雲龍型が鎮守府から消えた。
「葛城たちがいなくなった?」
その異変を翔鶴から直接聞かされた瑞鶴は、思わず持っていた箸を取り落としそうになってしまう。
食堂は相変わらずガヤガヤと騒がしいが、いつも真っ先に隣に滑り込んでくる葛城がいないだけで少し静かに感じられる。
「南の方へ出向だそうよ」
「南? 出向? そんな急に……」
翔鶴は「心配?」と瑞鶴を伺うように聞いてくる。
「いや、まぁ心配っていったら心配だけど……でもどうしてだろ?」
「二航戦も一緒だそうよ」
加賀が大盛の天丼を載せた木製のトレイを瑞鶴の横に置きながら言った。
「加賀さん。二航戦も、って。何か特別任務ですかね?」
「さぁ。提督に聞いても濁されたから」
「案外瑞鶴に勝つための特訓してるのかもしれないわね」
「翔鶴姉ぇ! わたしに勝つ、って。あれはもっと葛城に強くなってほしいって意味で。本当に勝てたらって意味じゃないのに」
「でもあの子が貴女から一本取れれば、認めるんでしょう?」
「そりゃあ、そうですけど。そもそも認めるっていう定義も決めてないんですよ。今まで通りくっついていいっていうなら、それでもいいですけど」
「ふぅん。随分と後輩に甘いのね」
冷たい視線で瑞鶴を一瞥する。加賀の声音は少し不満そうだ。
「か、加賀さん? 何かわたし気に障ること言いました?」
「あぁ今日の天丼は美味しいわ」
加賀は瑞鶴を無視して天丼に箸を入れ始めた。
「加賀さん!?」
※ ※ ※
青い空!
きらめく海!
バカンスだ!!
そう叫んで海に身を投げ出せたなら。瑞鶴先輩と二人で来られたなら、きっと楽しくて寝るのを忘れてしまいそうになるだろう。
しかし今視界にいるのは、水中を優雅に泳ぐ極彩色の魚だった。
「ぶはっ!」
一瞬、意識が飛んでいたか。
あたしは沈みかけた海面から顔を上げて、必死に立ち上がる。
「今の、幸せな妄想!?」
一瞬、夢を見ていた。
「おーい葛城。まだまだ行くよー」
砂浜の上に立つ飛龍さんが矢を番える。
「はい! まだまだぁ!」
飛龍さんの弓から艦載機が射出される。
力強いプロペラ音と規則正しい編隊を組み、真っすぐ飛来する攻撃部隊に向けてあたしもボウガンから自分の迎撃機を発艦させる。
しかしフラフラと頼りないあたしの迎撃機はたちまち飛龍さんの編隊に堕とされていく。
「まだまだ!」
すかさず二の矢を装填し、飛龍さん目がけて低い射線で放つ。
「お」
飛龍さんはその一撃に笑みを浮かべた。
「その意気やよし!」
だが、自らに向かってきた矢を難なく掴むと、あろうことか飛龍さんはその矢すら番え、あたしに向けて放った。
「は、反則ですよ!?」
一方あたしの第一次攻撃隊はほとんど敵機を減らすことのできないまま、訓練用の魚雷があたしを襲う。
「うわあぁぁぁ!?」
時間差で、飛龍さんに返された自分自身の艦載機から爆撃を喰らう。
そしてまたあたしは再び、ばしゃばしゃと小石のように海面を跳ね回るのだった。
「はい! 休憩! 葛城戻っておいで」
「はーい……」
鎮守府で少なからず演習を行い、少しは強くなっていたと思っていたのに、この力量差。情けない。
さくさくと、白い砂浜を数歩いて倒れこむ。
「うぅぅ……」
「少しは良くなってきてるけどねぇ~」
「あんまり変わらないような気がしますよ」
「つま先一つ分ずつ前進してる」
「しかも自分の矢すら打ち返されるなんて」
「まぁ、曲芸みたいなもんだよ。あんたもそのうちできるようになるかもね」
あたしはなんとか体を起こして、表情の読めない笑みを浮かべる飛龍さんを見上げた。
その後ろでは、蒼龍さん指導のもと、雲龍姉ぇと天城姉ぇが腕立て伏せをしていた。否、よく見るとあれは指立て伏せだ。砂浜であれは辛い。
「あの飛龍さん」
「ん~?」
「これって。いつ帰れるんでしょうか」
あたしは素朴な疑問を彼女にぶつける。
「五航戦に勝てるとわたしが確信できるまで」
「……ハハ」
無理。
あたしは今度こそ砂浜に顔から突っ込んだ。
「秘密特訓の具合はどうや~?」
視界が砂に覆われた直後、 燦々と照りつける太陽のように高く明るい声があたしの鼓膜を揺らした。
「お、元一航戦」
「どもども~」
あたしは砂浜からゆっくりと顔を上げた。
「なんだ龍驤さんか」
「こら葛城、なんだとはなんや。この島使わしてやってんのは誰やと思ってんねん」
「龍驤さんとこの司令官さんでしょ」
「ウチはそこの秘書艦やで! 実質ウチが使わせてやってるようなもんやで!」
ぷりぷりと小さな体で怒る龍驤さんは見ていてなぜか癒される。
「ところで見てたで。葛城のカッコ悪いとこ」
にやりと龍驤さんは口角を上げた。
「嫌味言うために来たんですか?」
「アホか。先輩からのアドバイスっちゅーもんをしにきたんや」
そしてまたフガー! と怒る。
「ま、まぁええで。あのな葛城。今の射出機、もうやめとき」
「へ!? いきなり何言うんですか。あたしに空母やめろってことですか?」
いきなり来て何を言い出すんだこの人は。
「そやない。艦載機の射出方法を変えてみぃって意味や」
龍驤さんは「こんな風に」と言って、袖から一枚の紙を出すと、軽くその上に指を滑らせた。
指をくるくる回すと、紙があっという間に艦載機に変身した。
雲龍姉ぇや天城姉ぇが使う式神だ。
「搭載機が少な目の雲龍型はこっちの方がえぇで。空母用の弓は馬力が必要やけど、符はそれほど力使わんでええしな」
「あー確かに符は簡単。でも弓の方が火力出るでしょ。五航戦に勝つためにも軽空母的な戦い方よりも弓を持った方がいいんじゃない?」
「いーや! 符や! 葛城にはキラリと光るセンスを感じたね! だから符での戦い方をこれから勉強すべきやって思う!」
「葛城は軽空母じゃなくて空母。弓だよ弓!」
「なんや! やるか!?」
「へぇ! 面白いね! お互い改二になってから手合わせしてなかったよね」
あたしをほったらかしにして、飛龍さんと龍驤さんが火花を散らす。
あたしは「あのぉ」と小さく手を上げる。
「「なに!?」」
「ひぇ!?」
同時にあたしを睨み付ける。あたしは挫けそうになる心をなんとか保って言葉を繋げる。
それは全くの直感であり、確信は得られない考えだったが、不思議と歯車が噛み合うような気がしたのだ。
だからあたしは言う。
「両方、やりたいです」
いがみ合っていた飛龍さんと龍驤さんの目が点になる。
一拍置いて、二人の口が三日月形に歪んだ。
「葛城、あんた面白いこと言うね」
「大したタマやなぁ。でも嫌いやないで」
歴戦の空母と軽空母は、ぞくりとする笑顔をあたしに向けて――
あたしは自らの手で地獄の窯の蓋を開けてしまったことに気づくも、もう遅かった。
「とりあえず葛城」
飛龍さんがあたしの着物に手をかけた。
「はい?」
「服を脱ぎなさい」
「な……!?」
有無を言わせぬ口調。
あたしはそれに逆らえるはずも無く……
南の島の特訓はようやく始まったばかりだと、本能が告げていた。