「さあ、始めようか・・・・・・!」
その日、勝瑞において政変が勃発した。下手人は篠原長房、篠原は主君長治の招いた茶室の場において長治の母小少将、実弟自遁、三好の宿老である小笠原成助を謀殺。弟自遁を殺した時に短刀を所持していたためその場で取り押さえられることとなった。
その後、長治は迅速に諸将の居城を接収、自遁、成助の居城である木津、一宮より長宗我部に内通していた疑いを持つ書状のほか、実子である篠原長秀の部下が長宗我部と内通していたことを白状し、ここにおいて篠原氏は筆頭家老の地位から失脚することになった。
「計画通り・・・・・・!」
順当に計画通りに進む状況。その日に始まった政変は迅速な対応の結果一週間と持たず終息。政変の下手人とされた長房も多くの助命嘆願と明らかになった真実によって家老格という地位の返上、及び上桜城からの城落ちを余儀なくされた。
実質的に傀儡から抜け出した長治が行ったことは地盤固め、そして長宗我部と内通していた人材の粛清であった。この粛清の犠牲になったものは多く、あの細川真之すら長治の刃の前にその命を失った。
この時、長治の下にいた将は多く、既に家中の大半から信頼を得ていたことが大きいだろう。その他にも彼は新しく人材を一新するために雇用制度を整えた。
「よろしくお願いいたす。貞慶殿」
「ええ、長治殿に拾ってもらった恩。ここで返させていただきましょう」
その筆頭が客将となっていた武将の雇用であった。その筆頭は武田信玄によって故郷を離れた信州において名門とされる小笠原氏の雇用であり、同族とされる小笠原成助の跡を継ぎ、一宮城城主へと武士として復権を果たす。
「お母上は?」
「母は未だに信濃に未練があります。首を振ることはないでしょう」
小笠原と言えば弓馬の名門とされた一族。生まれてすぐ放浪の旅となった貞慶はいざ知れず、母長時には未だ名門小笠原という想いが未だ残っているのだろう。
そして武士として三好家に仕えた貞慶はおおむね快く迎えられた。今まで数々の武将に対し弓馬の師範を行ってきたことにより顔も広く、信頼されているということが大きいだろう。
「それで当主様、此度の祝言。おめでとうございます」
「嗚呼、有難う」
そして同時に、長治は祝言をあげた。
長治の婚姻相手としての筆頭格は長房の娘であった長重が有力視され、関係も悪くはなかった。しかし長房の権勢をこれ以上高めるのを良しとしない派閥からの反対などもあり、長治は未だ婚姻関係を結んでいなかった。
当然、長房失脚において長治の元には多くの見合いの誘いがあったが、それを差し引いて、長治が妻として選んだ人物は多くの人々の驚きを誘った。
「旦那様」
「嗚呼、準備が整ったか。着心地はどうかな」
艶やかな茶髪に、どことなく幼い雰囲気。それでいて理知的な賢さを感じさせる女性。
「ええ、南蛮の装いは中々悪くはありませんわ」
彼女の名前は斎藤瑞雲龍興。またの名を一色龍興と言った。
―――NAGAFUSA後編―――
室町幕府において四職という武家がある。古くは幕府の軍事指揮と京の警察権、徴税を司る侍所の長官であり、赤松、山名、京極。そして一色家という守護大名が重きを為していた。それに加え、厳密にいえば美濃守護である土岐氏もまたこの四家に追随するほどの権勢を誇りこの五家を以って「五職」とも呼ばれていた。
ここで一人の少女に視点を変えよう。美濃の戦国大名として生を受けた少女の名前は斎藤龍興と言った。斎藤氏の祖である斎藤道三は下剋上の代名詞とさえいえる存在であり、現在三好家を圧迫している織田の岳父であった女性だった。
その娘であった義龍も軍略に優れた人物であり、道三を倒し、ガタガタの美濃をなんとかまとめ上げ、信長の攻勢を何度も凌いだ名将である。
その時発した義龍の言葉が現在龍興を長治の妻として迎えられた理由である。それは、自分は斎藤道三の娘ではなく、先代美濃国主である土岐頼芸の娘であるという言葉だった。
その他にも義龍の母の生まれは一色氏であり、自身は下賤な身分の生まれでないと内外に宣言したのだった。
そういう訳であり、龍興は確実に一色の血を引いているほか、土岐の血族である。面倒な外戚はおらず、居たとしてもそれは織田久遠信長であり、臣従するにあたって、その関係性は無関係な人物ではなく互いに甥、叔母という関係に発展する。
それ以外にも管領として利用してきた細川真之を排除することにあたって、四職の血を取り入れることは大義名分を得るものとしては必須事項であった。
家格。武士の中でも最も重要視されるものであり、加え龍興との婚姻はおおむね好意的に迎えられた。
その理由はただ一つ。彼女の性格と評判にあったと言えよう。
三好家と織田家において斉藤龍興という少女の評価は全く以て逆転する。
織田家においては美濃斎藤家を滅ぼした暗愚であり、三好家においては理知的であり、共に織田の軍勢と戦った戦友であり、勇猛果敢な将と言う評価であった。
加え、この婚姻に際し最も協力的だったのは多くの南蛮人とその信徒たちであった。
産業、商業と右肩上がりに成長を遂げていた三好家において南蛮人との協力は不回避であり、当主三好長治はキリシタンである。そんな南蛮人と付き合うために発展した産業分野があった。
―――養蚕である。
養蚕業は阿波で行われている一大産業であり、徹底した管理と品質の高さにより南蛮人の興味の的であった他、阿波において養蚕は農家の副業であり、しかも生産した絹のほぼすべては三好家が買い取っている。
高品質の絹は朝廷への貢ぎ物のほか、堺、或いは南蛮との交易の一大目玉商品と言えよう。
さて、ここで龍興の今の装いを見てみよう。
白無垢とは違った南蛮風にあしらえた純白のドレス素材は勿論絹を使ったもので、いわゆるウエディングドレスと言うものであった。
披露宴は兎も角として長治が結婚式として選んだのは西洋式であり、場所は教会にて行われる。
これには家臣の反対があったものの長治は粘り強い説得によって敢行。
妻である龍興も南蛮宗教において高い理解を示し、その知識と記憶力の高さはイエズス会宣教師であるガスパル・ヴィレラが舌を巻くほどであったとされる。
また式には堺の会合衆を招いたほか、南蛮人宣教師も出席。また領民に見学可能に警備体制を整える等大仕事であった。
これは阿波の異文化への理解を示すほか、特産である絹の一大プロモーションを兼ねることでもあり、また堺の商人たちに技術力を見せる意味合いを持ち、また結婚式自体に対する経済効果を見込む等の戦略を兼ねての事だった。
順当に式を終わらせ、披露宴を迎えるにあたって長治と龍興はお色直しを行う。
流石に披露宴は南蛮式とは言えず、長治は袴に着替え、龍興も和装をする。慣れない西洋式に式に驚きつつも、家臣一同は驚きそしてその姿に見惚れる者もいた。
特にウエディングドレスはこの後呉服商などが手掛けることにより、堺では西洋式のドレスを求める女性や、教会は西洋式の結婚式場として非キリシタンにも使われるようになる等、商業効果の向上とキリスト教の布教においてはやりやすくなったと後にヴィレラは語る。
そしてこの結婚披露宴において重要とされたのはいわゆる席順であった。
新郎新婦を除外した参加者の配置は非常に重要である。そしてその席順こそが、新たに新生三好家における序列となったのだ。
上座には一門衆や重臣格、それも抜けられぬ場合があって披露宴に参加していないものもきちんと含まれていた。そして披露宴に席がない者、それは基本的に粛清されたか放逐されたことを表すものであった。
かつて三好において権勢をふるった長房の席、それは数々の重臣格からワンランク下がった位置に置かれた。
この結婚披露宴もまたそういった見せしめの意味もあり、祝いの席ではあるがどことなく緊張感を持ち合わせていたのであった。
そして披露宴において最も上にいる十河存保、三好康長。この両名の席は空席なれどおそらくこれからも家老格として家を支えていく面々であり、この後のことを考えてみれば、長治が動きやすいような人材であった。
重臣たちが見つめる長房への視線は同情とも優越感ともとれる複雑な視線だった。
長房はその視線を一身に耐えた。たとえ汚辱にまみれたとしても篠原長房は腹を切らずに未だ生きている。それは単純に生き汚いという訳ではなく、次にきたる、汚名を雪ぐ機会を求めての事であった。
そしてその時はすぐに訪れる。
「これより幾内への再征服活動を始めよう」
結婚から三日後、長治はそう称した。
まるでこの時を予見していたかのような動きであった。
「まずは堺、河内へ軍を進め、康長の救援に向かう。狙いは京。朝廷を我らの手で守り抜くのだ」
すべてはこの時の為、おそらくずっとこの作戦を考えていたのだろう。確かに三好は兵を出せる。しかしそれは三好にとって消耗を強いる行為だ。大規模な出兵をすれば最後、漁夫の利を得ようとした織田軍によって蹂躙は免れない。だからこそ長房は幾内の撤兵を行ったのだ。
織田が考えている漁夫の利を狙って。そうでなくとも三好には堺を中心として商業力がある。長期戦になればこちらが有利、同じ条件であれば田舎武士である織田に負けるなどあり得ない。
だが、長治は決めた。織田政権を生きる一大名として生きる決意をしたのだ。天下人とまでなった三好は、もうその手にはないのだ。
「長房」
「はっ!!」
鎧を身に包んだ、長治は同じく戦支度をした長房に命じた。
預けられた兵はおよそ二千。かつて数万の兵を指揮した長房にとって見れば寡兵と言える存在だ。
そしておそらく、贈られるのは死地、そうでなければ篠原家の汚名は雪がれない。
主君長治はそれを承知の上で行っている。一体いつ考え付いたのだろうか、まさに長治の掌の上で物事は進んでいた。
「我らは河内、堺を拠点とし、京。そして山城へ向かう。十中八九、そして順当的に、岩成友通は見捨てられているだろう」
「・・・・・・殿、まさか!」
織田に臣従した勝竜寺城主、岩成友通。彼の者は突如として現れた鬼の襲来により孤立し、織田への臣従を決めた。しかし織田にとって岩成は外様であり、信用もない相手。織田家中で岩成を信用しているのは恐らく我らを裏切った松永だけであろう。
「安心しろ。岩成は友軍だ。織田へ臣従させたのも、これが狙いよ」
嗚呼、いったいどこまで予想していたのだろう。
「友通に織田に臣従するよう言ったのは、このためだ。
―――なあ長房。新たに四職の血を取り入れた我らにとって、山城を治めることになんら不都合はないだろう」
龍興との婚姻を進めたのはひとえにこのためだった。そういうことだろう。
織田との臣従を決めるならば、多くの手土産が必要だった、場合となれば、それこそ幾内のすべての地を取り上げられるだろう。そしてそのうえでその地を治めるという正統性のある三好からどこまでの土地を割譲するか、仮にも疑似的血縁関係を持つ三好と織田に対し手心を加えないというならそれこそ織田と言うのは信頼を失う。血縁を持つ者でそうなのだ。ならば我々は一体どうしたらいい?
そう言った不和を織田は今一番嫌うであろう。何せ織田は今現在、上杉武田との協力を結んでいる。それが離れてしまえば弱体化は免れない、それと同時に幾内の土地が無傷で織田の手中に入るのだ。これほどおいしい話はないだろう。
ましてや山城に対して織田は対抗できない。信長の妻である帰蝶は、斎藤道三の正室の娘、一色の地を引いてはいないのだから。
確実に、着実に、三好家にとっての利を得ていく。嗚呼、これこそ三好当主。これこそ三好長治という戦国大名なのだ。
「だから長房。お前は摂津から来るであろう鬼に対処しろ」
そして冷徹に、無表情のまま命令する。
嗚呼、なんと嬉しいことやら。肉親以上に肉親であり、父親以上に父親であり、何よりも師であった男に長治は死ねと命じたのだ。これほど素晴らしいことはない。
これぞ、戦国大名としてのあるべき姿ではないか。
「篠原長房、承りました」
「お前には篠原一党のほか、小笠原の軍勢もつける。合わせて五千。これ以上は出せない。一秒でも、一時でもいい。河内を守る防壁であり続けろ」
嗚呼、何と温情のある言葉だろうか、この目の前の君主は武士の面目と言うのを軽視している筈なのに、まるでその面目の為に長房に戦えと言っているのだ。その武士の最も欲しいモノを、長治は解っている。
先の政変で恥を塗った篠原と小笠原。特に成助と深い者であればあるほど、その面子を挽回せねばならない。それこそ死にもの狂いで戦うだろう。そしてその筆頭が、多くの者に理想の武士としてたたえられたあの篠原長房の下で戦うのだ。
「確実に、摂津は落ちている。鬼の侵攻を鑑みれば、次に来るのは河内だろう。山城まで奪えば、織田との和睦も叶う。そして戦略的に鬼を二方面で囲める。これ以上のことはないだろう」
この子は強い。強くなった。
もう、自分は必要ないのだろう。雛が成長し巣を巣立つように、長治も長房という檻から羽ばたくときが来たのだろう。いらなくなった檻は捨てるしかない。
「―――長房」
「はッ!」
「―――俺の為に、死んでくれ」
うつむいていた長房は顔をあげる。もはや憂いは無くなった。面を上げたその顔には笑みを浮かべていた。
「無論、篠原長房。三好の為、長治様の為にこの命を捧げましょう」
ここが、篠原長房という男の死に場所である。
その言葉を最後に、篠原は戦地へと向かう。淡路水軍の軍船の上で語ったその言葉が、彼らの最後の会話だった。
舟の中、床几の上で長治は座り込む。いちいち気を張らねばならぬ大名としての重責。弱みを見せず常に強きものとして振るわなければならない。
「嗚呼―――そうか」
一手刺し違えればそれが命取り。覚悟があっても、それでもその身分は小市民である長治にとっては重すぎるものである。だからこそ、あの男の偉大さを痛感するのだ。
「―――長房はずっと、これを背負ってきたんだな・・・・・・」
俺の代わりに、その重責を担ってきた。どれ程重かったのだろう。称賛されるわけでもなく、否定批判されてもこの称号を持ち続けた男。並大抵の精神力ではないだろう。
今になって、その偉大さを痛感する。嗚呼まったく、到底敵いそうではない。
長治は瞳を閉じ、そして何かを振り払うかのように再度目を開けた。賽は投げられた。ならばあとは進むのみ。このどうしようもない乱世を生きるために、その先が地獄であろうと長治は進むのだ。そうでなければ、死んでいったものに対し顔向けもできないから。
河内国、その中で三好康長こと笑岩が籠る城を高屋城という。未だ鬼に囲まれていることはなかったが、河内では激戦が繰り広げられていた。
本国阿波の軍勢、その数およそ十万と言ったところか。兵士は阿波における新式装備を整え、圧倒的兵数と兵装の差において大勝を重ねた。特に武功をあげたのが篠原長房とその一党である。
流石は歴戦の名将と言われる男である。鬼の物量さをものともせず、兵士は皆汚辱をそそぐために士気も高い。特に新式の兵装であろうとも、見事にものにしている等完璧に仕事をこなしていた。
三好軍は高屋城を本陣として構え、そして京、山城へ向かい本隊は進む。
一方の長房は石山本願寺が鬼の猛攻へ備えている錦城の近くにある野田城へ籠ることとなった。
河内、そして堺の岸和田城に籠る十河存保はあらかた鬼を倒したと言え、未だその残党は残っている。足元を留守にするわけにはいかず、野田城は孤独な戦いを続けることになるのだろう。
そんな絶望的な戦場に行くのに、長房の心はどうしようもなく高揚してしまうのだ。
荒れ果て朽ち掛けている古びた城郭。福島城と共に織田との戦の主戦場となったこの城は改修されることなくそこにあった。
荒れ果てた摂津の地。この国に入ってからというもの、未だ一人とて生存者の姿はなく。この地その物がまるで冥府の奥底であるかのような様相であった。
長房が城に籠ること凡そ十日余り。地獄はごく当たり前の様にその眼前に現れた。
「父上・・・・・・」
高台にいる長房の背後から声がかけられる。振り向くとそこには長治と同じ年頃であろう若く美しい姫武将がいた。彼女の名前は篠原長重。長房の愛娘であり、父と共に数々の戦場を乗り越えた次代の三好を支えるべく躾けた長房の愛娘である。
「戦の用意が整いました」
「うむ。なれば良し」
戦場に連れてきたのは何も娘だけではない。
弟自遁の息子であり、長治の近習であった長秀と弟右近。久米田の戦いで自刃した長房の妹、佐吉兵衛の遺児である右京。そして此度が初陣となる長重の弟である新次郎など篠原一門を総動員しての戦であった。
迫り来る鬼の総軍。それは数えるのが馬鹿らしくなるほどの大軍であった。目算でおよそ十数万はあろう軍勢。しかし統率などは取られていない烏合の衆なれど数と言うのはそれだけで武器となる。
古来より大軍策なしという言葉もあるぐらいだ。そして鬼は何人とすり減ろうとその歩みを止めることはない。まさに無限に湧き出る悠久の地獄そのものだろう。
ああ、だからであろう。長房のような武士でも、いや長房という武士だからだろう。震えが止まらなかった。
「・・・・・・父上」
「・・・・・・嗚呼、大丈夫だ長重」
長重は父の手が震えている様子を見つめ、そして父の顔を見た。
体は震え、カタカタと歯が鳴り。そして顔には狂気が入り交じった笑みを浮かべていた。
「―――斯様な戦場に立てるとは武士の誉。自らを取り乱したりするものか」
「―――戦に望む心意気はわたくしも同じですが、あまり楽しんで己を見逃さないようにいたしてくださいませ」
長房は心底うれしかった。このような戦場に戦い。そして死ぬことが。
―――武士道とは死ぬことと見つけたり。
単純に死ぬことは良いのではない。生きることが後に繋がるなら生きるのもいいだろう。しかし人間いつか死ぬのならば死ぬだけに何かを残すことが出来る。この戦いで何かを残すことが出来たのならそれは武士として満点だろう。
「長重」
「はっ!」
父の、長房の声はいつもの声量より少しだけ優しかった。長重はあの篠原長房の娘として生まれてきた。たとえ女子だとしても能力があればそれ相応に鍛えられる。鎌倉時代であっても場合が場合であれば女の守護や地頭を置かれたその名残がこの時代まで続いたためであったが、この娘は見事に一角の武将となり父の期待に応えてくれた。
だからこそ、長房は思うのだ。
「済まなかった」
一言、そう謝罪の言葉を述べた。
「お前は殿を好ましく思っているのは分かっていた。出来得ることなら、夫婦に・・・・・・そう思っていた。だが、わしは力不足だ。娘の願いすらろくに叶えられん父親だった」
本来なら、あの婚礼の場に居たのは、長治の隣にいたのは長重だったのかもしれない。
強引に婚姻を進めれば家中で不満が上がるだろう。内紛によってその勢力を弱らせた三好家を今度は自分の行動によってさらに弱体化させることは長房には憚られた。
危険と隣り合わせと承知の上で長重に実績を作らせ、漸進的にだがいずれは結ばれるなら、そう思ってやって来たのだ。しかしその結果は自身の失脚とあれば笑い話にもなりはしない。
親として思うなら無理やりにでも結婚させれば良かっただろう、しかし三好家の家臣としての自分がそれを止めた。これではまさに親失格ではないか。
数瞬の沈黙。しかし、顔をあげた長重の顔はあっけらかんとしていた。
「父上、父上が気に病む必要はありません」
その笑顔が、長房にはとてもまぶしいものに見えた。
「わたくしは、あのお方を愛しています。だからこそ、ここで死ぬことがあの方の為になるのならば死にましょう。操を捧げることは出来ませんでしたが、この命を捧げることが出来るのなら、女として本望です」
それは献身。まさに命を捧げる愛だ。
あの人の苦労を知っていた。ただの傀儡ではなく、その中でできることを必死で模索していた。涙を隠し、心の中で泣いて、辛くて苦しくて、それでも逃げることはなかった。逃避することはなかった。常に彼は前を向いていたのだ。あらゆるものを引きずって、その胸に感じた痛みすら後生大事に抱えて、今までの道程を振り返りながら、それでも戻ることなく前に未来に向かって駆け抜ける。
そんなあの人を見て、いつしかそれを目で追いかけていた。
「この想いは誰にも渡さない。けれどあの方と結ばれることも無い。あの方と二度と会うことも適わない。そして、私はこの恋を諦めました」
誰よりも武士とかかけ離れていた。しかしあの方ほど武士らしい人はいない。
多くの幸福のために、多くの平凡な日常の為に、そんな日が来ると信じて自ら手を汚すことも厭わず、諦めず、まい進する。
そんな人だから、少しぐらいあなた自身も救われてもいいでしょう。
「―――けれど、あの方の幸せを願うことぐらい信じてもいいでしょう。だってそれは当然のことだから」
大好きな人だから、愛した人だから。たとえ想いは届かず、この胸の内にそっとあるだけ。それでも、勝手に願うぐらいは許してほしい。
龍興様も、立派な人だった。この阿波に来て、いろんなことを学んだ。無知は罪だとでもいう様に勤勉で、そしてどこか純情な彼女。彼女なら任せられると、長重は勝手に思うのだ。だから―――貴方たちは勝手に幸せになりなさい。
大好きな人たちだからこそ報われて欲しいのだ。
「それに、生きたいのならここに来る人はいません。あの成孝殿のようにどこかに逃げているにきまってます」
「それもそうか」
小笠原成助の弟成孝は兄の謀殺、粛清を知ると家族を伴い阿波から逃げ出していた。別段それを否定するわけではない。彼にも守るべき家族がいる。それを守る為なら逃げるのも一つの手だからだ。事実小笠原成助の子弟たちはその粛清から難を逃れた。
どこか、心の中で舐めていたのだろう。思えば父らしいことは何もしてられなかった。公人としては満点かもしれないが、私人としては落第点だろう。そして、娘は長房が思っていた以上に強かった。
嗚呼、何たる無情か、娘と殿の子であればきっと素晴らしい傑物が生まれていたであろうに、そう思えば少しだけ後悔した。
篠原はここで死ぬ。篠原という血族はここで絶えるだろう。お家を残せなかった、それは武士として恥ずべき失態だ。だが、文字通り刻むのだ、歴史に、時代に篠原という一族がいたということを残す。それが出来るのなら十分だ。
「長重」
「はい」
後悔はしないか。そう思い、そしてなんて馬鹿な問いだと飲み込む。
彼女は一角の武士なのだ、そんな愚問をするほど長房は馬鹿ではない。だから一言、この娘の胸に残る言葉を言おう。
「お前がわしの娘で良かった。わしの娘に、生まれてきてくれて・・・・・・有難う」
どこか長房は不意に視線を逸らす。長重はきょとんと目を開いて驚き、そして言葉を理解すると、柔らかな笑みを浮かべた。
「ええ、わたくしも父上の娘に生まれてよかったです」
そして、これが長房と長重の最期の会話となるのだった。
野田城は鬼の軍勢に囲まれている。城郭は老朽化し、まともに機能しているとは言い難い状況ながらそれでも篠原一党は奮戦していた。なにせ相手はあの鬼だ。
単純な膂力は人を超え、技量、能力共に卓越した武士であろうと苦戦は免れない相手。それが大挙して訪れるのである。戦いによる疲労以上に追い詰められる将兵の精神には想像以上の負荷がのしかかる。
それでも篠原長房率いる五千の将兵は未ださしたる問題もなく統率を守っていた。これはまさしく長房の人徳というものであろう。彼はあらかじめ篠原家に残っていた感状を燃やし、そのほかの家宝や名品はすべて廃棄、或いは譲った。まさに帰る家をなくしての出陣だ。この戦では既に死を覚悟し、篠原の一党はまさに死兵となって戦っている。そしてこれは純粋に篠原長房という男にあるカリスマ性にあった。
武士として鑑と言われる長房は自ら戦線に立ち、味方を鼓舞し、ある時は強力な鬼に際し一騎打ちでこれを仕留めるなど度々活躍していた。長房旗下の長重や長秀も懸命に戦っているのも大きいだろう。
「炮烙を浴びせろッ!!」
野田城の郊外において炸裂音や爆音が響く。こんな時の為に長治が持っていた炮烙や火縄銃などの武器は長房たちの心強い味方であった。
財貨即ち力なり。長治が提唱していた訳がよくわかる。
金にモノを言わせ最新の兵装を備える。或いは金で兵士を買えばそれだけで力となる。
特に近接戦闘では後れを取ってしまう長房たちであったが近づかれる前に炮烙によって爆散させることが基本的な方針であった。
そして巧みな陣形と籠城に際しては完璧にこなす。このまま続ければおよそひと月は持つであろう。事実ひと月という間野田城の軍は持ち続けた。しかし、長きにわたる籠城戦は長房の軍を崩壊させるに足るものであった。
「炮烙の数は? 鉄砲の玉は?」
「どれもこれも底を尽きかけています。兵糧に余剰はありますが、もう持ちますまい」
月代を剃り上げた端正な顔の持ち主。先の政変で謀殺された自遁の息子であり、長房の甥にあたる長秀はそう苦言した。
「そして、自殺者も増えています。今日に入り、また一人亡くなりました」
「鉄砲を取り上げたのだろう」
「ですから自害です。友人に介錯を頼んだと」
「・・・・・・そうか」
長房旗下の兵卒は未だ統率を保っていたが、それが長秀や長重という別部隊の兵となればそこまでの影響力を持たない将兵たちは持たなかった。精神の均衡を求めて自害してしまう。
この時代は浄土信仰があり死にこそ救いがあるという教義がそうさせてしまうのだ。
「主だったものを集めろ。最後の軍議だ」
時は戦国、三好家に仕えた名臣の一族があった。
その一族を篠原という。
篠原氏は元は橘氏を祖とする阿波の国人であり、管領細川氏に使えた三好の陪臣という立場にあった。
その中で名将と畏れられる男がいた。男の名前は篠原孫四郎長房。三好実休の内者と呼ばれ、文武両道、知勇兼備の侍であると三好家家中において一目置かれる人物であった。
しかし、三好の没落と共に次第に疎まれ、やがては主君長治の命により、幾内における鬼の襲来を防ぐための盾として命を下された。
野田城に籠ることひと月。その日、野田城の城門が開いた。
「全軍―――」
馬に乗り、刀を鞘から抜き、振り上げる長房。その周りを固める兵士たちは皆一様にこれから向かうであろう死地へ笑みを浮かべている。戦場による狂気。片方はその表情すら見えない鬼の兵士、もう片方は喜悦を浮かべ、今か今かと戦場へ飛び込まんとする兵。
嗚呼、まさしくここは地獄なり。悪魔より人間の方が恐ろしいと言うが、成る程至言だ。これじゃあどっちが鬼だかわかったものではない。
「―――突撃ィ!!!!」
わっ、っと駆けだしてゆく篠原一党の兵士たち。迫り来る鬼の壁に対し死での一番乗りを決めようと向かう。
そして鬼とその影が交差し、その身を骸へと変える。
弾ける人骨、触れた瞬間からごみのように崩れゆく命。それは人も鬼も変わらない消耗戦。
鬼が人を殺し、人が鬼を殺す。味方の骸を盾にし、死してなお鬼に向かってかみ殺さんと懸命に殺し合いを興じる。これこそが武士、これこそが士の生き方。嗚呼、これこそまさに修羅であろう。
万策尽きた。援軍は来ない。それでも、もう時間が持たないならば、一体でも多くの鬼を殺そう。それが明日を繋ぐ鍵ならば、彼らは喜んでこの場で骸となる。この屍山血河こそ我らが望んだものなのだ。行き先は地獄なのは知ってのこと、もとより士とはそういうものである。
「創生せよ、天に描いた星辰を―――我らは煌めく流れ星」
それは祈り、或いは願い。
「宵闇を照らす明星よ、瞬く光を
守りたかった、救いたかった、そしてもう一度夢を見て居たかった。
「暴威を是とする軍神の稲光さえも打ち砕き、我らの星光を守り抜け。怒りと想いを胸に抱き、まつろわぬ反逆の流星を掲げよう」
三好を照らし、そしてその道が誤らないように導く星でありたかった。
その為ならば自分が幾ら憎まれようと平気だった。そんなもので済むならむしろ安いだろう。
「何度でも、幾度となく、例えこの身が滅ぶ定めとて、我が信念は折れることなく抗おう。故に進もう、故に立ち向かおう。この身が既に悪逆ならば、より尊い光を持ってこの地を照らさん。愛するものを護る為」
篠原長房は折れない、砕けない、諦めない。そんなのは当たり前だ。だからこそ、自分は死ななければならない。古い考えにとらわれたものはいずれ排除される。ならばこの結果は当たり前。老害はさっさと退場するに限る。
「この一条の誓いを胸に、我は此処に閃光の輝きを汝へ下さん―――煌めけ流星」
だというのに、この心はどうしようもなく満たされている。
「橘氏篠原御家流―――」
ならばもう憂いはない。さあ逝こう、これが篠原の生き様なり!
「「「「「―――
重なる重奏。身を包むはいうなれば生命の輝き。
篠原御家流・天津甕星。それは使用者の命と引き換えに莫大な一撃を敵に食らわせる文字通りの必殺技。
駆ける速さは光速、生み出される衝撃は極超新星。地を抉り、その輝きは日ノ本を覆う。単純な威力なれば数ある御家流の中でも最高峰に位置するであろう。しかし、そのデメリットも相応なものだ。発動すれば最後、命がなく、肉体は塵となって吹き飛ぶだろう。そしてその破壊力故に味方ごと巻き込むのが最も効率のいい方法である。
「長重、長秀、新次郎、右近、右京―――逝くぞッ!」
「「「「「はッ―――!!」」」」」
その身に纏うはまさに生命の輝き、目の前にいる巨大な鬼ですら容易に塵へと変えるなど彼らにかかればまさに容易だろう。
「うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!!!!」
初動の移動のおいて鬼を弾き殺し、鬼の軍勢の中央部に進む。
ある者は超大型の鬼を仕留めんとし、ある者は鬼の進軍を阻むために進軍路の遮断に、ある者は長房と共に多くの鬼を仕留めんがために軍勢の多くを殺し切る。
流れる六条の流星。その命を燃やして、明日を繋ぐために多くの者を生かすためにその命を絶つことを決めた者たち。その覚悟たるや40を過ぎた長房には想像もつかない恐怖だっただろう。
愛する者の為、篠原の汚名を返上する為、或いはそれ以外の何か、そのために命を張っている。それを誰が笑うことが出来ようか。
そしてその視線に捉えた中心点。長房は笑みを浮かべ、その拳を高く振り上げた。
「我が名は篠原孫四郎長房! 武士の生き様、その眼に焼き付けとけッ!!!!」
そして、その日摂津に流星が墜ちた。
夜中に目を覆うほどの閃光の輝き。まるで太陽の光がそのまま地上に落ちたかのような錯覚を、長治は見た。
「―――そうか、そうか」
場所は山城。起死回生の一手は成功となったのだ。ただ一人勝竜寺にて奮戦していた岩成友通は半生半死でありながらその命を何とかつないだ。
「―――死んだか、長房」
そして知る。篠原長房という偉大な武士は死んだのだと。
あれほど嫌いな人物が、あれほどの男がこの世から亡くなった。その衝撃は並大抵のものでなかった。
「旦那様」
「・・・・・・どうした、瑞雲」
声が震える。そしてどうしようもなく、胸が苦しくなった。
そんな長治を見かねたのか、龍興は長治をそっと抱きしめた。
「人払いは済ませております。ですから、泣きたいときは無理せず泣いてください。旦那様が辛いと、私も辛いです」
そして気づけば、長治は涙を流していた。
「―――あれほど嫌いだったのに、あれほど嫌な相手だったのに。けど、居なくなったら、とても辛いんだ」
「ええ、分かります。私も同じでしたから」
一人、孤独な旅の末阿波にたどり着いた龍興。幼い時分、なにも知らなかった子供の自分は稲葉山においてきた。
「旦那様、その気持ちを忘れちゃなりません。失った人を忘れてはなりません。辛くてもいいんです。受け止めきれなくてもいいんです。ゆっくりと向き合っていけばいいんです。一人で抱え込まないで、弱くていいんです。旦那様には、私たちが付いています」
そう言った龍興の胸は暖かかった。思えばこうやって母に抱かれたことはあっただろうか。
長治は生まれながらにして一人だったそんな長治を気にかけ、或いは超えられぬ壁として向き合っていたのは恐らく長房だけだっただろう。
―――嗚呼、そうか
そして、長治は理解した。
―――俺は、父親を失ったのか
父よりも父らしい男だった。妹である存保よりも過ごした時間はもしかしたら長かったのかもしれない。
厳しく、強く、そして何より愛に富んでいた。心のどこかでそれを忘れていたのかもしれない。生きるために必要以上に情を無視した結果がこれなのだろう。
だがそれでも、それでもだ。長房を殺したのは間違いではないと思う自分も確かにいるのだ。
二律背反。公人としての長治と私人としての長治はせめぎ合う。それでも、たった一つだけわかることがある。
ひどく、そしてどうしようもなく悲しいということだった。
その日、長治は初めて声をあげて泣いた。
篠原家(橘庶流)お家流『天津甕星』三好家に輝く星であり、主家が道を違えないように正しい道を進むように願った彼の御家流である。その技は、自身の命を引き換えに自らを流星へと転じ、敵に莫大な被害をもたらすという技。
その特性上、発動すればまず命はなく、効果範囲、威力共に強大な一撃である。モデルはメガンテとか流星一条(ステラ)とかその辺。純粋な破壊力と効果範囲は数あるお家流の中でも随一。その分デメリットも大きい。
以上完結です。明日この原作のエロゲ買ってきます、それでは!