一般道をタクシーが走る。車内はほどよい温度で、しかし乗客がCCGの人間だとわかるとおしゃべり好きであろう運転手も口が閉じたままだ。
考え事に夢中になり、ふと窓の外に目を移すと等間隔で植えられた木々がいつの間にか歩道に現れていた。その先に木々が途切れる場所がある。そこでタクシーは止まった。
「ありがとうございました」
伊奈帆は料金を支払うとタクシーが走り去っていくのを気にもとめず、目的地の建物を見上げる。ここは東京都内にある大学のひとつである。
韻子と昼食を取っていたその日、一通のメールが来た。その内容を見て彼は内心、驚きと溢れ出す興奮で満たされていた。もし伊奈帆ではなく、感情がいちいち表に出る人間だったなら、あの場で叫んで飛び上がっていただろう。
敷地内はとても広く、学部ごとに分けられた校舎、部活・サークル室がまとまった場所などがある。何十年前に建てられたものだが、つい最近建てられたのかと思わせるほどに綺麗だった。学生たちがテラス席でなにやら話で盛り上がっていたり、整えられた木々のそばにあるベンチで学生ひとりが本を読んでいたりと、伊奈帆自身が経験してこなかった大学生活があった。
けれどそれには一切目もくれずに目的の場所へと早歩きで向かった。
自動ドアをくぐったのは四号館。進んで奥の曲がり角で非常階段のドアを開ける。上と下にそれぞれ分かれている階段を伊奈帆は降りた。人を感知してライトが自然と光を灯していく。
辿りついた行き止まりに見える場所には、番号入力式の機械が付いたドアがある。0から9までのテンキーを素早く操作すると、ドアのロックが外れる。その先に伸びた通路を進む。すぐ後ろで先ほどのドアが閉まり、重い鍵が閉まる音がした。
間もなくして再び機械がついたドアの前に辿りつく。今度のものはテンキーが付いていない。かわりに手のひらほどの正方形状のボードがある。その機械に伊奈帆は右手の五本指すべてを押しつける。すると機械から赤外線がボードの上から放たれる。それが伊奈帆の両目を認識すると、ガチャリと音がする。ドアのロックが外されたのだ。
自動で横にスライドして開いたドアの先には、先ほどのキャンパスの雰囲気には似ても似つかない研究所が広がっていた。白を基調とした壁に加えていくつものライトがあり、とても明るい。左右に等間隔で設置されたテーブルにはパソコンがずらりと並び、戸棚にはぎっしりと本やファイルが、また別の場所には様々な薬品等が詰め込まれている。その奥に薬品実験を行う部屋がいくつも用意されている。テーブルにも大量の紙の資料や分厚いファイルが置かれていて、それらとにらめっこするのは多くの人たち。白衣を着た者もいれば、ラフな恰好をした者もいる。その何人かが伊奈帆に気づくと、それまで行っていた動作を止めて各々頭を下げる。それに続いて全員が伊奈帆に挨拶をする。
「お疲れ様です、界塚准特等」
多くいる研究員たち全員ひとりひとりに挨拶は返せないので、伊奈帆は軽く会釈をして「みんなお疲れ様」とだけ言う。
「ああ、界塚さん。待ってましたよ」
入り口から伸びるテーブルの置かれてない、実質通路となっているところを駆けてくる白衣を着た人物がいた。ところどころ白髪交じりで伊奈帆よりも長身で細身の男性研究員。
「どうも、
「ええ、そりゃ界塚さんも驚くでしょうね。ささ、早く」
大杉と呼ばれるこの男性、本名は大杉
大杉が手で伊奈帆を促す。入り口からそのまま正面に進むと一番奥にまた扉がある。そこを通ると、先ほどと造りは同じだが広さが縦半分ほどの部屋がある。そこにいる研究員の数は少なく、また置かれている機材も見慣れないものばかり。そして天井からつり下げるようにして取り付けたいくつものモニターがある。そこに映るのは……。
「界塚さん、これを」
大杉が差し出してきたのはひとつのタブレット端末。それを受け取って伊奈帆は指でなぞりながらタブレットに表示されたものを見る。そしていくらか伊奈帆の目が大きく開いた。それに気づいて大杉は満足げな表情になる。
「ついにやったんです!成功です。これは世界初の偉業ですよ!」
「ええ、確かに」
伊奈帆もわき上がる興奮を彼なりに滲ませながら答える。タブレットとモニターを何回も見て、そしてしっかり頷いた。
「間違ってなかったんだ。この理論は、やっぱり……」
「そうなんです!そしてそれを実現した界塚さんは本当に凄い!」
「いえ、皆さん全員の協力と努力があってこそです。僕だけじゃ口先だけで、行動しても中途半端で折れて終わってしまったでしょう。それに」
若かりし頃に戻ったように大杉が伊奈帆を褒め称える。それに伊奈帆は微笑を浮かべながらも首を振り、そして近くのテーブルに置いてあったファイルに手を伸ばす。“厳重書類”とかかれたファイルの中にはとある手帳のコピーが何枚も入っていた。
「
それは唐突に、しかし必然的に、現れた。
『私はアルドノアを所有する喰種組織、ヴァースの長、レイガリア・ヴァース・レイヴァース。そしてこれは警告ではない。宣戦布告である』
どこの誰からもわからない電波ジャックにより、東京全区域で映像が流れ始めた。
『我々は今から十二年前、光を放つ喰種、と後に呼ばれる喰種を世に晒した。それから十年が経ち、再び我々はアルドノアを有する喰種たちによる東京の襲撃を開始した。今現在我々の領土となっている地区を制圧、それを見た喰種対策組織、CCGが本格的に動きだした。互いに戦闘を続け、今なおそれは終わらない。だから、我々はひとつ、CCGに提案をした』
それは正午を過ぎた頃に始まり、ほとんどの人はこの映像に釘付けとなった。
『互いに犠牲を出し、けれどCCG側が圧倒的に不利な争いを続けている。しかし我々は只単に争いをしたいだけではない。我々が求めるものは、つまりこれを見ているであろう方々のいる場所、東京二十三区。それと引き替えに、東京二十三区にいる人々全員の安全の確保、そして代わりとなる住居を与える。これを、我々は提案した。出して、出し続けて、待って、もう二年が経とうとしている』
この放送は何だ!?今すぐ止めさせろ!発信源はどこからだ!?
メディア関連は一気に混乱の渦に落され、責任者の怒号や部下たちがあちらへこちらへと駆け回る。
『彼らに何度もこれを提示するが、一向に良い返事は返ってこない。我ら喰種に屈服するということが許せないのだろう。しかし、そんなプライドを持ち続けていては、はたして今後どれだけの喰種捜査官が消えゆくことか』
定例会議中だったCCG21区でも、一人の捜査員によってこれが伝えられ、モニターが一転してその映像を流していた。
『それだけではない。いくらCCGがいたとしても我々のほかにも大勢いる喰種によって、一般人の命は奪われ続けている。ならば、我々に東京を託し、人間たちは喰種の恐怖を感じることなく生活ができる。詳しく彼らに伝えた。喰種たちは我々が責任を持って人間たちの区域には入れない。そう、伝えたのだ。なのに……』
暗がりの部屋。どこかもわからないそこでレイガリアは机に肘を突いて指を組ましている。ずっとこの映像を流しているであろうカメラに向かって目線を向けていた。その目が、鋭くなった。
『この約二年間で、彼らCCGは答えを出さなかった。であるならば、もう我らは待つことはできない。充分にあった猶予をもってしても、彼らは答えなかった。だから、我々が再び引き金を引く。そしてこれが最後だ』
左右に渦を巻くような長い髪、そして皺の刻まれた顔に碧の瞳。しかしそれはどこか光を失ったようにも思える。そのレイガリアの姿を、声を、伊奈帆はけっして逃すことなく見ていた。
『二週間後の今日、四月十九日午前0時をもって我々の全勢力で東京全区域の制圧を行う。その際、制圧開始時点で東京にいる者は喰種捜査官であろうと一般人であろうと、一切の区別をせずに我々の敵対者として抹殺する。たとえ喰種でさえも、容赦はしない。東京すべての敵対者を殺し終え、制圧を完了したとき、聖なるアルドノアの輝きがすべてを照らすだろう。新たなる時代の道しるべとして。後にはこの日本、そして地球全ての国を我らヴァースが支配する。改めて宣言する。これは警告ではなく、宣戦布告だ。もう後戻りはできない。以上だ』
そして、映像はぷつりと終わり、画面は黒くなった。巨大ビルなどに設置された液晶モニターや一般家庭で使われるテレビ画面などには、割り込んできたこの映像の前にやっていたものが何事も無かったかのように再開される。
それをとあるビルの屋上から見届けるゼブリンから放送成功の報告を受けたハークライトは、レイガリアに向けていたカメラや様々な機器を操作しつつ、ひとつ安堵の吐息を零した。
映像が終わり、暗幕から再び定例会議の資料が映し出される。
「ヴァースのやつらめ、とんでもないことをしてくれたなぁ……」
捜査Ⅱ課のひとりが全身を椅子の背もたれに預けながら嘆くように言った。他の面々もほぼ同一の反応を示している。
「今頃ここの下では電話がひっきりなしに鳴っとるぞ」
「人々の混乱を招かないようにメディアにも流さず水面下で行っていたのに……」
「くそっ、やはり喰種相手に交渉は無駄だったんだよ。出てくるやつらを逐一潰して……」
「交渉も何も、あの映像通り私たちが東京を譲らないと言い張り続けてきただけでしょう」
各々の口から飛び出してくる言葉を押しのけてきたのは、マグバレッジだった。
「要求をなかなか飲まない。それが二年近くに及べば、しびれを切らしてこういった行動に移るのは当然かと」
「しかし……」
「そうだな。それに、
腕を組んだ久保田も目を閉じたまま発言に加わる。
「そもそも、こちら側がヴァース側とうまく取り合う、なんて思っていた方はいるんですか?」
騒々しい会議室に静寂の杭を打ったのは伊奈帆だった。この中で一番若い捜査官であるが、彼だからこそ生まれる重みがその言葉にはあった。
「いつかはヴァースとの全面戦争になると、僕は思ってましたけどね」
伊奈帆は手元の資料と一緒に置かれたペットボトル飲料をひとくち飲んだ。
ある者はこめかみをつかみ、ある者はため息をこぼし、ある者は両手で顔を覆って肘を突く。そんな陰鬱な会議室に余計に大きな咳払いをして、ハッキネンは少々苛立ちを滲ませて、
「こうなってしまっては致し方ない。この限られた時間を最大限に使って、東京全区域の住民たちの避難を最優先、そしてヴァースを迎え撃つ準備を始めよう。他の支局との大規模な作戦会議が必要だ」
言い放った言葉に皆は肯定のうなずきもしなかったが、彼に向ける目だけは同じだった。当然だと思ってても、仕方が無いと思っていても、同じ“やるしかない”という返答の意を持った目を。
一歩、また一歩と階段を上がる。靴底が当たる度にかつん、かつんと音が響く。心許ない電球がぽつぽつと付けられた暗いトンネルのような長い階段。その出口から漏れ出す微かな光だけがいやに眩しい。数段先を登るザーツバルムについてくるようにしてしばし、視界が一気に開ける。
ここはとあるビルの屋上。喰種たちが裏で先ほどの場所からここまでの通路を造っていたいようだ。通路の分岐や壁、天井のつくりがあまりにも雑なのはそういうわけだ。専門知識もあやふやなのだろうけれど、スレインはそれに文句を付けることはしなかった。
「もう、夜明けだ」
空気に溶けるような小声でザーツバルムは口を開く。
「今日の正午には、あの放送が流れているだろうな」
「……ええ」
「そして二週間後には我々とCCGとの全面対決。はたして、どのような結末になるのだろうな」
今やヴァースの領地とした住宅街やビル群の間から微かな日の光が姿を現す。スレインの後ろにはまだ夜が残っている。けれどそれは徐々に闇を薄められ、地平線の彼方へと溶けて流れていくようになくなる。それは同時に、いつもと変わらず、けれどその日にしかない朝がやってくる。
「あなたは、ヴァースの勝利を信じているのではないのですか?」
差し込む陽光にうっすらと目を細めながらスレインはザーツバルムに問うた。
「もちろん、我々の力の方が勝る。本来、喰種は人の上に立ち、人を喰らう。さらにその上を行くのが、我々アルドノアグール……」
まさか、とでも言うかのように口角の片方を上げながらザーツバルムは語る。闇が溶けた早朝の空を見上げながら、一旦口を閉じる。
「しかし、感情を持ち痛みも感じ、己の目でこの現実を見据える、それは人間も喰種も違わない。そして何を感じ何を思い、何を自分の生きる糧にするのかも、これまた違うのだ」
「……」
「我が本当に願うのは、たったひとつ。我が唯一愛した者の敵討ち。それだけしかないのだよ。……ふっ、こんなのを彼に聞かれたら首が飛ばされそうだ」
微弱な陽光。それを打ち消すような嘲笑でもあり、それに負け朽ちるような哀しい自嘲した笑みでザーツバルムは言った。
「スレイン、我はあくまで与えられた役割を投げ出すつもりはない。けれど心の内に秘めたるこの強い憎しみだけはなんとしてでも果たす。果たさなければならない。そのためにヴァースへと入ったのだから」
果たすべきこと。それがスレインに自然と浸透していく。これは、確かにスレイン自身にも言えることだからだ。
「スレインよ、お前はどうだ。クルーテオに散々下等生物扱いされ、手下からも酷い扱いを受けた。それでもまわりの環境に屈することなくアセイラム姫を慕い、尽くした。彼女の現状を考え、彼女のためと決断し20区から逃走、しかしクルーテオに再び捉えられ壮絶な拷問を受けたそうじゃないか。そんなお前が今では、ヴァースの名を背負うアルドノアグールのひとりとなった」
ザーツバルムはここで彼の細い目をスレインに向ける。彼の目には下劣などという感情はなく、ただただ、スレインを試しているようだった。
「そんなお前は、なにを求める。この戦いの果てに何を見る?」
目尻がつり上がった目でスレインもザーツバルムを見る。その目には、なんの迷いもなかった。
「アセイラム姫を取り戻す」
「……ふっ、ははは。ははははは!そうだ、そうだろうと思っていたよ」
「……そして」
スレインの確たる言葉。それを聞いてザーツバルムは右手を額にあて、肩を揺らしながら再び空を仰ぎ見ながら笑う。
そんなザーツバルムから視線を外し、徐々に強まる陽光を睨んだ。
「僕の父、アーデルとその仲間たちの敵討ち」
ザーツバルムの笑い声が、止んだ。
「結局、僕もヴァース全体の目標を見ていない。世界征服のようなものは僕の中にはありません。あくまで僕自身が行く道のために、ここにいる。それはあなたと変わらないのです」
スレインはザーツバルムの目が自分自身に向けられているのを知ってか知らぬか、目覚めようとしている世界の光を見つめている。
「スレイン、この今までの間、お前がなにかを調べまわっていることはもう知っている。これを伝えれば内容次第でお前は逆賊とみなされ、抹殺されるだろう。しかしお前はあの時、ほぼ面識のない我を助け出した。その恩義としてこれを我は見逃そう」
「……」
ザーツバルムは目を閉じながらゆっくりと口を開く。
「それに、お前を突きだしてどうこうするつもりもはなからない。興味がない。手下を見下し拷問を繰り返すようなヤツではないからな」
再び目を開けてからザーツバルムは陽光に背を向け、スレインの右肩に手を置く。
「ただしこれだけは言える。お前の行動のすべてとは言わずとも、不審な動きをしているのを薄々感じている輩もいるはずだ。そいつらに気をつけろ。慎重に行動するんだ、言われなくともな。一歩でも足音を鳴らせば、後ろから喰われる」
そう言い残すとザーツバルムは手を離してその場から離れていく。階段を降りていく音が徐々に小さくなっていった。
スレインは一回、そしてもう一回と深呼吸する。そして自身の手のひらを見る。
今までずっと見てきた自分の手。これといった変化はない。けれど……。
『ここで待っていてください。僕は、追っ手を片付けてきます。その後すぐに、必ず、戻ってきます』
あの日、そう言ってアセイラムを目立たない場所に置いて、そして抱きしめた。そのぬくもりを、彼女の温かさを、忘れてはいない。
『……ありがとう、スレイン』
スレインがアルドノアグールとして真に覚醒したとき、彼の精神世界で出会った人物、アーデル。彼をやっと、父親として見ることができた。死んでもなお彼のアルドノアで母親の奈々子とアーデル自身の伝えたいものを離さず、ずっと抱えていた。血もつながらないスレインのために。
アーデルの言葉。伝えたかった言葉。精神世界であるはずなのに、彼がスレインの頭に触れたとき、ぬくもりを感じた。優しさを感じた。これも、忘れてはいない。
何が正しくて何が間違っているのか。自分は正しいのか、それとも間違っているのか。善か悪か。その両極端でしか物事を判断することができないのなら、そんな世界であるのならスレインはそれを真っ向から否定する。
ザーツバルムにだって言った。自分が決めた道を歩むと。もう迷わないと、そう決めた。
いよいよ陽光が人気の無い町を照らし始める。その光に導かれるように、スレインは天を仰ぐ。
「僕は、守り切れなかったアセイラム姫を必ず取り戻す。そして父さんとの約束も必ず果たす。そのためにも、僕は……」
柔らかな風がスレインの頬を、髪と羽織っていたマントに触れる。そして、
『君に対しては確かに憎しみの念が沸いてこないというわけじゃない』
そう言う彼の目は、もはやスレインさえ見ることのできない未来を映し出している気がした。
『けれど……君と僕は、結果的には同じ終着点を目指しているはずだ。だから、僕らは戦う必要はないんだ』
彼が言っていたことはどういうことなのだろうか。その言葉は、その意味は……。
「君も、必ず来るのだろう。この戦いに」
自然とスレインの拳は固く握りしめられていた。
「君は、何を知っている?どこまで知っているんだ、カイヅカ・イナホ」
すっきりとした空に雲はほとんどない。これなら心地よい快晴となるだろう。そしてこの朝を、この優しい朝を、次はいつ見られるのだろうか。
この宣戦布告の通り戦闘が最大にして最終決戦となります。それをやる前に、次回からいくらかヴァースアジト襲撃から現在までの約二年間の中でなにがあったかなど(おもにあからさまに示した三区奪還作戦etc)を挟む予定です。それが終わり次第、最終決戦→エピローグとなります。
クールにババンと話を進めたかったのですが自分自身の都合上投稿間隔が今回のようにかなりのびてしまいます……。ですがようやくゴールが少しずつ見えてきたので、引き続き見守ってくださいよろしくお願いします。