このすば*Elona   作:hasebe

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第95話 いのちだいじに

 あなたは王都の冒険者の人気者だ。

 その人気っぷりときたらアイドルが裸足で逃げ出すほどであり、その証拠にこうして戦場を歩いているだけで誰もがあなたに視線を向け、その一挙一動に注目している。

 

 

 ――うわ、頭のおかしいエレメンタルナイトだ……アクシズ教徒っぽいの連れてやがる。リザレクション使ってるって事はアークプリーストか。

 

 ――頭のおかしいエレメンタルナイトにアクシズ教徒のアークプリーストってお前。縁起が悪いっつーか悪夢の組み合わせにも限度ってもんがあるだろ、常識的に考えて。

 

 ――彼、戦いに参加してたの? 王城では見なかったし、戦場にいたって話も聞かなかったんだけど。

 

 ――私も気になったんだが誰もアレが戦う姿を見ていないらしい。戦いが終わった後に来たんだと思う。

 

 ――アイツがいると最前線で暴れまくる上に積極的に指揮官の首を獲りに行くもんだから、戦闘が速攻で終わるんだよなあ。お陰でこっちの取り分が露骨に減るっていう。

 

 ――盗賊が仲間にいる奴は早く隠せ! 再起不能にされるぞ!

 

 ――ぷるぷる、ぼくわるいとうぞくじゃないよ!

 

 

 ご覧の有様である。

 ゆんゆんと行動を共にするに当たって素顔を隠していたのは大正解だったと言わざるを得ない。

 遠巻きから感じる、警戒の感情が多分に含まれた冒険者達の視線に辟易としながら、あなたは女神アクアを伴ってカズマ少年の落下地点に向かう。敬遠されている事に女神アクアが気付いていないのが不幸中の幸いか。

 怪我人と死人を無造作に癒していく辻プリーストこと女神アクアだが、彼女はモンスターに誘拐されかけたカズマ少年を煽れるチャンスだとここぞとばかりにイキイキとしたゲスい笑顔を浮かべている。

 アクシズ教の関係者だと一目で分かる青を基調とした服装、そしてあなたの存在も相まって人を寄せ付けない要因になっていた。

 

「アクシズ教! 私の功績を掠め取る卑しいエリス教なんかよりも清く正しいアクシズ教をよろしく!」

 

 とまあこのように、回復した相手に向かってネガティブキャンペーンを兼ねた布教活動をしているのも決して無関係ではないのだろうが、それはさておき。

 最初からあなたと行動を共にせず、戦場に立って回復魔法や浄化魔法を使っていれば救世主じみた扱いをされていたのかもしれないが、所詮はもしもの話である。

 

 

 

 

 

 

「お兄様! しっかりしてくださいお兄様!」

「アイリス様、残念ですが、その男はもう……」

 

 あなたと女神アクアがカズマ少年の落下地点に辿り着いた時、オークの時よろしく真っ二つになったグリフォンの血に塗れたカズマ少年は既に手遅れの状態になっていた。

 具体的には首がポッキリと折れてしまっている。

 テンションを上げた状態のまま逝ったのか、笑顔を浮かべたカズマ少年の物言わぬ骸に縋りつく青い軽鎧を身に纏った王女アイリスの姿は何とも痛々しく、彼に好意を抱いていないクレアもどこか悲しそうだ。

 

「あー……その、多分ですけど、そこまで心配しなくても大丈夫ですよ。とりあえずここにウチのアクアを連れてきてもらえますか?」

「めぐみん、呼んだー?」

「ああ、ちょうどいいところに……うげっ」

 

 安堵から一転、あなたの姿を認めた瞬間、苦虫を噛み潰したような顔になるめぐみん。

 しかしエーテルとメシェーラで冒されたあなたの脳味噌は、めぐみんの応対が辛辣なのは素直になれないだけだと認識しているので何も問題は無い。可愛いものである。

 

「ちょっとアクア、なんでコレを連れてきたんですか。というかなんでこんな時間に王都にいるんですか」

「なんかこう……成り行きで? 私もたまたま会っただけだからなんでいるのかは知らないわ。ところでカズマはなんで死んじゃったの? 空から落っこちてくるなんてまるでどっかのヒロインみたいよね。ほら、天空の城のバルスの。落ちてくるシーンでヒロインがそのまま死ぬとかギャグにしかなってない気がするけど」

「すみませんアクア。ちょっと何を言ってるのか分からないです。とりあえずカズマを蘇生してあげてください。流石に今回は駄々をこねたりしないでしょう」

 

 まるでいつもの事だと言わんばかりに平然とカズマ少年の死を語る女神アクアとめぐみんに戦慄を顕にする王女アイリス達だがさもあらん。

 あなたは少し気になる事があったので、蘇生前に死体に水をぶっかけて洗浄を始めた女神アクアや王女アイリス達から少し離れた場所にめぐみんを引っ張って話を聞く事にした。

 

「カズマの詳しい死因、ですか?」

 

 暗視、敵感知、潜伏、狙撃。

 アルダープの別荘でもあったように、カズマ少年は夜に真価を発揮するスキルを数多く習得している。

 めぐみん曰く、こっちが魔王軍を圧倒していれば勢いと調子に乗って一人で弱いモンスターを深追いした挙句逆撃を食らっていたんじゃないですかね、との事だが、今回の戦いは戦力がほぼ拮抗していた為に特にそういう事も無く。

 後方からチマチマと嫌がらせしたり矢を放って堅実に戦果を稼いでいたのだが、戦闘の終盤、王女アイリスが来ていると聞いた事により王女の目の前でいい所を見せようと追撃戦に参加。そこを見事にグリフォンに捕まり、その際に首の骨が折れてしまった、というのが事の次第らしい。

 

 一方のめぐみんは爆裂魔法を使っていなかったせいか普通にピンピンしている。

 正しくは使いたかったが使えなかったらしいのだが。

 序盤は乱戦だったので下手にぶっぱなしたら味方を巻き込みかねず、ならば撤退する魔王軍にぶち込もうと意気込んでいたものの、浄化の雨のせいで追撃戦が発生したためにそれも叶う事無く。

 非常に大規模な会戦だったにもかかわらず、終始おあずけを食らってしまった爆裂魔法使いは大層不満そうな顔を浮かべていた。

 

 そんないつもと変わらない彼女の姿に確信を抱いたあなたは小さく耳打ちする。

 カズマ少年が死んだのはこれで何度目なのか、と。

 

「…………なんのことですか?」

 

 言葉ではそう言いながら、疑問ではなく確認の体をとったあなたの問いかけに最早ごまかしようが無いと悟っているのか、そっと目を逸らすめぐみん。

 やはりというべきか、少なくともこれが初めてというわけではないようだ。

 

 女神アクアは神という超越者である。超越者の死生観や倫理感に常人とかけ離れている部分があろうとも、そこに不思議は無いし違和感も無い、むしろ当然だとあなたは思っている。

 しかしめぐみんに関しては見過ごすわけにはいかない。彼女はこの世界の人間なのだから。当然命の重さも、蘇生のルールも熟知している。

 故に、一度はアークプリーストである女神アクアの手によって蘇生できると分かっているとはいえ、これが初めての死であれば、めぐみんも王女アイリスのように取り乱していなければおかしい筈なのだ。紅魔族の里であなたが死んでいたと誤解された時の彼女の反応からもそれは分かる。

 何よりカズマ少年はめぐみんの仲間だ。命がペラ紙なノースティリスの冒険者でも仲間(ペット)の最初の死には狼狽するし、嘆き悲しむものである。

 すぐにどうせ生き返るから大丈夫、と適応してしまうのだが。

 

「……はぁ。カズマが死んだのはこれで三度目です。私が知る限りは、ですけど」

 

 やがて観念したのか、小さく溜息を吐き、蘇生魔法の青い輝きを見つめながらめぐみんは告白した。

 なるほど、三回も死んでいれば多少は慣れるだろう。

 ちなみにめぐみん達の中で死んだ経験を持っているのはカズマ少年だけだそうだ。

 

 聞けば一度目は雪精の討伐依頼中に遭遇した冬将軍への対処を誤って首を狩られたとのこと。

 二度目はリザードランナーの群れの討伐中に木から落ちて首の骨を折った。

 三度目はグリフォンの強襲による首の骨折。あなたは高所からの落下の衝撃で首を折ったと思っていたのだが、彼がグリフォンに捕まった時には首がぷらんぷらんしていたらしい。

 

 二度目の件は首が大変な事になったと話には聞いていたものの、まさか死んでいたとは思わなかったので少し驚きである。

 そして今のところ死因が全部首絡みなのは笑い所なのか。

 

「あなたは言ってもなんか大丈夫な感じがするので教えましたけど、他の人に言い触らしたりしないでくださいよ? 絶対大事になりますから」

 

 女神アクアとカズマ少年のどちらが特別であるが故に複数回の蘇生を許されているのだとしても、それが可能だという事が知られれば確かに大騒ぎになるだろう。

 蘇生は一人につき一回まで、というルールを二人はひっくり返しているのだから。

 

 カズマ少年の三死はいずれもモンスター絡み、つまり彼はモンスターに殺された人間を担当する女神エリスの御許に送られている事になる。

 冬将軍に殺された初回はともかく、二度目は女神アクアが後輩である女神エリスに散々無茶を言ったのだろうな、とあなたは思った。無茶な注文に頭を抱える女神エリスの姿が目に浮かぶようだ。

 

 女神エリスの苦労話はさておき、実際のところめぐみんは女神アクアの事をどう思っているのだろうか。

 女神アクアはどれだけ自分が女神だと言ってもめぐみんやダクネスが信じてくれない、ハイハイ凄い凄い、みたいにまた変な事言ってる扱いされる、と嘆いていた。

 幾ら頭がおかしい事に定評のある紅魔族のめぐみんといえど、世界のルールを無視している女神アクアをまさか本気で狂言者だと思っているわけではあるまい。

 

「アクアはアクアです。ちょっと変な所がある、私達の大切な仲間です。それでいいじゃないですか」

 

 アクシズ教徒と同じように、女神アクアの正体についてはあえて見てみぬフリをする。

 幼げな容姿に見合わぬ母性的な笑みを浮かべるめぐみんは端的にそう言っていた。

 

「…………おい。おいちょっと待て。私をよりにもよってあのキチガイ連中(アクシズ教徒)と同列に語るのは止めてもらおうか。流石にそれは非常に不本意かつ不愉快な認識だと言わざるを得ない」

 

 あなたは笑った。

 はいはい紅魔族紅魔族。

 

「今日はまだ爆裂魔法を使ってないんですよ? あなたはこの意味が分かってるんですか? 鍛えに鍛えた星砕きの爆裂魔法を以って長きに渡る因縁に終止符を打ってもいいんですよ? あぁん?」

 

 目を赤く輝かせ、チンピラじみたメンチを切ってくる年中反抗期の妹分をはいはい可愛い可愛いと構い倒していると、カズマ少年の蘇生が終わったらしく、彼は首を押さえながらムクリと起き上がった。

 

「寒っ、というか冷たっ。なんでこんなに体がびちょびちょになってんの?」

「王女様に続いてグリフォンにまで誘拐されかけたカズマさん、お帰りなさい! とどまるところを知らないカズマのヒロインムーブはどこまで行っちゃうのかしら! お婿さんによろしくね!」

「お、お前なあ! よりにもよって最初に言う台詞がそれか! 生き返った人間にはもうちょっと優しくしろよ! エリス様の女神っぷりを見習ったらどうなんだ!」

 

 生き返って早々仲良く喧嘩を始める二人の息はピッタリだ。

 そんな中、やいのやいのと騒ぐカズマ少年の胸に王女アイリスが頭から突っ込んだ。

 

「お兄様ぁあああああ!!」

「うおおっ、アイリス!? なんだどうした!? その格好もカッコイイ中に可愛さが光ってて凄く似合ってるな!」

「良かった、良かったです! このまま二度とお兄様に会えなくなってしまうかと思うと、私……!」

「あ、ああ……うん。なんか心配かけたみたいでごめん。でもこの通り、もう大丈夫だからさ」

 

 いずれ決着を付けます、と捨て台詞を吐いてカズマ少年の元に向かうめぐみんを見送り、あなたは静かにその場を後にした。

 女神アクアと女神エリスに頼めばゆんゆんの無限蘇生も可能になるのだろうか、もしそうなら自分達やベルディアと同様の、己の骸を積み上げる事によって成り立つ死の行軍(デスマーチ)が可能になるのだが、といったように友人にして廃人級の強さを目指している愛弟子の育成プランを考えながら。

 

 

 

 

 

 

 神器を求めて一人戦場を彷徨う。

 王女アイリスが聖剣エクスカリバーなる神器を持っていたのだが、鑑定の魔法を使ったところエクスカリバーはベルゼルグの国宝である上に、勇者直系の子孫である王女アイリスを今代の担い手と認めていた。

 女神アクアの神器は本来の所有者でなくとも選ばれれば使えるというのは耳よりな情報だが、国宝を交換に応じる道理は無く、担い手がいる以上、先の四人のニホンジンのように合法的に回収するわけにもいかない。とても残念だ。鞘も強力な守護の力を秘めていたのだが。

 

 失意のままに散策している最中、あなたは妙に騎士達が集まっているのを見つけた。

 彼らは穴に向かってランタンを掲げている。

 

「ダスティネス卿! 御無事ですかー!」

「くそっ、縄梯子はまだか!」

 

 一人姿が見えないと思ったら、ダクネスは穴に落ちていたらしい。

 あなたが近づくと、騎士の一人がそれに気付いた。

 

「なんだ、冒険者か? これは見世物ではないぞ。魔王軍の攻撃を一身に浴び、幹部に勇敢に立ち向かった高潔な聖騎士がバインドで縛られた挙句卑劣な策によって穴に落とされてしまってな。現在救助活動中なのだ」

 

 ――私の事はいい! このまま手も足も出ない状態で放置プレげふんげふん、私よりも他の者の救助を優先してくれ!

 

 説明を受けていると、穴の中からダクネスの声が聞こえてきた。

 バインドを食らっているそうなので、お楽しみタイムだったのかもしれない。

 

「御心配めされるな! エリス様の浄化の雨によって皆、傷を癒されました!」

 

 ――あ、雨!? 私の元には一滴も届いていないぞ!?

 

「大岩で穴が塞がれていたせいでしょう! しかし雨の量は凄まじく、卿が落ちた穴に降り注いでいればあるいは溺れてしまいかねず、そうでなくとも御身が泥に塗れるところでした!」

 

 ――…………。

 

「ダスティネス卿!? まるで子供が不貞腐れたかのように地面に突っ伏していかがなされたのですかダスティネス卿!?」

「いかん、まさかシルビアにあのタイミングで毒を盛られていたのでは!?」

 

 にわかに慌しくなりはじめた騎士達だが、怪我も無いようだし、そっとしておこう。

 拘束状態からの水攻めという、彼女からしてみれば絶好のシチュエーションを逃してしまった事によるダクネスの失意を理解してしまったあなたはその場を離れる。

 

 その後、どれだけ探してもニホンジンの死体や神器が転がっていないのであなたは家に帰る事にした。

 女神アクアは既に送り届けたし、魔王軍と戦ってもいないのにこの後の戦勝パレードに参加するのもどうなのかと思ったのだ。

 それ以上に入手した四つの神器を早速手入れしておきたかった。

 

 

 だが、意気揚々と引き上げたあなたは知らない。

 この戦いにおいて、魔王軍に寝返ったニホンジンが四人だけではないという事を。

 後日、あなたはふとしたことからそれを知ってしまい、さっさと帰ったせいで神器回収のチャンスを逃してしまった事を心の底から後悔する事になるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 様々なイベントを経た日の朝。

 あなたはご近所さんであるカラススレイヤーバニルの家を訪ねた。

 

「ふむ、お得意様が我輩に用事とは珍しいではないか。それもこんな朝早くから。ポンコツリッチーがイケイケアークウィザードだった頃の話でも聞きに来たのか? お得意様の耳に入ればアレが転げ回って我輩を愉しませる事請け合いのネタには事欠かんが、我輩は悪魔である。相応の代価を貰い受けるぞ」

 

 とても興味深い話だが、そうではない。

 現在あなたが最も興味を抱いているのは、アルダープの屋敷の地下で遭遇した不思議な青年である。

 

「……ほう?」

 

 一段階バニルの声のトーンが落ちたが、仮面に隠されたその表情を窺う事はできない。

 回りくどい真似は好みではないので、あなたは単刀直入に切り出した。

 マクスと名乗っている、後頭部が存在しないオッドアイの青年に心当たりはないか、と。

 

 どうか無関係、あるいは敵対している相手でありますように。

 そんなあなたの切なる願いも空しく、やがてバニルはこう言った。

 

「お得意様の事は見通せんので、どういう経緯(いきさつ)で出会ったかは分からんが……お得意様が領主の屋敷で遭遇したという相手は辻褄合わせのマクスウェル。真理を捻じ曲げる悪魔、マクスウェル。地獄の公爵にして七大悪魔の一角。我輩の友である」

 

 あなたは呻き声をあげてテーブルに突っ伏した。

 知人程度かと思いきや、まさかの友人だった。説得のネタは一応考えてきたが、これではとても望みは叶えられそうにない。

 頭のネジが飛んでいるマクスであれば喧嘩を買ってくれる可能性は非常に高かった。今回はかなり期待していただけに落胆もひとしおである。

 おお、いと尊き女神よ。その恩寵を以って異邦の地にある我が身の無聊を慰めたまえ。

 

「ふむ、大変に美味な悪感情、ご馳走様である。思えばお得意様から悪感情を食すのはこれが初めてか。しかし分からんな。お得意様はマクスウェルをどうするつもりだったのだ。この悪感情の味からしてとてつもなくガッカリしているようだが」

 

 自身を殺し得るほどの力を持つ相手だったので、バニルと無関係の相手だった場合はちょっと殺し合いを挑もうかと思っていた。

 テーブルに突っ伏したままのあなたの返答を受け、仮面の下でバニルの眉が顰められた気配がした。

 

「……お得意様は自身の世界の神を厚く信仰していると我輩は記憶しているのだが。まさかとは思うが、悪魔は須らく塵一つ残さず滅すべしなどという碌でもない教えを掲げているエリス教に改宗したのか?」

 

 とんでもない、改宗など世界が滅んでも有り得ない話だ。

 マクスウェルの種族は関係していないし、言ってしまうとそんな事はどうでもいい。

 これ(命のやり取り)はノースティリスにいた時からのあなたの極めて個人的な趣味である。

 

「だろうな。その趣味嗜好に関しては口出しするつもりはない。かくいう我輩も終わる場所を求めて生きているゆえな。その上であえて言わせて貰うが、お得意様が死ねば店主は間違いなく嘆き悲しむぞ。……いや、嘆き悲しむだけで済めば御の字といったところか」

 

 あなたにとって、バニルの話は非常に耳が痛くなるものであり、同時にハッとさせられる話だった。

 あなたとてバニルの話を理解していなかったわけではない。それを指針に行動していた事もある。

 しかし最近は深く考えないようになっていたのも事実だ。

 

「ウィズは既に分水嶺を越えて久しい。以前も手紙で似たような話をしたな。よもや読み忘れたというわけではあるまい。我輩がこの街に初めて来たあの時が本当にギリギリのタイミングだったのだ」

 

 かつてバニルがあなたに送った手紙を思い出す。

 そこには今のウィズは一人でいる事には耐えられても、独りになる事には耐えられないと書かれていた。

 

「お得意様は冒険者だ。不慮の事故や戦いの中で力及ばずに命を落とす事はあるだろう。それに関しては我輩も仕方ないと考えている。無茶をするなとも命を懸けるなとも言わん。最悪の結果に終わったらその時はその時だ。しかし何の理由も無く、強いて言えば遊びで命を懸ける真似を見過ごすわけにはいかん」

 

 声色こそ普段どおりの、しかし明らかにこちらの短慮を咎めてきているバニルの言葉を受け、あなたは深い、深い息と共に瞑目し、頭を下げて謝罪した。

 

 流石に今回ばかりはあまりにも軽挙妄動が過ぎた。

 問題は命を落とす事そのものではない。この期に及んで命を惜しむような殊勝さをあなたは持ち合わせていない。問題は死んだ後だ。

 ここはイルヴァではない。あなたがこの世界で命を落とした場合、どうなるかは依然として不明のまま。

 蘇生魔法が効果を為さずにそのまま埋まってしまうのは最悪といえる。ウィズも、ノースティリスであなたを待つ者も全て置いて逝く事になる。

 ならば、このままイルヴァに帰還してしまった場合は? 二つの世界を行き来する手段が確立できていない現状でイルヴァに帰還した場合、ほぼ間違いなくここに戻ってくる事はできないと踏んでいる。あなたは自分がここにいる理由すら知らないのだから当然だ。

 十分に理解していた。そしてウィズを、大切な人を独りにしないと決めていた。そしてこのままこの世界に骨を埋める気も無い。だからこそマクスウェルのような、自身を殺し得る存在の相手をする際はウィズに手助けをしてもらおうと考えていた筈。

 だというのにこの体たらく。あなたは自身の楽しみを優先するあまり目が眩んでいた事を強く自覚した。辛うじて均衡を保っていた心の天秤がノースティリスの側に大きく傾いていたのはいつからか。どれだけ反省してもし足りない。汗顔の至りである。

 

「マクスウェルは悪魔だ。残機持ちである以上、一度死んでも地獄に帰るだけだ。しかし趣味で命のやり取りをしたいというのであれば、せめてお得意様がいた世界、あるいは元首無し中年のように、死んでも大丈夫だと断言できるようになってから出直すがよい。忠告はあの日とうにした。その上でウィズと共に在ると決めたのは他ならぬお得意様自身だ。……あまり気軽にアレを独りにしてくれるな。二度は言わんぞ」

 

 

 

 

 

 

 自分が楽しむためだけに一対一で命のやり取りをするのは、一度ノースティリスに戻るか、あるいは死んでもこの世界で這い上がる事ができると確約されるまで無期限休止となった。

 自身を殺し得る相手と戦う時は可能な限りウィズに頼る事を改めて心に刻む。作戦名はいのちだいじに。

 あのままではいずれ取り返しの付かない事態に陥るところであった。そうなる前に止めてくれたバニルには感謝の念しか浮かばない。

 

「お帰りなさい。バニルさんとの話し合いはもう終わったんですか?」

 

 あなたが帰宅すると、ウィズが朝食を並べてくれていた。

 今日は休みである筈のベルディアの姿は見えない。機械音がしたので目を向けると、ダイニングの奥からルーンバーに乗ったマシロがやってきている。いつの間にかマシロはルーンバーを自在に操縦する方法を身につけていた。

 

「ベルディアさんでしたら昼まで寝かせろって言ってました。疲れているみたいでしたし、ご飯は二人で先に食べちゃいましょうか」

 

 そう言ってニコニコと笑いながらあなたの椅子を引くウィズに、あなたは改めて彼女が自身にとって何なのかを問う。彼女について考えるのはこれが初めてというわけではない。答えはすぐに返ってきた。

 

 ウィズはあなたにとってかけがえのない特別な女性だ。

 寄る辺無き遠い異邦の地におけるあなたの行動指針でもある。

 ベルディアなどに至ってはこの愛すべき『友人』にして同居人を指してあなたの外付け良心、外付け安全装置(セーフティー)と呼んで憚らない。実際言いえて妙だとあなたは感じている。それくらいにあなたの心の引金は羽根のように軽い。

 極めて聞こえが悪い表現になってしまうが、ウィズという存在は、成り果てて久しいあなたが己が心と欲望のままに暴走する事を抑制する為の『枷』であり『檻』だ。

 しかしこの枷と檻は、あなたがこの世界で生きていくのであれば絶対に無くしてはいけないものでもある。少なくともこの世界法則がイルヴァのそれと同一にならない限りは。

 

 だからだろうか。

 あるいは、あなたもかつて持っていた筈の、手から零れ落ちた物をウィズが補ってくれているからかもしれない。

 穏やかで静かな空気が流れる中、二人と一匹で朝食をとっている最中、あなたは自分でも気付かない内にウィズに礼を言っていた。

 案の定ウィズはきょとんとしてしまったが、呆けた顔のあなたに小さく微笑んだ。

 

「ふふっ、もう、いきなりどうしたんですか?」

 

 特に深い理由は無いとあなたはごまかすように苦笑いする。

 本当に無意識で口に出していたのだ。

 

「よく分からないですけど……でも、どういたしまして。それと、私の方こそ本当にありがとうございます。どうかこれからもよろしくお願いしますね」


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