市立桜ヶ丘高等学校の用務員、サイタマが召喚されたのは、学園祭のゴミの後始末に集まっていた数十人の生徒と三人の教師と一緒に、校舎裏でのことだった。
世界が光に覆い尽くされる。
気がつけばサイタマはよくわからない場所にいた。
【世界の狭間に漂う者たちよ】
脳内に声とおぼしきものが響いた。
不思議と落ち着いた。絶対の母性であったようにも思う。
それは生徒たち、先生たちも同じようで奇声や叫び、ざわつきさえもおさまった。
【残念ながら貴方達は召喚されてしまいました】
不思議と意味はすっと理解できた。理解できたが、意味がわからない。
【ここではない別の世界で、とある才あふれる未熟なものが、戯れに存在しないはずの勇者召喚を成功させてしまいました】
ふざけるなっ、私たちをもとにかえせっと一年Aクラスの体育教師がどなり声をあげる。
それをかわきりに生徒たちも次々と声をあげ始めた。
【――地球はすでに私の管理から巣立っておりましたので召喚を防ぐことはできず、貴方達を召喚した世界は私の管理が及んでいるところではありません】
【今は、召喚によって起きた世界間移動の、全てが曖昧なときだからこそ、こうして私が貴方達に干渉できているのです】
さらに教師が声を上げようとしたが声がそれを遮った。
【これから貴方達のいく世界は、地球のように人が支配している地ではありません。手に負えない危険がすぐそばにあります】
その厳しい声に誰もが喉を詰まらせる。
まるで、幼いころに母親に叱られているときのようであった。
【言葉はわからない、武力もない、魔力もない貴方たちでは、あまりにも無力な世界です】
そしてすぐにふっと声を和らげる。
【そんな場所に貴方達を放り込むのは忍びありません。ですから貴方たちには最低限の力を授けます。まず、言葉と、適応できる身体を】
全員が青く光る。
【そして、その身を、仲間を守る剣ちからを】
剣の形に白くボウっと光る塊が、ひとりひとりの前に浮かび上がった。
全員が自然と警戒することなくそれを手にしていた。
【それではお行きなさい、我が子たちよ。せめて健やかならんことを願っています】
我が子?と疑問に思う間もなく、身体が黒く光りだした。どこかに引っ張られるような感覚もある。
その時であった。
サイタマの手から剣がひったくられる。
そして、あっという間もなく、そいつは走りながら消えていった。
その背中は一年生の……名前までは知らなかった。
顔だけはなんとか思いだせた。勝気でプライドの高そうな。噂ではどこかの社長の息子だとか。先生の間で噂になったのを覚えていた。
でなければ顔も覚えていなかったかもしれない。入学して半年の生徒の名前は愚か、顔もあやしいのだから。
サイタマはただただ茫然していた。
【愚かな。今いるものたちよ、安心なさい。あちらの世界にいったならば、その剣ちからは貴方達の才能となり、定着しています。奪うことはできません。そして、もうここで、そのようなことも許しません】
声の主の叱声を聞きながら、不意に少し離れたところにいた体育教師と目があい、しかしそいつは失笑とも苦笑とも取れるような顔をして消えていった。
他に目のあった生徒や教師も同じような顔をして消えていった。
サイタマは自分もこのまま召喚されるのだろうと思うと、悲観した。
市立桜ケ丘高等学校、一年生二十五名、二年生二十五名、三年生二十五名、教師三名、用務員一名、総勢七十九名は地球から、別の世界に召喚された。
【……ああ、哀れな子よ。申し訳ありません】
サイタマはまだ飛んでいなかった。
白い空間に一人ぽつねんと残されていたのだ。
【一人につき一つしか存在しない剣ちからゆえに、そなたに新しい剣ちからを与えることはできません。あちらの世界に降りたってしまえば、魂に定着してしまった力は取り返すこともできません。ここは全ての存在が曖昧になっていますから剣ちからを盗むなんてこともできましたが、本来の、存在の確たる世界ならば人が人の才能を奪うことができないように、剣ちからを盗むこともまたできません】
サイタマはなんとなくそうだろうなとも思った。だか奴がしたことは犯罪である。
それを見過ごすサイタマではないが。
【見も知らぬ土地での唯一のつながりなのです、あまり物騒なことは考えてはいけませんよ】
声の主は、それ以上を言うわけにはいかなかった。
これからいく世界を恨まないように、呪わないように。
本当ならば、剣ちからを盗んだ愚かな子も、まだここにいるはずだった。
だがそれは、あちらの世界に阻まれて、かなわなかった。
所属する世界の管理権に基づいた、世界の正当な力の行使は、全てに優先される。
すでに彼らは、あちらの世界の物だった。
サイタマはその声の主にこう言った。
「別にそんな力が無くとも問題ない。」
サイタマは毎日ハードなトレーニングを続けている。
子供の頃、夢見ていたヒーローになるために。
【そうですか……しかし、困りましたね。多少は力があるとしてもこのまま召喚されると大変でしょう。どこか別の場所に召喚をずらしましょうか。人の行いである召喚を、私がやめさせることはできませんが、それくらいならば】
サイタマはそれでかまわないと思った。
正直、面倒なことに巻き込まれると考えたからだ。
【食料と水を一年分に、あちらの世界での一般的な魔法教本、ナイフくらいしか用意できませんよ?貴方だけを優遇するわけにもいきませんし、あちらの世界に過剰に干渉するわけにもいかないのですから】
母が単純な子をたしなめるように言う。
だが、単純な子は頷いてしまう。
嬉しそうに。
【わかりました。それではお行きなさい。】
こうしてサイタマは異世界へ旅立った