なお新作は18禁だから気を付けな!!
阿波三好家。当主であった三好長慶は愛する娘と弟妹たちの死によって気が触れ、隠居し勝瑞において軟禁状態にあった。
それからと言うもの、三好家は当主が抑えていた内部の分裂によってかつて天下人とでも言っていいほどの権勢を誇った三好家は斜陽の戦国大名となってしまった。
幾内は鬼と呼ばれる超常の妖魔が跋扈し、それに加え土佐の長宗我部の動きに注視、また新たに将軍を担ぎ上げた尾張の織田信長などの敵に囲まれ、幾内では松永、先代当主である義継の離反に加え、三好三人衆筆頭たる三好長逸、三好政康は行方知れずとなり、果てには鬼による急襲によって幾内における地盤を失い、讃岐、阿波に後退を余儀なくされた。
力ある重臣を失い、急速に弱体化していくそんな三好家家中を憂う一人の男がいた。
頭を丸め、口元には立派な髭か覆い、その眼光は鋭く、悠々たる筋骨に覆われた肉体。彫りは深く、瞳にはわずかに憂いを覗かせる。
彼の名前は篠原長房。阿波三好家における筆頭家老であり、現三好宗家当主にして阿波三好家当主三好長治の家宰である。
「来たか、長房」
「はッ、篠原長房ここに」
勝瑞城にあるとある屋敷の離れに彼は目の前の男性に招かれていた。
その身は細く、今まさしく長房の前で茶を煎じている若武者。
巷では文弱と揶揄され、家中において半傀儡とされている現三好家当主、三好長治であった。
―――NAGAFUSA前編―――
「さて、出来た。飲むといい長房」
「ではいただきましょう」
二畳ほどの狭い個室の中で、差し出された茶を豪快に飲む長房。その様子に笑みを向けながら長治はたしなめる。
「まあ待て長房、茶とは慌てて飲むものではないぞ。きちんとした作法があるのだ」
「む、左様でありましたか」
「茶を差し出されたらまずは両手でしっかりと持つこと、それから茶の香りを楽しみ椀を二三回してずらす。こうやって―――」
傍から見れば親子ほど歳の離れている二人、しかしこの茶室という場所に限って言えば師は当主長治であり、弟子は長房であった。
なぜにこのようなことになったのか、一時期は松永久秀の居城である信貴山城を奪うまで勢力を誇っていた三好家。しかし、その最中において鬼による襲撃によって三好家の幾内撤兵に加え、重臣格であった三好長逸、三好政康の消息不明に加え、幾内に取り残された岩成友通、三好笑岩ら重臣。松永久秀、三好義継の織田の鞍替えによって幾内の饗応役を買っていた人物の軒並みの離脱にあった。
篠原長房は三好家にその人ありと呼ばれるほどの名将であるが、いかんせん彼の主要な舞台は阿波の能吏に軍団を率いての将帥などこれまで教養に触れることはほとんどなかった。
一方の当主長治は父三好実休の文化人の素質を引き継いだと言われるほどの文化人であり、主に堺において商人たちとの折衝役を行っていたため、茶道や絵、習字を得意としてしばしば内裏に招かれその教養を存分に発揮するなどかつては三好家の神童と言われていたその才覚を発揮していたが、三好家の弱体化に加え、目の前にいる篠原長房によって半傀儡の身となり、勝瑞の城下や家中では文弱と罵られていた。
「殿・・・・・・」
「なんじゃ長房」
長治の指導に長房は言葉を遮った。基本的に篠原長房という男は思慮深い男であり、このように言葉を遮るということはほとんどなかった。
しかし、それと同時にその内容を予測するのは想像に難くなかった。
「織田に臣従するとは真でありましょうか」
瞬間、長治はやや目を細めた。そして深く呼吸をし、吐き出すと観念したかのようにその問いに対する答えを返した。
「ああ、そうだ。三好は織田に臣従する」
「殿!」
「三好が生き残る方法はこれしかない!」
狭い茶室の一室で怒号が響く。
「分かるか長房。いいや、お前ならわかっているはずだ。今の三好に、かつての力はない」
かつて幾内に勢力を誇っていた三好家も今は讃岐、阿波の二国にまでその勢力を衰えさせ、かつて幕府の実権を握り、幾内の支配者として君臨していたことは既に過去のことになっている。
「いいか長房、武家にとって最も大切なことはその血を絶やさぬこと、そしてお家を守ることだ」
「織田に臣従して、勝算があるとでも・・・・・・」
「あるさ、三好を生き残らせる算段は十分にあるとも」
強く、意志の籠った瞳で長房を見つめる瞳。それは半傀儡の当主であり、権力を握ろうともその心だけは決して屈服していない証とも言えるものだった。
「長房、よく聞け。既に家中は織田に臣従することを選んでおる。その筆頭はお前の弟だぞ」
「・・・・・・自遁はただわしの考えが気に入らないだけでしょう」
「そうだろうな、だがこれが家臣の総意でもある。反織田を決め込んでいるのは長房。お前と宗伝ぐらいなものだ。その宗伝も、お前が折れればこちらに靡く」
「・・・・・・」
「分かっているか、お前は家中で孤立しているのだぞ。近頃はお前に対する不満も上がってきている」
篠原長房は優秀な男である。阿波三好家の筆頭家老であり、父は三好家最大の範図を築き上げた三好長慶の傅役である代々の重臣であり、若き日は勇武に優れ、彼の鬼十河と呼ばれた家中一の豪の者とされた十河一存を打ち破る武勇と現在の三好家の分国法である新加制式を定める等、まさに三好家の筆頭家老たる所以を持ちうる。
しかしその優秀さ故に周囲からの妬みを買うことや、反織田の筆頭として密かに和睦を狙っている長治らの閥とは反感を買っていることは事実だった。
「・・・・・・いいか長房よく聞け、三好にかつての力はない。三好は天下人の家ではないのだ」
その言葉に、叩き付けられた事実に、長房はそっと瞳を閉じ、立ち上がる。
「逃げるのか、長房」
「・・・・・・」
「お前のやっていることは現実逃避だ。三好を盛り返す方法などないぞ」
例えこのあと三好家中が一致団結し、家中の皆が長治の為に命を差し出し、この後の織田と鬼との戦いに際し全戦全勝し、そして朝廷に恩を売り、三好家撤兵によって窮地に追いやられた商人たちが再び暖かく三好家を迎えてくれれば三好家は再び栄光を取り戻すことが出来るだろう。
そう、だが現実はそんなうまくはいかない。どう考えようともそれは不可能と言うものだろう。
「それでも、不可能ではありますまい。わずかな可能性があるなら、それにまい進するのみです」
「・・・・・・長房、それは強者の理論だ。人間はそれほど強くない」
そしてそんなわずかな可能性にすべてをかけるほど、長治は馬鹿ではない。もとより博打を忌避する性格だ。文弱というのは逆に考えてみれば理論派と言うこと。様々な情報を総合的に見て、自分が出来る最善を模索し、抗う。それが長治の出来ることだった。
「ここでわしが貴方を殺せば、どうしますか?」
「知れたことだ」
長治は慌てるそぶりなく、新たに煎じた茶を啜ると淡々と答えた。
「お前は俺を殺せない。厳密にいえば、三好家の人間を殺せない。誰よりも、何よりも、三好家に思い入れがあるが故にな。お前はそういう人間だ」
何もかも見通しているかのように、長治は笑みを浮かべながら答えた。
「そもそもその気なら、とっくにお前は当主になっている。それをしないのはひとえに三好という血に価値を持っている所作他ならない」
「・・・・・・」
「ま、それ以前にお前の配下がお前に付き従っているのはお前の配下がお前に幻想を持っているからだな。けちの付け所がない理想の武士。そういった色眼鏡でお前を見ている。ここで謀反を起こせばそれは成功するだろう。だが長くは続かない。幻想を壊されたお前の家臣団は徐々に空中分解していくだろうな。緩やかな滅びと言う点ではなんら変わりない。そして、家中でお前に反感を持つ者はもれなく敵だ。
―――だから傀儡にしたんだろう。三好を守るために、全ての悪意を自分に着せるためにな。違うか?」
三好三人衆を筆頭に多くの重臣が機能しなくなった現状、三好を守るためには独裁を引くしかなかった。幼い当主である長治では実績も何もなく文弱と罵られる始末。ならばこそ、能力やカリスマ、実績のある長房が実権を握ることになる。
「いえ、違いませぬ。流石は殿です。この長房、感服致しました」
「まあな、傀儡だからな。考えることしか出来ないんだ」
自嘲するように笑う長治だが、長房は御冗談をと窘めると、口を開いた。
「殿こそ、三好家当主としての役割を十全に果たしておりますとも。絵や書道、茶道に和歌。これらはすべて朝廷や堺の商人との結びつきを強めるためでありましょう。ほかにも南蛮人の保護によって先進的な装備の充実。わしもすべてを把握しているわけではありませぬが」
「・・・・・・いいんだよ長房。分かってもらえないのは承知の上だ。お前だって俺が何をしたいかなんぞわからないだろうしな」
そう、この家中において長治のやり方を理解できるものなどいないだろう。それゆえに文弱と罵られているのだ。
もしも饗応役と呼ばれている人物、三好長逸や松永久秀のような政治能力のある人物なら或いは理解できたのかもしれない。
長治のやっていることは一言で言えば調整役。互いの利益を尊重し、譲歩を引き出す交渉術。これによって堺の商人の窓口や、宣教師との交流によって西欧文化の導入を漸進的に図っている。
「長逸や久秀。あれは家を割った張本人だったが、同時に三好に必要な人材だった。お陰で三好は苦労した」
武士と言うのは基本的に高圧的であり、事実それを裏付けるほどに武力と言う力を持っている。だからこそ長治のような互いの話し合いによって利益を得るという方法は所謂のろまとでもいうような無駄にしか見えないのだろう。
「傀儡だから、出来ることは少ない。俺が出来るのはこうやってお前を追い詰める謀略程度が御の字だ」
そう言った長治の言葉を聞き、長房は何を思っただろうか。
武士にあるまじきと罵るだろうか、それとも烈火のように怒るだろうか。
否、その命題の答えは酷く簡単なものだった。
長房は目を少しだけ見開き驚きの形相を浮かべ、そして穏やかな笑みを浮かべた。
「・・・・・・長房、俺に従え。了承しろ。それですべて丸く収まる。三好は、生き残れるんだ・・・・・・!」
思わず、声に感情が乗る。声を掠れさせながら、長治は長房が頷くのを待った。
しかし、長房は横に首を振り、長治の前に座すと頭を下げた。
「・・・・・・お見事です、若。長房は嬉しゅうございます」
そして上げた顔に、瞳に、最早憂いの色はなかった。
「・・・・・・」
『若』、その言葉を使うのは今は誰もいない。幼くして父実休を失い、長治を傀儡として操りながらも武士としての心構え、その精神を叩き込んだのは他ならぬ長房であった。そう、長房は長治の傅役であり、実の父よりも父らしく長治をここまで育て上げたのだ。
子が、父を超える。幼くして賢く、勤勉でありあらゆる書籍に触れ、堺では教養を得、文弱と罵られた我が子が、父親を嵌め、家中内で孤立させた。まさに子が父を超えたと言えることであり、長房は不意に感動した。
もはや、憂いなどどこにもありはしないだろうから。
「若は、強うなり申した」
「・・・・・・馬鹿言うな、俺は未だお前に一本も取ったことはないんだ。存保にだって勝てやしないさ」
「いいえ、若は強うございます。若は、誰よりも耐えることが出来ます。それは誰にでも出来ることではないでしょう」
中ば傀儡に落とし込まれようと、そこから自分の出来得ることを模索し、最善を導き出す。
教養の積み重ねはそれしか出来なかったからそれをしただけなのだ。その結果、朝廷に召し出され、商人と結びつき、異文化に理解を示し、宣教師すら取り込んだ。そして密かに家臣と会い、自分に組する人間を集め話し合いと謀略を以って家中を取りまとめた。これは並大抵の努力ではないだろう。いったいいつからこのようなことをやっていたのか、長房には想像もつかないことだった。
「・・・・・・長房、お前―――」
憂いのない瞳、何もかもから解放されたような微笑み。長治にはそれが何か大変なことへの前触れとしか思えず、その言葉を口に出した。それは、まさに篠原長房という人間の根幹へと引き上げられるような問でもあった。
「―――死ぬつもりじゃないだろうな・・・・・・?」
長房は曖昧な笑みを浮かべ、そっと瞳を閉じる。そして長治の前にある茶を一口飲むと、長房は一人語りだした。
「夢を・・・・・・、見ました」
夢、それが一体何なのか長治は疑問に思ったものの、口に出して遮ることはなかった。
「大殿が居て、実休様、冬康様、一存様。それを支える笑岩殿や長逸殿ら一門の長老衆。なり上がりの代名詞ともいえる岩成、松永の両将が家中を開き、わしら重臣も彼らに負けんようにまい進し、幾内の敵を平らげ、朝廷、幕府の権威の下、何もかもを統べる。そんな夢を見ていました」
「・・・・・・」
「楽しかった。嗚呼・・・・・・本当に、楽しかった・・・・・・」
反芻するように、思い出し、何度も噛み締める様に、長房は過去の夢の残骸を抱え込む。
割れてしまった花瓶は使い物にならないとしても、その欠片をかつて大事にしていた物として後生大事にしていた物として彼は捨てずにとっておいた。まるで捨てること自体が罪だとでもいうように。
「三好家は天下人の家です。天下人の家でなければならない」
「長房・・・・・・」
それが、曲げられない彼の生き方。三好の家を幾内有数の大名とした名将の生き方。
この家は何よりも素晴らしいから、決して何かが劣っていることなどないと自負しているから、そんな道は選べない。
「頭を下げるなど、あってはならぬことです。三好家は天下人の家だからこそ意味がある。わしはこれだけは曲げられない。ですから殿―――」
疾うに覚悟は決まっていた。憂いもない。ならばここが命の使いどころ。
命には使いどころがある。効率的に、最小限で最大の戦果を、それが出来るからこそ、彼は名将と呼ばれるのだ。
「わしは死なねばなりませぬ。これ以上わしが居るのは三好の為になりませぬ」
少しだけ、長治は目を細める。
長房は自覚していた。これ以上自分が三好家に居続ければ老害となってしまうことを。それこそ三好家を滅ぼす要因と化してしまう。
茶室では沈黙が支配する。語ることは語り終えた。長房はそう思うと立ち上がり踵を返して茶室から出ようとする。
「・・・・・・長房」
そして、戸に手をかけ、戸を閉める直前になり、長房は長治に呼びかけられた。
「俺は、お前が嫌いだった。
―――そりゃそうだろ。当主になって、いい年になっても傀儡のままだ。出来ることと言えば芸事ぐらいなもんで、自由なんざ一つもない。アレも駄目だ、これも駄目だと言われりゃ鬱憤だって溜まってくる」
心底不満だったのだろう、小さく、そしていつもよりか少しだけ低い声で長治は長房に自分の本音をぶちまけた。
「俺はうちの将軍様みたいに性格もよくはないからな、心を痛める事とかはないぞ、ある意味楽でもあったさ。けどな、それもそれでいろいろと言われるわけだよ。自遁やら笑岩の婆様とかな」
道化のような自分に自嘲し、一人笑う長治。その言葉を長房は背中越しに聞いていた。
「お前なんざ嫌いだ。頭の中で何回ぶん殴ったことやらわからない。手前は嫌いだ。―――だがな」
背中から少しづつ大きくなる声、その声色はどこか震えていて、ふと振り向こうとしたその時、長房の頬に鋭い衝撃が走った。
「―――俺はお前に! 死んでほしいとは一度も思ったことはないッ!!」
姿勢を崩され、尻もちをつく長房、振り向けばそこには怒りの形相を浮かべ、そして涙を流す長治の姿があった。
「糞ッ! これだから武士は嫌なんだ!! なんでそんな簡単に命を捨てられるッ!! 馬鹿かッ! 馬鹿かお前はッ!!」
「殿・・・・・・」
「俺はッ・・・・・・、死にたくない。死にとうない。自分の命が可愛い」
震えるその姿はまるで年相応、どこか達観した雰囲気とは違った、長治の本来の姿とも言えた。
そしてその胸には首からかけていたロザリオが陽光にあたり輝いていた。
「俺はお前のように強くはない。何かにすがらなければ生きていけない人間だ。虚勢張って、自分は強い人間だと信じて、そんな風にしなければ何も出来ない臆病もんだ」
長治はロザリオを強く握りしめる。
幼い時分から傀儡とされ、内憂外憂を抱えた三好家を誰よりも案じていたのは紛れもなく彼だった。
すぐさま何かあれば責任を取らされるのは自分。そう思い、三人衆や松永との和睦の為に行動し、そしてその多くを頓挫させたのは間違いなく長房だった。
幼いころから長治は責任感があった。それと同時にいろんなことに興味を持つ子供だった。あれがやりたい、これがやりたい。そういった自由な主張を取り上げたのは間違いなく自分にあるだろう。それでも長治は腐らず、自分の出来ることを出来得る仮り全力で取り組んだ。思えば、それは恐怖からの逃げだろう。
長治がキリストの教えに帰依したのも、そんな屈折した環境に対し救いが欲しかったからだ。
「長房、お前は三好に必要な人間だ。三好が持っているのは、お前のおかげだ」
「・・・・・・」
「それを放り出して死ぬというのか! 死ぬと言ったのかッ!! ふざけるなよッ! そういうのはな、無責任っていうんだよッ!!!!」
長房は目を見開き、長治の言葉を為すがままに聞いていた。
「大体何が天下人の家だ! 過去の栄光に縛られてるんじゃねぇよ!! 現実見ろよ、そんな力はどこにもない!!」
長房は力なく笑うとゆっくり立ち上がり、しゃべり続ける長治の右頬に拳を食らわせた。
「ガハッ―――!? テメェッ!!」
「三好は偉大な家だ!! 多くの者の屍と犠牲の上に三好はそこまでたどり着いたッ!! それを愚弄するとは何事かッ!!」
「なにが偉大な家だ! 知るか馬鹿野郎!! 物心ついたときにはそんな気配微塵も感じなかったわ!!」
茶室の茶瓶がひっくり返り、二人は取っ組み合いの喧嘩になる。
二人は胸倉をつかみ上げ、ただ拳を以って目の前の人間に殴りかかる。
「大体当主を殴るとは何事だッ!! 親父にも殴られたことないぞッ!!」
「先に矜持を馬鹿にしたド阿呆にかける礼儀等ありゃせんわ!! そこに直れッ!! 教育してやるッ!!」
「やってみろクソ爺ッ!!」
腹やみぞに打ち込まれる掌打。吐き気が襲い、足がガクガクと震えながらも彼らは取っ組み合いの喧嘩を続ける。
ここは三好当主である長治の住まいのその離れ。次々と怒号が響き、次第に衛兵が集まるが何のその、彼らはただ一言「邪魔をするな」と怒鳴りつけると、喧嘩を続け、エスカレートしていく。
「大体、先に手を出したのは若であろう!! 神の教えはどうしたッ!! 殴られたら、もう一発殴られるんじゃないのかッ!!」
「だからノーガードでやってるんだろうが、殴りたきゃ好きなだけ殴れ!! テメェはぶっ倒す!!」
「黙れ小童!!」
「五月蠅いハゲ爺!!」
殴る蹴る。終いには戸を壊して上手投げを華麗に決める長房。かつて鬼十河と呼ばれた十河一存を剣術において打ち負かした篠原孫四郎の勇武は未だ健在と言えるだろう。
反して長治もまた食らいつく。幼くして父を失った長治をここまで教育してきたのは他ならぬ長房であり、弱いと言ってもそれは長房や妹存保が比較対象であり、必ずしも脆弱という訳ではない。武士として一般水準以上の教育を受けているほか、客将には武田晴信によって領地を奪われ流浪の身となった小笠原長時によって弓術や馬術を指南されているためそれ相応の動きを見せる。決してただの文弱では無いのだ。
「大体矜持で飯が食っていけるかッ!! そんなもんを後生大事に抱えてなんになる! 腹でも膨れるってか!?」
「貴様こそ武士としての矜持はないのか! わしらは上に立つものとしての責務があるのだぞ!!」
「知るか!! そもそも武士になりたいと誰が言った!! 誰が願ったッ!! そもそも武士になんぞなりとうなかったわ!!」
「ならなぜ当主になった!!」
「ならざるを得なかったんだよッ!! そもそも周りがポンポン死にすぎなんだよォッ!! 大殿も勝手に精神崩壊起こしてるんじゃねぇッ!! 四国の侍は精神弱すぎんだろォッ!!!!」
「なんの話だッ!!」
「愚痴だァ!!」
長治の力の籠った一撃は長房の顎を撃ち、脳を揺らす。意識が一瞬飛びかけようと、長房は膝を付くことなく、再び長治の腹を殴りつける。
吐き気を堪えきれなくなった長治は胃液を吐き出し、離れの樹に寄りかかる。流石に心配したのか衛兵たちが長治に近寄ろうとするが、長治はそれを視線で制し、再び長房の下までゆっくりと近づいていく。
骨は何本か折れ、口や鼻からは血を垂れ流しながら、ふらふらの体に鞭打ち、長房を睨み付けるように長治は近づく。
拳を振りかぶり、振り下ろした拳は長房の胸に当たる。
力なく、長房は防御することなく長治の一撃を受け止めると、長治はそのまま膝から崩れ落ち、仰向けになって倒れ伏した。
「畜生・・・・・・、また、勝てなかった・・・・・・」
「・・・・・・」
蒼穹に染まる晴天を見上げ、長治は一歩も動けない状況で不満そうにそう述べるのだった。
「お前たち、控えておけ。俺と長房の二人きりにさせろ。安心しろ、もう殴り合うことはないさ・・・・・・」
長治がそういうと衛兵は渋々引き下がった。長房もその場で腰かけ、その瞳から戦意と言うものはもうなかった。
「長房・・・・・・。俺はなぁ、商人になりたかった」
「・・・・・・」
「侍なんざ嫌いだ。切った張ったで命かけて、お家の為だとか、忠義だなんだとやかましいったらありゃしねぇ。正直理解できんよ。自分の命以上にかけられるものが面子なんざ全く理解できないね」
たかが面子。泥水を啜ってでも生きることを選択する人間は確かにいる。面子に、家になんの重みがあるのだろう。どうせ自分の命なら、自分の好きなように使いたい。家の為だのなんだのに消費されるぐらいなら、そっちの方が有意義だろうに。
「けど、何の因果かこんな家に生まれちまった以上、立場を投げ捨てて自由に生きれるなんざ思っちゃいないさ。結局は武士にならざるを得なかった。何もかもを捨てることが出来るほど、俺は図太くも、馬鹿でもなかった」
もしも、この三好長治という男が商人になれたとしたら、それなりに大成することは出来ただろう。粘り強い交渉力に、機を見る先見の才。阿波、讃岐に築かれた対防衛のための施設や城壁の拡張等、金子を集める才は確かに三好を支えている。
半傀儡と言えど、内政、財政感覚においてはそれなりに能力を持つ。長房の監視付きであり、妙なことは出来ないという但し書き付きであるが、阿波三好当主としての才覚は十二分に発揮している。
先に述べたように自分の派閥を作る程度には政治力があるのだ、この程度できて当たり前と言っていいだろう。
「嫌だな、乱世ってのは。この日ノ本は一人で生きていくにはとても厳しい」
「だからこそ、我々が居るのです。領民を、家臣を、公方様、朝廷、天皇陛下、国家。これを守る為に我々がいるのです。我々が立ち上がらねばならんのです」
乱世は多くの希望と絶望。喜びと悲しみ。悲劇と喜劇を繰り返す。
多くの者の屍山血河の果てにきっと素晴らしい景色が見えると信じて彼らは互いに互いを殺し合う。
「その先は本当に救いがあるかなんざ誰も証明しちゃくれないだろうに。結局は希望論だ」
「希望と理想を胸に抱かず、何を抱くというのでしょうか」
進む先に、希望があると信じる長房。進む先はどこまで行っても地獄に変わりない。
どこまであっても平行線、それもそのはず、それが人間なのだから。
「分かり合えんなぁ・・・・・・、長房」
「ええ、ですがそれでよいのでしょう」
長房は立ち上がると、離れを後にする。長治は何も言わず、そっと瞳を閉じた。
「―――殿」
「―――どうした、長房」
これが、長房と長治が本音で語る最後の機会。これが終われば、長治はまた長房の傀儡として暫しの時を過ごすことになる。
父のように、師のように、兄のように、そして偉大な武士としてのその背中は少し小さく震えていた。
「お許しを―――」
彼はもう止まらない。止まることなど出来ない。それが篠原長房だからだ。
誰よりも三好を愛し、誰よりも三好という家に幻想を持っていた男。強く、賢く、偉大な名将であり、大馬鹿者の愚か者だった人間だ。
「―――好きにしろ。お前の人生だ、後悔しないと決めたのならば、後は突っ走ろ。男の子だろ?」
「有難き幸せ―――!」
その言葉を最後に篠原長房は去って行った。
「結局は、お前の勝ち逃げか。まったく、これだから・・・・・・頭の堅―――ッ・・・・・・っ!!」
声が、途端に出なくなる。それどころか目から熱いものがこみあげてきて、胸がどうにも苦しかった。
声をあげなかったのは男のちっぽけなプライドというものだろう。枷を外せば、途端に大声で泣き出してしまいそうで、辛くて、悲しくてどうしようもなかった。
「かたッ・・・・・・、―――堅い奴ッ・・・・・・嫌いなんだッ!!!!」
砂利を強く握りしめ、吃逆をあげながらも、言葉を繋ぐ。どうしても、これだけは言っておかなければならないような、そんな気持ちが長治にはあった。
「殿、御無事で」
「すぐに医者を呼びましょう」
長房が去って数刻もしないうちに衛兵が長治の下に集まってくる。長治にはその言葉を返すことはなく、事象は淡々と進む。
「兄者、泣いているのか?」
「―――うっせぇ・・・・・・」
いつの間にか心配する妹の声が聞こえるが何のその。頭巾を顔に覆い、泣き顔だけは見せない。晒してしまったら当主どころか兄の威厳も無くなってしまいそうだから。
「兄者は弱いな」
「悪いか・・・・・・ッ」
「いいや、そういう兄者だから、わしらはついていくんじゃ」
長治は決して強い男ではない。しかし、だからこそ、弱者の気持ちは何倍もわかる。賢く、ひたむきで、そしてどこまでも弱く、それでいて決して逃げることはない男。三好家最大の範図を築き上げた三好長慶とは似ていて、それでいてどこまでも違うからこそ、存保を筆頭に彼の下へ来たのだ。
ゆっくりと、時をかけ、長治の涙は止まった。
「―――存保」
「なんじゃ?」
そして、彼は決断した。
「傀儡やめるぞ」
「―――わかった」
もう甘える時間は終わりだと、瞳を涙で濡らすのはこれで最後だと。そう決心した。
この日、長治は本当の意味で三好家当主としての道を歩むことを決めたのだった。
主人公は篠原長房ですよ?