このすば*Elona 作:hasebe
これは遠い遠い昔の話。
幸運を司る女神、エリスに降りかかった受難の記録である。
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「冬は私の仕事が少なくていいですね。久しぶりに下界に遊びに行こうかな……」
部下の天使に仕事を任せて美味しい物を食べ歩きたい。
そんな事を考えていると、エリスの部屋に置いてある天界フォン、地球でスマートフォンと呼ばれている物によく似たそれがけたたましく鳴り響いた。
暇とはいえ、今は仕事の時間中。あまり鳴る事の無いそれにエリスはどうしたのだろうと思いながら手に取る。
「はいもしもし、エリスです」
『あーエリス? 私だけど』
「アクア先輩?」
連絡を寄越してきたのは水の女神、アクア。
アクアはエリスがまだ見習い女神だった頃に教育係を務めていた先輩で、色々と目をかけてもらっていた。
上手にサボる方法、上司へのゴマの摺り方、旨い汁の吸い方、狂信者の作り方、他にも様々な事を教わったものだ。
何度もパシリに使われたりアクアが引き起こした厄介事の後始末に奔走したりと、傍から見ている限りでは困ったちゃんの子守をしていた感が強かったのだが、それでもエリスにとっては今も頭が上がらない存在である。
アクアのおかげでクレームの処理能力に関しては神々の中でもトップクラスになったと創造神に太鼓判を押されるくらいには成長したのだから、実際のエリスの気苦労は推して知るべし。
「お久しぶりです先輩。今日はどうされたんですか?」
『ちょっとエリスに頼みたい事があるの。今度の休みにこっちに来てくれない? どうせアンタ男もいなくて暇なんでしょ?』
何気なく放たれた悪意無き言葉の刃がエリスの無防備な心に突き刺さった。
彼氏いない暦イコール年齢。仕事一筋で生きてきた幸運の女神にとって、それはあまりにも無慈悲な一撃である。
(せ、先輩だって彼氏いない癖に……!)
いない筈だ。彼氏ができたら絶対に自分に自慢してくるとエリスは確信していた。アクアはそういう女神だった。
これで実は彼氏持ちでしたーぷーくすくす、ねえどんな気持ち? 独り身ってどんな気持ち? スッゴイカワイソなどという事になったら、幾ら温厚な自分でもちょっと平静ではいられないかもしれない。
嵐の如く荒れ狂う心を必死に押し殺し、健気な後輩はぷるぷる震えながら申し出を受け入れた。神の社会は縦社会。先輩の命令は絶対なのだ。
そしておつむが弱く不運であるがゆえの詰めの甘さに定評のあるアクアだが、その力に関しては並み居る神々の中でも最上位に位置しており、悪名高き地獄の公爵に負けず劣らずの実力を有している。
仮にエリスが下克上を起こそうとしてアクアとガチンコで戦った場合、エリスは手も足も出ずにボコボコにされるだろう。
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「それで先輩、私を呼び出すなんてどうしたんですか?」
天界にあるアクアの自室にやってきたエリスがお茶を淹れながら問いかける。
これもアクアの世話をする中で身に付けたスキルの一つだ。
アクアは不味い茶を出すと、自身の浄化の力で茶を水にして「ちょっとーこれお湯なんですけどー!」と嫌がらせしてくるので否が応でも上達してしまった。
「一応聞いておくけど、エリスは私の仕事は知ってるわよね?」
「そりゃ勿論知ってますけど。先輩の仕事って私にも思いっきり関係してますし」
エリスが担当している世界――ここでは世界Aとしておく――では魔王軍が日夜人々を脅かしており、問題になっている。
そしてアクアの仕事はそんな世界Aに日本人を送る事だ。
これは移民政策と魔王の討伐を兼ねている。魔王の討伐は未だ果たされていないが。
「私は思ったの」
「と、いいますと?」
「仕事がめんどい。っていうか何回も何回も同じ説明するのに飽きた」
「えぇ……」
エリスとしても言わんとする所は理解できなくもなかったが、あまりに身も蓋も無い話だった。
「もっとパーっと百人くらいいっぺんに転生させてくれれば楽なのに。こっちは一人一人に説明して送ってんのよ? 実際やってらんないわ」
「百人同時に死ぬ事件なんかそうそう起きませんよ。戦争でもあれば別ですが、日本は地球の中でもかなり平和な国っていう話ですし」
更に言うなら転生させる人間は若くして死んだ者に限られている。
あまり成長した者は基本的に未練が薄いし、未練タラタラな者を送っても、平穏と安定を望むばかりで魔王軍と戦おうとしない。
若者らしく、適度に向こう見ずなくらいが神々にとっては都合がいいのだ。
「まあそうね。そういうわけで私は考えたわ。日本人が駄目なら別の世界から呼べばいいじゃないって。やっぱりね、ちょっとチート付けたからって元々がモヤシだった貧弱一般人を何人送り込んだところで駄目なもんは駄目なのよ。んで、私の仕事が楽になるように勝手にあっちに送ってくれるような物を作ろうと思うの。アンタはそれを手伝いなさい」
「……でも先輩、地球人であの世界へ送るのは日本人、それも十代から二十代の人たちが一番適しているっていう統計が出ちゃってるんですけど」
転生、チート、異世界。
多少なりともサブカルを齧った日本人であれば何かしら反応を示すであろうこれらの語句。しかし日本以外においては食いつく者は神々が驚くほどに少なかった。
それでも転生を望む人間はそこそこいたため、計画の初期においては世界中から転生者が送られていたのだが、あまりにも効率が悪いとの事で今は日本人だけに絞られている。
政治、民族、宗教の問題は地球において根深い問題であり、非常に多くの者が頭を悩ませている。
つまるところ、魔王軍そっちのけで転生者同士の争いが勃発したのだ。
それ以外にも、選民思想にかぶれた者や特典を振りかざして現地人に暴威を振り撒いた者、アクシズ教やエリス教を邪教と断定して弾圧しようとした者といったように、転生者が引き起こした問題は枚挙に暇が無い。
そんなこんなを経て、比較的他者に寛容、悪く言えば平和ボケした者が多い日本人の若者が最終的に選ばれたのはある意味当然だったのかもしれない。
「エリスは私の話を聞いてなかったの? 日本人が期待できないから
「地球とはまた別の世界から、ですか。本末転倒というかなんというか……あの、創造神様はなんとおっしゃってましたか?」
「別にいいけど世界を壊さないように召喚の条件付けには十分気を付けてねって」
「びっくりするほど軽い!」
そんなこんなで二柱の異世界転移用のゲート作りはスタートした。
「まず条件付けだけど、なんかある? 善人であるのは当然として」
「そうですね。私としてはやっぱりアクシズ教やエリス教といった他宗教に寛容で、他種族を排斥しないような人が望ましいですね。あ、異世界に転移してもいいと思ってるっていうのも追加で」
「政治はいいの?」
「そこまで手を付けちゃうと一気に厳しくなると思いますよ。この条件でも相当ギリギリな感じですし」
「それもそうね。でも平和ボケした日本人以外にそんな奴いるのかしら?」
「……まあ、世界は沢山ありますし」
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そうして試作一号が完成したのだが、召喚された者は転移直後に体の内側から弾けて即死した。
「ちょ、なんであんなグロい死に方するの!?」
「……気圧差で死んじゃったみたいです」
「気圧差ぁ!?」
世界Aの重力、気圧、空気成分は地球のそれとほぼ同一である。
太陽や月も存在する世界Aは、地球がある世界をベースにして作られた世界なのだから当たり前だ。
そして試作一号が辿り着いたのは極端に気圧が高い惑星だった。
結果はご覧の有様である。
今回は試作ということで被害者はアクアが責任を持って蘇生して送り返しておいた。
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気圧の問題を解決した試作二号。
これで召喚された者は転移の数分後に体をぐずぐずに溶かして苦悶の内に死亡した。
「ちょっとエリスどうなってんの!? 前回よりグロい死に方なんですけど!?」
「……転移前の世界には存在しなかった細菌による未知の感染症に罹患したそうです」
「細菌!? 感染症!?」
今回も被害者は蘇生して記憶を飛ばして送り返しておいた。
再発防止の為、そして異世界から持ち込まれるであろう未知のウイルスによるパンデミックを防ぐ為、転移時に危険な物は全て浄化して世界Aに適応する体に作り変える方向になった。
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細菌問題を解決した試作三号。
これなら大丈夫だろうと二柱は考えていたのだが、今度の者もあっさり死んだ。
「なんでよ! なんで失敗すんのよ! おかしくない!?」
「今回は浄化が余分だったみたいですね……。その細菌と共生関係になっていて、無いと生きていけない体になっていたようです」
「知らないわよそんなもん!」
結局、体を作り変えるのは止めて適応だけに済ませ、危険な細菌は本人の体内から出てこないように工夫する事でなんとかした。
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それからも改善しては異界の者を呼び出して死なせて蘇生して送り返す作業をこなしたエリスとアクアだったが、試作のゲートが二十を数えるほどになって、ようやく二柱は完璧なゲートを作り上げる事に成功した。
「よーやく完成したわね……」
「大変でしたね……」
なんで楽しようとしてこんなに苦労してんのかしら、という先輩の呟きをシャットアウトしながら大理石の台座から立ち昇る青い光を前に感慨深い気持ちになるエリス。
確かになんで自分がこんなに苦労してるんだろう、とは思わないでもなかったが、このゲート計画が成功すれば世界の平和がまた一歩近づくのだ。
そしてこれ以上呼び出されては死んでいく不幸な被害者が増えないと思うと目頭が熱くなりそうだった。ちゃんと蘇生して送り返しているが、それはそれ、これはこれである。
「そうだ先輩、このゲートの名前とか考えてるんですか?」
「勿論考えてるわ。
渾身のドヤ顔を決めるアクアに、後輩は待ったをかけた。
その名前が似合わないとは思わない。確かにゲートは水面っぽいし、水色だ。むしろ似合っているといえるだろう。
だが、しかし。
「あの、先輩? 私も凄く手伝いましたよね?」
自分一人で作りました! みたいになっているその名前には物申したい気分でいっぱいだった。
渋面を浮かべるアクアをなんとか宥めすかし、最終的に二柱が作り上げたそれは互いの名をもじって
「いっぱい作ってバラまいたし、これで私の仕事も楽になるわね! ついでにアンタの仕事も!」
なんだかんだでこのガキ大将みたいな先輩は面倒見がいい所がある。魔王軍によって命を落とす人々に心を痛めていた自分の事を思ってゲート作りに誘ってくれたのだろうか。
「さあ、いずこからか呼び出されるであろう勇者よ! 願わくば、あなたが魔王を打ち倒す事を祈っています! そしてさっさと私に楽をさせなさい!」
エリスがそんなのん気な事を考えていられたのは、完成したゲートで召喚された存在を目の当たりにするまでだった。
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「……え、何これ。私こんなの呼んでないんですけど」
呼び出されたモノを見たアクアの率直な感想である。
そしてエリスも全く同じ事を思っていた。
簡潔に言ってしまうと、ソレは異形だった。
全長およそ百メートルの極彩色の肉の塊。
絶え間なく流動する全身は粘性の液体を垂れ流し、地面をジュウジュウと溶かしている。
手も足も持たないソレは全身から幾千幾万の触手を生やし、生命を冒涜する不快な叫び声をあげていた。
爛れた地面を這いずる肉塊は秒毎に腐り落ち、腐り落ちた肉は植物の種子が芽吹くようにミニチュアサイズの異形に生まれ変わっている。
「せ、先輩。ばら撒いたゲートって、どこに送っちゃったんですか?」
「……今までと同じように
冷や汗を流すアクアの返答に、女神エリスの背筋が凍った。
そう、今まではたまたま運よく人の形をした者が呼び出されていただけだと気付いてしまったが故に。
度重なる改修により、二柱が作ったこの門に呼び出された者は健康体になり、力を一切制限される事無く、元いた世界の力をそのまま振るう事ができる。そんな代物と化している。
例え世界Aに破滅を齎すような者が呼ばれたとしても、だ。
その結果が地上で暴れているコレである。
「どうするんですか!? 勇者を呼び出すはずが邪神みたいなのが出てきたんですけど!? ゲートの転移条件のプログラミングしたのは先輩ですよね!?」
「で、でもほら、悪い奴は通れないように設定してるんだからきっと大丈夫よ! あれだって実は草木や動物を愛でるような心穏やかな奴かもしれないじゃない? 人を見た目で判断するのって私よくないと思うの!」
「現実から目を背けてないで素直にミスしたって認めてください! っていうか何が草木を愛でるですか! 滅茶苦茶動植物を貪ってるじゃないですか!!」
嬉々として周囲の環境を破壊しつくし、眷属を生み出しながら歓喜の咆哮をあげる異形にして異邦の神。人里離れた場所に召喚されたのは不幸中の幸いだと言わざるを得ない。
元々いた世界において善良だからといって、それが世界Aで善良扱いになるとは限らない。
倫理感、善悪の基準など国はおろか地域によって容易く変わるものだ。世界が違えばそれはもう何をか言わんやである。
詰めの甘い二柱が仲良く頭を抱えている間に異常に気付いた他の神々によって、このバケモノは死闘の末に元いた世界に送り返される事となる。
そして激しい戦いの余波で、緑と生命が溢れていたそこは後に人々に終わりの大地と呼ばれる広大な荒野と化した。たった半日で。
後に発覚するのだが、バケモノは別世界における善神だった。放置していれば間違いなく世界Aは滅んでいたのだが、善神だった。
世界Aに半径数百キロという荒野を作り出したこの一件は創造神の耳にも届き、諸悪の根源である二柱は滅茶苦茶怒られた挙句減給処分となった。当たり前である。
すぐさま数万にも及ぶ天使達によるゲート捜索チームが組まれ、ゲート計画は全面的に凍結。二柱はそれはもう肩身の狭い思いをする破目になるのだが、それはさておき。
創造神の命を受けた天使達の必死の捜索によりゲートの殆どは無事に回収、破棄されたものの、無差別にバラ撒かれた内の三つが回収の手を逃れることとなる。
一つは石の中に転移してしまい、人知れずその役目を終えた。
一つはゲートが転移させる先の世界に辿り着き、紆余曲折を経てとある国の王城、その宝物庫の中に置かれる事になる。
そして最後の一つは――。
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そこは、時空から切り離された場所。
現地の者達にはすくつ、あるいは無と呼ばれる果ての無い迷宮、その■■層。
二柱によって異世界に送られてからどれほどの年月が経っただろう。
アクアやエリスはおろか、創造神すらも知らないどこかに辿り着いた最後のゲートは、永い間、ひっそりと自身を潜る事ができる者を待ち続けていた。
永劫とすら思える、神ですら擦り切れるほどの時間を、ただひたすらに待って、待って、待ち続けて。
そしてある時、ゲートがある階層がにわかに騒がしくなった。
剣戟、轟音、断末魔。
やがてその階層から一つを除いて全ての生命が駆逐され、静寂に包まれた後、ゲートの前に一人の人間がやってきた。
青く発光する大剣を持った男だ。
終わりが無いと言われているすくつの果てを目指して日夜すくつに潜り続けるその男は、今回の探索はこの層で切り上げ、自身の家に帰ろうとしていたところでゲートの存在に気付いた。
それは偶然か、あるいは必然か。
苦心と試行錯誤の末に二柱が完成させたゲートは、男の知る月の門に酷似していた。
外観だけでなく、潜った者を異世界に送るというその機能までもが。
ゲートを作り上げた神々の思惑など何も知らない男は、何気なくゲートに足を踏み入れた。
このゲートはどんな世界に繋がっているのだろうという、ただの興味本位で。
男は善人だった。世界Aにおいて善人と判断されるかどうかはさておき、少なくともゲートが落ちた世界、イルヴァにおいては間違いなく善人と呼ばれる側の人種だった。
そして他宗教や他種族を無闇に排斥しないだけの寛容さを持ち合わせてもいた。
更に月の門を通して幾度と無く別世界に渡るという経験も持っていた。異世界転移に抵抗などある筈もない。
かくして難なくゲートの通過条件を満たした