このすば*Elona   作:hasebe

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第81話 クエスト【駆け出し冒険者への指導】

 駆け出し冒険者の指導を行うことになったあなただが、一連の始まりはオウ・ウーというアクセル北方の山脈の麓で起きた。

 約500kmにわたって連なり、標高2000m近い山々が連なった山脈の名はオウ・ウー。

 ここはかつて“紅兜”と名付けられた、小型のドラゴンならその豪腕で一撃で肉塊にする極めて巨大かつ凶悪な一撃熊の個体が率いる一撃熊の群れによって支配されていたのだが、昨年の冬、紅兜はあなたが動く直前に“銀星”と呼ばれる若い白狼と彼が率いる数千匹にも届く狼系のモンスター達によって討伐され、今は彼らによって統治されている。

 一撃熊の残党と戦いつつも、嘘か真か、人間に育てられたという銀星に率いられた仲間達はモンスターであるにも拘わらず人間を自分達の方から襲うことは無い。

 現在は冒険者ギルドも彼らを警戒しつつ、しかし刺激しないように監視するに留まっている状況だ。

 

 そんな駆け出し冒険者は立ち入り禁止となっているオウ・ウー山脈で、あなたは最近アクセルで品薄になっている各種ポーションに使う材料の採集を行っていた。

 

 樹木が鬱蒼と生い茂る深い森の中を、鍬を肩に担いでどれほど歩き続けただろうか。

 やがてあなたは木ではなく無数の竹が群生している地帯に辿り着いた。

 

 狼も近づかないここは推奨レベルが30以上なオウ・ウーの中でも一際危険な場所だと言われている。

 ふと何かを蹴飛ばしたあなたが目を下に向けてみれば、人の頭蓋骨が足に当たったようだ。

 

 

 ――瞬間、あなたはその場から飛びのいた。

 

 

 ほぼ同じタイミングであなたが直前まで立っていた場所が大爆発を起こす。

 地面を突き破り、弾丸もかくやという速度で飛び出してきたのは、全長60cmほどの円錐状の焦げ茶色の物体だ。

 

 地中から何が現れたかなど最早語るまでも無いだろう。

 そう、タケノコである。

 似たような姿と習性を持つ魔物のタケノッコーンではない。

 正真正銘、タケノコがあなたに襲い掛かってきたのだ。

 

 生命力に溢れすぎたこの世界の野菜は自身が食われまいと必死になって人間に抗い、時に襲ってくることすらあるのは周知の事実だが、タケノコもまた例外ではない。

 

 春の味覚こと食べると美味しい新鮮なタケノコはしかし音も無く地中から飛び出して人体を容易く貫く攻撃力と凶暴性を兼ね備えており、タケノコによる死者は毎年発生している。

 春季のタケノコ狩り、そして秋季のキノコ狩りといえば季節の風物詩として有名だ。

 地中から飛び出してくるタケノコや毒を発するキノコとの戦いはキャベツ狩り以上に困難を極めるが、これを疎かにしていると大惨事を引き起こすので人間も魔王軍も毎年必死に収穫に精を出している。

 キノコとタケノコは人類と魔王軍以上に互いを不倶戴天の敵と認めており、各地のキノコとタケノコの数が増えすぎるとキノコとタケノコ間で戦争が勃発してしまうのである。

 

 その名もズバリきのこたけのこ戦争。

 

 遠い昔、強大な軍事力を背景に世界の覇権を握りかけたという大国もきのこたけのこ戦争が原因で滅んだとこの国の歴史書に残っている。

 それほどの脅威であるにもかかわらず、毎年のように世界のどこかできのこたけのこ戦争は起きている。

 キノコもタケノコも繁殖力が強すぎて少し狩った程度では大差無いのだ。

 偉大な自然の猛威に矮小な者達はただ震えて嵐が過ぎ去るのを待つしかない。そう、まるでエーテルの風のように。

 

 そして今回あなたを襲ったのはただのタケノコではない。

 タケノコをデフォルメして二足歩行させた、とでもいえばいいのだろうか。

 ジャガイモの実によく似た形の丸い根を持つこれはタケノコの最上位(最高級)種、カブトタケノコだ。

 

 竜の鱗すら容易く貫くと言われているカブトタケノコは秋に採れるキノコの最上位種である冥王マツタケと並び称される超高級品だが、あなたは実物を見るのは初めてだった。

 

 伝説のタケノコにまさかこんなところでお目にかかれるとは。

 あなたは目を輝かせながら空気の壁を切り裂きながら飛来するカブトタケノコを鍬で迎撃する。

 並のタケノコやキャベツが相手であればこれで十分だっただろう。

 しかし相手はカブトタケノコ。あなたの行動は大失敗だった。

 

 ドゴン、と。

 

 まるで大砲を発射したような、およそタケノコが発してはいけない轟音が山を震わせ、あなたは竹を突き破りながら数十メートルほど後方に弾き飛ばされる。

 

 腕に伝わるビリビリとした衝撃。

 見れば鋼鉄製の鍬は一撃で粉々になっているではないか。

 

 借り物を駄目にしてしまったとあなたは小さく舌打ちした。

 知識として知ってはいたが、まさかカブトタケノコがここまで重く強いとは。

 直径60cmほどの大きさにも拘わらず、このカブトタケノコは間違いなく(マンモス)より重かった。物体の重量を加算する呪われた羽の巻物でも使ったとしか思えない重量だ。

 

 所詮は野菜が相手だと高を括っていた自身の失態に不甲斐なさを感じながら空を見上げれば、ブラックダイヤと呼称されることもあるタケノコは天高く舞い上がり、その鋭い先端から細長い雲のような白い尾を生み出しながら遥か上空を旋回している。

 相手もあなたを見逃す気はさらさら無いらしく、旋回を続けていたカブトタケノコはやがてあなたに矛先を向け、そのまま一直線に急降下してきた。

 

 その速度と重さは直撃すれば下手をすればあなたであってもタダでは済まない。

 油断と慢心を捨てたあなたは今度こそこの極上の春の珍味を収穫するべく、神器を抜いてカブトタケノコと相対するのだった……。

 

 

 

 

 

 

「なるほど、カブトタケノコが……」

 

 アクセルの冒険者ギルドの一室。

 ここまでのあなたの話を聞きながら調書をとっていたルナが神妙な顔つきで頷いた。

 

「つまり()はタケノコ狩りに失敗してああなったと。そういうわけですね?」

 

 普通に違うが。

 バッサリと切り捨てたあなたの否定の言葉に目に見えて狼狽するルナ。

 

「じゃ、じゃあ今までのあなたの話って何だったんですか?」

 

 タダの前フリである。

 それ以外の何でもない。

 

「……続きをどうぞ」

 

 美人受付嬢の視線の温度が三度ほど下がった。

 ここからが話の本番だったというのに気が早すぎである。

 なおテーブルの上には以前お世話になった嘘を見抜く魔道具が置かれているが、これはあなたが犯罪人扱いされているというわけではなく、そういう決まりなのだそうだ。

 

 便利魔道具はさておき、その後見事にカブトタケノコとの激闘を制したあなたは収穫したカブトタケノコをウィズに調理してもらおうとホクホク顔で帰ろうとしたところでオウ・ウーを治める狼系のモンスターの群れに遭遇することになる。

 人語を解さぬ彼らはあなたを襲う事無く、むしろどこかに連れて行きたい様子であった。

 

 自分のような人間に何の用だろうかと興味を抱いて彼らについていったあなただが、そうして狼達に導かれた先で全身から血を流す駆け出し冒険者の少年、そして首の無い一撃熊の死体と遭遇したのである。

 

 冒険者の年のほどは十代半ばから後半。

 傍に転がっていた革の上から薄めの鉄板を貼り付けた防具は巨大な爪で引き裂かれたようにズタズタになっており、彼が一撃熊に襲われたであろうことは容易に想像できた。

 そうして殺されかけたところで間一髪狼達に助けられたのだろうとその時のあなたは予想していたし、実際冒険者カードの討伐欄に一撃熊は記載されていなかった。

 ベルディアであれば一撃でミンチにできる程度のモンスターであっても低レベルの駆け出しにとっては死神に等しい強敵なのだ。

 

 その後あなたは後一分発見が遅れていれば女神エリスの御許に運ばれていた九割九分死体と化した少年に回復ポーションをぶっかけて応急処置だけ行い、そのままギルドに連れて帰ってきた次第である。

 

 オウ・ウー山脈が駆け出し冒険者の立ち入りを禁じているのは先の説明の通り。

 にも拘わらず山入りして無様に半死体となった彼をあなたは特に助ける理由も義理も持っていなかったが、逆に見捨てる理由も持っていなかったのであなたは善意という名の気まぐれで彼を治療し、善意でアクセルに連れて帰った。

 その結果が半死半生の冒険者を引き摺ってギルドに入った瞬間の「ああ、遂に殺りやがった……」という視線なわけで、あなたはあのまま見なかった事にするか山中に埋めておけばよかったとかなり本気で後悔したものの、結果的に彼は一命をとりとめた。

 ルナから聞いた話では彼には三人の仲間がおり、昨日から採集依頼に同行していたらしいが、あなたは彼以外の人間を見ていない。

 魔法を使ったせいで先に帰ってきてしまったのだろう。彼が囮になって仲間を逃がしたのか、仲間から見捨てられたのかは定かでは無いが、そこは他のメンバーが生きて帰ってくれば判明するだろう。

 

「……はぁ。また、ですか」

 

 あなたから事情を聞き終え、ペンを置くと同時に物憂げに溜息を吐いたルナの表情は暗い。

 価値観と文化の違いで知らないうちに迷惑をかけるか不愉快な思いをさせてしまっていたのかもしれない。ルナには申し訳ないが諦めてもらおう。

 

「ああ、いえ、すみません。あなたの事を言っているわけではないんです。今回は駆け出しの方を救助していただき本当にありがとうございました」

 

「先日もお話しましたが、今春の冒険者の登録数は例年と比較しておよそ二倍以上に膨れ上がっています。それだけならまだ良かったのですが……命を落とす駆け出しの方がそれ以上に増えているんですよ」

 

 二倍以上と言われても去年この世界に来訪したあなたにはピンとこない数値だ。

 しかし確かに最近のアクセルは若い冒険者が多く見受けられるようになった。

 ギルド側はその理由くらいは掴んでいるのだろうか。

 

「はい。ここだけの話……我々はサトウカズマさんが駆け出し冒険者達に与えている影響を非常に重く見ています」

 

 聞いてみれば、なんとも予想外の人間の名前が出てきた。

 そしてルナはカズマ少年のパーティーではなく、カズマ少年が駆け出し達に影響を与えたという。

 彼を名指しで挙げたその理由とは。

 

「御存知の通り、サトウカズマさんは冒険者になってまだ一年も経っていない新人です。ですがデストロイヤー討伐の際に指揮を執り、魔王軍の幹部を複数討伐、撃退に成功。あまりレベルが高くなく、職業が冒険者であるにもかかわらず多大な金銭、そして名誉を手に入れるという大成功を収めました。あなたやミツルギさんのように短期間で名を上げた冒険者は数多くいますが、カズマさんはその中でも極めて異例と言っていいでしょう」

 

 難しい顔で語るルナに何となく事情を察したあなただったが、黙って話の続きを促す。

 

「だからでしょうか。英雄ではない、レベルもそう高くない最弱職の冒険者に可能であれば自分でも同じように、あるいはもっと上手く一山当てられるのではないか? そう考えている人間が後を絶たないんです。特にアクセルの外からやってきた駆け出しの方はその傾向が顕著でして……」

 

 なるほど、確かにカズマ少年本人の肉体は脆弱だ。

 最近は少し逞しくなっているようだが、それでも最近まで平和な世界で生きていたという彼の身体能力はこの世界における同年代の少年少女と比較してもかなり下位に位置するだろう。ましてや彼は最弱として有名な職業、冒険者に就いている。

 そんな彼のサクセスストーリーを聞けば自分ならもっと上手くやれる、という根拠の無い自信を抱くのもおかしい話ではない。

 

 しかし彼には女神エリスからパンツを盗むほどの幸運と豊富な異界の知識を持っているし、パーティーメンバーも下界に降臨した水の女神、世界有数の火力を持った紅魔族随一の天才、爆裂魔法を食らって生還する鉄壁の騎士と各々の得意な面にだけ目を向ければ凄まじい面子が揃っている。

 幸運もさることながら、アクの強いメンバーを見事に纏め上げるリーダーシップと機転こそがカズマ少年の何よりの武器だとあなたは考えている。

 以前ダストとカズマ少年がパーティーを入れ替えたことがあったのだが、三人娘を率いたダストはたった一日で泣いて元のパーティーに戻してくれるように懇願する破目になった。カズマ少年の真似を他人ができるとは到底思えない。

 アクセルの人間であればカズマ少年を“頭のおかしい爆裂娘のパーティーのリーダー”と教えれば漏れなくああ、あの……という生暖かい反応が返ってくる。これだけで彼がいかに苦労しているか分かろうというものだが、外部からやってきた人間がそんな事情を知る筈がない。

 

 各地でパーティーのリーダーである彼の名声だけが一人歩きした結果が疲れを色濃く残したルナの溜息なのだろう。

 アクセルに籍を置く冒険者ではあるものの、言ってしまえば部外者でしかないあなたに愚痴を吐いてしまう程度には参っているようだ。

 

「オマケにそういった上昇志向が強い方達は大抵地道な下積みを嫌うといいますか……包み隠さず言ってしまうと、マナーがですね、あまり良くないんですよ。この時期が駆け出しの方への対応に追われるのは毎年のことなのですが、今年は特に忙しいんですよね……最近では納税の件もありますし。無茶をして落命する人も多いです。ギルドとしましては人が増えること自体は喜ばしいのですが……」

 

 早くレベルを上げて強くなって金や栄誉を手に入れたい、ということだろうか。

 無茶、無理、無謀は若さの特権だ。

 あなたも肉体年齢は若い部類に入るので税金の話のところでルナがじっとりとした目を向けてきたとしても、溢れる若さに任せて知らぬ存ぜぬを押し通す。

 

 なお、この世界における冒険者の死亡率が最も高くなるのはノースティリスと同じように冒険者として活動を始めた直後……ではなく、登録しておおよそ二週間から一月の間である。

 これはルーキーが冒険者活動に慣れ始めるのがだいたいこのくらいの時期と言われており、慣れの結果、敵を甘く見たり自身の力量を過信して命を落とすのだ。

 

 最近のギルドでは駆け出し関係の苦情や陳情が頻繁に届いたり揉め事が起きているらしく、職員や春以前から活動を続けている冒険者達はどうにもぴりぴりした雰囲気を発している。

 このような状況をなんとかしようとギルドも動いているようで、あなたは近日中に今年の四月以降に冒険者になった全ての人間に向けて講習会という名の指導を開くという話を聞いていたしクエスト掲示板にも案内が張られていた。

 この講習会はギルド側から駆け出しへの緊急クエスト扱いとなっており、新人の参加は義務付けられているものの、なんと参加するだけで報酬が手に入る。

 多少とはいえ金を貰いつつ経験を積めるなど贅沢にもほどがある。

 あまりの至れり尽くせりっぷりはギルドがどれほど駆け出しへの対応に手を焼いているかの裏返しか。

 

 あなたに新参のマナーや生死についての是非を問う気は無い。

 いざとなればどこまでも自身のエゴを押し通す自分にそんな資格が無い事はあなたが一番理解している。

 あなたが職員や他の冒険者に迷惑をかけるな、という旨の発言をしても笑い話にすらならない。

 

 かといって自分が拠点にしている街を荒らされるのを座して見過ごすつもりもない。主にアクセルに深い想いを抱いているウィズのために。

 駆け出しがウィズに迷惑をかけたり彼女を悲しませる前にどうにかすべきだろうと考えたあなたはルナにアクセルで活動する冒険者の一員として自分も何か手伝わせてほしいとお願いをしてみた。

 

「…………むう」

 

 腕を組み、難しい顔で瞑目するルナは何かしらの葛藤と戦っているようだった。

 

「強さ、あるいは冒険者としての腕自体は確かなのよね……誰もが認めるくらいには。一度受けた依頼はどんなものでも絶対に完遂してくれるし、最近だとゆんゆんさんの異常とも言えるレベルアップにも関わっているって話だし育成の手腕もあるみたい……人間性も基本的には温厚で善良だと思う……でも良識はあってもそれに従うかは別の話っていうのは納税の時の大暴れを見れば分かるし、肝心の常識がちょっと……いえ、かなり怪しいというか……なまじ強い分暴れ始めたら止まらない、止められないというか……」

 

 ぶつぶつとあなたに聞こえない声量で何かを呟き続けるルナだったが、彼女はやがてこう言った。

 

「私の一存では決めかねますので、少し上にかけあってみます」

 

 ……とまあ、このような経緯であなたは駆け出しへの指導員の一人として駆り出される事に相成ったわけである。

 ルナから話を持ちかけられたアクセルのギルド上層部は殆ど二つ返事であなたを指導員に任命した。

 

 だがギルドから、そして日記でこの件を知ったベルディア、ウィズ、ゆんゆんからくれぐれも駆け出し冒険者達を殺したり壊したりしないようにと厳命されてしまった。

 彼らは自分のことを何だと思っているのだろうかとあなたは思わざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 我輩はデュラハンである。名前はベルディア。

 一人称が我輩ってバニルと被るな。なんか腹が立つので止めよう。

 

「それじゃあベルディアさん、お願いしますね」

「おう、任された」

 

 ウィズに見送られながら箱詰めされたポーションを荷車で輸送する。

 アクセル各地でポーションを売っている店に注文が届いており、今日はその納品日。

 指定された納品先は冒険者ギルド。

 何に使うのかは聞かされていないが、俺には大体予想がついている。何故なら今日はご主人が駆け出し冒険者の指導と教育を行う日だからだ。

 数日前に話を聞かされた……もといご主人の書いた日記で知った瞬間、俺は飲んでいたコーヒーを盛大に噴出した。日記が汚れなかったのは運が良かったと言えるだろう。

 

 それにしても冒険者ギルドは何を考えているのやら。

 新人指導や新人教育に絶対に使ってはいけない人間をピンポイントに選び取るその嗅覚にはいっそ感動すら覚える。

 新人死導や新人脅威苦になる未来しか見えない。

 

 粛清目的か、あるいはギルドの上層部は既に魔王軍に乗っ取られているのか。

 財政難に喘ぐとある国に姿を自在に変えられる諜報部隊長のドッペルゲンガーを内政官として潜入させ、内部から更にボロボロにするという作戦は最前線で剣を振るってばかりだった俺の耳にも届いている。

 ただ肝心の人選をミスったらしく、作戦開始から三十年以上経過した今、ドッペルゲンガーが送られた国はすっかり立ち直ってしまっている。真面目に働くだけで赤字を作ることに定評のあるウィズ並にこの仕事に向いていない。馬鹿じゃなかろうか。

 

 

 

 さて、無事にギルドにポーションを納品した後、家にいてもやることが無い俺は時間を潰す目的もあって酒場で一杯やっていた。

 まだ午前中だが、俺と同じように酒をかっくらっている冒険者の姿もあちこちにあって気まずさは感じない。この店に来るのは初めてだが贔屓にしてもいいかもな。

 だが俺は別の要因で気まずさを感じていた。

 

「…………」

 

 ウィズとご主人が直々に手ほどきを行っている紅魔族の娘、ゆんゆんが柱の影から俺を覗き見しているのだ。

 ご主人やウィズほどではないにしろ知らない間柄でもあるまいし、普通に声をかけてくればいいものを。

 

(ベアさん? ベアさんだよね……挨拶した方がいいのかな……でもお酒飲んでるみたいだし私が声をかけたら迷惑かも……嫌われたらどうしよう……思えば私ベアさんと二人きりで話したことって一回も無いし……でもこのまま何も言わずに見ないフリをするのもよくないよね……でも何を話していいのか分からない……ベアさんってどんな人だったっけ……いい人だとは思うんだけどちょっと怖い雰囲気もある人だし……どうしよう、だんだん声をかけにくくなってきた……うん決めた、ベアさんが次の一杯を飲み終わったタイミングで声をかけよう……でもやっぱり……)

 

 なんだろう。凄まじい熱視線とプレッシャーを感じる。気になって酒の味が分からなくなってきた。

 仕方ないので俺の方からそれとなく手をあげて声をかけてやると、ゆんゆんは待ってましたとばかりに俺の方に近づいてきた。やけに大きな黒塗りの鞄を持っているが、何が入ってるんだ。

 

「ベアさん、おはようございます……」

「お、おう……どうした?」

「この前はつまらない日記を書いてしまって本当にごめんなさい……」

「まだ引き摺ってたのか。言っとくけどあんなの誰も気にしてないぞマジで」

 

 実際本当に気にしてないから困る。

 ご主人が書いた日記の内容とかその日の支出と収入と備考とウィズに宛てた私信だったからな。

 家計簿かよって話だ。

 

「そ、それは私の日常なんか誰も気にしていないっていう意味ですか……?」

「誰もそんなことは言ってない。……なんというかお前は辛気臭い上にめんどくさいな。そういうところは早めに直した方がいいと俺は思う」

「辛気臭い上にめんどくさい!?」

 

 大抵の奴は俺の意見に同意してくれる筈だ。

 ウィズ辺りは苦笑して言葉を濁すだろうが。

 

「……ところでベアさんはどうしてギルドにいるんですか?」

「露骨に話を変えてきたな。まあいいが。俺はちょっとウィズに頼まれた仕事をな」

 

 俺の答えにゆんゆんは目をぱちくりと瞬かせた。

 

「私てっきりベアさんってぶっころりーさんみたいな人なのかと思ってました」

「俺はそのぶっころりーとやらが何者か知らんのだが。名前からして紅魔族なのは分かるが」

「ええと……ぶっころりーさんは自主的に紅魔の里を警備するお仕事に就いている人です」

「なるほど、衛兵のようなものか」

「ニートです。無収入なので」

「…………」

 

 そんな奴と一緒にするな、とは口が裂けても言えなかった。

 客観的に見て、今の俺はご主人に養ってもらっている無収入の無職(プータロー)だからだ。

 こうして酒を飲む金も、サキュバスの店に通う金も全部ご主人に出してもらっている。

 

 やばい、死にたくなってきた。もう死んでるけど。

 

 毎日毎日毎日毎日俺がシェルターの中で倒している終末産の竜の素材を売り払えば一財産を稼ぐのは容易いが、モノがモノなだけにそうもいかない。

 何と言ってもドラゴンだ。たった終末一日分でもその素材全てが市場に流れようものならこの国どころか世界は大混乱に陥るだろう。

 改めて冷静に考えてみると、異次元から竜と巨人が無限に出現するって字面が狂ってるな。

 超笑える。

 

「笑えるかバーカ! 被害にあうのはいっつも俺だ!!」

「ど、どうしたんですか!?」

「……すまん、ついご主人のイカレっぷりについ」

「えええええ……」

 

 いやまあ、別にご主人やウィズが俺に働けって言ったことは一度も無いんだが。

 むしろご主人に到っては自分が俺の全ての面倒を見るのは当然だと考えてる節がある。問題があるとすれば俺の自尊心くらいか。……大問題だ。

 ご主人曰く仲間と書いてペットと読むらしいが、マジでペット扱いで泣ける。

 一応俺だって毎日ゴロゴロしてるわけじゃない。むしろ毎日死んでるし超頑張ってる。俺より頑張ってる奴とかどれくらいいるんだってくらい頑張ってる。

 

 だが無収入の無職であることは否定できない。

 デュラハンの俺では登録の際に本名と種族がモロバレするので冒険者にはなれないが、せめてウィズの店でバイトでもするべきだろうか。

 

「そういえば、ベアさんは冒険者登録ってしてないんですか? 私、殆ど毎日ギルドに来てるんですけどベアさんが冒険者として活動してるのを見たことが無いんですけど」

「馬鹿かお前、冒険者登録とかできるわけないだろ、常識的に考えて。確実に大騒ぎになるぞ」

 

 アンデッド云々を抜きにしても俺がどれだけの数の人間を殺してきたと思ってるんだ。

 人類と魔王軍の大規模な会戦に出た経験もあるし、千や二千じゃすまんぞ。

 

 だが不思議そうに首を傾げるゆんゆんは俺の言葉の意味が飲み込めていないようだった。

 ああ、こいつは俺の正体と本名を知らない、俺のことを普通の人間だと思ってるんだったか。

 

「詳細を話す気は無いが、俺は種族的な意味で問題があるからな」

「種族的な問題?」

「お前もウィズの事情は知ってるんだろう? アレと似たようなもんだ。これ以上は察しろ」

「そ、そうだったんですか……」

 

 この話は終わりだと酒を呷る。

 生憎俺はウィズやご主人と違って自身の素性を全て明かすほどコイツを信頼していない。

 自慢じゃないが魔王軍幹部、デュラハンのベルディアの名前が持つ意味は重い。

 それを分かっててこうして俺を懐に抱え込むご主人は器が大きいとかじゃなくて普通に頭がおかしい。

 

「…………」

 

 少し気まずい雰囲気になってしまった。

 俺はいつの間にか対面の席に座っていたゆんゆんが持っていた鞄を指差した。

 鞄の中からはジャラジャラという硬い何かがぶつかり合う音が聞こえる。

 

「なあ、さっきから気になってたんだが、お前が持ってるそのデカい鞄って何が入ってるんだ?」

「これですか? ドミノです」

「……なんで?」

「ここでやろうと思って」

「ここで!?」

 

 鞄の中身を見てみれば、確かにドミノが所狭しと入っていた。

 酒場のテーブルに座って一人黙々とドミノで遊ぶ紅魔族。

 控えめに言ってお近づきになりたくない。というか知り合いと思われたくない。

 自分の部屋でやれ。

 

「そうだ。もしよろしければベアさんもどうですか?」

「ここで!?」

 

 その後、暇を持て余していた俺は何故かゆんゆんと二人でドミノをする破目になった。

 最初は適当に付き合って終わらせようと思っていたのだが、気付けばドミノにドハマリして冒険者ギルドの端っこでテーブルを複数くっつけてドミノを並べる俺達の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

「……ベアさん、ベアさん」

「なんだ、今大事なところだから少し待て」

 

 うるさい、気が散る。一瞬の油断が命取り。

 もうちょっとでコクオーと俺が合体した禍々しくも神々しい超カッコイイ姿を再現したドミノが……。

 

「よしできた。で、何だって?」

「もうすぐ時間なんですけど……」

「時間?」

「だからベアさんが言っていたお昼ご飯の時間が……」

「……ああ、もうそんな時間か」

 

 現在時刻は昼前。

 周囲を見渡してみれば、確かにギルドのあちこちを沢山の冒険者達が占領していた。

 俺達のテーブルの近くだけ人気が無いのはドミノをやっていたせいだろう。

 

 冒険者の九割以上は駆け出しのヒヨッコばかり。

 装備は使い古しと新しい物の違いはあれ、どれも格安の量産品。

 連中が徒党を組んでも俺はおろかゆんゆんにすら手も足も出ないと思われる。

 だがどいつもこいつも未来への希望や野望に満ち溢れたいい目をしている。

 

 ああいうのを見ると若さへの羨ましさ以上に微笑ましさを感じる辺り、俺ももう年なんだろうか。

 処刑されてからの年月を考えればジジイってレベルじゃないんだが、外見年齢だけなら……とか思ってたんだがこの前おじちゃんとか言われたからな。辛い。何が辛いっておじちゃん呼ばわりが全く気にならなかったことが辛い。

 

「そういえば今日が駆け出しの人の講習会なんでしたっけ」

「ご主人が初心者の指導とか血の惨劇の予感しかしないよな」

「わ、私の時はそんなことはなかったので大丈夫だと思いますよ?」

「お前の時はウィズ(外付けセーフティ)がいただろうが。今回は枷が無いんだぞ。賭けてもいいがあの駆け出し連中は地獄を見る事になる」

 

 ゆんゆんは俺から逃げるように目を背けた。

 

「で、そのご主人はどこ行った?」

「えっと……まだ来てないみたいですね」

 

 ご主人の姿はどこにも無いが、ギルドの職員が集まった駆け出し連中に声をかけている。どうやらギルドの外に連れて行くつもりのようだ。

 

「…………」

 

 職員に案内されるヒヨッコ共を見ていると、ふと、遠い昔、まだ俺が人間の騎士だった頃の自分の最期を幻視した。

 無実の罪を着せられ、今まで護ってきた無辜の民から、仲間だと思っていた騎士達から罵倒と共に石をぶつけられながら処刑台への階段を登る俺。

 忌まわしい記憶ではあるが、あれから長い時間が経った。

 今更そんな自分の姿を見て取り乱す事は無いが、どういうわけかあの冒険者達があの時の自分とどうしても重なってしまう。

 

 ……オイオイオイ、死ぬわアイツら。

 

「本当ならこのまま帰る予定だったんだが、俺は用事ができた。飯を作って待ってるウィズにはお前から言っておいてくれ」

「そうなんですか? 分かりました。お気を付けて」

「すまんな。ドミノ、結構楽しかったぞ」

「……あ、はい! 今度はトランプタワーを持ってきますね!」

「それは普通に断る」

「ええっ!?」

 

 嫌な予感がした俺はご主人を監視することにした。

 まさか駆け出し達を殺しはしないと思うが、いざという時はウィズを呼べば何とかなるだろうと考えて。

 

 

 

 

 

 

 気配を断ってこっそりと職員と冒険者達の後ろをついていくこと暫し。

 俺達が辿り着いたのはアクセルの西門から少し離れた場所にある草原だった。

 

「申請者五十八人、全員揃っています。よろしくお願いしますね」

 

 職員から名簿を受け取ったのは、静かに佇んでいた、バケツで頭部をすっぽり覆って隠した私服姿の不審者だ。

 指導員のカードを首からぶら下げている。

 

 服装と背格好で普通に分かる。あれはご主人だ。

 駆け出しの指導を行うというのは聞いていたが、それにしたって何故バケツを被ってるんだ。しかも目に痛いショッキングピンクで塗装されたラメ入りのバケツ。

 黒のペンキでラクガキのような目と口が描かれたそれは軽くホラーで、仮装パーティーでウケ狙いに使っても滑ると断言できる代物だ。

 

「…………」

 

 異様な出で立ちの不審者に駆け出し達は一瞬で静まり返った。

 マジかよ。そんな声なき声が聞こえてくる。俺もちょうどそんな気分。

 バケツの中から聞こえてくるコーホーという謎の呼吸音を聞いていると頭がおかしくなりそうだ。

 

 怪しすぎる身内の姿に俺は全力で他人のフリをすることにした。

 アレは俺の知らない人だ。俺の同居人にあんな変態はいない。俺は何も見なかった。

 

 ……そういうことにしておきたいんだから止めてくれご主人、後生だから。わざわざ気配断ってるんだから俺の方を見るんじゃない。おい、楽しそうに手を振るな。

 気が向いたらご主人を冷やかしに行くと言っていたし、存在に気付かれること自体は想定の範囲内なんだが、普通にショッキングピンクなラメ入りバケツの変態と知り合いだと思われたくないんだよ。頼むから分かってくれ。

 幸いにして今のところ駆け出し連中は俺の存在に気付いていないが、名前を呼ばれたり声をかけられようものなら一発アウトだ。来るんじゃなかった。

 

 俺の必死の祈りが通じたのか、ご主人は俺の方に近づいてはこなかった。

 気配を断っていた俺の意図を察してくれたようだ。ほっと安堵の息を吐く。

 

「……きもっ」

「やだ、何この人怖い」

「冒険者なのか?」

「新手の魔族じゃなくて?」

 

 しかしバケツヘルムの変態にドン引きしながらも注視せざるを得ない駆け出し冒険者。

 睥睨するようにご主人が見返すと、誰も彼もが一斉に視線を逸らした。

 根性無しと言うこと無かれ。あいつらの気持ちはとてもよく分かる。かくいう俺もドン引きだ。

 

 改めて思うが、駆け出し冒険者の指導にご主人を選んだアンポンタンはどこのどいつだ。

 

 確かにご主人は強い。べらぼうに強い。

 もうご主人だけでいいんじゃないかなっていう強さであることは俺も認めよう。

 だが同時に人として捨ててはいけない大事な何かを明後日の方向に全力で投げ捨てていることも確かなのだ。ご主人に面倒見てもらってる俺が言うんだから間違いない。

 

 そんなご主人が駆け出し冒険者の指導を行う。

 駄目だろこれ。何が駄目ってもう全部駄目。ダメダメ。およそ考え得る限り最悪の人選だ。故意に駆け出しを潰そうというのでなければギルドの正気を疑う。

 世の中には超えてはいけないラインというものがあり、ご主人の外付け良心担当であるウィズ無しにご主人に駆け出し冒険者の指導を任せるというのは、その超えてはいけないラインを軽くぶっちぎっていることはご主人の人となりを知っている奴であれば誰にだって理解できる筈なのだが。

 

 とはいえ、俺としてもご主人が殻も取れていないヒヨッコ共にどのような教育を施すか少しだけ興味はあった。

 ご主人はイカレポンチだが、一目で地雷案件だと分かるバケツの変態に率先して絡んでいく奴はいないだろう。

 

 ……そう思っていたのだが、甘かった。

 

「ちょっと、ねえあなた。そのふざけた格好は何のつもりなの?」

 

 金髪でツインテールの小娘がご主人に噛み付き始めたのだ。

 年齢は十代半ば。小生意気そうな顔をしたそいつは指導員として来たのならそのふざけた兜を脱ぎなさいだの、自分達を馬鹿にしているつもりなのかだのと、きゃんきゃんとやかましく喚いている。

 

 文句を言いたくなる気持ちは俺も分かるし拍手を送ってやってもいい気分なのだが、仮にも指導員を相手に口の利き方がなっていないのはマイナスポイントだ。

 あとどう考えても喧嘩を売る相手が悪い。

 

 小娘の仲間達と思わしき連中がまた始まったと苦笑しつつご主人に謝罪をし、やんわりと小娘を諌めようとする。

 小娘は勿論だが、仲間も仲間だな。

 これは一度痛い目を見ないと分からないタイプだ。

 

「……やれやれ、私も話には聞いていたが、これは早くも先が思いやられるな」

 

 圧倒的な存在感を放つバケツ男(ご主人)に気を取られていて気付かなかったが、もう一人、緑色の髪のエルフの男がご主人の隣に立っている。

 知った顔、そしてあまりにも予想外の人物の登場に俺は些か以上に驚いた。

 

「この場には将来有望な人間しか集まっていないのか? 賃上げ要求はどこに訴えれば受理してもらえるのやら」

 

 ミスリル製の長弓を背負って世界中を旅する緑髪の放浪エルフといえば、魔王軍でもそれなりに名の知られていた存在だ。

 ここ数十年は表舞台に立っていなかった筈だが。

 

「……誰? あなたも指導員なの?」

「そう思うのなら君は少し口の利き方に気を付けた方がいいな。私が見るに君は女だてらに舐められまいと躍起になっているようだが、そういう態度は時に致命的な事態を……ああ、残念ながら少し遅かったようだ。歯を食いしばっておくといい」

「は? それってどういう――――」

 

 酷く耳障りな音が空間に木霊し、緑髪のエルフが言わんこっちゃないと肩を竦めた。

 

 

 肉を打つ音。

 骨を砕く音。

 人体を破壊する音。

 俺が聞きなれた音。

 

 

 一瞬で小娘の姿は消え、微かな血煙と血痕だけがその場に残る。

 

「…………え?」

 

 小娘の仲間達を始め、ヒヨッコ共は何が起きたのか理解できていない様子だが、俺にはご主人が何をやったのかハッキリと見えていた。

 腰に下げた模擬剣を抜いて小娘をぶちのめしたのだ。

 その証拠にご主人が振るった模擬剣は根元からポッキリ折れている。最早二度と使い物になるまい。

 

 あえて言おう。加減しろ莫迦。

 俺も一度痛い目を見た方がいいとは思ったが、低レベルの駆け出し相手にどれだけ力を込めてぶん殴ったのかと。

 

 だがご主人は十分加減したと主張するだろう。

 何故なら小娘は生きているからだ。殺してないから手加減している。

 ご主人はそういうどうしようもない価値観の持ち主だと俺はよく知っている。

 

 生贄の子羊こと高速でふっ飛んでいった小娘は俺達の百メートルほど後方にボロ雑巾のようになって転がっていた。

 四肢は曲がってはいけない方向に折れ曲がり、よく手入れされていた金髪は鮮血で染まり、全身は激しく痙攣している。

 いっそのこと止めを刺して楽にしてやれと言いたくなる惨状だ。ミンチになっていないのが不思議でしょうがない。

 

 どれだけ本気で攻撃しても絶対に死なない、死ねないみねうちは手加減する為の素晴らしいスキル。

 サキュバスの群れだろうが問答無用でぶちのめすご主人は本気でそう思っているし公言して憚らない。

 女子供だろうと区別しないご主人には呆れを通り越していっそ感動すら覚える。

 

「…………」

 

 突然の惨劇にさっきとは別の意味で水を打ったように静まり返るヒヨッコ達。

 九割九分九厘死体になった小娘にポーション瓶を投擲するご主人(これまた見事な腕前と速度で小娘に直撃した)を尻目に、エルフが話を始めた。

 

「このように、冒険者はいつどんな理由で命を落とすか分からない過酷な職業だ。彼女も今日のところは運良く命が助かったが、いつもこうだとは限らない事を頭に叩き込んでおくといい」

 

 コイツも大概イイ性格をしている。

 地べたに突っ伏して痙攣する小娘の無惨な姿のどこをどう見たら運が良いなどと言えるのか。

 俺としても言いたい事は分からないでもない。

 分からないわけではないが、少なくともあの小娘の運がいいっていうのは絶対に嘘だろ。

 むしろこの場に集まった連中は全員今日の運勢最悪だろ。

 

「世の中には死力を尽くしてもどうしようもない相手というものが存在する。臆病になれと言っているわけではない。だが決して勇気と無謀を履き違えるな。それは時として己だけではなく仲間の命をも危険に晒す可能性がある。彼はそれを教える為にこんな滑稽な格好をしているわけだが……私と違って彼は有名人なのだから、端から素性を明かしていれば彼女もあんな目には遭わなかったとは思うがね。しかしそれでは意味が無いと考えているようだ。何せ彼は……」

 

 ご主人がコーホーとエルフを肘で小突く。

 喋りすぎだと言いたいらしい。

 

「……そうだな。私の悪い癖だ、わかってはいる」

 

 頭のおかしいエレメンタルナイトを相手に喧嘩を売る奴はそういないだろう。

 ご主人の顔と名前はさておき、その異名はあまりにも有名だからだ。

 

「さて、始める前に自己紹介をしておこう。まず彼は……」

 

 ご主人はどこからともなくフリップを取り出した。

 フリップにはでかでかと「バケツマン」の文字が。

 

「バケツマンだそうだ。そして私は……」

 

 ご主人。……おいご主人!

 脳は御無事かご主人!

 ウィズ分の摂取のしすぎじゃないのかご主人!

 どうしてこんなになるまで放っておいたんだご主人!

 

 声を大にして滅茶苦茶突っ込みたいが、今の俺は空気に徹しているので口出しはできない。

 あとバケツマンの知り合いだと思われたくない。

 

「私達に与えられた仕事は今日一日をかけて君達を一人前とは言わずとも、駆け出し冒険者と呼んでも恥ずかしくない程度にまで仕上げる事だ」

 

 今のお前達は駆け出し冒険者ですらない。

 言外に告げる緑髪のエルフに駆け出し達の雰囲気が一気に剣呑なものに変化する。

 

「ちなみに私は彼のように苛烈でも容赦が無いわけでもないから安心してくれていい。私の指導は親切丁寧だと故郷でも有名だったくらいだからな」

 

 性悪として魔王軍で有名だった緑髪のエルフはポーションを宙に放りながら駆け出し達にニヤリ、と笑い……。

 

「では、まず手始めにこの場の全員でバケツマンと戦ってもらおうか。何、死にはしないさ。この通りポーションも大量に用意しているからな」

 

 端的に、死刑を宣告した。

 

 

 

 

 

 

 その後、呼吸をするように駆け出しを全員みねうちで半殺しにして治療したご主人とエルフの新人指導が始まったわけだが、講習会から逃げようとする者は誰一人としていなかった。

 最初の犠牲者の小娘も含め、全員が自分達とご主人の間の隔たる圧倒的な力の差に心がバッキバキに折られていたからだ。イジメか。

 

 最初に身の程を分からせていくやり方は冒険者ではなくむしろ兵士を育てるカリキュラムに近い。

 俺が身を置いている環境(終末)と比べるとぬるま湯もいいところだと思うが。

 

 さて、不穏というか血生臭い開幕の講習会だったが……大多数の予想に反して、意外にもその内容はマトモすぎるものだった。

 

 例えば採掘を学ばせる為につるはしを持たせ、巨大な岩を砕かせたり。

 岩から金塊が出土して駆け出しが大喜びしたが二人が埋めた偽物だったと知って崩れ落ちたり。

 

 各々に装備品を貸与したと思ったら全部呪われていて外せなくなったり。

 一度閉めたら絶対に開けられない宝箱(ウィズの店の品だ)を開けさせようと試みたり。

 休憩に焼肉を振舞ったはいいがムシャムシャと肉を頬張る駆け出しに「……本当に食べてしまったのか?」とドン引きして自分達は何を食わされたんだと駆け出しを発狂させたり。

 肉の匂いに釣られたのか、ご主人が連れてきたわけでも無いのにマシロが遊びに来て可愛がる駆け出し達を逆に可愛がる(物理的な意味で)サプライズが発生したり。

 頭のおかしい爆裂娘が演習場の近くで日課の爆裂魔法をぶっぱなして運の悪い奴が巻き添えを食らいかけたり。

 

 ……うん、結局誰も一回も死んでないし、今日のご主人はいつもの百倍は優しかったな。

 駆け出しは全員が一人最低三回は死の境を彷徨っていたが誰も死んでない。

 ご主人め、ウィズに知られたら怒られるからって自重したな?

 

 

 あまりにも恵まれている駆け出しにちょっとした嫉妬を感じながら俺は日記を開いた。

 

 

 

 5月★日:ベア

 タイトル:無題

『しかしなんだ、今日は滅茶苦茶驚いたな。色んな意味で。

 荷物運びをさせられたらあんな光景を目の当たりにすることになるとは。

 ただ只管にご主人の頭がおかしいというのは改めてよく分かった(笑)

 苦労に勝る宝は無いというのは俺も同意するが、限度というものがある。

 なのでご主人はもう少し他人に優しくしてやった方がいいのでは?

 いい加減ウィズに愛想を尽かされても俺は知らんぞ(笑)』

 

『ゆんゆん:ベアさん、今日はありがとうございました。とても楽しかったです。よろしければまた今度お願いします』

『ウィズ:ベアさん……大丈夫ですか……? 本当に大丈夫ですか?』

『ゆんゆん:ウィズさん、ベアさんがどうしたんですか?』

『ウィズ:私が聞きたいです……』




《緑髪のエルフ》
 世界中を放浪するエルフの青年。
 弓の達人。口が達者でサバイバルを始め、豊富な知識を持っている。
 世間一般で知られるエルフとは一線を画すアクの強い性格をしているが、なんだかんだで嘘は言わない。

 性格といい容姿といい、主人公の命の恩人とも呼べる人物に酷似しており、彼と顔合わせをした際に主人公は大層驚いたとかなんとか。
 好きなものは特に無いが、乞食と爆裂魔法が嫌い。

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