アルドノアグール   作:柊羽(復帰中)

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今年はじめの活動報告については、なかったことにしてください……


Episode.37 奥底からわき上がってくる

 カームはそのことを知ったのは、大規模作戦が終了を告げてから五日経ったころだった。負傷者が数多く出ているのはすぐ耳にしたが、それはあくまでメディアでも獲得できる情報だからだ。そして、なおカームの心を強く握られるような痛みが襲った理由は、きっとそれを伝えに来た人物にもある。

 

「それは……本当、なのか。韻子」

 

 体温を感じなくなるのはこれが初めてではない。今カームが入院している理由である左足の切断。そのとき、意識も朦朧としていて、あわや死という文字が頭に浮かんでいた。

 

 韻子は唇を噛みしめ、ゆっくりと頷いた。彼女の頬にある医療用ガーゼなど治療されたところがあったが、立ってここまで歩いてこれるほど奇跡的な軽傷だった。しかし表情は真夜中を彷徨う亡霊のようにカームは見えた。

 

「なんで、どうして」

 

 カームの声は震えていた。両手が震えて、抑えるように自分の顔面に手のひらを押しつける。なぜが涙は出てこなかった。

 

 起助が、死んだ。

 

 それはカームを絶望の淵へと叩きつけるには充分だった。

 

 半年すら経ってない。起助との約束。

 

『まかせとけ。驚きすぎて腰抜かすなよ!』

 

 今でも脳内に響く、起助の言葉。自分が復帰したら今よりもっと強くなっていろ。そして驚かせてくれ。そうだ、そう言った。言って約束した、はずなのに。

 

「なあ、伊奈帆はどうした。ライエも。一緒に、作戦に参加してただろ?」

 

 ついに体までもが震え出す。これは恐怖じゃない。カームの体が現実を受け付けまいとしているのだろうか。息を吸って、吐く。それを三回繰り返して、なんとか声だけは出せた。けれどその質問に、すぐ答えは返ってこない。

 

 見れば、韻子の目は点になるほどに見開かれ、それは悲しさではなく恐怖の顔だった。視線がカームと合うとすぐに逸らし、今度は彼女の手が震え出す。ぐっとつかんで堪えるようにしてから、ゆっくりと口を開く。

 

「二人とも、コクリアに行ってる」

 

「……は?なんで」

 

 当然の疑問だった。負傷しているなら病院、そうでなくてもなぜコクリアに行く必要があるのか。いや、二人にはアセイラムから何かを聞き出す名が与えられているのか、そうカームは思ったが口に出すことはなかった。その前に韻子が補足した。

 

「二人には、喰種である疑惑があるって、連行されてるの」

 

「……はあ?なんでだよ、おかしいだろそれ。俺らは」

 

「そう、だよね。私たちはアカデミーから今の今までずっと一緒だった。わかるよ、カーム」

 

 韻子の声色は、カームをなだめるように優しく、しかし悲しみの方がより強かった。「でもね」と韻子は今にも泣きそうな潤んだ瞳をカームに向けた。

 

「私、見ちゃったんだ。目の前で、伊奈帆が、アルドノアを出すのを」

 

 わけがわからなかった。カームは自分の耳の異常を疑ったが、それは無意味だとすぐにわかった。

 

「目も、赫眼だった。アルドノアグールのような、特殊な赫眼。それも、隻眼」

 

 隻眼。

 

 カームはオウム返しのように、そう口にした。今まで記憶にある伊奈帆の顔が浮かんできた。その彼が、隻眼。それは、伝説として聞いたことのある話。片方が人の目。もう片方が喰種の目。人間と喰種の間で誕生するという希少な喰種。それは通常種よりも遥か上の力を持つと言われていた。半喰種とも言われる生物と伊奈帆が、カームの脳内ではイコールで結ばれない。アルドノアなどもってのほかだ。けれど、

 

「見たん、だろう?」

 

「そうだよ。私のほかにも捜査官が大勢いる前で、自分から見せたの」

 

 韻子の声は今にも消えそうな蝋燭の炎のようだった。それを聞いてもカームは首を振り続けた。「わけがわからない」

 

「ライエは、絶対に違う、と思う。でも、死んだはずだったライエのお父さんが、現れたんだって。これも、隻眼の喰種として」

 

 ただでさえ混乱している頭に、さらにかき乱すような情報がカームに注がれる。

 

「だって、ライエの父親は、あのヘブンズ・フォールで死んだって」

 

「わかってるよ。でもこれは私は見てない。それに作戦開始からライエに会えてない。情報だけが共有されてるの」

 

「でもさ……。なら、ライエは父親がそうだからってんで連行されたのか」

 

「そう、なるね」

 

「おかしいだろ。なんでなんだよ!」

 

「私にもわからないよ!!!」

 

 韻子の悲痛な叫びにカームはただ口をぱくぱくと開け閉めだけして、「ごめん」と呟く。でも、なにがごめんなのだろうか。説明できる自信が無かった。

 

 カームは頭をかきむしり、韻子は俯く。拳は強く握りしめられ、その力で震えていた。この状況をどうすることもできないもどかしさからだろうか。

 

 もう、他になにも出てこなかった。言いたいことはいくらだってある。それでも、結論からすれば「なんで」「どうして」に行き着く。

 

 室内に沈黙が重くのしかかった。無言のままのカームに「それじゃあ、また」とだけ残して個室を出て行った。

 

 カームだけになった。静まりかえった室内を見渡すこともなく、ただ体を丸めて顔を埋めた。韻子から聞かされた話がぐるぐると脳内をまわる。その中でやはり彼の心を確実にえぐり、穴をあけたのはやはり、起助の死だった。左足が、もうあるはずのない左足が痛む。

 

「なんでなんだよ、オコジョ」カームの言葉が、むなしく室内に溶け込んだ。

 

「勝手に逝くんじゃねえよ」

 

 

 

 

 

 

 

 ここで、目が覚めた。

 

 ゆっくりと目を開けて、無機質な天井を数秒見つめて体を起こす。椅子を並べて寝転んでいたものだから体のあちこちが軋む音が聞こえる。もっとも物理的に軋むのは今のところ左足だけだが。

 

 頭部に配置していたクッションを自分用の椅子に戻して、他の椅子を雑に片隅に寄せる。その音で少し遠くで眠っていた人物を起こすことになる。

 

「んん……。今、何時だ?」

 

「ちょうど八時半です。よく眠れましたか?」

 

「いや、朧気だが喰種に追われる夢を見た。あの宣戦布告してきたあの顔がそのまま迫ってくる。最悪だね。クインケが向かってきてくれた方が嬉しいよ」

 

「それはそれで怖いと思うんですが」

 

 ここのクインケ工房の長である松原が自慢のアイマスク――小学生が描きそうな目がプリントされている――を外して首を数回まわす。

 

 怖い夢、そうは言ったが自分のもある意味そうじゃないかと、自嘲気味になる。それは夢ではなく、明確な過去の記憶だが。

 

 結局、起助の死がまとわりつき、伊奈帆とライエに関してはコクリアに入れられた。そんな同期たちの姿を見てしまったのが一番の要因だった。カームは捜査一課を辞めた。

 

 けれど、彼にはもともと手先の器用さ、クインケについての知識などが比較的上だったことからこの工房のスタッフとして働いている。そもそも松原ひとりが長年取り仕切っていたため、助手だ助手だと子どものように喜んでいた。

 

 手始めにカームの義足を簡単に作ってしまったのがカームがここに残るひとつのきっかけになった。それから彼の仕事を覚えるはやさも松原に認められ、今では二人体勢により格段にクインケ制作ペースが上がっている。

 

 そして……。

 

「さて、今日には完成だね。動作テストが膨大にあるけど、がんばろうか」

 

「はい」

 

 二人が同時に目を向ける先にあるのは、伊奈帆のクインケである。しかも()()()は通常のクインケとはまったく異なるもので、今日まで仕上げるまでに相当の労力を使った。試作段階から幾度も改良を施し、データを取ってまた改良の繰り返し。それを経て、ついに完成形にもってこれた。もはやこれのために二人は工房で寝泊まりしていると言っても過言ではなかった。

 

 しかも驚いたことに、これらの構想は伊奈帆自身が提案してきたものだった。それはあの松原さえも腰を抜かすもので、それであって理論上可能であることがわかった。

 

 カームはそのとき久々に伊奈帆の姿を見た。けれど昔の面影が、どこにもなかったのを覚えている。そしてこんなクインケ新規製造案を持ってきて、カームは思った。

 

 彼が、伊奈帆が恐ろしい、と。

 

「まずは残りのほうを片付けよう」

 

 松原はさっそく作業にとりかかる。カームよりも寝ていないはずなのに、両手は俊敏に動いている。この工房を任されているからこそなのだろう。単純に彼自身のクインケ好きもあるだろうが、それよりも今は"使命"と言うほうが当てはまる。そうすればカームにも当てはまる。開戦の時は、もう見えているのだから。

 

「伊奈帆、お前はいったい……」

 

 ヴァースとの全面戦争まで、残り六日である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、結論から言えば予想を遥かに上回った。確かに未知数な部分はあるとはいえ、ここまでの結果を出すとは、マグバレッジさえも目を見張るものだった。

 

 伊奈帆が正式に零番隊に加入が認められた。伊奈帆からすれば、案外あっさり受け入れたなという率直なものが出てきたが、すぐにどうでもよくなった。重点を置くべきはアセイラムとの共鳴の果てに手に入れた情報たち、そしてそれをもとに今後どう動くかで一杯だった。

 

 それから間もなくして伊奈帆は零番隊たちと顔合わせすることとなった。伊奈帆が厳密に所属するのは彼とほぼ同じ年代で組まれ、かつマグバレッジもいるリーダー的存在の部隊だ。

 

 零番隊は大まかに上記含め十の部隊で構成されている。この部隊の特性上、遊撃隊として扱われるのが常なために東京に限らず全国に派遣されることがほとんどだ。そのために部隊を組み、さらに状況によって部隊の中で人数を分けて行動することもある。

 

 この零番隊は通常の捜査官と何が違うのか。

 

 ”喰種を徹底的に殲滅する”という理念のもとつくられた部隊。つまり一般的な捜査官との違いは戦闘にある、と述べるに他ない。通常の捜査官はもちろん対喰種との戦闘訓練を受ける。が、ほかにも様々な知識を身につけることが必要であり、喰種と戦う捜査一課だけでなく戦闘のバックアップ等を勤める捜査二課にもなることができる。

 

 だが零番隊は違う。述べた理念そのままで、喰種との戦闘だけに特化された部隊である。クインケの扱いだけでなく、身体能力の高さも通常の捜査官を超えている。逆に言えばそういう者でしか所属できない。捜査一課ではどうにもできないSレート以上の喰種の討伐要請に応じる。常にこの部隊が相対するのは強敵しかいない。それ故、殉職する確率も上がる。だとしても厳しい訓練、そして壮絶な戦場をくぐり抜け続ける理由は、各々あるものの、ある程度予想はつくであろう。

 

 

 

 マグバレッジのいるリーダー的部隊は、ここがぬきんでて強いわけではない。戦力にばらつきが出てしまっては部隊を分けた意味が無い。零番隊でも若い者たちが比較的多く集まっているのは単純に強いだけでもキャリアの差だ。マグバレッジには誰にも敵わないが、それに近い強さとリーダーシップのとれる者がそれぞれ部隊を率いている。マグバレッジの部隊にもキャリアの長い者はもちろんいる。だがここであっても経験の浅い者をサポートするのは当然にあることだ。

 

「界塚一等、これを」

 

 詰城から渡されたのは訓練用の防具一式だ。アカデミー時代では見慣れたものだったが、捜査官になってからはあまりお世話になってない。懐かしく思いながら手早く身につける。上半身と肘、手、腰部、膝、すね、頭。

 

「界塚一等には、リハビリという名目で今の戦力を改めて見せてもらいます」

 

 マグバレッジに連れられた先には広々とした戦闘訓練の部屋があった。既にマグバレッジ率いる部隊――コード00(ゼロゼロ)――のメンバーが集まっていた。ざっと見るところ五十人近くはいるだろう。部屋の中央に五列になって身動きせず待っていた。マグバレッジと詰城、祭陽の姿を見ると一斉に敬礼をした。

 

「これから部隊の何名かと手合わせしてもらいます。このデータを提出することになっていますので」

 

「わかりました」

 

「もちろんわかっていると思いますが、固有能力および肉体強化のためにアルドノアを使用することは禁止ですよ」

 

「ええ、もちろん」

 

 マグバレッジから簡単に説明を受けた後、祭陽は一本の訓練用武器を持ってきた。武器と言っても伊奈帆の背丈ほどに長い黒の棒だ。それをじっと見たまま、伊奈帆は動かなくなる。

 

「あれ?界塚一等は槍のクインケを使ってたッスよね。間違ってましたか?」

 

「え、ああ、大丈夫です。あってます」

 

 そう言って伊奈帆は長棒を受け取った。首をかしげながら祭陽が下がると、隊列を組んでいた者たち全員はもう既に部屋の壁に沿うように広がっていた。部屋全域の床に敷き詰められた怪我防止用のマット。そこにはスポーツのコートのように白線が引かれている。ここでの訓練は伊奈帆もアカデミー時代に受けていた。ただ見られないものもあった。おそらくこのためにあるのだろう、様々な角度に置かれたカメラが置かれている。

 

「まず最初です。ニコラ」

 

「はい!」

 

 マグバレッジが声をかける。返事の先を見れば、伊奈帆同様に防具一式を身に纏っている茶髪の青年が出てきた。また同じ長棒を左手に握りしめている。

 

「同じ武器種同士で手合わせを行ないます。白線から出れば一旦やめ、再び構えから始めます。勝敗などは私が取り仕切ります。では、双方ともに構えてください」

 

 懐かしさが蘇ってきた。訓練用の武器を持ち、アカデミー生同士でぶつかりあう。当然、相手は喰種だ。クインケは持っていない。けれど、この幾たびに及ぶこの実践が今の喰種捜査官として一番役立つものだった。

 

 二人は白線で仕切られたフィールド内に一定の距離を開けて立つ。ニコラはさっそく長棒を両手で握り、左足を引く。棒先を伊奈帆に向けて姿勢をやや低く保つ。

 

「これはあくまで界塚一等のためのものです。ですので先手はあなたからお願いします」

 

「わかりました」

 

 短く答えると、伊奈帆は片手で容易く長棒をまわして、止める。その腕を引き、棒を背中にトントンと当てる。棒先は床に向けるが直についていない。

 

 ほんの少しまわりがざわついている。そんな中から「リハビリとはいえ、槍型クインケの扱いに長けたニコラをだすとはね」「容赦ないねぇ、特等は」「界塚一等、どれくらいもつのかな」「変な構えだな。弱そう」と伊奈帆の耳が拾う。

 

「では……始め」

 

 マグバレッジの合図とともに手元のリモコンのボタンを押した。一斉にカメラが起動した。

 

 伊奈帆はほんのわずか手の力を緩めて棒先を床につけた。瞬間、前へ駆けだす。誰もが想像していた以上に速く。

 

「!」

 

 さすがは周りから言われていただけある。ニコラは瞬時に反応する。伊奈帆の横一線を軽く受け止めた。だがこれで終わらない。両手に持って伊奈帆は左右の振り、胴や足下への突きを恐るべきスピードで放つ。それでもニコラは自信の長棒で防いでいく。

 

 広々とした空間に何度も武器が交わる音が響く。もはや実践ではなく、実際の、対喰種との戦闘にさえ思えてくる。ニコラは防いでいた。けれど防いでいるばかりで反撃ができなかった。伊奈帆の一撃一撃が重く、あっという間に後退してフィールドの外に出そうになっていた。

 

 と、そこでニコラは長棒をめいっぱいに振る。伊奈帆は軽々と間合いを取って避けると、構えと同じ形になりさらに後退した。そこを逃すまいと、今度はニコラの攻撃が始まる。両手を器用に扱い、様々な攻撃を織り交ぜてくる。受ける側となった伊奈帆だが、彼もまた防いだ。いや、違う。()()()()()()()()。構えはほとんど崩さず、対戦相手に向けた目はぎっと開いたまま、左右や後ろにステップを踏むように避ける。

 

 自らの攻撃もこうも避けられ続け、ニコラは焦りを感じ始めた。自分はこの零番隊に入ってから数年ほど経った。そこで幾たびも死線を乗り越えてきた。日々の訓練も怠ったことはない。力は着実についていった。

 

 だというのに、まるで目の前にいる相手に攻撃が当たらない。防ぎもせず、避けられる。気味が悪いとまで言える。一ヶ月間コクリアにいたと事前に聞かされていた。実質監禁されていたものだ、と。ろくに体を動かしていないはずだ。それなのに、なぜ避けられる?なぜそこまで体が動く?

 

 相手の、伊奈帆の両目はたしかに人の目で、しっかりとニコラを見ていた。

 

 その僅かな隙を伊奈帆は見逃さなかった。ニコラの斜め上からの攻撃を避けると瞬時に棒先を足で踏みつける。

 

「っ!」

 

 ほんの一瞬動きが止まったニコラの胴体に伊奈帆は長棒で強力な突きをくりだす。防具越しに襲ってきた衝撃で吐き出されたうめき声。だがニコラは転がっても受け身をして体勢を立て直そうとする。が、伊奈帆はもうすでにニコラと距離を詰めていた。立ち上がるニコラの足を強く払い、再び彼を仰向けに倒した。ニコラはあがこうと右手に握る長棒を振るうが、伊奈帆はいとも簡単にそれをいなす。そして棒先は一気にニコラののど元へ一直線に迫る。

 

「そこまで」

 

 その先端は、一センチメートルないほどで止まった。マグバレッジは手元のリモコンでカメラを止める。同時に時計に目をやる。

 

「五十三秒」

 

 勝負がつくまでの時間、それもあるがニコラがこうも短時間で負かされることが周囲に驚きを蒔いた。大騒ぎなどはなかった。だが低い囁きに包まれる。

 

 伊奈帆がニコラに背を向けて歩き出すと、開始位置に立つ。ニコラは驚き半分、悔しさ半分の顔で伊奈帆に倣って戻り、互いに礼をした。

 

「さて、次ですが」

 

「マグバレッジ特等、あと何回模擬戦をすればいいのですか」

 

 伊奈帆はマグバレッジの目を見ていた。なにか欠落しているような、陰りがさした目だった。

 

「あと二回あります」

 

「ではその二人まとめて相手をします」

 

 そう言った途端、まわりがまたざわつき始める。それはけっして良いものではない。明らかに睨む者もいた。

 

「個々の力だけでなく、いかにチームプレイができるのか。これも僕は知りたいのです」

 

「……はぁ、仕方ありませんね。イングヴァル、里奈」

 

「おいおい、そいつの言うとおりにするのかよ」

 

 声の先に伊奈帆が目を向けると、出入り口と対の位置の壁に寄りかかる青年がいた。彼もまた不服そうな目をしている。防具を身に纏い、隣にも少女が同様の恰好で立っている。

 

「言いなりなどではありません。思えば、二人はタッグで戦績を挙げている事例が多かった、と。ただそれだけです」

 

 青年の方――イングヴァルという名前だろう――は舌打ちをしながら、ずかずかとフィールドに入る。里奈と呼ばれた少女の方も後に続く。イングヴァルは太刀、里奈は二本の短剣型の訓練用武器を握っている。

 

 どくん、と伊奈帆の心臓が強く鼓動するのがわかった。これはなんだ?似たようなものをついさっき、祭陽から長棒を渡される時にも感じた。これは、いったい……?

 

 二人は既に準備完了のようだ。伊奈帆は先ほどと変わらない構えをみせた。

 

「では、始め」

 

 ニコラの時と同じくカメラが作動した。だが伊奈帆はすぐに動かない。むしろ動けないようにさえ見える。

 

「先ほど同様、界塚一等が先手ですよ?」

 

 里奈が声をかけるが、伊奈帆に動きはない。彼は、なぜか動揺していたのだ。

 

 伊奈帆自身すらわからない。この感覚、心の奥底でうごめく()()()が静まらない。少し呼吸が荒くなる。しびれを切らしてイングヴァルが太刀をかるく振る。そのときだった。

 

 

 

『伊奈……帆』

 

 脳に電流が駆け巡るように、一瞬にしてあの日の記憶が蘇った。ひとりで黒鬼に立ち向かう起助。手には彼の刀型クインケ"菊一文字"。しかし敵うはずもなく黒鬼によって刺殺された。そしてアルドノアを得た自分が起助のクインケを持って立ち向かう。そう、黒鬼に。そう、皆を殺した喰種に。

 

 長棒を握る力が一気に強くなった。目を見開き、伊奈帆は全力の一歩を踏み出す。たったそれだけでイングヴァルの懐に潜り込みそうになるほどだ。

 

「なっ!?」

 

 既に伊奈帆は突きを繰り出していた。ニコラとの模擬戦よりも速い。だが彼はただの捜査官ではない。太刀の面で受け止めていた。

 

 その突きをなんとか受け流すと里奈の攻撃が伊奈帆に迫っていた。しかし両足で地面を思い切り蹴り、高く飛んだ。その降りてきた勢いそのままに長棒を振るう。

 

 二人は後退して回避。すぐに目線を交わし、次の攻撃に移った。イングヴァルが伊奈帆に迫り、太刀を自分の一部のように自在な斬撃をくりだす。これもまた伊奈帆は避けるが、彼の意識は里奈にも向けられた。今の伊奈帆ほどではないが動きが速い。すでに伊奈帆の背後に回り込んでいた。そのまま接近する。

 

 マグバレッジが言ったとおり、二人のコンビネーションはかなりのものだ。一見して二人の見た目などからそう考えられないが、そこもまた不意を打てるひとつの特徴とも言える。

 

 その巧みな動きをどう攻略するか。伊奈帆は常に冷静だった。長棒を一周大振りするが二人は華麗に避けて挟み撃ちにしようとする。そこで伊奈帆は再び飛んだ。と言っても高く飛んだのではない。体をひねり、ほぼ真横になるようにして飛んだ。そのまま里奈の方に両足蹴り。短剣を交差して受け止めるが、衝撃を受け流せず後退。体勢を変えたことでイングヴァルの横斬りも避けていた。片足で着地し、長棒を振るった。

 

 常人にはできない回避方法だが、攻撃はそうでもない。太刀で防ぎ、すぐに迫る。イングヴァルの攻撃を、ついに伊奈帆は長棒で受け止めた。

 

 それを待っていた!イングヴァルはニヤリと笑うと抑えていた力をここに解放した。伊奈帆とほぼ同じ背丈の青年とは思えない力で太刀を押し込む。武器の擦れる音がはっきりと聞こえる。伊奈帆の背後には再び里奈が迫る。しかし先ほどのようには対処出来ない。長棒を使わずにいたからこそ動けた。しかし今はイングヴァルの太刀を防いでいる状態。ここで振り切っても里奈の攻撃を避けきれるとは思えない。仮にできたとしても、イングヴァル自身が押し切れると判断した。

 

 だが、それでも伊奈帆は冷静のままだった。それどころか二人は予想外の行動に翻弄させられた。

 

 里奈の短剣が迫るそのとき、伊奈帆は持っていた長棒を手放した。イングヴァルの力を流すように転がり、里奈の攻撃をすんでの所で避けた。

 

「あ?!」

 

 イングヴァルの力を注いでいた太刀は長棒ごと地面に叩きつけられた。だが里奈は止まらない。ただ一発かわされただけ。武器のない伊奈帆、かつ今は転がった直後。これなら……!

 

「……え」

 

 背は向けているが伊奈帆の目はしっかりこちらを見ていた。とっさに向き直るところを里奈が短剣を素早く振るった。しかしそれを容易く止めた。伊奈帆の右手はしっかりと彼女の手首を握っていた。

 

 里奈はもう片方で再び攻撃をしかけた。けれどそれが届く前に伊奈帆の反撃が繰り出されていた。右手を瞬時に引っぱり彼女との距離を詰め、体勢を起こすと同時に膝蹴り。里奈の鳩尾部分に打ち込んだ。もちろん防具は着けている。それに彼女をはじめ、この場の全員が過酷な訓練を乗り越えている。筋肉量も人並みではない。それでも伊奈帆の攻撃は防ぎ切れていないように感じた。体から力がふっと抜けるようだった。

 

 伊奈帆は続けて同じ箇所にもう片方の足で里奈を蹴り飛ばした。これで彼女は戦闘不能。だが、彼女が倒れ行くのを飛び越えるようにしてイングヴァルが迫ってきた。短剣と違って太刀はリーチがある。イングヴァルは可能な限り素早く振るうが伊奈帆は後ろに飛び退く。

 

「はぁッ!」

 

 イングヴァルの太刀の振りはどれも速く、かつ正確だった。上段からの攻撃、突き……。どれも磨きがかった剣技は彼の歳からしても驚くべきものだ。そうだとしても、今の伊奈帆は彼自身も戸惑うほどに身体的ポテンシャルが勝っていた。

 

 刹那、イングヴァルの視界から伊奈帆が消えた。その一秒にも満たない静止を見逃さず、伊奈帆は体勢を低くしてイングヴァルの足を強引にはらう。重心が狂ったイングヴァルは踏ん張るが時既に遅く、伊奈帆が懐に潜り込んでいた。彼の右拳がイングヴァルの腹部にめり込む。肺の空気が抜け、乾いた呻き声が出る。が、

 

「それ、ごときで!」

 

 イングヴァルは左手で伊奈帆の肩をつかんだ。そのまま右手に持つ太刀を振るおうとした。だが伊奈帆は巧みに腕を動かしてイングヴァルの左腕をねじる。再び呻き声がでて怯んだ隙を見逃すことなく、素早く彼の防具をつかんで背負い投げ。訓練部屋に音が響くほどに叩きつけられたイングヴァルはもがいて伊奈帆を牽制しようとするが、指先を伸ばした伊奈帆の左手がのど元に迫っていた。

 

「そこまで」

 

 伊奈帆の中指とイングヴァルの喉とまで、五センチほどでマグバレッジの声が響いた。イングヴァルは体がしびれてしまったかのようで動けなかった。この短時間で息が上がっている。心臓の鼓動が速く、せわしない呼吸のまま伊奈帆を見るが、彼はマグバレッジの静止の合図で何もなかったかのようにイングヴァルから手を離して立ち上がっていた。

 

 まわりのざわめきなど気にもとめない。痛みを堪えながら起き上がる里奈を尻目に伊奈帆は長棒を拾う。そして、やっと伊奈帆は理解した。実践前からずっと感じていたこの妙なざわめき。心の奥底からわき上がる得体の知れないなにか。

 

『今はそんなことはどうでもいい。僕がやるべきことは、おまえを殺すことだけだ』

 

 それを言い表すものがあるとすれば、

 

『この世の不利益は、当人の能力不足』

 

 伊奈帆の左手は、震えていた。

 

「殺人衝動、なのか」




筆が進まない(キーボードだけど)
まるで気力が湧かないんですごめんなさい
せめて途中まで進んでいたこちらを更新したところです
色々とリアル面でのゴタゴタはあらかた片付いた(と思ってる)ので、なんとか進めていきいた所存でありまする……

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