『NAGAFUSA』   作:ニーガタの英霊

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 はやく完結させるんだ、4月28日に発売される前に・・・・・・!


『NAGAFUSA』中編

『物心ついたとき、俺の生まれた家は詰んでいた』

 

 それが、三好彦二郎長治としての最初の記憶だった。

 

 転生という言葉がある。古くは仏教用語で詳しくは知らないが人と言うのは現世を何度も繰り返してその度に現世と言うこの世界において苦難と苦痛を強いられ、死んでいく。その為に解脱とか悟りとか開いて苦痛から解放を目指すのがブッダの思想と言うやつだ。

 

 幸か不幸か、父親とその兄弟は未だ若く、これなら早々死ぬことはないだろうと思ったのが間違いだった。

 あっさりと、そして長治が周知するまでもなく、父も、その姉妹たちも、そして次期当主とされていた義興従姉さんもあっさりと死んでしまった。

 四国の大名は精神力が弱いのか、当主である三好長慶は未だ健在なれど戦国大名としては完全に死んだも同義だった。

 

 そして、悪夢は始まった。

 三好三人衆筆頭、三好長逸と外様家臣筆頭である松永久秀の主導権争いから始まる内乱の始りだった。

 

 阿波三好という三好家の本拠地にいる長治にはその状況に介入する手立てはなく、出来ることと言えば、堺を通しての妨害工作と、内乱をどうにか小康状態に導くために謀議を行うぐらいだった。

 

 しかしそれでも内乱は止まらない。内乱は三好長逸優勢のまま事態は進んでいき、後見人たる笑岩、長房が長逸側で参戦した時に、更に悪夢は続く。

 松永久秀による足利義秋擁立と鬼による侵攻だった。

 

 ねぇ神様。俺、何か悪いことしたのかな?

 

 劈く悲鳴と、怒号をあげる武士。容易に蹴散らされていく兵士たち、犯され、無残に殺される民草。まさしくこの世の地獄がここにあった。

 救いなんてこの世にない。それでも、何かにすがりたかった。何かに縋り付いて、助けが欲しかったんだ。

 

 メリットもある。そんな理由で長治はキリストの教えにどっぷりと浸かって行った。

 救いが欲しかった、何度も、何度も祈っても、神様は何も答えちゃくれない。兵装を更新し、長房の持ってきた分国法に照らし合わせて政治を行った。

 金策も忘れずに行い、来る日も来る日も接待の日々。徐々に強くなり、豊かになっていく阿波を見て、織田に勝って、全てが有利になって。

 

 ―――そしてそのすべてが、鬼によって蹴散らされる結果となる。

 

 悔しかった、敗北が。

 悔しかった、整えた盤面がたった一つのイレギュラーで押し返されたのが。

 悔しかった、多くの兵士が、領民が、こんなろくでもない奴を生かすために死んでいったのが。

 

 ―――悔しかった、何もできない自分が。どうしても愚かで矮小なこの身が、立場が、力がない自分自身が。辛くて、辛くて、ただ、悲しかった。

 

 生きなければならない。死んでしまうことに、意味などない。

 死んでしまえばそれまでなのだから、だから、三好長治は生き抜く。

 自分の命が可愛い、自分の命が第一。そんなのは当たり前の話だ。だから、皆、皆。死ねばいい。自分の為に死ねばいい。

 

 それが、生き残った自分の責任だからだ。

 

 生き残る為に、あらゆる手を尽くそう、例え卑怯卑劣と罵られようと関係ない。生き延びる。

 絶対に、絶対に、絶対に。勝利のその先の生を目指して足掻き続ける。

 

 泥水啜ってでも生き延びて、死んでいった奴らを嘲笑しながら大往生で逝ってやる。

 

 そのために―――。

 

 篠原長房を、殺すのだ。最高の形で、三好の最大の利益をもたらすために。

 

 茶室の一室にて、長治は待ち続ける。沸騰した湯が湧き立つのを気にせず、正座のままに精神を統一させる。

 

『さあ来い長房。俺の知る中で、最も偉大な武士よ―――』

 

 時代は巡る、その渦の中に巻き込まれた一人の男は足掻くのだ。このどうしようもない乱世を、ただ自身の生存と言う最も小さく、何より大きい願いの為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――NAGAFUSA中編―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あくる日の昼頃、殿に呼ばれた。

 あの騒動から早ひと月。あの出来事は内々の事として処理され、長房は特にお咎めなく日々を過ごしていた。

 

 三好家が阿波に撤兵してひと月以上、幾内は未だ混沌のるつぼにあった。

 四国から幾内の補給は十分とはいかず、淡路水軍の棟梁たる安宅冬康の死後、その補給能力は確実に弱体化にあった。冬康の遺児である信康は未だ若く、船団の信用を未だ得ていない他、母のあまりにも早い死により、その指導も継承されていなかった。

 河内では大叔母である笑岩が孤軍奮闘し、鬼とのし烈な戦いを繰り広げているほか、長治きっての願いにより堺には長治の実の妹である十河存保が讃岐衆を率いてその防衛にあたっている。

 その他にも摂津では鬼による侵攻によって音信不通となり、山城にて三好家と分断された岩成友通は織田への臣従を決意せざるを得なくなった。

 

「(殿は、焦っておられるだろうな)」

 

 その感情は正しい。むしろこの状況で焦らない方が君主としての器量が問われるようなものだ。その点においては長治は合格点だろう。

 いや、むしろ家臣としては国主を図ることすらおこがましいのかもしれない。それでも三好家最大の範図を築いた三好長慶、その器量に勝るとも劣らない国主になれる逸材、それが長治だった。

 

「(若くして当主、苦難の時を乗り越えて範図を広げるか。こうしてみると実に大殿に似ておる。惜しむべくは、頼りになる一門衆、重臣の不在と言うことだろう)」

 

 残念なことに、長房はそうはなれなかった。

 三好長慶に対する三好長逸になれなかったのだ。

 それと同義に、十河存保も、今は亡き大殿の弟妹の役割をこなすことは出来なかった。

 

 そもそも、長慶と長治では君主のタイプが違う。長慶は専制的権力と優秀な一門衆を筆頭としてワンマンで引っ張っていくことが出来るが、長治はむしろ調整と調節、調和を以って家臣を使いこなしていく理論派だ。爆発力はないが、安定性と精密性にかけては非常に優秀な指し手である。幾内のような混乱の中になければ、或いは治世ならば名君とされていただろう。

 

 長房にとって見れば、どちらも好ましい人物であることには変わりない。

 

「おや、右京進様ではありませんか?」

 

 艶やかな、そしてどこか男を誘うような猫なで声で長房を呼ぶ声があった。

 

「小少将殿・・・・・・」

 

「ふふふ、そんな殿なんてつけなくてもよろしくてよ。何せわたくしと貴方の仲でしょうに」

 

 小少将がそっと触れる手を長房は弾く。その様子に小少将は目を細め、長房は逆に小少将を睨み付ける。

 

「小少将殿、何度も申し上げますが、貴方は亡き実休様の奥方。そして殿のご生母様でありますれば斯様なことをする前に、やるべきことがおありでしょうに」

 

「・・・・・・するべきこととは?」

 

「出家なさいませ。婦女子たるもの良人以外の男性と会うことはあまりよろしくはないかと。亡き実休様の墓前を弔い、お家は殿に一任することが、武家の女子としての在り方でしょうに」

 

「手厳しいな兄上。そもそも小少将には小少将の生き方がある。そういった古い価値観の押し付けはやめた方がいいだろうに」

 

 長房よりやや若く、それでいてスラリとしていた美貌の男が出てくる。

 

「・・・・・・自遁か」

 

 彼こそ、篠原長房の実の弟である篠原自遁であり、現在小少将とは浅からぬ関係を持つ男であった。

 

「嗚呼、自遁様」

 

「ふふふ、小少将。其方はいつ見ても美しい・・・・・・」

 

 そんな彼、彼女らのなれそめもどこか演技のように見える。長房はどこかその様子を冷めた目で見つめていた。そもそも小少将のそのような態度もまた長房の癪に障る部分でもあり、女子としての貞淑さを腹においてきたような面の厚さだった。

 

「おやおや、そろいもそろっておりますな。もしや某が最後でありましょうか」

 

 月代を剃り、口髭を蓄えた壮年の武士。小笠原成助。

 一宮城城主であり、妻は三好長慶の妹、野口冬長の娘を妻としている一門衆であり、彼もまた軍学に通じた歴戦の武士として三好家の中核を担う人材である。

 

「これは一宮殿」

 

「これは右京進殿、息災でありまするな。殿からの茶の招待。この成助ようやく認められたということなのでしょうか」

 

「いやはや、まさしくこれからの三好を支えるに足る重臣である我らと親睦を深めたいという考えなのであろう」

 

「・・・・・・巷で殿は文弱と言われているが、そこはわしらが補えばいい。共に三好を支えていく者としてご協力いただきたいものだ」

 

「無論、この成助。三好に忠誠を誓おう」

 

「兄上、某もまた同じ思いよ」

 

 どこまで信用できるかわかったものではない。兄弟仲は昔からよくなかったが、自遁は小少将と密会するようになりその敵意は日増しに進む一方だった。主君である長治は自遁の讒言に耳を貸していないが、そもそもここまで長房を孤立、排除を訴えていたのは他ならぬ自遁であろうことは想像に難くなかった。

 

「ふむ、これが堺で有名な茶室と言う奴か」

 

「四人で入るには少々手狭ですわ」

 

 初めて見るのか、小少将と自遁は困惑気味だった。成助もいまいち様相がわからないのか到底口には出せぬ雰囲気だった。

 

「茶室と言うのは、不必要な間取りを撤廃し近い距離で共に茶を嗜むことで互いに親近感を湧かせるものであります。古来より同じ釜の飯を食うという言葉があります。共に同じ茶を飲むこともそうであるのでは」

 

「成る程、右京進は博識であるな」

 

「とは申しましてもわしも殿の受け売り。まず茶室に入るのに武具は不要。まずはそこに刀を立てかけまする」

 

「ほう、これはそのために在ったのか。では・・・・・・」

 

 成助は感服すると、自然な面持ちで刀を立てかける。長房もしたがって立てかけると、自遁も刀を立てかけ、茶室に入った。

 

「これはこれは。よく私の招待に応じてくれました、本日はごゆるりとお楽しみください」

 

 頭巾をかぶり、客人である四人が座ったのを確認した長治は礼儀正しくそういった。長房を除く三人は初めての事なのかどことなく落ち着かない様相であり、視線を長房に示す。

 

「殿の折角の誘いを断る者が居りましょうか。我らも殿の茶を楽しみにしてきました。三好はこの四国からは容易に動けない状況。我らの為に上方の文化を振舞ってくれること、誠に嬉しく存じ上げます」

 

 そして、長房は少しだけ違和感に気づく。

 三好長治という男は武人であるがそれ以上に文化人である。そんな一級の数寄者である彼が、床の間に花瓶でなく、短刀がおいてあることに長房は一抹の違和感があった。

 ほかの三人はそれに気づいていないのか、それともこの状況こそが上方の主流なのだと思っているのだろうか。床の間の掛け軸。いつもなれば殿は風景画を置くはずが、そこにあったのはとある人物の絵であった。

 

「今宵は茶をゆっくりと楽しんでくれ。何事も楽しむことが肝要故な・・・・・・」

 

 その言葉を最後に長治は茶を点て始めた。長房は違和感からなのか、ほかの三人は作法を知らないのかそのまま茶室には沈黙が支配していた。

 茶を点てる軽快な音だけが茶室に木霊し、長房はそっと瞳を閉じた。

 

「さあ、出来上がりだ」

 

 幾ばくかの時が経ち、長房の前には黒い椀としっかりと建てられた緑茶があった。

 長房は茶を持ち上げ、薫りを確かめ、そして二三椀を回しいざ飲もうとしたとき、主君である長治の言葉が木霊した。たった一言、その言葉にまるで時が止まったかのように全員の動きが止まった。

 

「この中に、長宗我部に内通しているものが居る」

 

 ただ一言、長治はそう言ったのだった。

 

「―――ハッ! ハハハッ! 殿は面白いことをおっしゃる。そのようなものなどここにはおりませぬ」

 

 そう言ったのは、長房の弟である自遁だった。

 

「小少将殿は殿のご生母、成助殿は三好の一門衆! そんな彼らがどうして殿を裏切りましょうか!」

 

 焦りなど微塵も感じさせない様子で、自遁はそうのたまった。それどころか笑みさえ浮かべている。その状況に長治はたった一言で黙らせた。

 

「飲めばわかるさ。この茶には裏切り者だけを殺す毒が入っておる。飲めば一発で判るだろう」

 

 周囲の目がただ一つ、椀に注がれる。

 

「どうした長房、飲まないのか?」

 

「・・・・・・いえ、いただきましょう」

 

 囁くように聞こえる長治の声。ほのかな焦燥と緊張感の中、長房は茶を見つめ、そっと口につけ、飲む。

 

「・・・・・・結構なお点前で」

 

 体に変化はない。いたって平常だった。

 飲んだ茶碗はそのまま次の人物、小笠原成助の手前に置かれた。

 

「・・・・・・殿も冗談が過ぎましょうぞ。全く・・・・・・」

 

 長房が何ともないのか少しだけホッとした様子で茶を見る。そしてそのまま飲もうとするのを遮った人物がいた。

 

「成助、椀を回せ」

 

「は?」

 

 長治の細く、鋭い眼光が成助を見つめる。

 

「作法ぞ・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 ジワリと、成助の額に汗が滲む。

 

「それが作法ぞ。回せ成助」

 

 圧迫するかのような威圧を滲ませながら長治はそういう。成助は気圧されながら言葉を発しようとし、続く一言で完全に黙らされてしまう。

 

「それともなんだ。お前は長宗我部とつながっているというのか?」

 

 成助は睨むように此方を見つめ、そして視線を長房に移した。

 そして椀を二回ほど回し、茶を啜る。

 

「結構なお点前で」

 

 成助は、絞り出すかの様に声を出し、茶を飲み干したのだった。

 

「殿、まったく冗談が過ぎましょうぞ」

 

「そうですわよ長治。貴方はいったい―――」

 

 自遁と小少将が長治をたしなめるが、長治は意に介した様子もなく、眉一つと動かさない。

 

「ははは、心配ご無用! この成す―――ケベッ・・・・・・!?」

 

 問題ない。そう思い口を開いた瞬間、成助は突如として苦しみだす。

 苦しみ、あおぎ、のたうち回る姿に呆然とする長房たち。なにかを言いたげに口を開くも、その声は届かず。やがて、長治を睨むように見つめ、小笠原成助は息絶えた。

 

「茶が零れてしまいましたな。新たに煎じましょう」

 

「なっ―――!?」

 

 今まさに人が死んだ。それに関わらず長治は未だ茶を続けようという。桐箱から新たに茶器を取り出す。今度は白い椀を取り出し、軽快に茶を煎じていく。

 

「長治、これはいったい」

 

 困惑を隠せない小少将と自遁。長房ですら困惑しているのだ。この場で平静で居られるものなどそれこそ長治のみであろう。

 

「さあ、どうぞ母上・・・・・・」

 

 小少将の前にそっと置かれた新たな茶。しかしそれを飲む勇気は彼女になかった。

 

「どうか致しましたかな母上? さあ、貴方の息子が入れた茶ですよ。まさか三好宗家当主の母が敵に内通しているなどそのようなことあり得ないでしょう?」

 

 小刻みに、小少将の手が震える。

 

 いつ、ばれたのだ。そのような思いが小少将の頭を過る。完璧だった。時代の流れを読み、勝者の妻という地位を手にいれることで様々な家を牛耳ってきた。三好宗家当主の母という地位につき、ここまで完璧に謀を続けてきた自分がここで終わる? 冗談じゃない!

 

 どうにかして生き残る算段を着けなければならない。そう思った所で、ふと成助が飲んだ茶が見えた。

 

「な、長治。茶を飲み干された場合の作法はどうなっているかや?」

 

「・・・・・・新たに茶を煎じて私から近い方へまたお出しします。母上はどうも緊張されておるようで先に一献しましたが、大きなお世話だったようですな」

 

 長治は瞳を閉じ、笑みを浮かべる。すると長治は小少将の前にあった茶器と成助の前にあったを取り、またも長房の前に置いた。

 

「茶をあまり飲みすぎるとそれはそれで大変ですが、ここは母の言う通り慣例に沿っていきましょうか」

 

 またもや長房の前に置かれた茶。長房は慌てることなくそれを口に運ぶと、そっと小少将の下へ渡す。

 

「結構なお点前で。殿の茶は何度味わっても飽きませぬ」

 

「有難う。ああそうだ、次の機会があれば茶菓子を用意しよう。甘い菓子は茶によく合う」

 

 和気藹々と行う会話を尻目に、小少将は未だ苦虫を噛んだかのような顔をしていた。長房が死なない。これは一体どういうことか。もしや成助を殺したのは長治でなく長房なのでは? この言葉も長治ではなく長房の入れ智慧の可能性もある。なにせ相手はあの長治。斯様なことが出来る筈もないという考えが小少将の中にあった。疑心は深まり、手が震える。もし、そうもしだ。長房が我々を殺すとなれば、何としてでも起死回生の策に打って出ねばならなくなる。

 

「―――長治? 貴方、喉は乾いていませんか?」

 

「はぁ、確かに乾いておりますが」

 

 突然の問いかけに長治は虚を突かれる。

 

「それはいけません。母のことは良いのであなたも少し飲みなさい」

 

「いや、しかし・・・・・・」

 

「母の言うことが聞けませんか!!」

 

 突如と上げる怒鳴り声。長治は目を見開き、そして渋々その茶を長治は受け取った。

 

「・・・・・・奥方」

 

「あら、如何しましたか長房殿。わたくしに何か?」

 

「・・・・・・いえ、何もありませぬ」

 

 長房は長治と小少将の顔を見て、そして身を引いた。それが彼女の決断ならば、もう長房に言うことは何もない。その態度が癪に障ったのか、小少将は長房を睨み付ける。

 

 そしてその様子の最中、長治は茶器を二三回し、ゆっくりと傾ける。茶を飲むと、それを小少将の下に手渡した。

 

「ご安心を、三好家に仇なすものでなければただの茶であります」

 

 長治も長房も状態に異常はない。二重に張った予防線を敷き、そしてそれが踏破されたのだ。もはや小少将にはこれを呑むしか選択肢はない。

 

 そして小少将には確信があった。それは自分の息子が自分の命を取る筈がないという無根拠な確信。息子が母を裏切る筈がないというその妄信が彼女の命運を分けた。

 

「(これで問題はない。そして、―――)」

 

 椀を回し、見定めたその飲み口は長房が口を付けた場所であった。

 

「(成助は長房とは違う場所に口を付けた、なればここに口をつけて飲めば問題はない)」

 

 そうして、小少将は茶を飲まず、口をつけ、そして茶器を目の前に置いた。

 勝ったと、そう確信し、そして自遁が茶器を持ち、今まさに飲もうとした瞬間。小少将の体に変化が訪れた。

 

「あ―――ッガッ!?」

 

 喉がしびれる。声が出せそうにもない。なぜ? どうして? 尽きない疑問。答えはただ一つ。毒を盛られたということだ。

 

「残念です。母上」

 

 そうのたまった息子の顔は酷く冷徹な顔をしていた。

 

「ひィ―――ッ!?」

 

 視線は揺れ動き、噴き出る脂汗は止まることなく滲ませる。篠原自遁はもはや対面程度では隠すことなどできなくなっていた。

 

「どうした自遁? 何をそんなに恐れている」

 

 今まで歯牙にもかけなかった相手、それがどうしてだろう、何かとてつもなく恐ろしい相手に見えて堪らない。

 鳴かず飛ばず。彼の楚荘王を元とする故事であるが、自遁は今まさに誅された悪臣として殺されんとしている。なんてことはない、ただの茶会と思ってきてみれば実際は死出の片道切符だったという訳だ。

 

「(見誤った! 器を、その恐ろしさを・・・・・・!!)」

 

「茶器を洗って来る。好きにすると良い」

 

 そう言って茶室の戸を開けた姿を見た自遁は見た。見てしまった。茶室を囲む数十という武装した衛兵の姿を。

 逃げる場所はない。もはやこれまで。

 

「自遁」

 

 そう思った矢先、彼に問いかける声が聞こえた。

 

「長宗我部とつながっておるのか?」

 

「・・・・・・兄上」

 

 気に入らない。誰よりも妬ましい兄。生まれながらにして優れ、神童の誉高く。それでいて父にも母にも、主君にも愛された人間。

 篠原自遁が欲しかったものを既にその手中に持っていた男。他ならぬ自身の実兄だった。

 

「殿を見誤った。その時点で貴様の敗北だ、速やかに腹を召せ」

 

 嗚呼、どうしてこの男は何時もそうなのだろう。誰よりも武士らしく、どこまでも正しい正論と言う名の刃を振りかざす。

 歯を食いしばり、最後の抵抗とばかりに自遁は長房を睨み付けた。

 

 床の間に飾ってあった短刀。つまりはそういうことなのだろう。どこまで行っても結果は身内の恥と言うものに集約される。ならば最期くらい、侍らしい死に方を選ばせるべきだ。長房は純粋にそう思い行動する。

 

「―――ふざけるなよ・・・・・・!」

 

 それが結局、理想であってどこまでも現実でないのを除けばの話だ。

 

「―――兄上は、兄上はいつもそうだ・・・・・・!!」

 

「自遁!」

 

「お前は俺の事なんざちっともわかっちゃいねぇ!!」

 

 胸に燻るのは劣等感。或いは憎しみといった感情だった。

 

「いつも、いつもそうだ!! 兄上ばかりがもてはやされて、俺はいつもそのおこぼればっかりだ!! いつもいつも兄上! 俺の事なんて誰も見てくれないッ!!!!」

 

「―――自遁!!」

 

 長房は弟を叱責する。強く強く呼びかけるも、あふれだすものはとめどなく零れ落ち、枷を切ったかのように流れ出る。

 

 いつだって比べられていた。出来のいい兄。どれ程の努力を積み重ねようと届くことはなく、二人の距離は着実に開いていった。

 いつからだろう、兄を妬むようになったのは。いつからだろう、兄を嫌うようになったのは。いつからだろう、兄を憎むようになったのは。

 

「お前がッ!! お前が悪いんだッ!!!!」

 

 そう言った自遁の瞳は鬼気迫るものであった。眼光は血走り、思考はただ憎しみにかたまり、目の前の対象を排除することしか考えていなかった。

 

「死ねぇ―――ッ!!!!」

 

 自遁は長房から無理やり短刀を奪い、長房を突き刺そうとする。長房はそっと瞳を閉じ、無防備になった。

 どこで、間違えてしまったのだろう。どこで掛け違えてしまったのだろう。その胸中にあるのはただ虚しさだけだった。

 

 昔は、ただの兄弟だった。仲も良かったと思う。同じ家を盛り立てようと共に切磋琢磨し、そして、目の前の弟は自分の前から姿を消した。

 そして気づいてしまった。気づかざるを得なくなってしまった。あの日、あの時の約束は、あの美しかった思い出は、二度と戻ることはないのだと。目の前の弟は、自遁は―――三好を売っている。

 

 そして再び目を見開くと、自遁の袖をつかみ、盛大に投げ飛ばした。

 めまぐるしく変わる視界、背中を打ち付ける痛み。そして、いつの間にか奪われた短刀が自遁に向けられていた。

 

「いッ―――嫌だ」

 

 か細く、そして震えながら自遁は請う。

 

「死にたくないッ―――」

 

 蒼白になる自遁の表情。恐怖に慄き、目には薄ら涙を流す。

 瞬間、長房の顔はかすかにゆがんだ。しかし、再び能面のような顔になり、短刀は自遁の喉元に突き立てられる。

 

「すまない―――わが弟」

 

 逃げることも出来ず、短刀は自遁の首を刺し穿いた。

 鮮血が舞い、その身に返り血を浴びる。長房は同じ父母より生まれた兄弟をその手にかけたのだった。

 

 涙は流さない。そんな資格は長房にはない。行き先は地獄なり。武士として三好を支えると同時に心に誓った長房の決意だった。

 

 流れ出る鮮血。血に染まった短刀と茶室。倒れ伏す三人を尻目に篠原長房は薄笑を浮かべていた。

 

「殿は、卑怯でございますな」

 

「嗚呼―――」

 

 背に忍び寄る気配を察知し、長房はそういうと、その言葉を返す長治がそこにはいた。

 こと切れた三人の死体。その中には長房の実の弟である自遁の姿もあった。長房は動かない、動けない。そう、動こうにももうどうしようもないからだ。

 

「俺は卑怯者だよ。こうしなくてはお前に勝てなかった」

 

 有体にいって、篠原長房と言う男は敗北した。この凄惨な惨劇の他ならぬ犠牲者として。

 

「篠原長房、御乱心だ。さあ長房、神妙に縄につけ。お前はまだ死ぬべきじゃない」

 

 長房は赤く染まった畳の上に座り込み、そして静かにうなだれた。

 

「最期まで、勤めを果たせ。三好の・・・・・・俺の為にな」




 いわゆる謀殺会です。これには備前のUKTさんと出羽のMGMさんもニッコリ。
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