アルドノアグール   作:柊羽(復帰中)

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Episode.34 自分の価値

 電子アラームの音で目が覚める。聞き慣れたその音でも、否応なしに強制された生活を送っていれば体もそれに慣れる。体を起こして布団を二つ折りにする。

 

 寝室を出てリビングへ向かう。キッチンの戸棚にある五枚切りの食パンが入った袋から一枚取り出してトースターに入れる。お湯を沸かしつつ冷蔵庫からカット野菜が入ったボウルを出して、ドレッシングと一緒にテーブルに運ぶ。

 

 キッチンに下げてある小さいフライパンをフックから外してコンロに置く。また冷蔵庫を開いて卵をひとつ。目玉焼きを作るのだ。

 

 できた目玉焼き、焼けたトーストとバター、コーヒーがテーブルに追加されて朝食の完成。

 

「いただきます」

 

 小さくゆっくりとした声。昔もこんな感じだったかと、なぜがふと考えてみた。けれど思い出せない。思い出せるはずがない。そんな一日の習慣となったこと、特にそのときの自分の声の特徴など逐一記憶していない。

 

 バターを塗ったパンをひとくちかじる。焦げ目が出るくらいに焼いたパンはサクリと音が出た。その音がリビングにしっかりと伝わる。それくらいにしんとした静寂なリビング。

 

 自分が咀嚼する微かな音。箸で目玉焼きを切る音、ドレッシングのキャップをひねる音、コーヒーをすする音。それだけがリビングで聞こえる音だ。

 

 この部屋に現代では一般的なはずのテレビはない。ラジオもない。それは他の部屋にもない。自分が持つ携帯電話もない。いや、以前は持っていた。

 

 その代わりにこの家にある機械。時計はあるけれど、様々ある中で一般的ではないもの。それは監視カメラだ。リビングの天井の四方に設置してある。死角となりうるリビングにもある。もちろん寝室にも、浴室、そしてトイレにもだ。

 

 こんな生活を続けてもうすぐ二年が経つなど、驚くところだろうけれど、そんな気分ではなかった。これが自分の当たり前になってしまったからだ。もう自分に()()()()()()()は与えられないのだと、そう結論づけてしまってもいる。

 

 今食べている食べ物も、自分で買ってきていない。家を出ている間に家は掃除され、食料も補充される。これだけを聞いたなら、とても贅沢で楽で、いい身分だと笑っていられるだろう。そんな笑い方も、多分忘れそうになっている。

 

 朝食を食べ終えて食器類をキッチンの流しに持ってく。これも放置していれば帰宅する頃には片付けられている。洗面所で歯磨きをしてトイレに入り、いつものように寝室にあるクローゼットから仕事着に着替える。

 

 そのとき頭上からザザッとなにかが掠れる音がする。

 

『ライエ・アリア-シュ一等捜査官。8時まで残り5分です』

 

 ああ、そうだ。一般的ではない機械がまだこの家にあった。それは監視員のためのスピーカーだ。

 

 玄関を出ると、女性捜査官が三人いた。もう見慣れた顔ぶれだ。そのうち二人によってボディチェックをされる。肩にかけた鞄の中もしっかりと確認する。問題なしと残りのひとりに告げると、その女性捜査官が家の鍵を取り出して施錠する。

 

「行きましょう」

 

 どこへ?などとふざけたことを言うつもりもない。この家に強制転居してからずっと同じ。まるで凶悪犯のような扱い。いや、凶悪犯ならもっと厳重な警戒をつけられるに違いない。

 

 ここを出てずっと続く通路の先には21区対策局がある。女性捜査官たちに囲まれるようにして歩く。これが出社風景。自分は、私は普通の人間なのだろうか。そう何度も思った。

 

 私――ライエはアルドノアグールの子と疑われている。何回身体検査を行おうと、結果は“人間”なはずなのに、扱いはずっと“喰種”みたいだ。

 

 通路から見えなくても、対策局にいたり監視担当の付き添いもあっての喰種討伐で外に出るとわかる。お昼の食堂で聞こえてくるテレビの放送や捜査官たちが話す話題。もう東京は()()じゃない。()()()()()へと変わっているのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今現在、ヴァースからの宣戦布告映像が流れてから三日後のことだ。東京全区域にいる住民たちの大規模避難の概要が発表された。関東支部での会議の結果、各区域ごとに地方へ分散させていく方針にすぐ決まった。

 

 東京23区をヴァースの手の内にある10、11、12、13区を除いて大まかに3つのカテゴリーに仕分ける。区域で住民の数は変わってくるがそこはあくまで微調整の範囲だ。

 

 5~8、22、23区は千葉県へ、16~21区は埼玉県、1、2、4、14、15区は12区を警戒しながらぐるりと回り込んで神奈川県へと住民を移動させることとなった。それ以外の地区は山梨県方面や埼玉県、神奈川県に分散して流す予定だ。

 

 東京全住民に緊急通達が届けられ、ニュース番組や新聞でも大々的に報じられている。

 

 住民たちのほとんどは動揺と不安を抱えつつも移動準備にとりかかることとなった。しかし住民たち個人の準備ならまだしも、東京にある企業や工場は大打撃なわけである。そのための地方支部への指示や負担分散のあれこれなどで、もう既に疲弊していた。

 

 それを見下すように、嘲笑うようにレイガリアの宣戦布告の動画が連日流れていた。

 

 政府側も東京を戦場にすることに反対する住民側の対応をしつつCCGとの連携で大忙し。つまりCCG側も総員出動で住民移動や警備を担当する。この慌ただしい、且つ切迫した状況だけを切り取ってみると、まるで世界が滅亡してしまうかのようだ。

 

 けれど、その“まるで”が現実になってしまう、そんな状況下にあったのが事実。

 

 結局、住民移動が開始したのはヴァースの放送があってから一週間が経過したときだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しんとした場所。無機質な壁に囲まれた景色はもう慣れていて、自分の家の気分だった。そもそも、自分が覚えている限りで生まれ育ったあの場所が最初の家だけれど、あそこは言うなれば実家で、ここは一人暮らしの家。そう、そういった識別は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『面会だ』

 

 あの監獄長のがらがらに枯れた声がスピーカーを通して聞こえてきた。両手にある小説のページに角が少し折れた紙の栞を挟んで面会室へと歩み出す。

 

 見えてきた先に座っているのは、見間違えることのない、けれど見間違えてしまいそうな彼だ。

 

「どうも、久しぶりですね。セラムさん」

 

「ええ、そうですね。伊奈帆さん、体調はいかがですか?」

 

「問題なく。至って普通です。セラムさんは?」

 

「私も大丈夫です。あ、さっきまで伊奈帆さんが以前持ってきてくれた小説読んでました。今回もとても面白いです。伊奈帆さんは本を選ぶのが上手ですね」

 

「いえ、僕が面白いと思った本がセラムさんも面白いと思えるものだったということですよ」

 

 穏やかな声は優しさを帯びていて、けれど両目から窺えるのは優しさではなく、なにもわからなず迷ってしまうような闇。あの日自分をある意味救ってくれた人物、界塚伊奈帆である。

 

「それで、今日はどういった用件で」

 

「一週間後、ヴァースとの全面対決が始まります。……おそらく耳には入ってると思いますが」

 

「ええ、まあ」

 

 アセイラムは喰種、それもアルドノアを持った希な喰種である。けれど彼女はあくまでCCGの協力者であるゆえに、捕獲された凶悪な喰種とは違う扱いを受けていた。

 

 殺処分などはなく、定期的な食事も用意され、彼女が先ほど読んでいたような小説などの本も与えられている。書籍類については、ほとんど伊奈帆が持ってきたものだ。

 

「正直、この戦いで黒幕も出てくると僕は思っています」

 

()()()()()が」

 

「ええ。ですから、この作戦には貴女も加わっていただきます」

 

「私が、ですか?私なんかが皆さんの力になるのでしょうか」

 

「もちろんです。そのための準備はもう完了しています」

 

 アセイラムは苦しそうに顔をゆがめて俯きがちに伊奈帆に問う。それとは反対に伊奈帆はなんのためらいもなく淡々と答えた。

 

「あとはセラムさんをここから出す書類を通したりと……ああ、いや、それはこちらの問題ですので気になさらず」

 

「しかし……」

 

「僕が信用できないんですか?」

 

 伊奈帆の口調が、ほんの少しだけ強まった。たった、たったそれだけで場の空気が締め付けられ、急速冷凍されてしまったようで、息さえも躊躇ってしまう。アセイラムはまじまじとこちらに向けられる両目から顔を背けながらも「いえ、そのようなことは」と小さな声で言った。

 

「確かにセラムさんのアルドノアの能力としては戦闘向きではない。そもそも赫子不現症であるのに戦場に出るのは自殺行為。ですから、セラムさんにしかできない役割を果たしてもらいます」

 

 確かにアセイラムが持つ固有のアルドノアの能力は、本や実際に自分が目で見た人物の見た目そっくりに変身できる、というものだ。これは他人から自分がアセイラムであるとわからなくすることができるが、しかしこれはアルドノアの力なのでアルドノアを持つ者たちに瞬時に識別できてしまう。

 

 そして、赫子不現症。その名の通り、赫子を出すことができないのだ。そういった喰種が希にいる。赫子は赫包という喰種独特の器官に蓄えられたRc細胞が体外へと放出され、羽赫や甲赫などに形成される。その際、Rc細胞が体から放出されるためにあるのがRc細胞管である。これによって赫包から赫子へとRC細胞の供給が行われて赫子を維持している。

 

 そのRc細胞管が何らかの理由で閉塞、機能停止していて赫子を使えない状態を赫子不現症と呼ぶ。

 

「私にしかできない役割」

 

「はい。セラムさんはアルドノアグールの直系であるゆえに、貴女のような者からアルドノアを受け取ったアルドノアグールとは桁違いのアルドノアを保有している。これを利用します」

 

「……」

 

「僕のだって、結局はセラムさんから貰ったものです。それに僕は前線でヴァース側の喰種とやり合わなくてはいけない。CCGはひたすら喰種を駆逐するための兵器だと思ってますし、」

 

「……っ、伊奈帆さんは!」

 

 背けた顔を伊奈帆に向けて、大きく出した言葉は狭っ苦しい部屋に響いた。特殊ガラス越しの伊奈帆には少しくぐもって聞こえているのだろう。

 

 突然大声を出したから多少の驚きはあってもいいだろうけれど、あいにく伊奈帆は真顔のままである。けれど、アセイラムはどうしても気にくわなかった。許せなかった。

 

「伊奈帆さんは、アルドノアを持っていたとしても、ちゃんとした人間です。貴方は、私の力をなにかを支配するためにではなく、他人を大切にしたいというために使いたいと言いました。私は忘れません。忘れられません」

 

「……初めてセラムさんと会った日ですね」

 

「はい。貴方の命は消え失せようとしていた。けれどそれに抗って生きようともしていた。生きて、他人を助けたいと思っていた。願っていた。そんな貴方が兵器なんて言われることなど絶対に……」

 

 両手を固く握りしめ、心の底からわき出る純粋な言葉をアセイラムは届けようとする。伊奈帆に伝えようとする。必死に、彼女の信念を貫いて。伊奈帆は、れっきとした人間であり、自分のような喰種に手を差しのばそうとする、アセイラムにとって探し求めていた人物なのだと。

 

 アルドノアを得てしまったゆえに兵器と呼ばれるのだ。アルドノアグールによって多大の被害が出ている。それは紛れもない事実で、彼らによってまた最大規模の戦闘が起きようとしている。それをまじまじと見せつけられてしまっては、アルドノアを今世紀最大の脅威と思われてしまってもおかしくない。むしろそう思わざるをえない。でも、それでも、やはり許せなかった。

 

『会話中にすまない。界塚准特等、作戦本部からの呼び出しだ』

 

 唐突に、アセイラムを遮るようにスピーカーから監獄長の声が聞こえてくる。その内容を聞くと伊奈帆は小さく舌打ちをした。

 

「すいません、セラムさん。ゆっくりしていられなくて」

 

「……いえ、仕方がないことです」

 

 伊奈帆が立ち上がると、アセイラムは先ほどとの自分を恥じるように控えめな声で返して首を振る。

 

「このアルドノアの性質上、どうしてもこき使われることが多くて……」

 

 背を向けてドアを開けながら口にした言葉にハッとして、伊奈帆はすぐに振り返り手のひらを出して待ったの姿勢を見せる。彼の予想通り、またアセイラムが身を乗り出して彼に対する皮肉を否定しようと口を開きかけていた。

 

「大丈夫ですよ。他人になんと言われようとも、僕は僕です。僕以外の誰でもない。……他人のために怒ることができるのは、とても素敵です。ありがとう」

 

 そう言って、伊奈帆は部屋を出た。一人残されたアセイラムは瞳を閉じて拳を強く握った。そしていくらか息を吸って吐き、立ち上がる。いつもそうだ。面会が終わって部屋に戻る道はいつも寂しくて、心細くなってしまう。それが今日はいつもよりも増しているように思える。

 

 兵器。

 

 そんな言葉、それに類似した言葉。それをさらに酷い例えにした言葉。いくらでも聞いた。

 

 思い出してしまった。だからこんなにも辛いのだろうとアセイラムは理解した。思い出すと同時に、()()()()()()()()()()()()()()()と心が重くなった。

 

 

 

 アセイラムの記憶が自然と遡っていく。同時に伊奈帆も、そしてライエも。その先には、ヴァースのアジト襲撃作戦が終わってからの出来事が映し出される。これは彼らの知る記憶、そして彼らが知らない記憶の結合体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通されたのは鉄製のテーブルに向かい合うように置いてある椅子がある部屋。白く塗られた壁に、神々しいには遠いが明るいライトが部屋を照らす。奥にひとつドアがあり、それ以外にこれといった物は見当たらない。それなのに部屋自体はだだっ広くて、それが逆に息苦しく思えるほどだ。

 

「さあ、入れ」

 

 少し強めに背中を押してきたのは強面の男性捜査官。その後ろにも何人かが連なって立っていた。

 

 奥の椅子に座らせられ、真正面にその強面の捜査官が座った。手に持っている黒いバインダーを開いて視線を落とす。

 

「ライエ・アリアーシュ一等捜査官で間違いないな?」

 

「はい」

 

「そして父親がウォルフ・アリアーシュであり、元々CCGに所属。階級は准特等。10年前に殉職となっている。これも間違いないか?」

 

「……はい」

 

 ああ、始まるのだとライエは確信する。これは尋問だ。ライエが経験したこともない壮絶な尋問が始まるのだ。ただの事実確認のためじゃない。でなければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()で一週間ほど監禁状態になるわけがないから。

 

「おおよそ一週間前に終わったヴァースのアジト襲撃作戦。その作戦最中にあなたを含めた本館担当の班が出くわしたとされるのが、ウォルフ・アリアーシュに非常に酷似している喰種。それも隻眼である」

 

「……はい、私も見ま」

 

「それで、単刀直入に聞こう」

 

 ライエの言葉など聞いてる素振りも見せずに男性捜査官は鋭い視線をバインダーからライエに向けた。その声も鋭かった。

 

「貴様の父親は、喰種だったのか?」

 

 その質問に、ライエは瞬間的に怒りがわき出し、男性捜査官の胸ぐらを掴みかかろうかとした。けれど必死に堪えた。そんなことをすれば余計に面倒なこととになる。そもそも、目の前にいる相手は簡単にライエの動きを捌ききるだろう。

 

 膝に置いた両手を、男性捜査官の首を絞める思いで強く握り、絞り出すように答える。

 

「違います」

 

「ああ、そう言うだろう。仮に喰種であったのなら、彼はどうやって喰種捜査官になれたのだろうな」

 

 両腕を上げておちゃらけるようなジェスチャーをして男性捜査官は背もたれに寄りかかる。他にもいる捜査官たちは嘲笑うかのように口角をつり上げる。

 

 と、男性捜査官は一転して表情を変えて右腕を机に叩きつける。テーブルから振動がライエに伝わり、それとともに男性捜査官は前傾姿勢となり顔をライエに近づける。その目に、顔に、存在に、威圧感にライエは怯む。

 

「死んだはずの捜査官が喰種だった可能性がある。それも隻眼ときた。そうとなればこちらとしても警戒を強めなくてはいけない。議論は延々とやっているが、やはりウォルフ本人である可能性が拭いきれないという風に収りつつある。なにせ、アルドノアという能力が世に出てきてしまったのだからな」

 

「……」

 

「前回、貴様も参加していた作戦。5区でアルドノアグールとの大規模な戦闘。そこで一般車両に紛れ込ませた捜査官を乗せたワゴン()()()()()()()された。車両を出すタイミング、場所はごく僅かな人物にしか知り得ない。近くで喰種たちに監視されていたのかもしれない。だが充分な警戒もあったがゆえにこれはあまり考えられない。だから別の可能性、情報がどこからか漏れていた可能性があるとして、捜査官全員に調査が及んだ。貴様も受けただろう」

 

「はい」

 

「結果としてなにも得られなかったが、今回のがきっかけとなり疑念が再び浮かび上がってきた。これはヴァースとCCG側が裏で繋がっているのでは、と」

 

「……それで、その裏切り者が私であると?」

 

 ふざけるな。心中でそう吐き捨てた。亡くなった喰種捜査官に似た、もしくは本人である喰種が現れ、前回の件も絡まって、実はCCG内に喰種との内通者がいた。それはまさしくその亡くなった人物の娘だ。そう言いたのか。

 

「ああ、そうだ」

 

 男性捜査官は不気味な笑みを見せるとまわりの捜査官に目配せをした。

 

「もし、もし仮に私が内通者であると言うのなら、証拠はあるのでしょうか」

 

 まわりの捜査官たちの動きが気になって仕方がない。いつの間にか呼吸は少し乱れ、視線はまわりをいったりきたり。心臓の鼓動が速くなっている。すぐ耳音で鳴っているように、はっきりと聞こえる。

 

「証拠。ああ、そうだな。()()()調()()()()()()

 

「え?」

 

 男性捜査官の言うことを理解する前に両脇にほかの捜査官たちが近寄り、ライエの腕をつかんで無理矢理立たせた。

 

「な、なにを!?」

 

「だから言っただろう。調べるんだよ」

 

 男性捜査官自らも立ち上がって奥にあるドアを開けた。奥は少し伸びた通路があり、抜けた先に同じ広さの部屋がまたある。しかしそこには医療器具やらが数多く並べられ、治療用ベッドがひとつ。そのベッドは、けれど異様な機器が取り付けてある。

 

「ここは?」

 

「そんなことを説明する時間は無いんだよ。さて、身に着けているものをすべて脱いでもらおうか」

 

「は?なんでそんな」

 

 この部屋の存在。その意味。目の前に立つ男性捜査官の言葉の意味。なにもかもがわからない。ライエは困惑と同時に恐怖を感じてひたりひたりと後ずさりする。靴も靴下もない。素足から伝わる床の温度、それは限りなく生きた心地のしない冷たさ。

 

「早くしろ。時間が無いと言っただろう」

 

「嫌よ」

 

「貴様に拒否権はない」

 

「嫌、絶対に嫌!」

 

 腕を組んだ男性捜査官は人差し指を二の腕に何度も打ち付ける。次第に声は苛立ちが増し、ライエがひたすらに断固拒否をする姿勢を崩さないと見ると、再びまわりの捜査官に目を向ける。

 

 すでにこの展開は想定内、もしくは予定通りだったのかもしれない。先ほどライエの腕をつかんできた捜査官、他数名も加わってライエを羽交い締めにして衣服をはぎ取り始めた。地下室で監禁状態のときに支給された衣服は簡易なもので、ライエの抵抗むなしくあっという間に剥がされていく。

 

 ライエは必死にもがき、肌着をはさみで切り裂こうとする捜査官の右手に思いっきり噛みついた。その力は噛みつくどころか噛みちぎるくらいに。捜査官は痛みでうめき声が出て顔が歪んだ。すぐにライエの口から手を振り払うと、持っていたはさみは床に落ちたがそのままその手で裏拳を繰り出す。いくら捜査官として鍛えられたライエでもやはり女子。加えて同じくらいに鍛えられ、年齢もひとまわり以上の男性の力にはかなわない。

 

 その一発でライエは歯が折れたかと思った。血の味が口内に広がり、意識も割れた硝子のように飛び散る。

 

 これによって抵抗していた力が一気になくなったため、捜査官たちはついにライエを丸裸にしてしまった。そしてベッドに運ぶと、首と胴体、両手両足に拘束具をはめた。

 

「ふん。気が強い女でもこうされてしまえばどうしようもない。それにしても、いい体をしているねぇ」

 

 男性捜査官の強面が不気味な笑みに歪み、彼の手がライエの太ももから腰、腹部、そして乳房へと滑らせるように触っていく。意識がいくらか戻ってきたライエは体をひねらせてようともがいても、体はがっちりとベッドに固定されてしまっている。その間、他の捜査官たちがライエの体に細いケーブルがついたパッチをいくつも付けていく。最終的には、頭にパッチが大量に付けられたキャップのようなものを取り付けた。

 

「準備が整いました」

 

「ああ、わかった。まずはレベル2で行こうか」

 

 いったい何をされるのだろうか。そのレベルは何なのか。ライエの思考が動き出す前に、全身を切り裂かれるような痛みが襲いかかってきた。それをかき消そうとライエは喉が壊れそうなほど叫んだ。

 

 それが止んで少しの間があって、やっとわかった。これは電流だ。

 

「どうだい、ライエ・アリアーシュ一等。なにか話す気になったかな」

 

 ライエの視界の右端にあの男性捜査官がいる。不気味な笑みはそのままだ。

 

「なにを……。私は、ヴァースなんかと繋がりなんて」

 

 ライエは体に痛みが残りながらも彼に向かって無実であることを伝える。が、しかし男性捜査官は人差し指を二本立てて合図を送り、再びライエに電流を流す。

 

「あああああああああ!!!」

 

 計り知れない痛みがより長く感じられた。ライエは呼吸が思うようにできず、体全体が震えていた。それが痛みからなのか、恐怖からなのか、もうわからない。首をひねって左側を見てみると、捜査官が何人もパソコンの画面を見つめたりしている。自分に付けられたこのパッチからなにを調べているのだろうか。そう思った途端、男性捜査官がライエの右の乳房をもみ始める。

 

「こんな痛いのはもう御免だろう?ならさっさと吐いてしまえよ。全部をさ」

 

 彼の目には、もう人間としての欠片が窺えなかった。目の間にいるこの男は、悪魔なのか?

 

 いや、違う。悪魔でもない。彼は、いや彼らこそ、ヴァースの内通者なのではないのか。

 

「私……違う。なにも知らない。助けて、助けてください」

 

 声は震え、呼吸は乱れ、ついには視界が潤んで見えづらくなる。ヴァースの手先に助けを乞うことしかできないのだ。なぜなのか。なぜこんな……。

 

 男性捜査官は呆れるように首を振ると、今度は指を三本立てて合図を出した。

 

 先ほどよりも強烈な痛みがライエを襲う。自分の声なのかとわからないほどの叫び声。それでも痛みは緩和さえしてくれない。痛い。苦しい。辛い。ただ、それだけだった。

 

 いくら止めてと言っても、どれだけ無実を主張しても、この拷問は終わらない。終わらせてくれない。

 

 意識が朦朧としてきた。男性捜査官の声がエコーを通しているようにぼやけて聞こえる。涙は幾度も頬をつたって首筋に落ちる。もうこれで死んでしまうのかと、そう思った。

 

 死ぬこと。ライエは、この仕事をしている上で死ぬことは常に頭の片隅にあった。なぜなら自分の父親も喰種捜査官で、死んだ原因も喰種であると、当時の自分は聞かされたから。けれど、こんなわけもわからないことで罪を被され、外道な人物たちに遊ばれて、今にも死にそうになっている。こんなことが許されるのだろうか。こんなことがあっていいのだろうか。こんなことで死んでいいのだろうか

 

 もう、どこからも音が聞こえない。痛みも自然と感じなくなった。広い、とても広い海原の真ん中で浮いているような心地だ。そしてみんな、韻子たちの顔が浮かんだ。みんなに会いたい。会いたい。

 

「助……けて」

 

 いったい電流を何度流されただろうか。もうわからない。ライエが意識を失う直前、部屋のドアが開いて誰かが入ってきた。その人物の声は、なぜだろう、どこかで聞いたような声だった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうだい?」

 

「ええ、たった今、意識を失ったようです」

 

「そうかい、それはよかった。別に大したことじゃあないが、顔を見られた後に()()()()()()手間が省けた」

 

 ()の目の前には裸体となったライエが拘束具でベッドに繋がれている。

 

「ちゃんとやっただろうな?重役だと思ったが、いやしかしお前のことだから期待はしてないが」

 

「大丈夫ですよ。ヴァースのスパイ容疑を無理矢理被せてきたクソ野郎だと、彼女はそうにしか見えてないはずです」

 

 男性捜査官がそう言うが、彼は反応せずにじっとライエを見つめていた。

 

「それよりも、こいつ。いい体だと思いませんか?若い女性捜査官の中でもかなりの」

 

「生憎だが、俺に性的欲求が備わってないんでね」

 

「ええ、本当ですか?別に男なんだから、恥ずかしがらなくても」

 

「うるさいな。別に性的欲求は持っててもなにも言わないが、もしライエ・アリアーシュに本気で欲情し、少しでも汚してみろ。彼女とは比べものにならない地獄を見せてやるぞ」

 

 彼の鋭い目に射られた男性捜査官は顔を真っ青にして首をめいっぱいに横に振った。彼は視線を他の捜査官たちにも向けた。お前たちもだ、と言わんばかりに。案の定、彼らも同じように首を振った。

 

 彼はライエの左側に立ち、頬に付いた涙をそっと指で拭う。

 

「ライエ・アリアーシュ。ウォルフの娘、か。親子で喰種を狩る者、それどこかアルドノアに運命を振り回されることになるとは、どこぞの阿呆か。いやはや、君はどんな結果を見せてくれるかな」

 

 彼は先ほどの男性捜査官とは違う、本物の悪魔のような笑みを浮かべた。

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