アルドノアグール   作:柊羽(復帰中)

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伊奈帆誕生日おめでとう(二回目)!!!!!!!!


Episode.29 イレギュラー

「……ああ」

 

伊奈帆の口から、死にかけにふさわしいような、弱々しい声が出た。

 

瓦礫の隙間から見えた光景。仰向けに倒れている捜査官が一人。おそらく、あれは佐々木だ。その近くで黒鬼がアルドノアを纏ったまがまがしい甲赫を見せびらかすように構えている。その対角線、こちらに背を向けている捜査官が一人。起助だ。完全に片膝を突いて、彼のクインケを杖代わりにしている。まさか……。

 

黒鬼がついに甲赫を振り下ろした。流し込むようにアルドノアの衝撃波が地面を切り裂きながら起助に近づいてくる。伊奈帆は自分の全身の傷が一瞬だけ消えたように思えた。その代わりに、思いたくもない最悪の結末と、それに伴ってフラッシュバックした増田の最期、それを回避してくれという自分のおもいが混ざり合って全身を支配した。

 

それは一秒にも満たない。

 

衝撃波が壁に衝突し、容易く壊れて散り散りになる。今度は近くにいたために伊奈帆にも破片が飛んできた。腕で顔を隠す余裕がない。傷口に余計な刺激を与えられて酷くもがいた。その間、伊奈帆は目を閉じていた。たったその間で、なにかが近づいてくる音、なにかがぶつかった音、そして誰かのうめき声が聞こえた。

 

再び右目を開いて確かめる。仰向けのままだから、天井が見える。誰かのうめき声が、一番近くで聞こえたのだ。伊奈帆は痛みを堪えながら見まわす。それだけではだめだと、無理をして体を回転させてうつぶせの状態になり、前を見た。

 

そこには、起助がいた。クインケの菊一文字は手から放り出され、近くに転がっている。ホールではなく、廊下の外周の壁に寄りかかったまま苦しそうな声を出している。頭と腕、腹部や足が赤く染まっている。

 

「伊奈……帆」

 

起助が僅かに口を開いた。伊奈帆は開いた傷口から流れ出す血の温度さえ感じない。

 

「ごめんな、やっぱり俺、伊奈帆みたいに強くなかったよ」

 

「なにを……言って」

 

伊奈帆にはわからなかった。もう血がなくて頭が働いていないのかもしれない。だが、それでも起助の言っていることの意味がわからない。

 

「俺は、伊奈帆に憧れてた。俺らの世代で一番頭が良くて、体術もクインケの扱いもすごくて、輝いていた」

 

自分自身のことを自然と確認していた。筆記等は上位にいた記憶があるが、一番だったときもある程度だ。体術やクインケの扱いは、伊奈帆以上にすごい人物はいくらでもいたと思う。

 

そして、伊奈帆は自分に問いかける。輝いていたのだろうか。

 

「俺も頑張って、力をつけたつもりだった。でも、結局倒せなかった。伊奈帆も助け出す時間も作れない」

 

倒せるはずがない。そう伊奈帆は言いたかった。准特等が二人いても勝てないのに、半壊した班のひとりがどうあがいても無理なのだ。伊奈帆は励ましたかった。そうでもしないと、起助がまたカームが左足を失ったときのように、闇に沈んでいってしまいそうに見えたから。

 

「カームとの約束も守れなそうだ。ダメだなぁ、俺。そこんところ、0ポイントだ」

 

「起助」

 

「もうダメだから、さいごに、伊奈帆に言っておきたいんだ。我儘でごめんね、伊奈帆」

 

やめろ。やめてくれ。そう伊奈帆は叫びたくても、喉から先に言葉が出なかった。口はあわあわと動いても、声にならない。

 

起助の言葉が、いやに引っかかる。その言い方は、その顔は、まるでついさっき韻子に言ったような……。

 

「俺の憧れでもあって、そして、かけがえのない、大切な仲間になってくれてありが」

 

ありがとう、そう言いたかったはずだ。でも、それを言い切る前に起助の声は途切れた。

 

不快な音がした。その光景を伊奈帆は見ているはずなのに、理解が少しだけ遅れた。起助の胸には、水色の刃。それが抜かれると、勢いよく溢れ出す大量の血。

 

起助は力なく倒れた。頭を伊奈帆のいる方とは逆にして倒れた。起助の死に顔をみるよりかはましだろう。すぐに血の池ができて、起助はそれに沈んでいくよう。

 

起助が語りかけてくるなか、聞こえてくる足音も、見えてきた影も、伊奈帆にはどうしようもなかった。いや、どうしようにも力が無かった。

 

「意外にも、こやつは粘った方だな。だが、結局は……。ああ、貴様も生きていたのか」

 

黒鬼は伊奈帆に気づき、起助に向けていた視線を伊奈帆に移す。マスク越しではわからないが、そこには狂気に満ちた赫眼があるのだ。

 

「身を挺して仲間を逃がしたつもりだったが、無駄だった。このざまだ。まあ、何匹かは逃げ出したが、あとはどうにでもなる」

 

黒鬼が体を伊奈帆に向けた。甲赫のアルドノアはまだ出している。このまま伊奈帆も殺すのだ。だけれど、伊奈帆はもう、動けない。血も、生気もない。

 

「自分を恨むんだな、小さき戦士よ。この世の不利益は、すべて当人の能力不足だ」

 

そう言って黒鬼は一歩、伊奈帆に向かって踏み出した。

 

 

 

それとほぼ同時。

 

 

 

かち、と僕の頭の中でなにかが動きだした。たとえるなら、動かなくなっていた機械の歯車が、ちょっとした刺激を加えた途端に動き出したような、そんな感覚。

 

頭の中がすっと白くなっていく。これは死ではないと、僕は直感した。そして、自然と思考も独立したかのように動き出した。

 

今までずっと一緒に戦って、ときには食事をしたり笑い合ったりした大切な仲間。彼らと共に生きたこの証。歴戦の証。この輝きはけっして無駄でないと言える。なぜか?

 

たんなる思い出などというかわいい言葉で済まさない。これは、僕ひとりとは言えないけれど、確かにこの瞬間まで生きてきた力の象徴だからだ。

 

大切な仲間のひとり、韻子は泣いていた。なぜか?

 

僕が全身に傷を負い、死に近づいていた。けれどそれ以前に、そうなってしまったのは、黒鬼に負けない力がなかったからだ。

 

起助が目の前で殺された。なぜこうなってしまったのか?

 

僕にはみんなを逃がす時間を作るだけの力がなかったからだ。

 

そもそも誰かを犠牲にして脱出をしなくてはいけない状況になったのはなぜか?

 

要の宗像准特等がやられてしまった。増田一等もやられた。宗像准特等の油断、そして彼をサポートしつつ、黒鬼を倒せなかった僕らの力不足。

 

そもそも僕は計四体のアルドノアグールと戦ってきた。それなのになぜ今回の黒鬼の攻略策は思いつかなかったのか?

 

黒鬼のアルドノアは知っていたものだが、しかしその対処策はここでは使えなかった。既存の対処策以外で、かつこの場での処理は僕にはできなかった。力不足だ。能力不足だ。

 

この世の不利益はすべて当人の能力不足。これは正しいのか?

 

正しいのかどうなのか、そんなことはどうでもいい。これは今の僕に当てはまる。僕に力があれば、黒鬼を倒すことができた。宗像特等も、増田一等も、佐々木上等も、起助も死ぬことはなかった。そして僕もこうならなかった。

 

すべて、すべてが能力不足。力不足。僕がそうでなかったのなら、きっと、輝いていたのかもしれない。起助が言ったように、彼が思い描くような界塚伊奈帆として、前に進んでいたのかもしれない。

 

でももう、その起助もいない。仲間もどんどん消えていった。僕だって、もうもたない。

 

だからこそ、最期の最期、溢れ出るこの感情に、素直に答えることができる。それはなにか?

 

目の前にいるこの喰種を、殺せるだけの力が欲しい。

 

 

 

「さらばだ」

 

黒鬼が伊奈帆に向かって甲赫を高く上げて、振り下ろした。その音は一段と激しく、ありあまる衝撃で地面が砕けて散らばった。そう、地面だけが。

 

「あ?」

 

黒鬼が地面だけをアルドノアを纏った甲赫でたたき割った、それを理解してから自分が狙っていた人物はどこにいるのか、それに意識が行く前に右頬に激痛が走る。

 

その痛みよりも、凄まじい衝撃と押される力に驚いてしまった。黒鬼はそのままホール内の中央付近まで転がり続けた。

 

「な、なにが起こって……!」

 

左手で右頬を触りながら、ついさっきまでいた場所を見た黒鬼は、絶句した。

 

そこには捜査官がひとり。それも無脊椎動物にでもなってしまったような、上半身をふらふらしながら立っている。しかしそれが落ち着くと、突然彼の体から一気に橙色の霧が出てきた。透き通り、彼の姿もハッキリと霧越しに見える。

 

その霧に包まれた途端に、彼の体のいたる場所にある傷が再生し始める。その様子は、まるで喰種のそれだ。

 

「貴様は、いったい」

 

未だ見せることのなかった震える声で黒鬼は問うた。その回答の代わりなのか、左手で右腕に巻かれている布を取った。

 

最初に見えたのは白い棒。あれは骨だ。それにまとわりつくようにして筋肉、血管等、そして後を追うように皮膚が伸びていく。そして、あっという間に右腕がまるまる再生した。

 

「う、ぐぅ」

 

うめき声を上げながら生えた右腕を曲げる。関節が鳴る音がした。指も曲がり始め、それなのに音はいくつもの棒をへし折っているみたいだ。

 

「貴様はいったい、なんなんだ」

 

黒鬼は再び問うた。目の前にいるのは捜査官。さきほどまで自分と戦い、囮にまでなって仲間を救おうとし、それに失敗した男。その彼が、今、黒鬼にとって当たり前のように知るアルドノアを身に纏っていた。

 

彼は、伊奈帆は、口を開いた。

 

「喰種捜査官だ」

 

「喰種捜査官がなぜアルドノアなどを使えるのだ!?それに、貴様の左目!それは赫眼だ。半喰種なのか!?」

 

伊奈帆からしては、体から出ているこれがアルドノアなのだと気づいていなかった。しかし所持者が言うのだから間違いない。そして、これがアルドノアなのだと、こういう感覚なのだと、そんな平凡な感想が出てきた。

 

しかし伊奈帆自身、顔は見えないので左目がどうなっているかわからない。起助が持っていたクインケを廊下に戻って拾ってきた。ホール内の照明と菊一文字の磨かれた刀身で充分に自分の顔が映った。右目が黒色、そしてオレンジ色をしていた。つまり左目が、アルドノアグールの赫眼をしている。

 

「なぜだ、なぜ貴様が、人間がアルドノアを持てるのだ」

 

「僕に聞かれても困る」

 

荒々しく黒鬼は叫ぶ。しかし伊奈帆に黒鬼が求める答えを持っているはずがなかった。

 

しかし、伊奈帆にはひとつ、思い当たることがあった。それは、フェミーアン戦の時だ。眼帯の喰種との戦いで負け、瀕死の重傷を負ったときにアセイラムが助けてくれた。今まで見てきたアルドノアの概念を覆す、破壊の対を成す再生という使い方だった。

 

それがアルドノアを持つ原因なのかはわからない。けれどそれ以外にアルドノアが伊奈帆の体に入ったようなことはない。

 

また、アセイラムから話を聞いたとき、実験で人間にもアルドノアを植え付けることをやったと言った。けれど成功例は喰種のみ。けれどそれが()()()()()()()()という理由にはならいのではないか。

 

そこまで考えて伊奈帆はやめた。今やるべきことを片付けなくてはいけない。

 

これが、今この場に立てているのは、伊奈帆が願ったあの思いのおかげなら。一時的なのなら、時間が惜しい。

 

「今はそんなことはどうでもいい。僕がやるべきことは、おまえを殺すことだけだ」

 

伊奈帆が普段言うような声よりも、低いものが出た。それは自信でも少し驚いていた。黒鬼は動きを止め、舌打ちをして徐々に殺意をむき出しにする。

 

「あとであいつに問い詰めるまでだ。……やってみよ、小さき戦士よ。今度こそ殺してやる」

 

言うが早いか、黒鬼は伊奈帆めがけて突っ込んできた。伊奈帆は黒鬼の攻撃を見極める。

 

大振りな一撃が来た。それを軽々と避けると第二撃が飛んでくる。しかしこれも避ける。

 

甲赫にしては異常な速さの攻撃だ。それも最初とほぼ速度は変わらない。だがそれを上回る伊奈帆の動きには、黒鬼も目を見張るものだった。伊奈帆自身、アルドノアにはここまでの身体能力の強化には驚いている。人間ではあり得ない瞬発力、全体重を受けきる肉体強化。これが自分なのかと疑ってしまうほどだ。

 

度重なる攻撃の回避、そして疲れと苛立ちからか、黒鬼にも隙が見え始める。それを見逃すことはなく、伊奈帆は菊一文字でダメージを与えていく。

 

決定的な攻撃はできない。けれど黒鬼には確かに攻撃が当たっている。

 

「くそがぁ!!ゆけ、わが眷属よ」

 

甲赫を大きく横に振り、伊奈帆と距離をとった。そこでアルドノアを一旦閉じ、羽赫を出してアルドノアを再び纏わせる。フェミーアンと同じものだ。

 

轟音を響かせる戦闘機のようにホール内を低空飛行する。伊奈帆はそれをも動きを見極めて避け、さらに普通の甲赫となった攻撃を菊一文字で防ぎ、または回避して隙を見て攻撃を仕掛ける。

 

しかし伊奈帆も攻撃を食らわないわけではない。結局は喰種と人間との戦い。伊奈帆の攻撃が避けられ、物理的な力の差で負け、甲赫の大振りに飛ばされたり、突きで傷を負った。それでもアルドノアの力で傷がみるみる消えていくのは、正直なところ気持ち悪ささえあった。

 

クインケと赫子がぶつかり、避けて、ダメージを与えて、再生して。まさに接戦だ。

 

「人間ごときが……!」

 

「ほかの喰種から赫子とアルドノアを奪ってきたようなやつに負けはしない」

 

「ハッ、貴様とて同じだろう」

 

「……ああ、そうだな。全ては、大切なものを失った憎しみだ」

 

菊一文字と甲赫が同時に力強くぶつかり、同時にはじいた。両者は一定の距離を置いてにらみ合う。

 

「貴様も、我に憎しみを抱いているのなら、貴様特有のアルドノアの力を使わぬのか」

 

挑発なのか、息を整える時間稼ぎなのか、黒鬼が口を開く。確かに、伊奈帆は今のところアルドノア所持者特有の力を使っていない。発動しているのなら、体全体を包むオーラは消えているはずだ。

 

「わざわざ敵に言うことか?」

 

「そうでもしなければつまらんだろう。公平ではない」

 

「すでに接戦の状況で公平にならないと?」

 

「まったく、口が減らんやつだ」

 

皮肉のような、呆れたような声で吐き捨てると黒鬼は再び動き出す。対して伊奈帆は構えつつ、先ほどの言葉を脳内で反芻する。

 

アルドノアを今出すことができる。なら、伊奈帆にだけもつ特殊な力が使える、はずである。それが人間には例外だとか、そういったのを出し始めると切りがなくなる。

 

最初に現れた紫オーガ。報告書によれば紫の霧状のものを出して、それが体内に吸い寄せられるようにして消えたとあった。その特殊能力は、触れた部分だけを消す。

 

次に現れたのは騎士。これは水色のオーラが全身から出て、右手の甲赫に集まったと聞いた。自分でも見た。特殊能力は、無敵のビームサーベル。

 

次に現れたのはフェミーアン。これは全身からでたアルドノアが羽赫へと集まって、背中から分離したという。特殊能力は、羽赫を切り離して遠隔操作。

 

先ほど相手をしたのは手足の長いアルドノアグール。能力は二本の赫子にアルドノアを纏わせてぶつけ、それによって引き起こされる強烈な気流。

 

そして、目の前にいる黒鬼は騎士とフェミーアンの赫子とアルドノアをもらい受けたという形。アルドノアの動きも同じ。

 

これらからして、自分の赫子にアルドノアを纏わせるタイプなら、そのままアルドノアが移動する。けれど、赫子に関係なく自分に力が発揮されるなら、アルドノアが体内に消える、ということか。

 

伊奈帆に当然赫子はない。なら、伊奈帆は後者ではなかろうか。出して間もないアルドノアを、力を解放させるような気で、体内に吸い寄せてみた。

 

すると、おもしろいようにアルドノアが体内に入ってきて、それが一気に脳内へ流れ込んできた。それと同時に脳が活性化された気分になった。頭が軽いだけではない。目の前に迫る黒鬼の動きを認識した途端、やつの走り方、腕の位置、今までの攻撃方法から追撃の仕方……などが脳内を縦横無尽に走りまわり、しかしそれらがちゃんと整理され、そして攻撃パターン化されて、最終的な動きの予測が出された。それに対する自分自身の動きも、最適なのが出された。

 

この間、一秒にもまったく満たない。

 

黒鬼がすぐ側まで迫り、腕を振り下ろす、その瞬間に体をひねりつつ二歩右前に出た。その動きに連動させつつ菊一文字で黒鬼の脇を切り裂いた。

 

「……!!?」

 

こういう動きをした場合、追撃で右の甲赫を横に振るのだと、頭は結論づける。それはまさに実行され、しかし伊奈帆は既にしゃがみ、足を斬っていた。

 

「なるほど、こういうことか」

 

伊奈帆は、納得した。相手の動きや癖など、様々な情報を脳内で整理、パターン化し、今いる状況からどのタイミングと速さで動くかを予測し、それに対する最適なタイミングと動きを打ち出す。これが、伊奈帆のアルドノアの特殊能力だ。

 

いくら黒鬼が攻撃を仕掛けようと、不意を突こうと、伊奈帆にはもう、当たらない。全て防がれ、避けられる。

 

羽赫のアルドノアを使ったとしても、その動き、相手をどう狙うか、すべてが伊奈帆の記憶からデータが取られ、対策される。全ては、計算通りなのだ。

 

伊奈帆は予測のままに動き続ける。攻撃をして、防御して、避けて、また攻撃する。

 

クインケには伊奈帆が今まで扱ってきたスレイプニールやオーディンのように特殊なギミックが組み込まれてはいない。だから強力な一撃は放てない。けれど、一発一発が積み重なり、黒鬼を確実に追い詰めていく。

 

「がああああ!!」

 

黒鬼の攻撃が荒くなる。甲赫で大振りな一撃が目立つようになった。羽赫は飛ばすことはなくなり、トゲを飛ばしてくるだけだ。

 

黒鬼が伊奈帆の背後を捉え、すかさず甲赫を横に大きく振る。けれど、それももれなく予測済みだった。アルドノアを使いすぎたのか、節約しようとしているのか、甲赫に纏わせていない。菊一文字をうまく腕で押さえて背を向けたまま、その一撃を受けきった。

 

刃と甲赫が擦れ合い、ギリギリと音をたてる。黒鬼はかなりの力を入れてる。にもかかわらず伊奈帆は、腕は力んで震えているがその姿勢を崩すことはない。

 

「……殺す前に、おまえには色々と聞きたいことがある」

 

「ハッ、もう勝った気になったか?それに、あれこれと簡単に話すとでも」

 

黒鬼が言い終わる前に伊奈帆は体勢を素早く変えて、黒鬼の腹部に一撃を入れる。

 

「力ずくで吐かせるだけだ」

 

伊奈帆は能力を最大限に活用し、黒鬼が攻撃してくる前に攻撃を仕掛ける。どの方向からの攻撃はどういう体勢で防ぐのか、それはもう既にデータ化された。その裏をかくように素早く移動して斬る。

 

関節、特に足のほうが度々ミシミシと音を立てている。能力発動前は全身にアルドノアを纏っていたおかげか、人間ではあり得ないほどの回復力があった。けれど今は能力発動中。この状態でも纏う前よりは劣るが回復力もあり、肉体強化は同じくらいだ。

 

纏っているときはその肉体強化に慣れていなかったが、その俊敏な動きで黒鬼の攻撃をかわしていた。それによる肉体の負担をカバーするための絶大な回復力。今は能力によって必要最大限で確実にダメージを与える。そのスマートな動きで肉体の負担は減り、回復力も充分だろう。

 

そう、充分だ。伊奈帆は心の中で呟いた。

 

斬って、斬って、斬って、斬って、斬って。黒鬼の動きはもう筒抜けだ。誤差程度の範囲ではもう恐れることもない。身構えることもない。死を悟る必要もない。

 

斬る。斬る。斬る。斬る。さぁ、吐け。ヴァースの情報を、吐け。持っている分をすべて。吐け。吐け。吐け。さっさと。速やかに。今すぐに。

 

この力なら、充分に黒鬼を殺すことができる。クインケから、自分の手からはっきりと自身が伝わってくる。はやく片付けたい。けれど、仲間を殺した分、いたぶってやるのも悪くないと思った。

 

……自然と、そう思ってしまった。

 

「そろそろ言う気になったか?」

 

「いい気になるなよ、人間がァ!!」

 

マスクの奥底から鋭く見開かれた瞳が伊奈帆を捕える。橙に染まった狂気の目とともに、黒鬼の左肩からも甲赫を出した。ふたつの大剣にアルドノアが纏う。絶対に斬れないものなどない。いわば絶剣。

 

そういえば、と伊奈帆は記憶を遡らせる。騎士のときも、甲赫をふたつもっていた。それが二本とも抜き取られた姿で見つかった。

 

そして、あの二刀流は攻撃力も格段に高まり、どちらからもあんな衝撃波など出したらアルドノアの消費も二倍だ。

 

アセイラムは、自分は直属の血統であるゆえに多くのアルドノアを持っている、と言っていた。黒鬼がその血統かどうかは定かでない。けれど、彼女から聞いた情報で黒鬼が該当するともいえない。

 

黒鬼はこのために、この戦闘にかたをつけるために一旦アルドノアを止めていたのだろう。

 

「そうか。言わないんだな」

 

言って、どうするんだ。そんな言葉がどす黒い底から聞こえてきた。それはフェミーアン戦のときに対峙したあの喰種のせいか。

 

人間と分かち合う喰種がいると、思っていた。けれど彼は言った。それの対なる存在、人間を食料とだけしか思っていない喰種。そういった分け方が全てではない。殺したくなくても、生きるために人間を喰う喰種だっているのだと。彼らだって生きている。彼らの生き方の中で、人間を喰っただけに焦点を置いてそれを断罪していいのか。その存在自体が罪であると、悪であると決めつけるのか、と。

 

極端な話、黒鬼だって生きている。死ぬことを望んではいない。違うなら、ここで戦う必要はない。相手に手の内をベラベラと喋るような空っぽなやつにも見えない。散々伊奈帆たちを虫けら扱いしておいて、今になってそれに屈することとなったら、どれほどの屈辱だろうか。それに折れてしまうのなら、ここまで強くない。

 

倒せる相手だからと言って、もう勝てると思える相手だからと言って、相手は負けを認めるとは限らない。諦めるとは限らない。

 

随分とはやとちりとしてしまった。伊奈帆は目を閉じてため息をつく。自分らしくない。これさえもアルドノアのせいか。

 

瞼の内側、それがスクリーンとなって、記憶が映る。ラボで起助がクインケを自慢してきたときだ。それは今伊奈帆が持っているもの、菊一文字。

 

――――伊奈帆、見ててくれよ。これをこうすると……じゃん!こうなるんだぜ。

 

――――へぇ、そうなるんだ。でも起助、使いこなせる?

 

――――大丈夫だって。俺はもう、泣きべそかいてた頃の俺じゃないからね。

 

 

 

今でも思い出せる、彼の声。彼の表情。けっして忘れてはいけない、彼の存在。彼と交わした言葉。彼との思い出。

 

紫オーガとの戦闘、そのほかの捜査や、平凡な休日で昼飯を一緒に食べた増田一等。陰ながらのサポートで信頼を置いていた佐々木上等。そして、黒鬼に殺されていった捜査官たち。

 

「じゃあ、終わりにしよう」

 

起助と同じように伊奈帆も持ち手を操作した。持ち手の頭部分から菊一文字とほぼ同様の刃が出現した。持ち手は今までそこにあったのかと驚くほどに切り込みが入り、中間地点で分裂した。このクインケはひとつでふたつなのだ。もう片方のクインケを、たしか起助は大和守安定(やまとのかみやすさだ)と呼んでいた。

 

右に菊一文字を、左に大和守安定を握って伊奈帆は走り出す。それと同時に黒鬼も動き出した。二本の大剣を連続して振り下ろす。

 

幾重にも連なって襲いかかってくる衝撃波。縦も横も斜めも入り交じり、速度も相まって回避不能の牙と化す。

 

が、それすらも伊奈帆の目には突破法が映っている。記憶から今までも衝撃波についてを引っ張り出して、大きさと速度を数値化、可視範囲で自分と衝突するまでの距離と時間をはじき出す。そこから最適なルートを今、導き出した。

 

それはまるで、スローモーションの映像を見ているかのようだった。

 

素早い足取りでぎりぎり掠る程度で躱していく。肩が擦れ、髪が少し切れる。それでも着実に黒鬼との距離は縮まっていく。今の伊奈帆でなければ、きっと人間ではだれも避けられない。

 

この一瞬、黒鬼はただ一点を見ていた。目の前に迫る一人の捜査官の姿を。この連撃でさえも生き延びている。これまで優勢だった自分をここまでかといわんばかりに追い詰め、自分の体に傷を負わせた。そんな敵だからこそ、前代未聞のアルドノアを操る人間だからこそ、もう驚いている暇さえも与えてくれない。

 

だが、ここで伊奈帆の超活性化した脳が“回避不能”をはじき出したのだ。

 

もう黒鬼との距離はそうない。右手、そして左手と絶剣を振り降ろし、正面から見たらクロスした衝撃波が見える。しかし伊奈帆の体は直前に衝撃波を避けた体制上、それを交わせる動きができないのだ。足の向き、角度、重心の移動からあらゆるパターンを出しても避けきれない。

 

そう、ただ避けきれないだけである。

 

伊奈帆はそのまま予測したデータを見てタイミングを計る。次に地面を踏み込むのは左足。距離も申し分ない。復活した右手に違和感はない。充分だ。

 

伊奈帆は確かな力を込めて左足で地面を踏む。それと同時に右腕にも力を込めて右手に持つクインケ――菊一文字を投げた。頭を前にして投げたそれは黒鬼の左肩のほうを通り過ぎていく。

 

衝撃波がほぼ同時に到達し、伊奈帆の左足を難なく切断した。けれどその頃には重心を次の右足に向けていた。すぐ迫ってきた衝撃波はもう避けた。

 

ここだ。伊奈帆は左足から広がる激痛に耐えながら着地した右足に、さらに力を込めようとする。

 

黒鬼との距離はもうない。互いの刃が交わるほどだ。黒鬼はもうすでに絶剣を宿した右手を振り上げている。その力強さに、最後の最後で勝ったと思っているのだろうか。伊奈帆の足を斬ることに、ダメージを負わせることに勝機を持ったのだろうか。

 

だが、それは無意味だ。

 

伊奈帆は自信の能力を解除した。それは同時にオーラを纏った状態に戻ったのだ。それはつまり、特殊能力発動時よりも勝る肉体強化、そして脅威の再生能力だ。

 

人間とは思えない力を加えた右足で地面を蹴る。重心は思いっきり前に押し込む。結果として生まれたのは強力な喰種にも勝るスピード。黒鬼の右の絶剣が振れる前に伊奈帆は通り過ぎる。

 

残ったクインケ――大和守安定を縦にして構えていた。そのスピードでぶれないように両手で握る。勢いそのままに黒鬼の左横を低姿勢で通った。構えた大和守安定で黒鬼の左腕を切り落としながら。

 

アルドノアのオーラで左足は回復しつつある。加速した伊奈帆は自身で投げた菊一文字をうまくキャッチする。

 

黒鬼は片腕を失い、伊奈帆はクインケを二本持ち、黒鬼の背後にいる。これが、伊奈帆が作り出した状況。チェックだ。

 

二本を地面に突き立てて勢いを殺し、黒鬼の背後へと飛びかかる。

 

「クソがぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

黒鬼は激痛と怒りが混ざりながらも背後の伊奈帆を捉えようとする。

 

「チェックメイトだ」

 

しかしそれは届かない。極限まで強化された肉体から放たれる斬激の乱舞は、たとえるならまさに、剣豪だろうか。

 

息を吹かれた蝋燭の火のように、右の甲赫に纏ったアルドノアは消えて、ついに黒鬼は背から地面に倒れ込む。黒い仮面さえも赤く染まった黒鬼を、伊奈帆は静かに見下ろす。

 

クインケで支えていた体も、左足が完治したことによって必要がなくなる。そのクインケ――大和守安定の刃を黒鬼に向けた。

 

「おまえの負けだ」

 

「……が、がはっ、はああ」

 

この長時間の戦闘で、黒鬼のアルドノアは底をつきかけているのか、再生がまるで追いついていない。

 

「……ぐ、がああ……。こ、これが世界よ。我ら、喰種の……思いよ。愛する者を失った悲しみは、憎しみを生み出し、それはやがて全身をむしばむ。そうなれば、従うしかないのだ。その憎しみを糧に、力を欲し、復讐へと変わる。けっして消えない復讐の連鎖。憎しみが憎しみを生む。その世界で我は……」

 

「この世の不利益は、すべて当人の能力不足」

 

「……!!!」

 

血を吐き、体中を震えさせながら黒鬼は叫ぶ。この世界のしくみを。現実を。残酷さを。黒く染まった生命の果てを。

 

だが、それがどうしたというのだ。伊奈帆は、さっき黒鬼に言われたことをそのまま返した。

 

「強き者が、弱き者を淘汰する。それが喰種なんだろ?」

 

「……やめろ、我はまだ、まだ」

 

「僕の憎しみを、受けろ」

 

黒鬼は動けない。だから伊奈帆は彼の首元に近づき、クインケを構えた。返り血を浴びた伊奈帆は、もう、少し前の面影さえ見当たらない。

 

そして、伊奈帆はクインケを振り下ろした。

 

 

 

なにかが接近するのを感じながら。

 

 

 

空間全体にクインケが地面を叩く音が響く。その血濡れた刃は、命を斬り損ねたのだ。

 

「……」

 

伊奈帆は()()()()()()()()()。死にかけている黒鬼を抱える人影。それはまさしく喰種、いやそれどころか、異様な感覚を漂わせる。それが“アルドノアを持つ者”ということだと気づいたのに、さほど時間は掛からなかった。

 

その喰種が黒鬼をゆっくりと地面に降ろし、こちらを見た。クリーム色の少し長い髪。それと反発するような、怒りを表したような黒いマスク。左目は隠され、右目だけがこちらをじっと見つめる。瞳が橙色をした赫眼。

 

その顔を、伊奈帆が忘れるはずがなかった。

 

「……おまえ、なんで生きている。あのとき殺したはずじゃあ……」

 

喰種が先に口を開く。伊奈帆は無表情のまま答える。

 

「セラムさんが治してくれた」

 

「……!」

 

「やはり、ヴァースだから知っているだろう」

 

「アセイラム姫はどこにいる」

 

「お前らならもうわかっていると思っていたが」

 

「……詳しくは知らない。けれどおまえたちが隠しているのは知っている」

 

「取り返したいのか」

 

「力尽くでも」

 

少しの沈黙が訪れた。しかし無音とは言い難い、どこかで軋む音がずっとしている。

 

「おまえ、アルドノアグールだったんだな」

 

「おまえと戦う前はそうじゃなかった。そもそも、なんでおまえがアルドノアを使えるんだ」

 

「知るか。それにも同じ事を聞かれた」

 

伊奈帆は顎で黒鬼を指した。

 

「……セラムさんは、君を探していた」

 

「……なんだと」

 

「人間と喰種とをつなぐ役割を果たしたがっていた」

 

「おい、おまえはどこまでアセイラム姫と話を」

 

「ああ、ここまでだ。もう終わる、ここが」

 

伊奈帆は手を出して会話を止める。そして上を見上げると、天井の破片がいくつも落ちてきている。いくらか地面も揺れ始めていた。

 

「衝撃波を打ち過ぎたか、ここがもう限界だ」

 

「おい、おまえ」

 

「おまえ、じゃない」

 

喰種の言葉を、また伊奈帆が止める。

 

「僕は、界塚伊奈帆だ。名前くらいはお互い知っていないと、フェアじゃないだろう?スレイン・トロイヤード」

 

伊奈帆は目の前の喰種、スレインにむかって言った。その赫眼は鋭く伊奈帆を捉えていたが、きびすを返した。

 

黒鬼を再び抱えて出口から脱出しようとしたところで、止まった。

 

「次は必ず殺す。そしてアセイラム姫を取り戻す。覚悟しろ、カイヅカ、イナホ」

 

スレインの姿が見えなくなるまで、伊奈帆は瓦礫が降る空間で、立っていた。

 

人間なのか、喰種なのか、どちらかともわからない、その両方の目を、そして閉じた。




これにてアルドノアグール、前編が終了しました
二年がかりでやっとですわ……
新年度あたりから後編を始めて参ります
前編よりもスマートにいきたいですよろしくどうぞ
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