そしてこの作品、2018年初投稿おめでとう(?)
「なんだ!?」
久保田が勢いよく特殊車両から飛び出た。すると作戦開始までずっとここらで待機していた後衛部隊が一斉に散らばって喰種たちと抗戦していた。山のごとく静かに構えていた待機列はもう崩れ、火のごとく荒々しく戦闘が繰り広げられている。
「奇襲か」
「たった今、屋敷の上からと森の陰から喰種たち多数が現れました!」
近くに駆け寄ってきた捜査官が血相を変えて早口で久保田に状況説明した。
「これじゃあ中に入れないじゃないか……」
「危ない!」
先ほど特殊車両内に入ってきた捜査官の声に反応し、久保田はあたりを瞬時に確認して後方に飛ぶ。ほんの数センチの距離で喰種1体が飛び込んできた。鱗赫をすかさず久保田の方へ伸ばしたが、それが届くまえに捜査官によって切り落とされた。
「久保田特等は一旦中へ!」
彼だけは守ろうと捜査官のひとりは久保田を車内へ誘導する。名前の通り外装も特殊仕様によりただの攻撃ではびくともしない。
「全員、現れた喰種の駆逐を最優先。手の空いた者は順次他の戦闘に加われ!」
内線にそう叫ぶと久保田は手元のタブレットを必死に指で叩き始める。
「久保田特等、これは」
「俺が知るか。おそらく、前線が屋敷内に入ったのを見計らってこちらを数で叩こうってことなんだろうが、それよりも……、屋敷内のやつらと連絡を取れれば」
「しかし、先ほど連絡を取っていたのでは……」
久保田の横にいたデータ担当の捜査官が恐る恐るで口を挟んだ。久保田が本館担当の川島と連絡を取り、そして狂ったかのように作戦変更をするのを目の前で見ていた。
「だから、やられたんだよ。俺らはもうすでに相手の流れに乗せられている」
2人して目を開くばかりで口が開かない。その間を説明してくれと解釈して久保田がこう言った。
「確かに俺は無線を飛ばした。ちゃんと反応もあった。けれど、その反応した人物が、川島本人じゃなかった」
「え、でもあの声は」
「そうだ。あれは川島本人の声、に
――――俺らのすぐ下に他の班がいるので、何かあったら気づきます。
たった、この一言で久保田は内線の先にいる人物が川島本人でないと睨んだ。その一人称に関しては、長い付き合いでないとそうそう断言できるものではない。しかし、これだけであるがゆえに2人はまだ確信を持てない。
「ですが、そのときだけは偶然」
「それはない。どんなときも、あいつが俺と言ったことはない。そもそもあいつは俺という呼び方は自分に似合わないというくらいだ」
捜査官の意見をほぼ聞かずに否定した。久保田の中で既に答えは確定しているようだ。
「そう、だとしたら、その内線に出た川島の偽物は」
「アルドノアグール」
データ担当の捜査官の疑問を先回りするように久保田が答えた。その言葉、今では頻繁に話題に出るそれを聞いて二人は互いに目を大きく開いた。
「やつらはさんざん想像を超える力を見せつけてきた。それが戦闘向きなものもあれば、こういったトリッキーなのもある気がする」
久保田は椅子を動かして大型パソコンの前に陣取る。タブレットを繋いで慣れた手つきで操作し、先ほどの内線のやりとりのログを解析している。内線がやり取りされた場所が地図上で示される。そして声紋も解析される。
「……やはりな」
久保田の納得した声に二人はいそいそと誘われて画面を見る。ディスプレイには声紋照合ソフトが表示されていた。片方は先ほどの無線のやり取りで川島として喋った人物の声。もう片方は以前のデータに残っていた川島本人の声。
それらを照合した結果、見事に一致しなかった。
二人は唖然とした様子で画面を見続けていた。外では激しい戦闘が繰り広げられ、ときよりこの特殊車両を揺らすようなときもあるが、中の彼らはそれどこではなくなってしまった。
「音をまねるアルドノアグール、か」
ディスプレイの光に照らされた久保田の顔は険しく、また鋭い瞳が怒りを滲ませていた。
屋敷周辺を喰種と人がごった返して戦闘を続ける。そんな様子を陰でスレインは見ていた。
今日の早朝で出くわしたレムリナの言われたとおりに来てみたスレインは、作戦開始からずっと身を潜めていたのだ。多数の捜査官の中を突っ込むのはあまり効率がよくない。
いかにして手早く屋敷内に入ろうかとタイミングを伺っていたが、ついに時が来たようだ。この混戦の中でなら多少強引にでも突破できる。
けれど、とスレインは改めて屋敷を見上げる。
アルドノアの力を真に授かった身ならではの能力が今発動していた。それはつまり“他のアルドノアを感知する力”だ。
自分で調べたわけでもアセイラムがスレインに教えてくれたわけでもない。彼自身がひしひしと感じていることから推測した。だが実際のところ確実だろうとスレインは思う。
今までに感じたことのない気配、と形容すべきかまようなにかが、うっすらとだがどこら辺に存在しているかがわかったのだ。誰のものかは一度感じていないと判断できないが、これは誰かがアルドノアを発動しているのだと、それだけがわかる。
その力によると、この屋敷にはいくつものアルドノアが混ざり合っているのだ。表面にふたつ、その奥にもひとつ……いや、ふたつだろうか。まだ使い慣れていないからか、奥のものは曖昧だった。
そして少なくともそのアルドノアはすべて並の力ではないともわかる。肌をざらざらっと撫でるような不気味な感覚で把握できる。が、スレインを脅かすほどでもなかった。スレインは自信の力を高評価している。どの力にも劣らない、最強の力であると誇っている。そもそも、こんなところで屈してしまったら、誰がアーデルたちの無念を晴らすことができようか。たとえ本当の敵が人間でも喰種でも、スレインはその存在を知るまでは、すべてを知るまでは、死ねない。
左目を隠し、怒りを表現するかのように歯をむき出しにしたデザインのマスクを被った。軽く深呼吸をすると、一気に力を込めて駆けだす。地面を蹴り、周りの景色があっという間に後ろへと引っぱられていくよう。
「……!! 敵1体、あれは!」
そしてすぐに捜査官の目にとまった。
「眼帯の喰種です!!」
一人の叫び声によって一気に注目の一部がスレインに集まる。クインケをこちらに向かってくるスレインに向けられた。
眼帯の喰種、か……。
スレインは軽く左手で眼帯部分に触れた。喰種たちがCCGに情報をつかまれ、レートと呼び名が付けられるのはヴァースにいて知った。スレインがアセイラムと脱走するまではけっして捜査官たちと戦闘を起こさなかった。しかし今では呼び名まで付けられてしまった。そして今更、自分は喰種に染まっているなと自嘲さえした。
スレインは一層足に力を込め、そのまま突破を試みる。捜査官たちもこちらに向かってくる。そのまま衝突するだろう。
けれど、スレインは赫子を出していない。まず、彼はここで戦闘などするつもりはない。目を俊敏に動かして状況を把握し、ギリギリのところでジャンプする。近戦武器を持った捜査官たちを飛び越えて屋敷を目指す。
「クソッ、待て!」
捜査官たちの声にも興味がない。自分なんかよりまわりの喰種たちの相手をしたらどうだと、吐き捨てるような言葉を心の中で呟いた。
中に入ってよりわかる、異様なアルドノアはやはりふたつ。ひとつは外で敏感に感じたものよりも、幾分刺々しいほどの強さを示していた。そしてもうひとつは……。
驚くことに、自分から感じるものとほぼ一致していた。それはつまり、自分に力をくれたアセイラムのものと酷似しているということ。であるのなら、まさか、アセイラムがここに……!
スレインは新たに浮上した不確かな仮説を握りしめながらも、巨大な階段の近くで口を開ける巨大な穴に身を投じた。
待機していた捜査官たちの戦闘、そしてスレインの登場から華麗に駆け抜けて本館へと入っている様子を、
「スレイン・トロイヤード……」
「あのクルーテオを喰った半喰種ですか。あの人の思惑なのかは存じ上げませんが、今日はぞろぞろと役者が集まりますね」
窓から見下ろしていた中年の男性。前髪が巻き貝のように整えられている。その後ろで地面に広がった機器類を整理しながら若い男性が独り言を漏らす。こちらは至って真面目な好青年という印象が窺える。
比較的広い空間にこれといった家具はない。月の光と機器類から漏れ出す光以外の光源はない。けれどそれらの光で充分なほどだった。中年の男性はゆっくりと視線を窓から外す。
「彼がいる必要があるのかないのかは私にもわからん。だが私らは任された仕事を遂行した。結果は出している。それでよい」
「ええ、そうですね、ゼブリン様」
「その、様をつけるのはなんとかならないのか」
中年の男性、ゼブリンは機器類を整理している若い男性、ハークライトに困った顔を向けた。
「いえ、ゼブリン様は私よりも位が上ですので、様をつけるのが当然かと」
「まあ、アルドノアを持ったのは俺が先だが、所持者同士の会話で口調を正しているヤツなんてそうそういない」
「これは私が決めたことなので」
ハークライトは時よりゼブリンに目を向けながら口調を変えずに話しつつ、機器類のコードをまとめている。
すると、微かに感じた気配にハークライトは気づいて視線を向けた。その先にあるのは木製のドア。そのドアノブがゆっくりとまわって、金具が擦れ合って不気味な音がした。部屋に入ってきたのは二人。赤紫のベリーショートの女性と、がっちりとした体にモヒカンヘアの中年男性。
「ラフィア様、オルガ様」
「きっちり仕留めてきたぞ。指定された場所にぞろぞろときたヤツらを全員、な」
ハークライトは機材を置いて立ち上がり、二人に向かって礼をした。それに大して反応はせずにラフィアは微笑を零した。
「面白いまでに人間があたふたしてたわよ。慌てるなだとか、見極めろだとか喚いているヤツがいたわね。あれがあの集団の頭だったようで。ま、少しは勘の鋭いヤツだったけど、私の敵ではなかったわ」
「ラフィアのアルドノアであれば、容易いだろう」
ラフィアの横で目を細めながらうなずくオルガ。彼の年齢や雰囲気からか、この場の喰種を半歩後ろから見る部隊長のようだった。
「まぁ、私はともかくオルガはただ呼び出されただけなのよね。ひとりだけお預けなのは気分が悪いでしょう」
「我は血の気が荒いわけではないが、たしかに手持ち無沙汰だな。けれど、あの方に逆らいたくはないものだ。それと、だ。お二方の連携技、お見事でしたな。電気を使い、CCG捜査官たちの内線をすべて専用の機械で操り、また機能停止させたゼブリン。そしてデータを元にしてあらゆる音をまねるハークライト」
今度はオルガが笑みを浮かべ、ゼブリンとハークライトに近づく。
「いえ、とんでもございません。ゼブリン様のおかげでして」
「おいおい。これはおまえの力があってこその作戦だろう」
お互いに謙遜し合う様子を見てオルガはクスリとまた笑った。ハークライトはその作戦で使った機器をあらかた撤去し終わり、今度は既にスタンバイ状態にしておいた別のモニターを起動させる。
「それよりも、私たちで最後の任務を果たしましょう」
「ああ、そうだな。しかし、そうなったのなら画面を見なくてもわかるのでは」
「
ゼブリンの横で三度笑うオルガ。その笑いは、しかし月夜に照らされて不気味にも、狂気めいたものにも見えた。その視線の先にあるモニターには……。
「……!………!」
遠くの方から誰かが叫んでいる。けれど遠すぎて叫んでいる、としかわからない。もう少しだけ、もう少しだけ近ければ。
「……帆!伊奈帆!」
ああ、やっと聞こえてきた。やっと聞き取れる。叫びが言葉となり、伊奈帆の意識を暗闇の奥底から引きずり出した。
意識が戻った瞬間、全身を生きた刃物や鈍器が体の表面や内側を縦横無尽に傷つけている、そう形容すべき痛みが襲った。
伊奈帆は瞼をぴくりとさせながら目を開けた。しかし開いたのは右目だけだった。左目は瓦礫などでやられてしまったのか、そこら中痛くてわからないが、眼球自体がもうダメなのだろう。かすんだ視界がはっきりと映し出した頃に、目の前で自分の名前を叫んでいてくれた人物がわかった。
「……韻子」
「伊奈帆!伊奈帆!」
伊奈帆の顔を見下ろして大粒の涙を零れさせている韻子は、伊奈帆の左手をぎゅっと握った。ずっと自分の名前しか連呼しないのがなぜかおかしく、今の状況を理解できていない伊奈帆がほんの僅か口元を緩める。
「界塚!わかるか!?」
伊奈帆の視界の右にいた韻子の他に、左側からも顔が現れた。それは不見咲だった。彼女は相手喰種――黒鬼の怒濤の攻撃により宗像と増田がやられ、精神的なダメージを負ってしまったと思っていた。しかし今は自我を取り戻しているようだ。しかし、先に行かせた彼ら、そして韻子がどうしてここにいるのか。
など、今の伊奈帆にそう言える状況ではなかった。声を出そうとするものなら全身が痛みで震え、口の中に広がる血が味覚を刺激する。
「どう……して」
精一杯だした声がこれだけだった。けれど充分に伝わったようだ。
「君があの場所に残り、私たちが先に行ったあと、崩れていた場所から網文が生きているのを偶然見つけたんだ。そこから出そうと少し手間取ってしまった……。救助できた途端、爆発するような音と共にヤツが現れた。その爆発音の近くで君が……」
不見咲がゆっくりと、しかし手短に話した。その声音には普段のような冷静さはなく、戦意喪失したときのような震えがまだ聞こえた。
「僕……は」
「伊奈帆、ダメだよ!」
伊奈帆は痛みに抗うかのように上半身だけ起き上がらせようとした。それを必死になって止めようとする韻子。その様子からはまだ伊奈帆は気づけなかった。そして
上半身を起こすために両腕に力を入れようとした。けれど、できなかった。左手は韻子の手で包まれている。けれど……
「もう、右腕が……」
伊奈帆の右肩から少しして、その先が途切れていた。伊奈帆がかろうじて首を回して見るが、白い布がきつく巻かれている。今はその白も赤々としていた。
伊奈帆の意識が途切れる直前の状況。黒鬼のアルドノアを纏った一撃を防ごうとクインケを構えた。しかし防げるはずもなく、その無敵の衝撃波はクインケを容易く貫通し、そのまま伊奈帆の右腕だけを切り裂いて後ろの壁を破壊した。そこから黒鬼と伊奈帆を発見したのだろう。
韻子の涙が伊奈帆の頬に落ち、血と混ざり合いながら頬から首へと伝っていく。
「私が、私さえしっかりとしていれば……。界塚ではなく、私が身代わりになるべきだったのに」
不見咲は両目をめいっぱい閉じて、自分の無力さを嘆いている。上司の不見咲のこんな姿など伊奈帆は初めて見るが、死にかけの状態であったとしても目を逸らしたくなる。
そして、韻子も……。
フェミーアンとの戦闘のとき、鞠戸班から強制的に分けられてしまい、そして眼帯の喰種――スレインとの戦闘で敗れた。深い傷を負ったがアセイラムに助けられたあのとき、韻子が真っ先に駆けつけてくれた。
彼女は、泣いていた。伊奈帆のことを心配して、走ってきてくれて、怒ってくれた。そんな、自分を赤の他人ではなく、大切な存在として思ってくれていることを、改めて認識したのだった。
今でも不可解な母親の死。そして同じ時のヘブンズ・フォールによって多くの捜査官が死んだ。そこには伊奈帆の父親もいた。
この二人の死を唯一の姉であるユキと共に支えながら乗り越えてきた。そう、ユキが伊奈帆にとって大切で、守りたい存在となっていた。
けれど、喰種捜査官となった今、彼のとりまく環境はがらりと変わっていたのだ。ユキだけじゃない。自分が囮となってみんなを逃がそうとしたときも、起助は必死に自分が囮になるといってきた。フェミーアンの羽赫をとう攻略するか悩んでいたときも、鞠戸たちは伊奈帆の作戦を信じて戦ってくれた。それ以外にも、たくさん……。
走馬灯のように次々と浮かび上がってきた記憶は、まさに伊奈帆の大切な仲間たちと共に生きた証だ。どれも欠けることのない、歴戦の証。その中で光り輝く思いはけっして無駄ではない。であるのなら……。
「……って」
「え?」
掠れた声を必死に拾おうと韻子は耳を傾けた。
「僕をおいて……早く行って」
無駄にできない、無駄にしたくない。なら、大切な仲間たちはひとりでも多く、こんな地獄から逃げ延びてほしい。大切であるからこそ、目の前で失ってしまうくらいなら、自分を置いていってほしい。
「いや、そんなのできないよ!」
「こんな、死に損ないを抱えても荷物になるだけだ。それに」
叫びながら首を振る韻子をなだめるようにゆっくり言葉を並べるが、途中で吐血に阻まれる。血が再び口内に充満する。
「これからの、CCGのために。情報を持ち帰って、それを糧にして、敵を討つんだ。今まで死んだ仲間たちの、分まで」
ここで伊奈帆を守りながら黒鬼を振り切るなど到底無理だ。自分一人を守るよりも、この地下で起きた出来事すべてを持ち帰る。それがもっとも当然で、妥当な選択だ。
「でも……!」
「網文……。もう、佐々木と箕国が持ちこたえられるかどうか……」
不見咲が韻子の肩をそっとつかむのが伊奈帆には見えた。
ああ、あの二人が今、黒鬼を相手にして時間を稼いでいるのか。伊奈帆は自然と魂が抜けるかのような、納得と絶望の同時を味わった。
今ここに二人がいないこと、黒鬼もいないこと。感じていた疑問が解消された。けれどそれはつまり、自分が囮になりきれなかったために、二人が今囮になっているということだ。
「なら、はやくここから出るんだ……。はやく……」
「でも……そんな」
「……僕らは、死ぬリスクも背負って、戦っているんだ」
どうしても伊奈帆の手を離そうとはしない。その手を優しくほどく右手もない。だから、伊奈帆は話しかけ続ける。
「大規模な作戦に出るなら、事前にちゃんと遺書を書く。僕も、韻子だって。だから、これはあくまで想定内だ」
目覚めたときよりかは伊奈帆の口は動いてくれた。様々な感情に揉まれて震えていた韻子はぴたりと止まって、伊奈帆の言葉を聞いている。
「宗像特等も、増田一等もやられた。だから、僕だって同じ」
「でも、今この瞬間、伊奈帆は生きてるんだよ!?見捨てられないよ!」
再び韻子は叫ぶ。強く伊奈帆の左手を握って、涙をあふれさせて、伊奈帆に向かって。
きっと伊奈帆が韻子にとっての大切だから、なんとなくだがそう伊奈帆は思った。結局自分と同じなのだろう。失いたくないからこそ、まだ命は尽きていないからこそ。諦めたくない。助けたい。そう思ってくれているのなら、とても嬉しい。だけど。
「もうこれ以上、目の前で自分の仲間を、失うのを見たくない」
「……!」
伊奈帆は痛みで震える左手を必死に伸ばして、韻子の瞳から流れる涙をそっと拭った。
「それで、ユキ姉に会ったら、大好きだって伝えておいて。我儘だけど……ごめんね、韻子」
そして、伊奈帆は不見咲に少しだけ向きなおる。
「韻子を、頼みます。二人で、脱出してください」
「……わかった」
絞り出すようにして、不見咲は決心した面持ちで頷いた。立ち上がってすぐに韻子の手をつかみ、立たせる。
「伊奈帆、伊奈帆!」
「生きて、韻子」
伊奈帆の、最後の言葉は韻子に聞こえただろうか。韻子の涙嗚咽混じりの叫び声が遠くなってく。そして意識は自然とこの壁の向こうで行われている、黒鬼と二人の戦う音に向けられた。
伊奈帆が横になっている場所は、おそらく先ほどの巨大なホールとほぼ同じ造りになっているのだろう。外をぐるっと1周している通路と思われる。
……もうすぐで、死ぬ。出血死が妥当だろう。むしろこの傷で、右腕まで切断されていて、まだ生きていることに伊奈帆は驚いている。けれどこのまま、うっすらと意識がなくなって、そして……。
心残りはあるだろうか。……残念ながら、ある。アセイラムと交わした、人と喰種の和平についてだ。伊奈帆は、もう彼女とさえも会えないのだと、そう思った途端に心が握られる辛さを感じた。肉体的な痛みでいっぱいなのに。
カームや、ライエたちにも、最期に一回だけ会いたくなってきた。
韻子には、酷い我儘を押しつけてしまった。前回に続いて、また泣かせてしまった。
自分は、父親みたいな捜査官の人生を歩めただろうか、それが頭に浮かんだ。父親とある意味同じ、アルドノアグールに翻弄され、死んでいく。なんと悲劇的で、運命的で、残酷なのだろうか。
でもやっぱり、ユキを残していくのは、一番辛かった。たった一人の姉を、本当の孤独にさらしてしまうのだから。
そのとき、ホール側に向いている壁が数メートル四方で吹っ飛んだ。奇跡的に破片等は伊奈帆に当たらなかったが、足下の先に見える光景に目が大きく開くのがわかった。
おそらく、数人だろうか、異様に重なった人たちが見えた。そして、瞬時に黒鬼が言っていた言葉が重なり、あれはつまり、伊奈帆たちに会う前に黒鬼が殺した捜査官たちなのだ。
伊奈帆のほぼ横の壁はすでに一部が崩れ、ホールの中が見える。そこには……。
それは、屋敷本館に鞠戸たち第一部隊が入った後のこと。鞠戸たちの班が三階へ、暮宮の班が一階の奥へと進んでいった。
一歩一歩を慎重に踏み出していく。軋む階段、自身の持つライトで照らす場所以外を埋め尽くす闇。崩壊と喰種襲来という二重の恐怖と向かい合わせになりながら一行は進む。
二階で第二部隊と分かれる。鞠戸たち第一部隊は三階に辿り着く。
静寂と暗黒で埋め尽くされた場所。事前のデータ通りではあるが、実際に来るのは初めてだ。とてつもなく嫌な感じが漂っている。
「二手に分かれて部屋を全て捜索。喰種を見つけ次第、殲滅だ」
部隊長の川島の指示に皆が返事をし、捜索が開始された。静寂であるからこそ、捜査官ひとりひとりの呼吸さえもハッキリと聞こえる。唾を飲み込む音、クインケを握る音。どれも緊張と恐怖によるものだと容易に理解できる。相手は、もしかしたら、アルドノアグールかもしれないからだ。
しかし喰種はいっこうに見つけ出せない。分かれた二手が同時に辿り着いたのが、大部屋だ。
「ここで最後、か」
「よりによって大量にいたりしてな」
こんな状況ででた誰かの冗談が、しかし誰もそれが冗談に聞こえなかった。
「行くぞ」
川島の合図によって前衛の捜査官が金の装飾がついた両開きのドアを開けた。
数人を部屋の外に残して大部屋に入る。豪華、裕福と勝手にイメージが先行する赤い絨毯、いくつもある大きい窓の両側に備えられたカーテン。いくつかの窓からは月光が差し込む。
「気をつけろ」
いくぶん低い声で川島が注意を促す。皆も一斉に気を引き締めた顔になり、クインケを構える。
この部屋には他の部屋に通じるドアは見つからない。隠し扉という可能性があるが、それを見つけ出すのは不可能だ。
鞠戸もライエも精神を研ぎ澄ませ、少しでも物音を捉えようとする。前か後ろか、上か下か。
鞠戸は自身のクインケをさらに力強く握る。ここに喰種がでるとは限らない。しかし出ないとも限らない。
だがおそらく、出ると鞠戸は思っている。出るのなら、可能性としてふたつ。どれかの窓からか、それともこの部屋の入り口のドアか……。
鞠戸が視線を窓に、そして入り口のドアに向けた。そのときだった。
「……ううっ」
それはうめき声だと最初は思った。一瞬のうちに喰種の襲撃だ、そう鞠戸の思考が繋がろうとして、止まった。
うめき声を上げたのはほぼ同時、部屋の外にいた捜査官全員。そしてそれは、死に際の声だったのだ。操り人形の糸が切れたように倒れ、そのうちのひとりと目が合った。驚いているような目が開かれたまま、動かない。
「てっ……」
仲間がやられた。それを頭が認知した瞬間、誰かが声をあげた。いや、あげようとしたのだ。
「こっちだぞ」
「!!!」
今まさに捜査官が一瞬でやられた、その場所から真反対の窓側から声が聞こえた。もちろん、こんな声の捜査官はこの班に所属していない。第一、こんな状況で言う台詞ではない。
そこには月光に照らされたマントを深く羽織る人物。そして顔には右目の部分だけ丸くくりぬかれた、のっぺりとしたマスク。
皆がその喰種一点を見たまま、固まった。なんの音も、気配もしなかった。背筋を冷たいなにかが触れるような恐怖。
と、またしてもたたみかけるように、入り口のドアが勢いよく閉まった。捜査官たちの視線がまた後ろに注がれる。古屋敷にはけっして似合わない、機械が動くような鈍く響く音がする。
「だめです、開きません!」
すぐに駆け寄った捜査官三人がドアを押すが、ぴくりとも動かない。
「無駄だ。ここはぼろい屋敷に見えて内部がかなり機械化されている。なんならドアも壁も赫子製だ」
目の前の喰種は抑揚のない声で言ってきた。川島は鋭い目で喰種を睨み付けている。
「貴様は、ヴァースのひとりなのか」
「……ああ。あ、いや、断言はできない」
「……なんだと?」
声に力がなく、今にも先ほどの捜査官と同様に倒れてしまいそうに見える。しかしそんな喰種が気配も感じさせずに突如鞠戸たちの目の前に現れた。ただの喰種では無いはずだ。
「それよりも、だ。俺がヴァースであるのかないのか、そんなことはどうでもいい。そして俺はここで暴れてお前たちを殺す必要もない」
「あ?」
鞠戸は意味不明な言動に顔をゆがめる。
そもそも鞠戸たちがここにいるのはヴァースと名乗る喰種たちが使うアジトであるということが判明したからだ。そんな場所でヴァースの一員かどうかがあやふやな喰種がはたしていることがあるだろうか。
いや、それが目の前にいるのだが、それでも不自然すぎる。この喰種はいったい、なんのためにここにいるのだろうか。
「おまえが姿を現したとき、外にいた捜査官が全員倒れた。あれは気を失っているだけなのか」
「……いや、あれは死んでいる」
川島が少しだけ後ろを気にするように目を動かして問うた。しかし返ってきたのはあまりにも乱雑な答えだった。
「貴様ッ、先ほどは……」
「俺は
喰種の心ここにあらずといった声が、徐々に川島の怒りの炎に油を注いでいく。
「俺がここにいるのは、お前たちに忠告をするためだ」
「忠告?」
「そう、忠告だ。それをちゃんと聞いてくれれば手出しはしない」
鞠戸は川島をちらりと横目で見る。鋭い目は喰種の方向に向けられていて、今にも飛びかかりそうだ。それを必死に堪えている。
そして、鞠戸本人というと、謎の違和感に襲われていた。敵の、もしかしたらアルドノアグールなのかもしれない喰種の特殊能力なのか。特有のオーラを見ていないのは現れる前にすでに力を発動していたかもしれない。そうだとしたら敵の能力は……。
……落ち着け、と内心で呟き鞠戸は小さくため息をつく。
それかどうかは鞠戸にはわからない。それを抜きにして、謎の違和感の出所を探す。
これは……たとえるなら、これは過去のふたをひっかく感覚。奥の奥、深く沈んだ底の記憶がふたを押し開けようとする感覚だ。
その原因が目の前の喰種なら……。
「俺が伝えるよう言われたのはただひとつ、今のCCGではヴァースにけっして勝ることはできない。被害を大きくしてしまう前に降伏せよ、だ」
喰種の言葉に皆がさざ波のようにざわつき始める。一瞬にして捜査官を殺した相手である手前、うかつに手を出すことは無謀だ。皆わかっている。けれど、そんなことを言われて黙っていられるとは限らない。
「ふざけるな。そんなことなぜわかる」
「ちゃんと聞けと言っただろう。死人が増えるぞ」
川島の怒りの炎がついに喰種に触れたのか、少し声に苛立ちが含まれたように聞こえる。
「降伏と同時に、この東京二十三区すべてをヴァースに譲れ。それを呑んでくれるのなら、後に計画の詳細を伝えるとのことだ」
「ハッ、冗談はよせよ。今この瞬間、僕たちCCGがここに乗り込んできているんだぞ。はいわかりました、譲りますなんて言うと思うか?」
「そうだ、俺たちは喰種に屈さない!」
「それに俺たちはアルドノアグールを三体も倒しているんだぞ!」
喰種が提示した条件。これをやはり受け入れることができるはずがない。川島の流れに乗るように複数の捜査官が声を張り上げる。
「ああ、そのようだな。しかし、その度にどのくらいの捜査官が死んでいる?」
しかし喰種のこの言葉で捜査官が一瞬にして口を閉じる。
「毎回数百とは限らん。しかし、アルドノアグール一体に対して犠牲になる捜査官は一桁ではなかろう。加えて、お前たちはあとどのくらいアルドノアグールがいるか把握しているのか?」
もう誰も、反論を言う者はいない。川島も険しい顔のまま、力の限りクインケを握っている。爪があたって血まで出てきている。
「戦いは、必ずしも敵の情報をすべて把握して、その上で対策を講じるとは限らないのかもしれない。だが、未知の敵をただ兵力と志だけで倒そうというのはいささか無謀であると思える。この作戦もそうだ。ここにヴァースのアジトがあると発見した。戦力を集めて総攻撃。しかし、そもそもここにどのくらいの相手戦力があるのか、これはわからない。場合によっては壊滅もあり得る。……まぁ、まさに現状がそれだが」
「……は?」
「今情報が入ってきた。この本館の一階と二階に入ってきた捜査官たちは全員抹殺した、とな」
喰種は無線機を持っているようだ。誰からかの情報を聞いたようで、右耳に手を置いている。
「この作戦でちゃんとわかってほしい。お前たちの限界がどの……」
「貴様ァ!」
川島と他数人が同時にクインケを構え、喰種に迫ろうとした。
「落ち着け!」
鞠戸はクインケを横に出して彼らを制止させる。何故止めるといわんばかりに睨み付けてくるのを振り払うように、
「今ここで下手に動いたら、お前たちもやられる。あいつは、いやあいつもアルドノアグールかもしれないんだぞ。外のやつらをどう殺したかもわからないのに、正面切って勝てるとは思えない」
鞠戸の言葉でいくらか高ぶった感情を落ち着かせることができたようだ。食いしばった歯とクインケを握る力は緩められていないが。
「冷静な判断だ。
「……え」
喰種は、そう言った。これまでの感情が欠落したような声ではなく、それは感心や懐かしむ思いが垣間見える声。
それは同時に、鞠戸の脳をいっきに駆け巡った。反響して、幾重にも重なって、そしてそれは過去の記憶とも結ばれ、引き起こされる。
『鞠戸……。頼む、生きてくれ』
「あ、ああああ」
皆は、またしても固まった。なぜ、敵が鞠戸の名を知っているのか、と。だが鞠戸本人はそれどころではない。
体温が急に低くなった気がした。なんで、どうしてと答えの出ない問いをぐるぐるとまわしている。先程まで感じていた違和感は
そこには、顔を青ざめたライエがクインケを持つ腕をだらりと垂らして立っていた。
当たり前だ。なぜなら、
「最後に、これはお前たちが抗うと意思表示を見せたときに見せろと言われた」
喰種はおもむろに左手をマスクにあてて、それを外した。マントのフードも取って見えてきたのは、ところどころはね癖のある髪。そして、やせこけた頬、それゆえ一層際立つ細い目。右目にだけ瞳が橙色をした赫眼。つまり、隻眼だ。
川島たちは、きっとそのことに驚いているに違いない。都市伝説レベルである隻眼の喰種が、この場所に立っている。絶句だった。
けれど、鞠戸とライエは違った。隻眼であることも驚きだ。これは間違いない。でも、その隻眼の喰種である人物に驚いていた。
「お前たちが対峙しているのは喰種。それも普通の者も、アルドノアを持つ者、そして俺のような者もいる」
喰種は右手で赫眼の下あたりを軽くさする。
「ここで言おう。
そう言って喰種は窓のひとつから飛び降りていった。しかし誰も窓に近づいていくこともなかった。
その喰種、彼はかつて、鞠戸とともに戦い、そしてあの日“ヘブンズフォール”に巻き込まれて亡くなったとされていた。名を、ウォルフ・アリアーシュ。つまり、ライエの父である。