夜の渋谷に人の姿が途絶えることは無い。だが、深夜の短い時間、人がいなくなる場所が生まれることがある。
渋谷区内 某 公園
「(また、不適合か?)」
「(ダメですね。今回は複製体を送り込んだ後で接続を完全遮断してみたのですが、これまで同様、サンプルの血液から想子を摂取しただけで定着せず戻ってきました。)」
「(やはりコピーではダメだと言う事か)」
「(それはあり得ません。私達自身がオリジナルの複製体なのですから)」
「ふむ・・・では、資質があっても望みが無ければ私達になれないということか)」
「(望みの無い者などいるのでしょうか)」
「(他に何か条件があると?)」
「(それを突き止める為にも、もっとサンプルが必要です)」
「(・・・そういうところは変わらない)」
「(私は私です。貴方が貴方であるように。何も変わっていません)」
「そうだったな・・・ムッ?サイキックバリアを突破した人間がいる。二人・・・いや、三人か?)」
「(試行中でしたからバリアの強度を高めてあったのですが。かなり高い資質の持ち主でしょう)」
「(こちらは二人。退くか?)」
「(いえ、折角のチャンスです。サイキックバリアを踏み越えて来るほどの素体ならば適合するかもしれません。幸い、最後尾の一人は他の二人から離れているようです。合流するまでに他の二人を無力化しましょう)」
レオは今日も夜の渋谷を歩いていた。ただし、いつもの様に「宛ても無く」ではない。怪しげな連中の噂を知り合いに聞いて回って、目撃情報を追いかけて実際に足を運んでいた。何故、自分がこんなにも熱心に刑事の真似事をしているのか、その理由はレオにも分からない。
「(フフッ、放っておけないんだろうな)」
色々と考えて何となく放っておけないというのが今の心情として一番近い様だ。
闇の中を突き進むレオ。さっきから断続的に、虫の羽音の様なざわめきが聞こえていた。その音はレオの意識の奥底に響いた。本来なら単なる雑音としか認識されない。だが、レオはこれを、会話する声だと直感していた。意識の奥底、魔法を使う領域の近くでかわされる声。その発信源へ、吸い寄せられるようにレオは近づいていた。
スターズはUSNAの中核的魔法戦力である。とはいっても軍に所属する魔法師すべてがスターズ配属ではない。現にUSNAの国家公認戦略級魔法師三人の内、スターズ所属はアンジー・シリウスのみで残る二人エリオット・ミラーはアラスカ基地、ローラン・バルトはジブラルタル基地に配属されている。
今、夜の渋谷を早足で進む二人組も、逃亡者処分に派遣されたUSNA軍のハンターだ。所属は『スターダスト』。
『スターダスト』 『スターズ』と同じくUSNA軍統合参謀本部直属の魔法師部隊。汎用性を放棄したことにより特定分野でスターズの一般隊員に匹敵するレベルまで能力を強化した魔法師部隊。
今回、逃亡者を狩る為に選抜されたメンバーは捜索・追跡に優れたチーム。相子波のパターンを識別しその痕跡を感知する、まだ日本では実用化されていない技術を植え付けられた強化魔法師だった。そして、今夜彼女達は脱走兵の一人、スターズ衛星級(サテライト)ソルジャー、デーモス・セカンドことチャールズ・サリバンの相子波を遂に捕捉し徒歩距離内まで追いつめていた。
「奴はこの先だ」
「反応は一人。挟撃しよう。私が右に行く」
「分かった。・・・移動を始めたぞ、急げ。ただし、仕掛けるのは同時だ」
「(軍の追手か。しかし、私を相手にスターダストが二人だけとは、甘く見られたものだ)」
「(以前の貴方しか知らないからでしょう)」
姿を消した同胞から届く思念波に、チャールズ・サリバンであった者は嘲笑に替えて苦笑いを浮かべた。
「(成程。衛星級だった私しか知らないのであれば、彼女たちの打つ手も予想がつく。援護は不要だ)」
サリバンが飛ばした思念に、ハチの巣から聞こえてくる羽音の様なざわめきが返った。
「(念の為に準備だけはしておきます)」
そして、両者の遭遇はその直後だった。
「脱走兵デーモス・セカンド。両手を挙げて指を開きなさい」
サリバンの前方から呼びかける、若い女性の声。同時に後方からガラスを引っ掻いた様な無音のノイズが彼に浴びせられる。その正体は『キャスト・ジャマー』が放つ想子波。
『キャスト・ジャマー』 USNA軍魔法技術部が開発した対魔法師用の携行武器を使った魔法妨害機器。
「お前には発見次第消去の決定が下されている。だが他の脱走兵の情報を提供するなら刑一等を減じるとも命令されている」
「十秒ほど考える時間をやろう」
「いや、必要ない。スターダスト捜索班(チェイサーズ)のハンターQとR。君達に私は倒せない」
その言葉と同時に銃声が鳴る。しかし、発射された弾丸は銃口の向けられた直線上に位置するサリバンの腕ではなく、ハンターRの腕をえぐった。
「ぐっ!軌道屈折術式だと!?」
「キャスト・ジャマーが効いていないのか?」
「いいや、キャスト・ジャマーは正常に作動している。ただ、私は最早、CADを必要としない」
Qがスカートの下に隠していたホルスターに銃を突っ込んだ。二人のハンターがコートの袖口からナイフを引き抜く。彼女達は前後から同時にサリバンに襲い掛かった。強化された身体能力で繰り出される、生身の人間には避けられない筈の刺突。だが、サリバンの首を狙ったRの刃が不自然に軌道を変えて横に逸れた。
「手に持つナイフの軌道を変えるだと!そんな強力な魔法を何故お前が使える!?」
「理解できんか。私が以前の私ではないと」
そしてサリバンが反撃に出る。突然サリバンの手にナイフが現われ、Rの背中に襲い掛かる。だが、その刃先は、空中で築かれた透明な壁に跳ね返された。
「ベクトル反転術式!? しかもこの強度は」
「総隊長」
「・・・三対一では流石に分が悪いか。ここは引かせてもらおう」
「ま、待ちなさい。チャールズ」
チャールズ・サリバンはアンジーシリウスの制止を聴く事無くハンターQとRの隙を突いて逃げ出した。
急激に膨れ上がった闘争の気配にレオは足を止める。危険な真似はしないと寿和に語ったのは嘘ではない。ここからは好奇心だけで踏み込む領域ではないと覚ったからだ。レオは通信ユニットを取り出し寿和にメールを送信する。
「これで良し。やばい事になる前に離れるか・・・ん?」
これ以上巻き込まれる前に退散しようとしたレオの目に公園のベンチに横たわる人影に気が付いた。
「おい、大丈夫か?」
ベンチに倒れていたのは若い女性。恐る恐る近づくレオ。手を首筋に当て脈を確認する。女性の脈は辛うじて確認できた。しかし、危険な状態だ。このままでは衰弱死は確実だろう。レオは急いで通信ユニットから救急車を呼ぼうとする。だが、通信ユニットは壊されてしまう。
「なんだテメェは!」
レオの前に現れたのは異様な相手だった。丸いつばのついた帽子の下は、目の部分だけが切り抜かれた不気味な白一色の覆面。足首まで届くケープ付きの長いコートは身体の線を完全に隠して性別も判別できない。
覆面の怪人は一瞬で間合いを詰めた。相手が使ったのが自己加速術式だと覚ったレオだが、起動式を展開した兆候は分からなかった。レオは得意の硬化魔法を行使する間も無く、横殴りの警棒を左腕で受けた。
「痛てぇじゃねぇか」
レオは左腕で攻撃を受けつつ、右の拳で反撃に出た。レオのボディアッパーが怪人を捉えた。しかし、決定打にはならなかったようだ。
「てめぇ、コートの下はカーボン・アーマーか?御大層なこった」
怪人は距離を取って戦闘態勢に入る。その動作を見ていたレオはある事に気がつく。
「(あの構え・・・中国拳法か?・・・それにあの拳の大きさ・・・女?)」
怪人が再度レオに襲い掛かる。それを迎え撃つレオ。怪人が振り下ろす手刀を左腕で迎え撃つ。怪人がレオの左腕を掴む。その瞬間、急激な脱力感がレオを襲う。
「ぐっ!なんだ!? ち、力が」
急な脱力感に戸惑うレオ。それでもレオは気力を振り絞り怪人に一撃を見舞う。怪人は転倒し、レオは脱力感に耐えかね膝を就く。怪人は既に立ち上がっていたがレオの方を見てはいなかった。レオは意識を失った為に怪人が何を見て言ていたのかは分からない。
怪人が見ていたのは赤い髪、金色の瞳の仮面の魔法師アンジー・シリウスだった。
「シルヴィ、想子波パターンは識別出来ましたか?」
「ノイズが多く、特定には至っておりません」
「カメラは?」
「今の処は、ただ、何分都市部ですので障害物が多く、いつまでトレースできるか」
「分かりました。追跡を続行します」
追跡を開始したリーナだったが、その後直ぐに怪人を見失ってしまう。
「(・・・悔しいけど一人じゃ無理か)」
「どうしました」
「見失いました。そちらに戻ります」
口惜しげに、だが潔く、リーナは自分の失敗を口にし、その場を後にした。