このすば*Elona 作:hasebe
「あの、すみません、よく聞こえませんでした。耳が遠くなってしまったようです。申し訳ありませんがもう一度言っていただけますか?」
頭痛を耐えるように頭を抑えるルナにあなたは頷き、数秒前に放った言葉を繰り返した。
マシロの冒険者登録に来た、と。
「ええと、それは魔獣使いの方が
冒険者登録である。
ちゃんとウィズの了承も得ている。盛大に呆れられてしまったが。
「マシロというのは、やはりその、そちらの……」
頬をひくつかせたルナの目線があなたの右肩でピタリと止まる。
視線を受け、あなたが作ったマグロ肉のジャーキーを齧っていたウィズ魔法店の看板猫であるマシロが尻尾を振った。
「何故猫に冒険者登録を、と伺っても?」
それは勿論、冒険者登録を行って何かしらの職業につくと強くなるからだ。
今のマシロはただの猫なので無職である。当然ながら補正は無い。
ネギガモをはじめ、様々な生き物を狩ってレベルアップもしているであろうマシロだが、無職のままではスキルポイントを腐らせたままになってしまう。
なのでマシロの冒険者登録をしてほしい。
「三十五番の番号札をお持ちの方、三番窓口までおこしくださーい」
私の聞き間違いじゃなかったのね。
そう呟いて数秒ほど瞑目したかと思うと、ルナはニッコリと営業スマイルを浮かべてそう言った。
しかしちょっと待ってほしいとあなたは窓口の向こう側にいるルナに詰め寄る。まだあなたの話は終わっていない。
「漬け物になっている依頼や面倒ごとを率先して片付けてくれるあなたにはお世話になっていますし感謝もしています。よってこういった冷やかしも多少は大目に見ますが、最近は駆け出し冒険者の方の登録が多くてアクセルの冒険者ギルドは忙しいんですよ。そんなにお暇なのでしたらまた酒場のキッチンに立ってもらえますか? もしくは駆け出しの方に……」
ルナのとんでもない言いがかりにあなたは抗議と遺憾の意を示した。
あなたは本気だった。断じて冷やかしなどではない。本気でマシロを冒険者登録したいと思っている。
マシロを冒険者登録することの何が問題だというのか。
「逆に聞きたいんですけど、どうして問題じゃないと思うんですか」
確かにマシロは猫だ。少しヤンチャなところはあるものの、伝説の魔獣が封印された姿だったり神の化身だったり元人間の転生者だったりとかいう特別な出自を持たない、いたって普通の白猫だ。
だがどこかに遊びに行っても食事の時間になったらちゃんと帰ってくるし、躾の甲斐あってトイレも床ではなく決められた場所でするようになったし、諸々の影響で無職の子猫にもかかわらずそこらの駆け出し冒険者を一蹴できるくらい強くなった。
ルナはそんなマシロの何が不満だというのか。
「いえ、賢さや強さが問題なのではなく。……その子、猫ですよね? 猫なんですよね? 分かってます? 大丈夫ですか?」
主に頭とか頭とか頭とか。
幻聴が聞こえてきたがよくあることなのでいつもの気のせいだろうと切り捨てる。
心の底から不安げに問いかけてきたルナに勿論だと頷くあなただが、あなたは遥か彼方より来訪せし異邦人であるが故に、人前で法に触れる真似をして犯罪者落ちしないよう、しっかりと冒険者ギルドの規則を読み込んでいるのだ。
そしてノースティリスと同じく、この世界にも自分が飼っている猫や犬を冒険者にしてはいけないという規則は無い。
「そりゃあありませんよ! 普通に考えてあるわけないでしょうそんなの! 普通の人は自分が飼ってるペットを冒険者にしようとか思いませんからね! 普通の人は!」
バンバンと両手で受付台を叩くルナにやけに普通の人というのを強調してくるな、とあなたは感じた。異邦人云々を捨て置いても高レベル冒険者が普通の人なわけがないというのに。
しかしルナの意思は固いようで、問答をしていても埒があかない。あなたはマシロがどれくらい戦えるのかをマシロ本人、もとい本猫に実演してもらうことにした。
ちょうど酔っ払ってウェイトレスの尻を触ろうとしてぶん殴られた中年の冒険者がいる。彼に我が家のお猫様をけしかけて半殺しにすればルナはきっと満足してくれるだろう。
あなたがマシロの頭を撫でて声をかけると、ウィズ魔法店の看板猫はジャーキーを齧りながらあなたの肩の上で大きく伸びをした。
マシロの調子は良好。
「やめてください。何をしようとしているかは分かりませんがやめてください。ペナルティー、あるいは出禁にしますよ」
マシロをけしかけようとした瞬間、ルナが硬質な声と冷たい目であなたを諌めた。出禁は困るので人間狩りはまた別の機会にとっておこう。
役所というものはいつだって融通が利かないと相場が決まっているが、一体全体どうしたものか。
てっとり早いのは金、つまり賄賂を贈ることだが、生真面目なルナが受け取ってくれるとは到底思えない。であればお見合いのセッティングするというのはどうだろう。
酒場のアルバイトをしている時にウェイトレスから聞かされたのだが、アクセルのギルドの美人受付嬢として有名なルナはしかし浮いた話が一切無く、同期や同僚が次々と寿退職していく中自身が独り身でいることを不思議に思いつつも大変気にしているのだという。
そう、あれだけ露出度の高い衣服を身に纏っているにも関わらずルナには彼氏がいないのだ。
屋台で飲んだくれて愚痴を吐いている様をあなたも見た事がある。真面目にルナの婚活に手を貸す意思を示せば喜んでマシロを登録してくれるかもしれない。
「ねえ、いつまでも窓口の前に立たれてると邪魔なんだけど。どいてくれない?」
あなたが真剣にルナの婚活について考えていると、後ろから若干棘のある声が飛んできた。
振り返ってみれば、頑固なルナと押し問答を繰り広げるあなたに声をかけてきたのはいかにも勝気そうな金髪でツインテールの少女だ。
やけにピリピリした雰囲気を発している。鋭い目つきと硬質な声色からはまるで余裕というものが感じられない。
どこかでぶっ飛ばしたことのある人間だろうかと記憶を探るも、あなたは彼女を知らない。
金髪の少女を含め、やってきたのは十代半ばの少年と少女が二人ずつ。
安物だが新品の装備で身を包んだ四人は、その誰もがあなたが初めて見る顔ぶれだった。
数多の同業者を見てきたあなたの勘が彼らは駆け出し冒険者未満だと告げてきている。
良くも悪くもアクセルでは指折りの有名人であるあなたの事を知らない様子といい、きっと彼らは他所の街や村から冒険者登録を行う為にやってきたのだろう。
まだこちらの話は終わっていないのだが、ルナが呼んでしまったのであれば仕方がない。
先に別の職員に相談し、それでダメなら最後の手段として婚活の手伝いを提案しよう。
そう考えたあなたは四人に謝罪しつつその場を後にした。
意気込むあなたはふと冒険者登録を行う四人の少年少女を見る周囲の冒険者やルナを含むギルド職員、ウェイトレスの目が明日にでも死んでしまう者を見るような痛ましいものになっていることに気付く。当の本人達は気付いていないようだが。
自分が知らないだけで彼らは有名人だったりするのだろうか。あなたは疑問に思いながら再び手続きを済ませて呼び出しを待ち、今度は年配の男性の職員の窓口に呼ばれたのだが、職員は恐る恐る口を開いてこう言った。
「その、なんだ。相手は物知らずの駆け出しなんだから、ちょっと舐めた口利かれたからってあんまり目くじら立てるんじゃねえぞ?」
あなたは職員の言葉の意味を理解するまでに数秒を必要とし、理解すると同時に愕然とした。
なんとあなたはあの冒険者を志望している若い四人、あるいは金髪の少女をボコボコにすると思われていたのだ。
少し揉めたからと新人に喧嘩をふっかけて八つ裂きにするなどまるで性質の悪いチンピラではないか。悪質な誤解も甚だしい。あなたからしてみればこれは名誉毀損スレスレどころか若干アウト気味ですらある。
あなたはノースティリスの冒険者だが、そこまで
そもそもあの程度で機嫌を損ねるようならば、アクセルは異世界転移から一週間も経たないうちに灰塵に帰しているだろう。
あなたの切実な抗議の言葉にしかし職員は半目で答えた。
「お前さん、つい最近盛大に暴れたばっかりだろ。それこそ大立ち回りしたじゃねえか。冒険者はともかく若い女の職員まで半殺しにするとかドン引きだぞ」
納税の日、冒険者と職員数十人をみねうちで叩き潰した件が尾を引いているようだ。
あなたはチンピラではないが、収入の半分を納税しろと言われてはい分かりましたと数億エリスを差し出すほど金を余らせているわけでも心が広いわけでもない。徴税官が女だからと手心を加える理由も無い。それどころかみねうちを使っている時点でこれ以上無いくらいに手加減している。
あなたの主張に職員はそうか、そうだな……と諦め混じりに小さく独りごちた。
それはさておき、冒険者登録の件はどうなのだろう。
「登録、登録なあ。確かに猫の登録を禁止する決まりは無いが、かといって冒険者として活動できるかって言ったらまあ無理だろ。猫だし」
それを言われると辛いところである。
しかしギルドに籍を置いているだけで冒険者として活動自体はしていない者もいるわけだが。
何もマシロを人間扱いしろと言っているわけではない。ただ登録してほしいだけだ。
あなたが粘り強く交渉を続けた結果、やがて職員は渋々だがドラゴン使いや魔獣使いにおけるパートナーと冒険者を足して割った感じのものとして登録することであれば認めてくれた。
「ドラゴン使いや魔獣使いがギルドに申請する際に書かせてる契約書だ。ちゃんと読んでおけよ」
書類の内容を簡単に要約すると、冒険者、もとい冒険猫マシロが犯罪を起こしたり他人に迷惑をかけた時は飼い主であるあなたが責任を取らなければならない、というものだった。
まあこれくらいは当然だろう。猫であるマシロに責任能力は無いのだから。それにペットの不始末は飼い主の責任である。
「一応忠告しておくが、自分の飼い猫を冒険者に登録しようなんて酔狂な奴は俺は初めて見たし、前例を聞いた事も無い。頼むからカードを作れなくても文句を言ってくれるなよ?」
登録用の器具を持ち出し、神妙な顔つきで念押ししてきた職員にあなたは頷いた。
ダメで元々。その時は潔く引こう。
天球儀によく似た登録器具に相変わらずジャーキーに夢中なマシロの肉球を乗せる。
果たして、その結果は。
「出来たな、出来ちまったな……ええ……マジか……」
呆気に取られる職員からできあがったカードを受け取る。
あなたのように数値がバグっていない、正真正銘普通の冒険者カードだ。
マシロのレベルは17。ステータスは生命力、器用度、知力、敏捷性が高く、筋力と幸運は普通。魔力は低い。魔法関係の職業以外であれば何でもやれるバランスのいい能力と言えるだろう。
食事の効果はしっかりと発揮されているようだ。
「能力もだが、レベル17って、そいつ本当に猫なのか? 子供の初心者殺しとかじゃなくて?」
おかしなことを言うものである。
初心者殺しは全身が黒で覆われているモンスターで、対してマシロはその名の通り雪のような真っ白な毛皮をしているというのに。
冒険者カードにもしっかりと【種族:猫】と記載されている。
「なんだなんだ、いつからアクセルの冒険者ギルドはガキ共のデートスポットになっちまったんだ? ここはそんな生っちょろい場所じゃねえぞ?」
「おいおいダスト、そんな失礼なこと言うなよな。ああ、ウェイトレスさん? あの四人にミルクをお願いします」
騒がしさに何事かと目を向けてみれば、アクセルのギルドが誇る二大チンピラ冒険者、ダストとキースがギルドにやってきて早々先ほどの駆け出し四人に絡んでいた。
普段は二人を諌める他のパーティーメンバーはどこかに行っている。
うひゃひゃひゃゲラゲラゲラと笑い合う悪い大人のお手本としか言いようの無いチンピラ達に、金髪少女と茶髪の少年が食って掛かっていた。
「あれな、ダストとキースの奴は実はギルドの仕事でやってるんだ」
いわゆる冒険者の洗礼、というやつだろうか。
あの程度で萎縮してしまうようでは危険な冒険者などやっていけないというのであれば分からないでもない。
それにしても迫真の演技だ。あなたには二人が素でやっているようにしか見えない。
「俺もそう思う。つーか完全に素だろ。今時あんな分かりやすいチンピラ冒険者も珍しいぞ」
呆れ顔の職員にあなたは頷き、ダスト達が騒いでいる現場に足を向ける。
やってくるあなたの姿を確認した真面目に職務に励むチンピラーズはうげっ、と露骨にめんどくさそうに顔を歪め、不穏な気配を感じ取ったのか駆け出し達が一歩下がった。
「な、なんだよ。何か言いたいことでもあんのか?」
「言っとくけど俺達はだな……」
事情は理解しているので皆まで言わなくてもいいと言葉を遮り、あなたはダストとキースの前でマシロを抱えた。
駆け出し冒険者に洗礼を浴びせるというのであればここにもう一匹いるのでお願いしてもらおう。
マシロはか弱い子猫だが駆け出し冒険者だ。
「……は?」
マシロとあなたの顔を交互に見やる二人にマシロの冒険者カードを見せつける。
数秒の後、事情を理解した彼らはあなたを指差してゲラゲラと笑い出した。
「すげえ! すげえ馬鹿だ! 底抜けの馬鹿がいるぞ!!」
「冒険者て! 猫を冒険者って! バーカ! バーカ!!」
違う、そっちではない。
だが喧嘩を売るというのであれば吝かではない。あなたはチンピラではないが、所詮はあなたも彼らと同じ野蛮な冒険者なのだから。
あなたはにこり、と笑って職務に熱心なチンピラにマシロを可愛がってもらうべく解き放つ。くれぐれも怪我をさせないように言い含めて。
ギルドに二人の悲鳴が響き渡った。
■
……とまあ、このようないきさつを経て、マシロは冒険者ならぬ冒険猫になった。
無論依頼に同行させることなどしないし、ベルディアのように死線に放り込んだりもしない。マシロはこれからもウィズ魔法店の看板猫のままだ。
ちなみにマシロをけしかけたあなたは軽い罰金のペナルティと説教を食らってしまった。誰にも怪我は負わせていないし肉球でぬっこぬっこにしただけだというのに。誠に遺憾である。
夕飯前、あなたが内心の不満をぶつけるようにリビングでペンを走らせていると、蘇生明けのベルディアが風呂から上がってきた。
「今日も今日とて正気を疑う真似をしてきたらしい頭のおかしいご主人は何を書いているんだ」
失礼極まりないペットを一瞥すると、あなたは無言で封筒と大きめの郵便物が置かれたテーブルを指差した。
両方ともつい先ほど届いたものだ。
「手紙? 文通でも始めたのか?」
そう、あなたは文通相手に手紙を書いているのだ。
先日の旅行を通してあなたと文通を始めたのは紅魔族の作家あるえ、そしてアクシズ教徒の破戒僧ゼスタ。
ちなみに大きめの郵便物の送り主はあるえで、手紙はゼスタである。
ゼスタとは異教徒とはいえ狂信者同士というシンパシーから、あるえは小説の感想を書いたりネタ出しのために手紙をやり取りするようになっている。冒険者のあなたであればネタには困らない。今日のマシロのことも書くつもりだ。
ゼスタの手紙の内容自体は割と普通の狂信者的なものだったが、例によってアクシズ教の入信書が大量に同封されていたので真っ先にゴミ箱に突っ込んでおいた。スパムメールの処分にも慣れたものだ。
「ご主人はもう少しゴミ箱に優しくしてあげた方がいいと思う」
確かに、そのうちゴミ箱がアクシズ教徒になるかもしれない。
ゴミ箱が讃美歌を歌い始めた時はゴミ箱をアルカンレティアに送り付けよう。
次いであるえの郵便物だが、こちらは多数の原稿用紙と数枚のあなた宛ての私信が入っている。
「ほう、生原稿ってやつか」
紅魔族随一の(えっち)作家にして自称未来の文豪の生原稿は中々のレア物と言えるだろう。
大物作家になる予定は未定だが。
「つまり今はアマチュアということか」
身も蓋も無い言い方をするとそうなる。
素人に毛が生えた程度、と言ってしまってはあるえに失礼だが、若い彼女が書いたものは流石に世に名を残す文豪の執筆したものと比較すると拙い部分が多々あるのは事実だ。
紅魔族特有の難解で仰々しい言い回しも多く、読んでいると翻訳のための辞典が欲しくなる。
だがあるえの綴った文章からは若さ溢れる熱意が迸っているし、読んだら発狂しそうになる狂気溢れる名状しがたい絵描きやポエム書きはいたものの、あなたの友人内にこの手の物書きはいなかったので新鮮だった。
何より見知った顔や自分が登場人物になっている、いわゆるナマモノ小説というのはあなたからしてみれば非常に興味深く、読んでいて面白く感じるのだ。
同じ紅魔族であるめぐみんやゆんゆんはともかく、肝心のあなたの人間性や価値観は同じ名前の別人なのだが。
苦笑いしながらあなたは封筒に紅魔の里からアクセルまでの郵送代金を封入した。
実質無職でバイトもしていないあるえはやけに恐縮していたが、面白い小説を真っ先に読む代金と思えば安いものだし、高給取りのあなたからしてみればはした金もいいところである。
「パトロンでもやるのか? だがご主人はテレポートが使えるのだから、
ごもっともな意見だが、あなたはほとぼりが冷めるまで暫く紅魔族の里に行くつもりがなかった。
サイン会など開かれてはたまったものではない。
それに直接顔を合わせないからこそ書けるようになる感想もある。小説の内容が内容なだけに。
紅魔族英雄伝の題名が指し示すように、あるえは基本的には勧善懲悪の王道物語を執筆している。
それ故か、あるいは作者の趣味か。
作中で勇者の父親となっているあなたは色々な意味で妙にヨイショされていたりする。それどころか色眼鏡抜きで読んでも明らかに書き始めの頃よりあなたの設定や描写が盛られている。
最初は普通の凄腕冒険者だったのだが、今では亡国の王子だったり精霊に愛されていたり魔王本人と浅からぬ因縁があったり神と魔の血が混ざっていたりとなんだかよく分からないことになってきている。ちなみにめぐみんとの戦いでは相反する力を制御できずに暴走し、ゆんゆんの献身と愛情が引き起こした奇跡で正気に戻っていた。
具体的に作中のゆんゆんが何をしたかについてだが、これはあるえがアームロックを食らったことから推して知るべし。
白馬の王子さまを彷彿とさせる謎の美形描写も多く、過去編とはいえ肝心の勇者を差し置いて見事なまでの
戦闘中にいきなり邪神を封じた右腕が暴れ出して必死に静めるシーンなどその最たるものだ。
邪神がエーテル病で戦闘中に発症したと思えば現実でも似たようなことが起こり得るのが困りものだが。
■
「あの……もし良かったら私も文通をしてみたいんですけど」
夕食後、あなたとベルディアがそんなやり取りをしていたと聞かされたウィズは、あなたが書き終えた二通の手紙を見ながら言った。
あるえとならいいのではないだろうか。経験豊富なウィズであればあちらもいい刺激になりそうだ。
ゼスタは色々な意味でオススメしないが。
「いえ、そうではなくて、その……私達で……」
もじもじと気恥ずかしげに両手の人差し指を合わせるウィズにあなたは首を傾げた。
彼女の言葉の意味がよく分からなかったのだ。
「ほら、私達って文通とかやったことないじゃないですか。なのでこの機会にどうかな、と……」
確かにウィズの言う通り、あなたは彼女と
こうして同居する前もあなたは足繁くウィズ魔法店に通って店主と一緒にお茶を飲んで歓談していたのだから当たり前だが。
「だ、だって文通とかいかにも友達っぽいじゃないですか! お手紙なら普段話さないようなこととか話せるかもですし!」
「寝惚けてるのか? 目を覚ませウィズ! 頼むからしっかりしろ! お前今自分の弟子みたいなこと言ってるからな!? それにもう一度言うが、同じ屋根の下で生活してて毎日顔を合わせて話す間柄の相手と文通とか誰がどう考えてもおかしいって分かるだろ!?」
自分でもベルディアの主張が正論だと認めてしまったのか、ウィズはむすっと口をへの字に曲げてしまった。文字通りぐうの音も出ないようだ。
友人にして同居人の大変可愛らしい姿に苦笑しつつ、あなたは代案を提示してみた。
曰く、交換日記をつけるのはどうだろうかと。タイミング良くうってつけの物も仕入れている。
「いいと思います! 凄く素敵だと思います!」
あなたの提案にぺかーと眩しい笑顔を浮かべるウィズ。
ウキウキ気分のぽわぽわりっちぃを微笑ましい気分で見つめながら、あなたは懐かしさを感じていた。
およそ十数年ほど前、あなたは友人達と交換日記をやったことがある。
暇潰しがてら、あなた以外とは筆談やボディランゲージでしかコミュニケーションがとれないエヘカトル信者の友人の為にやってみようというのが事の起こりだったのだが、これがまた大惨事を引き起こした。
あなたの記憶が確かであれば、最初の一周は穏便に進んでいた筈だ。
しかし二周目から早くも不穏な空気が漂い、三周目で煽り合いが発生。
四周目になると当たり前のように文章中に罵詈雑言と流言飛語が飛び交い、そして五周目が終わる頃に神同士で戦わないという休戦協定を結んでいる神々を差し置いて
XXX年、ノースティリスは核と終末とメテオとその他諸々の炎に包まれた。
海は枯れ、地は裂け、あらゆる生命体は絶滅したかに見えたが、そんなことは日常茶飯事だった。
しかし最終的に勝者の出なかった無益な戦いは自分達以外の信徒も巻き込んでおよそ一年間続き、以後あなた達の間で交換日記は一種の
それを思えば些か不安はあるが、ウィズなら大丈夫だろう。
「交換日記ってお前ら、ちょっと自分が何歳か言ってみろ」
「もう、なんですかベルディアさん! さっきから文句ばっかり言って! そんなにやりたくないんですか、交換日記!」
「やりたくないっていうか……え、俺も混ぜるつもりだったのか。てっきりご主人とウィズが二人でやるもんだと思っていたんだが」
「当たり前じゃないですか。ベルディアさんだって一緒に住んでるお友達なんですから。仲間外れになんかしませんよ」
「…………」
ベルディアは意外な言葉を聞いたとばかりに目を丸くした。
ウィズは不思議そうに首を傾げているが、あなたには彼の気持ちが理解できた。
意識的か、無意識的か。
いつの間にかウィズの中でベルディアがただの知り合いから友人判定になっている。
元魔王軍幹部であるベルディアはかつてウィズや彼女の仲間と死闘を演じ、更に彼女がリッチーになった原因でもあるわけだが、流石に数ヶ月もの間同居したり一緒に旅行に行った相手を知り合い扱いにはできないらしい。きっとスカートの中を覗くなどのセクハラをしなくなったのが良かったのだろう。ウィズへのセクハラは即サンドバッグ行きだと宣告していたのが功を奏したのかもしれない。
「……そうか……友達な」
「ええと、どうしました?」
「い、いや、なんでもない。だが正直なところを言わせてもらうと、普通に面倒というかだな……いや、別にやらないとは言ってないからな!?」
他意の無いウィズの真っ直ぐな瞳と言葉を受け、頬をかきながら目を逸らして気の無い返事をするベルディア。
しかしどことなく嬉しそうな気配を漂わせているあたり、根っからのツンデレデュラハンだ。
もしかしたら魔王軍の幹部をやっていた時も俺はこの仕事に向いてるのかなあ、みたいなことを言っていたのかもしれない。
先日の魔術師殺しの件といい実にあざとい男だ。勘弁してほしいとあなたは真剣に思った。誰が得をするのだろう。
あなたは内心で軽く辟易しながら四冊の赤い装丁の本を持ち出した。
装丁は無地、本の中身は数百ページ全てが白紙になっている。
これは紅魔族の里で購入した魔道具だが、ひょいざぶろーの作品ではない。
繰り返す。ひょいざぶろーの作品ではない。
普通のノートを用いても良かったのだが、この本は四冊で一冊の書物になっており、どれか一冊に書き込まれた内容が残りの三冊にも書き込まれる仕組みになっている。
あまり日記同士が離れすぎると同期されないらしいが、交換日記にはうってつけの代物と言えるだろう。
「俺達だけで消費すると一冊余るな」
「ちょっと勿体無いですよね。もしよかったら他に誰か誘いますか?」
あなた達三人に混ぜるとなると、互いの交友関係の都合上、あまり選択肢は多くない。
プライベートを書くのだから尚更だ。
「普通にお前らの弟子でいいだろ。俺だって知らない仲じゃないし」
「ゆんゆんさんですか。私はバニルさんでもいいかな、と思っていたんですが」
「却下で」
俺は別に知らない奴を混ぜてもいいけど、頼むからバニルだけは勘弁してくれ、とは苦々しさを隠そうともしなかったベルディアの言である。
ベルディアとバニルは相変わらずあまり仲が良くないというか、相性が非常に悪いのだ。ベルディアがバニルに一方的に弄られている的な意味で。
そんなわけで結局四人目の共同執筆者はゆんゆんに頼むことになった。
翌日、あなたは自分たちの交換日記に誘うべく冒険者ギルドで一人寂しくトランプタワーを作って遊ぶゆんゆんに声をかけた。
彼女の親友にしてライバルであるめぐみんが称して曰く、ぼっちで構ってちゃんでゲロ甘でチョロQなゆんゆんのことなので断られる確率は低いと踏んでいたが、彼女は案の定食いついた。それはもう盛大に食いついてきた。
「み、みんなで交換日記!? やります、絶対やります! 是非ともやらせてください!」
目をキラキラと輝かせて詰め寄ってきたぼっちの少女に最後の一冊を渡して使い方を説明する。
「えへへ、交換日記、交換日記……!」
日記を受け取ったゆんゆんはそれとは別の手帳を取り出し、何かを記述し始めた。
「これですか? やりたいことノートです。私がお友達とやりたいことが沢山書いてあるんです!」
旅行とか紅魔の里の案内とか、あなたと出会ったおかげで沢山埋まったんです、とノートと交換日記を胸に掻き抱いてはにかむゆんゆん。
今は友達百人が目標なんです、と告げる幸せそうな少女にあなたはかける言葉を持ち合わせていなかった。知り合いならまだしも友達百人はハードルが高い。
■
5月○日:ベア
タイトル:記念すべきでもない一日目
『ご主人が運用テストだとかで俺達の似顔絵を描いた1ページ目は無かった事にしようそうしよう。絵じゃなくて日記書けよ。というわけで実質的には俺が一番手。キョウヤから便りが届いた。近日中にこっちに来るそうだ。やっと魔剣と交換するための神器が手に入ったらしくご主人が滅茶苦茶ご機嫌で見てて怖かった。俺は今日も今日とて一日中修行漬け。日記書いた後も修行修行修行。死ぬぅ! 死んだ。ハイハイ終末終末。そんな俺を差し置いてご主人とウィズはリビングで一緒にマシロのぬいぐるみなんか作っちゃっててイチャイチャっぷりが目に余る。もう慣れたが他人の幸せって砂利の味がする。俺の見てないところでやってほしい』
『ウィズ:止めてください違います誤解です! 確かにぬいぐるみは作りましたけどイチャイチャなんかしてません!!』
『ゆんゆん:よろしくお願いしますゆんゆんです。今回はこんな素敵な催し物に私なんかを誘ってくださって本当にありがとうございます。凄く嬉しいです。本当です。嘘じゃありません。不束者ですがよろしくお願いします。一生の思い出と宝物にします』
5月×日:ウィズ
タイトル:駆け出し冒険者の人達
『よく春は出会いと別れの季節と言いますが、今春のアクセルでは例年以上に駆け出し冒険者の方が多くデビューしているそうです。確かに私の作った回復ポーションを買っていく人は若い人が多いですし、今日も買出し中に若い冒険者のパーティーを何度か見かけました。思えば私が冒険者になったのもちょうどこの時期で、喧嘩したり買い物に苦労している姿を見ていると昔の自分のことを思い出してちょっとだけ感傷的になっちゃったり。冒険者は危険と隣り合わせの過酷な職業ですが、頑張って強くなってほしいですよね。そして回復ポーションだけじゃなくて私が仕入れたオススメの商品も買ってくださいお願いします……あんなにいい品物なのに、どうして彼以外に売れないんでしょうか……?』
『ゆんゆん:ウィズさんはまだまだ全然若いと思います!』
『ベア:そうだなウィズはわかいよなおれもそうおもう』
5月■日:ゆんゆん
タイトル:ごめんなさい
『ごめんなさい何もしていませんごめんなさい。書くことが無くてごめんなさい。昨日の夜から一日中日記に何を書こうかと悩んでいたらいつの間にか夜になってました本当にごめんなさい。次に私が書く日はもっと色んなことを書いて皆さんに楽しんでもらえるように頑張ります』
『ベア:ドンマイ。俺達を楽しませようとか気にしないでいいからさっさと寝ろ。つーかこのノートって涙(?)で濡れて滲んだ文字まで再現されるのな』
『ウィズ:ゆんゆんさん、もう少し肩の力を抜いてもいいと思いますよ?』
……とまあ、このような感じであなた達が交換日記を始めて早くも三日が経過した。
使っている道具が道具なのでおよそ普通の交換日記にはならないと踏んでいたが、蓋を開けてみれば案の定である。これは本当に交換日記と言えるのかあなたには判別がつかない。
キレッキレなベルディアはともかくとして、ウィズとゆんゆんは手探りでやっている感じがするのでこれから時間をかければもっと交換日記っぽくなっていくだろう。
そして今日はあなたが日記を書く日だ。
言いだしっぺにも関わらずゆんゆんに続いて今日は何もありませんでした、では格好がつかないが、幸いにして書くネタは決まっている。
あなたは鼻歌交じりにさらさらとペンを躍らせてタイトルを書き込んだ。
――ギルドからの依頼で駆け出し冒険者に指導を行うことになった、と。