韻子はエレベーターホールに立つ。飲み終わったコーヒーの缶は休憩室のゴミ箱に投げ入れておいた。
高層階に位置するためエレベーターがなかなか上がってこない。エレベーターの入り口上にある現在地の表示はいまだこのビルの半分にも満たない。それに対してしょうもないイライラが引き出したのか、韻子の腹から空腹を示す音が鳴る。そっと腹部に手を軽く添える。
早朝からの作戦でろくに食事をしていなかった。かといって、体は食料を求めていたとしても韻子自身はそんな気分ではなかった。それでもいつまた出動があるかわからない。食っておかなければへたって倒れる。
ようやくエレベーターが来た。上へと向いていた矢印が下を示す。ドアが開いたが中には誰も乗っていない。エレベーターはドアから入ってすぐ両脇にボタンがある。韻子は左側に目を向けてボタンの5を押す。女性のアナウンスとともにドアが閉まった。
誰もいないエレベーターの中はしっとりと広がる機械音だけで、自分の呼吸がいやにはっきり聞こえる。壁により掛かり、左に目を移せば硝子張りになった先に広がる都会の景色がある。それらがどんどん俯瞰図から地上へと降りていく。それが途中で止まった。
ボタンの上に備え付けられた液晶モニターには15と表示されている。まもなく開かれたドアから入ってきたのは……。
「まったく、今回の作戦は大変だったねぇ」
「なにを言っているんですか。私たちはまだまだ前線に参加できてないんですよ。あんな雑魚ばかりの相手しかしてません」
最初に乗ってきた男性捜査官は韻子と同じくらいか、それより少し年齢が下のように思える若さで、しかしそれに見合わないけだるさに満ちた顔。そしてぼさぼさにはねた髪が特徴的だった。
次に乗ってきたのは艶のある長い髪を後ろで束ねている女性捜査官。こちらも男性捜査官と同じくらいの年に見えるが、だいぶ大人びた印象だ。
「それに、今回一番疲れているのは界塚准特等なんですから」
最後に乗ってきた男性捜査官。それは伊奈帆だった。女性捜査官が反対側の方で7のボタンを押して、こちらを一瞬だけ見た。韻子はドアを閉じた。
一人から四人に増えたエレベーターの中。そのうち一人は知っている人物だ。それなのに、韻子は息が詰まりそうだった。自然と体はエレベーターのボタンと対峙するように向けられ、視線は下の方に逸らしていた。
「マグバレッジ特等も、ね。それに二人だって充分作戦に役立ってたじゃないか」
「いや、そうっすよね?流石、伊奈帆サンはよく見てらっしゃる」
「界塚准特等、あまり甘やかすようなことは言わないでください。すぐに調子のるので」
韻子とは反対側で彼らは会話をしている。三人とも今回のヨーロッパでの作戦に参加したのだろう。そして伊奈帆の横にいるのは部下たちということか。とても穏やかな雰囲気から、もう共に行動してから時間が経っていると見える。信頼さも堅く形成されているはずだ。
「調子乗るってなんだよ。伊奈帆サンは本当のことを言ってくれただけだろ」
「それでホイホイ舞い上がっているのが調子に乗っているということです。それと、界塚准特等、です。ちゃんと上司の名前を呼ぶときは気をつけてください」
「あ?そんなのどうでもいいじゃん。呼びやすい感じで」
「ダメです。たとえ同い年であったとしても階級によって上下関係があるのは事実。それは絶対です」
同い年……?
韻子は少しだけ視線を彼らに移す。二人が同じくらいの年には見える。その彼らが韻子と同じか少し下だと思っていたが、前者が正解だったようだ。けれどあの穏やかな空間に違和感が残るのはなぜだろう。
いや、それは考えるまでもなかった。伊奈帆が韻子たちと同年代とは思えない雰囲気を醸し出しているからだ。
と、二人を見ていた伊奈帆と目が合ってしまった。韻子は慌てて逸らそうとしたが、無駄だった。
「久しぶりだね、韻子」
腕を組みながらも、それはどこか溶け込むような安心できる声音だった。
韻子。そう、伊奈帆に名前を呼ばれたのはいつ以来だろうか。もうわからないほどに時間が、距離が離れていた。それをぐっと急に引き戻してきているようで。そんな強引さは無かったはずだ。でも、素直に嬉しかった。
「う、うん。久しぶりだね、伊奈帆」
変わってしまった雰囲気も立場も、きっと関係ないのだ。そう、そうであると少しだけ思えた。
突然のことだったので返事がつっかえつっかえになってしまう。変に照れ笑いが零れてしまった。
「あの」
間髪いれずに凜とした声を挟んできたのは、先ほどの女性捜査官だ。
「あなたは網文上等捜査官、で間違いないようですね」
「え、は、はい」
「先ほどの私たちの話を聞いていたかどうかはわかりませんが、やはり私たちには立場、というのがあります」
数歩近づいてきて一方的に話し始める。彼女は相変わらず大人びた様子だ。しかし彼女が持つ信念で躊躇なくこちらに踏み込んで振りまくという、少し頑固な少女さもこの超短時間でわかった。
とはいえ、韻子側から口を出す余裕を与えてくれない。
「年齢がどうこうあったとしても、今では界塚准特等のほうが立場は上にありますし、ここも私たちの仕事場です。私的な会話をしたいのであれば」
「
韻子が戸惑う中でも口を止めようとしなかった彼女が、口どころか生命活動さえ止まったかのように見えた。いや、違う。止まったというよりも止められた。それは韻子自身も感じた。まるで喉に鋭い刃を突きつけられている感覚。唾も飲み込めないほどに空気が引き締められ、そして背筋が凍るほどの威圧感が体を押し込んでくる。
「たしかに上下関係は大事だ。だけど僕と韻子は同期なんだ。そういう堅苦しいの、僕の前ではやめてくれないかな」
なんとか目線だけを伊奈帆に向けた。さきほどまであった微笑はそのままだった。けれど目は、明らかに違った。全ては里奈と呼ばれるこの女性捜査官に向けられている。銃口を彼女の後頭部に突きつけるように。そして声も、普段と変わりないのに、ひどく凍っているように感じられた。
彼女は大人びた印象からすっかり縮こまり、親にしかられる子のように顔を青ざめて俯いていた。
「……すみませんでした」
彼女の謝罪と同時にドアが開いた。液晶モニターは七階を示していた。
「イングヴァル、後の諸々は二人に任せるよ。今日はもう終わりだから」
「りょ、了解っす」
最初のけだるさはどこかに吹き飛ばされてしまったようで、男性捜査官はきびきびと動いて里奈とともにエレベーターから降りた。そのドアが滑らかに閉まっていくとき、男性捜査官が「怒られてやんのー」と茶化す声と彼をひっぱたく音が聞こえた。
「ごめんね、うちの里奈はああいう頑固な子でさ。特に上下関係をやたらきっちりと守りたがる」
「あ、ううん。大丈夫だよ」
そうは言ったものの、よもや殺気に近い視線を飛ばしていた伊奈帆とは思えない、自然体で話しかけてきたことに韻子は驚きを隠せなかった。最初に声をかけてきた時とは違った凍てつく声音は、早々に忘れることはできないだろう。
「僕もお昼食べようと思ってたんだけど、もしかして韻子も?」
「う、うん」
「じゃあ、一緒にどうかな。あのカフェテリアでしょ」
「うん」
五階に辿り着いたドアが開き、伊奈帆が先導する形でカフェテリアへと向かう。
別になにも間違っていない。なにも嘘を言っていない。けれど、このまま伊奈帆と一緒に行っていいのかがわからなくなった。今までずっと共に戦ってきた大切な同期と何気ない食事が、あってはならない禁忌に思えてしまった。なぜなのか。韻子は頭の中で反芻しながら伊奈帆の後を追う。
今日はいつもよりも人が少ない。柔らかい日光が注ぐ窓際のカウンター席へ向かう。韻子の前に伊奈帆は会計を済ませて先に座っていた。
韻子はいまの自分の場所から近い席に座ろうとして、躊躇った。そこは伊奈帆の右側の席だった。伊奈帆の左側の席に座る。皿に並べられたサンドイッチは相変わらずの綺麗な三角形のパンにレタスやトマトが挟んである。
一緒に注文した紅茶をすすりながら、ちらりと伊奈帆の横顔を見た。韻子よりも倍以上に積まれた総菜パンの山を平らげていく。伊奈帆は咀嚼しながら目の前の巨大な硝子越しに見る都会の景色を眺めている。
「そういえば、言ってなかった。上等捜査官へ昇格おめでとう」
「ふぇ?」
伊奈帆は窓の外をずっと見ていたので韻子は油断していた。サンドイッチをくわえたまま出た声はあまりにもヘンテコで恥ずかしかった。
「しばらく会ってなかったし言う機会もなかったから」
「そ、そうだったね。ま、伊奈帆は忙しいからしょうがないよ」
「なにか贈り物を用意しようとしたんだけど、時間がなくて」
「いいよ、別に。むしろ伊奈帆のほうがずっと活躍してるんだからさ、それこそたまにはみんなで食事にでも行きたいな……ってね」
微妙ながらも申し訳なさそうな面持ちの伊奈帆は、それでも休めず口を動かす。
韻子は話題をなんとか自分のものから逸らそうとしたが、その逸らした先のことを考えていなかった。気づいた時にはもう口がその言葉を発していて、徐々に萎む声と共に視線を伊奈帆から角の欠けたサンドイッチが乗った皿に落とす。
「みんな、か」
「……」
いつの間にか最後のひとつとなっていた総菜パンを口に運んだ伊奈帆。目を細めて神妙な顔つきで呟きながら、ゆっくりと噛んだ。
「ライエはどうしてる?」
「え……?」
伊奈帆の目はついに左に動き、韻子を捕える。獣に睨まれたような心地で体が自然と竦んでしまった。
「ライエは、その、まだ21区担当だよ」
「でも、捜査にはなかなか出られず、むしろ監視下におかれているほうが多い」
ああ、見透かされている。
韻子は目を閉じた。伊奈帆がこちらを見た一瞬で、内にあるいろんなことを抜き出されてしまったかのようだった。驚きとは別に、不快感があった。
「……知ってて聞いたの?」
「いや、僕が知っている時点ではそういう状況だったから。でも今は変わったのかなって。韻子の言い方からしてそれは違うみたいだけど」
伊奈帆はまた窓の外を見ていた。ビルばっかりのつまらない景色にいったい何があるのか。
あの日、ヴァースのアジトを襲撃したあの日から全てが変わってしまった。それは伊奈帆だけではなく、ライエと鞠戸もそうだった。
彼らの班がまさに見たのがアルドノアグールと同様に伝説とされていた“半喰種”だったのだ。それもその半喰種が今から十二年前の出来事となったヘブンズフォールで死んだとされていた捜査官、ウォルフ・アリアーシュだった。
最初はその人物に酷似している別人、という段階であったが、捜査官たちが付けている情報収集のための小型カメラからその顔、そして音声データなどからして本人である可能性があるのでは、という仮説が打ち消せずに残っている。
もちろんこれがアルドノアグール特有の力で、つまりウォルフそっくりに化けて出て、こちら側を混乱させようということなのかもしれない。けれど、アルドノアグールの力の条件のひとつを忘れてはいけない。
アルドノアグールの個人個人に現れる特有の力は、ひとつとして同じものは現れない。
あの日のデータで黒鬼との戦闘も残っていた。殺された増田一等をはじめとする捜査官たちの遺体を回収した際に手に入れた。しかし一方で、アルドノアグール出現二件目にしてアルドノアグールという名を付けるきっかけとなった騎士が、戦闘の翌日に無残な状態で発見された。そこから赫子は全て抜き取られていた。またアセイラムからの情報で、アルドノアグールがアルドノアを蓄えている唯一の場所が赫子なのだという。
言ってしまえば、アルドノアを持った赫子を自身に移植することでその力を使えることになる。この移植については黒鬼は特に否定はしなかった。無論、それが本当に仮説の域を脱していない、またはすべてアセイラムの嘘なのではないかという意見まで出た。
だがそう言いだしてしまってはどうしようもない。加えて、ヘブンズフォールで数多くの捜査官が死んだが、ほぼ全ての死因が爆発による身体の損傷、出血死となっていた。けれど数名、遺体が見つかっていない捜査官もいたのだ。その中にウォルフも入っていたため、これも理由のひとつとなった。
ばかげた空想を現実に映したような力。それは相変わらず不可解で、アセイラムや伊奈帆の協力を持っても全貌をつかめない。死者を生き返らせるような、はたまた死体を動かすような力もあるのだろうか。
今では数少ない彼の部下だった鞠戸、そして実の娘であるライエに連日嫌と言うほどの質問攻めを受けた。さらにライエは身体検査をしつこいほどに受けさせられたのだ。あげくは喰種の娘、伊奈帆同様の化け物と裏表隠さずに後ろ指を指されることとなってしまった。
けれど、と韻子はまた伊奈帆の横顔を覗いた。彼もまた、いやそれ以上に、韻子たちの想像を絶する検査を受けたはずだ。そんな耳を塞ぎたくなる噂を何度も聞いた。それはアセイラムとも絡んでの検査、いや言い方を変えるなら実験を繰り返したのだろうか。とある一件で韻子がコクリアを訪れた際、数ヶ月見なかった伊奈帆を見かけた。そのときの彼の顔は、確実に心身ともに消耗してしまったようにしか見えなかった。それと同時に、伊奈帆ではない別人に生まれ変わったかのような目をしていたのも、覚えている。
「まあ、まだ捜査官を辞めるわけにはいかないだろうしね。いろいろな意味で」
一息ついて伊奈帆が背もたれに身を任せて天井を見上げた。そのときに言った言葉は、ライエにかなり深く関わっていなければ、意味不明に聞こえただろう。
ふと、伊奈帆の胸元からバイブレーションの音が聞こえ始めた。伊奈帆の持つスマートフォンからだ。そしてこれは電話ではなく、メールだった。
「……またなにか、あったの」
「ん、まあね」
液晶から目をふっと逸らすとスマートフォンをしまって席を立った。
「ごめん、韻子。僕はもう行くよ」
「うん」
「ろくに話できなくてごめん。また今度、ヨーロッパで仕入れた面白い話を聞かせてあげるよ」
「わかった、楽しみにしてる」
軽く伊奈帆は韻子に手を振ると、皿とトレーを返却口に置いてコートを羽織りながら立ち去っていく。
その姿をずっと、見ていた。やはり変わっていた。韻子の知らない伊奈帆の後ろ姿だった。
変わってしまった。あの日から、何もかも。
でもこれは、この変化はきっと、違う意味で辛かったのだ。
韻子の知っていた伊奈帆なら、自分から面白い話をしない。それを聞いている側にいて、その面白い話をいつもするのは、カームか起助だったから。
今にも暗黒に包まれてしまいそうな廊下が延々とまっすぐに伸びている。天井に備えられた照明は丸く、しかし光は弱々しい。遠く先が闇に埋もれている。ひび割れた壁はかなりの年代を思わせる。
やがて辿り着くドアには金色のドアノブ以外にこれといった装飾は見当たらない。いや、そんなものははなから求めていない。
その先にあるのは巨大な部屋。薄暗い照明が天井の中心にあり、その光は部屋の隅には届かない。
今はもうコの字型のテーブルはなくなった。代わりにあるのは円形のテーブル。そこに肘を突いたり指で音を鳴らしている者など九人が座っている。そしてドアから一番離れた位置に鎮座するのが、やはりその者はレイガリアだった。
「で?あいつらが帰ってきたんでしょ?ならいい加減にやっちゃっていいんじゃないの」
「おいおい、そう生き急ぐなよ。こっちは二年も待ってるんだぞ。その答えを聞くまでは本格的に動くなって言われてるだろうが」
「それが気にくわないのよ。というか、あんたに言われたくないわよ。指でタンタンタンタンうるさいんだよ、チョココロネ」
「チョコ……!貴様ァ!」
「ラフィア様、ゼブリン様。おやめください。レイガリア様の前です」
赤いベリーショートのラフィアと、前髪がまとまって巻き貝のようになっているゼブリンがちょうどテーブルを挟んで対になる場所でにらみ合う。それを見てハークライトが小さくため息をつきながら二人をなだめようとする。
にらみ合いはなおも続いたが、お互いにレイガリアのほうを見ると渋々座り直す。
やがてレイガリアが指を組んで肘を突くと口を開いた。
「我々は、待った。彼らに問うてから、二年が経とうとしている」
重々しく開いた口から紡がれた言葉に、皆が耳を傾ける。彼の言葉だけで一変した場の空気に喰種たちは飲まれそうになった。レイガリアの両脇にいるレムリナとザーツバルム、そしてその横にいるスレインを除いて。
「だが未だに彼らは首を縦に振らず、返事さえないこともあった。彼らは、我々に幾度となく対立し、そして犠牲をも惜しまずに我らの同士を殺めてきた」
「……」
「すべての引き金を引いたのは我々だ。全ての始まりをこの世界に刻んだ。そして十年、我々は彼らの前に再び現れ、力を充分に行使し、そして問うたのだ」
レイガリアは前だけをずっと見据え、そこには誰も開けるはずがないドアがある。
「まもなく、二年だ。我々が打ち鳴らした狼煙。彼らには充分に時間はあった。それはこちらとて同じ。時間があったこそ、ここまで待つことができた。だからこそ、今の現状が、彼らの答えなのだ。私はそう受け取った」
目を閉じてひとつ、深く深呼吸をした。レイガリアは開いた目を八人全員に巡らせてから、言った。
「答えは出た。なら、今こそ動き出す。我々の掲げる最果ての地へと。我々喰種、いや、このアルドノアがすべてを圧倒する世界へと。アルドノアの輝きが未来永劫、この世界を満たす。もうその日は近い」
先ほどよりも力のこもった言葉に、皆がレイガリアを見る目にも力が入る。ラフィアとゼブリンは待ってましたと言わんばかりににやりと笑い、オルガも微笑を浮かべながら腕を組んで頷く。
ザーツバルムは終始不敵な笑みを零していて、それに対してレムリナは興味のない顔で自身の爪を見ている。
「我々は彼らが東京を放棄しない、という答えを受け取った。ならこちらもそれに対する答えを出すまで。すなわち、奪う。それだけだ」
たまらずゼブリンは小さくケタケタと笑い声を出す。そして、ウォルフは目を閉じたまま、拳に力を強める。
「二週間後だ。その日は、十二年前に我々が引き金を引いた日。そして、その銃声が終焉を告げることとなる。達成条件は東京二十三区すべての制圧および捜査官の駆逐。既に制圧、取り返されていない10、11、12、13区の駐屯部隊を皆で使え。ほかにもそろえた部隊の編成も済んでいる。ゼブリン、ハークライト。手はず通りに頼むぞ」
ねじ巻き式の人形のように、レイガリアは口を閉じ、目をつむった。
それを終わりの合図と捉えて各々が立ち上がる。
「ついに、ついに来たんだな」
「ああ、私たちの見据える世界が、やっと」
「ハッ、そうやって目先に気を取られてまた足下をすくわれても知らねぇからな」
「何を言いますか。あなたこそ、私の足を引っぱらないように。巻き貝様」
「貴様いい加減にしろよ……。おい、ハークライト。お前も準備頼むぞ」
オルガ、ラフィア、ゼブリンがドアを開けて立ち去った後にハークライトが遠慮がちにスレインを見ながら立ち去る。それと間を開けるようにウォルフが出て行った。
それを見計らうようにしてスレインがゆっくりと立ち上がってドアの方へと体を向けたとき、ザーツバルムが声をかけてきた。
「スレイン」
「なんですか」
「少しいいか」
「……はい」
ザーツバルムの顔は無表情であったが、その目はなにかを訴えかけ、スレインに拒否権はないようなものだった。黒のフードを外しながらスレインはぶっきらぼうに答える。そしてザーツバルムに先導されるようにスレインは部屋を後にした。
そうして訪れた静寂。暖かくもなく、寒くもない。それどころか温度という概念さえ欠落したような空間で、レムリナがやっと目線を爪から逸らした。
新品同様の高級素材でできた椅子の肘掛けを指でなぞってみる。綺麗に磨かれた木目の肘掛けは、指からの感触が素晴らしいほどに滑らかで、少しばかり続けていた。
ついに飽きたレムリナは、そっと左にいるレイガリアに目を向けた。
「ねぇ、お爺様」
その問いかけに、レイガリアは答えない。
「貴方の目的は、それが全てなの?」
レムリナは、見た目通りの少女のような微笑を浮かべた。
「ねぇ、お爺様。……いえ、お爺様と呼んでいいのかも、わからない」
包帯を巻いたようなマスクは付けていない。彼女のピンク色の髪を指で梳かしながら、やがて彼女の微笑は消えていく。
「貴方がなにをしようとも、私には関係ない。私は、貴方の言われたとおりに動く。でも、だからこそ、私には教えてくれないのね。貴方の全て、を」
触れればすぐに割れてしまいそうな硝子に似た声。それすらもこの空間では響かない。届かない。伝わらない。
レイガリアの目は、口は、この空間を表しているようで、彼女の言葉に答えようとはしなかった。