このすば*Elona   作:hasebe

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第142話 暗く深く淀んだ奈落の底で

【1】

 

 これは遠い遠い昔の話。

 世界の果てと言ってもいい辺境の地に、小さな国がありました。

 

 狭く痩せた国土、国内外を闊歩する強大な魔物、近隣諸国の度重なる干渉。

 国民は飢えと渇きに喘ぎ、貴族は権力に酔う余裕すら無く、全てを纏める王族は避けられぬ破滅の未来に頭を抱える。

 未開地域である近隣の魔物に対する防波堤、風除け、あるいは炭鉱の金糸雀として生まれ、滅びないように適度な援助を受け、しかしだからこそいつ滅びてもおかしくない、泡沫の国。

 

 そんな国に、ある時、一人のお姫様が生まれました。

 

 

 

 

 

 

 落ちる。落ちる。落ちる。

 ウィズを追ってその身を投じた穴の中、一片の光すら差さない闇の中。

 あなたの体はただひたすらに落下を続けていた。

 浮遊感を覚えたのは穴に飛び込んだ一瞬だけ。下からの風圧やら重力といった物理現象が、あなたが現在進行形で高速落下しているという事実を教えてくれている。

 

「しぬー! これぜったいしぬしんじゃうー!」

 

 あなたの腕の中で泣き喚くゆんゆんはまだまだ元気そうだ。

 紅魔族の例に漏れず興奮すると両目が赤く光る彼女は、暗中における数少ない光源であり、今も非常に目立っている。生憎と照明代わりにはならないが。

 

 だがそんなゆんゆんも役に立つ事はある。

 同じく落下を続けるウィズに、あなた達の存在を知らしめるという形で。

 

「――! ――――!」

 

 少女の叫び声を聞き届けたのか、赤い光を視認したのか。

 いずれにせよ、上方のあなた達の存在を認識したウィズは、ライトの魔法を使って周囲を照らし、大きく口を開けて何かを言っているように見えた。

 だがその声は風音によってかき消され、あなた達に届く事はない。

 

 ウィズが自身を追尾する明かりの魔法を使い、自身の居場所を明確にしてくれたというのはあなたにとって喜ぶべき事だ。

 何故ならば、気配だけを頼りに無茶な回収をする必要が無くなるのだから。

 あなたはゆんゆんが落下しないように強く掴み直し、自身の速度を引き上げた。

 

 

 ……さて、突然だがここで少しだけ速度の話をする。

 自己の速度をある程度自在に弄る事が可能なイルヴァにおいて、主流とされる時の流れ、いわゆる基準速度を数値に起こすと70になる、というのは今更説明するまでもないだろう。あなたが導かれた異世界の基準速度が70である事も同様に。

 では速度70のAと速度700のBが速度以外は同じ条件で同じ高さから同時に飛び降りた場合、どのような事になるのだろうか。

 両者共に同じタイミングで着地する?

 Bが着地した時に受ける衝撃は?

 

 答えはBがAの10倍の速さで先に着地する、だ。

 そして着地時に受ける衝撃はAもBも完全に同一。

 

 だがBがAを抱えて飛び降りた場合、Aには10倍速で落下した時と同じ負荷がかかる。

 素直に理不尽と言えるだろう。それほどまでに速度差が生み出す影響は大きい。

 だからこそイルヴァの住人は基準速度を定め、その時間の流れで日常を送っているというわけだ。

 

「おあ゛ばァーっ!?」

 

 加速するあなたに引っ張られ、突如として落下速度が数倍になったゆんゆんは高まる風圧と重力で口から内臓が飛び出たかの如き悲鳴を発した。

 実際あなたは内臓が口から飛び出る姿を自身のものを含めて何度も見た事があるので間違いない。

 

 だが健気に師を想うゆんゆんの文字通りの挺身、尊い犠牲の甲斐あって、速度を戻しながら手を伸ばしたあなたはウィズを抱き寄せる事に成功した。

 落下する女性を自身の腕で抱きしめる。

 抱きしめられた後、一瞬だけ呆けた後に赤面したウィズのように、絵面だけ見ると非常にヒロイックでロマンチックなシチュエーションではあったのだが、いかんせん傍らで白目を剥いて奇声を発して口から魂が抜けかけているゆんゆんのせいでムードは最低最悪である。あんまりにもあんまりすぎてウィズもスン……と真顔になったくらいだ。両手に華からは程遠い。

 

「ありがとうございます! でも多分、私落ちても大丈夫だと思うんですけど! あちらもそれを理解しているからこその行動でしょうし!」

 

 あなたにぎゅっとしがみつきながら風に負けないよう声を張り上げるウィズ。

 リッチーは魔力が付与されていない攻撃を無効化する。

 衝撃こそ受けるものの、落下時のダメージも無効化されるのだろう。

 

 だがそんな事はあなたの知った事ではない。

 穴の深さは相当なものだ。落下時に受ける衝撃だってどれほどのものになるのかは分からない。

 このままウィズが一人寂しく奈落の穴の底に叩き付けられるのを黙って見過ごせるほど、あなたは人間が出来ていなかった。

 つまり、これはそう。

 死なば諸共の精神である。

 

「それはなんか意味が違う気がします! というか言葉の綾だとしても申し訳なさでいっぱいというか私の心象が最悪なんですけど!? 絶対に死なないでくださいね!?」

 

 当然こんな場所で死ぬつもりが無いあなたはウィズを腕の中から解放し、空いた手に愛剣を握る。

 更にウィズに後方に向けて風魔法を撃ってもらい、空中で姿勢を制御しながら前進。

 仮にこの穴が壁など無い特殊な空間であれば別の手段を考える必要があったのだが、無事に勢いのまま壁に愛剣を突き立てる事に成功。

 だがその瞬間、あなたは自身の致命的な失敗を悟った。

 

「やろうとしている事は分かるんですけど! すみませんひょっとしてこれ全然減速してなくないですか!?」

 

 そう、ウィズの申告の通り、愛剣の切れ味が良すぎて全く減速しないのだ。エーテルの魔剣は終わりの見えない壁面を延々と切断し続けている。

 こんな事なら鞘ごとぶちこめば良かったと舌打ちするあなたは愛剣を戻し、今度は鞘付きのダーインスレイヴを思い切り壁に突き立てた。

 

 今度こそ嫌な手ごたえと共に、あなたの腕と魔剣の刀身に極めて強い負荷がかかる。

 だがそれはあなたの目論見が成功しつつある証左でもあるし、あなたの腕もダーインスレイヴもこの程度で圧し折れるほど柔ではない。

 ゴリゴリと壁を破砕する過程で火花が飛び散り、あなたの顔が微かに照らされる。

 普段のものとも戦いを楽しんだり物欲に支配されている時とも異なる、こういった如何にもなシチュエーションを楽しむ心。ハプニングやイレギュラーに心躍らせる姿。どれだけの年月を経ても、人間性が変質しても変わらない、あなたの冒険者としての本質の発露。少年のように純粋で楽しげな表情が。

 

「――――」

 

 そんなあなたをウィズが羨望の瞳で見つめている事など、当然あなたは気付かない。

 というか実際それどころではなかった。まだまだ落下の勢いは強いというのに、下方に微かな光が灯っているのを見てしまったからだ。このままではあなたとウィズはともかくゆんゆんが軽く死ねる。地面に叩き付けたトマトみたいな姿になる。

 ウィズに下方に向けて風魔法を使うよう指示し、今度は壁に爪先を突き刺して踏み付ける。良い子も悪い子も真似をしてはいけない。

 強い衝撃。常人であれば一瞬で下半身が千切れるほどの負荷と引き換えに落下速度が更に大きく減少。

 最終的に、あなた達は地面から10メートル余という本当にギリギリの地点で完全に静止する事に成功してみせた。

 

「い、いぎでる……じぬがどおぼっだぁ……」

 

 無事に地面に降り立ったネバーアローン。

 腰が抜けたのか四つんばいになり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているゆんゆんはまるで女神アクアのようである。

 そんな少女の顔をタオルで拭きつつ、あなたは明かりの魔法で照らされた周囲を見渡す。

 不死王に落とされたあなた達が辿り着いたのは、横幅20メートル、天井までの高さ10メートルほどの大通路のど真ん中。前後など分かるはずもないが、どちらの道も薄暗く、そして果てが見えない。

 延々と続く通路と壁には、何かしらの魔術に関係すると思わしき複雑な模様が描かれており、更に模様が放つ淡い白の魔力光が今もこの通路は生きているという事をあなた達に教えてくれている。

 

 恐らくは遺跡なのだろう。

 古代の遺跡といえばモンスターと相場が決まっているし、地上を思えば尚の事警戒が必要になる。

 

 だがあなた達が降り立ったのは、ぐずるゆんゆんの泣き声以外は何も聞こえてこない、とても静かな場所だった。

 闇や瘴気が感じられなければ、地上に満ちていたアンデッドの怨嗟の声すら聞こえてこない。

 あなた達以外の気配も無い。

 相当に長期間放置されていたのか、埃っぽい空気は淀んでおり、すえた臭いを発していた。

 神聖さすら感じる静謐に支配された、しかし同時に死の気配を身近に感じる、まるで厳かな墓所のような場所だ。

 

 頭上にはあなた達が通ってきた穴が開いているが、どれほど落ち続けてきたのか、赤い空は見えない。あるいは既に穴は閉じているのか。

 そして少なくともこの穴を通って地上に戻れと言われたら、あなたも勘弁してほしいと素で即答する程度には長い時間と距離を落ちている。帰還は他の地上に続く道を見つける必要があるだろう。存在するかは不明だが。

 ドッカンターボなクソバカ肩車飛行魔法は冗談抜きに前方にしか飛べないので圧倒的に却下である。

 寝そべった状態で発動すればあるいはといったところだが、あなたは壁に熱い抱擁で擂り下ろされながら上昇し続けるのは本当に本当の最終手段としてしか選びたくなかった。

 

「…………」

 

 穴に飛び込んだあなたやゆんゆんとは異なり、三人の中で唯一正式にこの場に招かれたウィズは、床や壁の模様を触れて調査している。

 あなたが何か発見があったかと問いかけるも、彼女は首を横に振った。

 

「まだ術式と機構が生きているのは間違いないのですが、見た事が無い記述ばかりで具体的な内容についてはなんとも。ただとてつもなく古い遺跡ですよ、ここ」

 

 ノイズより更に過去の文明の遺跡だろうとウィズは推測していた。

 普通に考えれば件の不死王が暴れていた時代の遺跡という事になる。

 だが不死王の居城と判断するのは早計が過ぎるというものだろう。

 気配も雰囲気も地上とは正反対であるこの遺跡は、むしろ不死王を封じる為に作られたかのようにあなたには思えた。

 

「あくまでも私見に過ぎないという事を念頭に置いてほしいのですが、人類と魔族双方の魔法技術が用いられている可能性があります」

 

 魔王軍幹部であるウィズは、魔王城に収められた魔道書や文献を読み漁った事があるのだという。

 好奇心と探究心の赴くまま、果ては禁書庫にまで足を踏み入れたらしい。無論幹部といえどそこまでの信頼を得ているわけではないので、魔王をはじめとした他の者には内緒でこっそりと。各種魔法を使って自身の痕跡を隠蔽しながら。

 この事から分かるように、ウィズは魔王軍が相手だとかなりアグレッシブかつ遠慮無しに行動する。

 なんちゃって幹部と自称するように、リッチーになっても当人の意識は人類側に偏っているので、これに関しては当然といったところだろう。

 

 その後は三人で軽く話し合い、魔力が流れている側の通路を進む事になった。あなたには分からないが、ウィズは不死王の気配と思わしきものを感じ取っているらしい。

 ライトの範囲外、微かに照らされた薄暗闇に注意を払いながら、呼吸音と足音だけが聞こえる道を歩き続ける。

 時に直線、時に十字路、時に曲線と迷路のような道をマッピングしながら、ウィズに先導されつつ進む。

 

 罠は無い。

 そして敵も出てこない。

 無人の遺跡。

 

 ウィズとゆんゆんが張り詰めた弦の如き緊張感で歩を進める中、あなたは不死王について考えと期待を巡らせていた。

 この先に何が待っているのだろう、と。

 

 ウィズの手前あえて黙っているが、同族への粘ついた執着やそこらの不死者への雑すぎる対応から見るに、件の不死王はあなた達イルヴァの廃人に悪い意味で近しい精神性を有している事があなたには分かる。

 あなたも外付け良心と出会っていなければ似たようなものだ。

 だが不死王はウィズとの会話でその性格や善性を多少なりとも理解し、その上で興味と好感を抱いてここに招き入れた。やり方は問答無用のボッシュートだったが。

 さらにこうも言っている。存分に楽しんでから来てほしい、と。

 

 まさかボッシュートや退屈な迷路を延々と歩かせる事を皮肉ったり揶揄して言っていたわけではないだろう。仮にもウィズを客人として招いているのだから。王としての器が知れるというものだ。

 あなたはそういう事をいけしゃあしゃあとのたまうヒネためんどくさい輩は変態ロリコンストーカーフィギュアフェチな鬼畜眼鏡の友人だけでおなかいっぱいだった。

 

「……そろそろ、ですかね」

 

 終わりが見えてきたというウィズの宣言に意識を引き戻される。

 一時間近い探索の中で描いてきた、通路の詳細な地図。

 最短ルートを通ってきた関係上、あちこち抜けがあるそれはしかし明らかに魔法陣のような複雑な図形が描かれており。

 あなた達はその中央部分に足を踏み入れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 通路の最奥。その一歩手前。

 あなた達の眼前に巨大な扉が姿を現した。

 縦10メートル横20メートルと通路を完全に塞ぐ形で固く閉ざされた扉だ。

 

 厳重や執拗を通り越して妄執すら感じられるほどに厚く束ねられた鎖と、これみよがしに扉の前に浮かんでいる強固な結界魔法陣が侵入者を拒んでいた。

 よく見てみると扉の前の地面には六つの丸い窪みがあり、何かの球体をはめ込めるようになっているようだ。明らかにサイズが違うのでモンスターボールではないだろう。一応念の為にと試してみたが、やはりサイズは違うし反応も無かった。

 

「やばいです、私でも滅茶苦茶な強度の結界だって一目で分かります。これ絶対さっきのリッチーを封じてるやつですよ……」

 

 ゆんゆんが震える声でそう言った。

 

「んー……まあ、そういう事になるんですかね?」

 

 ウィズが口ごもるようにあなたに同意を求めてきた。

 否定する要素はない。あなたはとりあえず頷いておいた。

 確かにこの遺跡はそういう場所なのだろう。

 

「調べたところ、ただの純粋な封印みたいですし、とりあえず中に入りましょうか」

「えっ」

 

 ゆんゆんは物凄い勢いでウィズに顔を向けた。

 マジですか止めてくださいちょっと何言ってるか分からないです、と言わんばかりの表情だった。

 

「えいっ」

 

 微妙に気が抜ける声で杖を一振り。

 リッチーのライトオブセイバーによって全ての鎖は一瞬で切断され、結界もガラスが破砕した時のような音と共に消滅した。

 封を失った重厚な扉をあなたがいわゆるヤクザキックで乱暴に蹴破る。喧嘩の話の時間だ! コラァ!! みたいな安いチンピラ丸出しのノリである。お里が知れる行為だがあなたのお里はノースティリスなので特に問題は無い。ただあまりの躊躇いの無さにゆんゆんが!? となっていた。

 恐らく封印を解いて中に入るには世界中を巡って六つの宝玉的なアイテムを集める必要があったのだろうが、残念ながらそういうアイテムは知らないし持ち合わせてもいない。よって立ちはだかる障害は物理で破るのみである。

 

「何やってるんですかあああああ!?」

 

 通路に少女の非難の悲鳴が木霊する。

 

「大丈夫です安心してください。封印を破ったから遺跡が崩れるとかそういうのは無いです。ちゃんと調べて理解した上での行動ですから」

「いやリッチーの封印解いちゃダメですよ!? こんなの狡猾で邪悪なリッチーの罠に決まってるじゃないですか!?」

 

 あなたはゆんゆんの懸念を鼻で笑った。

 それはないと。ありえないと。

 

「なんでそう言い切れるんですか!?」

「……ゆんゆんさん、落ち着いて聞いてくださいね? 正直封印の体を為していないんです。私達には分かるんです。というかこの程度の封印すら内側から破れないような容易い相手だったら私も自分が負けるなんて絶対に言いません」

 

 敬愛する師から諭すように淡々とした口調で無慈悲な現実を突きつけられたゆんゆんの目から光が消えた。

 

 

 

 

 

 

 封印を破り、扉を開け放った先。

 そこには玉座にて退屈を持て余した不死者の王があなた達を待ち構えていた……などという事は無く。

 

 部屋中に通路と同じ複雑な模様が描かれた大広間が、がらんと静かに広がっていた。

 作った地図からして、扉の先が広間になっているというのは最初から判明していた事だ。

 そして広間の中央、魔法陣の基点には直径50センチほどの漆黒の球体が安置されていた。

 

 これまでの遺跡内部と同様、球体を封じる目的で作られたのであろう部屋の中には、呪いや闇といった負の力が一切感じられない。

 だが長い冒険者生活の中で数多の呪物を見たり手に入れてきたあなたの直感が言っている。

 

 不死王は、間違いなくこの球体の中にいると。

 

 とはいえここまであからさまでは経験も直感もあったものではない。

 この中にいなかったらどこにいるのだという話である。

 これで不死王と無関係だったらそれこそ笑えないギャグだ。

 万が一、億が一道を間違っていた、落下地点から反対の道を進むべきだった日にはあなたは本気で爆笑してバニルよろしくウィズを煽るだろう。

 

「……周囲の結界を解除するまでもなく、球体に触れるだけで不死王がいる場所に飛べると思います」

 

 ウィズはそう言っているが、あなたは念の為に球体に鑑定の魔法を使い……眉を顰めた。

 読み取れない。

 しかし抵抗されているとか無効化されているとか術の力が足りていないといった具合の手ごたえではない。

 確かに魔法は正常に効果を発揮しているのだが、読み解く事が出来ない。初めての経験だ。あなたは魔法が闇に吸い込まれているかのような錯覚を覚えた。

 

「行きましょう。間違いなく危険が待っているでしょうが……ゆんゆんさんは……」

「そりゃ行きますよ!? っていうかここに置いて行かれる方が百倍怖いし嫌ですからねいや本気で!?」

「……うん、まあ、それはそうですよね。すみません変な事を聞きました」

 

 三人の胴体を紐で結び、同時に黒の球体に触れる。

 

「いっせーの!!」

 

 掛け声と共に触れると同時、あなた達は広間から消失した。

 

 

 

 

 

 

 誰かが、あなたの体を揺らしている。

 

「――」

 

 霧がかかったかのようにおぼろげだったあなたの意識が、少しずつ鮮明になっていく。

 

「――――!」

 

 バラバラだったパズルのピースが嵌るように、少しずつ、少しずつ。

 

「――――ちょっとアンタ邪魔だよ! さっさとどいてくれ!」

 

 耳をつんざく怒鳴り声に意識が覚醒するのと同時、強く腕を引っ張られたあなたは無理矢理その場から動かされた。

 ふらつきながらも倒れることは無かったのは、ひとえに運が良かったのだろう。

 そんなあなたの横を、あなたに道を塞がれていた行商の馬車が通り過ぎていく。

 

 どうやらあなたは町の入り口に立っていたようだ。

 

「どうしたんだ、門の前でぼけーっと突っ立って。轢かれてもしらんぜ?」

 

 あなたの手を引いたと思わしき人間が、呆けた顔をするあなたに笑いかける。

 衛兵と思わしき金属製の鎧に身を包んだ――――。

 

 なんだこれは。これはなんだ。

 あなたは反射的にそう思った。

 

 人間の衛兵がいる。それは分かる。それはいい。

 衛兵は亡霊だ。それも分かる。それもいい。

 

 だが、相手の顔が見えない。視認する事が出来ない。

 目、鼻、口を含む顔面全体が黒い何かで塗り潰されている。

 

 黒い何かは闇や魔に類するものではないとあなたの直感は訴えている。

 だが完全に正体も原因も不明。未知の現象だ。

 

 あなたのすぐ傍には紐に繋がれたウィズとゆんゆんの姿がある。

 二人もまた絶句した様子で衛兵の顔面を凝視している。

 別々に転移したというわけではないようだ。

 小さく安堵したあなたが周囲を見渡してみると、町の中は非常に多くの者達が道を行き交っていた。

 

 人間がいた。

 エルフがいた。

 ドワーフがいた。

 妖精がいた。

 竜人がいた。

 竜がいた。

 魔族がいた。

 

 長年に渡って戦争を続けている人魔が、当たり前のように同じ場所で生活していた。

 人食いで知られる鬼が人間の子供相手に果物を売っていた。

 年嵩のドワーフと魔族が肩を組んで酒場から出てきていた。

 大きな鞄を背負った竜が空を飛んでいた。

 

 彼らは等しく亡霊だった。

 だがこの煌びやかな都は、間違いなく数多の種族が共存し、かつてない繁栄という名の平和を成し遂げ、謳歌している場所……理想国家とでも呼ぶべき、地上の楽園だった。

 

 そしてそんな平和の都の亡者達は、誰も彼もが等しく顔を塗り潰されていた。

 

 人類も、竜も、魔族も。

 誰一人として例外は無い。

 あなたとウィズとゆんゆん、ネバーアローンの三名を除く全ての者はノイズで塗り潰されている。

 

 亡霊達にこれといった危険は感じられない。あなたの経験と感覚は危機を訴えていない。

 だが明らかに異様であり、異常だった。

 遥か彼方から、微かに不死王の気配がする事に軽く安堵を覚えてしまう程度には。

 

「……なんて、酷い」

 

 顔を真っ青にしたウィズが弱弱しく呟き、足元をふらつかせる。

 彼女は亡霊達に起きている現象を正確に把握しているようだが、この場では言いたくないのか、あなたのアイコンタクトに対して無言で首を横に振った。

 

「おいおい、随分とお連れさんの顔色が悪いようだが大丈夫か? もしあれなら詰め所で少し休んでいくといい」

 

 心配そうに声をかけてくる衛兵の声色に他意は感じられない。

 だが何が地雷になるか分からない現状で彼らと関わり合いになるのを避けたかったあなたは、旅の疲れが出ているようなので近場で宿を探すと衛兵に礼を言うに留めた。

 

「そうか。まあここの宿に泊まればすぐ調子も良くなるだろうさ」

 

 死霊の大地の底に広がるは、無貌の亡霊が闊歩するおぞましき平和の都。

 不死王が支配する栄華の墓所にて、衛兵は朗らかに告げた。

 

「何はともあれ――旅人さん達、ようこそ千年王国へ! 沢山楽しんでいってくれよな!」

 

 魔王軍の名前すら存在しなかったほどの遥か遠い昔。

 世界を統一し、凄惨な滅びを迎えたといわれている国の名を。


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