ついに進展があった。どこの区をまた襲撃されたのではない。こちら側からの進展だ。
先日、ヴァースのアジトらしき建物を発見したのだ。場所は16区。とある捜査官たちが周辺の見回りをしていたとき、遠くで不審な格好をした人物が3人ほどいたという。彼らがまわりを警戒しながら奥へ奥へ進んでいくのを捜査官たちは見逃さず、その後をつけていった。しばらくして見えてきたのが廃墟と化した建物。まるで裕福層が持つような宮殿に近い雰囲気の建物だった。その後調べてみるとそこには現在誰も住んでいないとわかった。さらに付近に設置されていた対喰種のための隠しカメラには、以前騎士討伐戦で突然現れたときと同じマスクを被った者がそこに入っていく映像が何回かあった。これを機にCCGはここに乗り込んでヴァースの殲滅をはかることにした。前回行われた対フェミーアンの時よりも規模は拡大した。まわりの区の捜査官たちが集められ、グループ分けが施された。召集をかけられた捜査官たちは自分らが選ばれたことにある意味嬉しさがあった。自分の今の実力があってこそ、この討伐戦に参加できるのだから。だが、彼らの大半のそれはあくまでほんの少ししかない。ペットボトルの飲み物を飲み干した後の、逆さに振れば垂れてくる数滴ぐらい程しか。それ以外、ペットボトルに入っていた飲み物は彼らに注がれた。一定量が流れるのではなく、一気に正面からぶつけられるほどの衝撃と、後からじわじわ滲み出てくる恐怖が。
「つまり今回が我々人間側からの襲撃だ」
壇上の上で久保田が立つ。固定されたマイクに彼は言葉をぶつけ、スピーカーから拡張する。今までにない緊張感が彼の言葉から充分伝わってくる。それを今回の討伐戦に加わることとなった捜査官たちが食い入るように聞く。その姿はまさに決戦前夜とでも言わんばかりの雰囲気だったが、己の内側に漂う恐怖も相当なものだろう。自然と拳に力が入っている者も少なくなかった。
「これまで数多くの仲間を失ってきた。その悲しみに押しつぶされてしまいそうになった。だが、我々は一方的にやられていいはずがない。クインケを操る喰種捜査官であるのだ。これは反撃の狼煙だ。相手が未知の力を使ってきたとしても諦めるな。突破法は必ずある。そして、我々は勝ち取るのだ、この戦いの勝利を!10年前と同じようには行かせない!」
鼓舞するような久保田の声は会場全体に響き渡る。そこからは喰種への、アルドノアグールへの強い反抗心が垣間見える。自身の拳を握り天にかざす。細く鋭い目つきは決意に燃えている。その姿に捜査官たちも押されたようで、決心をした顔つきになる。
「二日後に作戦は開始される。既に通知したものに従って集合するように。では、解散!」
久保田のその言葉と共に捜査官が一斉に立ち上がる。幾度も重なった音は銃撃のようで、一気に広がった後に空気と同化していった。
料金を支払い、お釣りもしっかり受け取る。小銭を財布に流し込んで目の前に置かれたコーヒー2カップを両手に持つ。やけど対策のために一層厚くなっている部分があり、人間はつくづく考えるなと改めて思った。伊奈帆は歩いて少しのところにあるカウンター席に向かう。そこには自身の姉が右手でほおづえを突きながら外を眺めている。
会場を出た後2人はカフェテリアに来ている。21区対策局ビルの5階にあり、天井はかなり高い構造になっている。壁は柱と柱の間に強化ガラスが入ったものとなっているため外を見渡すことができる。そこにズラッとカウンター席が並び、後の空間は売店と4人がけの席が設置してある。あの会場に多くの捜査官がいたが、カフェテリアにはそれほど人はいなかった。
「ありがとう、ナオ君」
ユキは2つのうち伊奈帆の右手に持っているカップを受け取る。伊奈帆はユキの左隣の席に腰掛ける。丁度この時間帯は日の光がもろに入ってこないが天気は快晴のため、店内も明るい。
外は相変わらず平日の景色を映し出す。車は道路の上を走り、信号によって進むか止まるかを制御されている。それは人間も同じで車道の手前で立ち止まる。多くが黒いスーツを身に纏った人物。赤から青に変わった途端、塞き止められていた方が動き出す。止めては動かす。ただそれだけ。
座ってからはしばらく会話は生まれなかった。2人はそれぞれコーヒーを口に入れてはカップを置くのを繰り返していた。その間を破ったのは伊奈帆だった。
「ねぇ、ユキ姉」
「なに」
「あの時のこと、覚えてる?」
「あの時って」
「10年前の、あの日。僕らが何してたかって」
ユキは飲もうとしていたコーヒーのカップを置いた。
「……ううん。思い出そうとしても曖昧なままだよ。まぁ今更になって思い出せることじゃないって諦めてるけど」
「じゃあどのくらいまで覚えてる?午前中は僕とユキ姉と母さんと家にいたんだ」
「うん、それは覚えてる。ナオ君と一緒に宿題やってて、わからないところはお母さんに教えてもらってた」
「そうだね。その後はお昼ご飯を食べて、それから何をしたか」
「えっと……」
ユキは前髪を指でたくし上げながら必死に記憶を呼び覚まそうと試みる。目を細めたり閉じたり、彼女なりに努力はするが霧がかかったままだ。
「ダメね、思い出せない」
「うん。僕も以前はそこまでしか思い出せなかった」
「以前は、ってことは」
伊奈帆はコーヒーを一口飲んでからユキの方を見る。
「思い出したんだ。ぜんぶはっきりとは言えないけれど、少しは。あの日の午後、僕らは
伊奈帆の言葉にユキは一瞬目を大きく見開くが、すぐに目線を下に逸らした。
2人は話ながらも10年前の過去を紐をほどくように、ゆっくりと思い出していた。上の会話のように、2人には
母親が亡くなったのだ。ヘブンズ・フォールの日、偶然通行人が3人が道で倒れているのを発見した。母親は腹にひどい傷があり、大量の血が流れ出ていた。確認したが息はなかった。そのすぐ近くに2人が倒れていた。そしてすぐに病院に運ばれたのだ。医師のカウンセリングの後、まもなく喰種捜査官がやってきた。勿論、その時のことである。母親の遺体から喰種のよる赫子によるダメージだとわかったため、CCGが動いたのだ。若い男性と中年の男性が2人の前に座った。質問内容は当然その時の様子であった。2人はまだ小学生と中学生であるため、ストレートではなくオブラートに包むように捜査官たちが話をする。が、何故か2人は答えられなかった。
長い間閉ざされていた門が開かれようとしているのだ。それは真実へと迫る、唯一の扉。そして同時に迫り来る母親の死。故に2人は何もかもすべて思い出したいと心の底から願っていなかったのかもしれない。再び訪れる間の中で伊奈帆は思い出した記憶で聞こえてきた言葉を思い出す。
『ユキ、伊奈帆。これから避難するのよ。すぐに準備して』
『お母さん、どうして』
『いいから。出来るだけ早く』
切羽詰まった状況と見える。視界の所々が黒くなり、視聴不可能のテレビのように砂嵐が入ったりする。
『この子たちにだけは手を出さないで!』
『お母さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!』
『やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!』
さらに激しくなる砂嵐。その隙間から窺えるのは狂気のような叫び声。喉が切れてしまいそうな悲鳴を出すユキは普段見ることのない歪んだ表情を浮かべる。そして砂嵐の耳につくような音がどんどん迫ってくる。安定しない視界からの情報は最早役に立たない。いくつものシーンがつなぎ合わされて高速再生しているみたいだった。
『僕はね、※※※※※※※』
「……!」
最後の一言、後半こそ聞き取れないが、たったこれだけで伊奈帆は内側から一気に冷やされたような恐怖を感じた。左手を額にあてて俯いた。
「……大丈夫?」
「うん。この、記憶を思い出したのはセ……アセイラムさんに僕の傷を治してもらっていたときなんだ。だから、もしかしたらアルドノアが反応して記憶が呼び起こされたんだと思うんだ」
今まで一向に思い出せなかった記憶。喰種捜査官として何回も酷い現場を見てきた。そんな痛烈なものでさえも呼び起こせなかった記憶がアルドノアによって出来た。なら、この未知なる力にまた何かしらの能力があるのかもしれない。
「それに、もう一つ可能性も出てきたんだ。もし、もしかしたらだけど、あの日母さんを襲った喰種は……」
「ナオ君」
伊奈帆の言葉をユキが遮る。声に反応して伊奈帆がユキの方を見ると、彼女は悲しそうな目をしていた。
「もう、この話はやめよう。今は別に急いで思い出す必要はないもん。それに、ナオ君辛そうな顔してる」
ユキはそっと左手を出して伊奈帆の頬を撫でる。今にも壊れてしまいそうな物を扱うように優しく撫でた。普段一貫して無表情の伊奈帆だが、いつも身近に接してきたユキだからこそ彼の微妙に現れる感情を読み取れる。けれど、もしかしたら今の伊奈帆の感情を読み取ることは、誰にでも出来たかもしれない。
「ごめん、ユキ姉」
「ううん、謝らなくていいのよ。それより今は明後日のことだけを考えよう。またアルドノアグールとの戦闘は避けられないみたいだし」
「そうだね。本当にあそこがアジトなら必ずいる」
「……今度は私たち、勝てるかな」
「わからないよ。未知なる力を持つ喰種。その力は個々で違うんだから対処しようがない。だから、その場で考えるしかない。それに、状況によっては撤退することも」
「ナオ君」
先程遮ったときと、同じ声だった。外を見ながら話していた伊奈帆は再びユキの方を見る。今にも泣きそうな顔だった。
「もう、無茶はしないで。あんな思いはしたくないから」
伊奈帆はどう言っていいのか戸惑った。思い返せばいつも元気だったユキが崩れてしまいそうになっている。それほど前回のフェミーアン戦で心配をかけさせてしまったのだ。それは承知していたはずだった。今はもう伊奈帆自身しか家族がいない。その唯一を無くしてしまったら、ユキはどうなってしまうのか。伊奈帆ですら想像がつかない。
「うん、わかってるよ」
なんとか安心させようとしたが、結局口に出せたのはこれだけだった。伊奈帆はコーヒーを飲む。買ってきたときより少し冷めたコーヒーは、なんだか違うものに感じた。
足を一歩一歩出す度に音が響く。普通に聞けば誰かが近づいてくると思う。その人が自分にとって来てほしい人だったのなら、一気に自分の内側で喜びが広がるだろう。しかし時には来てほしくない人が来てしまうこともあるだろう。そうなればたちまち絶望感が体を支配する。それを、彼はどう感じているのだろうか、きっと後者だろうと乱れた前髪をさらにくちゃくちゃにしながら考えつつ、クルーテオは鉄扉を開けた。
そこには先程出て行った時と何ら変わらない光景。大規模な講演が行えそうなほどの広さの部屋の中央に、広さをもてあますように彼は機械を設置した特殊な椅子に座っている。手下に開発させた特注品。リモコン1つで切断と電流を流せる、いわば拷問用品だ。あくまで素材は裏で某工場で仕入れた物ばかりなため、人間でしか通用しない。けれど彼にはRC細胞の動きを鈍くさせる薬を投与しているので一定時間だけ人間同様の硬度になっている。自分専用の椅子の近くに置かれたバケツを見る。パッと見は虫のようなそれは彼の指たちだ。今はもう溢れ出てしまうほどにある。血が断面からしたたり落ち、バケツの縁を沿って床に池を作る。それを見ただけでクルーテオは上機嫌にさえなった。きっと一般的に見ればすでに狂気の沙汰じゃない。しかしクルーテオは、いや、狂っているのだろう。それほどに不安定な状況にあるのだろう。これほどまでに痛めつけなければ、憎しみを抑えられないのだ。
「さてと」
呟きながら自身の椅子に座る。左手で頬杖を突きながら目の前を見る。ぐったりとした姿のスレインがいるだけだ。顔が俯いているため表情はわからない。
「スレインよ、よくここまで耐えたものだ。私の予想ならもう既に死んでいるはずだからな」
語りかけるがスレインはぴくりとも動かない。
「だがな、だからといって貴様を許すわけにはいかない。アセイラム姫を連れ出し、挙げ句の果てにはアセイラム姫が何処に行ったかわからないなどと……。貴様は何をしていたのだ。姫のいない今、私がどれだけ悲しんでいるのかわかるか!?」
立ち上がり、スレインのまわりを歩きながらクルーテオは言う。語気を強めた言葉はだだっ広い部屋に響く。
「両親のいない姫を今まで私が見守ってきた。それを簡単に見逃してしまった責任が私にもある。だが、だからこそ貴様が許せない。貴様の勝手な判断で外に連れ出してしまわなければ……」
「今も自分の地位は安泰だったのに、か?」
クルーテオの足が止まる。言いかけた口がそのまま開いた状態でスレインを見る。突然しゃべり出したスレインはまだ下を向いている。
「……どういうことだ」
「間違っていたか?」
「どういうことだと聞いている」
絞り出すように出た言葉は震えていた。それをあざ笑うかのように言うスレインに怒りがにじみ出してくる。
「あんたは、アセイラム姫に使えている様に見せかけて、実はそれをいいことにヴァース内でよりいい地位に立てていると思ってんだろ。そしてアルドノアを移植できたという実績も出せたから、余計に偉そうにしている。だが今はヴァース内で貴重な存在であるアセイラム姫をあろうことか外に出してしまい、現在行方不明。僕によってね。それを知られてるかどうかはわからないけど、あんたはそれが原因で不安に駆られている。いや、知られていたらもう抹殺されてるかもな。だから、今はいつ知られるかわからないから情緒不安定になっているんだ。あんたがいつも整えている前髪が乱れているのがその証拠だよ」
言われて我に返ったように慌てて自信の前髪に手を伸ばす。ずっと下を向いていると思っていたが、そのようなところまで見られいた。さらにこうなるときはクルーテオは不安でいっぱいになり、冷静を保てなくなる傾向があることを覚えられていた。もうそれだけで憎悪が吹き出す。それだけじゃない。最後にここを出て行ったときとまったく雰囲気が違う。
「あんたは何も変わらない。結局自分しか見えてない。自分のことでしか仲間も部下も使えない。そんなやつにアセイラム姫を守れるはずがない。そして仲間からも部下からも信頼されなくなる。あんたは、弱者だ」
「貴様ァ!!」
まるで別人が喋っているようだった。クルーテオを目の前にしても怯えること無く、震えることも無く淡々と言葉を吐き出し続ける。もはや気味が悪かった。と同時に、我慢の限界だった。右腕を伸ばして乱雑にスレインの髪の毛をつかむ。スレインの顔が見えるようにそれを物のように勢いよく引っ張り上げた。そこに見えたのは、ヒトと喰種の鋭い目に薄く笑ったスレインの表情だった。
刹那、何かが砕ける音がした。勿論この部屋にある物といえばスレインが座る特殊機械の椅子かクルーテオ専用の椅子くらいだ。クルーテオが横目で確認できたのはスレインの右腕を固定してある部分。指一本一本まで固定して切断できる部分が今、砕け散った。ここにいるのはクルーテオとスレインの二人きり。つまりこれはスレイン自身が破壊した。それも
そう一瞬にしてよぎった考えも納得できる回答にたどり着く前に、すぐに拳となった右手がクルーテオの頬を捕える。ねじ込むようにして放たれたパンチによってクルーテオは人形のように軽々と飛んでいく。足が引っかかって自らの椅子を倒しながら入り口近くの壁に激突する。突然の事態に対応が遅れたため受け身が中途半端になってしまった。うめき声を出しながら立ち上がろうとするクルーテオを尻目にスレインは左手も解放し、両手で両足の器具を破壊する。何日ぶりかに立ち上がったため両腕を上に上げて伸びをする。
「な、ぜだ。RC抑制剤は2時間前に打ったばかりだ。少なくとももう数時間は効き目があるはず。浄化速度が、おかしい」
「なに、別におかしいことはないだろ。俺をなんだと思ってるんだ」
手首を回しながらスレインは笑う。
「……舐めるなよ、貴様程度の半端者が。ああ、そうだな。貴様がずっとアセイラム姫の居場所を答えなかった。
もうスレインを拷問し続ける価値は無いと判断した。クルーテオの目が赤く、黒くなる。そして肩甲骨あたりから薄灰色のものが姿を現す。クルーテオの右腕を囲むように出てきたそれは先端にいくに連れて細く、鋭くなっている。いわば槍だ。
「はああああ!!」
手前にあった小さな机と椅子を蹴散らし、スレインに突進する。赫子は先端を真っ直ぐスレインに向ける。それに対してスレインは赫子を出さない。ただその場に立っている。
スピードを落とさないままクルーテオはスレインに近づき、甲赫とは思えない速さで赫子を突き出す。そのリーチの長さも相まってまさに必殺。それをスレインは再び浮かべた嘲笑顔のまま受ける、ように見えた。
「!!?」
スレインは避けるどころかそのまま直進した。クルーテオの繰り出した突きは見事にスレインの左脇腹を掠るか掠らないかの狭間で通り過ぎる。当たったと思っていたクルーテオは驚き、そしてすぐに次に対応しようとしたが時既に遅し。スレインがクルーテオの首元をつかんだ。そのまま引き寄せて彼の腹部に膝蹴りを打ち込んだ。怯んだクルーテオに暇を与えない。つかんだ左手を上に上げてクルーテオの体を伸ばす。首元から手を離し、すかさず握り拳をつくる。それを右肩までぶり被り、離したことによって崩れ落ちるクルーテオのスピードに合わせて思いっきり振るう。先程クルーテオを殴ったところとほぼ同じ部分に裏拳がクリーンヒットした。今度はさらに遠く飛んでいき、壁に亀裂が走った。
「あんたにはその攻撃が最速なのかもしれないけど、僕には無意味だ」
スレインは両手の平を天に向けてジェスチャーをする。当のクルーテオは震えながら立ち上がった。痛みではない。限界を知らないほどにあふれる怒りだ。彼の目は血走り、歯をむき出しにして出す息はかなり荒い。
「こんの……クソ野郎が。殺す。ころす!コロス!!korosu!!!」
普段のクルーテオとは思えない形相で叫ぶ。その怒りを表すかのように左側からも同様の赫子が出てくる。そしてそれを上回るように右腕の赫子にさらに追加の赫子が覆い被さる。両肩から出てきた赫子の一部が顔に巻き付き顔の右側を隠すように形成されていく。右目は見えるように裂け目が現れ、スレインを睨み付ける。大小の槍を持ったその姿、それから連想されて付けられた名前は、バーサーカーだ。
「これが半赫者というやつか」
先程よりもさらに速いスピードで突進してくるクルーテオを見ながらスレインは呟く。これは強化なのか暴走なのか、赫子を突きではなくこん棒のように振り回す。だがその速さも馬鹿にできない。スレインは紙一重のところでその猛攻を避けていく。クルーテオの赫子を避ける度に髪の毛が数本舞う。耳元で通り過ぎるとブオンとハッキリ聞こえてくる。
スレインはクルーテオの僅かな隙を突いて右ストレートを打つ。だがそれは無効された音が響いただけだった。クルーテオはにやりと笑って先程のお返しといわんばかりに膝蹴りを食らわせ、左の赫子をスレインの腹部に突き刺す。そのまま上げて勢いを付けて抜き、今度は右の赫子で突き刺す。左よりも大きいそれによって血がさらに溢れ出し、クルーテオの赫子を染めた。右手を振りかぶり、スレインを思いっきり壁に向かって投げつける。力んででた声もスレインが壁に衝突した音にかき消したほど、かなりの衝撃だった。
「ハハハ、これなら……!?」
一瞬勝ち誇った顔が、驚きの顔へと変わる。衝撃でたった土煙からゆらりと陰が動く。それはまさしくスレインが生きているということだ。
「こんなもので勝ったと思うなよ」
血が滴る傷口がまるで生き物のように動く。骨が再生しているのか、ゴキゴキと不気味な音が聞こえてくる。お互いにつながり合うようにして動き、やがて傷口は消えた。そしてスレインは自信の右手の人差し指を曲げて親指で押さえつけ、関節を鳴らす。それを合図にスレインの肩から赫子が現れる。それを見てクルーテオは驚く。それはスレインの赫子を初めて見たからではない。
彼の赫子は黒々く光っていた表面はなく、代わりに純白のごとく白い表面が続く。さらに彼の赫子は羽赫とは思えない硬鋼の楯のような形状で両腕にあった。さらに両肩から結合するようにサメの背びれ状の赫子も背中にある。
「なんだ、それは」
「さあ、僕に聞くなよ。でも、たぶんきっと、コウとリクも、一緒なんだよ……。まあいい。あんたが本気なら、僕も本気でねじ伏せる」
スレインの体からオーラが溢れ出す。黒が混じったような、濃い紫色のそれは彼の強さをしめしているようだった。
「なんだ、ソレハァァ!!」
「同じ質問をするなよ。見ればわかるだろ?あんたがずっと研究し続けてた、アルドノアだよ」
「でも、なぜ貴様が使えるんだ!!貴様は実験に参加していなかっただろ!」
「ああ、そうだな。でも……」
スレインは少し振り返ってみた。ここを出るとき。初めて捜査官たちと戦ったとき。アセイラムから貰ったアルドノアがスレインをアルドノアグールにさせたのかはわからない。でもそれ以外に見当が付かない。アルドノアまがいの力が使えていたし、アーデルを受け入れた後にこうなれたのだから、きっとそうなのだろう。
「あんたには関係ない。どうせ知っても、僕に喰われるんだから」
「……オオオオオオオアアアアアア!!!」
我を失ったようにクルーテオは三度突進する。スレインは慌てることなく、逆に落ちついた様子で目を閉じてアルドノアのオーラを体に吸収する。そして目を開いた。そこに映し出された世界は、言うなれば"未来の世界"だ。
クルーテオの初撃を横に動いて避ける。クルーテオの凄まじいスピードの動きと攻撃にスレインは片手間に相手している風だ。いくら素早い攻撃をしてもスレインは紙一重で最低限の動きで避けるか、簡単に重撃を楯のような羽赫でガードする。逆にスレインからの攻撃はまだ見られない。
「ヴァアアァァァ!!」
クルーテオが叫んでも何も変わらない。きっと、彼がさらに数秒先の未来を見ない限り、スレインに攻撃は届かない。
「……弱い物ほどよく吠える」
ぼそっと呟いたそれはクルーテオには聞こえていないだろう。スレインの右の赫子が変形する。手先側の赫子の先端が鋭く伸びる。それをクルーテオの乱撃の合間を縫って振り上げる。それはあっけなくクルーテオの左の赫子に入り、スパッと切断される。さらにでかいわめき声で残った右でのみ攻撃を再開する。だが2本が1本に減った今、スレインに攻撃が当たるのだろうか。
連撃できない状態のクルーテオはもてあそばれた。息が荒くなる一方のクルーテオに対して、スレインは冷徹な目線を向ける。呆れたため息をつくと、スレインはジャンプしてクルーテオの頭にかかと落としを繰り出す。着地した後すぐに下を向いた状態のクルーテオの顔面に蹴り上げをお見舞いする。よろめきながらも体勢を保ち、攻撃を繰り出すがあっけなく避けられる。再びスレインは羽赫を大剣状にして飛び、勢いを付けて斬りかかる。クルーテオが攻撃を繰り出したと同時の行動のよりクルーテオは赫子で防御する他なかった。だがそれもむなしく赫子ごと体を斬られる。
「ガアアアアアアア!!」
勢いよく吹き出す鮮血。それを浴びたスレインは微動だにしない。よろよろと後ろに下がりながら、やがてクルーテオは仰向けに倒れた。世間で罰せられる人間を見るかのような、細めた目でスレインは近づいてくる。小さなうめき声を出しているクルーテオの左手の平に羽赫のトゲを撃ち込む。苦痛の表情でもがくクルーテオに追撃を繰り出す。右手の平、両足にトゲを撃ち込む。その姿はまるで貼り付けにされた処刑人だ。
「いちいち動くなよ。喰い難いだろ」
その言葉にクルーテオは恐怖に染まった顔をする。スレインはすぐに動かなかった。クルーテオを見下ろしたまま、口を開いた。
「聞きたいことがある。レイガリア様が今どういう目的で動いているか知っているか」
「……は、わ、わからん」
「あんたは10年前、レイガリア様のもとについていたんだよな」
「わ、私は確かにそうだ。けれど、あの人のみじゃない。あの人たちのもとで活動していたんだ」
「じゃあ率直に聞こう。10年前、いやそれよりも前からか。レイガリア様たちの研究チームを壊滅に追い込んだ張本人は誰だ」
「知らん!知るか、知るかそんなもの」
怯えるが故の変に力が入った口調にスレインは苛立った。それ以前に彼は大して何も知らないのだから、これ以上続けても意味ない。頭をかいてため息をつく。そして再び見下ろしたスレインはクルーテオの赫子に目が行く。しゃがんで右手でクルーテオの頭を、左手は地面に付けて口を赫子の方に向ける。
「や、やめろ!よせ!やめろ!!!」
「喚くなよ」
苛立つようにいうスレインはクルーテオの耳元に口を近づけ、囁くように言った。
「少なくとも喰種界で嫌でも聞く言葉、知ってんだろ。弱肉強食、ってさ」
スレインはそして、大きく口を開けた。
「そっちは大丈夫か」
『全員配置よし。問題ありません』
『こちらも、配置につきました』
「よし、了解」
自身の耳に付けられた無線にそっと手を当てながら班長たちと確認しあう。目の前に見えるのは無数のモニター。パソコンも何台も設置され、そのいくつかの前に真剣な面持ちのオペレーターが陣取る。モニターの光を全身に浴びる久保田は特殊車両の中にいる。これと同じ車が何台も連なって例のヴァースのアジトらしき建物の前に停まっている。その前で車両などを守る護衛の捜査官たちが大勢立ち、一番前にいる捜査官は巨大な楯を持っている。そのほかにも建物の両横、背後部分にも大勢の捜査官たちが班ごとに待機している。いよいよ、始まるのだ。
今日時点でのヴァースの動きといえば特にないが、前日に入っていった喰種たちは出てきた気配がない。故に作戦は実行に移される。近くの民間人たちは既に避難を終えている。これほどの大きな動きにマスコミたちも報道しないわけがなかった。少数精鋭での動きだったのなら非常に迷惑きわまりないがこれほどの規模であるため、相手側も気づいているだろうと考える。
捜査官たちの誰もが息をのむ。これはまた偶然か、この日も月が綺麗に輝いて見える夜だった。これはまさしくデジャブだと言ってしまえば、捜査官の袋だたきに遭いそうだ。手汗を握り、その瞬間を待つ。緊張で震え、恐怖で震え、逆に戦いたくて震える者もいた。
伊奈帆は建物の入り口から見て左側で待機する班にいた。耳の無線に注意しつつ、上を見上げる。満月ではなく、いくらか欠けた月だった。それが何を照らし、何を意味し、そして何を起こすのか。伊奈帆はほんの少し、不安を覚えた。
そして、久保田の声が響く。
『作戦、開始!』