このすば*Elona 作:hasebe
「おいおいおい、ウォルバクの奴こっちに来るぞ。……明らかにご主人を見てないか?」
燃えるような赤い髪の美女、女神ウォルバクの視界には完全にあなたしか入っていない。
それはベルディアも気付いているようだ。
「あんだけご主人を慕ってくれているウィズというものがありながら……浮気とか人として最低だぞご主人。後でウィズにチクってやろう。多分泣きそうだが……待て、ちょっとしたお茶目なジョークだからそんなとりあえず殺して黙らせるか、みたいな目で俺を見るのは止めろ。本気でやるって言うなら俺は大声で衛兵に助けを呼ぶとかして全力で抵抗する所存だぞ。絶対に旅行どころじゃなくなるがそれでもいいのか?」
ベルディアがあまりにも笑えない冗談を言い始めたので、あなたは彼を黙らせる為に軽く腹パンしておこうと思ったのだが、何故かベルディアが臨戦態勢に入ってしまった。
腹パンはともかく、流石に言っていい冗談と悪い冗談があるだろう。女神ウォルバクがそのような目でこちらを見ていないのは誰の目にも明らかだ。
そもそもあなた達は昨日ほんの数秒顔を合わせ、挨拶しただけの間柄である。あなたが一目惚れでもされていない限り、そのような事態は起こり得ない。
大体にして、あなたとウィズは友人であって恋人や夫婦ではない。何度も言うが、浮気の前提条件すら満たしていないのだ。
「というか今更ながらに気付いたんだが、この状況ってどうなんだろうな。バニルの奴も言ってたが、俺って一応対外的には死んだ事になってるわけで……やばくないか?」
確かに状況は悪いが、そればかりは相手に気付かれていない事を祈るしか無いだろう。
今のベルディアはデュラハンにも関わらず首がしっかりと繋がっているし、幹部だった時も常時鎧姿だったという話なので気付かれない可能性は十分にある。顔合わせを行った際、同じ同僚であるウィズにも気付かれていなかったのがその証拠だ。
「逃げたり変な反応したら逆に怪しまれそうだし、出来るだけ黙っておく事にするか。声で気付かれるかも分からんし、あまり俺に話は振ってくれるなよ」
そこまで言うと、ベルディアは表情をきりりと引き締めた。
今の彼は浴衣を着ているという事を差し引いても、いかにも精悍で寡黙な古強者といった印象だ。ずっとこうしていれば世の女性達が放っておかないのではないだろうか。
「……ところで意味も無く真面目な顔を続けるのって地味に疲れるかもしれん。フルフェイスの兜があればよかったんだがな。どこに目を向けてもバレないし」
隣から聞こえてきた、とても聞き覚えのある声による、小さな独り言は聞かなかった事にした。いかつい外見に言動が微妙に三枚目というのはある意味でギャップ萌えになるのだろうか。
などといったくだらない寸劇を行っている間に、女神ウォルバクはあなた達の前に辿りついていた。
幼い子供の肉が大好きな事で有名な某友人のような特殊性癖持ち以外はまず目を奪われる、ゆったりした浴衣の上からでも分かるウィズに負けず劣らずのメリハリのある豊満な肢体。そして猫科を髣髴とさせる鋭くも凛々しい美貌。
異性の目を引き、同性が羨まずにはいられないだろう女神ウォルバクは、まさに女神の名に相応しい出で立ちであった。ノースティリスでいえば風の女神によく似ている気がする。
とはいっても、あなたが真に尊敬し崇める女神はこの世界には存在しない一柱を除いて存在しない。
あなたは神という存在自体を敬ってはいるものの、それは神と敵対しない理由にはならない。
すくつには堕ちた神も多く存在し、あなたはその尽くを退けてきたのだ。
願いに応じて召喚された神々に手合わせを願ったのは一度や二度ではないし、この異世界でもそれは変わらない。自分達のように特に理由も無く暴れる無法者ではないようだが、邪神で人類の敵であれば尚更だ。剥製とカードをドロップするのならばこの場で切りかかっていたのだが。
「どうも、一日ぶりね」
そんなあなたの冷め切った内心を知る由も無い女神ウォルバクは気軽に挨拶をしてきた。
魔王軍幹部の邪神とは思えないフレンドリーさである。
とはいってもあなたの知る
そして女神ウォルバクはあなたの隣に立つベルディアにも軽く目礼するが、幸いな事に正体に気付いている様子は無い。あなたが見る限りでは完全に初対面の相手への反応だった。
彼女が一枚上手という可能性も無いわけではないが、あなたは読心能力を持っていない以上、一々そこまで考えてはキリが無いだろう。そんな神器があれば切実に手に入れたいところだ。
「ちょっと聞きたい事があってあなたを探していたのだけど、少し時間を貰っても構わないかしら?」
ベルディアがどういう事だと、訝しげにあなたを見つめてきた。
しかしあなたには相手の目的がまるで見えてこなかった。あなたと彼女が昨日初めて出会ったというのは嘘でもなんでもないのだ。
申し訳ないが連れもいる以上、ナンパはお断りさせてもらいたいのだが。
「な、ナンパ!? 違うわよ!? 全然違うからね!?」
違うようだ。
あなたの言葉に顔を赤くしてわたわたと慌てる女神ウォルバク。
ナンパでないというのなら、彼女がどんな用件であなたにコンタクトを取ってきたかが本当に不明になってしまうのだが、現在このすぐ近くには魔王軍幹部であるウィズがいる。
ここで立ち話をしていては顔を合わせてしまうだろう。
話があるのならば後で……などと考えたのがいけなかったのだろうか。
「すみませんお二人とも、お待たせしました」
両手に大きな袋を持ったウィズとゆんゆんが店から出てきてしまった。
もう少し買い物をしていてほしかったというのがあなたの偽らざる本音である。
「……ウィズ?」
「えっ?」
同僚の呼びかけにウィズは目を丸くし、ベルディアは口には出さずとも露骨にめんどくさそうに顔を歪めていた。ウィズがあまり下手な事を言わないといいのだが。
「お久しぶりです。奇遇ですね、こんな所で。けどどうして貴女がここに?」
「私はほら、ここ温泉街でしょ? だから趣味と実益を兼ねてここにいるわけだけど……そういうウィズはどうしたの? どこかの街で店でも出すとか言ってたじゃない。もしかしてここで開店してたとか?」
「お店はアクセルでやってるんですが、今はちょっと理由があって仕方なく、本っ当に仕方なくですが休業状態なんですよ……。今日はゆんゆんさんとそちらのベアさんの湯治を兼ねて遊びに来ているんです」
「……ゆんゆん?」
「はい、こちらの……ゆんゆんさん、どうされました?」
あなたがゆんゆんに目を向ければ、彼女はやけに緊張していた。
「あの……私の事、覚えてますか……? 私、その……ゆんゆんっていうんですけど……」
ゆんゆんはおっかなびっくり、そんな事を言う。
あなたとウィズとベルディアは一様に「えっ」という表情になった。
初耳である。
ゆんゆんの事なので他人の空似か軽く挨拶をして擦れ違った程度の相手かと思ったが、女神ウォルバクはゆんゆんに優しく微笑んだ。
「……覚えているわ。だいぶ前に馬車の中で一緒に旅をしないかって誘った紅魔族の子よね? ……もしかして、ゆんゆんって本名なの?」
「本名です! あの時私を誘ってくださった事、ずっと忘れてません!」
「え、そうなの?」
「はい! 日記にちゃんと書いてたまに読み返したりもしてます!」
知り合いだったのは確かだったようだが、相変わらずゆんゆんは重かった。激重だった。ウィズやあなたという友人が出来てもそれは変わらない。
彼女と付き合っていく人間は重量挙げのスキルを習得して鍛えておくべきだろう。
そしてゆんゆんの重さに慣れていない女神ウォルバクは若干引いていた。当然の結果である。
「そ、それはどうもありがとう……でいいのかしら、この場合。そこまで重く捉えなくても良かったんだけど、まあいいわ」
コホンと誤魔化すように咳払いをし、女神ウォルバクはウィズに告げる。
あなたを指差しながら。
「ウィズ、久しぶりに貴女と世間話も悪くないんだけど、私はそこの彼に用があるの。お互い同じ宿に宿泊してるみたいだし、そこの子と一緒にまた後で会いましょう?」
「……もしかしてナンパですか? すみません、彼は私の連れで今は皆で遊んでいる最中ですので、そういうのはちょっと止めてもらいたいんですが」
「だから違うわよ!? 何なのさっきから彼といい貴女といいナンパお断りナンパお断りって、彼はそんなにモテる男なの!? もしくは私がそんなに尻軽女に見えるわけ!?」
「そ、そういうわけでは……」
ウィズが気まずそうに目を逸らし、女神ウォルバクが若干恨めしげにあなたを睨んできた。
彼女はメンタルが弱いのか目に涙を浮かべている。邪神というわりにやけに常識的だった。
はてさて、どうしたものか。
相手が明確にこちらに興味を示しており、更に同僚であるウィズと出会ってしまった以上、この場ではいさようならとはいかないだろう。
「……えっと、どうしましょうか?」
考え込むあなたにウィズがそう言った。
ベルディアはあなたに任せるとばかりに腕を組んだまま沈黙を貫いている。
ウィズはどうしましょうかといったが、これは勿論「めんどくさいし、ウォルバクさんをここで始末しちゃいますか? 私も手伝いますけど」という意味のどうしましょうかではない。
ゆんゆんはウィズと友人で女神ウォルバクとも知り合いだが、彼女はウィズが、そして恐らく女神ウォルバクも魔王軍幹部である事を知らない。
魔王軍幹部である女神ウォルバクとウィズは当然顔見知りだが、ここが街中で互いが自身の正体を隠して行動している以上、それを明かすわけにはいかないだろう。というかウィズが相手の正体をバラした瞬間に相手もウィズの正体をバラす可能性が非常に高い。
そして元魔王軍幹部にして現在は存在しない事になっているベルディアの正体が女神ウォルバクにバレようものならば、魔族及び人間側にどう伝わるものか分かったものではない。
そんなわけで、あなたとウィズとベルディアの間には緊張感が漂っていた。
あなたの予想していた面倒ごととはかなり違ったが、この場で錯綜する人間関係は言葉に出来ない程度にはめんどくさい事になっている。
ゆんゆん以外に宙ぶらりんで身バレに価値が無さそうなのは異邦人であるあなたくらいのものだろう。
ウィズとゆんゆんを出会わせたりゆんゆんを慰安が必須なレベルにまで不安定にしたりベルディアを捕獲した後で間接的に殺害したりと、ある意味で諸悪の根源でもあるわけだが。
あなたは魔王軍幹部が堂々と人里で観光などしてないで前線で暴れていてもらいたいと思ったが、すぐにそれはあまりにブーメランが過ぎるものだと気付く。ブーメランが刺さる先は言わずもがな、友人であるリッチーの事である。
ともあれ、いつまでもこのまま黙って顔を突き合わせていても埒が明かないと気を引き締める。
ゆんゆんに至っては自分が何か余計な事をしてしまったのかとおろおろしているし、それに何といってもこの世界でもそういないレベルの綺麗どころが三人も一堂に会してしまっている。周囲の注目を浴びるには十分すぎる理由となっていた。
こんな状況では話せる話も話せなくなってしまう。
つもる話もあるだろうが、とりあえずこんな場所で立ち話もなんだろう、折角全員が同じ宿に泊まっている事だし、荷物を片付けるという意味合いも込めて一度宿に戻るというのはどうだろうか、というあなたの提案に全員が賛同し、あなた達は一路旅館に戻る事になった。
そして、その道中。
「あの、お姉さん。もしよかったらお名前を教えてもらってもよろしいでしょうか?」
「え? あ、あー……そういえば馬車でも名乗ってなかったわね」
ゆんゆんに気付かれないようにウィズを見やる女神ウォルバク。
ウィズはやや考えた後、若干寂しそうに笑って首を横に振った。
「私はスロウスよ。そっちの二人もよろしくね」
ゆんゆん以外はそれが偽名であると知っていたが、幹部としては無名なウィズと違い、ベルディアと同じくこの場で正直に本名を名乗るのも悪手なので妥当な所だろう。
あなたが後でこっそりウィズに聞いてみた所、二人のアイコンタクトはゆんゆんはウィズが魔王軍幹部だと知っているのか、という意味合いだったとの事である。
女神ウォルバクとベルディアはともかく、ウィズはそろそろ打ち明けた方が気が楽になると思うのだが、どうにも踏ん切りが付かないようだ。
「やっぱポチは無いよな。普通に無いわ」
最後尾でベルディアが何かをブツブツと呟いていた。
■
かつてあなたと出会う前。冒険者に成り立ての時期、ゆんゆんはめぐみんと共にアクセルに出没した悪魔を討伐した事がある。
そして彼女はその後パーティーを組んでくれる仲間を探すため、一度アクセルを発った時期があったのだという。
しかし結局どこに行っても仲間は見つからず、旅に出てから一月も経たずにめぐみんのいるアクセルに戻ってきてしまい、冬にあなたと出会うまでずっとソロで活動を続けていた。
「スロウスさんとはその時、他の街で仲間を探している最中の寄り合い馬車で出会ったんです」
そんな説明を、あなたはウィズとゆんゆんが宿泊している部屋で聞かされていた。
男一人に女三人と若干気まずいが、ベルディアは別室に退避している。疲れが取れてないから寝るというそれらしい方便で。
「スロウスさんは私にアルカンレティアに行くなら一緒にどうかって誘ってくださったんですが……私はその、アルカンレティアで魔王軍の関係者が起こした事件とか色々な事に巻き込まれて、あまりいい思い出が無かったので……スロウスさんは大丈夫でしたか?」
今回の湯治にアルカンレティアを選ばなかったのはやはり正解だったようだ。
「……まあ、温泉は良かったわね。ここに負けず劣らず。そこは認めるわ」
アルカンレティアで何も無かったとは言わなかった。そして今彼女はドリスにいる。
ゆんゆんも何かを察したようで、あなた達に深く頭を下げた。
「あの……ドリスに連れてきてくれて、本当にありがとうございました。アルカンレティアも風景は綺麗ですし、決して嫌いじゃないんですけど、その、あそこは変わった人が多いので……」
彼女の気持ちはよく分かる。
アルカンレティアはアクシズ教団の都。つまりノースティリスの癒しの女神の狂信者に近い集団の都である。間違ってもゆんゆんのような人間が近付いていい場所ではない。
「うん、ちゃんとお友達は増えたみたいね。お姉さん安心したわ」
ニコニコと微笑むウィズとアルカンレティア行きを考え始めたあなたに目を向けた後、ゆんゆんに優しい笑みを向ける女神ウォルバク。
彼女はゆんゆんのぼっちっぷりをよく知っていたようだ。
しかし友人が増えたといっても、友人の内訳は異世界人とリッチー。そして友人かどうかは不明だが最近は普通に会話をするようになったデュラハンだ。ゆんゆんがこれからもあなた達と付き合っていくのならば、更に悪魔のバニルが増える可能性すらある。
世界広しといえども、ここまで濃く無駄に戦闘力が高い集団は中々無いのではないだろうか。ゆんゆんは次代の魔王になるかもしれない。もう少し普通の人間の友人を作った方がいいと思われる。可能かどうかは別として。
「それに魔力もだいぶ上がってるみたいだし……随分と鍛え込んでるのね。あれからまだ一年も経ってない筈なのに。凄いわね、どうやったの?」
「いえ、実はほんの数日前まではレベル20ちょっとだったんです」
「数日前? じゃあ今は?」
「レベル36です。一日で上がりました」
「一日で20から36って……え、貴女普通の人よりレベルが上がるのが遅い紅魔族よね? それ大丈夫なの? 性格の悪い悪魔に魂を売るみたいな無茶してない? 魂と身体は大切にしないと駄目よ?」
昨日ウィズの過去を聞いたあなたとしては些かピンポイントすぎる発言である。
現にウィズも苦笑していたが、それはそれとして女神ウォルバクがあなたに問いかけてきたようなので首肯する。
少なくともゆんゆんの命に別状は無い。
「……命以外に別状はあるっていう意味に聞こえたんだけど、私の気のせいよね?」
あなたは目を背けた。
少なくともゆんゆんの命に別状は無い。
「ちょっと!?」
「実は私もその時の事は途中までしか覚えてなくって。気付いたらレベル36になっててビックリしました」
「明らかにマトモな手段じゃないわよね!? どういう事なの、何をやったの!?」
「だ、大丈夫ですよウォ……スロウスさん。彼が行ったのはただの養殖ですから。ただちょっと頑張りすぎたせいでゆんゆんさんが疲れちゃったようなので、こうして湯治に来たんです」
そう、あなたが行ったのはただの養殖だ。みねうち万歳。
具体的にはちょっと一つのダンジョンを根切りにする勢いでモンスターを乱獲しただけである。みねうちは最高のスキルだ。
ゆんゆんの狂気度が再度上がりかねないので黙っておくが。みねうちとクリエイトウォーターがあれば生きていける。
「あまり無茶しないようにね……?」
「ところでスロウスさんはどうして温泉に?」
「貴女と同じで湯治に来てるの。私は以前、自分の半身と戦った時に力を完全に奪いきれなくてね。本来の力を取り戻すためにこうして湯治をしているわけ。片割れが見つかれば湯治なんかしなくて済むんだけど……どこかに転がってないかしら、私の半身」
物憂げに溜息を吐く女神ウォルバクは一枚の絵画のように美しかった。
ふと気付けばゆんゆんがうずうずしていた。
今の話の何かが彼女の琴線に触れたのだろうか。
「……で、まあ昨日の深夜の事なんだけど、ここの混浴でそこの彼と出会ったの」
「混浴ですか」
「ええ、混浴よ」
ゆんゆんとウィズがあなたをジトっとした目で見つめてきた。
覗き行為に手を染めたわけではないし、何より先に温泉に入っていたのはあなたなので、二人に非難される謂れは全く無いだろう。
なのであなたは意図的に二人を意識から除外して続きを促し、女神ウォルバクはクスクスと笑って話を続ける。
「混浴で会ったっていっても、彼は私と入れ替わりでお風呂から出ちゃったんだけどね……それで、あなたは昨日、あの温泉に何をしたの?」
「何か、と言いますと?」
「私はそこそこの期間、この宿の温泉に入ってるんだけど、昨日の夜の温泉だけ明らかに何かが違ったのよ。具体的に言うと凄く体の調子が良くなったわ。髪とか肌がもう艶々でね」
ジッと見つめてみるも、あなたには先日との違いが分からなかった。
ほぼ初対面の相手なので当然なのだが。
「…………」
女神ウォルバクの言葉に触発されたのか、お風呂好きなウィズの熱視線が私も後でお願いしますとあなたを焼くが今は無視しておく。
「旅館のスタッフに話を聞いても分からないって言うし。今日だって朝起きて入ってみたんだけど……残念ながらいつも通りだったわね。だから私は昨日温泉で出会ったあなたが何かしらの手がかりを握ってるんじゃないかと踏んで探していたわけ。決してナンパじゃないの。分かった?」
若干強引な考えな気がしないでもないが、あの時温泉にいたのはあなた一人だったので彼女の言っている事も分からなくもない。
ナンパについては地味に気にしていたのだろうか。
「それじゃあ改めて聞くけど。あなたは昨日あの温泉で何があったのか知ってる?」
全く身に覚えが無い。
そう言うのは簡単だが、あなたとしても彼女の話に疑問を抱いていた。
湯船で寝過ごしていたせいで気付かなかっただけで、自分が入浴していた間に何かが起きていたのだろうか。あなたは記憶の糸を手繰り寄せる事にした。
サキュバスの群れを蹴散らし、豪華な夕食に舌鼓を打ち、ベルディアと共に温泉に入り、約束通り愛剣の手入れをして――――。
そこまで思い出してあなたは頭を抱えたくなった。
長風呂で茹った脳では中途半端にしか思い出せなかったが、今なら何があったのかを鮮明に思い出せる。
まず、温泉を堪能していた所で愛剣が自分を出せと喚いたのだ。
無論あなたも約束を忘れてはいなかったが、愛剣は刃物だ。それも大きな。
ラーナの温泉ならともかく、平和なこの地で堂々とひけらかすのは問題があると思われた。
なのでベルディアもあがり、人気が少なくなってきた所でコッソリと人目を忍ぶように愛剣を取り出し、桶で湯を掬って洗うのを繰り返していたが、やがて焦れた愛剣が自身を直接湯船に浸けろと要求してきたので温泉に浸けた。
そう、あなたは高濃度のエーテルを凝縮した愛剣を温泉に入れたのだ。
更に温泉に興奮した愛剣が湯船に盛大にエーテルをぶちまけていた。あなたは今の自分には害が無いので別にいいかと適当に放置していたが、それがいけなかったのだろう。
イルヴァの住人にとってエーテルは忌まわしい猛毒だが、それ以外の存在にとっては無害かつ非常に有益なエネルギーだ。
更にベルディア曰く、エーテルの風の中では普段よりも調子が良くなるらしい。
先ほど女神ウォルバクも愛剣が盛大にエーテルをぶち撒けた温泉に入ったら調子が良くなったと言った。
つまるところ、今回の件は完全にあなたの自業自得である可能性が極めて高かった。
「ふふっ、心当たりがあるみたいね?」
あなたとしては殆ど表情を動かさなかったのだが、あなたの表情を目敏く読みきったのか、女神ウォルバクは満足そうに頷き、ウィズがあなたの服の裾を引っ張ってきた。
「あの、後で私もその入浴剤を使っていいですか?」
ウィズは何かを盛大に勘違いしていた。
気を取り直してあなたは女神ウォルバクに向き直り、告げる。
確かに自分の持ち物が好調の原因の可能性は非常に高い。
しかしこれだけは絶対に譲渡するわけにはいかないと相手の申し出を拒否した。
「どうして? お礼なら幾らでもするけど」
スッと目を細めた女神ウォルバクに真実を突きつける。
死ぬ。
自分が死ぬ。
確実に即死する。
「死ぬの!?」
「死ぬんですか!?」
「入浴剤なのにですか!?」
三人の驚愕の叫びにあなたは神妙な顔で頷いた。だがウィズは入浴剤から少し離れてほしい。
愛剣はあなたの命に等しい武器だ。手放す事などあらゆる意味で絶対に考えられない。
心情を抜きにしても、NTRは絶対に許さない愛剣が他者の手に渡った瞬間あなたは比喩抜きで七孔噴血どころか全身が爆散して問答無用で即死する。ついでに愛剣を握った相手も死ぬ。一応他人が刀身に触るくらいは後でピカピカに磨く事を条件に許してくれるのだが、柄は完全にアウトである。これも友人達との検証で自身の屍を築き上げて判明した事だ。
上級アンデッドであるベルディアが嫌悪するレベルで厄い呪物な愛剣の話は伏せ、あなたは己の命に関わる案件なので申し訳ないが貴女の力にはなれないとハッキリ断言した。
「そこまで言われると逆に何があったのか気になるのだけど」
「あ、あの。なんとかなりませんか?」
ゆんゆんが懇願してきたが、無理なものは無理である。
愛剣は担い手であるあなたにはびっくりするほどチョロいのだが、あなた以外の他者にはハリネズミもかくやという刺々しさを見せる。エーテル製なので輝くハリネズミだ。
あなたも他者に触れられただけで発狂する愛剣の度の過ぎた潔癖さの修正を試みた事はあるのだが、その全てはやはりあなたがミンチになるという無常な結末で終わっている。
どうしてこんな子に育ってしまったのだろうと軽く嘆くも、愛剣は初対面の頃からこんな感じであった事を思い出す。どうしようもなかった。
「せめて見せてもらうだけでも駄目なのかしら? 何かしらの参考にしたいのだけど。勿論お礼はするわ」
女神ウォルバクがそう言った。
愛剣はエーテル製の生きている武器という、イルヴァに存在する数多の武器の中でもかなり異質な存在である。
だが別段存在を秘匿しているわけでは無い。危険だからあまり人前で使わないだけである。
参考になるとは思えないがあなたはそれくらいなら、とその申し出を受け入れた。見せた後、何も聞かない事を条件に。
愛剣は今も四次元ポケットに収納しているので出そうと思えばすぐに取り出せるのだが、異界の魔法である四次元ポケットの魔法を見られないようにする為、あなたは一度部屋に戻って持ってくると誤魔化して自分の部屋に戻った。
■
「お、戻ったかご主人。ウォルバクの奴はどうなった?」
自室では浴衣を肌蹴させたベルディアがマシロと仲良く酒盛りをしていた。仲良くとはいってもマシロに酒は与えていないようだが。
だらしない中年男性のような有様であるがあなたは気にせず、まだ話し合いの途中であると教え、虚空から現出した愛剣を抜く。
昨日温泉に浸けて手入れをしたせいか、心なしかいつもより輝いている気がしないでもない。
「ぶふぉっ!」
愛剣を抜いた瞬間、ベルディアが噴出した。
霧と化した度の強いアルコールの匂いがあなたの鼻を突き、テーブルの上でどこで狩ってきたのか血の滴る美味しそうな何かの肉を貪っていたマシロが不愉快そうに鳴いた。
「……殺るのか。どうせ止めても無駄だろうから俺は止めんが、頼むから死体は見つからないように処分しておけよ。せっかくこうして自由に動けるようになったのに、またお尋ね者に逆戻りとか御免だぞ俺は」
まるで人をシリアルキラーか何かのように言うのはやめてもらいたいものだ。
この世界ではまだ人間は直接的には生死不問の賞金首以外は殺していないというのに。
「なんだその滅茶苦茶引っかかる言い方……」
ベルディアの気のせいだろう。
そういう事にしておく。
それはさておき、あなたはこの間に女神ウォルバクの事について元同僚に意見を求める事にした。
「ウォルバクの事を教えろ? ……そうだな、アイツは怠惰と暴虐というあまり聞こえのよろしくない感情を司る女神なわけだが、今のウォルバクが半身を失って力を大きく落としているというのは聞いたか? それもあってウィズやバニルには遠く及ばんが、それでも神というだけあって高い魔力を持ち、様々な魔法を使いこなすぞ。爆裂魔法とかテレポートとかな」
女神の防御無視攻撃とはまさにうみみゃあを髣髴とさせる。
めぐみんと気が合いそうである。
「邪神なだけあって当然のように魔王軍の中にも信者がいるが、幹部としてのアイツのスタンスは消極的中立、といったところか。俺のように前線で積極的に戦うわけでは無いが、ウィズやバニルのように決して人間に手を出さないわけでもない。命令されれば幹部としての仕事はキッチリとこなすが、俺の知る限りそれ以上はやらないタイプだ。それ故か人間の間でもあまり有名ではないな。流石に名前くらいは知られているだろうが、こうして普通に人里に出没しても騒ぎにはならない程度にはマイナーな幹部だな」
酒が入っているからか、今日のベルディアはいやに饒舌だ。
「あと過去に存在したニホンジンの勇者と何かしら関係があったとか聞いた事があるが、俺は詳しくは知らん。バニルあたりは知ってそうだけどな」
酒の入ったグラスを呷って、これで終わりだとベルディアは話を締めた。
■
「何これ……ふざけてるの?」
「綺麗な剣だけど……凄く怖い感じがします」
「これ、本当に使って大丈夫なんですか? 封印するかお祓いしてもらった方がいいのでは……」
以上があなたの愛剣を見た各々の感想だ。あまりにも散々な物言いだった。
ちなみに上から順に真剣な表情をした女神ウォルバク、愛剣が滲ませるエーテルの燐光とプレッシャーに怯えるゆんゆん、心配そうにあなたを見つめるウィズのものである。ウィズの前で愛剣を抜いたのはこれが初めてだったりする。
《――――》
無駄に女神ウォルバクを威圧する愛剣をあなたが叩いて諌めると同時に、愛剣は借りてきた猫のように静かになった。
今の所彼女は敵ではないし、殺しても剥製をドロップしない。神殺しの必要は無いのだ。
「……それ、明らかに呪われてるわよね?」
愛剣は別に呪われてなどいないとあなたは主張した。それどころか祝福されている。
少なくとも、普通に運用する分には一切支障が無い事だけは確実である。愛剣のテンションが上がった際に眩暈がしたり派手に吐血する程度の可愛いものだ。命に別状は無い。
「魔剣よね? どう考えてもそれって担い手を選ぶタイプの魔剣よね? 道理で私に渡せない筈だわ。どこで手に入れたの?」
自分で見て調べる分には構わない。しかし見せた後は何も聞かないという約束であると、あなたは女神ウォルバクの問いを一蹴した。
「むう……」
くれぐれも柄には触らないようにと念を押し、あなたは愛剣をテーブルの上に置く。
女三人寄れば姦しいというが、彼女達は初めて見るエーテル製の武器に興味津々であった。
ゆんゆんは珍しい剣を見た、くらいの驚きだったが熟練の二人はそれはもう食い入るように探っている。
「不思議な刀身ですよね。明らかに金属ではないのに、触ってみれば信じられないほどに硬いです。どうやってこの形を維持しているんでしょうか?」
「原理としてはブレード・オブ・ウインドとかライト・オブ・セイバーに近いものだとは思うのだけど、ちゃんと質量も重量もあるのよね、これ」
「ちょっと考えられないくらいの量の気体を圧縮してるっぽいんですよね……大方剣から滲み出てるこの青い霧を固めてるんでしょうけど」
「とりあえずこの剣を作った奴の頭がおかしいっていう事だけは分かるわ」
ウィズと女神ウォルバクは暫く愛剣を小突いたり撫でたりしていたのだが、やがて愛剣は溜息を吐くかのようにエーテルを噴出させた。
「そうそうこれこれ、この感覚だわ。やっぱりこの剣が原因だったのね」
「この粒子、吸うと体が軽くなって魔力が少し回復するんですよね……回復用の高級ポーションが気化したらこんな感じになるんでしょうか。でも人工物というよりは自然の力を感じるし……」
「早朝に森林浴をした時みたいな?」
「あ、凄く分かります」
ゆんゆんとあなたを置いてけぼりで熱い議論を交わすリッチーと邪神。
正直彼女達を放置してどこかに遊びに行きたいのだが、愛剣がそれを許す事は無いだろう。
「……あの、お暇でしたらよかったらカードゲームでもしませんか?」
自身の大量の荷物の中からカードの束を取り出すゆんゆん。
「カード以外にも沢山遊び道具を持ってきてますので……」
やけに荷物が多いと思ったら、彼女が持ってきたのは着替えや旅行用の道具ではなく多種多様のゲーム用の道具だった。
わざわざ旅行にそんな大量の遊び道具を持ってこなくても、と少し呆れたものの、あなたは自身が旅行に遊び道具を沢山持っていく人間である事を思い出した。
もちろんこの場合の遊び道具とは核やラグナロクやサンドバッグといったノースティリスの冒険者御用達の遊び道具であって、ゆんゆんが持ってきたカードゲームやボードゲームの類では無い。
そしてゆんゆんはあなたの遊び相手ではある。
やる事も無いので、あなたは全身から遊んでほしいですオーラを発しているゆんゆんに付き合う事にした。
■
それから小一時間ほどが経っただろうか。
あなたとゆんゆんは、ノースティリスに存在するチェスによく似たボードゲームで遊んでいた。
しかしこの世界のチェスはノースティリスとはルールが異なっている。
「このマスにアーチャーをテレポートで」
ゆんゆんのウィザードが飛ばした駒の配置はあなたのアークプリーストとキングのどちらかが取られる、非常に上手い所を突いていた。勿論キングを取られると負けなのでアークプリーストに犠牲になってもらう。
そしてゆんゆんがアークプリーストを取った隙を突き、エレメンタルナイトのテレポートでソードマスターを突っ込ませる。が、あなたのその一手は完璧に読まれていた。
「ウィザードのボトムレス・スワンプでソードマスターを沼地に沈めます」
とまあ、このようにこのボードゲームではスキルの使用が認められている。
今ゆんゆんが使用した魔法の他にも
案の定ルールブックは凄まじい厚さであった。何でもアリの公式大会ではリアルファイトが頻繁に発生するゲームらしい。さもあらん。
何でもアリだと本当に酷い事になるので、あなた達はキングを盤外にテレポートさせる事で安全を確保するのと
始めのうちはポーカーやブラックジャックなどで遊んでいたのだが、あなたとゆんゆんでは幸運のステータスに差がありすぎてイカサマ抜きでもまともに勝負にならなかったのだ。更にゆんゆんは考えている事が顔に出やすいので駆け引きにも弱すぎる。
それでも友達と遊べてゆんゆんはとても楽しそうだったが、あなたはこのような運の介在する余地が無いゲームでゆんゆんと遊ぶ事にした。
少しでも運が介在するゲームなら九割九分あなたが勝つのだが、逆にこのチェスのようなゲームになると形勢は一気にゆんゆんに傾く。
頭の出来もそうだが、何よりもプレイヤーとしての経験値が段違いだった。
沢山遊んでますから、とはゆんゆんの談だが、言うまでもなくぼっちの彼女は一人で遊んでいたのだろう。
腕を磨くのが目的ならまだしも、一人でボードゲームで遊び続けるというのはあまりにも寂しすぎる話である。彼女の遊び相手として、今のように暇な時はいつでも付き合ってあげようとあなたはゆんゆんにボコボコに負けながらも心に決めた。リベンジを誓いながら。
「じゃあ次は……」
「お楽しみの所悪いけど、ちょっといいかしら?」
あなたの惨敗という結果でボードゲームが終わり、まだ別のゲームを引っ張り出したところで女神ウォルバクが声をかけてきた。
あなたはてっきり気が済んだか諦めたと思っていたのだが、告げられた言葉はあまりにも予想外のものであった。
「突然で悪いけど、あなた達が帰るのと同じタイミングで私もアクセルに行く事に決めたわ。よろしくね」
《s(単位)》
elonaにおけるアイテムの重量を示す単位。
elonaではアイテム毎に重量が設定されており、プレイヤーの能力とスキルに応じてアイテムを持てる限界重量が増える。
参考までに、一般的には最も重い装備であるアダマンタイト製の重層鎧の重量が27s、主人公が冬将軍に渡した斬鉄剣は1.4s、ラグナロクは4.2s、主人公が使う愛剣は5.8s、核爆弾は120sである。
《輝くハリネズミ》
近接攻撃を食らうとエーテル属性のカウンターをしてくる。
数回殴っただけでプレイヤーはエーテル病を発症する。
抗体が用意出来ない初心者には非常に厄介だが、サンドバッグに吊るして有用なエーテル病の厳選に使うプレイヤーも多い。