえば、自分以外の速度が相対的に低下しているだけ。

 だがあなたに背負われているウィズとゆんゆんにとっては違う。彼女達は体感速度70のまま、10倍速になったあなたの移動速度を味わっている最中なのだ。

 

 イルヴァの生物にとって、速度の限界とは筋力の限界に近い。

 己の限界までは負担無しで自在に調節可能だが、限界を超えた速度を体感しようと思うと身体に負担を強いられることになる。

 そしてこのルールはこの世界で生きる者にも適用される。だからこその速度700止め。それ以上は渡河に支障が出てしまう。

 

 あっという間に距離を稼いだあなただったが、およそ500メートル進んだところで氷の道が消失しているのが見えた。

 

「カースド・クリスタルプリズン!」

 

 だが視認と同時に再度ウィズが魔法を唱え、新たな道が生まれる。

 あとはこれを繰り返すだけ。

 途中で怒り狂ったサハギンが水中から襲ってきたが、あろうことかあなたの進行方向に出てきたので蹴りで空に打ち上げられ、反射的に動いたウィズに追撃の雷を食らって沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

「現役時代もあんなのは一度もやったことなかったのでとっても楽しかったです! 河の東側にある世界樹に行くっていうことはもう一回河を渡るんですよね? 次はもうちょっと速度を上げちゃっても大丈夫ですよ?」

 

 無事に渡河を終えた後、ぺかーと輝く笑顔で放たれたウィズの台詞である。

 対して息も絶え絶えなゆんゆんはこう言い残した。

 

「物凄い力技によるゴリ押しを見ました」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。