「成績はDねぇ……」
「それは、さっきの演習の?」
「あ、加賀さん」
瑞鶴は顔に触れるほど近くに来ていた加賀に気づきはっと顔を上げた。
「近いです……」
「わざとよ」
「も、もぉ!」
瑞鶴は頬が熱くなるのを感じながら、自分と加賀の顔の隙間に一枚の紙で壁を作る。
「これ、見てください。惨憺たる結果」
「そうね」
さきほど行われた演習の概要がまとめられたプリントに目を通す加賀。
「鎮守府に配属されて日が浅いからこんなものじゃないかしら」
貴女も同じだったわ。と加賀は付け加えた。
「わたしのことはいいじゃないですか。でも、そうじゃないんですよ」
「へぇ?」
「特に葛城は弛んでますよ」
瑞鶴は眉間に皺を寄せて言った。
「葛城……? あぁ、いつも貴方の後ろをついて歩いているあの子」
「そうです。なんか懐かれちゃって」
瑞鶴は眉間の皺を人差し指でぎゅっと伸ばす。
いつもわたしの後ろをついて回っている、というのは加賀さんにも分かるほどなのか、と心の中でひとりごちる。
瑞鶴先輩! と何かにつけてくっついてくる葛城は可愛い後輩なのだが、今までそういう人付き合いをしたことがない瑞鶴は正直どう扱ってよいのか分からなかった。
それに、想い人である加賀の手前もある。
あまり仲良くしすぎると、加賀に嫌われてしまうのではないだろうかと、思ってしまうのだ。
「五航戦に憧れていたみたいです」
いつも後ろを歩いてくる葛城に聞いたことがある。
貴女は、なんでわたしを追っかけてくるのよ、と。
葛城は、あっけらかんと言い放つ。
『瑞鶴先輩が好きですから。そして憧れですから! 少しでも追いつけるように、一緒にいたいんです!』
憧れの先輩。
――わたしが?
全く予想できない言葉だった。
瑞鶴自身、加賀に憧れている『まだまだ』な空母だと思っていたのに、新しく入ってきた妹分のような少女は目を輝かせてこちらを見ているのだ。
そして瑞鶴が加賀に面と向かって言えるはずもないことを、さも当然の如く言ってしまう、ある意味豪胆さのようなものに「さすが、改飛龍型……」とあの双子のような空母組を思い浮かべて苦笑してしまうのだった。
「まぁ、あえて突き放してみるのも良いのではなくて?」
加賀の冷静な声にはっと我に返る瑞鶴。
「突き放してみる、かぁ。大丈夫かなぁ」
「瑞鶴は優しすぎるわね」
「一応、空母の後輩ですからねぇ」
葛城に、自分を重ねてしまう。もし自分が葛城に冷たい態度をとったとして。
加賀に冷たくあたられる自分を想像して、それだけで気分が落ち込んでしまう。実際にそんなことになったら、翔鶴の胸で一週間くらい泣き果ててしまうかもしれない。
だから葛城もきっと、少なからず傷つく。
「瑞鶴」
加賀の声で現実に引き戻される。
「は、はい」
「私たちの使命は深海棲艦を倒すことよ。例え親しい仲でも馴れ合って成長を阻害するようなら、それはお互いのためにならないわ」
その言葉にはっとする。
書類に焼き付けられるように印刷された【D】という成績。
葛城には、もっと強くなってもらいたいのだ。
「あ、瑞鶴せんぱーい!」
よく通る意志の強い声が瑞鶴の耳朶を打った。
「か、葛城!」
「噂をすれば、ね」
葛城がパタパタと新緑の和服の裾を揺らしながら駆けてくる。
「お疲れ様です! 今日の演習、瑞鶴先輩の視点から見てどうでした?」
「そ、そうねなかなか悪くな――あぅっ」
「瑞鶴……」
加賀に肘でわき腹を軽く突かれた。
ここは厳しくするところなのだ。
瑞鶴はわざとらしく咳払いをして、戦術面、艦載機の飛ばし方、回避行動等々、事細かく指摘する。
その時間、およそ十五分。長々としたお説教が廊下に響く。
「うぅ今日の瑞鶴先輩厳しいなぁ」
「当たり前でしょ」
瑞鶴は眉尻を上げてこう言った。
「いいこと葛城。こんな成績が続くようじゃとても空母として認められないわよ。わたしと一緒に戦うなんて、夢のまた夢」
「えぇ……」
葛城の表情がみるみるうちに曇っていく。
瑞鶴は直感的に、やりすぎた、と感じた。
「じ、じゃあどうすれば……」
瑞鶴は明後日の方向を見ながら少し逡巡した。そして、
「そりゃあ、サシでわたしと演習して一本取れれば。まぁ無理だと思うけ……ど!?」
葛城を見た瑞鶴は目を見開いた。葛城の瞳からポロポロと涙が零れ落ちていた。
「あんた、なんで泣いてんのよ……!?」
「今あたし、自分の力不足を痛感しました。このまんまじゃ瑞鶴先輩と一緒にいられない。そういうことなんですよね」
「え、ま、まぁそういうことになるかな?」
「そんなのいやだよぉ……」
「葛城!?」
しばらく、堪えているようで堪えきれない、大粒の涙を流しながら唇を噛みしめていた葛城だったが、やがて和服の裾で涙を乱暴に拭う。
赤く腫れた瞼を隠すこともなく、震える溜息を吐いた。
「わかりました……」
「あ、ちょっと葛城……」
「失礼します!」
葛城は短く答えて、頭を軽く下げ、瑞鶴に背を向けて走り去った。
後に残された瑞鶴は、予想外の反応に固まってしまう。
「これで、よかったんでしょうか……」
「少し、言い過ぎたわね」
加賀がぽつりと言った。
「加賀さんが言えって……!」
「あんなに長い時間かけて欠点を指摘したら誰でも自信無くなるわ。しかも一対一で演習を持ち掛けるなんて酷なことをするわね」
「あれは言葉の綾というやつで……」
「まぁそれもあの子のためを思ってのことでしょうけど」
「加賀さぁん……」
腹の底からのため息を吐き、瑞鶴は肩を落とした。
「どうなるのかしらね」
落ち込む瑞鶴の頭を撫でながら、加賀は呟くように言って初夏の日差しが降り注ぐ窓の外に視線を移したのだった。