このすば*Elona 作:hasebe
「ああ、今日はハロウィンの日なのか」
カレンダーを見ていたベルディアが、ぽつりと独り言を言う。
そしてその言葉を聞いた瞬間、あなたは半ば反射的に臨戦態勢に入った。
ソファーの横に立てかけてあった神器を抜いてソファーの陰に隠れ、いつでも攻撃が可能なように眼光鋭く周囲を警戒するあなただったが、しばらく周囲の気配を探ってもそれらしいものは無く、ただ突然このような行動を始めたあなたを驚きの目で見つめるベルディアの姿があるばかりだった。
「ど、どうしたご主人。殺気まで出すから滅茶苦茶びっくりしたぞ。特に理由の無い暴力が飛んでくるのかと思った」
ベルディアの言葉に、あなたは自身が盛大に勘違いしていた事に思い至る。
この世界にあなたが警戒したモノは存在しない、筈だ。多分。
あなたは恥ずかしそうに頭を掻いてベルディアに謝罪した。
「よく分からんが……まあハロウィンだ。シェルター籠りだとどうにも時間があっという間に過ぎていくから困るな。最近まで夏だった気がするんだが」
あなたはベルディアが言っている事が気になったので、素直にハロウィンとは何なのかと尋ねてみた。
「ん? ご主人はハロウィンを知らんのか?」
知らないわけではない。
しかし確実にあなたの思っているハロウィンとベルディアの言っているハロウィンは別物だろう。
そして昨年の今頃は依頼で一週間ほど山に籠っていたので、あなたはこの世界のハロウィンがどういうものか知らないのだ。
しかし仮にベルディアの言う『ハロウィンの日』があなたの想像通りだった場合、あなたは本気装備を解放して核をぶっぱなす事も辞さない構えだ。それくらいには不吉な響きであった。まさに悪夢である。終末の比ではない。
「ふむん。そうだな、なんというか、ハロウィンというのは……」
「トリック・オア・トリート!」
ベルディアの発言を遮り、その日は朝から自室でゴソゴソと何かをやっていたウィズが突然大声と共に飛び出してきた。
彼女はめぐみんが愛用しているような漆黒の魔女帽を被り、髪はゆるふわな三つ編みにし、真っ黒でシックな雰囲気のローブとロングスカートを着ていた。靴下も黒でまっくろくろすけの出で立ちだ。
右手には箒、そして左手にはあなたのとてもとても見覚えのある、人の顔のような形にくり貫いたカボチャのランプを持っており、カボチャの中で蝋燭が人魂のように揺らめいていた。
あなたはそれを見た瞬間、ウィズの手にあるカボチャを渾身の力で粉砕しかけたがかろうじて自制する事に成功。神の加護に内心で盛大な感謝と祈りを捧げる。
「トリック・オア・トリート!!」
カボチャはともかくとして、ぺかーと輝く笑顔のウィズは控えめに言ってとても愛らしかった。今日もぽわぽわりっちぃは絶好調である。
しかしとりっくおあとりーととは何かの呪文だろうか。体に異変は無いので呪いなどではないようだが。もしここでウィズにポーションや酒を投げつけられていた日には、巷で温厚誠実親切で通っているあなたであっても抜刀は不可避だっただろう。
幾らウィズでも世の中にはやっていい事と悪い事があるのだ。
「ハロウィンというのは、こういうものだ」
ベルディアはそう言うがなるほど、まったく分からない。
カボチャが関連しているようだというのは辛うじて分かったが。
あなたの困惑を他所に、ベルディアは仮装したウィズを見てさも不愉快だと言わんばかりに眉を顰めた。
「しかし……ウィズはなんだってそんな格好をしてるんだみっともない。ハロウィンだ。ハロウィンなんだぞ? そこんとこ分かっているのか? お前は仮にも定職持ちのいい年した大人の癖して恥ずかしくないのか?」
「うぐぅっ!?」
そのあまりにもきっつい揶揄を受け、ウィズは胸を押さえ、体は横合いから殴りつけられたようにぐらつき床に膝をついた。
まさか斯様な凄まじい罵倒を受けるとは夢にも思っていなかった表情である。
しかしそこは歴戦の冒険者。ウィズはすぐに体勢を立て直すとベルディアに吼えた。その目尻に大きな雫を溜めながら。
「……い、言いましたね! 言うてはならん事を言いましたねベルディアさん! 人には触れちゃいけない痛みってものがあるんです! そこに触れたらあとはもう命のやり取りしか残っちゃいないんです!! 表に出てください! いいじゃないですか私がハロウィンを楽しんだって!」
「えぇ……お前は何をそんなに怒ってるんだ」
「今のどこに怒らない理由があるとでも!?」
喧嘩するのはいいのだが、ベルディアは確実に死ぬだろう。
ミンチか、消し炭か、氷漬けか、塵一つ残さず消滅させられるのか。
まあベルディアがどんな最期を遂げようとも、それはいつもの事なのであなたにとっては別にどうでもいい。そろそろハロウィンの詳細について教えてほしい。
辛辣なベルディアを見るに、ウィズはハロウィンをやってはいけないのだろうか。
「ハロウィンっていうのは腹を空かせた乞食や孤児のガキが魔族とかモンスターの仮装をして、騎士や警備の兵にトリックオアトリートって言いながら菓子を集ってくる配給日の事だ。俺も故郷の騎士団にいた頃に毎年参加したもんだ……貰った菓子をスラムに持って帰ると大人に袋叩きにされて奪われるもんだから、ガキ共は皆その場で食うんだ。足が駄目になって動けない奴や家族の為に頑張って隠して持って帰る奴もいたっけな」
遠い目をして己の過去を語るベルディア。
その一端は中々に世知辛いものであった。
「……まあ、そんな日なんだから、日ごろいい物食ってるいい年した大人がガキと同じ事をやってくれるな、普通にみっともないから。ご近所でウィズ魔法店の店主が物乞いやってたって噂されても俺は知らんぞ」
「なんでベルディアさんはそんな微妙に悪意と偏見に塗れた言い方をするんですか!? っていうか後半のくだりとかちょっと泣きそうになったじゃないですか!!」
「ん? なんだ、もしかしてこの国では違うのか?」
「全然違いますよ! 仮装してトリックオアトリートって言うのは合ってますけど!!」
憤懣やるせないとばかりに頬を膨らませるウィズが説明を始める。
「かつてこの国が成立するよりも昔、今日のこの日、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていた時代がありました。ですが同じ時期に有害な精霊や妖精、死霊も活発になるので、それらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた……というのがハロウィンの発祥と言われています」
「そもそも俺達自体がその死霊というかアンデッドなわけだが」
余計な茶々を入れるベルディアを目で制してウィズは続ける。
「その後、時代が移り行く過程で様々な伝統や文化、価値観と交じり合っていくようになり、今日では先ほどの説明のような呪術的な意味合いの風習も薄れて、極めてポピュラーで大衆的なイベントとして親しまれるようになりました。それがハロウィンです。……というわけで、凄く簡単に説明しちゃうと、今日は皆で仮装してお菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞーっていうちょっとしたパーティーの日なんです。分かりましたか? 特にベルディアさん」
「仮装して菓子を強請るイベントなら俺ので大体合っているではないか」
「ベルディアさんの言ったハロウィンはあまりにも世知辛すぎます!」
スラムだの袋叩きだのといったのはむしろノースティリスでありそうな話だ。そしてノースティリスでは物々交換や金銭でのやり取りが不可能な場合、盗むか殺して奪うのが基本なのでそういう意味では国中がスラムと言える。長年かの地で活動しているあなたでも間違っていないどころか大体合っていると思えてしまう。ノースティリスとはそういう場所だった。
「まあ、ウィズの話は分かった。俺の国とこの国のどっちがおかしいのかは分からんが、とりあえずこの国ではそうなのだな。だがわざわざそんな仮装なんぞしなくても、お前はアークウィザード、つまり魔女でおまけにリッチーなんだから素の格好のままでいいだろうに」
「私の素の格好が仮装みたいだって言いましたか?」
「誰もそんな事は言ってない」
なるほど、今日はそのような祭りだったらしい。
少なくとも自分の知るハロウィンとは大違いだとほっと一安心する。
「……あの、ところでどうですか? 私の仮装。おかしくないといいんですけど」
あなたに向き直ってウィズがそう聞いてきたので、似合っていてとても可愛いとあなたはウィズの格好を絶賛した。
本当にとても可愛い。特に仮装パーティーを心の底から楽しんでいるウィズがとても可愛い。
「そ、そうですか? ありがとうございます。えへへ……」
しかし今日がそんなイベントの日だとは全く知らなかったあなたはウィズに渡すお菓子の用意をしていない。
今から作って彼女に渡すのも若干片手落ちな感じがする。
なのでイタズラしてもらう方向でお願いする事にした。
「え? い、イタズラですか?」
果たしてウィズはどんなイタズラをしてくれる、もといしてくるのだろうか。とても楽しみだ。
先に言っておくがこれは断じてセクハラではない。仮装したウィズがとても可愛かったのでからかっているわけではない。
そういうイベントなのでこれは仕方がない事なのだ。安心して存分にイタズラしてほしい。
繰り返す。これはセクハラではない。
「うわあ……ご主人がめっちゃイイ笑顔してウィズに詰め寄っててこれは……人間の屑……。まあそれはそれとして、俺もお菓子を持ってないからイタズラの方で。勿論セクハラじゃないから勘違いするなよ」
「う、ううっ……」
少しずつ後退するウィズはやがて壁に追い詰められた。
そして仮装した彼女にイタズラしてもらうべくジリジリと詰め寄っていく、実にイイ笑顔をした大の男二人。実に犯罪的だ。
これではどちらがイタズラをする側なのか分かったものではない。
他人が見れば確実に衛兵への通報は免れないだろう。
仮にここが街中であれば正義感の強い青年が「今すぐその人から離れろ!」などとタイミング良く現れる事請け合いである。
しかしここはあなた達の家なのでそんな者の介入はありえない。不法侵入で逆に通報案件だ。
「へっへっへ……さあウィズ、観念して早く俺達にイタズラをしろ!」
「く……クリエイトウォーターッ!!」
「!? ちょ待っ、俺は流水に弱……ぬわーっ!?」
進退窮まったウィズが放った起死回生の鉄砲水は女神アクアのように家全てを洗い流しはしなかったが、あなたは着の身着のままで風呂にぶち込まれたような濡れ鼠になり、リビングは見るも無惨な水浸しになる事となる。
ついでに水流に巻き込まれたベルディアは水浸しになった部屋の片隅で無様に倒れ伏し、びくんびくんと痙攣するという瀕死の大ダメージを受けていた。終末始める前だったら多分死んでいたとは本人の弁である。
「もうハロウィンはこりごりだよーってか。悪ノリしてすみませんでした!」
ハロウィンはこりごりだという意見には盛大に賛同するが、来年は前もってお菓子を用意しておくとしよう。
ずぶ濡れになったリビングをハウスボードを使って掃除しながら、あなたはウィズを追い詰めてしまった事を深く反省するのだった。
■
その後、あなたはこの後折角のハロウィンが台無しになって滅茶苦茶落ち込んだウィズを慰める為に三人でパンプキンパイやクッキーなどのお菓子を作って配る事になった。
アクセルの街は老若男女が獣人や妖精、魔女やサキュバスといった様々な仮装をしてハロウィンを楽しんでいたわけだが、その途中で現れたゆんゆんの仮装は一際印象的であった。悪い意味で。
「と、トリックオアトリート……お菓子をくれなきゃイタズラ……イタズラします……」
「ブフォッ!?」
「ゆ、ゆんゆんさん!?」
ウィズの店の前でお菓子を配っていたあなた達だったが、ベルディアはそのあまりの格好に噴出し、ウィズが愛弟子のあまりの格好に目を剥く。
かくいうあなたも三秒ほど思考がフリーズした。
「トリックオア……や、やっぱり見ないでくださいぃ……」
「あーダメダメエッチすぎます。……いや、冗談抜きでな?」
言葉とは裏腹に、ゆんゆんの仮装にベルディアはドン引きしていた。
彼にとっては紅魔族の子供でしかないゆんゆんは性的な目で見る対象ではないからだろう。
あなたも同様だ。しかしウィズがこんな格好をしていた日には即座に自宅に叩き込んで強制的に他の仮装に着替えさせる所である。彼女がこんな破廉恥な格好をするとは思えないが。
「お前さあ、超振動戦乙女の仮装でイタズラしちゃうぞーとかさ……駄目だろ、もう露骨に犯罪っていうか路地裏に連れ込まれてアレコレされても文句言えないレベルだろこれは。そういう趣味だったのか? なんだかんだ言ってもやっぱりお前も紅魔族だったんだな。すまんがそのセンスは俺みたいなのには付いていけないようだ。正直やり過ぎでドン引きだぞ」
「ち、違うんです! これはめぐみんが仮装で勝負って言うから! 私は別に痴女というわけでは!」
「頼むから俺の半径2メートル以内に近寄ってくれるなよ。露出癖が感染する」
「そんな酷いっ!? っていうか感染なんかしませんし露出狂の変態でもありませんから!」
「鏡で自分の姿を見た後にもっかい同じ台詞を言えたら1メートル95センチまで許可してやらんでもない」
「たった5センチだけ!?」
今日のベルディアは実にキレッキレである。
しかし超振動戦乙女という、尋常ではなく露出度の高い、ほとんど下着か水着だろうというビキニアーマーの仮装をしたゆんゆんは実際に凄まじく衆目を集めてしまっており、耳まで真っ赤になっていた。恥ずかしがりながら手で胸や股間を隠されると最早エロ本の表紙であり犯罪臭が天元突破である。
もしかしてゆんゆんはお色気担当だったのだろうかとあなたは首を傾げる。
普段の服装も地味に露出度が高めだが、しかしここまでいくとお色気を通り越してエロとかヨゴレ担当ではないのか。
衣装についてはどうやら勝負の名目でめぐみんに上手く乗せられて着てしまったようだ。流石のぐうの音も出ないチョロQっぷりである。
「あの、ゆんゆんさん。家に私のお古のローブがありますからそれを着ませんか?」
「それだとめぐみんとの勝負が……」
「勝負の前にこのままだと貞操の危機ですよ……」
ごもっともである。
幾らアクセルの治安が良いといっても限度というものがあるだろう。
「なあご主人。ローブの中であんな格好をしてると思うと逆に卑猥になると思わんか?」
ベルディアの言は些かどうかと思うが、同意せざるを得ない。
超振動戦乙女は遥か昔、魔道大国ノイズでデストロイヤーが製造される少し前に実在した、ノイズ産の装備を身に纏った勇者らしいが、確かに勇者である。
ゆんゆんもそうだが、人前であんな格好をする勇気そのものが勇者の名に相応しいと言えるだろう。
あなたが感動とも呆れともつかない感情でゆんゆんを見つめていると、視界の端で下手人がこそこそと隠れているのを発見した。
「うわあ……凄い格好してるわね、めぐみんの友達の子。超振動戦乙女のコスプレとか私初めて見たんですけど」
「あんな痴女の知り合いだと思われたくないので他人のフリしときましょう」
「友達にあんな格好させといてお前は悪魔か。……それはそれとしてもうちょっと近づこうぜ。いや、別に深い理由があるわけじゃないけど」
「勘違いしているようなので言っておきますが、確かに私は仮装で勝負とは言いました。ですがあんな無駄に卑猥な格好をしろとは一言も言ってません。あの格好を選んだのはゆんゆん本人です。何考えてるんですかあのアホは。それとカズマ、視姦するならゆんゆんじゃなくてダクネスにしてください」
「いい……アレは凄くいいな……私もあんな格好をしてくるべきだったか……!」
女神アクアはカボチャの意匠のスカートと上着、カズマ少年は狼男、ダクネスはゆんゆんほどではないが臍出しの露出度が高めの鎧で仮装していた。
そして親友を辱める一方、当のめぐみん本人はいたって健全な、水色と白を基調としたお嬢様のような仮装をしている。確か不思議の国のアリス、だっただろうか。その童話の主人公であるアリスがしている格好によく似ている。小さな背丈も相まってまるで人形のように可愛らしく、とてもよく似合っていた。
女神アクア達と共にお菓子を強請りに来たようだが、まるでノースティリスの友人達を彷彿とさせる梯子の外しっぷりに思わず笑みが零れた。
流石のぐうの音も出ない畜生っぷりである。だがそれがいい。
「うわ……ご主人が痴女を見てほっこりしてやがる」
「ゆんゆんさん、早く私の部屋に行って着替えましょう! あの人にこんな格好を見せちゃ駄目です!」
「あの人、ねえ。嫉妬か? 年下の弟子に嫉妬とか卑しいなあオイ。この卑し系店主め」
「ちちち違いますよ!? 私はあくまでもゆんゆんさんの、友達の為を思ってですね!?」
「はいはい友の為友の為」
などと賑やかなやり取りをしている最中に、それは起こった。
《――――緊急クエスト! 緊急クエスト!》
街中にルナの声が響き渡る。
広域放送まで使うとは、冒険者ギルドが催すイベントの一環、あるいはイタズラだろうか。
あなた達のそんな暢気な考えを、ルナは無常にも一閃で切り捨てた。
《特別指定モンスター、ジャック・ザ・リッパーが出現しました! 街の中の冒険者の皆さんは至急お菓子を持って正門前に集まってください! 繰り返します。特別指定モンスター、ジャック・ザ・リッパーが――――》
祭の日の突然のモンスターの襲撃に街中でざわめきが巻き起こった。
特にウィズを含む女性陣の顔の強張りようは尋常ではない。
ジャックの習性を知っていればそれも当然だろうとあなたは一人納得する。
「……あの、どうか気を付けてくださいね。ジャックはその……アレですから……」
そして何かに怯えるかのような瞳を浮かべながらあなたを見送るウィズに、あなたは絶対に大丈夫なので心配しないで待っていてほしいと笑いかけて告げるのだった。
■
特別指定モンスター、ジャック・ザ・リッパー。
冒険者の間では切り裂きジャックとも呼ばれるそれは、全長二メートルほどの巨大カボチャの頭部にドクロをあしらった大きな海賊帽を乗せ、見る者全てに死の恐怖を植えつける全長六メートル、刃渡り五メートルの巨大な大鎌で武装した大型のモンスターである。
「YO-HO-!」
アクセルの街の正門の前で奇声を発し、ゴーストのように宙に浮いているジャックのカボチャ頭の下は足の先まで全身がスッポリとボロボロの黒の外套で覆われていた。
外套の腰の箇所には蒼く揺らめくランタンが吊り下げられており、ランタンの中にはまるで人魂が中に入っているかのようだ。
大鎌を持つ手は人間の骨に酷似している。
足は見えないのだが、外套の中身はどうなっているのだろう。
そんなジャックに相対するのは駆け出し冒険者の街、アクセルの冒険者達。
全身から緊張感を漂わせる彼らは皆一様に完全武装……しているわけではなく、先ほどまでと同様に様々な仮装のまま、しかし武器や防具ではなく両手一杯に菓子を抱えていた。
更に冒険者の後方にはギルド職員が引いてきた台車がいくつも並んでおり、これまた多種多様の菓子が山積みになっている。まるで街中のお菓子をかき集めてきたかのような有様だ。
例外は神器で武装したあなただけである。
「YO-HO-! YO-HO-!!」
そして冒険者達が掻き集めてきた菓子を嬉しそうに次々と平らげていくジャック・ザ・リッパー。
あなたとしてはさっさと襲い掛かりたいのだが、そうするにはアクセルの冒険者達が勢揃いしているこの場は狭くて仕方ない。
「……なんだこれ。お菓子パーティー?」
カズマ少年がそのあまりの異様な光景にそう言った。
どうやらカズマ少年はジャック・ザ・リッパーの事を知らなかったようだ。
「ジャック・ザ・リッパーの正しい対処法よ。ジャックはとても強欲で強いモンスターだけど、お菓子を満足するまで食べさせれば何もせずに帰ってくれるわ」
「ああ、だからお菓子持って来いってアナウンスがあったんだな。そういう所はちゃんとハロウィンなのか。でも菓子を渡さなかったり、渡しても満足しなかったらどうなるんだ?」
「そりゃハロウィンなんだからイタズラするに決まってるでしょ。ちなみに切り裂きジャックは、イタズラとしてあの大きな鎌で敵対者、あるいは満足する量の菓子を渡せなかった街の人間の服や鎧を斬るわ。体に傷一つ付けずにズタズタに切り裂くの。それも老若男女見境無しに」
「…………な、なんつう恐ろしいモンスターだ」
「カズマの言うとおりだ! なんという素晴らしい……恐ろしいモンスターなのだ!」
「おいバカ止めろ! 絶対ジャックに攻撃するなよ!」
その光景を想像してしまったのだろう。
女神アクアのあまりにもおぞましい説明に、カズマ少年だけでなく女神アクアとあなた以外の冒険者と職員全員が一歩ジャックから引き、ダクネスだけが一歩前に出た。露出の高い仮装をした冒険者の女性や、着替える暇も無く駆けつけたせいで超振動戦乙女の仮装の上にローブを一枚羽織っただけのゆんゆんに至っては早くも泣きが入っている状態だ。
なお追記事項として、どういうわけかジャックは女性の靴下を切り裂かない事で有名である。
全裸同然に衣服を切り裂いても靴下だけは絶対に手を出さないのだ。ごく一部の界隈でジャックが紳士の中の紳士と謳われる所以である。
そんなジャックはその悪辣さで各所……主に女性達から恨みを買っており、その懸賞金は四億エリスにまで及ぶ。
直接的な危険は無いにも関わらずかつての冬将軍の二倍だが、これは今を遡る事数代前、この国の王都で切り裂き案件をやらかした事が原因である。
ジャックは身分の高い人間の衣服を派手に切り刻む習性を持っている。
なので当時の国王も王妃も年若い王女も、貴族は皆丸裸にされた。女性の靴下だけを残して。
なお、魔法も結界も一刀で切り伏せる神器、斬鉄剣を手に入れた事でいよいよどうしようもなくなった現在の冬将軍の賞金は六億エリスである。ベルディア二人分だ。最早冬将軍はデストロイヤーが相手であっても余裕で破壊するだろう。また、つまらぬモノを斬ってしまった……と背中で語りながら。
「と、とりあえず骨って事はアンデッド系モンスターだよな。よし行けアクア。お前の出番だぞ」
「違うわカズマ。あれは冬将軍と同じ精霊よ。冬将軍が冬の精霊ならジャックは秋の精霊ね。残念だけどターンアンデッドは効かないわ」
「なら爆裂魔法はどうだ?」
「本気になったジャックは目にも留まらぬ速さで動くと言われています。幾ら私の爆裂魔法が最強でも、せめて誰かが足止めしてくれないと当てるのは厳しいと思います。というか下手に攻撃して裸に剥かれたくないので最終手段にしてください」
「マジか……。って精霊って事はまた日本人のイメージに引っ張られたタイプなのか?」
「途中からね。最初はごく普通のカボチャ頭の浮遊霊のような外見だったの。秋といえばハロウィン。ハロウィンといえばカボチャ。カボチャといえばジャック・オー・ランタンでしょ?」
あなたとしてはその説明だけで十分事足りていたのだが、カズマ少年は女神アクアの説明に腑に落ちないことがあったのか、彼女に疑問を投げかけた。
「そこまでは俺にも分かる。でもさあアクア。切り裂きジャックって確かイギリスで起きた連続殺人事件の犯人の事じゃなかったか? なんでカボチャなんだよ。俺もあんまり詳しく知ってるわけじゃないけど、それでも切り裂きジャックはハロウィンとは何の関係も無いだろ?」
「そこはほら、
「どんだけ適当なんだよ! 冬将軍の時といい、もっとちゃんとしろよ転生者! 確かにハロウィンはクリスマスとか正月と比べるとあんまり有名じゃないけど! っていうか今気付いたけど海賊帽とヨーホーって鳴き声、絶対千葉にある某東京なんとかランドのアトラクションにもなってる海賊の映画が元ネタだろ! あの映画の主人公の名前ジャックだし!」
「それ以上は止めなさいカズマ! アンタ消されたいの!?」
カズマ少年を諌めながら女神アクアの解説は更にヒートアップしていく。
周囲の冒険者は神託ともいえるそれに聞き入るばかりだ。
「ジャックと戦いたいのならあの大鎌に気をつけなさい。ジャックの得意技は大鎌から放たれる必殺の同時二回攻撃、その名も
「五輪雀はともかく雀返しってなんだよ雀返しって。そこは普通燕返しだろ?」
「無学ってやーねカズマ。アンタ雀が英語で何ていうか知らないの?」
「あー、なんだっけ。確か……スパロー?」
何かを察したカズマ少年の目から光が消え、乾ききった笑いをあげ始めた。
「ああはいはい、そういう事ね……ジャック、切り裂き、そんでスパローね。……バーッカじゃねえの!? 連想ゲームやってんじゃねえんだぞ!! やっぱりこの世界はどいつもこいつもバカばっかだ!」
「
「何ドヤ顔してんだよ!? 全然上手くねーから!」
周囲の人間には何一つ理解出来ない会話を繰り広げる二人だったが、いい加減あなたも我慢の限界が近付いてきた。カボチャのモンスターを相手にして手を出さないなど、あなたの常識では考えられない。
「YO-HO-!!」
勢いよく菓子を頬張りながら鎌を器用にクルクルと回して弄ぶジャックをあなたは強く睨み付け、内心の盛大な苛立ちを紛らわすかのように爪先で地面を掘りながら神器の鍔を何度も親指で持ち上げてチン、チン、と刃を鳴らす。
明らかに平時の様子ではないあなたに気圧されたのか、気付けばあなたの周囲からはベルディア以外の冒険者が離れてしまっていた。しかし今はそんな事はどうでもいいとあなたは切り捨てる。
「……なあ、ご主人、何か過去最大にイラついてるみたいだけど大丈夫か? 実はジャックに恨みでもあったりするのか? 全裸に剥かれた事があるとか?」
あなたとジャックは初対面だ。ジャックそのものに恨みなど無い。
ただジャックはカボチャのモンスターだ。それだけであなたにとってジャックは抹殺に値する相手なのである。それ以上の理由など必要無い。
……そう、ノースティリスにもカボチャのモンスター群は存在する。その最上位種の名前がハロウィンナイトメアであり、これがあなたがベルディアの言ったハロウィンという言葉に強く反応した原因だ。
そしてこのカボチャはノースティリスの冒険者に嫌いなモンスターのアンケートを取った場合確実に五指、下手をすれば三指の内に入りかねないほどの害悪枠なのだ。強いとか弱いとかではなく、ただひたすらにうざい。
勿論あなたも例に漏れずこのモンスターを蛇蝎の如く嫌っており見つけ次第問答無用で駆除している。
カボチャ達は直接的な戦闘力は低いのだが、ポーションを投擲してこちらに無理矢理飲ませてくる。このポーション投擲が非常に鬱陶しいのだ。
呪われた酒を投げて無理矢理嘔吐させる、野外で火炎瓶を投げて山火事を起こす、変異治療のポーションを投げて多大なる苦労の果てに取得した良性の変異効果を消す、呪われた変異のポーションでこちらの体を滅茶苦茶にしてくるなど、その悪行は最早枚挙に暇が無い。
更に一種を除いて皆不可視の能力を持っているので、透明な存在が見えるようになるエンチャントの装備をしていないとこれまた駆除に苦労する破目になってしまう。ノースティリスにおいて透明視のエンチャントが必須と言われる理由の大半はカボチャ駆除の為だ。
実際あなたも何度嘔吐して餓死したり拒食症になったり体を変異させられたか覚えていないほどにこのカボチャにはお世話になっている。それはこうして廃人となってからも同様である。
つまるところ、あなたのジャックへの苛立ちは私怨、あるいは八つ当たり以外の何ものでもなかった。
「あ、あの……ギルド側としましては、あまり事を荒立てないでいただけると助かるのですが……幸い、お菓子は沢山用意出来ていますし、このままジャック・ザ・リッパーには帰ってもらえれば、と……」
殺気立つあなたに近付いてきたルナが恐る恐るそう言った。
見ればベルディアや周囲の冒険者達も頻りに頷いている。
しかしそんな要求は断じてお断りである。相手は賞金首だ。つまり殺していい相手なのだ。
オマケにカボチャのモンスターとくれば殺さない理由がどこにも無い。
「あっ、ちょっと!」
他の冒険者達の存在が足枷になるのならば自分と目標が消えていなくなればいい。デストロイヤー戦であなたが学んだことだ。
ルナの制止を振り切ってあなたは菓子を食べ続けるジャックに近付き、そして。
テレポート、と小さく呟いた。
「――――HO!?」
菓子の山が消え、一瞬で自身を取り巻く景色が切り替わった事でジャックが狼狽を示す。
テレポート先はこういう時の為にあなたが選んだ、アクセルから遠く離れた異国に存在する、終わりの大地と呼ばれる無尽の荒野。
数百キロ圏内に人里は無く、ここならば何をやっても誰にも迷惑はかからないし誰にもバレはしない。
「YO-HO-!!!」
お楽しみの時間を邪魔された事であなたに向けて目を吊り上げて怒りを顕にするジャックに向かってあなたが酷薄に嗤いながら愛剣を抜き、同時にノースティリスで愛用していた全ての装備を解禁。あなたの本気を感じ取った愛剣が歓喜の雄たけびを上げてエーテルを放出する。
夕闇に煌くエーテルの大剣はまるであなたが今まで切り捨ててきた無数の命が一つに集まって形成された巨大な人魂のようだった。
■
その日の夜の食事はとても豪勢なものになった。
テーブルがオレンジ一色に染まっているが、その事を気にする者など誰もいない。
「うーん、すっごくおいひいれすー!」
食卓に並んだカボチャのパイ、カボチャのシチュー、カボチャのグラタン、カボチャのプリン、その他様々なカボチャの料理にウィズは目尻をとろんとろんに下げて堪能している。
呆れかえるほどにカボチャ尽くしな夕食だが、衣服を数箇所切り裂かれた以外は無傷だったあなたが家に持ち帰った全長二メートルほどの巨大カボチャは非常に大きく経験値を大量に含んでおり、ネットリとした甘みの強い極上の逸品で食道楽のあなたとウィズの舌を大いに満足させていた。いつぞやのキャベツも美味しかったが、これはそれ以上だ。
またまだカボチャは残っているので近隣の住民に配っても暫くはカボチャ料理が続くだろうが、幾ら食べてもまったく飽きる気がしない。流石は極上の獲物なだけはあった。
「それにしてもベルディアさんはどうしたんでしょうか? こんなに美味しいカボチャなのに絶対食べたくないだなんて。折角あなたがこんなに美味しいカボチャを採ってきてくれたのに勿体無いですよね」
あなたが激戦の末に
『……YO-HO-』
パイを口に入れると同時に、どこからか何者かの恨めしげな声が聞こえてきた気がした。
《ジャック・ザ・リッパー》
この世界の人間と日本人のイメージが混ざって出来た秋の精霊にしてカボチャ頭の高額賞金首。
性格は冬将軍と違って子供っぽくてお菓子とイタズラが大好き。
頭部のカボチャは栄養満点で経験値も豊富で、カボチャ嫌いの子供がおかわりを止められない程に美味しいらしい。
冬将軍もだが、討伐しても季節を司る精霊なので形を変えてそのうち復活する。
恐らく来世は芋とか栗の姿になると思われる。
★《パンプキン・ヘッド》
それは巨大なカボチャだ。
それは生もので出来ている。
それは食べる事が出来る。
それはとても美味しい。